社会人学生の遅れてきた学習意欲

実質的には、旅行フォトブログです

台湾周遊旅行1日目―裏切りのチャイナエアライン

2010年09月23日 | 2010台湾旅行




06/11 金曜日 台湾1日目
滞在地:大阪→台北→九分

◇なんで台湾旅行なの?
台湾はボクが一番好きな渡航先で、過去にも何度か寄せてもらっています。台湾は日本から近くて、ごはんが安くておいしいし、親切な人がいっぱいいて…と台湾の良いところを挙げて行けばキリがないほどなんですが、うちのオカンは台湾が話題に上るたびに「その昔、台湾では誘拐事件が頻発して…台湾は怖いところやで、気ぃつけや」と、どうやら相当危ないところだと思っているようなのです。これはもう台湾に連れて行ってその実態を直に見てもらうより他ありません。

そんな折、郵便受けに阪急トラピックスの広告が入ってまして、それを見れば「サンキュー台湾縦断4日間 39,800円」というおあつらえ向きのプランがありました。燃油代と空港使用料を入れても二人で10万円以下ですから安いもんです。この機会にオカンを台湾に連れて行って台湾のイメージを良くしてもらわねば!と思って申し込みをしたのでした。





13:15
台北桃園空港行きCI157。昔は中華航空と言っていましたが、最近はチャイナエアラインと言うみたいですね。この航空会社、爆発炎上のイメージがあるので本当はエバー航空の方が良かったんですが、ツアーはフライトを選べないので仕方ないですね。





機内食は◎です。アジア系はあまりハズレがないですね。食後のお茶も◎です。CAの子の物腰が柔らかなのも安心感があっていいです。搭乗前のチャイナエアラインのイメージは最悪でしたが、実際に乗ってみていい方向に裏切られました。





15:05
3時間弱のフライトを経て台北桃園空港に着きました。時差があるので-1時間です。ここで現地の旅行会社の人がツアー客を集めて引率するという段取りです。パックツアーって初めて参加するので、こういう風に集団で集まってバッヂ付けたりするのがとても新鮮です。





空港からはこういう大型バスに乗ります。全てが手配されてちゃんと案内してもらえるので「パックツアーってええなぁ」と思います。何もかも自分でやらないといけない個人旅行はそれはそれで楽しかったりするのですが、今回のように同行人がいる場合は気楽なツアーの方がいいでしょうね。





桃園空港からバスは高速道路を一路東へ。台北近郊の観光地、九分(「分」には本当はにんべんがつきます。フォントの都合上「分」にしてます)に向かいます。





バスは2時間ほど走って九分に着きました。みやげ物屋の並ぶ商店街からは五香粉の匂いが漂ってきます。この匂いがすると台湾に戻ってきた実感がわきます。写真手前の方には豚さんの共食い看板がありますね。









芋圓屋。芋圓とはタロイモから作ったムニムニした小さいお餅みたいなおやつでこの辺の名物ということです。こういう名物って全然期待できないことが多いんですけど、芋圓は別。甘いシロップがかかってる中に芋の素朴な甘さもあり、何よりあのムニムニトゥルンの食感がたまりません。





臭豆腐を買いました。辛味噌味でうまいです。嫌がるオカンに半ば強制して食べさせました。屋台で食べると白菜の漬け物が添えられるんですが、ボクは臭豆腐本体よりもあの漬け物の方が好きです。





商店街はびっちり続いています。東大阪の石切神社の参道に似てるかな。





茶藝館の「阿妹茶楼」です。「千と千尋の神隠し」のモチーフだそうですが、映画やアニメに疎いのでふ~んと聞き流していました。意外だったのがオカンが宮崎アニメを見ていたこと。





山の斜面に形成されている街なのでこういう階段が非常に多いです。そのおかげで街の表情も上から見るのと下から見るのとでは大きく異なってきます。パンフレットにはこういった仰角のアングルのものが多用されています。





