おかしな雰囲気を感じることがあります。その大半は臆病者の勘違いだと思いますが、本人は「霊的な何かの気配である」と確信しています。
そんな時、私は心の中でささやくように啖呵を切ることにしています。
「俺ぁガキの時分からイジメッコだったんだよ。俺に何かチョッカイ出すつもりなら、覚悟しとけよ。死んであんたと同じ立場(霊)になったら、俺は絶対あんたのことをイジメに来っかんな」
ちょっと凄むんです。通じるのかどうかわかりませんが、不思議に気配が無くなり、気分も楽になることが多い。
1990年代半ば。スリランカに住んだときのこと。
農業関係の仕事をしているために勤務地は地方であることが多く、その時の赴任地は島の東北部にある農場でありました。周辺地域は人口密度が低く、商店も少なく、とても不便な土地だったので、妻と当時まだ0.9歳だった娘は島の中央部の街・キャンディに借りた家に住まわせ、私は週末だけ農場からキャンディに移動するというパターンになりました。いわゆる「金帰月来」というやつです。
農場近くにあてがわれた住居はとても大きなものでした。敷地面積が2000㎡くらいあったでしょうか。その地域の開発を担当する省の大臣が開発状況を視察する際、滞在するために作られた家だそうです。しかし私が借り受けた当時、すでに大臣による視察の頻度は極度に減り、管理人が時々掃除をしに来る以外、誰も立ち入らない家でした。
敷地の半分以上をうっそうとした暗い雑木林が占め、平屋の住居は清潔に保たれてはおりましたが、なんだか薄暗くて変な雰囲気。屋内が変に湿っぽいのです。
でも、当初はあまり気になりませんでした。そんな広い空間を独り占めできるなんて初めての経験でしたから、私は少々浮かれ気味だったんです。
一番大きな主寝室を寝室兼書斎として使うことにして、ベッドと机と本棚を運び入れ、照明も増やして雰囲気を明るくしました。改善に努めたおかげでそれなりに明るく快適な部屋となり、夕食後のほとんどの時間をそこで過ごすことになりました。
使用人を一人雇って細々とした家事をまかせ、かなり快適な生活が始まったかに思えました。
でも、やっぱり嫌な気分が抜けないんです。
で、前述の啖呵を切ったんです。なんか悪さするつもりなら覚悟してかかって来いよな、と。
そしたらすごかった。いきなり霊障が始まったんです。
(この項続く)
かすかに聞こえてきた足音は、急がず、しかし遅すぎず、普通のテンポの歩みです。
なぜか数歩進んで立ち止まる気配。
さく、さく、さく、さく、さく、さく。
数秒間の静止の後、また歩き出す。
こんな時間に、こんな場所で聞こえる、独りの足音。
ちょっと変だけど、でもここは観光地。夏休みはすでに終わっておりましたが、まったくヒトがいないわけじゃない。誰かが歩いていたって不思議じゃない。数歩進んで立ち止まる、という歩き方は、まるで何か落し物を探しているようでもある。
でも……。
静かに肘をついて半身を起こし、集中して気配を探りました。
灯りの無い暗い湖畔ですし、また、何か探しものをしているのなら、ライトで足元を照らしながら歩くはず。ですが、テントの布地越しには何も灯りが見えず、ということは、あの足音の主は暗闇を歩いているのです。
さく、さく、さく、さく、さく、さく。
……ちーん。
……鈴の音?
音から推測するに、仏具として使われる鈴(れい)ではないでしょうか?
暗闇を歩く者は静かに数歩進んで立ち止まり、鈴を鳴らしてまた歩く、という行為を繰り返しているのです。
いったい何者でしょう?
なんとなくお坊さんが托鉢をしている図を想像しましたが、真夜中の湖畔で托鉢ぅ? そんなことするヒトいないよー。
テントの入り口を開けて外を確認する、なんて考えは微塵もありませんでした。
だって怖いもん!
その時、足音の主は私のテントに気づいたようです。
別方向に向かっているようだった足音と気配が向きを変えて、こちらに近づいてきたんです。
さく、さく、さく、さく、さく、さく。
……ちーん。
えーっ!? うっそーっ!
こっち来るなよーっ!!
