映画とライフデザイン

大好きな映画の感想、おいしい食べ物、本の話、素敵な街で感じたことなどつれづれなるままに歩きます。

映画「にがい米」 シルバーナ・マンガーノ

2020-05-28 18:56:33 | 映画(欧州映画含むアフリカ除くフランス )
映画「にがい米」は1949年のイタリア映画


こういう映画があることは知っていた。主人公シルバーナが体操服のブルーマーのようなパンツをはいている姿の写真を見てドキッとしたこともある。映画史の本ではこの姿の写真はよく見られる。DVDで見たこともなく、名画座でやっていても見過ごしてしまう。

観てみると、ストーリーはどうってことはない。ただひたすら、シルバーナ・マンガーノのエロチックな肢体とその奔放なパフォーマンスに驚くばかりだ。

北イタリアが舞台、高価な首飾りを盗んだ強盗のカップルがいる。警察に追いかけられているところを、イタリア全土から出稼ぎで田植えに来ている女の子たちに紛れ込む。女の子の中には飛び切りの美女のシルバーナがいた。そこでの恋三昧の映画である。

モノクロ映画で屋内のショットでは光と影の使い方が巧みだ。強盗犯の女を演じる鼻筋の通った美女ドリス・ダウリングとともに映し出すショットがいい感じだ。


⒈北イタリアの米
イタリア料理でといえばリゾットである。何気なくわれわれ日本人もイタ飯屋でリゾットを食べているが、実際には北イタリアでないとおいしい米は食べられないという。水田があるのは北イタリアで、南部にはない。田植えの季節になると、産業のない南部から大量の女性たちが大挙列車に乗って出稼ぎに来た時代が70年代くらいまで続いたという。


上記写真のように美しい若い女性たちが涼しい顔をして、田植えをやっている姿を見て正直唖然とした。しかも1949年ですぞ!不謹慎な言い方だが、日本では農家の子どもたちも駆り出されることもあるが、年老いた男女が中心になって田植えをする姿しか見たことがない。最近は北イタリアへの田植えの出稼ぎはなくなった習慣とはいえ驚く。

⒉グラマラスな肢体
果たして1949年の日本映画でこんなに女性の肢体をあらわにする映画ってあったであろうか?黒澤明の「生きる」でガンとわかり夜をさまよう志村喬がストリップ劇場に入るシーンや「野良犬」淡路恵子がダンシングチームのダンサーに扮するシーンはある。

「野良犬」は同じ1949年の日本映画だが、役柄は普通の人ではない。しかも悪いけどこの時の淡路恵子は垢抜けていない。シルバーナマンガーノのボディは現代でも通用する。脇毛をみせながら踊る姿にエロティシズムを感じる。


ダンスミュージックに合わせて悪党と踊るシーンがある。イタリア版提灯が吊ってある野外は収穫祭か?映画「ピクニック」キム・ノヴァックがお祭りの提灯の下でウィリアム・ホールデンと踊るシーンを思い出す。みんなの熱い視線を浴びながらシルバーナ・マンガーノが踊るその姿は実にかっこいい。


今より露出度が低い時代に若い日本人の男の股間をいかに刺激したかが想像できる。
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映画「アンカット・ダイヤモンド」 アダム・サンドラー&イディナ・メンゼル

2020-05-27 10:06:05 | 映画(洋画:2019年以降主演男性)
映画「アンカット・ダイヤモンド」は2019年のNetflix映画


映画「アンカット・ダイヤモンド」はギャンブル好きで何もかも破綻しているニューヨークの宝石商がエチオピア産の複数のオパールが埋め込まれた原石 をめぐって一世一代の勝負に出る話である。結局のところ、原石に入っているのはオパールなんだけど。自分はそもそも宝石というものに関心がない。アンカットの宝石といわれてもよくわからない。不快な主人公を中心にいやらしい話が展開する。

日本ではアメリカでものすごい興行収入を残したコメディがあっさりDVDスルーになったりする。笑いのオチが違うのであろうか?アダムサンドラーは コメディ映画のスターで、けったいな顔とパフォーマンスはいい感じだけど日本での知名度は低いかもしれない。


そんな彼が詐欺師まがいのギャンブル好きな宝石商を演じる。ともかくハイテンション、いわゆる躁鬱病の「躁の世界」にいる男である。最初から最後までフルスピードの演技で駆け抜ける。正直この男に親近感はまったく起きないし、気持ちも全く同化しない。むしろ付き合いたくないやつだ。

1.博打好きの主人公
博打好きである。日々乱れた生活をおくっている。ギャンブルからみで 借金まみれになり、取り立て屋に追われる。 当面の危機を切り抜けようと調子のいいことを言っても人相の悪い取り立て屋に噴水に投げ込まれたり、丸裸で車のトランクに閉じ込められる。そんなみじめな姿をさらけ出しても復活する。懲りない男だ。


宝石店で働く女の子に手を出し、マンションで囲っている。妻とは実質別居状態。 自分が持っているアンカットの宝石をNBAバスケットボールプレイヤーを見せると縁起物だと思ってほしがる。これがあると、試合で素晴らしいプレイができると。とりあえず、欲しがった宝石を いったん 預ける。そのカタにもらった指輪をすぐさま質屋に差し出してお金を引き出す。そのお金をバスケットボールの賭けに突っ込む。めちゃくちゃだ。

2.ユダヤ教とイディナ・メンゼル
映画の中盤以降に親族の寄り合いのシーンが出てくる。参加者が帽子のようなものをかぶっている。見ているときはてっきりイスラム教徒かと思ったが、ユダヤ人である。こんなバカな男がまさかと思ったけど、そうなんだ。たしかに宝飾とか扱っているユダヤ人は多いかもしれない。

別居状態でも親族の寄り合いには妻が参加する。こういう男にこういう女という感じで、金目のものは身につけているけど品のない女だ。あんまり好きじゃないなと思っていた。ところが、見終わってクレジットを見たらなんとアナ雪のエルサ役のイディナ・メンゼルではないか!!


あの歌声がまったく想像つかない。松たか子の上品な感じのかけらもないその姿に驚く。ここだけは一緒にいるという場面がユダヤ教徒の親族の集まりで、彼女はどうやらユダヤ系らしい。




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映画「アメリカン・ファクトリー」

2020-05-25 08:47:58 | 映画(洋画:2019年以降主演男性)
映画「アメリカン・ファクトリー」は2019年のNetflix映画


「アメリカン・ファクトリー」は本年のアカデミー賞最優秀ドキュメンタリー映画である。その評判だけで観てみた作品である。オハイオ州に中国企業が進出してGM工場跡を居抜きで稼働させる。その経緯をドキュメンタリーにまとめている。フィクションのシナリオができていたが如くに、経営者と労働者側の両方の立場を随時映像として捉える。それを巧みに編集して一本の映画にまとめた。片方の立場だけでは浮かび上がらない裏話がすべて織り込まれているところがすごい。


 中国は共産主義国というけれど、どちらかというと今は一国資本主義で統制をとる。むしろアメリカ企業の工場の方が前近代的資本主義の色彩が強い。それがくみ取れる映画である。ただ、この映画を観てアメリカ工場労働者の自信のなさとレベルの低さに正直驚いた。 

2008年冬、ゼネラルモーターズ(GM)社はオハイオ州デイトンの工場を閉鎖し、1万人が解雇された。その後オバマ大統領はGMの再建を試みるがデイトン工場は復活できなかった。2016年、中国の自動車ガラス製造会社フーヤオが廃工場の再生にあたることになり、GM社を解雇された人を含むアメリカ人労働者が雇用された。


アメリカ人の幹部のもと、中国から派遣された人々とアメリカ人が合同で工場を稼働させた。米中の従業員同士ではプライベートの交流も生まれている。しかし、アメリカ人は仕事に慣れない。また、従業員の組合結成については経営者側が反対し対立が徐々に深まっていく。アメリカ人の幹部も解雇され、英語も堪能の新しい幹部が工場を仕切ることになる。

1.どっちが資本主義国?
中国企業フーヤオのデイトン工場開所式には、地元オハイオ州選出の共和党の上院議員が来賓で登場しスピーチする。この上院議員はスピーチで経営者側と組合側がうまく協力し合ってという話をする。アメリカの工場では当然という労使関係である。しかし、下打ち合わせができていなかったせいか、これを聞いてフーヤオの会長は組合ができるのであれば撤退すると納得しない。


たしかに、まだ出来たての工場でいきなり組合ができたら困るというのは経営者側からみたら全くごもっとも。従業員を懐柔しようとパーティを仕掛けて一緒にYMCAなんて歌って踊ったりして経営者側も労使協調を仕掛ける。組合を作らせないためのコンサルタントなんてすごい人物が登場する。

