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水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

風景描写

2010年05月07日 | 日々のあれこれ
 ~ 時に、残月、光冷ややかに、白露は地にしげく、樹間を渡る冷風はすでに暁の近きを告げていた。人々はもはや、事の奇異を忘れ、粛然として、この詩人の薄幸を嘆じた。 ~

 何回口にしてもかっこいいなあ。
 「山月記」だけは、生徒さんに読んでもらうより先に、自分が読みたくなる。
 今日は時間が足りず説明に入れなかったが、「この描写はどういうことを表してますか」をこの部分では教えないといけない。
 「光冷ややか」「冷風」などのイメージから、「李徴にもたされた過酷な運命を象徴する情景描写である」と言えないといけないわけだ。
 ふと思うのは、この答えが絶対なのかと言われたら、証明はできないなということ。
 この公式にあてはめると、こうなるので、ほら答えが出るよ、とはならないから。
 そんなもんだ、としかいえない。
 でも、音楽も同じことをやっている。
 理屈はわかんないけど、こういう時はこうテンポをゆらすものなんだみたいに。
 そうか。誰のことばだっけ、「これは私がゆらしているのではない、西洋音楽数百年の歴史がこうさせているのだ」といえばいいのか。
 
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連休明け

2010年05月06日 | 日々のあれこれ
 GW明けで、学年も部活もやや欠席者がいた。
 あったかくはなったが、五月らしいさわやかさがないせいか、授業のノリは悪い。
 自分だけテンションが高い状態だが、それにはすっかり慣れている。

 部活では、1年生の基礎合奏をわたなべ先生にみていただいたが、1年生だけでもドレミファソラシドは成立している。
 3ヶ月後にコンクールのステージに立つには、道のりは遠いけど、あせらず、休まずだ。
 これか、というものさえつかめれば、ある瞬間に急にできるようになるものだ。
 生徒を励まし続ける、あきらめさせないのがわれわれの仕事だから、自分のことは棚においてでも、頑張らせ続けたいと思う。
 結局のところ「量」勝負だと思うのだ。
 もちろん、すぐれた指導者による、すぐれた指導、画期的な指導というのはある。
 すぐれた指導者におこしいただいている点については、うちはそれほど他校にひけはとらないと思っている。
 それを、自分のものにするのは自分しかないわけで、そのためには量の蓄積が必要だ。
 井上靖『夏草冬濤』で、「練習時間がすべてを決める柔道」というフレーズを昔読んだとき、なぜか胸がじんとあつくなった記憶がある。
 しょせん凡人なのだから、まず量で勝負しないことにはなんともならない。
 気がついたら吹いてる子と、とりかかりの遅い子では、やはり差が生まれる。
 勉強なんかもその最たるものだ。
 『定時に帰れる仕事術』的な本が、あまりピンと来ないのは、そういう実感があるからだろう。
 

 
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川の底からこんにちは

2010年05月05日 | 演奏会・映画など
 午前中「漢文重要例文集」と「学年だより」を印刷してから、池袋でデアクライスブラスオルケスタという新しい一般バンドの演奏会。
 佐川聖二先生を慕う若者たちの集まりのようで、合奏体としては未成熟だが、今後楽しみなバンドだった(て、何様?)。
 そのあと渋谷へ。
 評判の「川の底からこんにちは」という映画を観たかったのだ。
 池袋に比べアウェイ感ただよう街だが、魅力的な映画はここまでこないと観られないことも多い。連休中でも人が多いね。
 でも、人混みをかきわけて、あやしい場所まで勇気を出して観に行ったかいはあった。
 満島ひかりさんの存在感はとんでもない。
 監督は若い方のようだが、たぶん作品の作り方としては奇をてらうことなく、様々なお芝居のお約束もふまえながら、笑わせたり泣かせたりしてて、バランス感覚がすばらしい。
 つまり新しい皮袋の感じはしないのだが、役者さんの芝居のテンポのよさと、盛られた内容は充分に新しい酒だった。
 「中の下で何が悪いの!」
 「たいしたもんじゃないんだからさ、がんばるしかないんだよ!」
て、満島さんに言われたら、なんかがんばろうかなという気持ちになれた。


