映画とライフデザイン

大好きな映画の感想、おいしい食べ物、本の話、素敵な街で感じたことなどつれづれなるままに歩きます。

高倉健 死す

2014-11-18 21:59:13 | 偉人、私の履歴書
高倉健が亡くなったと報道されている。
これは本当にショックだ。亨年83歳となれば、寿命と考えてもおかしくない。

でも残念だなあ!!
あなたへの復活が本当によかったので、もう一作期待していただけに本当に残念だ。


小学校に上がった後、五反田大崎橋にある東映の映画館にヤクザ映画の看板が目立ってきた。
幼稚園くらいから東映の時代劇を父母と見に行っていた。自分は大川橋蔵のファンだった。
それなのに怖いお兄さんの看板だらけになってきた。目をそむけるしかなかった。

そこの看板には高倉健の顔もあったはずだが、避けていたので印象にない。

その名を知ったのは江利チエミの夫としての存在だった。
我々は実写版「サザエさん」を見たくちである。マスオが川崎敬三で、波平が森川信、フナが清川虹子だった。
アニメでテレビ放映された時、実写の方がよかったのにと思ったくらい江利チエミが好きだった。
その夫があの怖い人だと思うと、恐れをなした。
2人の自宅が火事で燃えた時は、テレビや週刊誌で大げさに取り上げられていたと子供心に覚えている。


その後テレビ「時間ですよ」堺マチアキが憧れる存在としての高倉健も知ったが、怖いままだった。
もう少し大きくなった時幸福の黄色いハンカチ武田哲矢、桃井かおりという若手俳優と一緒に出演することを知った。あの高倉健に2人が恫喝されてしまうのではないかと人ごとながら心配になったくらいである。今となっては、何でそんなこと思ったのかは笑うしかないが、青春時の自分にはそう思うしかなかった。
この映画で見方が変わった。というよりもそれまで怖くて彼の映画は見れなかったのだ。

その後は徐々に見るようになってきた。
実際東映から足を洗って、昔ワルだったけど、今は堅気になっている無口な男というのを演じるようになった。
居酒屋兆治が一番印象的だったが、「八甲田山」「夜叉」「駅」と名作が続く。

そうしているうちにヴィデオで昔の映画が見れるようになった。
「飢餓海峡」の刑事役、「宮本武蔵」の佐々木小次郎役の若々しさは素敵だ。
ヤクザ映画も目をそむけずに見れるようになった。でもその時には自分は30代に足を突っ込んでいた。
網走番外地」で最初背広姿で刑務所へ引っ張られるシーンがこれだ。


自分のブログでヤクザ映画時代の彼の姿をとらえるようになったのは最近だ。
松田優作の遺作ブラックレインでのマイケルダグラスとの共演は大阪が舞台で、珍しくアンディ・ガルシアと歌っているのが御愛嬌だ。

こうしてみると、波乱の人生だったんだなあと思う。
文化勲章もらった時は自分のことのようにうれしかった。これをもらっているので死んだあとに国民栄誉賞なんていわれなくてもすむよね。でも最後可愛がっていた明治大学の後輩田中裕子あなたへを撮れてよかったよ。夜叉」での田中裕子の色っぽさは最高だったよネ。
報道では意外に田中裕子のインタビューがないが、最重要人物だと思う。


つつしんで冥福を祈りたい。
同じ年のクリントイーストウッドにはもう少し頑張ってもらいたい。
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ジャックブルース死す

2014-10-27 18:53:10 | 偉人、私の履歴書

クリームのベーシストであるジャック・ブルース氏が亡くなった。。
これは実に残念だ。
71歳なのでまだ若いなあ。肝臓病と伝えられている。
エリッククラプトン、ジンジャーベイカーという昔の仲間から追悼するコメントも報道されている。


そののちソロボーカルとして圧倒的な人気を誇るエリッククラプトンクリームのリードボーカルだったとおもっている人が意外に多い。
「サンシャイン・オブ・ユアラブ」も「ホワイト・ルーム」ジャックブルースのリードボーカルである。
「ホワイトルーム」で一瞬エリッククラプトンが歌うパートがあるが、ひでえ音痴だ。サイケデリックなギターは抜群だけど。。
逆にジャックブルースはいい声している。