米国は資本主義で、中国は共産主義というように学校では今でも教えているんであろうか?米国の資本主義は今だ変わらないが、中国に関しては一国資本主義というべき、中国共産党主導の資本主義経済前提の全体主義という体制である。絶対的な権力を持つ中国共産党には誰も逆らえない。全体主義ということではナチスやスターリン時代のソ連と同じだ。逆らったらたいへんなことになる。

ここでは昔のGM時代の流れもあったので、組合をつくって従業員の権利を主張したいという意向のようである。ただ、組合を作らせないフーヤオの動きを見て、自動車労連のような外部の連中までがプラカードもって大騒ぎする。むしろ外野がうるさい。おいおい、これって昭和40年代までの日本の学園紛争や労働運動みたいじゃない。レベル低い。別の会社に共産党系の闘士がちょっかい出すといった感じだ。昔の教育を受けてきた人がみると、米中どっちが資本主義かと一瞬違和感を覚えるだろう。

2.階級闘争が日本と違う
工場の作業に慣れきれないアメリカ人が続出している。それはそれで仕方ない。でも、日本であれば熟練工になろうと努力するであろうが、それもない。日本の場合、いわゆるブルーカラーと言われる工場労働者とホワイトカラーとの障壁はなくなってきている。昭和40年代から大企業ではブルーカラーの待遇がホワイトカラーと一般社員なら大きく変わらない人事制度を作り上げてきた。(小熊英二 日本社会のしくみ pp.463-465、477-488) 


それだけに社員の中での分断はなく欧米にまだみられる職種別の労働運動というのは日本ではみられなくなっている。今朝の日経新聞の記事によると労組組織率は16%だという。それでも十分労使はうまくいっている。この映画で見る限りは日本の労働者と比較すると、工場労働者は組合に頼らないと何もできないように見受けられる存在だ。

GAFAM(グーグル、アップル、フェイスブック、Amazon、マイクロソフト)5社の株価の時価総額が日本の一部上場会社の時価総額を抜くほど大きく経済が進化したアメリカで労働者とインテリジェンスと知的格差が極端になっていると言える。
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映画「タッカー」 ジェフ・ブリッジス&フランシス・コッポラ

2020-05-23 23:00:13 | 映画(洋画 89年以前)
映画「タッカー」は1988年のアメリカ映画


え!こんな映画あったの?このブログでもいくつも取りあげているジェフ・ブリッジスフランシス・コッポラが組んだ映画があるなんて知らなかった。これまでDVDで観たことなかったと思ったら、どうも久々に4K化で復活ということらしい。戦争が終わる頃、斬新なデザインの車を作ろうとするお調子者の自動車デザイナーであるタッカーが、自動車のビッグ3に目をつけられ詐欺者扱いされるという映画である。実話に基づいている。

斬新なデザインの車を生み出そうとするとする実在した男の物語というと先日観たジョン・デロリアンに似た話である。巨匠フランシス・コッポラがこんな映画つくったの?というのは驚くが、コットンクラブの失敗のあとのスランプが続いている時期の作品である。興行収入もイマイチだ。それでも、コッポラらしく金に糸目をつけない良き日のアメリカを再現した見事な美術とそれを映し出すオスカー三度受賞のカメラマンヴィットリオ・ストラーロの腕前に感心する。

1945年、デトロイト郊外で、プレストン・タッカー(ジェフ・ブリッジス)は自動車業界に身を置き、戦争中は装甲車をつくっていた。妻ヴェラ(ジョアン・アレン)と4人の子供達と幸せな日々を過ごしていた。タッカーはあっと驚くデザインの車を自社で作る決意をかためて、そのデザインをマスコミに公表した。完成予定の斬新なカーデザインに世間は驚き、一緒に車を作りたいという仲間も集まってきた。


元銀行家のエイヴ(マーティン・ランドー)からは投資家から資金を集めるためにもまずは試作車をつくることが先決と、技術者のエディ(フレデリック・フォレスト)たちとタッカー宅の隣にある倉庫で車の製作に入った。しかし、なかなかうまくいかない。それでも、ようやく「タッカー・トーピード」を作り上げて大々的な披露会を開催する。


その一方で、新車開発を密かに探っている連中がいた。自動車産業のビッグ3や、ファーガソン上院議員(ロイド・ブリッジス)ら保守的な政・財界は、ライバル出現にいい顔をしていない。トーピードはスピードが出るだけではなく、安全性や耐久性にもすぐれている車になりつつあった。

ところが、タッカーは寄せ集めのガラクタで車をつくっているというデマが流れる。しかも、本気で車を生産するつもりはなく、投資家から金をふんだくっていると詐欺者扱いをされ、マスコミから騒がれた。そして、裁判にかけられる。全ての疑惑を晴らすためにタッカーたちは50台の新車を期日までに完成させようとするのであるが。。。

1.色彩設計と美術の見事さ
1945年といえば、終戦の年、日本は空襲で廃墟のようになりつつあった。そんな時にアメリカではこんな素敵な家に住んで、豊かな暮らしをしているのかと思うと改めて国力の違いを感じる。まずはこのタッカー車がかっこいい。流線型のしなやかなデザインで、現代にも通じる色合いは上品である。当時としては衝撃的な車だったろう。今でも47台現存しているのがすごい。

後年オスカー主演女優賞を受賞するジョアン・アレンが着飾る姿が、その衣装も含めていい感じだ。古き良き時代のアメリカの豊かさを象徴する。ちょうど30代前半で美貌も絶頂のころで視覚面にもたのしめる。


2.お調子者のタッカー
ジョン・デロリアンと時代はちがうが、車のデザイナーっていうのはみんな遊び人でお調子者だなという感を強くした。2人とも斬新なデザインの自動車を設計して自社で生産をするという夢を実現しようとしてうまくいかない。デザインはできても詳細設計に入ると、車の乗り降りに問題が出る。ビッグ3に邪魔されて鋼材が調達できないなど問題が山積みだ。それでも、常に楽観的、そんなタッカーの調子の良さをジェフ・ブリッジスが巧みに演じる。

ラストに向けての「いつか我々は世界のナンバーワンから落ち、敗戦国から工業製品を買うことになる」という言葉が印象的だ。


彼の長いキャリアでは、自分が好きな「カリブの熱い夜」の4年あとで、ちょうどジャズピアニストを演じた「恋のゆくえ ファビュラス・ベイカー・ボーイズ」の前年につくられている。役柄はちがうけど、どちらも似たようなものだ。

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映画「存在のない子供たち」

2020-05-19 22:30:31 | 映画(アジア)
映画「存在のない子供たち」は2019年日本公開のレバノン映画


シリア難民の少年とその家族、アフリカからきている不法入国者などがレバノンの首都ベイルートで困窮の中さまよっている姿を映し出す。「存在のない子供たち」は昨年夏映画館で鑑賞している。ちょうど、体調がよくない時だったせいか、どん底の境遇の映像が続き気分がすぐれずブログアップしていない。この映画では主人公の少年が家出したあとに、まだ一才になるかどうかの赤ちゃんの面倒をみざるを得ないシーンがある。そのシーンが頭にこびりついて残っていた。

今回DVD化され、ジャケットを見たときにあの赤ちゃんをもう一度見てみたい衝動にかられた。「自分を生んだ罪で両親を訴える」というのが、この映画の宣伝文句である。それだけでなく人身売買、不法入国の取締、初潮を迎えたばかりの幼女の結婚、戸籍のない子供とこの映画で取りあげる題材は多い。この映画こうして再見すると、社会の底辺で精いっぱい生きていこうとする姿に心打たれる。


12歳のゼイン(ゼイン・アル=ラフィーア)は、両親と兄弟姉妹とベイルートの貧民窟に暮らし、学校にも行かずに毎日路上で働かされていた。唯一の心の支えである大好きな11歳の妹のサハルが、強制的に結婚させられると、ゼインは怒りに突き動かされて家を飛び出す。エチオピア移民の女性ラヒル(ヨルダノス・シフェラウ)は、仕事と食べ物を求めて路上をさすらうゼインを見かねて家に住まわせる。

ラヒルには一歳になるかどうかの赤ちゃんがいた。ラヒルが仕事にでるときには、ゼインは赤ちゃんの面倒をみながら留守番をしていた。ある日、仕事にでたきり朝になってもラヒルが帰ってこない。あわてて赤ちゃんをつれて方々を探しに行くが見当たらない。やむなく、ゼインは赤ちゃんと一緒に留守宅で暮らさねばならなくなった。 


1.ナディーン・ラバキー監督
レバノンで生まれ育った彼女は現地ではインテリ層に属しているのであろう。写真にで見るナディーンはエキゾチックな美人である。元々は女優である。リサーチ期間に3年を費やし、監督がレバノンの貧民屈で目撃したことを盛り込んでフィクションに仕上げたのがこの作品だ。


