映画とライフデザイン

大好きな映画の感想、おいしい食べ物、本の話、素敵な街で感じたことなどつれづれなるままに歩きます。

映画「デトロイト」 キャスリン・ビグロー

2018-08-13 09:09:58 | 映画(洋画:2016年以降主演男性)
映画「デトロイト」は2018年日本公開のアメリカ映画

1972年7月デトロイトで起きた暴動騒ぎの時に、悪ふざけでニセ拳銃を撃った一部の黒人が暴動を鎮圧しようと警備に当たっていた警察により虫けらのように射殺される顛末とその後処理を描いている。


キャスリン-ビグロー監督ビン・ラディンの射殺の顛末を映像化したゼロ・ダーク・サーティ以来久々に長編映画のメガホンをとる。 個人的にゼロダークサーティのもつ緊迫感あるシーンが好きである。パキスタンのある家にビン・ラディンが住むと知り、綿密な計画を立て隠密に飛行機を飛ばし突撃するシーンは思わずドキドキしてしまう。ジェシカ・チャスティンが演じるCIA の分析官も名演である。

今回も実話に基づくドキュメンタリータッチで描く。淡々と悪夢の一夜を再現する。

1967年7月23日、アメリカ中西部の大都市デトロイトで、警察の横暴な捜査に地元住民が反発したことをきっかけに、大規模な暴動が発生した。市民による略奪や放火、銃撃を、警察だけでは鎮圧できず、ミシガン州が軍隊を投入したことで、デトロイトは戦場化する。


暴動発生から3日目の夜、比較的平穏な地域にあるモーテルで、宿泊客の1人が玩具の銃をふざけて鳴らしたところ、銃声として通報を受けた警察や州兵がモーテルに突入し、若い白人警官のクラウス(ウィル・ポールター)が無抵抗の黒人青年を射殺する。クラウスはそこには存在しない“狙撃犯”を見つけ出そうと、居合わせた8人の若者たちに非人道的な尋問を開始した。(作品情報引用)


映画の中で「ドラマティックス」という固有名詞が出てくる。知っているバンド名だ。自分が洋楽ポップスを聴き始めた1970年代前半、ヒットチャートマニアだった自分は「イン・ザ・レイン」というソウルのヒットナンバーに魅かれる。雨音の特殊音が印象的でそのあとソウルフルなスローバラードが流れる曲だった。もしかして、同じバンド?と調べたらその通りであった。残念ながら、この事件により軽快なフルセットボイスを披露したリードシンガーは辞めてしまう。なぜか?デトロイトのコーラスグループなのにドラマティックスがモータウンレーベルに属さない。それはこの事件が理由か?


焦点は警官の正当防衛である。今回、酷く黒人を射殺した警察官は結局無実となる。しかし、この映画の前半で、この事件の前にも正当防衛というよりも過剰防衛としてもおかしくない背後からの射殺の前科があることが示される。銃の所有が正当化されるアメリカではこの手の話はつきものだが、この警察官は異常なまでの人種差別主義者と目される。この映画を製作する背景として、同じような無実の黒人が白人警官により射殺される事例が増えているという。(映画com)引用


1967年のアカデミー賞作品賞は「夜の大捜査線」である。ミシシッピ州の田舎町は人種差別主義者の多い街である。その町にたまたま現れるシドニー・ポワチエ演じる黒人のエリート刑事が不条理な仕打ちを受けるが、結局地元の警察官ロッド・スタイガーと協力し合う。立場の違う2人の触れ合いを描く。ここでの映像を見て、60年代半ばの南部における人種差別の凄まじさを自分は知ることになる。

1968年のメキシコオリンピックでは人種差別に対抗して、陸上200mの表彰式で黒人メダリストが国旗掲揚時に抗議をしたことが今でも記憶に鮮明に残る。キング牧師が殺されたのも1968年だ。それから4年たっているが差別の流れは大して変わっていないだろう。


ただ、暴動が起きているのにスターターピストルを何度も撃って、警備に当たった警察を威嚇しようとした のは被害者にも問題があると言わざるをえない。悪ふざけではすまない行為だ。関与した警察官に大きな問題はあれど、被害者が悪ふざけしなかったらこんな事は起きていない。無罪にはそれなりの理由があると思う。

映画「スターリンの葬送狂騒曲」

2018-08-12 06:42:42 | 映画(欧州映画仏以外 )
映画「スターリンの葬送狂騒曲」を映画館で観てきました。


1953年スターリンが亡くなったあと、スターリンショックという株の大暴落が日本で起こった。これにより朝鮮戦争が落ち着き、景気を牽引してきた戦争特需がなくなるのでは?という連想だそうだ。でも当のソ連のトップは後釜狙いの権力闘争で大騒ぎだ。この映画はだいたい史実に基づいている。この映画のいいところは、その史実をコメディタッチで描いているところだろう。内容はエグいが笑えるシーンも多い。

