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水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

「存在としての建築」の授業(2)

2019年09月13日 | 国語のお勉強(評論)
存在としての建築    隈研吾

二段落 ⑦~⑪

⑦ しかし、場所を選ばないということは、逆に言えば、あらゆる場所をコンクリートという一つの技術、その技術の裏に潜む単一の哲学によって、〈 同一化してしまう 〉ということである。そして、場所とは自然の別名にほかならない。多様な場所、多様な自然が、コンクリートという単一の技術の力で、破壊されてしまうのである。また、多様な表面のお化粧の後ろ側には、コンクリートという単一の揺るぎない本質が潜んでいるということにほかならない。そのようにして、自然の多様性が失われただけではなく、建築の多様性も失われたのである。二十世紀とは、そのようなさびしい時代であった。
⑧ さらにコンクリートの「強さ」についても、その〈 「強さ」の質についても、我々は注意深く、見きわめなければならない 〉。コンクリートは突然固まるのである。それまではドロドロとしていた不定形の液体であったものが、ある瞬間、突然に信じられないほど硬く、強い物質へと変身を遂げる。その瞬間から、もう後戻りがきかなくなる。コンクリートの時間というのは、そのような非連続的な時間である。木造建築の時間は、〈 それ 〉とは対照的である。木造建築には、コンクリートの時間のような〈 「特別なポイント」 〉は存在しない。生活の変化に従って、あるいは部材の劣化に従って、少しずつ手直しし、少しずつ取り替え、少しずつ変化していく。
⑨ この「強い」はずのコンクリートは、実のところ、きわめてもろい。強いはずのコンクリートは、永遠であるかに感じられても、数十年後には、最も処理のしにくい、頑強な産業廃棄物と化す。その劣化の度合いが表面から見えにくいところが、さらに問題である。内部の鉄筋が腐食していても、あるいはコンクリート自体の強度が失われていても、表面からはうかがい知れない。木にしろ紙にしろ、時間がたてば傷む。しかし傷みが、はっきり目に見える。だからその部分を取り替えることで、建築を長持ちさせることができる。木造の時間は、そのようにして連続的に、持続させていくことが可能である。ちょっとした観察力と傷んだ部分だけをこまめに取り替えるまめささえあれば、〈 木造の時間 〉はしぶとく、終わりなく流れてくれる。逆にコンクリートの不気味さは、その中身が見えないことである。見えないがゆえに、人々はそこに実際以上の圧倒的強度を仮想し、不安定を固定化する超越的な力を期待する。
⑩ 中身が見えないことに、コンクリートの本質があったのである。それゆえ、その上に化粧の上塗りが平然と行われる。そもそも中身が見えていないのだから、その上に何かを重ねて、さらに不透明にしたとしても、その不透明な本質に変化はない。感覚はマヒし、上塗りは日常化する。
⑪ いわば、コンクリートは、〈 表象と存在の分裂を許容する 〉のである。お化粧次第で、その中身とは関係なく、あらゆるものを表象することが可能だからである。石を貼ることで、権力と財力を表象することもできるし、アルミやガラスを貼って、テクノロジーや軽やかな未来を表象することも可能である。木材や珪藻土を貼って、「自然」を表象することすら、十分可能である。〈 それ 〉ゆえ表象が重視され、表象と存在との分裂が進行した二十世紀という時代に最も適した素材が、コンクリートであった。

Q10「同一化してしまう」ことの問題点は何か。「こと」につながるように40字以内で抜き出せ。
A10 多様な場所、多様な自然が、コンクリートという単一の技術の力で、破壊されてしまう(こと)

Q11「「強さ」の質についても、我々は注意深く、見きわめなければならない」のは、コンクリートにどのような問題点があるからか。20字以内で抜き出して答えよ。
A11 劣化の度合いが表面から見えにくいところ

Q12 「それ」とは何か。20字以内で記せ。
A12 コンクリートの持つ非連続的な時間

Q13 「特別なポイント」とは何のことか。30字以内で記せ。
A13 コンクリートの、不定形の液体から、硬く強い物質に変わる瞬間。

Q14 「木造の時間」とは、どのようなことを表した言葉か。70字以内で説明せよ。
A14 時間の経過に伴う劣化が目に見えてわかり、
  注意深く観察し修繕していくことで、
  長く連続的に使用することが可能な、木造建築のもつ性質のこと。