また、出演者は同じような境遇の男女をキャスティング・ディレクターが探し出してきた。それだけにこの映画はフィクションであっても、ノンフィクションの要素を持つ。ノンフィクションの話を構成して脚本化したフィクションを、こういう境遇と縁のないプロの俳優が演じようとしても不自然になってしまうのであろう。キャスティングとロケハンの成功がこの企画を勝利に導く。

ゼインが親と一緒に暮らす住居も窮屈だが、ラヒルが住むのは日本でも昭和30年代にはほぼなくなっているようなボロの掘立小屋である。水道も泥の水しかでない。赤ちゃんのミルクも作ってあげられない。このリアルさにはショックをうける。この映画はカンヌ映画祭でも審査員賞を受賞している。たどたどしく、映画祭に参加する少年のタキシード姿が映し出される。そんな服はとても着られない最悪の育ち方をした少年だ。

2.映画と似たような境遇の出演者
主人公ゼインを演じるのはシリア内戦に伴って難民となりベイルートに来た少年である。普通の教育は受けてはいない。生計を立てるためにもう10代前半から働いている。そんな境遇は役柄とかわらない。ゼインが家出した後お世話になる女性ラヒルはいつ生まれたのかもわからない。エチオピアの難民キャンプで育って、方々でホームレスの生活もしてきた。姉妹を頼ってベイルートに来たが、なんと撮影中に不法移民で逮捕されたという。

しかも、ラヒルの子供を演じる1歳の赤ちゃんの両親が撮影中に逮捕されたというのには驚く。今も実の両親が揃って暮らしてはいないようだ。戸籍というのは日本独自のものかもしれないが、かれらには身分証明ができるものがない。


3.赤ちゃん役がすごい!
これがまたかわいい。最初見た時にも心の奥にその姿が残ったが、今回も同じだ。ちょうど一歳くらいであろうか?当然演技などできるはずはない。まだ赤ん坊で、面倒をみるゼインの胸をさぐって、おっぱいに触ろうとしている。母親と勘違いしているのであろう。音楽が鳴ると、それに合わせてダンスをしだす。映画をやっている最中に徐々に成長していく。


最初は立つのがようやくだけど、次第によちよち歩けるようになっていく。母親が不法滞在で逮捕されたあと、やむなくゼインが面倒をみる。この赤ちゃんを連れてベイルートの街の中を歩いていく。ゼインは途中で赤ちゃんを置きっぱなしにしてしまおうかという衝動に駆られる。でも、できない。ヨチヨチ歩きでゼインを追いかけていく。鍋のようなものに赤ちゃんを乗せて引っ張ってベイルートの町を歩いていく。やるせない光景だ。


この映画を再度見てからこの赤ちゃんのことが頭から離れない。もう4歳になっているようだが、ちゃんと育っているんだろうか?養子に迎えたいくらいだ。

 
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映画「オペレーション・フィナーレ」 オスカー・アイザック&ベン・キングスレー

2020-05-16 21:23:20 | 映画(洋画:2019年以降主演男性)
映画「オペレーション・フィナーレ」は2018年のNetflix映画


1960年、イスラエルの諜報特務庁モサドの選抜された部隊が、アルゼンチンのブエノスアイレスで密かに生活しているユダヤ人大惨殺の責任者アドルフ・アイヒマンを捕らえて母国イスラエルに輸送するまでを描いている。

以前自分がブログアップした映画「ハンナアーレントでは、主人公である哲学者ハンナアーレントが傍聴するアドルフ・アイヒマンのイスラエルでの裁判が焦点になっている。ニュース映画映像で裁判の模様が挿入されていた。映画「ハンナアーレントではアドルフ・アイヒマンが捕らえられたシーンは一瞬だけど、今回はその経緯に焦点があたるということでみることにした。


アドルフ・アイヒマンをオスカー俳優ベン・キングスレーが演じ、アイヒマンを捕らえようとするイスラエルの秘密部隊ににオスカー・アイザック、フランスの美人女優メラニー・ロランが登場する。バックで流れる音楽も緊迫感を高め、映画の質は高い。傑作というわけではないが、これによっていろんな歴史的背景がよくわかり楽しめた。

1960年のブエノスアイレス、ユダヤ人のシルビアがひょんなきっかけでクラウスと知り合う。2人は恋に落ちていく。クラウスがシルビアの家に招かれ、盲目のシルビアの父と食事をしているときに、ドイツ人のクラウスの父親はすでに戦死していて、今は伯父と暮らしていることを話す。その後、クラウスはある集会にシルビアを連れて行く。反ユダヤ人で一致団結する集会でシルビアは圧倒されその場を去って行った。一連のことでシルビアの親子はその伯父リカルド・クレメントがユダヤ人虐殺の指揮官アドルフ・アイヒマンではないかと疑い、イスラエルに通報する。

イスラエルの諜報特務庁モサドに情報が入り、ピーター・マルキン(オスカー・アイザック)やハンナ(メラニー・ロラン)をはじめとしたチームが結成された。ピーターはアイヒマンと誤ってオーストラリア人を殺したことがあった。部隊のミッションはアイヒマンを見つけてその場で射殺するのではなく、そのままイスラエルに連行して裁判にかけるというシナリオである。


モサドのメンバー2人がシルビアとともにアイヒマンが住んでいると思われる家に向かった。シルビアが訪問する口実はクラウスとともに行った集会から先に帰ってしまった失礼を詫びるということである。家では母親と伯父(ベン・キングスレー)が出迎えた。帰宅したクラウスがシルビアに対してそっけない対応したために伯父は怒る。そのとき、横にシルビアがいたが、父さんわかったと思わず言ってしまう。


改めて、クラウスの父親がアイヒマンだということがわかった。モサドの特殊部隊がアイヒマンをおびき寄せて本人の身柄を確保する作戦を組み、夜分にアイヒマン宅の近くで待機するのであるが。。。

映画ハンナアーレントでもアドルフ・アイヒマンが捕まるシーンがある。「オペレーションフィナーレ」ではまったくの異国でアイヒマンの身柄拘束するまでの長い道のりを映画でじっくり追っていくのかと思っていた。ところが、意外に早い時間でアイヒマン本人を捕まえてしまう。あれ?という感じ。どちらかというと、この後がたいへんなわけである。単純にはいかない。この映画の焦点はむしろそこである。

1.イスラエル収監への道
アイヒマンを確保して、隠れ家に連れて行く。まずは、アイヒマン本人であることを認めてもらわなければならない。それに時間がかかる。しかも、自分で手を下したことも認めてもらう必要がある。アイヒマンはあくまで上の命令と主張する。しかも、アイヒマンは裁判を受けるならイスラエルでなく、アルゼンチンで受けるとも言っている。そう簡単にはいかない。この手順に時間がかかる。

もともと、アイヒマン本人を確保してアルゼンチンからイスラエルに連れて行くミッションがある。何でアルゼンチンに来るのかという口実も必要だ。アルゼンチン建国150周年を記念して、政府要人がアルゼンチンへ行って祝う名目で向かう。要人を乗せる空港会社の乗務員に諜報部隊が扮するのだ。この脱出劇は映画「アルゴ」なども連想させる。ある意味、滞在国の隙をついて脱出するということではカルロス・ゴーンの日本脱出も近い気がする。当然国際法に違反する。たやすいことではなかったのだ。


2.親ナチスのアルゼンチン政権
アルフレッドヒッチコック監督の作品に日本題汚名という1946年の映画がある。ケイリー・グラントイングリッド・バーグマンがこれでもかという位熱いキスを何度も交わす映画である。この映画では、イングリッド・バーグマンの父親がナチスのスパイとして裁かれているという役柄で、ケイリー・グラントが南米に逃亡したナチスの残党を探し出すFBIの捜査官という設定だ。そして、映画「カサブランカ」の人情派警官クロードレインズが演じるナチス残党の親玉を南米リオ・デ・ジャネイロまで追っていくという話だ。


汚名をみたときには南米に逃れたナチス残党もいたのかという感じだった。その後ハンナアーレント、そして「オペレーション・フィナーレ」と併せた三作を通じて、南米にナチスの残党が数多く居住していた事実がよくわかる。


ハンナアーレントではアドルフ・アイヒマンが南米で捕まったシーンが出てくるが、一瞬でそのシーンが終わるので、現地の警察が捕まえたと推測していた。ここでのイスラエルの特殊部隊はアルゼンチン政府に承認されたものではない。しかも、ナチス残党は離陸ギリギリまでアイヒマンを取り戻そうとしていたのだ。

南米にはもともとドイツ移民が多く居住しており、第二次大戦中にもアルゼンチンナチスドイツは親しい関係にあった。大戦中は基本的に中立の立場でいたが、独裁政権を率いるファン・ペロン大統領ナチスドイツに恩義を感じていたのだ。戦後多くのナチス残党が亡命するときには人道的立場でローマカトリック教会も絡んだ。1955年にいったんファン・ペロン大統領が失脚するが、政策の流れは大きくはかわらない。この事件のあった1960年当時もナチス残党は勢力を保っていたのであろう。