上から見るとこんな感じ。





レストランで食事をして外に出るともう夜でした。夜になると赤い提灯の光が際立って、夕方とはまた違った表情を見せてくれます。





山の下の方はこんな感じです。露出を長くして撮ってるのでぼんやり明るくなってますが、実際のところは暗かったです。

メルコスール旅行のおさらい

2010年09月21日 | 2010南米旅行




<滞在地のまとめ>
2/16ワシントンD.C.
2/17サンパウロ
2/18サンパウロ
2/19リオデジャネイロ
2/20リオデジャネイロ
2/21ベレン
2/22ベレン
2/23ベレン、フォスドイグアス
2/24フォスドイグアス
2/25フォスドイグアスプエルトイグアスシウダーデルエステ
2/26シウダーデルエステ、エンカルナシオン
2/27エンカルナシオンポサダス
2/28ブエノスアイレス
3/01モンテビデオ
3/02モンテビデオ
3/03モンテビデオブエノスアイレス
3/04ブエノスアイレス
3/05ブエノスアイレス
3/06ブエノスアイレスサンパウロ
3/07シカゴ、サンフランシスコ

<フライトのまとめ>

日付航空会社便名区間時間マイル数
2/16全日空NH2178伊丹→成田1:10278
2/16ユナイテッド航空UA898成田→ワシントンD.C.12:206,753
2/16ユナイテッド航空UA861ワシントンD.C.→サンパウロ9:204,717
2/19TAM航空JJ8085サンパウロ→リオデジャネイロ1:00234
2/21TAM航空JJ3420リオデジャネイロ→ベレン3:301,518
2/23TAM航空JJ3555ベレン→フォスドイグアス7:201,709
3/06ブリティッシュエアウェイズBA246ブエノスアイレス→サンパウロ2:301,031
3/06ユナイテッド航空UA842サンパウロ→シカゴ10:305,252
3/07ユナイテッド航空UA885シカゴ→サンフランシスコ4:301,846
3/07ユナイテッド航空UA885サンフランシスコ→関西12:105,413
スターアライアンス加盟航空会社マイル数27,720



全日空・ユナイテッド航空・TAM航空ともにスターアライアンスに加盟しているので、ユナイテッドのマイレージプラスの口座にマイルが貯まります。ブエノスアイレス―サンパウロ間で乗ったブリティッシュエアウェイズのマイル数を差し引いた、スターアライアンス加盟航空会社のマイル数が27,720となりました。これだけでソウルや香港などの東アジア諸都市へタダで行ける特典旅行がGETできるだけのマイル数です。

今回、ブラジルの国内線はTAM航空のエアパスを使うことにしました。中南米は国内線・国際線ともに航空券の価格がバカ高く、1区間ごとに購入していれば移動だけでウン十万するのは確実です。エアパスは他にGOL航空やアルゼンチンのLAN航空なんかも出しているので旅行代理店に問い合わせてみてください。

大阪―サンパウロ間の航空券が145,000円、ブラジルエアパスが65,000円、ブリティッシュエアウェイズの航空券が25,000円、以上がフライトに要した全ての金額です。

フライト時間の総合計が64時間20分、自分でもよく我慢したと思います。日本と北米間のフライト時間が最も長く、次いで北米と南米間のフライトが長くなっています。次回訪問時にはストップオーバーを利用して北米の都市に着いたら数日遊んで、その後に南米に行くというプランにしたいと思います。

メルコスール18日目(最終日)―飛んでバックトゥホーム

2010年09月20日 | 2010南米旅行




03/06 土曜日 メルコスール18日目(アルゼンチン/ブラジル/アメリカ合衆国/日本)

滞在地:ブエノスアイレス(アルゼンチン)→サンパウロ(ブラジル)→シカゴ(アメリカ合衆国)→サンフランシスコ(アメリカ合衆国)→大阪





前日の晩、ホテルまでの帰り道でキャッチに捕まり、それにホイホイついて行けばそこは怪しいガールズバーでした。クラブには遊びに行ってもこういう店は好きじゃないので出ようとしたら、案の定訳の分からぬ金額を請求されました。えぇ、大阪弁でまくしたてて一銭も払わずに出てきましたとも。