「表象と存在の分裂」について
Q15「表象」とは具体的には何か。25字以内で記せ。
A15 コンクリートの表面に施された様々なデザインのこと。25

Q16「存在」を言い換えた語を二字で抜き出せ。
A16 中身

Q17「表象と存在の分裂を許容する」とは、この場合どういうことか。90字以内で記せ。

A17 コンクリート建築は、その本質は同じであるにもかかわらず、
   表面だけを様々に取り繕うことによって、
   中身とはかけ離れたイメージを人々に受け入れさせることさえ可能にするということ。

Q18 「それゆえ」の「それ」の指す内容を60字以内で説明せよ。
A18 コンクリートは、その中身の状態とは関係なく、あらゆるものを表面に施すことが可能で、
   自然に見える外観まで作り出せること。


⑦場所を選ばない a1
  ↓ コンクリートの技術・哲学
 あらゆる場所の同一化
    ∥
 多様な場所・多様な自然
  ↓    コンクリート技術
 破壊されてしまう
    ∥
 自然・建築の多様性
↓ コンクリートの本質
 失われる

⑧⑨「強さ」a2
 コンクリート
  突然固まる
  後戻りがきかない
 コンクリートの時間……非連続的な時間
    ↑
    ↓
 木造建築の時間……連続的な時間
  少しずつ変化
  木・紙の傷み……はっきり目に見える

   修復によって長持ち可能
 木造の時間……しぶとく、終わりなく流れてくれる
    ↑
    ↓
  コンクリートの劣化……表面から見えにくい・不気味
    ↓
  人々……強度に対する幻想

⑩⑪
 中身が見えない……コンクリートの本質 a3
    ↓
 化粧の上塗り
    ↓
感覚マヒ・上塗りの日常化
    ∥
 表象と存在の分裂の許容
    ∥
A(a1・a2・a3)コンクリート……マイナス面
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言い訳

2019年09月11日 | 学年だよりなど
2学年だより「言い訳」


 「お金がないから、○○できない」は言い訳にすぎないと、堀江貴文氏は言う。


 ~ お金というのは本来、価値を交換するためのたんなるツールにすぎず、それ自体に価値があるわけではない。
 物々交換で取引を行う際は、相手の持っているモノが、自分の欲しいモノであることを確認する必要がある。そのためには密にコミュニケーションを交わし、自分が欲しいモノを持っている相手が信用に足る人間であるかどうかを確かめることになる。
 つまるところ、取引されている価値というのは「信用」なのだ。取引相手がこれまで約束を果たしてきたか、周りの人間に対して誠実な振る舞いをしてきたか、そうした積み重ねが信用を作り、信用のある人間ほど大きな取引ができるようになる。
 お金は、信用という複雑な存在を、単純な数値に落とし込んだツールである。信用の一側面ではあるものの、信用そのものではない。何度も言うが、大事なのは信用であって、お金ではないのだ。 ~


 そう考えれば、お金自体がなくても、いくらでも手のうちようがある。


 ~ レストランで外食するお金がないのなら、知り合いに食事をおごってもらえばいい。友達同士、安い食材を持ち寄って、鍋パーティーをしてもいい。
 起業するお金がなく、銀行も貸してくれないというのなら、親や友人から借りればいいだろう。それができない人は、お金ではなく信用が足りないということなのだ。
 だから、まず貯めるべきはお金ではなく、信用ということになる。人から何か頼まれたら,期待に応えるように尽くす。金欠の知り合いに、飯をおごる。そうした行為の積み重ねが信用を築いていく(しかも、そもそも起業に関する金銭的ハードルは、今では大分下がっている!) (堀江貴文『本音で生きる 一秒も後悔しない生き方』SB新書) ~


 お金がないから起業できないのではなく、いくばくかのお金も借りられない程度の自分であることが問題なのだ。
 「○○がないから○○できない」が、すべて言い訳であることを、実はわたしたちはみな気づいているのではないか。
 「クラスに女子がいないから彼女ができない」という友達がいたら、「いやいや、ちがう問題でしょ」と誰もが指摘できるように。
 「時間がないから」「経験がないから」「環境にめぐまれないから」「能力が足りないから」「こんな性格だから」も、本当の問題は別のところにある。
 叶えたくて叶わない希望があるときには、言い訳を考える前に、一秒でも早く今の自分を変えようとしなければならない。
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「存在としての建築」の授業(1)