一応後継者になるがオタオタするマレンコフ、マレンコフをたてるフリをして虎視眈々とトップを狙うフルシチョフ、秘密警察の親分で粛正を指導してきたベリヤなど、突然意識を失ったスターリンの後釜問題で大あらわだ。


時は1953年、モスクワ。この国を20年にわたって支配していたスターリンは側近たちと夕食のテーブルを囲む。道化役の中央委員会第一書記のフルシチョフ(スティーヴ・ブシェミ)の小話に大笑いする秘密警察警備隊長のベリヤ(サイモン・ラッセル・ビール)。スターリンの腹心のマレンコフ(ジェフリー・タンバー)はすぐに場をシラケさせてしまう。


明け方近くまで続いた宴をお開きにし、自室でクラシックのレコードをかけるスターリン。無理を言って録音させたレコードに、ピアニストのマリヤ(オルガ・キュリレンコ)からの「その死を祈り、神の赦しを願う、暴君よ」と書かれた手紙が入っていた。スターリンは読んだ瞬間、顔をゆがめて倒れ込む。

朝になりお茶を運んできたメイドが、意識不明のスターリンを発見し、すぐに側近たちが呼ばれる。驚きながらも「代理は私が務める」と、すかさず宣言するマレンコフ。側近たちが医者を呼ぼうと協議するが、有能な者はすべてスターリンの毒殺を企てた罪で獄中か、死刑に処されていた。仕方なく集めたヤブ医者たちが、駆け付けたスターリンの娘スヴェトラーナ(アンドレア・ライズブロー)に、スターリンは脳出血で回復は難しいと診断を下す。その後、スターリンはほんの数分間だけ意識を取り戻すが、後継者を指名することなく、間もなく息を引き取る。


この混乱に乗じて、側近たちは最高権力の座を狙い、互いを出し抜く卑劣な駆け引きを始める。表向きは厳粛な国葬の準備を進めながら、マレンコフ、フルシチョフ、ベリヤに加え、各大臣、ソビエト軍の最高司令官ジューコフまでもが参戦するが。。。
(作品情報一部引用)


1924年レーニン亡き後、トロツキーと権力争いをした後にスターリン書記長が自らに権力をを集中させソ連のトップとなる。そしてトロツキーばかりでなくスターリンの反対思想を持つ者は全て粛正されてしまうのである。当時のソ連で失脚する人たちの姿がいくつかの映画で描かれる。ニキータ・ミハルコフ「太陽に灼かれて」はその中でもピカイチの出来だ。忠実な軍人までが連行されることもある。スターリンは権力をとって以来、粛清で対立する勢力を押さえつけてきた。今でこそヒトラーにひけをとらない独裁者というが、世間には公表されていないことも多い。しかも、戦後の日本の知識人にはアカが多く、フルシチョフによるスターリン批判があった後でも支持されていた時期すらある。実際にはヒトラーの人後に落ちないとんでもない野郎だ。

映画でもスターリンが列挙した粛正リストに載る面々を収容所で次から次へと銃殺するシーンが出てくる。スターリン死亡の後、目の前で次々射殺されていたのに突然中止になり助かる処刑者の姿を映し出すのには笑える。ニキータ・ミハルコフ「太陽に灼かれて」でもわかるように、ちゃんとした反発の証拠があるわけではない人でも引っ張られる。むちゃくちゃだ。


映画ではフルシチョフ、ブルガーニン、マレンコフといった世界史の教科書には欠かせないソ連の指導者が登場する。この後、11年たってブレジネフが書記長となり権力を持つと同時にフルシチョフは失脚。誰もが権力を失った途端に失脚の道を歩む。韓国の大統領の末路も酷いもんだが、ソ連も同じようなもんだ。ここでも、ベリヤに至っては濡れ衣といってもいいような状態で、失脚どころか殺されてしまう。北朝鮮だけでなく他の共産主義国にもそういう部分は残っているだろう。アカ連中の権力闘争は怖い。

こういうのを見て町の駅で共産党のビラ配っているアカババアどもは共産主義がいかにひどいものかと理解できるのであろうか?対岸の火事と思ってわからないだろうなあ。

太陽に灼かれて
スターリンの粛清で壊れる家庭(ブログ記事)

映画「ミッションインポッシブル/フォールアウト」 トム・クルーズ

2018-08-11 20:23:12 | 映画(洋画:2016年以降主演男性)
映画「ミッションインポッシブル/フォールアウト」を映画館で観てきました。

千両役者トム・クルーズの登場だ。十八番ミッションインポッシブルとなれば見逃せない。離陸する飛行機にくっついて1500mまで上昇するというすごいシーンを見せた前回ローグ・ネイションは十分楽しませてもらった。今回は主にパリが舞台で、相変わらずの度肝を抜くアクションは変わらない。