高校の世界史では、当然のことながら1940年代半ばからアルゼンチンは親ナチスのファン・ペロン政権だったとは習わない。まったく知らない世界であった。映画は勉強になる。
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映画「スーパーフライ」 カーティスメイフィールド&ロン・オニール

2020-05-13 17:23:48 | 映画(洋画 89年以前)
映画「スーパーフライ」は1972年のアメリカ映画


70年代前半のニューヨークハーレムのソウルフルな世界を描く代表的映画といえば「黒いジャガー」「スーパーフライ」であろう。「スーパーフライ」カーティスメイフィールドによる音楽がご機嫌だ。日本公開された時、当時中学生だった自分も有楽町の映画館に1人で観に行った。ヒットチャートマニアだった自分は、FMで知ってこのテーマソングに魅せられた。しかも、夕刊のテレビ欄の下部に掲載されている映画広告に「スーパーフライ」がいかにも刺激的な映画であるように宣伝されていた。これはいくしかないと。


でも、観に行って拍子抜けした覚えがある。気がつくとあっさり映画が終わってしまった。麻薬の売人という存在に馴染みもないし、ドラッグに関わる劇中のセリフがわかるほど自分自身が大人になっていなかったのであろう。その後、大人になってから一回みたが、その時もいいとも思わなかった。リメイク作品も観ていない。

それでも、初老の域に達して、今回再見。映画ルディ・レイ・ムーアをみたのがきっかけだ。ドラッグを捌いて大儲けしようとするストーリーはどうってことない。黒幕に警察も絡んでいたというのには気づいていなかったなあ。当時の東映や日活のB級映画と似たようなレベルと思いながら、若き日より楽しめたのかもしれない。

ニューヨークのハーレム、コカインの売人プリースト(ロン・オニール)は、金にも女にも不自由せずキャデラックの特注車に乗って羽振りがいい。

仲間のエディ(カール・リー)と2人でコカイン売買でこれまで30万ドル稼いできた。そろそろこの道から足を洗おうと、稼いだ30万ドルを資本にヤクを買い、100万ドルで売り捌こうとする。2人は、今は廃業してレストランの主人におさまっているハーレムの顔役スキャター(ジュリアス・W・ハリス)にコカインを頼んだ。スキャターはもう足を洗ったと断るが、むりやり頼み込む。


ところが、仲間のフレディ(チャールズ・マグレガー)が、警察に捕まり取引のことをしゃべってしまった。その夜、プリーストとエディは警察に捕まってしまった。ところが、警部は意外にも麻薬取引をもちかける。ただ、スキャターは自分の身が危ないというが。。。

⒈エロチックサスペンス
70年代前半の東映がエロチックサスペンス路線で池玲子杉本美樹を脱がせまくっていた。TVでは東京12CHで「プレイガール」をやっていて中学生の自分は親に隠れてこっそりと見ていた。主人公はコカインの売人で金もあるし、モテまくる。いきなり登場するのは白人女との戯れの後にベッドで胸毛モジャモジャの姿を見せるシーンだ。次はいつ逢えるの?とモテモテだ。


その後で、美人の黒人女ジョージア(シェイラ・フレイザー)とのバスルームでの裸で抱き合っているシーンだ。この女が魅力的だ。でも、中学生の自分にはいい女というのはわからなかったんじゃないかな?いかにも、この当時の映像らしく、ポルノ映画の如く2人の絡みをぼかす。こういうエロな場面がないとアメリカでも観ないんだろうなあ。似たような時期のパム・グリア主演「コフィー」も似たようなものだ。


⒉カーティスメイフィールド
かすれ声が魅力的だ。映画を観ていてテーマソング「スーパーフライ」がなかなか出てこなかった記憶がある。ラスト15 分で初めて流れる。オープニングで流れる曲の歌詞を読んでいると、いかにも堕落しきった男だというのを象徴するようだ。途中でカーティスメイフィールドがステージに立つライブハウスに主人公が入ってくる。このファッションも刺激的だが、ステージを観ている周囲も70年代前半の匂いを醸し出す。いいねえ。

主題歌以外でも魅力的な2曲がある。ベッドシーンのバックが似合うgive me your love. とテーマソングと似たようなタッチのpusher man だ。たった2年くらいだが、ディスコミュージックが流行るその2年後くらいと曲のタッチが違う。ソウルミュージックというのはこの辺りのことを言うべきであろう。


主人公が麻薬の売人として闇夜するシーンにはホーンセクションにギターが絡む。このタッチは井上バンドあたりが演奏する昭和のアクションTVと大差はない。この映画白人を悪者にしている完全な黒人映画なんだけど、尾崎紀世彦ばりの強烈なもみあげが印象的なロン・オニールって黒人?、白人にしか見えないんだけど。
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映画「ジョン・デロリアン」 

2020-05-10 09:56:58 | 映画(洋画:2019年以降主演男性)
映画「ジョン・デロリアン」は2019年に日本公開のアメリカ映画


ジョン・デロリアンは一世を風靡したアメリカのカー・デザイナーである。元々GM(ゼネラルモーターズ)の花形開発者で、自ら自動車会社を立ち上げ世間をあっと言わせるデザインの車をつくっている。

この話はジョン・デロリアンの伝記ではない。証人保護プログラムで守られている麻薬密輸の前歴のある元パイロットが、FBIに協力して大物麻薬ディーラーを売り渡すように仕組んでいく。その話に元パイロットの隣家に住むジョン・デロリアンがからんでいく。この映画はその一部始終に焦点を合わせている。

麻薬取引に関わる映画は当事者関係が複雑でいつもわかりにくいことが多い。ここでも、序盤戦にこまかい説明は少ない。なんで捕まえたのに普通に生活しているんだ?なんで捕まえたFBIの捜査官と話しているんだ?と頭の整理をしていくにつれ、途中でようやく脳が追いついていく。ディスコパーティのシーンには自分の世代は親しみがあり、少しずつ気分が高揚する。いくつかのエピソードがおもしろく、70年代後半独特のにおいも充満させている。まあまあって感じかな。


1977年、南カリフォルニア。副業でドラッグの密輸をしていたパイロットのジム・ホフマン(ジェイソン・サダイキス)は、麻薬密売の現場をFBIに押さえられる。罪を問われない代わりにFBI捜査官のベネディクト(コリー・ストール)の情報提供者となる。ジムは引っ越した家の隣に住むのがポンテアック・GTOの開発に携わったジョン・デロリアン(リー・ペイス)だと知り驚く。


ジョンはゴージャスな家に住み、派手なホームパーティにはジム夫妻も招待された。自らの会社を立ち上げ、斬新なデザインの新型車“デロリアン”を開発している。しかしせっかくの新車も様々なトラブルが発生し、思うようには売れていないことがわかる。会社運営のために資金繰りに窮しているようだ。そこで、ジムは、麻薬ディーラーのモーガンとジョンを取り引きさせて、FBIに麻薬密売の罪で売り渡す計画を立てるのだったが。。

映画はあくまでパイロットのジム・ホフマンの視線がメインだ。基本的な映画のストーリーと平行してジョン・デロリアンの罪が問われる裁判でジム・ホフマンが証人台に立つシーンを映し出す。焦点はジョン・デロリアンが自らの意思で麻薬取引をやろうとしていたのか?FBIによるおとり捜査かどうかである。

1.証人保護プログラム
ジム・ホフマンはパイロットの立場を利用して麻薬をこっそり運んでいくのが、FBIにばれる。映画「バリー・シール」でもトムクルーズがドラッグを密輸するパイロットを演じていた。こんな奴いっぱいいたのかね?普通であれば、逮捕されて終わりである。

ところが、麻薬ディーリングのことを知っているジムはFBIにとって利用価値がある。いったん、白紙にして証人保護プログラムを活用する。パスポートや証明書まで新しいものが交付され完全な別人になる。 アメリカ映画にはたびたび出てくるが、日本ではこういう制度はない。実際には国家機密でそれらしき人がいるのかもしれないが、われわれにはわからない。


2.典型的70年代後半のホームディスコパーティ
ジョン・デロリアンは自宅に大勢の招待客をあつめてディスコパーティを開いている。この時代であれば、日本でも不思議ではないシーンだ。ここでかかるディスコミュージックがゴキゲンである。


まずはクール&ザ・キングの「ゲットダウン オン イット」、おなじみの曲だ。フロアでみんな揃ってのステップダンスを踊る。77年だとステップダンスがなくなる境目かも?ジョン・デロリアンはいかにも遊び人モードをだしていて、招待客の美女と踊っている。それをみつけて焼きもちを焼く奥さんと華麗にダンス。理屈なく気分が高揚する。