2019年09月10日 | 国語のお勉強(評論)
存在としての建築    隈研吾

一段落 1~6

① 「二十世紀とは、どんな時代でしたか。」と尋ねられたら、みなさんはなんと答えるだろうか。僕は躊躇なく、「コンクリートの時代でした。」と答える。
② それほどに、コンクリートという素材と、〈 二十世紀という時代 〉は、相性がぴったりだったのである。ぴったりだっただけではなく、コンクリートという素材が、二十世紀の都市を作り、国家を作り、文化を作った。〈 その産物 〉の上に、今も僕らは暮らしているのである。二十世紀のテーマはインターナショナリズムであり、グローバリゼーションであった。一つの技術で世界を覆い尽くし、世界を一つにすることがこの時代のテーマであった。物流、通信、放送、あらゆる領域でグローバリゼーションが達成されたが、建築、都市の領域で、〈 それ 〉を可能にしたのがコンクリートという素材だったのである。
③ まずコンクリートは〈 場所を選ばない 〉。木の薄い板を組み立てて型枠を作る程度の技術は世界中どこにでもあったし、コンクリートの構成材料である砂、砂利、セメント、鉄筋は世界中どこでも入手可能であった。型枠の中に鉄筋を組んで、砂、砂利、セメントを流し込めば、それまでである。鉄骨の建築も、二十世紀の産物ではあるが、鉄骨造はコンクリートに比べれば、はるかに難易度の高い、高度な技術であり、コンクリートほどに普遍的(グローバル)な建築技術は、かつて歴史上存在しなかった。
④ しかも、この素材は、場所を選ばないという普遍性のみならず、どんな造型をも可能にするという、もう一つに普遍性、別の言い方をすれば自由を有していた。型枠の作り方を変えるだけで、どんな曲面も自由に作れるし、もちろんストレートでシャープな骨組みを作ることも簡単である。だから、建築を学び始めたばかりの学生はコンクリートが大好きである。自分が作りたい形の輪郭線を描き、その線の内側はコンクリートがつまっているということにすれば、一応図面としての整合性はつく。それほどに、コンクリートは群を抜いて〈 「易しい建築」 〉なのである。
⑤ さらに、この形の自由さにプラスして、〈 表層の自由 〉というオマケもついてくる。豪華でお金のかかったふうな建物にしたいときは、コンクリートの上に薄い石を貼り付ければいい。ハイテクっぽく、未来っぽい味つけをしたいときには銀色でシャープなアルミ板を貼ればいい。自然派、エコロジー派を気取りたいときには、木の板を貼りつけたり、珪藻土を薄塗りしたりすればいいのである。これは学生が描く図面だけの話ではなく、実際の建築の施行の実情である。僕らを取り囲む建築物のほとんどは、そのようにして、コンクリートの上にいろいろなお化粧をすることで、でき上がっている。こんな〈 お化粧ノリのいい材料 〉は、ほかにない。その意味でも、最も普遍的な材料であり、それゆえに、あらゆるデザイナーの、あらゆるテイストに対して、コンクリートは自由に対応可能であるし、ローコストなものから高級建築まで、あらゆるグレード、コストに対しても、コンクリートは見事に、そのお化粧で対応するのである。
⑥ これほどの圧倒的な普遍性があり、しかもコンクリートはめっぽう強い建築素材でもある。地震にも強い、火事にも強い、虫に食われることもない。そんな万能の素材が、二十世紀に普及しないはずがなかった。


Q1 「二十世紀という時代」が目指している考え方を2つ抜き出せ。
A1 インターナショナリズム グローバリゼーション

Q2 「その産物」とは何か。25字程度で記せ。
A2 コンクリートで作られた、二十世紀の都市、国家、文化。

Q3 「それ」とは何か。13字で記せ。
A3 グローバリゼーションの達成

Q4 「場所を選ばない」とはどういうことを述べているのか。50字以内で説明せよ。
A4 コンクリートは、技術面でも、材料の調達も、世界中どこでも可能な普遍的な建築技術であるということ。

「「易しい」建築」とあるが、
Q5 誰にとって「易しい」のか。10字以内で答えよ。
A5 建築物を設計する人

Q6 なぜ「易しい」のか。「から」につながる12字の言葉を抜き出して答えよ。
A6 どんな造型をも可能にする

6「表層の自由」について、
Q7 どういうことか。60字以内で説明せよ。
a7 実際に建築を施行するにあたり、コンクリート素材の表面は、
   希望に応じてどのようにでもデザインすることが可能だということ。