そもそもヒットチャートを上昇するヒット曲で売るバンドではないからこんな話は意味ないかもしれないけど
「アイ・シャット・ザ・シェリフ」が全米ヒットチャート1位になった時、エリッククラプトンも歌がうまくなったものだと思ったっけ。

クリーム時代で何より歴史的名演といえるのはライブヴァージョンの「クロスロード」だ。



これを最初に聞いたとき、本当にぶったまげた。
エリッククラプトンのコンサートに行きたいといっている若者に「クロスロード」を聴かせて、これ誰のギターかわかる?とあえて聞いてみる。
マニアはともかく、普通は誰もわからない。今や枯れきった演奏をするエリッククラプトンと同一人物に思えないのだ。
クリームってすごかったんですね。と改めて言われる。



そんな連中にもう一度曲を聴かせて、じっくりとベースとドラムに注目せよ!!という。
生き物のように躍動するジャックブルースのベースはエリッククラプトンと技を競い合っている。ツインギターで演奏しているがごとく凄いベースだ。血気盛んなプレーといえる。
ジンジャーベイカーと3人でケンカしているようにも感じられるが、バランスが意外にも均衡してしまう。
そして意趣卓越なるロック史上最高のプレイとなっている。

2005年に久々にクリームが再結成され、再度演奏する「クロスロード」を聴いた。
枯れた味を出すエリッククラプトンのプレイは昔とちがう円熟味のあるものだった。

3人揃ってもう一度やって欲しかったなあ!!

もう一度「ホワイトルーム」のジャックブルースの声を聴いてご冥福を祈りたい



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渡辺淳一死す (自分の渡辺淳一履歴)

2014-05-06 11:52:02 | 偉人、私の履歴書
渡辺淳一さんが先月30日に亡くなったと伝えられている。
よくあるように葬儀終了後の公表である。

中学時代から40年にわたって愛読した作家が亡くなるのはさみしい。
渡辺淳一との最初の出会いはテレビ番組であった。
田宮二郎、山本陽子主演の「白い影」は渡辺淳一の「無影燈」がベースになっている。

有名医大で将来を嘱望された医師が民間の病院にやってくる。男前の医師には次から次へと女が寄っていく。しかし、彼には秘密があった。がんに侵されているのである。民間病院であれば、がん患者に投与すると言って大量に痛みを和らげる注射(モルヒネかな?)を打つことができるのだ。結局は北海道の湖で自殺して自らの命をたつという話だけど、がん患者に対処する医師の使命について、若い医師と語りあう場面もあり実に面白い。田宮演じる医師に無情の響きを感じた。
中山麻里や田中真理、中野良子など当時我々が憧れた女優が演じる女性と次から次へと関係を結ぶ自由奔放な主人公がうらやましかった。

これから彼の本をむさぼり読むようになる。
何より読みやすい。短編から始まって次から次へと読んだ。
高校から大学生になっても同様に読みつづけた。「北都物語」に流れるやわらかいリズムに魅かれた。
ただ、その当時に彼の書いた作品がよく理解できるようになるのは30代後半をすぎたくらいだったかもしれない。むしろ40代になった時に「北都物語」を読みかえして主人公の気持ちに感情流入した。

その後「化身」「別れぬ理由」「阿寒に果つ」など映画化された作品も読んだ。
社会人になって最初に配属された先が東京駅そばで銀座の夜を楽しむようになった。
渡辺淳一作品によく出てくるホステスってこんな感じか?と思いながら遊びに出たが、まだまだ修行が足りないといった感じだった


自分が一番衝撃を受けたのは、野口英世の人生をドキュメンタリータッチで描いた「遠き落日」を読んだ時だ。

子供のころから野口英世は偉人として称賛されていたわけである。小さいときに手に大やけどをして不自由になりながらも努力してアメリカで伝染病の研究者として名をあげるという話は誰でも知っているだろう。でもこの小説を読んで「裏の野口英世」を知った。
金に無頓着で、地元会津の素封家に金の無尽をしまくるという構図はこの本を読むまで知らなかった。もちろん人並み以上に努力をするということが本の中から伝わるのであるが、今まで彼を偉人と聞いていたのは何なの?生活破たんでもいいの?という疑問が浮かび上がった。面白かった。映画化された時、野口のいい加減なところは一場面だけだった。