そして、当時六本木のでディスコでもよくかかったピーチス&ハープの「ファン・タイム」、この映画って1977年の想定だというけど、いずれももっと後80年くらいの曲だよ。映画をみながら一瞬時代背景に?って感じである。



そのあとが、テイストオブハニーの1978年9月の全米ヒットチャートナンバー1でこれもディスコでよくかかった「今夜はブギウギ」だ。六本木ロアビルの道路を隔てた正面のかどにハンバーガーインがあった。そのすぐ奥に2階がディスコだったTGIフライデーがあり、そこではじめて聴いた記憶がある。このころ、新宿と六本木ではかかる曲がまったくちがっていた。



これらの曲がバックで流れるだけで当時のあっけらかんとした雰囲気が伝わる。われわれより5年上になると簡単なことでもむずかしく話す学生運動世代なんだよね。これがまたバカで最低な人種が多い。

3.麻薬ディーラーのパフォーマンス
このド派手なパーティに麻薬ディーラーの大物モーガンがジムの友人ということで自分の情婦を連れて遊びにくる。ジムは2人を引き合わせて、派手な暮らしをしているようで裏では金に困っているジョン・デロリアンとモーガンを結びつけようとしているのだ。


ただ、モーガンとその情婦はまわりとはまったく違うあばずれカップルである。ジムとこの2人がジョンの寝室に入って、麻薬をやり始める。すると、モーガンの情婦は自分の服を脱いで裸になり、ジョン・デロリアンの妻のドレスを着始める。もうラリっている情婦の動きはとりやめられない。周囲にからんでパーティはぶち壊し、自分のドレスを着てプールに入り込む情婦をみてジョン・デロリアンの妻はあ然、このシーンのバカさ加減には笑える。

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13年目の雑感2

2020-05-09 18:01:52 | Weblog
緊急事態宣言が延長された。特定地域以外は緩和される場所も多いようだけど、東京はそのままだ。

小池都知事はステイホームと言うけれど、自宅にずっといると体が鈍る。ジョギングする必要はないが、ウォーキングは必要だろう。4月の後半に妻から顔が少し丸くなったんじゃないか?と言われて、スマホについている万歩計を見たら、1日平均が3月までの9000歩から6000歩切るくらいになった。4月から勤務地が移り、今度が駅から近い事務所になったせいもあるし、仕事上での外出も減ったせいだろう。GW連休寸前から意識的に歩くようにしている。

今勤務地は千代田区で事務所から2000歩強歩いたところに神保町の本屋街があり、会社出勤の日はそこを寄り道して帰ると1万歩の計画が達成できる。GW中も人が少ない千代田区内を悠然と歩く。ただ、土日東京の主要な書店が休みなのはつらい。


4月末から東京では急激にマスク販売を見かけるようになった。会社近くの薬局で10枚1000円なんてマスクを見たら、少したったら10枚700円に変わっていた。一週前の5月3日ごろは50枚2980円が主流だったが、今日街を歩いていると50枚2100円となっていた。下がる時は一気に下がる。需要と供給で価格が決まるという経済の大原則通りだ。

今日あたりは若い夫婦が仲良く歩いている姿が目立つ。この人たちさすがにデートではないでしょう。大好きな湯島のインド料理屋デリーのタンドリーチキンを食べて、湯島の坂を上る。本郷から自由に出入りできる東大構内を通って千駄木方面に抜けようとしたら、大学内には用のない人は入らないようにと書いてあり、警備員まで立っている。これは無理だと思い、菊坂から西片へ出て柔道の殿堂講道館の前を通る。気の毒に全柔連の人たちがコロナに集団でかかってしまったようだ。こういうと差し障りがあるが、恒例の全日本柔道選手権大会が開催されずに柔道の神様がひねくれたのかもしれない。


経済活動はどうなるんだろう。出口戦略も不透明だ。ここまで自粛が続くと飲食業はキツい。3月25日に新宿のクラブで女性をはべらしてから、大人数で女性接待系は行っていない。4月前半に一回だけ四谷荒木町に寄った。お客さんが来ないんで、女の子を休ませてママ1人でやっていた。かわいそうだから言われた勘定より多めに払って帰った。

銀座のクラブのママからは家飲みでテレクラブやりませんか?とメールが何度も来る。返事はしない。30分5000円、延長、ヘルプはという料金表もくる。まさかこっちが単身赴任だと思っているわけではないだろう。不思議だ。飲み会禁止令で結局1ヶ月一滴も酒を飲んでいない。もともと家ではイベント事以外は飲まない。アタマは冴える。映画も見る。ブログも久々更新した。そのほうがいい。


総務からはなるべく会社には来ないで在宅勤務してと言われるがちょっと抵抗がある。実際在宅勤務という名のサボリ、怠慢だと思う。週に一回だけ形だけ在宅勤務にしてあとはいつも通り会社に出勤している。でも暇だ。来客も少ないし、取引先と電話で話してもコロナが明けたら是非なんて言われるだけだ。

娘はずっと在宅勤務だ。テレワークで朝礼もやるらしい。家にいるとき、娘がパソコンを眺めているのでゲームをやっているのかと思ったら、エクセルの表が画面にあったのでビックリした。娘に話しかけると妻に仕事をしているんだから邪魔するな!とエライ剣幕で怒られる。よくよく見たら会社のパソコンで夕方に自分のパソコンと入れ替えている。でも、こんなんで大丈夫かな?と思う。



3月まで部下だった30代前半の女性営業が辞めると報告してきた。昼メシに連れて行って話を聞いた。今は転職サイトをちょっとクリックすると、きっちりプロがリードして次の会社の斡旋をしてくれるそうな。あれよあれよという間に決まったらしい。声をかけたのが3月以前ということもあったのであろう。

それでも内定は4月に入って出たようだ。大会社の福利厚生や施設の管理をやる会社らしい。基本給は下がるが、賞与はそれなりにもらえるという。女性の管理職うんぬん言われているが、その一歩手前でみんな挫折している。旦那は同じ会社だけど辞めない。共働きで都内に土地買って家も建てた。今回もコロナ騒ぎのピーク寸前の応募だった。よかったねと言った。幸せそのものだ。個人的には女性にはいい道だと思う。いいんじゃない。


3月まで急落の株もやばい話があっても大きく下げない。堅調である。悲観主義が台頭しているが、意外に何とかなる。そんな気分で来週からもっと仕事しようかと思う。
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映画「オクジャ」 ポン・ジュノ

2020-05-06 13:05:48 | 映画(韓国映画)
映画「オクジャ」は2017年のポン・ジュノ監督によるNetflix映画


パラサイトポン・ジュノ監督がアカデミー賞作品賞、監督賞を受賞したのには驚いた。ただ、年初早々観たこの作品はおもしろく素晴らしかった。監督の前作が「オクジャ」である。ジャケットからみても異物との遭遇を連想させる。どちらかというと、あまり観るタイプの映画ではない。

このコロナ騒ぎがなければ、Netflix映画をこんなに観ることもなかった。運がよかったのかもしれない。Netflix配信を前提につくられた作品なので、予算もふんだんに使えて作品製作費も5000万ドルと高い。出演者も韓国人の少女を除いては、ティルダ・スウィントン、ジェイク・ギレンホール、ポール・ダノと主演級がそろっている。当然美術、撮影、編集ともに高い映像レベルである。予算もないせいか日本映画ではなかなかこのレベルに達しない。

大企業が遺伝子操作してつくった異形の豚と一緒に育った少女との友情というのがこの映画のテーマである。あえて顔が真っ赤のドンくさい少女を主演に抜擢して、異形の動物とともに首都ソウルとニューヨークを立ち回らせる。特撮のオクジャは映像になじみ、ハラハラドキドキで笑えるシーンが多い。屁理屈は考えずにシンプルにみた方がそれなりに楽しめる。


多国籍企業のミランド社の社長(ティルダ・スウィントン)は遺伝子操作したスーパーピッグの子豚を開発したと発表した。それを世界の26ヶ国の農家で育ててもらい10年後、動物学者ジョニー博士(ジェイク・ギレンホール)の審査でコンテスト結果を決めるものとした。10年たって韓国の山村では、祖父(ピョン・ヒボン)と暮らす少女ミジャ(アン・ソヒョン)が、大きく成長したスーパーピッグ「オクジャ」と暮らしていた。ミジャにとっては「オクジャ」は親友以上の存在だった。

審査のためにジョニー博士が韓国の山奥までやってくる。大きくなったオクジャをみて感動、コンテストの一位だと決めアメリカに運ぶことになった。ところが、オクジャをミランド社からお金で買い取るという話を祖父はミジャにしていたが、結局は断られミジャのいない間に運ばれもういなかった。ミジャは怒り、連れ戻そうとソウルに向かった。ミランダ社のソウル支社では当然門前払い、それでもむりやり会社に入り込み移送されていたオクジャを見つけ懸命に追っていく。