Q8 この性質をふまえ、コンクリートのこと比喩的にどう言い表しているか。10字で抜き出せ。
A8 お化粧ノリのいい材料

Q9 「お化粧ノリのいい材料」とはどういうことか。
A9 コンクリートは、その表面にありとあらゆるデザインを施すことが可能な材料であるということ。


① 二十世紀……コンクリートの時代

② 二十世紀という時代
    ∥
  インターナショナリズム
  グローバリゼーション
    ∥
  一つの技術で世界を一つにする
    ↓
  都市・建築のグローバリゼーション
    ↓
  コンクリートが可能にする

③~⑥
Aコンクリート
 a1 場所を選ばない
    技術・材料の普遍性

 a2 どんな造型も可能
    自由・「易しい」という普遍性

 a3 表層の自由
    あらゆるデザインに対応
     = お化粧ノリのいい材料  

A1(a123)圧倒的な普遍性
 +
A2 強い建築素材
 ↓
Aコンクリート=万能の素材……二十世紀に普及しないはずがない
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リズム感

2019年09月08日 | 日々のあれこれ
 河邑ミクさんのネタに惹かれるのは、そのリズム感がフィットするからだろうと思う。
 1、2、3~ん、みたいな。
 ホップ、ステップ、ジャ~ンプ、みたいな。
 助走なしでいきなり、ジャンプ、ジャンプみたいな芸人さんもいれば、じっくり助走して、徐々にテンションあげていく人もいる。
 そのへんは、ナイツ塙さんが書いた『言い訳』に、的確に説明されている。
 ちなみにこの書は、立川談志『現代落語論』に匹敵する名著だと感じた。
 ミクさんのネタは、オーソドックスな構成で、小ぼけ、小ぼけ、ジャ~ンプのタイミングと高さとが実に心地いい。
 「爆弾処理」といい「野球応援」といい。
 構成は異なる「転校」「レンタル彼女」は、変化のタイミングとギャップを楽しめるが、根底に流れるリズム感は同じだ。
 そんな彼女を生でおがめたなんて、今年の文化祭はなんと幸せなことか。
 優勝すると来校した芸人さんたちの色紙を手渡される特典があるときき、体育館で行われるパフォーマンス大会に参加してみた。
 事前に聞いた情報によると、出場する生徒さんたちのほとんどはカラオケだという。
 じゃあ、生ギターで歌えば優勝に決まっている、大人げないと言われてもかまわない、ミクたん待っててねという思いで、マンドリン部の顧問を誘って出場した。
 出場9組中、5位の点数だった。この夏二度目の試練だった。
 失意を表さず小講堂にむかい、「先生、何勝手に体育館言ってるんですか」とのTくんからの叱責にめげず、一時間はやくなった発表を終える。体育館に向かいお笑いライブをみる。ミクたん、遠いなあ。それにネタやらなかったなあ。
 いろいろ片付けをして職員室にもどる。芸人さんをよんでくれる会社の、本校OBスタッフさんたちがいる。
 サイン大丈夫かな? 先生、もちろんですよ。会議室に入る。
 あの、河邑さんをぜひ文化祭によべと言ったのは私なんですよ、サインいいですか、握手いいですか? がんばってください! 昨日も寝る前にyoutubeみてたんですよ、落ち着け! おれ。
 先生、ありがとうございます! じゃあ、写真とりましょう! えっ、あ、ありがとうございます!
 この夏の様々な屈託が一気にはれた一瞬であった。こんど、ライブいこう。
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ライブ喫茶

2019年09月08日 | 日々のあれこれ
翔鷺祭ライブ喫茶

日時 9月7日(土)・8日(日)10:00~15:00

会場 川越東高校4F 第二講堂

内容 アンサンブル・ソロ演奏・全員合奏 etc


  合奏曲
  「STAR WARS」のテーマ
  「アラジン」メドレー
   QUEEN・メドレー
   パプリカ
   アイデア
   ハレ晴れユカイ
   宝島
   オーメンズオブラブ
   ディープ・パープル・メドレー
ユーキャントストップザビート

たくさんのご来場、ほんとうにありがとうございました!
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無知の知

2019年09月05日 | 学年だよりなど
  2学年だより「無知の知」


 世の中は、自分が「知っていること」と「知らないこと」との二種類に分けられると、おそらくみなさんは考えている。
 実際には、「知っているか知らないかさえわからないこと」が、圧倒的に多いのだ。
 自分が好きなものを何か一つイメージしてみればいい。好きな音楽でもアニメでも。
 それは自分のなかでは大きな存在であっても、多くの人にとってはなんでもない。
 世代の異なる人、他国の人の頭には、自分の好きなそれは存在すらしていないだろう。
 逆も同じで、世の中は、自分が想像したこともないものばかりで成り立っている。
 世の中の99%はそれだと思うくらいでちょうどいい。
 むしろ世の中の1%も知りうる人はそんなにいないくらいではないか。
 全く知らないまま無邪気に生きていくことは、幸せなのかもしれない。
 今思えば何も知らなかった子供のころのように。
 十年後の自分が、今の自分を振り返ったとき、あのころは何も知らなかったと思うことだろう。
 その十年後も、その先も。