IMFのエージェント“イーサン・ハント”(トム・クルーズ)と彼のチームは、盗まれた3つのプルトニウムの回収を目前にしていた。だが、突如現れた何者かの策略で仲間の命が危険にさらされ、その最中にプルトニウムを奪われてしまう。イーサンとIMFチームは、プルトニウムを再び奪い返し、複数の都市の“同時核爆発を未然に防ぐ新たなミッション”を受ける。この事件の裏側には、シンジケートの生き残り勢力が結成したアポストル(神の使徒)が関連しており、手がかりは“ジョン・ラーク”という正体不明の男の名前と彼が接触する“ホワイト・ウィドウ”(ヴァネッサ・カービー)と呼ばれる謎めいた女の存在のみ。だが今回のミッションに対しイーサンの動きを不服とするCIAは、敏腕エージェントのウォーカー(ヘンリー・カヴィル)を監視役に同行させることを条件とした。


イーサンはホワイト・ウィドウの信頼を得るため、やむなく収監中の敵“ソロモン・レーン”(ショーン・ハリス)の脱走に手を貸すが、その影響で味方の女スパイ“イルサ”と対立してしまう。一方、同行するウォーカーはイーサンへの疑惑を深め、二人はやがて対決の時を迎える。
やがてタイムリミットが刻一刻と迫る絶体絶命の中で、チームの仲間や愛する妻の命まで危険にさらされる等、いくつもの〈フォールアウト(余波)〉がイーサン・ハントに降りかかる・・・。 (作品情報引用)

破壊力のある核爆弾を奪いとり、爆発の危機から救うというのが今回のミッションだ。しかし、登場人物のキャラがセリフからは理解不能。しかも、スパイ映画特有の敵味方入り乱れる構図だけにストーリー内容もよくわからない。それでも、危機一髪の状態をギリギリのところで回避して、ミッションを遂行するという最終形だけは明らかだ。いつも通り、アクションを活劇として気楽に楽しむという気分でいればいいような気がする。


⒈ロケ地
成層圏外の輸送機からパラシュートで突入するのはパリだ。凱旋門、セーヌ川、エッフェル塔とパリの主要エリアで暴れまわるトムクルーズをくまなく映し、街の中で派手なカーチェイスを見せる。凱旋門のまわりを逆走してしまう。日本でもそうだが、歴史の古い街は道が狭い。その狭い道を全速力で駆け抜ける。ヒヤヒヤものである。以前マット・デイモンのボーンシリーズでも、同じようなセーヌ川の近辺エリアでカーチェイスを見せてくれぶったまげた。パリって随分と映画ロケに対して寛容なんだと思う。


爆弾奪還に向けてインドカシミールに向かう。日本人的にはカシミールというとカレーだ。東京湯島にあるデリーの激辛カレーはカシミールカレーという名だ。おいしい!その独特の辛味が脳裏に浮かぶ。映される映像はアルプスの山奥を思わせる雪景色、そこで飛び立つヘリコプターにギリギリへばりつくトムクルーズのアクションが光る。最後に映る北欧フィヨルドを思わせる断崖絶壁の風景が美しい。演じるトムクルーズは大変そうだけど。

⒉アクションの見せ場
全世界の映画ファンいやミッションポッシブルのファンはアクロバットなアクションを期待して映画館に向かう。今回もその期待は裏切らない。まずは成層圏の飛行機からの脱出。空気が薄いというよりもほとんどない。そこを酸素マスクをつけて飛び降りる。下手をすると失神してもおかしくない。しかも、パラシュートもなかなか開かない。地上までもうすぐだ。ドキドキする。


あとはパリの古い建物の屋上をいつもながらのトムクルーズ走りで駆け抜けて、助走をつけて隣のビルに飛び移るシーンだ。このシーンでトムクルーズは骨折したらしい。これも本気でやっているとすると凄いな!我々はトムクルーズ独特の走りを見て、旧友に会うようになんかホッとしてしまう。それと、カシミールでのヘリコプターアクションと断崖絶壁での格闘だ。ヒッチコックの映画以来、こういう絶壁での格闘で危うく落ちそうになるというのが古典的な映画の文法、バットマンもスパイダーマンも映画のラストに向けて高所での戦いがつきものだ。今回も映画の文法に忠実だが、カシミールの絶壁を横からそして俯瞰して見る映像にドキドキする。


ボンドガールという呼び名があるが、ミッションインポッシブルの場合どうなんだろう。今回はレベッカファーガソン、ミッシェルモナハンと以前に同シリーズ出演の女性が再登場する。前作同様レベッカファーガソンの格闘技アクションが光る。味方だか敵だか判りずらい組織の女性トップを演じるヴァネッサ・カービーもいい感じで使われており相変わらずこれら美女が映画に色どりを与える。