1.ソウルの町での追跡劇
前半戦のヤマである。オクジャが移送されている車を懸命に走って追う。ミジャはソウルの急な坂を滑走し、やがてトラックの荷台にしがみついて乗る。通るのがギリギリのところをトラックが走っって危なかしい。そんなとき、オクジャを積んだ車の真横を1台のトラックが併走してきた。そこには覆面をかぶった男たちが数名乗車している。やがて車が止まり、オクジャが脱出し、ミジャとともにショッピングモールの店を逃走していく。


この追跡劇はなかなかスリリングだ。ミジャの動きはアクションスターばりでドキドキしてしまう。応援したくなる気分にもなる。この覆面の連中は誰?と思っているとやがてジェイ(ポール・ダノ)率いる動物愛護団体のメンバーだとわかる。単にアメリカに行ってしまうオクジャを取り戻そうとする話に、第三者の存在を顕在化して話をおもしろくする。いくつもの対立関係と葛藤をうむので話が重層化して深みが出る。金の子豚の存在など小技も効いていて相変わらずポンジュノのストーリー作りのうまさが光る。

2.平穏な山奥の田舎とミジャ
山奥に住む祖父と孫と一緒に暮らす異形の豚オクジャは人間の気持ちもよくわかる。ミジャが山から転落しそうになると、賢いオクジャが自分の身も棄ててミジャを助ける。そんなエピソードだけでなく、原始的に生活するミジャの姿も映す。父母は両方とも死んでこの世にいない。なんで死んだのかは明かされない。ふと思うけど、この女の子学校に行っているのかしら?もしいっているとしたら昔でいう一里(4km)ではすまないくらい歩いているのかもしれない。ほっぺたは真っ赤だ。


3.主演級の脇役たち
スーパーピッグコンテストを主催するミランダ社の社長はティルダ・スウィントンだ。コーエン兄弟やウェス・アンダーソン作品などでおなじみだが、自分にはジム・ジャームッシュ監督のオンリー・ラヴァーズ・レフト・アライヴでの吸血鬼役が一番適役と感じる。この個性的な一人二役の社長役もうまい。


ジョニー博士がジェイク・ギレンホールであることは、彼の作品をずいぶんみているのに映画が終わるまで気づかなかったなあ。変態的要素をもつ動物学者で、ずっとでていて賑やかなのでいつもの役と違う。動物愛護団体のリーダーがポール・ダノだ。ジェイク・ギレンホールポール・ダノは「プリズナーズ」で刑事と被疑者役で共演し、ポール・ダノが監督した「ワイルド・ライフ」ではジェイク・ギレンホールキャリー・マリガンとともに主演した。

動物愛護団体の紅一点はリリー・コリンズである。歌手のフィルコリンズの娘で、ブルックシールズばりの太い眉毛が特徴だ。恋愛映画あと1センチの恋では主演を演じている。実は自分のブログで一番閲覧が多いのがあと1センチの恋なんだけど、彼女にも気づかなかったなあ。


ふだん豚肉は食べているんだけど、この映画をみるとちょっと気にしてしまうかも?
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映画「守護教師」キム・セロン&マ・ドンソク

2020-05-05 17:30:08 | 映画(韓国映画)
映画「守護教師」は2019年日本公開の韓国映画

TSUTAYAのDVDの棚を眺めていると、マ・ドンソクの顔が見える。最近韓国映画で存在感を高めている筋肉もりもりの強面顔をした男だ。その横にいる女の子が気になりジャケットをとるとキム・セロンだとわかる。このブログでも少女時代の映像を4回ピックアップした。ずいぶんと大人になったものだ。おもしろい組み合わせだということでDVDをみてみる。


地方の女子高に着任してきたボクサー上がりの体育教師が、行方不明になっている女子高生の行方を探るクラスメイトとともに失踪の真相を突き止めようとする話である。マ・ドンソクは他の作品でも圧倒的な格闘能力を武器にして立ち回る姿を映し出してきたが、いまや韓国のクライム系映画で抜群の存在感を示している。ここでも同じような感じだ。B級映画のラインを超えられたものではないが、大人になりつつあるキムセロンをみるだけでも価値はあろう。


元ボクシング・チャンピオンのギチョル(マ・ドンソク)はボクシング協会の幹部と暴力沙汰を起こしコーチの職を失う。その後、地方の女子高で体育教師となる。学校側は彼を学年主任として迎える。ただ、その任務には学費、給食費を滞納している生徒からヘの取り立てが含まれている。先輩から昼休みの食堂で生徒に声をかけるといいよといわれ、食堂でリストを元に女子生徒に声をかけ始める。すると町で他の女子生徒とけんかしてギチョルが止めに入った女の子ユジン(キム・セロン)を見つける。そっけなく、払うよと言われたあと、ハン・スヨンという女子生徒のことを聞く。


現在行方がわからないのでユジンが自ら捜しているという。ハン・スヨンは祖母と2人で暮らしていた。ギチョルは、ほかの教師たちが単なる家出だと決めつけ、警察も本格的に捜査しようとしないことを不審に感じる。ユジンはスヨンが残した手がかりを頼りにある店に入るとヤクザじみた男たちに囲まれる。偶然彼女を見つけたギチョルが助ける。1人で帰るというユジンは何者かに襲われるのであるが。。。

その後、たばこを吸っている現行犯を捕まえに女子トイレ内に入ると偶然盗聴カメラを見つける。そこには、ギチョルの隣席に座っている美術教師キムの姿が映っている。キムのパソコンがたまたま立ち上がっていて読み解くと、スヨンやユジンと連絡をとりあっていることがわかる。ギチョルはキムをマークするようになるのである。。

1.キムセロン
知性の殿堂岩波ホールで放映されている冬の小鳥を見に行ったのが最初の出会い。韓国では身寄りのない子供たちが預けられている施設から、欧米の子供のいない夫婦が自分の養子にと子供を引っ張っていくことが多いという。そんな話はショッキングだった。そのあとも、韓国版「レオン」の色彩をもつウォン・ビン主演アジョシ、臓器売買を目的として子供がアメリカに引っ張られる話であるバービー、継父に虐待される私の少女などまともな役は1つもない。それらをけなげに演じる少女としてずっと注目していた。


いつの間にか大人の女性になっていた。女子高校生役だがもう成熟している。子供の頃からよく知っている同級生の娘が気がつくと美人に育っていたというような気分でこの映画を見た。ただ、よくわからないのが、このユジンという女の子、人気のない物騒な道を1人歩いたり、ちょっといかがわしい店にも平気で入っていったりするんだけど、普通だったらしないでしょう。普通の女の子は誰かと一緒に行動するはずだよ。そこが不自然な感じがした。

2.マ・ドンソク
ハ・ジョンウ、チェ・ミンシク共演の悪いやつらでみたのが最初である。韓国クライムサスペンスのスターの2人と比較すると一人のチンピラに過ぎずまだ存在感はなかった。キム・ギドク監督の殺されたミンジュでは、謎の武装集団のリーダーで今の圧倒的暴力の片鱗をみせた。桑田佳祐を少し顔を丸くして、筋肉もりもりにしたような感じだ。実は「無双の鉄拳」という映画も最近みているがもう一歩で感想はブログにアップしていない。


一度キレたら止まらないというキャラである。腕っ節がめっぽう強くどんな難敵もイチコロというイメージを植えつつある。この映画でもひたすら無敵である。こういうキャラって韓国人が好みそうな感じがする。

名字「マ」は漢字ではである。中国ではイスラム教徒の部族を人種はべつとして回族という。回族は1000年を超える中国東西交流史の中で元々のイスラム商人である中東系の人と中国人が交ざり合った混血が多い。顔は中国人と同じでも気性は獰猛で身体は頑強、過去には中央政府に対する大きな反乱が起きている。その回族で突出して多いのはという名字である。は本名ではないが、もしかしてこの暴れん坊ぶりはそういうことを意識しているような気がした。

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映画「ファイティング・ファミリー」 フローレンス・ピュー

2020-05-04 07:45:39 | 映画(洋画:2019年以降主演女性)
映画「ファイティング・ファミリー」は2019年日本公開の映画


プロレス団体の最高峰WWEの女子プロの世界チャンピオンになったペイジが、英国の小さなレスリング団体の1レスラーから下克上で這い上がっていく姿を描く実話の映画化である。父母がレスラーでジムでレスリングを教えながら芝居小屋のような会場で興業をおこなっているレスリングファミリー。世界チャンピオンになることをひたすら夢見ている少女の奮闘記だ。

