映画「わたしは異邦人」を映画館で観てきました。
映画「わたしは異邦人」はトルコ映画、孤児で育った主人公が母を探して遺跡のある町を訪れる話だ。イスタンブールが映画の舞台になることは多いのに、同じ中東でもイラン映画に比べてトルコ映画が話題になる事は少ない。初めてトルコ映画を観るかもしれない。
直近でトルコ人ないしはクルド人を街で見かける事が多くなった。ケバブを中心としたトルコ料理の店も増えた。気のなる存在だ。もうトルコに行く機会もないかと思いつつ東京国際映画祭で評判になったというこの作品を観てみたくなった。女性監督のエミネ・ユルドゥルムの作品。
イスタンブールで孤児として育った主人公ダフネ(エズキ・チェリキ)は、古い写真を手掛かりに母を探して地中海の港町シデを訪れる。バスの中から付きまとうフセイン(バルシュ・ギョネネン)という男、元娼婦だった女(セレン・ウチェル)、言葉が話せない女性神官とともに古代遺跡が残るシデの町で母の行方を探す。
その3人はいずれも生者のように振る舞いながら現実と幻想の境をまたぐ「幽霊」であった。女性神官の導きでようやく観光ガイドをしている実母を見つけるが、若い頃の母の不鮮明な写真を見せて「あなたはわたしの母よ」と告げると母は態度を変え、その場を立ち去ってしまい主人公は落胆する。
不思議な肌合いをもつ映画
歴史のある町に肉親を探すために訪れた女性が生者と死者の共存する世界に遭遇する物語。
映画の前半にダフネはシデの町で3人の人物に出会い彷徨う。監督があえて隠していると思うが、状況がよくわからない。アタマの整理がつかないと思っていると、中盤から謎が解けたように全貌が明らかになる。徐々におもしろくなっていくのだ。
⒈シデの歴史的背景
トルコは人類文明における最古の地の一つだ。映画はシデの遺跡の周辺で物語が展開する。円形劇場(約1万5千人収容)はローマのコロッセウムを連想させる。ローマ帝国時代(2世紀頃)に建てられたと知り、その保存状態に驚く。日本は当時まだ神話時代で残っている建物はない。
シデ(Side)という町の名を初めて知る。トルコ南部で地中海に面する港町だ。紀元前7世紀にギリシア人によって建設され、ヘレニズム期からローマ帝国期にかけて繁栄した。その頃円形劇場やアポロン神殿が建設され交易港として栄えた。その後ビザンツ帝国時代を経てイスラム王朝時代になりセルジューク朝、オスマン帝国の支配下となる。現在は古代遺跡のある観光都市になっているが、シデの長い歴史が、映像に深い奥行きを与えている。
監督はこう言う。「土地の考古学的遺産や、古代の歴史が映像の中で際立つような脚本を書きたかったのです。」(東京国際映画祭監督インタビュー引用)
しかし、壮大な遺跡を観光的に映し出すのではなく、むしろ淡々と背景にとどめ、人間関係の断絶と再生に焦点を当てているのがこの映画の良いところだ。
今回はあえてネタバレを含みますのでご注意を。そうでないと映画の良さを説明できない。
⒉幽霊の扱い
エミネ・ユルドゥルム監督は太古の歴史と激動の現代をつなごうと試みる。 最初は正体が曖昧で、違和感の積み重ねが続く。しばらくして「やっぱり幽霊だ」と腑に落ちる構成になっている。自らを幽霊であると明かしたことで現実と幻想の境界での物語がおもしろくなる。 出会う3人は恐怖の存在ではなく、主人公を導き他者との関係を媒介する「仲間」として描かれる。幽霊といってもホラーではなくやさしい存在だ。村上春樹作品を読むような話の流れだ。
監督のインタビューを読むと
「遺跡に行ってみて、その場にいるかつての人々がまだいることを感じとることができるものなんですよ。古くから続く街だからこそ、そこで暮らしを営んできたかつての人々…いわゆる幽霊がいっぱいいると思ったので、その幽霊の話にしようと考えたんです。」(東京国際映画祭 インタビュー引用)
砂浜が広がる波の少ない地中海の海岸が舞台になる。この映画では 海は「この世とあの世の境界」なのだ。幽霊たちが海に入ることで観客に「静かに彼岸へ戻っていく」と明示する。同じ海を見た古代の昔の人の思いまで感じてしまう。
⒊母娘の断絶と和解
この映画におけるテーマの一つだ。
母親を探しに来た主人公ダフネはシデの町で娘との和解を願う元売春婦と出会う。娘は母親を軽蔑している。完全な拒絶状態だ。この時、普通に3人の会話を聞いて何なんだろう?訳がわからんと思った。しばらくして、母親がようやく幽霊だとわかる。強い後悔をもって娘と会っているのに娘は母親が見えないのだ。でも幽霊を見れる主人公は両方見れる。
母親を探しに来た主人公ダフネが仲間となった神霊から導かれてようやく母親に会える。劇的な場面になったと思ったらそうならない。母親がつれないのだ。怒った主人公はこの町をあわてて離れて家に帰る。映画は単純には進めない。しかし、TVで見た息子と別れた母親の「息子に会いたい」という切実な言葉に心を揺さぶられてもう一度シデに戻り和解する。母親から自分を産んだ時の事情も聞くのだ。
実は実母も幽霊を見られる存在で娘が受け継いでいるのだ。母娘のつながりは血縁だけでなく、「死者と共に生きる感覚」にまで及んでいる。エミネ・ユルドゥルム監督が計算しているのに感心した。
娼婦と娘の関係=拒絶から和解へ、主人公と実母の関係=拒絶から再会へ。
主人公は自らの和解と並行して、他者の母娘関係を取り戻す媒介者の役割も担う。母親はこの世の人物でないけど、和解に持ち込む。こんな母娘の物語が映画のテーマでもあった。