それしてもトムクルーズはいくらギャラもらっているんだろう。これだけ危機一髪の状態をスタントなしで演じるのはちょっと飛び抜けた額じゃないと割が合わないなあ。プロヂュースのところに名前があったが、興行収入も大事だよね。祈り!大ヒット。

映画「かくも長き不在」 アリダ・ヴァリ

2018-08-05 15:04:30 | 映画(フランス映画 )
映画「かくも長き不在」は1961年のフランス映画


かくも長き不在という映画の名前はキネマ旬報ナンバー1になったということで聞いたことがある。dvdがなくご縁がなかった。tsutaya復刻というのはいつもながらありがたい。デジタル化されたせいか、実に映像が鮮明だ。名画座で擦り切れたようなフィルムを見るよりはマシだ。

戦争で離れ離れになった夫が16年の年月を経て、妻の目の前に現れるが夫は記憶喪失になっているという話である。

アルジェリア戦線の話がちまたの話題になる1960年代前半のパリ、カフェを営む女主人エリーズ(アリダ・ヴァリ)は切り盛りよく客をさばいている。まわりには彼女をお目当てにしている男も多い。そんな彼女の店の前を1人の浮浪者(ジョルジュ・ウィルソン)が通りすぎる。たまたま見つけて驚くエリーズ、16年前戦争をきっかけに別れた元夫にそっくりである。 店の女店員に声をかけさせ、冷たいものを飲みませんか?と店の中に連れ込む。エリーズはこっそり隠れて男を見る。どうやら間違いないようだ。と思った隙にいつの間にか飛び出している。


エリーズは男の後をずっと追う。すると、 雑誌や本を街でひろいながら 河のそばの掘立小屋で生活していることがわかる。おそるおそる様子をうかがう。男は毎日のようにエリーズの店の前を通っていた。勇気を振り絞って男に声をかけてもエリーズが誰だかわからない。記憶をなくしているようだ。

エリーズは昔の知人によく似ていると言って男に近づく。 周り人たちはエリーズの動きを奇妙と感じるが、エリーズは賭けに出る。店のジュークボックスにあるレコードをオペラに替える。思い出の曲だ。大音量で鳴らして、男がどう反応するのか?その場には男の母親も同席させるのであるが。。。


アリダ・ヴァリ「第三の男」での美貌が印象的、テーマソングが高らかに流れるなか並木を1人つんと澄まして歩くシーンは映画史上有数の名シーンだ。もちろん面影はあるが、ふっくらしておなかに肉がついた姿は別人のようである。ただ、 熟女ものAV 好きなら見ようによってはエロいように感じるかも?


映画の見初めではおばさんモードが強かったが、元夫に近づくようになるにつれて、若干色づいてくる。この映画は映像が鮮明なので色気じみてくる。変化がくっきりしてくる。元夫を自分のカフェに招待して食事をふるまったり、ダンスをするシーンはなかなか趣きがある。


別れた夫との再会というと、「ひまわり」ソフィア・ローレンの姿を思いうかベる。戦争で別れ別れになった夫とソ連で感動的な再会をするシーンは涙ものだ。同じイタリアのアリダ・ヴァリソフィア・ローレンは雰囲気が似ている。

ネタバレになるので言えないが、最後に向けての展開はなかなかだ。このわずかな時間ですべてを集約してしまうところがすごい。

映画「悪女」

2018-07-18 17:43:20 | 映画(韓国映画)
映画「悪女」は2017年日本公開の韓国映画


韓国得意のクライムアクションだ。小さい頃から格闘の訓練を受けてきた女が、犯罪組織から国家の秘密警察へ立ち位置を変えながら、敵味方入り乱れる争いに巻き込まれる話である。スタントもいるであろうが、主人公はスタミナのいる格闘シーンをこなす。悪女というと、一連の「ゆりかご」や「蜘蛛女」のレナオリンのような女を思い浮かべる。この映画は違う。強い女だけど、悪い女ではない。

犯罪組織の殺し屋として育てられたスクヒ(キム・オクビン)は、育ての親ジュンサン(シン・ハギュン)にいつしか恋心を抱き、結婚する。甘い新婚生活に胸躍らせていた矢先、ジュンサンは敵対組織に無残に殺害されてしまい、逆上したスクヒは復讐を実行。しかしその後、国家組織に拘束されてしまい、政府直属の暗殺者として第2の人生を歩み始める。やがて新たに運命の男性に出会い幸せを誓うが、結婚式の日に新たなミッションが降りかかり――(作品情報引用)


