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Weekend Strummer

ウィークエンド・ストラマー。
世間知らずのオジサンが脈絡無く語る、ギター・アフリカ・自閉症。

海退の跡

2021-12-04 17:50:26 | モザンビーク

これはグーグルアースからモザンビーク・ザンベジア州の一部を切り取った画像です。画像の中心から右斜め上の方向が北になります。左上に「ケリマネ」という地名が映っています。通常私が「キリマネ」と呼んでいる町です。画面下部に見える青みがかった部分は海です。
画面上部から海岸まで、海岸と並行するように櫛でひっかいたような細かい線が何本も見えますよね。これ、何でしょう?

この画像はキリマネの飛行場に着陸する寸前の飛行機の中から撮りました。帯状に群生するヤシの木が見えますね。グーグルアースの画像で見えた細かい線は全て帯状に育ったヤシの木の林なんです。
思うに、ずっと昔、海退(海の水位が徐々に下降する)していた頃、海岸線が後退するにつれて海辺に打ち寄せられたヤシの実が密生して、かつての海岸線を描くように残っているのではないか、と。
海退は海水が南極や北極で冷えて凍っていくために海全体の水位が下降していく現象です。ヤシ林が帯状に形成されていることから、海退が段階的に起こっていることがわかります。
帯状にヤシ林が形成されるということは、寒冷化には急激に進む時期と停滞する時期があり、それが繰り返されてきたのでは、と想像できます。寒冷化停滞期に、波で打ち寄せられるヤシの実の密度が高まり、それが発芽して育ち、林が形成される。その後、寒冷化が再開されて海退することで砂浜が成長し、ある程度の時間が経過した後にまた寒冷化が落ち着いてヤシ林が形成される。
ヤシ林の帯の間隔を測ってみると、短いもので100m以下、長いもので500mくらいあります。間隔が長いところが陸地となった時期には、急激に寒冷化が進んだ、もしくは寒冷化が落ち着かず比較的長期間に及んだ時期なのでしょう。
地質学関係の某ウェブサイトによると、水位が1m下降するのに500年間かかる時期もあったり、またある時期には250年間で5mも下降する時期があったりするらしい。
ヤシ林の幅も一定ではなく、太いものや細いものがあります。太い部分は寒冷化が停止したわけではなく、非常に緩慢な速度で海退した時代の跡でしょうし、細い部分は停滞期が短かった時期ではないかと思います。
かつて海だった陸地、というのは世界各所に存在するようですが、海退によって陸地になった経過をこれほどわかりやすく想像できる場所はそうないのではないでしょうか?

キリマネの中心地から最寄りの海岸まで、直線距離でだいたい18キロくらいあります。
海底だった部分がどんどん陸地となっていき、露わになった地面が乾燥して固くしまり、そこにヒトが集まって集落が形成されて街になってゆくまで、どのくらいの時間がかかったのだろう。
現在は温暖化している時期なので、海退とは逆の現象である「海進」が起こっているようです。想像できないほど長い時間をかけた陸地の侵攻機会が終了し、また気の遠くなるような長い時間をかけて海が陸地を吞み込んでゆく。
非常に大きなスケールで地球が深呼吸しているようなイメージを持ちました。

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しめ縄マンゴー

2021-11-21 04:30:01 | モザンビーク

先日、農家に昼食に招かれました。こちらでは珍しいことであります。
いろいろとやりくりをして食材を揃えてくれたのでしょう。庭のマンゴーの木陰に設えられたテーブルにはチキン料理と豆のシチュー、トマト・ソースとシマ(メイズの粉を炊いたもの)が並びました。
時間をかけて柔らかく煮込まれたチキンは、農家の庭先でたくましく育った鶏の豊かな味がしました。シマは舌触りが滑らかで粘り気もあり、口中でチキンや豆と良く馴染みながらも強く主張せず邪魔をしない。
農家のおかみさんに丁寧に作られたおいしいランチでありました。

我々の仮の食卓に日陰を提供してくれたその家のマンゴーの木は幹が太く樹高は高く、枝ぶりも立派でした。
食後に気づいたのですが、その幹には稲藁(いなわら)が巻きつけてありました。


あれ? コレナニ? と尋ねると、農家のオジサンは
「雨の季節になると幹を伝う雨水が根元の土を洗い流してしまうので、それを防ぐために巻きつけてある」
なるほど、木の根元は浮き上がって見えるほど土がなくなっておりますが、たった数本の稲藁で雨水をせき止められるはずがありません。
おかみさんは
「マンゴーの花が咲くと虫がたくさん集(たか)るんだけど、稲わらを結わえておくと虫が来ないのよ」
幹の地上1mほどの高さに巻きつけられた藁が、高い枝の先にある花に害虫が集るのを邪魔するというのも無理があるように思える。
通訳してくれたモザンビーク人の同僚も「どちらも俗信。何の効果もないはず」と冷ややかでした。
しかし何かのおまじないとして稲藁を巻く、というのは我々日本人古来の風習である「しめ縄」に通じるところが感じられます。日本のしめ縄は神聖な場所と俗世間を隔てる結界のしるしであるそうですが、こちらでは雨水や害虫という迷惑のもとになるものが、そこに生活するヒトたちの領域に出て来ないように封じ込める意味が強いようです。