日経新聞を読むと、必ず「私の履歴書」に目を通す。そして下の連載小説にも目を通すが見ないことも多い。実際今の小説は筋すら知らない。そんな95年のある時、きわどい描写が書いてあるなあと名前をみると渡辺淳一だった。これは毎日読むようになる。
「失楽園」だ。これは連載を重ねるうちにエスカレートしていく。最終場面に近づいていくとき、どういう結末となるのかが楽しみになった。次に起きる場面の予測で読者をわくわくさせるのは連載小説の醍醐味である。映画化やテレビも見て、黒木瞳川島なおみもいい感じで悪くなかったが、連載時のワクワク度はなかった。

「愛の流刑地」「失楽園」と同様の刺激を与えてくれたが、さすがに「限界効用逓減の法則」になってしまった気がした。

最後に驚かせてくれたのが日経新聞「私の履歴書」である。2013年1月の連載であった。「私の履歴書」の連載を終えると、時間たたずに死ぬという印象を自分は持っている。家人も同じようなことを言っていた。自分の寿命を意識し始めた時が書き始め時なのか?ここではあからさまに若き日の恋愛を時間をかけて描写した。初恋の女学生との悲哀な恋に驚いた。看護婦に手をだす話なんて「無影燈」のネタ話だったのかな?おいおいこんなこと言っていいのかな?と思わせることも多く刺激が強かった。

ともかくいろんな刺激を与えてくれた人だった。
今朝テレビを見ていたら、黒柳徹子さんのインタビューが映されていた。私の亡き母が若い頃お世話になったTさんという方がいて、そのおばさんは自分が社会人になるまでよくしてくれた。夫を捨て、愛妾になったというその昔映画の元ネタになった自由奔放な女性だったという。
そのTさんが黒柳徹子さんの母上黒柳朝さんと仲が良かった。朝さんのエッセイにもTさんが出てくる。いずれも北海道出身で渡辺淳一さんの親族とつながっていたと聞いた覚えがある。母が何度もそのつながりを語ってくれたのだけど、関係がどうしても思い出せない。いずれにせよお互い同世代だった渡辺淳一さんと黒柳徹子さんは親しかったのであろう。テレビを見ながらそんなことを思っていた。

ご冥福を祈りたい。

参考作品
失楽園
究極の愛


化身
年下女性を育てる愉しみ


遠き落日
偉人野口英世と母との交情

淡路恵子死す

2014-01-13 11:37:32 | 偉人、私の履歴書
淡路恵子さんが亡くなったと伝えられている。
島倉千代子さんの時もブログに綴ったが、彼女は母より1つ年上で品川出身の同郷だけに一言書いておきたい。

晩年は口うるさい人生相談のおばさんでtvに登場することが多かった。
世紀の人気者中村錦之助(萬屋)と一時結婚していた。当時あれだけの人気者がバツイチ子持ちにもかかわらず、嫁にもらうくらいだから相当いい女だったというのがわかるだろう。

映画界へのデビュー作「野良犬」は黒澤明作品の中でも好きな映画である。
戦後まだ東京が荒廃から抜け切れていない中で撮られたこの映画の中でダンサーを演じる。
まだあどけない顔をした少女である。

それが10年しないうちに色気たっぷりの女性になる。
森繁久弥、加東大介、三木のり平といった面々と駅前シリーズを撮る。クレイジー映画でも常連だ。
まだ喜劇役者であった森繁社長が遊びに行くバーのマダムをやらせたら、天下一品である。

高峰秀子主演「女が階段を上る時」という成瀬巳喜男監督作品がある。
高峰秀子が気品ある銀座のママ役で、非常にいい味を出している作品である。
この映画では、高峰の店を独立して新しい店を開き、高峰の店から客を大勢奪っていくママ役を淡路が演じる。「野良犬」から10年たった姿が非常に美しい。