11:40
ブエノスアイレス・エセイサ国際空港着。ここからサンパウロまでをBRITISH AIRWAYSのBA246便で飛んで行きます。この便はブエノスアイレス発サンパウロ経由ロンドン行きの便で、もともと南米2都市間の旅客輸送はもともと当てにしておらず、「空席で飛ばすより安売りでもいいから乗ってもらって小銭稼ごう」と破格の価格設定になっています。ということでブエノスアイレス―サンパウロ間では南米の航空会社の半値以下でチケットを取ることができました。





チケットが安かったので座席をグレードアップしてみました。前後左右ともにゆとりのあるシートで快適でした。





ブラジルのポルトアレグレ近辺の上空だと思います。





15:50
サンパウロ・グァルリョス空港着。いつ来てもどんより。





乗継ぎ便までまだ時間があるのでフードコートでホットドッグを食べました、BRL 15(=750円)。サンパウロの市中で食べたらもっとマシなものがこの半額で食えるんだろなぁ。





ブラジルエアパスでお世話になったTAM航空の機体がありました。"ORGULHO DE SER BRASILEIRA"(「ブラジルの航空会社であることの矜持」→意訳:「ブラジルに生まれてよかったー」)





22:00
UA842 シカゴ行きの便は定刻に飛び立ちました。リクエストしてないのにエコノミープラスの座席になってました。





3/7 8:50
翌日朝、11時間のフライトを経てシカゴにある間寛平みたいな名前のオヘア空港に着きました。





イミグレも税関もアメリカと思えないほどスムーズに通過できて、なんだか拍子抜けしました。





UA885 サンフランシスコ経由関西行き、定刻発です。





サンフランシスコに着きました。もうこの辺になってくると長時間のフライトと時差と疲労で、何がなんやらわからぬまま乗り継ぎゲートに向かっています。機内の写真もなければ旅の記録もここでプッツリ途絶えているので何も書きようがありません。





3/8 16:50
関西空港にやっと帰ってきました。

今までダラダラと書き綴ってきたメルコスール旅行記にお付き合いいただきまして、どうもありがとうございました。このひどい更新頻度にもかかわらず、更新するたびちゃんと見てくださっている少なからずの方々のおかげで、何とか終わりまでこぎ着けることができました。

メルコスール17日目―ダンスは見るもの?踊るもの?

2010年09月19日 | 2010南米旅行




03/05 金曜日 メルコスール17日目(アルゼンチン)
滞在地:ブエノスアイレス(アルゼンチン)

今日は特に何をやる日とも決めていないので、ブエノスアイレス市街をただあてもなくぶらぶらすることにしました。





Subte D線の車内。昨日のE線はレトロな内装がかわいかったですが、こちらは普通のよくある地下鉄でした。





ここはブエノスアイレス動物園。Plaza Italia駅降りてすぐの所にあります。





ヌートリアやドードーみたいな鳥が園内に放し飼いにされていて、すぐそばまで近寄って来られます。最初は物珍しいのでみんな写真を撮っていましたが、5分もしたら飽きてしまうのか園内の奥の方では放し飼いの小動物達は歯牙にもかけられていませんでした。





ヌートリア「モショモショモショモショ……あーなんかムズムズするわぁ、んあぁーっ、よいとこせ、よいとこせ、カィカィカィカィカィカィカィカィっ!」





マラ「んーっ?何でんの?撮影でっか、暑いのに酔狂なやっちゃ…」





真夏の真っ昼間の暑さでネコ科の動物がダレている脇で、ヒグマはがんばってウロウロしてくれていました。





アジアゾウ。目みてるだけで和みます、かわぇぇな~。





その傍らではマラが授乳中でした。マラとはパタゴニアに住むテンジクネズミ科の齧歯類でアルゼンチンの固有種です。





動物園を出て地下鉄駅に戻ると切符売り場が閉まっています、困った。私服を着た駅員のような一般人のようなオッサンが、改札でさかんにこちらに向かって手招きをするので、切符を買わずに(=買えずに)改札を抜けちゃいました。他の人も続々と切符無しで入ってきていたので、まぁいいんでしょう。





