11月14日(水)県民の日
合同練習with川越東中学校
練習曲:ふるさと・ロマネスク・シュガーソングとビターステップ
女子21名、男子1名(一年生16名・2年生6名)で東中さんが来校。
はじめての合同練習は、互いにいい経験になった(んじゃないかな)。
東中さんは、学年カラーが1年が緑、2年が青、3年は赤という、うちと全く同じだった。
それにしても、コラール練習の「ふるさと」は難しかった。
11月14日(水)県民の日
合同練習with川越東中学校
練習曲:ふるさと・ロマネスク・シュガーソングとビターステップ
女子21名、男子1名(一年生16名・2年生6名)で東中さんが来校。
はじめての合同練習は、互いにいい経験になった(んじゃないかな)。
東中さんは、学年カラーが1年が緑、2年が青、3年は赤という、うちと全く同じだった。
それにしても、コラール練習の「ふるさと」は難しかった。
学年だより「車輪の上(3)」
店の仕事には慣れたものの、お客さんからの指名はもらえない。同年齢ともあって親しくなったタイスケのサブに付いたとき、シゲノブはなじみ客のリナに尋ねてみた。たくさんのホストのなかで、取り立てて美男子でもなタイスケをあえて指名するのは、どうしてかと。
「やっぱ、居心地がいいことかな」とリナが答える。
「そうか、おれは居心地よくないタイプかな … 。車椅子乗ってるし」
「はあっ?」リナが鋭い言葉をぶつけてくる。
~ 「タイスケだって自分がイケメンじゃないことくらいわかってるよ。あたしだって自分が美人なんかじゃないこともわかってる。だけどさ、それ言ったって仕方ないじゃん。与えられた条件で頑張るしかないじゃん。そのうえであたしはどうやったらお客さんに喜んでもらえるかなって考えてる。きっとタイスケだってそうだと思うよ。 … よかったね、車椅子で。『俺は車椅子だから』って言っとけば、みんな同情してくれるし、自分でも納得できるもんね」 ~
もうやめておけと、タイスケが制する。
キャバクラでの仕事に自信をもつリナには、客商売に対するシゲノブの甘さが鼻についたのだ。
ある日、めずらしくヒデヨシのヘルプについた。
車椅子を見てとまどいを隠さない客に、「ごめんね、こいつみたいな不良品を雇っちゃて」とヒデヨシが笑顔で答えている。
「不良品」といじめられた小学校時代を思い出したシゲノブは、自制できなくなった。
「もういっぺん言ってみろ!」「何度でも言ってやるよ!」
車椅子で突進するシゲノブとヒデヨシがつかみあいになる … 。
「おまえ、こいつを不良品とよんだのか。」「はい」
確認の言葉を聞くいなや、たたき込まれたリョウマの拳で、ヒデヨシの体はふっとんだ。
すぐさまシゲノブの方を向くと、しゃがみ込むように拳が繰り出される。
~ 鈍い音とともに、ブレーキをかけていなかった車椅子が2メートルほど後ろに下がる。
「何するんですか! 俺はこいつに不良品扱いされたのが悔しくて……。俺は被害者じゃないですか!」
シゲノブの訴えに、リョーマが大声で一喝した。
「知らねえよ。いつも言ってるだろ。おまえの感傷的なストーリーにつきあってるほど、こっちはヒマじゃねえんだよ。お客様に迷惑かけるようなことは外でやれ!」
「なあ、シゲ」
「はい」
「うちの店にいるやつなんてさ、俺も含めてどいつもこいつも不良品だよ」
「えっ」
「だけど、せめて廃品にならないようにと必死でもがいてる … おまえだって、間違いなく不良品だよ。でもって、いまは廃品になるかどうかの瀬戸際にいる。つまんねえプライドは捨てて、もっとがむしゃらにやってみろよ」 (乙武洋匡『車輪の上』講談社) ~
八ヶ月後、「辞めさせてください」と申し出たシゲノブに、リョウマは思いがけないことを言う。
学年だより「車輪の上(2)」
突然登場した車椅子のホストが、所信表明のようなアツイ思いを語り始めると、女性客がぎこちない笑顔を浮かべる。場の雰囲気を損なったかもしれないと、シゲノブもうすうす気づいた。