いきなり格闘シーンから始まる。カメラは大勢いる相手のみを映す。ゾンビのように次から次へと敵が現れるが、バッタバッタと倒していく。これは強いな!と思わせるシーンで観客の目を引かせる。ようやく女が映像の中に姿を現すのはしばらく経ってからだ。ゴツイ難敵と戦う場面となる。猛獣のような相手だ。それでも徹底的にやり尽くした後で階下に降りる。そこには警察官が大勢で待っていた。さすがに身柄を拘束される。


時間軸を前後に軽く振る。いくつかの回想シーンを交える。最初の格闘が何であったか?ということを説明するかのように。元々ある犯罪組織で格闘訓練された女だ。小さい頃に親が刺客の襲撃を受け、一人ぼっちになり、怪しい組織の中で育つ。そして育ての親が敵対組織にやられた後で、復讐のためヤクザ組織に乗り込むのだ。スタートはそのシーンだ。


結局警察に捕まる。懸命に留置所からの脱出を試みるが追手に捕まる。できる女と見込まれ、国家の秘密組織で訓練を受ける。女だけの組織だと意地悪な奴もいる。それもかわしながら、プロとしての力を蓄える。そして、これを終えたらシャバに戻してやると言われ、射的を定めると、そこには見慣れた男の顔があった。


アクションシーンが凄い。全速力で映画の間中駆け抜けるキム・オクビンは魅力的な女だけど、それを演出する監督の腕も大したものだ。

映画「レッド・スパロー」 ジェニファー・ローレンス

2018-07-16 07:17:41 | 映画(洋画:2013年以降主演女性)
映画「レッド・スパロー」は2018年公開のアメリカ映画


ジェニファー・ローレンスがロシアのスパイを演じるという。おもしろそうだ。アカデミー賞主演女優賞を受賞して着々と大女優の道を歩むが、まだまだ若い。とっさにシャーリーズ・セロンが最近演じた「アトミックブロンド」を連想する。ここでのセロンはムキムキの筋肉派できっちり鍛えて迫力ありなかなか見ごたえがある。それと比べると、若干落ちるかな。ただ、脇役陣がなかなか個性的でいい味を出しているのに助けられている。

スパローとはロシア語でスズメだ。これをもって女スパイに読み替える。元ロシアの外交官だった佐藤優の著作にもロシア秘密警察によるハニートラップの話はよく出てくる。ここでは予備学校で育成されるスパローを映し出す。


ボリショイ・バレエ団のドミニカ(ジェニファー・ローレンス)は、本番中に負った大怪我により再起不能になってしまう。ロシア情報庁幹部の叔父・ワーニャ(マティアス・スーナールツ)にある弱みを握られた彼女は、スパイの養成学校に送られ、自らの肉体で相手を誘惑し、心理操作する技術を学ぶ。スパロー(女スパイ)となった彼女に与えられた任務は、ロシア情報庁の上層部に潜む、アメリカとの内通者を見つけ出すことだった。その人物と通じているCIA捜査官のナッシュ(ジョエル・エドガートン)にブダペストで接触すると、2人は強く惹かれ合うようになる。そしてアメリカのみならず、母国からも命を狙われる立場になってしまう。(作品情報引用)


話のテンポは序盤からわるくない。最初バレリーナだった主人公の可憐な姿を映し、舞台上での接触事故で足を大けがする様子やその後後任のプリマドンナが男性ダンサーと親しくするのを見て、大暴れした後に別の道に入っていく姿を簡潔に映し出す。

その後の養成所での鍛錬が面白い。素人がスパイに育て上げられる過程の話はたまにある。でもハニートラップを含めた教育というのは意外に少ない。男を骨抜きにして秘密を得るためのスパイ指導をするのがシャーロット・ランプリングだ。これがなかなかいい味をだしている。


シャーロットランプリングといえば、最近では老人同士のふれあい映画で見かけることが多い。フランソーズオゾン監督映画でいい味を出す。自分でベストと思うのは、ポールニューマン主演「評決」である。当時まだ30代、これがまたいい女だ。できの悪いポールニューマン演じる弁護士が不利な訴訟に立ち向かう中、謎の女が現れ、適切な助言を与えてストーリーメイキングをする。今とは想像できないくらい色っぽい。

ジェニファーローレンスもかなりいいギャラをもらっているであろう。昔の東映で池玲子や杉本美樹が演じたような軽く汚れたお色気シーンもこなす。シャーリーズ・セロンのようなシャープさはない。脂もタップリのっているような全裸もご披露する。ワニ分署の若き日の横山エミーを連想させる。この辺りは目の保養だが、シャーロットランプリングがご指導する男扱いの心理戦を身につけ、徐々にプロになる。研修後の実技も含めて見ていて面白い。


そこに絡むのはロシアの情報局の幹部である主人公のおじさん役マティアス・スーナールツだ。これがプーチン大統領に似たいかにもロシア人ぽい顔である。でも、喋るのは英語、仕方ないけどなんか不自然。それでもこの男もいい味を出す。