そのあと錦ちゃんと結婚する。
有馬稲子の後である。以前日経新聞「私の履歴書」で、有馬稲子さんが市川崑監督と不倫していたという重大告白をしたことがあった。そこでは、天真爛漫な錦ちゃんの振る舞いを書かれていたが、錦ちゃんにこっそり市川監督と浮気していた話だった。これを読んだ時淡路恵子はどう思っただろう。個人的にはそれが気になっていた。

別に淡路さんのファンというわけではないが、同郷のよしみと晩年のご苦労に敬意を表してご冥福を祈りたい。

島倉千代子死す

2013-11-08 19:56:57 | 偉人、私の履歴書
島倉千代子さんが亡くなったと報道されている。
自分よりも20以上も年上の方なのに、妙に気になってしまう。なぜだろう。


自分が子供のころ、自営だった父と一緒に実家の取引先によく集金についていった。
自宅のあった五反田から御殿山に車で向かい、八ツ山橋の横を通り品川駅前の通りに向かう。
現在の品川プリンスホテルの手前を左に曲がると、坂になっている。坂の途中に島倉千代子の家があった。
豪邸だったと記憶している。

父が「ここが、島倉千代子の家だ。すごい家だよなあ。旦那は阪神の野球選手だ。」と言っていた。
元阪神の藤本勝巳だ。品川駅のすぐそばだから遠征にもいい場所だったろう。
何度も同じところに行ったからよく覚えている。
八ツ山橋の横に森村学園があった気がする。それが山口百恵が住む高級マンションになった。
できたての時見に行った。その時、ついでに島倉千代子の家を見にいくと、そこにはもうなかった。

島倉千代子の恋人が医者だったというのは有名だ。
五反田の池上線のガード横にその眼医者があった。看板が印象的だった。
実はそのすぐそばの産婦人科で自分は生まれている。今はなんとラブホテルになっている。
失明寸前のところをその眼医者が救ったという恩義があったせいか、お金を貸してしまう。
そして島倉が借金を背負ってしまうのだ。悲劇としか言いようにない。

まさに「人生いろいろ」だ。
でも自分が一番好きな歌は「愛のさざなみ」だ。


このポップス調のアレンジがなんとも言えず、好きだ。
父も好きだった。

この動画は昭和43年暮れだ。この時自宅の中は真っ暗になりつつあった。
家長であった祖父のがんがわかったからだ。祖父と祖母はその43年9月目黒雅叙園で盛大に金婚式をやった。その直後だ。
家の中の変化は小学生の自分もよくわかった。
そして年が明け入院、4月に亡くなる。
家の中が真っ暗な時、なぜかこの歌が心に残った。

今月は母の命日で高輪の墓にいく。
全然関係ないかもしれないけど、昔島倉さんの家があったあたりで合掌しよう。

私の履歴書  水木しげる

2010-10-27 07:20:45 | 偉人、私の履歴書
水木しげるさんが文化功労者を受賞した。
テレビのインタビューでは冗談だと思うけど「もっと上の賞はないのかな?」と言っていた。
こういうキャラだからそれで良しとされるのであろう。

ひとつ前のブログで日経新聞「私の履歴書」に関する話題を取り上げた。
もう30年以上もこの連載読んでいるし、単行本になっている昔の「私の履歴書」も読んだ。
その上で個人のベストをあげると水木しげるさんの「私の履歴書」だ。
ちなみに今は「水木サンの幸福論」に載っている。

実におもしろかった!!
連載のとき朝が来るのが楽しみであった。

子供のころから出来が悪く、勉強は全く駄目。でも絵を描くのが好きだった。
小学校卒では芸大を受けられないので、受験資格を得るため大阪府立の園芸学校を受験することにした。
定員50人で受験者51人一人しか落ちないので当然大丈夫だと思ったら失敗
当然受かると思って発表も見に行かなかった。念のために父親が行くと名前がない。
いろいろ聞くと面接で失敗したようだ。でも父親は怒らなかった。

文章を読んでいると、父親と母親から受けたやさしい気持ちがにじみ出ている。
私の履歴書にでている写真がいい。
父親や母親と一緒に水木さんが写っている姿を見ると親からの愛情を感じ何とも言えない気分になる。
片腕なくして帰ったバカ息子をみて、文面に書いてある以上に、ご両親はつらかったろうなあ。