 ~ 学ぶことで、人は知識を得て、やがて、それは知恵となります。「できることがあるなら、それをやればいい。できないことは、受け入れる」。そして「何ができて、何ができないのか」を見極める知恵が求められます。
 その知恵を手に入れるために、僕たちは学ぶのです。
 つまり、学びとは、「できることを自分に宿すためのもの」であり、同時に「できないことを受け入れるためのもの」でもあるのですね。
 学ぶと、できることとできないことの間に、境界線を引くことができるんです。
 先だって引退したイチローさんの現役時代みたいに驚異的な守備範囲をもっている外野手でも、キャッチャーフライを取る必要はありません。それは外野手にとって、「できないこと」であると同時に「する必要がないこと」です。
 ちゃんとそこに境界線が引けている。自分にできないことは、アウトソーシングすればいい。だから、キャッチャーフライはキャッチャーに任せればいいんです。
 人生において、その境界線を教えてくれるのが「学び」というわけです。
 学ぶことで発見があり、未開だった新しいエリアを開発して広げることができます。
「無知の知」という言葉が示す、「自分は知らないのだということを知っている」がそのまま好奇心へと変わっていきます。 
   (山崎拓巳『最高のアウトプットができる スゴイ!学び方』) ~


 「知っているかどうかさえもわからないこと」を、「知るor知らない」「わかるorわからない」の範囲に入れていく作業が勉強だ。
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がんばらない

2019年09月02日 | 学年だよりなど
  2学年だより「がんばらない」


「そろそろ頑張ろうかな」「二学期こそは気合いいれよう」「さすがにやらなきゃ」と考えている人もいるかもしれない。
 二学期の初日。自分の方向性を少し修正するには、もうしぶんない日だ。
 少しでもそう思ったなら、まず今日何かやろう。ただし、それは目に見えるものでなくてはならない。てっとりばやいのは、やるべきことをノートに書き出すことだ。
 目標を言葉にしてみる。5年後、10年後の自分の姿をイメージするだけではなく、実際に文字や絵で描いてみる。
 今日、書けなかったことは、おそらく実現はできない。
 書いたならば、その方向にむかって、何か一つだけやる。
 がんばったり、努力したりする必要はない。この先も。
「よおし、がんばって勉強するぞ!」と頭にはちまきを巻かないと机に向かえない人は、たぶん勉強にむいていない。
 大人でも、勉強を仕事に置き換えると、ほぼ同じことが言える。
 ただし大人の場合、仕事に向いてなくても、「食う」ために働かねばならない。
 「ねばならない」気持ちだけで働き続けるのは、つらい。
 だから、がんばらなくても働ける身体になっておいた方が、いい人生を過ごせる。
 そのための下準備が、いま現在の毎日だ。


 ~ 脳の前頭葉には「努力するために使う回路」とも呼ぶべき部位があります。その回路が活性化されている状態が、一般的に「頑張っている」と呼ばれる状態です。
 この「努力する回路」は意外なことに、何かを習慣化したり継続したりすることには向いていません。なぜならその回路はことのほか脳のエネルギーを消耗させるため、頑張り続けると疲れてしまうからです。
 つまり、毎日「頑張るんだ」と意識し続けている人は、実は相当な脳への負荷がかかっているのです。…… そう考えると、目の前の努力を「頑張る行為」と意識せず、何も意識せずに行えるよう「習慣化」することが成功への近道ということになります。
 最初は努力、つまり強度のある負荷がかかっても、いつかそれを「当たり前の行為」へと変身させる。それが大事なポイントです。
 自転車に乗るとき、こぎ出しが一番きついけれど、スピードに乗ってくればあとは楽になる。これと同じ境地を目指せばいいのです。 (茂木健一郎『結果を出せる人になる!「すぐやる脳」のつくり方』学研プラス) ~


 工夫を重ねて、がんばらなくても自然にやれる状態になったものが習慣だ。
 必要なのは、「がんばる」ことではなく「工夫」だ。
 工夫の一つ目として、今日何でもいいから一個だけ手をつけておこう。
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