最後に向けては途中で結末が見える。昔フランス映画で「密告」というアンリ−ジョルジュ−クルーゾー監督の傑作があったが、街中を騒がせる告発文書を書いているのは誰か?と真犯人を追う映画だ。途中まで読めなかったが、ある時点で「密告」と同じだなと思う。ストーリーの定跡にかなった展開だった。

映画「否定と肯定」レイチェル・ワイズ

2018-07-15 17:50:39 | 映画(洋画:2013年以降主演女性)
映画「否定と肯定」は2017年の英国映画


二次世界大戦中のホロコーストといえば、ナチスドイツによるユダヤ人虐殺として繰り返し取り上げられる。当時のナチスドイツ幹部は戦後生き延びても捕まって裁判を受け裁かれる。ハンナアーレントの映画では逃げ切れず逃亡先で捕まった元ナチス幹部アイヒマンの裁判がテーマになった。

ところが、アウシュビッツ刑務所でのユダヤ人惨殺が本当にあったのかと異議を唱える学者もいるという。英国の歴史学者デイヴィッド・アーヴィングだ。その学者がホロコーストの悲惨さを訴える学者デボラ・リップシュタットに対して、自分への批判を名誉毀損として訴える裁判を起こすというのがこの映画の主題だ。南京大虐殺があったか?なかったか?という話のドイツ版というべきか。

1994年、アメリカのジョージア州アトランタにあるエモリー大学でユダヤ人女性の歴史学者デボラ・E・リップシュタット(レイチェル・ワイズ)の講演が行われていた。彼女は自著「ホロコーストの真実」でイギリスの歴史家デイヴィッド・アーヴィング(ティモシー・スポール)が訴える大量虐殺はなかったとする“ホロコースト否定論”の主張を看過できず、真っ向から否定していた。アーヴィングはその講演に突如乗り込み彼女を攻め立て、その後名誉毀損で提訴という行動に出る。


異例の法廷対決を行うことになり、訴えられた側に立証責任がある英国の司法制度の中でリップシュタットは〝ホロコースト否定論“を崩す必要があった。彼女のために、英国人による大弁護団が組織され、アウシュビッツの現地調査に繰り出すなど、歴史の真実の追求が始まった。

そして2000年1月、多くのマスコミが注目する中、王立裁判所で裁判が始まる。このかつてない歴史的裁判の行方は…(作品情報引用)


最初はこんなの相手にするな!と主人公のユダヤ人教授リップシュタットは無視していたら、虐殺はなかったとするアーヴィング教授自身が大学の講義に乱入して反論を述べたり、巧みなマスコミ誘導で主人公に不利な場面をつくる。しかも、訴訟を提起した場所は英国である。英国では被告人が自分の無罪を証明する反証を出す必要がある。相手は手強い。これまでもこういう裁判を乗り越えてきた。一流の弁護団と乗りきる必要がある。手弁当という訳にはいかない。金も必要だ。それでも、全世界に散らばるユダヤ人から援助の申し出がある。入念に準備して裁判に立ち向かう。


悪戦苦闘を描いた映画だ。
映画でも取り上げられるが、アウシュビッツ刑務所内でのホロコーストの指摘に対して、細かい矛盾点をピックアップしながら原告アーヴィング教授は対抗者を論破して乗り切ってきた。被告人であるリップシュタットのもとには自分が証人台に立つという被害に遭われた人たちが訪れる。彼女は証人として被害者を登壇させようとする。しかし、それは原告の思うツボだと言って、弁護団は断固拒否する。当惑する主人公だ。何で被害者を証人申請できないのと訴えてもダメだ。どうやってしのぐのであろう。


法廷劇としては見ごたえがある映画だ。映画「情婦」のチャールズ・ロートンの緩急自在な演技を思わせる法廷弁護士のトム・ウィルキンソンの名演が光る。ただ、どうしても主人公に共感できない。嫌いなタイプの女だ。常に女のいやらしいところばかりさらけ出す。そんなところは苦手だ。

映画「ギフテッド」 クリス・エヴァンス&マッケナ・グレイス

2018-07-15 08:43:21 | 映画(洋画:2013年以降主演女性)
映画「ギフテッド」は2017年公開のアメリカ映画


孤児になってしまった数学の天才少女をめぐり、育ての親である叔父とその叔父や実母の親である祖母の間で娘の養育権を争うという話である。誰が育てるのが望ましいという問題提起がストーリーの根底に流れる。

