娘は県立の特別支援学校(養護学校)に通っていましたが、先日、卒業しました。
生まれてからのほとんどの時間を外国で過ごしてきた娘が、特支学校の高等部に入学させていただいたのは18歳の時でした。彼女にとって日本の教育を受ける初めての機会です。
その後の3年間、彼女が充実した学校生活を送っていたことは主に妻を通じて、ケニヤに単身赴任していた私にも伝わってきておりました。
自閉症という障害を被っている娘について「ヒトの役に立つことなど、ほとんど何もできないのでは」と、実の親でありながら思い込んでいた私はひどいヤツであります。
先生方の御指導のもと、娘は給食係を務めたり、教室から出席簿を運んで職員室に往復したり、思った以上にクラス内での活動に関わっていたようです。とはいうものの、お気に入りのメニューの際には配膳前に他の生徒の分の給食も食べてしまったり、職員室への経路で何か面白いものを見つけて追いかけて行って、そのまま行方不明になってしまったことも数回あったりして、とても「大活躍だった」とは言えないのが残念からげるところでありますが。
私がその充実した学生生活を垣間見たのが昨年11月。休暇でケニヤから一時帰国していた私は、学校を訪ねて文化祭を見物させてもらいました。愛すべきクラスメイトや先生方に囲まれて、我が娘はとても生き生きとして、明るい笑顔を振りまいておりました。
楽しい催しを満喫したその帰り道、学校近くのコンビニに寄った時のこと。
店内で、妻はドリップ・コーヒーを買うためにレジに向かい、娘は店内監視用の凸面鏡に映る自分の姿を見て独り楽しんでおりました。普段と違う面相が楽しいのでしょう、ミラーに注目しながらヤジロベエがバランスを取るようにカッチコッチと左右に身体を傾けて遊ぶ娘。機嫌が良い時、彼女はメトロノームのようになってしまうのです。
店内に客は多くなく、なので誰の迷惑になるわけでなし、だけど念のため、私は周囲に気を配りつつ娘の近くに立ち、品数豊富な日本のコンビニ・ストアの雰囲気を楽しんでおりました。
その時、娘と同じ制服を着た少女たちが入店し、つまりは娘と同様特支学校の生徒たちでありますが、その少女たちが娘を見て、ヒトコト。
「あ、〇〇〇先輩だー」
せ、先輩だって!? 君は学校では下級生たちから「先輩」と呼ばれているのか?
普通の学校生活ではごく当たり前の習慣ですが、重い障害を持つ我が子が「先輩」と呼ばれることがあろうとは、全く予想しておりませんでした。少女たちの口調から、日常的に娘をそう呼んでいると察することができ、父はすごく嬉しかった。
しかし、周囲を気にせずメトロノームごっこに興じるこの巨大幼児が「先輩」とは。申し訳ないけど、めちゃくちゃおかしいのも事実であります。
私は笑いを噛み殺しつつ、レジに並ぶ妻に御注進に向かったのでありました。
我が娘を 「先輩」と呼ぶ子らがおり 茨城県立特支学校
娘さんが初めての日本の学校なら、お父さんも初めてのPTAですね。
そう、先輩と呼ぶのよ。
生徒会の選挙なんか、選挙活動と称して立候補者が、普段やらない「先輩」のお世話とかしちゃったりね。で、清き一票を頂く(^^;;
私たちの子供の頃となんら変わらないのよ!
学校の先生方のご指導による習慣づけなんですね。
納得しました。