この履歴書の最大のピークは戦場の場面だ。
このシーンは日経私の履歴書上、日本シリーズで江夏と対決した西本監督の気持ちを語るシーンと両壁と個人的には思っている。

ラバウルの戦場に船で向かった。到着したのが最後の船であった。要はそのあとの船はすべて撃沈されたのであった。落第二等兵は戦場でも劣等ぶりを発揮する。そんな朝敵の襲撃を受ける。とっさに逃げる時から味方を発見するまでのシーンは実に劇的だ。戦場を逃げていく場面は文章なのにいかにも絵画的で読んでいる自分が同じような恐怖を感じた気がする。

この後も片腕を失う話や原住民と友達になるシーンも印象的だ。

運よく片腕で日本に戻ってからの闇屋稼業、紙芝居や貸し本漫画家として苦労話もおもしろい。
そんな中を運をつかむ。そして現在の水木しげるがある。


今の水木さんにはまだまだ運の風が吹いている。
でもこれって若いころの苦労があったからだと思う。

おめでとうございます。
これからもがんばってください。そして文化勲章がもらえるまで生きてください。

私の履歴書 大倉敬一

2010-10-25 21:12:54 | 偉人、私の履歴書
これはおもしろいなあ

人間っていろいろあると思う。
今年の私の履歴書みてもオービックの社長のように
がつがつした方がいいように思えるような人もいる。
でも今回は別の意味で楽しかった。

この人ってお坊ちゃん育ちなのかなって
それもかなり極致の
普通であれば殺されそうになる軍隊でもしごきを受けなかったり不思議だなあ。
個人的には興味深い。

という自分が気持ちが合うのかもしれない。
実は私にも小さい頃にはネンネがいた。
内気で、女の子のおままごと遊びにしか付き合ってもらえなかった。
大倉さんに辛い気持ちを語ってもらった気がする。

でも今はただのサラリーマン
大倉さんと違う。

日経新聞の「私の履歴書」を妻も好きである。
作曲家の遠藤実先生のときには相当しびれていた。
こんなに貧乏な人がいたって

でも貧乏な話やがつがつ仕事した話だけがいいわけではない。
今回は良かった。

大倉さん頑張って!
自分としてはかなり合う人みたい。
あと数日頑張って!

小室直樹  死す

2010-09-28 20:03:31 | 偉人、私の履歴書
小室直樹博士が亡くなった。というニュースが入った。
すでに4日に亡くなっていたようだ。

ここ最近の訃報では一番不思議な気持ちになった。
なぜなら、彼のことを学生時代より約30年追いかけていたからである。

何気なく書店でピックアップしたのが、「ソビエト帝国の崩壊」であった。
この本を読んで感銘を受けた。当時はまだ東西冷戦が残る時、ソビエトの存在が脅威に感じられていた。東欧諸国へにらみを利かせると同時に、アフガニスタン侵攻で世界を恐れさせた時代のソビエトの崩壊を予告する本の著述にはどきどきさせられた。

その後も「新戦争論」における本質的国連論、「中国」の特殊性と資本主義に向かう中国の矛盾、「超常識の方法」での数学の論理の話や山本七平との共著、田中角栄弁護論など彼の本が出ると真っ先に読んだ。いずれも感銘を受けた。
「危機の構造」における急性アノミーの話は今も影響を受ける。

彼の本を読むと、彼が学んだ大勢の碩学の話が出てくる。
マックスウェーバー研究の大塚久雄、戦後日本の政治学の重鎮丸山真男、経済学のサミュエルソンなど大勢の碩学の存在を知ったのも彼のおかげだ。小室直樹がいなかったら彼らの本を読もうとはしなかったと思う。