声にならない私の心の叫びでありました。
私の希望に反して足音は、さくさくちーん、と私のテントに到達。歩調は変えず、ゆっくりと私のテントの周りを回り始めました。
うわー、これ、前に先輩に聞いた話と同じじゃーん!
ヤバいじゃーん!
さく、さく、さく、さく。
と、テントの向こう側を回ってきた足音が、私の枕元の近くで止まりました。
私は片肘を着いた姿勢のまま、テントの布地に耳を近づけて、外の足音に注意を集中していたのですが、まるで私の姿勢がわかっているかのように、私の耳のすぐそばで鈴が鳴らされたのです。
ちーん。
うわっ!
全身に鳥肌が立ちました。
いきなり至近距離で金属音を聞かされて驚いた私が思わず身じろぎをし、その気配に気づいたのでしょうか、足音は早くなりました。
さくさくさくさくさくさくさくさくさくさくさくさくさくさくさくさくさくさくさくさくさくさくさくさくさくさくさくさくさくさくさくさくさく
もう鈴は鳴りません。ただひたすら足音が高速でテントの周りを回っています。どんなに身軽な人間でも、走らずにはそんなに早く移動できるはずがありません。でも足音から察するに、歩幅に変化は無いようなんです。
その異様さと、突然の勢いの変化に驚愕し、思わず身体が動きました。そのとき、うっかりシュラフの中で点けっぱなしだったマグ・ライトが転がり落ち、テントの内部が照らされました。
私が見たのは、テントの布地に浮かび上がる、足音の主の手形でした。外を歩くその者は、テントを押すように触りながら歩いているんです。
うわーっ!
たぶん、悲鳴に似た声を上げたと思います。音だけでなく、視覚でも何者かの存在を確認した私は、恐怖でパニックになったのです。
そのまま私は地面に伏せ、シュラフの中で身を縮め、大声で「やめてくださーい」とお願いしましたし、「ごめんなさーい」と謝罪もしましたし、当然「ナンマイダブ」も連呼しました。
そのままずうっとそうしていましたので、その後どうなったのかサッパリ分からないのですが、シュラフの中でずいぶん時間が経ったことが自覚できた頃、ナンマイダブを唱えながらおそるおそる外をうかがうと、テントの中は朝日で明るくなっておりました。
湖の波は昨日と変わらずチャプチャプとささやき、鳥の鳴く声も健康的に聞こえてきます。
・・・ああ、ああ、良かった。
なんだかわかんないけど、助かった・・・。
無事に朝を迎えることが出来た安心感と、極度の疲労感で、脱力。
なんだか栄養ドリンクが飲みたい。
テントの入り口を開け、外を見ると、砂の地面は嵐のときに降った大きな雨粒の跡があるだけで、何の足跡もありませんでした。
野宿することなんかなんとも思わなかったのですが、この体験以来、私は独りで野宿したことがありません。
この先、二度とするつもりもありません。
山でテントの周りを周回する霊の話、続編です。
20年前の9月。当時手がけていた仕事が一段落した機会に一週間の休暇をもらい、オートバイで日光の林道を走りに行ったときの話です。
湖上を渡る風は冷たく、すぐに雨が降り出す予感がありました。
テントのすぐ近くに止めたオートバイに寄りかかり、私は粗末な夕食を摂っていました。
ラジウス(携帯用コンロ)を使って調理した簡単な夕食を、コッフェルから直接スプーンで口に運んでいました。周囲の景色が美しい分、粗末な食事でも満足度は高い。
夕暮れに水色の濃さが増す中禅寺湖。
その湖面を渡る風。
チャプチャプと不規則で軽やかな音を立てる波。
そして、東からせり上がり来る暗い雨雲。
その日の午後に登ってきた「いろは坂」は濃霧に満ちており、夜にはきっと雨が降る、と、私は確信しておりました。そのためテントを張る場所は湖畔に水はけの良い砂地を選び、更にテントの周囲には、鯉は無理でも出目金ならば10匹以上は収容可能な、お堀のように立派な溝を掘っておきました。こうしておけば、雨が降ってもテントへの浸水を防げます。
準備万端。備えよ常に。
雨雲から吹き付ける風が本当に冷たく感じられるようになり、夕食を済ませた私はそそくさとテントにもぐりこみました。
たった独りの気ままなキャンプ。風は徐々に強くなり、そのうち、やはり雨もパラついてきましたが、テントの中は快適でした。