独身のフランク(クリス・エヴァンス)は、フロリダの海辺の町でボートの修理で生計を立てながら、生後すぐに母(=フランクの姉)を亡くした姪のメアリー(マッケナ・グレイス)と、片目の猫と楽しく暮らしている。メアリーが7歳になり学校に通い始めて間もなく、数学の“ギフテッド(天才)”である彼女は問題児になってしまう。周りは特別な教育を受けることを勧めるが、フランクは「メアリーを普通に育てる」という姉との約束を守っていた。しかし、天才児にはそれ相応の教育を望むフランクの母イブリン(リンゼイ・ダンカン)が現れ、フランクとメアリーの仲を裂く親権問題にまで発展していく


小学校に少女が通うようになるが、彼女にとって初歩しか教えない授業は退屈だ。周りは1桁の足し算がやっとなのに、2桁の足し算や掛け算をスラスラ答える。担任は驚く!もっと難しいレベルの問題を担任が与えてもこなす。父親はよくバーでたむろっている優男だ。

担任は名前をネットで追っていくと、同姓に数学の天才女性の名前を見つける。どうやら、その数学の天才女性は少女の母親で、父親と称している男はその数学の天才女性の弟ということがわかる。この親の元で育った方がいいのか?一般レベルに合わせた授業を受けるのではせっかくの数学の才能がもったいないのでは?と担任教師は男性に近づいていく。



数学の才能が天才的でという設定は意外に多い。どれもこれも面白い。ここで他とちょっと違うのは、少女が快活で明るく人の気持ちもわかるということ。映画にでてくるこの手の天才は、人付き合い苦手な自閉症タイプが多い。この辺りがちょっと違うかな?

それにしても、こんな小さな女の子が難しい数式を書くのはたいへんだったのでは?∫∫積分マークにせよ、指数関数 の底eやそのべき乗 など、普通の数字すら書くのがやっとな女の子が普通は書けないよね。微分方程式が好きだなんて出てくる。父親もそれなりの素養があるとはいえ、7歳までほぼ独学でここまでのレベルまで達することができるかどうかは疑問だな。突っ込むとなるとそこだ。

でも、その天才少女を普通に飛び級で大学レベルまでの教育をさせてしまうシステムがあるのが、日本とアメリカの違い。公平という言葉が浸透してしまい、なかなか日本では難しいが、これから先はどうなるのか?


映画にスパイスを与えるのはアフリカ系名女優オクタビアスペンサーだ。どの映画に出ても特別な存在感を示す。隣人で主人公の数少ない理解者だ。そんな隣人がいても母親と息子が争う。その対決を法廷で行うということに別に金がからんでいるわけではない。双方に言い分がある。どちらもごもっともだ。こんなパターンいやだな。


映画「万引き家族」 是枝裕和&リリー・フランキー&安藤サクラ、

2018-06-03 17:06:27 | 映画(日本 2015年以降)
映画「万引き家族」を映画館で観てきました。

カンヌ映画祭パルムドールを受賞した是枝裕和監督の作品である。先行公開であるが、当然映画館に向かう。題名からして社会の底辺の人たちを描いているのは読み取れる。しかし、この家族は本当の家族ではない。かといって、園子温の「紀子の食卓」の『レンタル家族』とも違う。リリー・フランキー、安藤サクラ、樹木希林の3人がそろっただけで映画の質の高さが想像できる。

いきなりスーパーでリリー・フランキーと息子と思しき子供がコンビを組んで、監視員の目をかいくぐり巧みに万引きを成功させるシーンが映し出される。観客にまず印象付けるのだ。家ではその成果品を持ってくるのを待っている昭和の匂い漂う古家に住む3人の家族がいる。一連の是枝作品と似たような展開と感じながら、話の流れを追う。

再開発が進む東京の下町のなか、ポツンと残された古い住宅街に暮らす一家。日雇い労働者の父・治(リリー・フランキー)と息子の祥太(城桧吏)は、生活のために“親子”ならではの連係プレーで万引きに励んでいた。

その帰り、団地の廊下で凍えている幼い女の子を見つける。思わず家に連れて帰ってきた治に、妻・信代(安藤サクラ)は腹を立てるが、ゆり(佐々木みゆ)の体が傷だらけなことから境遇を察し、面倒を見ることにする。祖母・初枝(樹木希林)の年金を頼りに暮らす一家は、JK見学店でバイトをしている信代の妹・亜紀(松岡茉優)、新しい家族のゆりも加わり、貧しいながらも幸せに暮らしていたが……。 (作品情報引用)


最近話題の幼児虐待もこの映画のポイントだ。団地の外でたたずむ少女の身体にはやけどの跡がある。きっと食べ物をろくに食べさせてもらえないのかと感じ、家に引っ張り思い切り食べさせると、夜にうんこを漏らしてしまう。自宅に返そうとしたら夫婦喧嘩の声を聞き、もう一度戻してしまう。これも一種の誘拐だが、これを見て悪いことをしていると感じる観客もいないだろう。ときおり、幼児虐待の事件をテレビニュースで観て、なんと無責任な奴らと感じるが、かわいそうなのは子供である。