小室直樹に教えを受けたことはたくさんある。
その中で一番印象に残る話はヒトラーに関することだ。

ヒトラーが経済政策の天才であることを教えてくれたのは、小室直樹が初めてである。マッカーサー率いる進駐軍が道筋をつくった戦後教育では、ナチスが全否定されていたのは言うまでもない。実際ナチスの迫害についてはどうにもかばうところはない。
でも子供ながらに、あの賢いドイツ人が何でヒトラーを支持していたのかがわからなかった。第一次世界大戦後有名なハイパーインフレに悩まされ、経済的に疲弊していたドイツに対して、ヒトラーはシャハト博士とともに経済の処方箋を与えた。そしてなんと600万人以上いた失業者を一気にゼロにしてしまうのである。日本の社会科の教科書で、アメリカの大恐慌を救ったルーズベルト大統領の話が出るが、実際にはそれほど景気回復が達成されたわけではない。制限速度のない高速道路「アウトバーン」の建設や、国民車「ワーゲン」の振興、1936年のベルリンオリンピックでの巨大競技場の建設など次々に政策を実施して失業者をなくしたからヒトラーが国民に支持されたということを小室博士の本で知った。

小室直樹のことを語ろうとするとつきない。

小室がゼミを主宰すると、昼飯を食べずに一気に勉強したそうだ。理由は単純
その方が頭がきれるということだった。確かに昼飯食うと眠くなるもんね。
そこではハードに勉強していたみたい。
彼の本は初期の一部の本を除いては、やさしく読者にわかるように難しい学問を噛み砕いている。本当に頭のいい人っていうのは、難しいことを難しく語るだけでなく、難しいことを誰でもわかるように説明できるものだと思った。

おそらくは印税がかなり入ったはずだが、貧乏暮らしをあえてしていたそうだ。テレビに出ると、あの独特の奇声でしゃべるから誰もが奇人だと思う。彼こそ本当の意味での勉強好きだと思う。テレビもない部屋にいたのに講談調の話題にもたけていた。

ああいう本音でもの語る人がいなくなるのは本当にさみしいと思う。
品川の家の書斎に彼の本が大量に置いてあり、今の家には「昭和天皇の悲劇」しかない。
そこでは「天皇戦犯論」に立ち向かう著述がされており、戦争に負けた後も君臨した天皇を奇跡としている。家からピックアップしてもう一度読み返していただけに今回は驚いた。

ご冥福を祈りたい

早乙女愛死す 残念

2010-07-27 20:41:40 | 偉人、私の履歴書
早乙女愛が亡くなったと今朝の日経新聞に書いてあった。
驚いた。彼女に驚かされたのはこれで3度目である。

自分が10代前半のころ、梶原一騎原作「愛と誠」は当時とんでもない人気であった。
スポーツ根性物専門とも思えた梶原一騎が青春物の漫画の脚本を書いた。
クラスの悪友たちの話題はこの漫画の行く末でもちきりだった。
早乙女愛はその漫画のヒロインの名前である。人気絶頂だった西城秀樹の相手役が公募になった。
そして4万人もの多数の中から選ばれた彼女のかわいさに度肝を抜かれた。
こんなかわいい子が同世代にいるなんてすごいなあと思った。
最初に驚いたのはそのときである。



それから時間がたち、ある雑誌を見ていたら早乙女愛の水着姿が目に入った。
これも驚いた。胸の谷間をみて呆然とした。こんなすごいものが隠されていたとは。。。
まもなく、彼女はヌードになった。美しかった。



日活にも登場した。当時の10代の健康な男子であれば、みんなお世話になったはずだ。
その後はテレビドラマの常連となった。ちょっと性格の悪い女性を演じさせると
抜群にうまかった。

そして今回の記事には驚いた。
自分もそうだが、お世話になった今の40~50代の男たちは多いだろう。
日経新聞に写真入りで死亡記事が載っていたのも昔お世話になった記者たちが
弔う気持ちであろう。

謹んで哀悼の意を表したい。


芦田淳 私の履歴書

2009-08-12 20:48:19 | 偉人、私の履歴書
今月の日経新聞「私の履歴書」はデザイナーの芦田淳さんだ。
先月の加山雄三さんが面白かったのに引き続き、12日までいい展開だ。