女性客がお手洗いで席をはずした時、先輩のヨシツネが突き刺すような視線で迫る。
~ 「おい、新入り。おまえのストーリーなんて誰も求めてないんだよ。主役はあくまでもお客様。僕たちホストはお客様の引き立て役なんだ。もちろん、そうじゃないと考える方もいらっしゃるかもしれないが、ここが誰の席かを考えろ。少なくとも、この藤原ヨシツネを指名してくださっているお客様たちは、おまえみたいな押しつけがましい男が大の苦手なんだよ」 ~
「シゲノブ、チェンジ!」今度はリョーマの席へ向かう。
胸元の大きく開いたカットソーを着たギャル系の女性が、リョーマの肩にもたれかかっている。
「ちょっとショーガイ者じゃん。超ウケんだけど」と好奇の目を向ける。
「ご一緒させていただいてよろしいでしょうか?」と習ったとおり声をかけ、テーブルのドリンクを自分のグラスに注ぐ。「あっ!」
~ 手元が狂い、焼酎のボトルを落としてしまう。でっぷりとしたボトルがテーブルの上で転がり、透明の液体がぶちまけられる。ボトルを押さえようとあわでて伸ばしたシゲノブの手が、今度はテーブルの上のグラスをなぎ倒した。
「ああ、すいません。すいません」
「ちょっとショーガイ者、超ウケるんだけど」
もう、今日限りで辞めよう。やっぱり、ホストなんて向いてなかったんだ……。シゲノブはおしぼりでテーブルの上の洪水を処理しながら、ホストの世界でも辞職願なんてものを書く必要があるのだろうかとぼんやり考えていた。 ~
事務所のソファーに座るリョーマを前に、シゲノブは頭を下げていた。
「すいません、車椅子でもホストはできるとか、突っ走ってしまって。それで、みなさんに迷惑ばっかかけて……。小さい時から、そうやって迷惑かけてきたんですよね。なんか、障害という見えない力に生き方を限定されるのが怖かったっていうか……」
「ガタガタうるせえよ!」シゲノブの言葉をリョウマが制する。
~ 「言っただろ。こっちは、おまえの感動ヒストリーにつきあってるヒマはねえんだよ。
シゲ、おまえさ……意外と頭固いんだな」
「えっ」
「おまえのクソみてえなトークも、酒ぶちまけた粗相も、車椅子とまったく関係ねえじゃん。新人なら誰だってやらかしかねないことだろ」
「あ、言われてみれば……」
「言い訳に使ってんじゃねえよ、バーカ。じゃあな」 (乙武洋匡『車輪の上』講談社) ~
颯爽と立ち去っていくリョーマを見送ると、シゲノブは放心状態で車椅子にへたりこんだ。
学年だより「車輪の上」
あてにしていた就職が叶わず、東京で職探しをしようと、河合進平は新宿の街を歩む。
目指すのは歌舞伎町にあるハローワークだ。迷路のように思えた新宿駅構内をやっとのことで抜け出ると、靖国通りを越えて歌舞伎町の人混みを進んでいく。
ティッシュ配りの多さに驚くが、誰も自分には渡さない。間違いなく見えているはずなのに、むしろ邪魔だと思われているはずなのに、そこにいないかのように扱われる自分はいったい何なんだ。
「どうして、ぼくにはくれないんですか?」
突然、車椅子に乗った男に言いがかりをつけられた若者は、「すいません」と恐縮する。
「いや、ティッシュがほしいんじゃなくて、なぜ無視するのか聞かせてほしい」と粘る進平に、別の男が口をはさんできた。
「なんだ、おまえ、言いがかりじゃねえか、まるで障害者ヤクザだな」
「どういうことですか!」
「フィットネスクラブのティッシュだから、おまえには渡さねえだけだろ」
「障害者は、からだ鍛えちゃきえないんですか?」
「だめじゃねぇけどさ、こっちだって気をつかうだろうが。わかんねぇかな。俺はいまホストのスカウトに来てるんだけどさ、やっぱお兄さんは除外するじゃない」
「ぼくだって、ホストぐらい、できますよ!」
売り言葉に買い言葉で、進平は本当にホストクラブに勤めることになってしまった。
~ 「ええと、シゲノブです。この世界のことは何もわからずに飛びこんできました。一生懸命に頑張りますので、よろしくお願いします」