広げたシュラフ(寝袋)の上に寝そべり、スキットルに詰めてきたウィスキーを飲んでいると、昼間の運転の疲れが気持ち良くほぐされてゆきます。地図で翌日の行程を確認したあと、私は幸せな気分で眠りに就いたのです。
シュラフの中でお尻が冷たく濡れているのに気づき、眼が覚めました。
雨です。それも土砂降り。テントに当たる音から想像するに、雨滴はかなり大きいようです。
周囲に掘った雨避けの溝は雨量に負けて簡単にオーバーフローしたのでしょう、すでにテント内にも浸水していました。
風も強く、テントにかぶせて張ってあるフライ・シートが持ち上がるようにあおられています。
雷鳴も轟くように聞こえます。閃光と、それに続いて聞こえるヒステリックな轟音との間にほとんど時間差がないことから、雷雲は私のテントの真上にいるようです。
テントのそばには木立があり、そこに落雷するのではないか、と心配しました。もしくは木立に誘導された雷がテントに落ちる可能性もあります。
降雨は覚悟しておりましたが、嵐が来るとは思わなかった。
嵐の到来にもっと早く気がついていれば、どこかちゃんとした建物に避難することもできたはずですが、体内に入ったアルコールのせいで熟睡してしまい、危なくなるまで気がつかなかったのです。
屋根のあるところに逃げようにも、いま外に出れば落雷を誘導するだけでしょうし、こうなったらもうしょうがない。お尻と背中が濡れて非常に気持ちが悪い状態でしたが、私は横になったまま、嵐の通過を待ったのでした。
自分でも驚いたことに、私はそのまま再度の眠りに就いたようでした。
ふと気がつくと、嵐は治まったようで、辺りは静まり返っておりました。湖の波の、非常にひかえめな音がちゃぷりちゃぷりと聞こえる以外、何の音も聞こえません。風も吹いていないようです。
シュラフの中でライトを点して腕時計を見ると午前4時になるところでした。
さすがに砂地は水はけがよろしい。テントの中にたまっていた水はきれいに排水されたようです。背中はまだ濡れておりましたが、衣類とシュラフが体温を保ち、寒くはありません。
嵐が去ったことと、思ったほど被害がなかったことに安心し、このまま明るくなるまで静かに眠ろう、と思った時。
さく、さく、さく、さく、さく、さく。
波の音にまじって、砂を踏む足音がかすかに聞こえてきました。
(この項、更に続く)
その頃、クラブの先輩から聞いた話です。
ある秋のこと、先輩たち同期の部員4人で沢登りに出かけたんだそうです。
入山初日。先輩たちはアプローチの林道をずんずん歩き、石ころだらけの川原にテントを張りました。
うるさい上級生のいないパーティは和気あいあい。協力して炊事作業を進め、夕食も楽しく平和に済ませ、食後もおしゃべりを楽しんでいたそうです。
夜も更けた頃、突然、川原の石を踏む音が聞こえ、続いてテントの外に出しておいたアルマイト製の食器が鳴りました。カラコロと、川原を転がるような音でした。
一人が入り口を開けて確認しますと、重ねておいたはずの食器が一枚、転がっていました。特に深く考えず、元通りに重ねなおし、入り口を閉じました。
キツネが残飯をあさりに来たのかも、などと話していたら、またカチャカチャと石を踏む音が聞こえました。おや? なんだろう? と顔を見合わせる先輩たち。
テントの入り口を開けて外を確認。誰もいない。
おかしいね、なんだろね、といぶかしく思っていると、また足音。
カチャカチャカチャと、その足音はどうもゆっくりとテントの周りを回っているようなんです。
少々薄気味悪く感じ始めた先輩たち。もう一回外を見てみ、と言われたヒトが「自分独りで見るのは怖いからヤダ」と言い、それならば、と全員がテント入り口付近に移動してイチニのサン、で外に顔を出しました。
でも誰もいない。
入り口を閉めて顔を見合わせる4人。
その途端。
ガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャ!
川原の石を鳴らす足音は、ものすごいスピードでテントを周回し始めたのです。
先ほどのキツネを連想させる身軽でおしとやかな歩き方ではありません。もっと重い体重のものが全速力で走っているような勢いだったそうです。
うわあー!