ランチのお礼を述べて農家を辞し、キリマネに向かいます。
ちょっと興味が湧いてしまい、帰路に通過する他の村にも稲藁が巻いた木がないか注意してみました。今まで気に留めていなかったのですが、けっこう見つかるんです。と言っても30キロくらいの道のりに3本見つけただけだけど。そのどれもがマンゴーの木でありました。
見つけるたびにクルマを停めて写真を撮らせてもらい、そばにいる村人にその理由を尋ねてみました。3軒とも、「マンゴーの実が風に吹かれて落とされないように」。これは「落ちたマンゴーの実が木の下にいるヒトに当たると痛いから」ではなく、単純に食べ物としての実を惜しむ気持ちからだそうです。おまじないの理由としては先ほどの農家のものよりも現実的に思えます。

不思議なのは、マンゴーの木は周囲に何本もあるのに、稲藁が巻かれているのはそのうちの一本だけ、ということ。実が落ちないようにするためならば、どの木にも巻き付ければいいと思うんですけどね。なんで一本だけなんだろ? 
また、稲藁というマテリアルにも疑問を感じます。
日本人にとって稲は特別な意味のある重要な植物です。主食としての歴史が長く信仰にも関連しており、「何か特別な力が宿る」と思わせるに十分な背景があります。
ですが、モザンビーク人にとって稲はさほど重要ではないのではないか? もちろん大事な農産物の一つではありますが、主食はメイズ(トウモロコシ)の方がよりポピュラーですし。
ただ、しめ縄に似た風習であることは間違いないように思えます。「風という外からの作用の影響を受けないようにマンゴーを守る」という理由は、「神聖なものが俗世間と交わって穢れないように結界を張って守る」という日本のしめ縄と原点は同じような気がするんです。

遠く離れた日本とモザンビーク。ずっと昔に風習が伝播するほどの濃密な交流があったのでしょうか? それとも百匹目の猿現象(ある地域で一般的になった行動や考え方が、物理的な接触のない他の地域でも見られるようになる)でしょうか? 

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夏のキリマネ

2021-10-09 16:30:00 | モザンビーク

モザンビークに帰任しました。
前回帰国してから実に1年8か月ぶりのモザンビークであります。
空の青さも川の流れも変わらず、ヒトのやさしさもまた変わらない、以前同様居心地の良いキリマネです。
またここに戻って来ることができてよかった。
しみじみ感じております。

ただ、街並みは少々寂しくなりました。定宿としていた老舗ホテルは閉鎖されてしまいましたし、川辺のカショーロ・ケンテ(ホットドッグ屋)も見当たりません。
新型コロナウイルス感染症拡大の影響は、こんなアフリカの田舎町でも小さなものではなかったようです。
ですが、ヒトの動きには穏やかながらも活気が感じられます。みんなマスクを着用して職場や学校に通い自転車をこぎ、笑顔で日々の生活を継続しております。

南半球はこれからが夏本番。
稲作はとうに収穫期を過ぎました。来月には作付けが開始されます。
日本ですでにひと夏を過ごしてきた老体には少々堪える暑さが始まります。

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アフリカン・マホガニー

2019-11-17 18:55:00 | モザンビーク

「宗珉の滝」という古典落語は、名人が彫った滝の図柄の刀の鍔(つば)があまりに見事な出来栄えで、見ていると鍔から滝の水がほとばしり出てくる、という、荒唐無稽なオチで終わります。故古今亭志ん朝はこのオチの部分に差し掛かると決まって「はぁー、ばかばかしい」とでもいうようなため息を一つついておりました。

今回のお話にも似たようなオチがついております。

マホガニーは高級木材として有名です。硬い木材なのでギターのボディの裏面や側面の材料としても多用されております。ほかの木材、例えばローズウッドなどに比べてまろやかな音色が出る、とされています。
このマホガニー、いろいろと種類があるそうで、主にアフリカ大陸に自生しているアフリカン・マホガニーと称される熱帯樹は、木目がマホに似ているというだけで植物学的には実は別の種類なんだそうです。