フランスの著名な新聞『フィガロ』がカンヌパルムドールという栄誉ある賞の受賞を安倍総理大臣が祝福しないのはおかしいという記事を書いている。しかし、この映画を見ていて、政治が悪いからこんな奴らがいるんだという主張があるようには見えない。社会のひずみでこういうドロップアウトした連中というのが一定数必ずいるもんだ。これは古今東西必ずいるわけで、政治のせいでも何でもない。格差社会というなら、その昔はもっと貧しく、こういう人たちはもっといた。安倍さんも気にせずに祝福すればいいのにと思う。それともバカな昭恵夫人の一言余計なパフォーマンスを恐れているのか??

印象的なシーンがいくつかあった。柄本明が営む駄菓子屋でよく翔太が万引きをしていた。今回もつれてきた女の子と一緒に店に入ってきて、女の子が万引きをする。見て見ぬふりをしていた店主も、「妹にこんなことをさせるなよ」とアイスキャンディーをよこすシーンがある。これをきっかけに翔太に心境の変化が起こる。脳裏に残るシーンだ。

あとは、リリーフランキーと安藤サクラがちょっかい出しながら、くっついてしまうシーンだ。油がのった30代の熟れた身体をあらわにする安藤サクラもなまめかしいが、子供たちが帰ってきて真っ裸の2人が大慌てするシーンがおかしい。

映画「笑う故郷」

2018-05-30 16:24:02 | 映画(欧州映画仏以外 )
映画「笑う故郷」はアルゼンチン、スペイン合作の作品である。


ノーベル文学賞を受賞した作家が故郷のアルゼンチンの小さな町に帰った時に起こるドタバタを描いている。
平昌オリンピックでメダルをとった選手たちが故郷に帰るとパレードで大歓迎される。そんな構図はテレビで見てきた。仙台で10万人を超える見学者が出たという羽生さん、北海道のそれぞれの町で歓迎を受けた高木姉妹やカーリングの選手など。この映画のノーベル賞作家ダニエルもいったんは歓待を受けるが、そのあとはあまりいいことが続かない。それどころか大変な災いを被る。そんな話である。

スペインマドリードに住むノーベル文学賞を受賞した主人公ダニエルは自作が書けずモヤモヤしていた。そんな彼には講演依頼が殺到するが、引き受けることはなかった。長年戻っていない故郷アルゼンチンの町から名誉市民として表彰したいという便りがくる。これだけはという思いから、1人向かうこととなる。 ブエノスアイレスから車で7時間もかかる道を車で向かうが途中でタイヤがパンク。前途多難と心配する。


現地に着くと、市民が集まる中歓迎集会が開かれ、ミスコンの女王、市長から表彰を受け、たいへんな名誉とダニエルは感激する。そのあとは消防車で凱旋パレードだ。そのあと、昔好きだった彼女と再会する。


彼女は同じ幼なじみのアントニオと結婚していた。他にも美術展のコンクールの審査員になったり、方々から金の無心を受けたりと忙しい。しかも、ホテルの部屋にファンだという若い女の子が乱入してくる。

それにしても、途中から主人公が故郷の人から受ける仕打ちはやってられないの一言だ。でもそれらの話が最後のオチでゲームセットになる。ここでは書かないが、これこそ笑えてしまう。

この作品を見て思い出すのは、中国の作家魯迅「故郷」である。自分が中学校を卒業してから40年以上たつのに 中学3年生の教科書に今でもあるというのもすごい。実際訳もいいのか趣がある。国語の授業でのやり取りがいまだに脳裏に残る。主人公がしばらく離れていた故郷に帰ってみると、荒れ果てていて昔の面影がない。仲良しだった旧友も落ちぶれている。こんなはずではなかったという話はまさにこの映画「笑う故郷」に通じるではないか。おそらくは、原題『名誉市民』と違うこの題をつけた人は明らかに「魯迅」を意識したと感じる。

「思うに希望とは、もともとあるものともいえぬし、ないものともいえない。それは地上の道のようなものである。もともと地上には道はない。歩く人が多くなれば、それが道になるのだ」(魯迅 故郷の一節)
このフレーズは印象的であった。このフレーズに対しての感想を述べたら、国語の女教師から絶賛された思い出があるので忘れられない。

何で魯迅の「故郷」が中学校3年の教科書に今もあるのか?小中学校時代、成績が悪い人もいい人もいて、いい意味でフラットな立場だったのが、進学校に進学する人もいれば、昔であればそのまま中卒で就職する者もいる。その人たちがいずれ故郷に戻り、再会するときまでに、それぞれが道をつくってほしいという希望を教育者たちがもっているからなのであろうか?

この映画を見てそんなことを思った。