日本領土であった朝鮮にて生まれ、裕福な開業医の末っ子として豊かな少年時代を送る。兄たちはいずれも旧制高校から一人を除いて旧帝国大学に進み、エリート街道まっしぐらであった。ところが、開業医の父が亡くなり、跡継ぎもいないため、朝鮮の財産を売り払い、日本に帰国する。兄たちはいずれも10以上の年上で、まだ小学生だった芦田氏は、母と共に兄たちの元に預けられる。しかし、兄たちと違って、芦田氏は劣等生。病気で一年遅れたあと、英語ができず旧制中学にして二年落第してしまう。芦田家にも戦争の影響は出てきて、羽振りのよかった少年時代と違い、きつい生活を送ることになる。しかも長兄が戦死。三兄は運良く出征を免れるが若くしてなくなってしまう。そんな中、小さいころからデザイン画を書くことが好きな彼は当時有名だったデザイナー中原淳一のもとに通いつめ、弟子になることに成功してチャンスをつかみかけているところである。

「私の履歴書」では東大に向けて、少しの努力であっさり入学してしまってそのままエリート街道まっしぐらの人もいれば、大学は当然いけず貧乏のどん底の中で這い上がろうとしている作曲家の遠藤実のような人もいる。芦田淳は後者に近いが、生まれはかなり恵まれている。勉強ができなくて劣等生ということでは水木しげると共通している。分野は違うが、絵を生涯の仕事にすることも一緒である。芦田氏の少年時代は育ちのよさそうなお坊ちゃん顔である。年が離れて生まれた末っ子なので、お母さんに大事に育てられたと思しき写真が毎回出ていた。デザイナー志望でのた打ち回っているときの写真になって初めて人相が変わってくる。

芦田淳は戦前の朝鮮で生まれている。「私の履歴書」では野村證券の田淵さん、電通の成田さんと朝鮮育ちの人が毎年一人出ている。こうしてみると戦前朝鮮が日本領土であった印象がますます強くなる。私が敬愛する作家の中島敦も朝鮮で高校まで行っている。戦争に入って一転して苦しい生活を送らざるを得なかった芦田家が、一つだけ運がよかったことがある。それは羽振りのよかった開業医の父が亡くなって、跡継ぎがいないので財産を売り払って日本に戻ったということだ。昭和16年とのこと。当然朝鮮にいれば財産は無くなってしまったわけであるから、運がよかったと思う。逆にもしも戦前のまま続いていたらどういうことになったのか?「もしも?で考えると面白い。」といったのは小泉信三先生。香港のように整然と返還とは行かず、結局ゲリラ戦で大荒れの国土になったであろう。

今日までは痛快な連載が続いた。「私の履歴書」はこのくらいまで面白いけれど、後が続かないときもあり、これからに期待したい。


加山雄三  私の履歴書

2009-07-29 09:02:45 | 偉人、私の履歴書
日経新聞「私の履歴書:加山雄三」も大詰めにかかってきた。ブログでも「エレキの若大将」と「赤ひげ」の2回紹介した。今日の連載はかの有名な「仮面ライダー事件」だ。
昭和61年の紅白歌合戦はリアルで見ていた。司会の加山雄三が少年隊の「仮面舞踏会」を紹介するときに、「仮面ライダー」と言ってしまったのだ。見ている方は「え!」という感じであった。しかし、言い訳もせずにそのまま進んだ。あれはあれでよかったのだと思う。今よりも紅白歌合戦の視聴率は高かったときであるし、NHKの権威も高かったから、いろいろといわれたかもしれない。でも笑えた。

若大将シリーズ全盛の後、叔父の経営する茅ヶ崎のホテルが倒産して、役員に入っていた加山にも借金の請求が容赦なくくる。逃げるようにアメリカに行く。そして女優の松本めぐみと結婚する。結婚式の場面はフジテレビ「スター千一夜」で見た覚えがある。そして、若大将シリーズが中断され、仕事がなくなっていく。スキー場で事故を起こして大怪我をする。たいへんだったと思う。キャバレー周りしかなかったという話もあった。こういうときよくがんばったと思う。