モザンビーク国ザンベジア州モペイア郡。国道沿いにそびえるアフリカン・マホガニーは高さおよそ44メートル、基部の直径が約3mの大樹であります。

その大きさから、地域のヒトビトが信仰に近い感情を抱くようになっており、この樹を見たヒトには幸福が訪れる、と言われております。
この国道は私が仕事で農家圃場を訪問する際の通り道であり、通りかかる度に目撃しているせいか、おかげさまで私はすごく幸せな人生を送らせてもらっています。

この樹にはその他にも言い伝えがあります。

上部に葉が茂っておりますが、この葉はそれぞれ強い力で枝と結ばれており、どんな強風に吹かれても落ちることはないのだそうです。ですが、一年にたった1枚だけ、どういうタイミングかはわかりませんが、落葉するのだとか。枝を離れたその葉は何故か樹の周辺には落ちず、ひらひらと風に運ばれて遠く100キロ以上離れたインド洋上に落ちるので、誰も見たことがないんだそうです。

………。

はぁー、ばかばかしい。

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ナンプラ州の旅2

2019-07-14 18:26:56 | モザンビーク

モザンビークでの拠点・ザンベジアから隣のナンプラ州を訪ねる旅、続編です。

 翌日からは稲作農家を訪ねます。

ザンベジア州は「モザンビーク随一のコメどころ」と呼ばれており、特に海岸地方には稲作農地が豊富に存在しております。
それに比べるとナンプラ州ではザンベジア同様に海に面してはおりますが稲作はさほどポピュラーではありません。メイズ(トウモロコシ)など他の食用作物の畑が多く、稲作はより適地でのみ行われております。そのぶん各農家の士気も高く、いきおい、単位面積当たりの収量は高くなります。

 

こちらの農家は湿地帯にタネをばら蒔いただけという原始的な農法を採用しておりますが、稲穂はたわわに実っております。原始的である割には結構穫れそうな感じ。収量を尋ねてみたらヘクタール当たり3トンほど。ザンベジア州の平均収量が1トン未満でありますから、その3倍以上です。
あなどれぬ。

訪ねた農家組織が所有する倉庫の内部。この倉庫はどこかの援助団体が建設したものと思われますが、老朽化著しく、トタン屋根には穴が開いております。
昼食でも準備しているのでしょうか、誰かが煮炊きするたき火の煙が庫内に立ち込め、その煙に屋根の穴から差し込む日光が軌跡を作り、妙にカッコ良く見えます。ステージ照明のようです。
きっと屋根は修繕されないまま、穴はこれからもどんどん増えていくことでしょう。換気状況は改善され、天気の良い日にはさらに無駄にカッコ良くはなりますが、雨期の庫内は水浸しとなり、収穫したコメを保管しておくことが難しくなります(保管するほど穫れること自体、ザンベジアの農家からすればうらやましいことではありますが)

稲を収穫するヒトたち。一列に並び、作業しています。立ち姿勢で仕事をしているのは何故かというと、鎌を使わず穂だけを摘んでいるためです。一穂づつ摘んでいくので能率が悪く、短時間で終わらせるには多くの村人の協力を仰ぐ必要があります。要するにあまり効率の良い収穫方法じゃないんです。

こちらが摘み取られた稲穂です。
せっかく実った穂だけ摘んでいるので、このあとの脱穀や乾燥などの調整過程を丁寧にやりさえすればかなり質の高いコメになると思うのですが、あまり品質にはこだわらない模様。
稔った穂だけを摘み取り、茎や葉はそのまま田に残します。日本では伝統的に稲わらを利用して縄を綯(な)ったり茣蓙を編んだりしましたが、こちらにはそんな習慣もないため、藁は重要じゃありません。穂を摘んだ後の植物体はそのまま朽ちるに任せます。
株元から刈り取ってくれれば時間はかからないし、脱穀し易いし、その後藁を畑に敷いといてくれれば雑草は防げるし、メイチュウなどの害虫も増やさずに済むし、土壌中の水分の蒸発も抑えられるし、いろいろな利点があるのですが、なかなか分かってもらえません。

 

収穫中の田を見ながら農家にインタビューしてたら、牛を放牧する子供が見物に来ました。
外国人は珍しい。でも、あんまり近づくのはなんだかおっかないし、近くに寄って大人たちの話し合いを邪魔したら叱られそうだし、ちょっと離れて注目していよう。
小さな瞳からの視線は柔らかでした。

 

夕暮れ時にアンゴシェの街に帰ってきました。明日はナンプラまで戻り、その翌日にはキリマネに向かいます。
夕闇に浮かぶパーム・トゥリーがざわざわと音を立てています。
海辺のリゾート・ホテルの名前に「Whispering Palms」なんていうのを時々見かけますが、アンゴシェの椰子は「ささやく」なんてロマンチックな雰囲気ではなく、強めに吹く潮風のせいか、声のボリュームを落とさず、無遠慮に賑やかに話す田舎のオジサンたちを連想させました。

 

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