英国北部ノーウィッチでレスリング・ジムを営むナイト一家には2人のレスラーの兄妹がいる。13歳の時からリングに立っていた18才のサラヤ(フローレンス・ピュー)は日々ジムに通う子供達にレスリングを教え、いつかはWWE(ワールド・レスリング・エンターテイメント)の試合に出て一家を盛り上げたいと願っている。兄のザック(ジャック・ロウデン)も同じようにプロレスにあけくれている。だが彼は愛する彼女と結婚をし、普通の家庭も持ちたい。そんな兄妹に転機が訪れる。


以前から加わりたいと何度もオファーしていたWWEのトレーナーであるハッチ(ヴィンス・ヴォーン)から連絡があり、英国でのトライアウトに参加することになった。そこで二人が尊敬してやまない、WWE元チャンピオンドウェイン・ジョンソンとの対面を果たすのだ。


会場へ行くとライバルが多数来ている。セレクションでサラヤだけが次のステージに進み、フロリダに行くことが決まる。兄と二人で渡米したいとトレーナーに訴えるサラヤを、ザックが説き伏せる。「家族みんなの為にお前一人でも行ってくれ。」渋々承知したサラヤはリング名を「ペイジ」に決め、大好きな家族と別れてアメリカに渡る。(作品情報より)


1.フロリダのトレーニング
フロリダには大勢のWWEのリングに立とうという志をもったライバルが大勢いた。女子プロレス組でも元モデルやチアガールのブロンド美女たちが3人いる。どうも彼女たちとなじめない。しかも、ハッチが指導するトレーニングはきびしい。これに耐えられないと週5日リングに立つなんて芸当はむりだ。徐々に仲違いしたブロンド美女たちが陰で自分の悪口を言っているんじゃないかと疑心暗鬼する。徐々に心が疲れてきていったん家族のいる英国に戻る。そこでレスリングを通じてふれあい、自分の道を決めていく。


こういうスポーツ映画の定石として、途中での停滞がある。全部うまくいくことはありえない。ブロンド美女が自分より優遇されているんじゃないかと思い、同じようにブロンドヘアに染めて、顔を日焼けさせイメージチェンジを図ったりする。プロレス独特のマイクを持ってのパフォーマンスで相手のしゃべりにうまく返せない。突っ張っているようで、シャイな一面も出す。停滞を抜けての最後の発散に向かっていく。

2.ヴィンスヴォーン
久々にみた気がする。前作は二次大戦の沖縄戦を描いた「ハクソーリッジ」での鬼軍曹役だ。もともとラブコメによく登場している。日本ではアメリカでものすごいヒットしてもコメディ映画はDVDスルーとなることが多い。「ウェディングクラッシャーズ」とか「僕が結婚を決めたワケ」、「フォークリスマス」なんておもしろいんだけど、男前というわけでないから女性の観客をよべないということなのかな?このコーチ役は性に合っている。「ハクソーリッジ」でのきびしいイメージがこの役につながったのであろう。冷徹だけど、心の奥底はやさしい。そんな役柄だ。


3.プロレス題材の映画
プロレスと映画は相性がいい。あえて2つあげればミッキー・ローク主演レスラーロバート・アルドリッチ監督の遺作カリフォルニア・ドールズであろう。特に後者は圧倒的におもしろい。刑事コロンボの名刑事役ピーター・フォーク演じるマネジャーと2人の女子プロレスラーが全米をドサ回りしているときに有名レスラーとメインイベントでの対決でチャンスが訪れるという話である。日本の女子プロレスラーミミ萩原も登場してのプロレスシーンがいい感じだ。


この映画でも、ふんだんにレスリングシーンは登場する。いろいろな停滞場面が続いたあとで1万人強の熱狂的観客の前でチャンピオンと戦う姿を映し出す。ただ、カリフォルニア・ドールズでの感動まではなかったかな?ストーリーでは途中の紆余屈折はあるが、最後の試合は興奮する前に終わってしまった感じがした。
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映画「エイスグレード」 エルシー・フィッシャー

2020-05-03 09:17:30 | 映画(洋画:2019年以降主演女性)
映画「エイスグレード」は2019年公開のアメリカ映画


エイスグレードとは8年生の意味である。アメリカでは中学3年生という言い方はしないようだ。小学校5年、中学3年でちょうど8年生、日本でいえば中学2年生である。性に目覚めた思春期真っ盛りの世代である。クラスではいけてない女の子が自分改革を図ろうとする姿を描く。宣伝文句では各種賞の候補にも挙がりかなり好評ということで映画館にいくつもりが結局いけず、DVDでみた。評判ほどではないなあと思ったが、シングルファザーの父親のやさしさに共感してプラス1点

中学校生活の最後の一週間を迎えたケイラ(エルシー・フィッシャー)は、「学年で最も無口な子」に選ばれてしまう。不器用な自分を変えようと、SNSを駆使してクラスメイト達と繋がろうとする彼女だったが、いくつもの壁が立ちはだかる。人気者のケネディは冷たいし、好きな男の子にもどうやってアプローチして良いか分からない。お節介ばかりしてくるパパはウザイし、待ち受ける高校生活も不安でいっぱいだ。中学卒業を前に、憧れの男子や、クラスで人気者の女子たちに近づこうと頑張るが…。(作品情報より)

1.チャーミングな主人公
日本でいうスクールカーストでは低い地位にいる女の子、ニキビ面でチャーミングだけどちょっと小太りでお腹がバストよりも目立つ。you tubeに自分の人生がよくなるようにと動画をアップしている。本当はみんなと仲良くしたいし、憧れの彼もいるけどうまく振る舞えない。

人気者のケネディのお母さんとケイラのお父さんが仲がよく、お母さんからケネディのバースデイパーティにこないかと誘われる。意地の悪い当のケネディはあまり乗り気ではないが、プレゼントを持ってパーティへ行く。プールのある大豪邸、そこで泳いでいるとケネディのいとこに声をかけられる。変わり者のようだ。


当日カードゲームをケネディにプレゼントするが、反応がない。あまりおもしろくない。それでもyou tubeの動画で語りかけるように自分なりの向上心を持って生きていこうとする。地元の高校の体験入学で先輩たちと知り合う。クラスメイトと違ってみんなやさしい。オリヴィアはケイラのことがお気に入りでかまってくれる。


でも、ある男子が車で送っていくときに後部座席に2人並んでよからぬことをしようとする。微妙な世代なのに主演のエルシー・フィッシャーよく頑張ったなあという印象。

2.シングルファーザー
何でシングルファ-ザーなのかは映画では語られない。別居中だったら母親に会う場面がありそうなものだが、それはない。死に別れなのかもしれない。そんな父親はやさしく娘を見守ってくれる。出かけるときも、友人のところへ行くときも車で送ってくれる。友達とうまくやっているのか心配で仕方がない。高校の体験入学で知り合った先輩たちと会うときにはこっそり遠くから眺めている。この父親をみて共感を覚えた。


この映画をみてみようとしたきっかけは、主人公がうちの娘のプロフィールにとよく似ていると思ったからだ。中学校の時は部活の仲間が仲良くさせてもらっていたが、高校は入学して、本人を入部に誘った部活の同僚の女の子とうまくいかない。この映画のケネディのようにいやな女だ。それを引きずって大学生活も友人は増えないまま終わってしまう。

就職してどうなるかと思ったら、やさしい先輩がいるので一緒に昼メシ食べてくれたり助かっている。最初先輩っていくつくらいなんだいと聞くと20代後半かな?といっていた。娘の世代は人の年齢ってわからないのであろう。人間ドックを受診しているというからもっと上だ。このくらい年が離れると大丈夫なんだろう。この映画の高校の体験入学での先輩のようだ。

いろいろ考えさせられることは多い。ただ、意外な結末、新鮮なアイディアがある映画というとそうではないなあ。
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映画「バスターのバラード」 コーエン兄弟

2020-05-02 16:57:53 | 映画(洋画:2019年以降主演男性)
映画「バスターのバラード」は2018年のコーエン兄弟監督のNetflix映画


コーエン兄弟監督による西部劇のオムニバス映画で、6つの短編映画でできている。コーエン兄弟監督作品は欠かさずみている。むしろこのブログができた10年ほど前の方が熱心に彼らの作品を追っていた。「バスターのバラード」っていつの間に完成していただろうなあと感じてみた。まさしく短編小説を読むが如くそれぞれが楽しめる。全部が好きというわけではないが、コーエン兄弟監督作品独特のユーモアが満ちあふれるショットに魅せられる。

The Ballad of Buster Scruggs
最初の主役はバスター・スクラッグスティム・ブレイク・ネルソン)というカウボーイ、いつも歌っているいかにも調子のいい男だ。でも、拳銃の腕前はピカイチ、無法者をあっという間に片付ける。