新入りのホストが車椅子という瞬時には理解しがたい事態に直面し、店内には戸惑いと動揺が渦巻いた。いびつな沈黙が、完全アウェイとでもいうような状況に怯えるシゲノブの心と体をじわじわと圧迫する。 (乙武洋匡『車輪の上』講談社) ~
さすがに場違いなところに来てしまったと後悔したが、遅かった。新人のシゲノブは、まずは売れっ子の先輩ホストのヘルプとして貢献しなければならない。
「よし行ってこい!」と店長に背中を押されて向かった先には、その日一番乗りで来店した30代ぐらいの女性がいた。
「ご一緒させていただきます! シゲノブです」
車椅子で登場した初顔を見て、女性客は顔を強張らせる。
~ 「オーナーのリョーマさんが、後年は義足で生活していた大隈重信のようになれという思いをこめてつけてくださったんです。……僕はちっちゃい頃から車椅子なので、みんなから『おまえには無理だ』と言われて悔しい思いをすることが多かったんですけど、リョーマさんはそんな僕にチャンスを与えてくださってるんで、必死に頑張りたいと思います」 ~
第26回 にじの家ふれあい祭り
君の瞳に恋してる
ダンシング・クイーン
レモン
USA
セプテンバー
オーメンズ(アンコール)
ありがとうございました!!
学年だより「才能の正体(2)」
大きな成果をあげた人を見ると、「あの人は才能があったからだ」と口にしてしまう。
あの先輩はもともと地頭がよかったから、勉強の才能があったからというように。
~ しかし、それは間違いです。
「氷山の一角」という言葉がありますが、水面よりも上に出ている部分は、全体の約1割だと言われています。その下の9割に、血の滲むような努力があってこそ、氷は浮いていられるのです。 (坪田信貴『才能の正体』幻冬舎) ~
そもそも、「地頭のよさ」というのは、あるのだろうか。
たしかに、見渡してみれば、そんなに勉強していないのに成績はいい人はいる。
成績という形に表れてはいないものの、頭がよさそうに感じるタイプの人もいる。
~ 人間の頭のスペックなんて、東大卒だろうが中学卒だろうがそんなに差はないんです。地頭力なんて幻想。人間な時点で人間に可能な程度の振れ幅しかない。記憶力だけで言えば、人類全員、そのへんのパソコンよりバカでしょ?(笑)
だからこそ、余計な思考を捨てることが即、頭のよさにつながるんです。 (堀江貴文・西野亮廣『バカとつき合うな』徳間書店) ~
地頭がよさそうに見える人は、様々な中身を詰め込んできているだけのことだ。幼いころに絵本をたくさん読んでもらった、小さいときからいろんな経験をしてきたというような形で。
新しく入ってきた情報を、蓄積されている情報と結びつけられるので、理解が早くなる。
結果として、あの人は理解が速い、頭がいいと周囲から思われる。
地頭がよさそうに見えるもう一つの要素は、人類なら誰もが大きくは変わらない脳のスペックを、効率よく使っていることだ。
大容量のメモリがあっても、いろんなアプリを立ち上げたままだと、作業スピードは落ちてくる。
メインの作業を行うためのメモリが十分に確保されていれば、パフォーマンスは上がる。
結果として、あの人は考えが速い、頭がいいと周囲から思われる。
この状態を専門用語では「集中している」という。
あれもしたい、これもしたい……。他のことも気になる、他人のしていることが気にかかる……。
やってみて失敗したらどうしよう、自分に才能はあるのだろうか、自分のやり方はあっているのだろうか、いつごろうまくいくのだろうか……。
「余計な思考」は、脳のメモリをむだに占有し、本当にやるべき作業をにぶらせる。
他人を見て羨んだり妬んだりする感情や、他人からどう見られるだろうと考えることも、メモリのムダづかいだ。
他念の捨てて、愚直にやるべきことだけに脳を使い続け、脳を変え続ける努力を積んでいる状態を、「自分を信じる」という。