中華思想の源流を辿ると、孔子、老子、孟子、荘子などに行き着く。
当時はもっといた、諸氏百家が乱立していたのである。
それも紀元前のことである。日本は縄文の長いまどろみの中だった。
実は、それらの思想家の遥か前から、伝説の中で脈々とした流れがある。
この大河の最初の滴は何なのか、その一滴を知りたいものである。
老子も、学んだ。有象無象の流れを体系としてまとめようとした。
中華思想とは、人間の原始に迫る底なしの光と影ではないのか。
この物語の主人公、天国の毛沢東は、どう老子と謁見するのやら。
老子の前では、まだまだ書生である。さあ、喝を喰らってんか。
雲か煙か定かにはわからず、五里霧中に包まれて来た……
……もこもこ、むくむく、わやわや、むくむく……
老子 「道、道がある。毛よ、お前の道は何じゃ?」
毛沢東「おっ、これは、これは老子様でございますか、毛沢東であります」
老子 「わかっておる。お前の事は生まれる前から、よう知っておる」
「お前が半分だった頃からな、人は半分と半分とで、なっておる」
「つまり、父様の半分、母様の半分が結合し、生まれて来る」
「わかるな。お前は母様似の面しとる、女の面相がある」
毛沢東「あの、その女の面相とは、どう言う……」
老子 「男は火性、女は水性である。母様の水性が勝るにあり」
「火と水、どちらが強いと思うや、これ明白なり」
「お前は水の気持ちがわかる。女の心がわかる、だから国をまとめられた」
「だがな、毛よ、お前は女を泣かせ過ぎたではないか、涙は雨水の如く」
毛沢東「私は、私は国の動乱期には、やもう得ない事もあるかと……」
老子 「ここで、お前に問う。正直に答えよ、お前は下界で蟻を踏んだ数はいかに?」
毛沢東「はっ、そ、それは農家ゆえ、一日に十匹として年に四千、一生では三十万位かと」
老子 「重ねて聞く、豚を何頭たいらげて来た?」
毛沢東「えっと、そうですな、脂身たっぷりの紅焼肉に目がありませんでして」
「食べ過ぎたせいか、晩年には似て来た様な気が、いやいや、んー」
「一生でまるまる肥えたのが三頭位かと、大好物でして。角煮も好き」
老子 「毛よ、して人を何人殺めた。お前の命令一下でな、如何に答える?」
毛沢東「それは、その、私の半生は戦いの嵐の渦中でありましたので」
「辛亥革命、抗日十五年戦争、国共内戦、めくるめく数多くかと」
老子 「その後の方が、もっと多かろう、自分の過ちが元での事は、どうじゃ?」
毛沢東「しかるに、新国家建設の後には、大躍進運動、文化大革命で……」
老子 「数千万ではきかんだろう。もっともっと多くの血潮が流れた」
「お前のして来た事には、歴代皇帝も驚くぞよ、良くも悪くもな」
「いいか、本心から答えよ。偽りを言えば、そこまでじゃ、心せよ」
「お前は新しい国を動かすには、人が少ない方がいいと思ったのではないか?」
毛沢東「……ん、その事は、御勘弁くだされ。そうとしか……」
老子 「肯定も否定もなし、それが答えじゃな。自身のみわかるか」
「毛よ、蟻の数、豚の数、人の数を、もう一度数え直せ、何かが見えて来るぞい」
「また、会おうぞ。今度は陰陽について教えてやる、では、な」
毛沢東「はっ……」
……もこもこ、むくむく、わやわや、むくむく……
老子様は、毛沢東が返答に窮すると、思いやって消えて行った。
どうやら見込まれたようである、次は陰陽二元論を教わるらしい。
知りたくてうずうずしている、あの「素女経」は、まだまだお預けである。
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