恐怖からパニックになった4人は揃って頭からシュラフ(寝袋)をかぶり、一人は、
「ああああ、ごめんなさーい、ごめんなさーい、ごめんなさーい、ごめんなさーい」
もう一人は、
「すいませーん、すいませーん、すいませーん、すいませーん、すいませーん」
と揃って謝罪。もう一人は、
「もーやめてー、やめてくださーい、やめてくださいやめてくださいやめてー」
と懇願。最後の一人は、
「ナンマイダブ、ナンマイダブ、ナンマイダブ、ナンマイダブ、ナンマイダブ」
と読経。
それぞれ外の音が聞こえないくらいの大声で謝罪と懇願と読経を繰り返していたら、気がつくと、足音はしなくなっていたんだそうです。
しかし4人とも怖くて眠る気になれず、夜が明けるまでみんなで起きていて、外が明るくなったのを確認してすぐにテントを撤収。その後の計画は中止。逃げるように下山したんですって。
「だから俺、もうゼッタイあの沢には行かないんだ」
先輩が口にした沢の名前を、私はしっかり記憶に刻み付けました。
絶対に行ってはいけない沢として。
しかし「そこに行きさえしなければ安全なんだ」と思っていた私はやっぱり甘かった。
およそ10年後に、別の場所で同様の体験をすることになろうとは・・・。
(この項続く)
誰かが私の両足首を握り、勢いをつけてグイ!と引っ張っているんです。間隔を置いて何度も。
私の両足は確かに掛け布団の下にあるはずで、実際そのようにも感じているのですが、なぜか別の足の感覚もあって、そちらの足首は何者かによって強く握られ、上方およそ30度の角度で強く引っ張られている。
その力の掛け方は、まさしく重く動きにくいものをヒトが渾身の力で動かそうとする時の間隔そのもので、ちょうど「せーの!」という合いの手が入るくらいの感覚でした。
グイ!
と引かれるたびに、私の身体には強い衝撃が走ります。
初めての経験で、何をどうして良いのかわからず、絶望感と焦燥感で脳内ぐちゃぐちゃ。
その間にもグイグイ攻撃は続き、そのたびにあろうことか敷き布団と尻がズズ!と擦れるように感じ始めました。精神が身体から離れようとしているのです。
あ、抜かれる・・・。なんだかわかんないけど魂を抜かれちゃう・・・。
幼児の頃に楽しんだ幽体離脱ごっことは格段に違う状況です。
このままじゃホントにヤバイ、と感じた私は胸の上で交差されたままの腕が原因であると決め付けます。胸の上に手を置いて眠ると悪夢に苦しむ、と聞いたことがありましたし、とにかくこのツタンカーメン状態になっている腕をほどこう。腕が自由になれば何とかなるはず。しかし、いくら力を込めても相変わらず金縛りで動けない。
足首をことさら強く引かれた拍子に尻だけでなく背中にも摩擦感が生じ始め、
うわー、ヤバイでしょー!
このままじゃ、ホントにどっかに連れて行かれちゃうでしょーっ!
アセリから一気に集中力が高まり、気合一発!
「うおおおりゃああああっ!!」
雄叫びとともに腕をほどきました。
自分としては御近所の安眠を妨げるほどの大音声のつもりでしたが、実際の発声は意外にも、
「ほえぇぇ・・・」
という非常に情けないものでした。
でもおかげで金縛りは解け、嘘のように楽になった私は恐怖心から逃れるように布団の上に跳び起きました。両足首を掴まれていた感覚も無くなり、部屋の様子も眠る直前と何も変わっていません。
助かった・・・。
ああ、ホントに良かった・・・。
あのまま土壇場で気合を入れそこなっていたら、何者かによって強引な幽体離脱を経験させられることになっていたと思います。その結果どういうことになっていたのか・・・。何もわかりませんが、あまり良い状態ではなかっただろうな、と漠然と思います。
荒い呼吸を続ける私が最初にしたことは、当時も同じ部屋で布団を並べて休んでいた弟を叩き起こすことでした。
「てめーっ!となりで俺が死にそうになってるのにグースカピースカ寝てやがってー!」
深夜の八つ当たり。