ポーカーゲームが繰り広げられている酒場に入って因縁をつけられる。相手は銃をこちらに向けるが、この酒場は入り口で銃を預けるシステムだ。どうするバスター?と思いしや、バスターはテーブルの板を思いっきり踏み込むと板がテコの原理で反対側が跳ね上がり、無法者の銃が自らにむけて暴発で相手がイチコロ。このシーンで一気に目が覚める。他の因縁をつけられた男との対決では相手の指を次から次へと撃ち落とす。

このあと、別のオチがつくのであるが、コーエン兄弟作品らしく芸が凝っていて、なかなかおもしろいじゃんと一気に映画に引き込まれる。

このあとも、2話)荒野の一軒家のように建つ信託銀行に強盗に入ってきた男と銀行の主のやりとり。3話)金塊を掘り出すために緑あふれる山の間を流れる川のそばで生活する男がようやく見つけたときに、背後から襲われる話。


4話)手足のない男を見世物にして生計を立てている興行主が、四則演算ができる鳥で繁盛している小屋を見つけて乗りかえてしまう話。5話)オレゴンにいる婚約者のもとに向かおうとしていた若い娘が、途中で別のいい男に求婚されているときにインディアンに襲われる話。


6話)駅馬車で同乗する6人の男女の会話。

それぞれ5つの物語がある。6話は訳のわからない会話が続いてちょっとつまらないのを除けば、オチを書くのもためらうくらいおもしろい。
1.短編小説のような物語
オムニバス映画って、全然別々のストーリーが実はどこかでつながっていることが多い。でもここではそれぞれが独立している。時代背景がほぼ同じというだけである。コーエン兄弟が映画作りのためにシコシコネタをため込んできた形跡が感じられる。かといって、一つの物語の流れでは全部のネタは使えない。そんな感じでできた短編集なのであろう。


短編小説の名手吉行淳之介がこう書いている。「長い棒があるとしますね。長編は左から右まで棒の全体を書く。短編は短く切って切り口で全体をみせる。あるいは、短い草がはえていて、すぐ抜けるのと根がはっているのとがある。地上の短い部分を書いて根まで想像させるものがあれば、いくら短いものでもよいと思う。」

金塊を見つけた男や見世物でもうけている興行主の行く末、若い娘に求婚していた男が究極の事実を知ってどうなるのか?など想像に任せるのがいいのであろう。そのあたりはコーエン兄弟は自分なりに考えているんだけど、芥川龍之介の「藪の中」が如く観客に想像させるのだ。

2.ネイティブアメリカンの襲撃
自分が子供の頃までは、アメリカのTV西部劇がそのままゴールデンタイムに放映されていることが多かった。「ララミー牧場」にしろ「ローハイド」にしろそうだ。自分はまだ子供で主題歌には親しみを持ったけど、ストーリーがよくわかるというわけではない。そのときはいつもインディアンに襲撃されて立ち向かうという場面によく出会った気がする。

ジョン・ウェイン主演の名作映画「駅馬車」でもいわゆる最後のスピード感あふれる名場面はインディアンとの対決だ。そのせいか、今は「駅馬車」自体人種差別を助長していると言われることがあると聞いたことがある。あり得そうな話である。


ここでは2話と5話にインディアンの集団が襲撃する場面がある。いずれも無法者の連中という設定である。え!こういうのも作れるんだと思った。これってNetflix映画だからというわけではないと思うけど。

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映画「男はつらいよ 寅次郎純情詩集」 渥美清&京マチ子&檀ふみ

2020-05-01 06:27:26 | 映画(日本 昭和49~63年)
映画「男はつらいよ 寅次郎純情詩集」は1976年の松竹映画


今回のマドンナは京マチ子と檀ふみ、この2人が親子役というのもめずらしい組み合わせだ。美女を前にして渥美清はいつもながらのフラれっぷり。軽快な話しっぷりがここでもドタバタ劇を繰り広げる。

さくら(倍賞千恵子)の一人息子満男の担任教師、雅子先生(檀ふみ)が家庭訪問でとらやにきていた。ちょうどたまたま旅先から寅次郎(渥美清)が帰ってくるところだった。美人の先生をみて寅次郎はうっとり、近くに住んでいるという先生に送っていくとうるさい。息子の大事な先生を相手にでしゃばる寅次郎に対して博(前田吟)は怒る。

いつものようにけんかになって寅次郎はとらやを飛び出ていく。寅次郎は長野のお祭りでテキ屋の本業をしたあと、別所温泉に向かうのである。そこでかつて知り合った旅芸人坂東鶴八郎(吉田義夫)一座と再会し旅館で飲めや歌えやで大騒ぎ。挙句の果て翌朝勘定となったのに金がない。そして、さくらのもとに地元の警察から無銭飲食で拘留していると電話が入り、柴又から遠路長野まで引き取りに向かうことになる。さくらに大目玉を食らう。

さくらに引っ張って来られ、とらやに戻った寅次郎は、店先で雅子先生と、彼女の母親・柳生綾(京マチ子)と会う。柳生家はもともと華族の出の高貴な家柄であったが、病気がちの綾は長い間入院生活を送っていた。寅次郎やさくらの幼少時代を知っており再会を大いに喜ぶ。世間知らずの綾は気のいい寅次郎に好印象を持つ。そして、お互い意気投合して綾の家に何度も通い詰めるようになるのであるが。。。

渥美清の口上は冴えわたる。病魔襲うはるか昔のことだ。祭礼の一角で四谷、赤坂、麹町、チャラチャラ流れる御茶ノ水、粋な姐ちゃん立ちションベン。といつもながらの軽快なフレーズだ。架空の世界だけど、こんな口上でいったいどれだけの人が買うんだろうかね?

1.京マチ子
もともとは爵位を持つ家のお嬢様で、戦後に復興成金と結婚したあとで、病気で長い間療養しているという設定である。こういう役は京マチ子というより原節子の十八番といった感じだ。 山田洋次監督安城家の舞踏会お嬢さん乾杯を意識してプロフィルをつくったに違いない。


でも、これらの作品が出た1950年前後には京マチ子は高貴というのではなく売春婦も含めてまったく真逆な地位の女を演じていた。かなり長い間舞台にも出ていたが、さすがに高齢で生き尽きた。その彼女が死んだときは、山田洋次が追悼の文を出している。京マチ子は大映の専属だったので、松竹とはそんなに縁のないはずだ。それでも「息をのむような美しさ」と彼女をたたえ見送った。ファンだったのであろう。

2.檀ふみ
まだ大学在学中だ。それにしても清純な姿はかわいい。駿台予備校で浪人してから慶応経済入って留年しているはずだけど慶応は同じ学年で2回ダブれないので何年生なんだろう。2年生かな?青春の蹉跌に出演したころよりもあとだ。深窓の令嬢で育った京マチ子演じる母親同様、大事に育てられたという設定だ。名門旧教育大付属高出身で学校の先生という役は適役かもしれない。


キャンパスでなく、六本木の飲み屋で深夜男と2人で飲んでいるのを大学時代みたことがある。ただ、この映画でも相手はよりどりみどりでしょうと御前様にいわれているけど縁がなかったようだ。この家にはばあやがいる。浦部粂子だ。自分が子供のころはおばあちゃんというと浦部粂子飯田蝶子だった。

3.別所温泉
今から4年前に上田駅周辺から別所温泉というルートで向かったことがある。

(4年前の写真、映画の電車はもっと古い)

紅葉がきれいで、すきま風で寒い旅館に泊まったっけ。そこの旅館で寅次郎が無銭飲食をする。別所温泉駅やお寺に見覚えがあった。映画の中で北陸新幹線を上田駅に停車という横断幕が掲げられているのに時代を感じる。何もないところで、近くのスナックでコンパニオンと歌いまくった記憶がある。昨年の台風で上田駅から向かう電車の橋が決壊してしまうのをTVでみて、ショックを受けた。これじゃ行けないな、旅館の人たち困ってしまうなと。

さくらはわざわざ無銭飲食の寅次郎を迎えに行く。昭和51年でいえば、当然長野新幹線はない。柴又から京成で上野に行って、特急で上田駅までいって乗り換えで別所温泉だ。特急だった頃で、横川の釜飯を買うために停車時間が長いからものすごい時間がかかるはず、やっかいな奴だ。


4.吉田義夫と谷村昌彦

旅芸人の親分は吉田義夫が演じる。自分が子供の時は「悪魔くん」というTVをやっていて悪魔役だったので、親しみがある。松竹というより東映の俳優だったのに寅さんとの相性がよく山田洋次監督は何度も起用している。

一座の公演で車寅次郎先生と寅さんを持ち上げる。そして調子に乗ってどんちゃん騒ぎ、一座には谷村昌彦がいる。「悪魔くん」と同じ頃「忍者ハットリくん」の実写版をやっていた。小学校の仲間もみんなみていた。「はなをかじった(花岡実太)」と聞いて懐かしい初老のオヤジは多いだろう。
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