「私の履歴書」にはいろんなパターンがある。小さいときから若いときに極貧だった話は数多くあった。その場合一度浮かび上がるとそのままいってしまうことが多い。加山雄三の場合、リッチな少年時代を経て、大学をでて気がついたら大スターになる。30前半までは順調だった。そのあとのかなりきつい転落である。そこを救ったのが、池袋の深夜映画での「若大将ブーム」だという。映画館の中で加山ソングが流れると大拍手と喝采が起きる光景は話を聞いているだけで興奮する。いい仕事をやっていると誰かそれを思い出してくれる人がいるという訳だ。ただ単に流されていただけでなかった人にはツキも向いてくる。

人生を三角関数のカーブや波動に例える人がいた。加山雄三は大きなマイナスをつくったからこそ、70過ぎてもがんばっていられるのだと思う。マイナスが大きすぎると失脚する。しかし、それまでのプラスが大きかった分、その余韻が残っていた。マイナスをつくっていなかったもっときつい何かが起きたかもしれない。積分の面積計算で考えると、それまで莫大な量の面積をつくっていたのが、ある反動で面積がゼロに近くなってしまう。そこからの再出発である。阿佐田哲也の「9勝6敗説」もこれに近い。
加山さんにはこれからも熱い歌を歌ってほしい。

私の履歴書  成田豊

2008-08-23 07:09:48 | 偉人、私の履歴書
ここのところ毎朝楽しみなのは日本経済新聞朝刊裏面「私の履歴書」電通元社長成田豊氏の記述である。

私の履歴書も合わないなあと思うとまったく読まないが、これはなかなか面白い。
戦前、日本領だった朝鮮で旧制中学時代まで暴れん坊ですごし、引き揚げ後東大野球部で監督と対立して冷や飯を食った。貧乏学生で売血をしたら、結核だということが判明。
結核持ちなので、就職で当時の人気企業にことごとくふられ、大学の先輩に泣き付いて電通にすれすれはいる。
しかし、電通に入ってからは商才振りを発揮してめきめきと頭角を現す。また、その当時の電通中興の祖吉田社長や朝鮮時代からの友人作家梶山季之の逸話はおもしろい。ハチャめちゃ振りを発揮して銀座のバーの集金に頭を悩ますのは今の電通マンと変わらないが、吉田社長の「鬼十則」ではないが、大きな仕事を次から次に手がけて完結していくところはすごい。

素直な秀才ではなく、豪快な性格に魅かれる。
広告業に関するいくつかの記述も本当に参考になった。
あと一週間まだまだ楽しみだ。





阿佐田哲也の人生訓

2008-06-28 06:33:02 | 偉人、私の履歴書
この一ヶ月半ほど懸案だった問題が解決した。
昨日夜おそくまで相手先との打ち合わせがあった。

会社の役員まで巻き込んでの騒動、決裁書も面倒だったけど何とか回覧が進んでいる。でもこういうトラブルを一つ抱えているぐらいがいいのかもしれない。

人生「積分したら、プラスマイナスゼロ」いいことも悪いことある。
マージャンの聖人阿佐田哲也は言っていた。「9勝6敗」の人生の勧めを!これがなかなか難しい。「13勝2敗」くらいでいくのが一番よさそうに見えるけど、勝ちすぎは必ず反動がある。もちろん回りの反発もある。だから、どこかマイナスを作っておかねばならない。
ただ、マイナスの一敗が大きすぎて次に戦えなくなると支障がある。一敗の大負けも避けなければならない。軽い負けの積み重ねと勝ちのプラスで勝ち抜かねばならない。

財務省とかのキャリア組エリート官僚の連中は、小さいころから勝ちまくっている。司法試験合格をけって、役人になった連中も多いであろう。
でもそんな連中も今回のタクシー疑惑ではやられた人間も多いと思う。同じマイナスでもこれは痛い。13勝2敗の一敗の負けがでかい一例だろう。最近は会社も労基署からの取調べを恐れて、早く帰れってうるさい。昔から大蔵の役人は、遅くまで大臣の答弁の作文の作成その他で午前様で忙しくて帰れないなんて言っているけど、労基署の取調べってないのかな?と思っていた。矛盾あるね。
当然彼らが国家を支えている連中であることは承知しているけどね。

2級に引き続いて3級も合格通知が着たが、映画検定3級はほぼ満点に近かった。2つ間違えたけど、何だったろう。