5月広場から港方面に道を下って歩くと、Puerto Madero地区の瀟洒な建物が並ぶ通りに出ました。ブエノスアイレスでも指折りのオシャレ地区のようです。





南に向かって歩いて行くとボカ地区に出ました。写真はPuente Transbordador:運搬橋、ブエノスアイレス輸送橋、ニコラス・アベジャネダ橋とか呼称は様々です。運搬橋とは河川を航行する船を妨げないように、両岸を上から吊るしたゴンドラで輸送するというタイプの輸送形態の一つで、代表的なものの一つにスペインのビスカヤ橋が挙げられます。この運搬橋は既に現役を退いていて、今はただのランドマーク的存在です。





これがよく知られているCaminito:カミニート(細道)と言われるところです。アルゼンチンを紹介する映像には必ずと言っていいほどこのカミニートでタンゴを踊るダンサーが使われるので、さぞや楽しげなところに違いないとウキウキして来たのですが……

ただの色ペンキ小屋が並ぶ何の変哲もないエリアでした。正直なぜここが観光地になっているのか今でも理解に苦しみます。欧州からの移民が初めて降り立った場所としての歴史的背景があってこそのことなんでしょうか。





路上ダンサーやパフォーマーがチラホラいる以外、あとは昼間からオープンテラスでビールを飲む観光客のみです。ダンサーやストリートパフォーマーはここ以外にもいっぱいいるので、わざわざ来るほどのところでもないなぁというのがボクの感想です。





ボカジュニアーズの鳴り物応援団のパフォーマンスをやっていました。





暑いので帰りはバスに乗ることにしました、ARS 1.25(=30円)。





車内に乗り込むと大昔に作られたであろう年季の入った切符の自動券売機があって、乗車券はそれで購入するようでした。自動券売機は南米では初見です。ちゃんと路線番号や時間が印字されていてなかなか便利です。

この日の晩、タンゲリアにタンゴショーでも見に行こうかと思いましたが、やっぱり地元のクラブに遊びに行きました。ホテルのエレベーターで一緒になったフランス人はタンゴショーを見に行ったらしく、「ブエノスアイレスに来たからにはタンゴを見ないと!」と熱っぽく勧めてきましたが、リオデジャネイロでカーニバルを見なかったこの私がタンゴを見に行くわけもない。(ぃゃ、機会があればチラ見したい気があるのも事実ですが…)そんなこんなでブエノスアイレスの夜は更けていきましたとさ。

メルコスール16日目―まずい中華料理店症候群

2010年09月13日 | 2010南米旅行




03/04 木曜日 メルコスール16日目(アルゼンチン)
滞在地:ブエノスアイレス(アルゼンチン)





ホテルを出てあてもなくぶらついているとサンマルティン広場に着きました。緑が多くて手入れが行き届いており、小綺麗にまとまっています。市民の憩いの場なんでしょう。





これが広場の名前にもなっている南米独立の父、サンマルティン将軍像です。周りには軍服を着た面々が何やら屯しておりましたが、何を目的としていたのかはわからずじまいでした。





ブエノスアイレスの地下鉄は"Subte"といい、中華料理みたいな名前をしています。路線は6本ありますが、そのうちの4本が5月広場を起点にして西側へと放射状に線路が敷設されているため、乗換えを駆使して目的に辿り着く日本の地下鉄とは異なり、ほぼ東西の移動を目的として使われているのではないかと思います。