 
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連休後半

2010年05月04日 | 日々のあれこれ
 昨夜の報道ステーションで、ベトナムに新幹線を売りに行っている前原大臣を見て、連休中なのにしっかり働いてて偉いなあと思った。
 鳩山首相は、今日沖縄入りされるという。
 普天間基地の問題を現場で直接話されるそうだが、自分が同じ立場だったらと思うと、頭が下がる思いだ。
 連休はしっかり休んで、好き勝手な論評を加えているだけのマスコミの人とは志がちがう。
 基地は必要かもしれないけど、自分の家の近くにくるのはヤだ、という感覚の人が大勢を占める国になってしまった。
 基地に限らないか。
 補助だ、援助だ、福祉だと国に何かをしてもらおう、国が何かをするべきだ、この俺様のために、という感性の人が増える一方のなか、よく行政にたずさわろうなどと考えられるものだ。
 こっちなんか、自分のやりたいことが最優先されるべきだと考える数名の生徒さんを見かけただけで、気力はなえてしまうのに。
 ほんと首相には、お身体に気をつけてといいたい。
 先日、「世界で影響力のある100人」に首相が選ばれていた。
 一党独裁を終わらせた指導者という点が評価されたのだという。
 つい先日まで日本は、諸外国からは、どこぞの隣国と同じように民主主義とはほど遠い国だと見られていたことがわかる。
 欧米の価値観が常に正しい、民主主義という思想が絶対的に正しいのではない、という話を現代文の時間に繰り返ししてはいるが、よそさまから自分がどう見られているかという視点は、何事にも必要だろうと思う。

 
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5月3日

2010年05月03日 | 日々のあれこれ
 ちょっと落ち着いてたまっていた仕事をあれこれ片付けていると、徳栄高校吹奏楽の先生から「来ないんですか?」と電話をいただく。
 春の大会での応援経験はないので、まったく考えてなかったが、今後はそれも想定して練習していくべきかもしれない。
 残念ながら、昨夏、秋の雪辱はならなかった。
 しかしそれは、おそらく夏の大会での劇的な勝利という大きなドラマへの布石にちがいない。
 こちらも大きなドラマをおこせるようにがんばらねば。
 そのためには、明日の指揮法の練習をちゃんとやること。
 部員のみんなにおかれましては、明日、あさってで宿題を完璧に終わらせること。
 足下のことから地道にやっていくしかないのだ。
 
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バーベキュー

2010年05月02日 | 日々のあれこれ
 昨日は練習の後、三月に卒部したOBの保護者のみなさまと懇談会。
 楽しくすごさせていただいた上に、お酒とハンカチまでいただいて恐縮する。
 あけて今日は恒例のバーベキュー大会。
 役員のお母様方が野菜、コロッケ、焼きそばやおにぎりなども用意してくださり、これほど潤沢な食材に恵まれたバーベキューははじめてとなった。
 数年前に始めた頃は、純粋にひたすらお肉だけ焼いてた。
 これを部の発展といわずしてなんといおう。
 新潟大学に進学したOBが日本酒をおにやげにもってきてくれる。
 役員のお母様方からのびのびロールをいただく。
 なんとすばらしい日ではないか。
 これで無事連休の練習を終了。
 帰りがけに「ゼブラーマン」を観たら、ちょっと残念なものだった。
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のだめカンタービレ

2010年05月01日 | 演奏会・映画など
 映画ジャッジというサイトを見たら、「のだめカンタービレ後編」が酷評されていた。

 ついに実現した二人の“共演”は、グランドフィナーレにはあまりにも地味すぎやしないか。30点。(渡まち子)

 1話逃さず見ていたファンならもっと評価アップだとは思うが……。20点。(前田有一)

 音楽家を目指す若者たちは苦悩や葛藤よりも、「クラシックやってます」的な浅薄な選民意識に酔ってお祭り騒ぎを繰り返している。そこには音楽に対して真摯に向き合う姿勢はなく、バラエティ番組のノリではしゃいでいるだけだ。30点。(福本次郎)

