映画「夏の砂の上」を映画館で観てきました。
映画「夏の砂の上」は長崎を舞台にしたオダギリジョー主演の物語。原作は90年代後半に作られた長崎出身の松田正隆の戯曲で、監督脚本は玉田真也である。オダギリジョーは妹から突然17歳の娘を預けられ共同生活をはじめるリストラされた男を演じる。2005年に長崎を舞台にした「いつか読書する日」という田中裕子主演の傑作がある。坂の多い長崎の町を自転車でさっそうと走る田中裕子が強烈なインパクトを残した自分の好きな映画だ。どうしても比較して観てしまう。
長崎の雨が降らない夏。幼い息子を亡くし、妻・恵子(松たか子)と別居中の小浦治(オダギリジョー)は、勤めていた造船所の職を失ったあと無気力な日々を送っている。そんな彼のもとに、妹・阿佐子(満島ひかり)が17歳の娘・優子(髙石あかり)を連れて訪ねてくる。福岡でスナックを任せられる話があり、優子をしばらく預かってくれというのだ。姪との突然の同居生活が始まります。
優子は高校に通わず、スーパーのバイト先で年下の先輩・立山(高橋文哉)と親しくなる中、治との生活にも慣れていく。しかしある日、優子は恵子と治が言い争う場面に遭遇する。
映画としては普通。オダギリジョー演じる主人公の男の哀しさが根底に流れる。
直近では長崎に造船所がある三菱重工の株価も最高値を更新して絶好調のはずだけど、この映画では造船所がつぶれて主人公が職を失う。現代の設定にすると少し違和感はある。
ひょうひょうとしたオダギリジョーには味がある。元の同僚に妻を奪われる情けない役だ。それなのに妻の浮気相手の奥さんから詰め寄られるシーンは気の毒。これでもかというくらいツキがない。
高石あかりは醒めた変わった女の子の役柄だったのに、おじさんの面倒は私がみると言い切るダメ男のおじさんに情を移すセリフは印象に残る。松たか子はわざとだと思うがこれまでになくどん臭く地味だ。満島ひかりは最初と最後だけベラベラしゃべって台風のように去っていく。いかにもあっている役柄だ。
⒈時代を経てもかわらない長崎の町
長崎には3回行ったことがある。市電と坂が印象的な造船所のある町という印象が残る。長崎が舞台の「いつか読書する日」と同じ長崎の坂道、階段、細い路地、約20年たっても見た目はほとんど変わっていない。細い路地の奥だと重機も入らないので坂の途中にある主人公の家は再建築が難しいのではないだろうか。結果として古い家のまま住み継ぐしかないのだ。町並みとしては大きくは変わらない。坂道や路地の雰囲気で長崎の空気感が味わえるだけでも映画を観た甲斐がある。
⒉いつか読書する日との比較
田中裕子は牛乳配達とスーパーのレジ打ちを掛け持ちで働いていた。預かった姪もスーパーでバイトしている。田中裕子が坂を駆け巡る姿に躍動感を感じた。一方でオダギリジョーは逆でいかにも無気力感が強い。「いつか読書する日」で岸部一徳が川で溺れた子を助けようとおりていった階段で、高石あかりがたたずむシーンに2人に共通する去っていく感覚をおぼえた。顔に哀しさが感じられる高石ひかりに大物の素質ありと感じる。