Subteの切符です、ARS 1.1(=30円)。







プラットフォームはこんな感じで売店もあります。





電車自体はそれほど新しくもないのですが、白熱電球の照明のおかげで貧乏臭さを感じないようになっています。レトロな路面電車が巨大化して地下を走っている感じです。

ホテルのロビーに市内観光案内用のパンフレットがいくつか用意されてあって、その中に革製品のアウトレットショップのものがあったので、今日はそこにいくことにしました。

住所を頼りにショップを探すもその住所の場所にはショップらしい店構えはなく、灰色の大きな鉄扉がデーンと鎮座しているだけでした。途方に暮れていると運良く小さい通用口が中から開いたので中に入れてもらうことができました。

思うにたぶんここは団体バスツアーで連れて来られるような店なんでしょう。もともと個人を相手にしていないんじゃないかと思いました。





アウトレットショップというよりもそこは革製品の工房で、コート・革ジャン・バッグ・財布・キーケースなど様々な革製品が所狭しと並べられていました。個人で予告無しにひょこっとやってきた東洋人相手に、店の人は愛想良く革鞣しや染色や縫製の説明を一通りしてくれました。





本牛革のベルトを買いました、ARS 80(=2,000円)。ペラッペラの中国製の安モンと違ってなかなか縒れませんし、やはり世界有数の畜産王国の革製品だけあって革の質が頗る良いです。





買い物を済ませて5月広場に帰ってきました。5月広場の正面にはラブホテルと見紛うばかりの大統領府があります。この大統領府、俗称をCasa Rosada(ピンクハウス)といいまして、今から約百数十年前の二大政党それぞれのカラーである赤と白を、国民統合の象徴とばかりにエイヤッと混ぜてピンク色にして塗ったからだという逸話があります。





中心部のFlorida通りやLavalle通りは歩行者天国になっていて、道の真ん中にこのようなブックスタンドがたくさんあります。





お腹が空いたのでpor kiloレストランに入りました。por kiloとは重量制バイキング形式レストランのことで、チョイスした料理の重さによって値段が決まります。南米ではよくある形式のレストランです。





この店は中華版ベジタリアンpor kiloのようでした。店員の愛想はいいんですが、味の方は…素朴な味付けでホッとする部分はありますが、なんともおいしくなかったです。肉を使わない分ボケたような味になるのをカバーしきれていないかな、残念ながら。

プレート1つとペットボトルのコーラでARS 17(=420円)でした。価格は◎です。店側を弁護させてもらうならば、畜産王国のアルゼンチンで敢えてベジタリアンレストランをやってくれているその心意気や良しと言えましょう。当地を再訪する機会があればたぶんまた来てしまうと思います。

この後、夜になってからクラブに遊びに行って、そこで知り合った子と大陸系中華バイキングで食事をしました。寿司があったので喜び勇んで何個かいただいたら、寿司とは似ても似つかぬ下手物でした。それはまるで寿司を食べたことがない中国人が想像で作ったと思われる「酢漬けライス魚介乗せ」でした。

ボトルワインやらコーラを飲んでも一人あたり1,200円だったので、中華レストランは安くて助かりますが、しかしなんであんなに料理をまずく作れるんでしょうな?今思えば昼に食べた中華版ベジタリアンpor kiloレストランの方がまだおいしかったです。

メルコスール15日目―しつこいジングル、もたつく係留

2010年09月12日 | 2010南米旅行




03/03 水曜日 メルコスール15日目(ウルグアイ/アルゼンチン)
滞在地:モンテビデオ(ウルグアイ)→ブエノスアイレス(アルゼンチン)


前日の晩にアルコールを摂取して知らぬ間に寝ていたせいか、テレビも扇風機も付けっぱなしで寝ていました。さむいさむい。





前日に汚れ物を預けていた洗濯屋に服をとりに行きます。"LAVADERO JULIO(フリオのクリーニング店)" 入り口は金属製の格子でガチガチにガードしてありますが、「開けて」と言えば開けてくれます。





デニムパンツやポロシャツに下着各種をきれいに洗ってくれ、柔軟剤仕上げでちゃんとたたんでくれるこのサービス、なんとUYU 90(=400円)。1回ナンボの価格設定のようです。ホテルのランドリーサービスなら数千円取られそうなこの量でも低価格なのは安心です。もちろん当日仕上げも可。