 「音楽に対して真摯に向き合う」って、どうすることだろう。
 野球でいうところのイチロー選手のようなのをイメージしてるのだろうか。
 たぶん、福本氏のイメージでいったら、おれなんか全然だろうな。
 楽譜のすべての音に音名をふってやっと何の和音かわかるレベルで、こんどこそ完璧にアナリーゼするぞと思いながら、気がつくと本番が終わり、次からがんばろうと考えている自分。
 なかなか結果がでないとき、ま、おれは音楽の専門教育受けたわけじゃないからなと言い訳してる自分。
 楽典や指揮法ももう少し勉強しなければと思う一方で、もう少し部活にさける時間があればなあと言い訳している自分。もう少し音楽に真摯に向き合えたなら … 。
 
 パリに留学してコンセルヴァトワールでの勉強を続けながら、コンクールに出してもらえず、与えられた課題をこなすのに精一杯ののだめは、だんだんと焦りを覚えるようになる。
 コンクールで入賞する友人や、千秋先輩との競演を果たすピアニストの孫RUIの姿をみて、コンクールに出させてほしいとオクレール先生に直訴するのだめ。
 しかし、先生はそれを認めない。もっと課題をしっかりこなしなさい、まだ音楽にちゃんと向き合ってない、と諭すのだ。
「ちゃんと向き合ってましゅよ、のだめだって … 」ってのだめが涙目になるところのせつなさを感じられない人は、この映画を語らなくていい。
 物心つかない頃から英才教育を受け、幼いうちに華々しくデビューした孫RUIみたいな人には勝てっこないと案じているのだ。
 自分もちゃんとやってる、練習もしてる、のだめのピアノが一番だと言ってくれる人もいる、そう思いながら、自分に自信が持てない状態なのだ。
 これを「音楽家を目指す若者たち」の「苦悩や葛藤」と言わずしてなんというのだろう。

 コンセルヴァトワールのオクレール先生は、のだめの天分を充分に理解しているものの、彼女の最も欠けてかけている部分を教えたいと思っている。
 それは、長年の西洋音楽の歴史が築いてきた様式とその精神であろう。
 どんな曲でも、その天性の才能で自分なりに演奏はできてしまうのだめの力量はもちろんわかっている。
 でも、そんなのだめが、ちゃんとした西洋音楽の精髄を体にしみこませることができたときに、彼女の天分が、その時々のものではなく、揺るぎないものとして開花すると確信しているのだ。
 だからこそ、のだめには毎回きびしい課題をだし、コンクールに出ることを許さない。
 一方のだめは、オクレール先生のそんな思いには気がつかない。
 もちろんそれはのだめだからではなく、若さがそうさせるものであり、きっと誰もが通る道だ。
 もう一歩というところで、彼女はオクレール先生からにげてしまう。
 
 中高生のときに吹奏楽をはじめ、そのまま音大で勉強した後、吹奏楽の顧問になったという、この道一筋の先生がいる。
 そんな先生方の率いるバンドに惨敗するときの気分を思い浮かべると、「ちゃんと向き合ってましゅよ」と歎くのだめを涙無しには見られなかった。
 のだめのような天分さえおれにはない。

 のだめの才能を、オクレール先生と別の方向から開かせようとしたのが、シュトレーゼマンではあるが、彼のとった方法がいいものかどうかは意見のわかれるところである。
 結局のだめは、ピアニストとしての自分にもどれなくなるのだから。
 最後に、そんなのだめにもう一回本気でピアノをひかせるのが千秋先輩だ。
 だから、この映画の最後に二人の連弾シーンが描かれるのは必然であり、ここでおわるけど二人は二人で良い感じになっていくんだろうな、今後もいろいろ試練はあるだろうけど二人で乗り越えていけるだろうなと予感させて大団円を迎えた「のだめカンタービレ」は、一見じみだけど、じつに深いのである。
 「チルソクの夏」「スイングガールズ」「サマータイムマシーンブルース」「奈緒子」「ラストフレンズ」そして「のだめカンタービレ」と追いかけてきた上野樹里ちゃんの、一つの節目かなと思った。
 K越高校H田先生と「スイングガールズ」の生ライブに行き、あまりのかわいさに驚いてから何年も経つ。まさか大河ドラマの主役にまでなるとは思わなかった。
 原作の二ノ宮先生も「平成よっぱらい研究所」から隔世の感がある。
 この映画を観て30点とかいってしまう寂しい人生を過ごしてなくてよかったと思う。ぶらぁぼ。
 
コメント (3)
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