さて、旧市街行きのバスに乗ってモンテビデオ港の市場に着くも、時刻は11時頃ということもあってまだ準備中のところが多いようです。モンテビデオ港の入り口のベンチで時間を潰していると…





Danielと名乗るオッサンに絡まれました。「何してんの?」と聞かれたので「Estoy matando el timpo hasta que el restaurante se abre.(レストランが開くまで時間を潰してる)」と言うと、「アッハッハ、"matar el timpo"ってオモロい表現やなぁ」と笑われました。コレ、辞書にもある表現なんだけどなぁ…。この後30分程話し相手をしてもらいます。





オッサンに別れを告げてモンテビデオ港の中へ。各国語で歓迎を示す物体が展示してありますが、中国語(繁体字)の「歡迎」がやたら横に引き延ばされているのが気になります。





各種コンテナの類が奥の方まで積まれていて船舶での物流が活発な港のようです。





デカい貨客船が停泊していました。写真を撮っているとGonzaloというタクシー運転手にやたらとしゃべりかけられます。「何でウルグアイに来たん?」という殺人的な質問を投げかけてきた彼は、ひたすらマイペースで話し続けます。

何で来たと言われても我々ガイジンにとってウルグアイなんて、アルゼンチンに来たついでの訪問国数稼ぎのスタンプラリー以外の何物でもないわけですが、それをそのまま伝えるのもさすがに失礼な気もするので、「Voseoの使用されている実態調査に…」とお茶を濁したのですが、言語学に疎い一般人が己の話すスペイン語の言語表現を"voseo"であるともわかるはずがなく、「で、ボセオって何?」と逆質問を浴びせかけられたのでした。

("voseo"とは中南米の一定地域で使われるスペイン語の一種。規範的スペイン語で2人称単数形を指す"tú"の代わりに"vos"を用い、動詞の活用語尾も異なる。南米ではアルゼンチンやウルグアイ、中米ではニカラグアがvoseo地域として有名)







昼前にようやくレストランがオープンし始めたので、また前日と同じ所で食事することにしました。





これがメニュー表。asado medio(骨付きカルビ半人前)、UYU 155(=700円)。普通に一人前を頼んでもUYU 195(=880円)なので、咀嚼力に自信のある方は一人前で注文された方がお得です。その他の肉も同様です。





チョリソーも頼んでみました。肉、肉、肉です。肉ばかり食べてると気持ち悪くなってくるのでミックスサラダもオーダーしましたが、野菜を食べる習慣がないからなのか、UYU 90(=400円)とそこそこいい値段を取ります。





13:20
「うひ~、喰った喰った、ゲプッ」などと呟きながら、モンテビデオ陸の玄関口、Tres Crucesバスターミナルに到着しました。コロニア行きのバスが出るまでここで少々時間潰しです。ここはバスターミナル兼ショッピングセンターになっているのでおみやげなんかも購入できます。





18:30
コロニア着。アルゼンチン出国時にブエノスアイレスでやったように、出国審査と入国審査が同時に終わりました。





ブエノスアイレス行きの船内はこんな感じです。行きの時とは違ってこちらは高速船ではないのでゆったりとしたもんです。船内放送で流れるBuquebus社のジングル「ブッ、ブッ、ブッケブス♪」が数分おきに繰り返されるのですっかり洗脳されてしまいます。





出港直後のコロニア港です。結構明るいんですが只今20時です。







しばらくすると夕日がラプラタ川に沈もうとしていました。





22:00
ブエノスアイレスのDarsena Norte港に着きました。しかし写真中央に見えるボーディングブリッジと船体側がうまく接続できないようで、モタモタモタモタしています。結局1時間ももたついた挙げ句、地下の自動車搬入口から下船することとなりました。おかげで夜遊びタイムが減ったやないかっ、プンスカ!