映画とライフデザイン

大好きな映画の感想、おいしい食べ物、本の話、素敵な街で感じたことなどつれづれなるままに歩きます。

映画「きみの鳥はうたえる」 柄本佑&染谷将太&石橋静河

2018-09-20 21:11:47 | 映画(日本 2015年以降)
映画「きみの鳥はうたえる」を映画館で観てきました。


函館出身の作家佐藤泰志の芥川賞候補作品「きみの鳥はうたえる」の映画化である。原作は未読。海炭市叙景、そこのみにて光輝く、オーバー・フェンスと佐藤泰志原作の映画化作品はいずれも傑作であった。函館の町を舞台に社会の底辺をさまよう人たちに存在感を持たせる。今回も期待して映画館に向かう。

結果としては、前の3作ほど良くはなかった。でも、この映画でも若い3人の若者が函館の街に放たれている。寂れつつも独特の存在感を持つ函館の街の匂いが映画全面に漂う。クラブやビリヤード場の映像は今までの作品になかったところ、猥雑で喧噪な若者のたまり場に流れる雰囲気はいい感じだ。函館山や路面電車を3人のバックの映像にチラチラ登場させるのを見ると、直近に三度函館で遊んだ自分はなんかわくわくしてしまう。

調べると、この題ってビートルズ「And your bird can sing 」の日本語訳ですってね。アルバム「リヴォルバー」の中にあるジョン・レノンの曲、ジョンとジョージのツインギターで軽快に始まるジョン・レノンのヴォーカルが印象的な自分の好きな曲だけど、映画の中じゃ全然流れなかったなあ。全く気づかなかった。


函館郊外の書店で働く「僕」(柄本佑)は、失業中の静雄(染谷将太)と小さなアパートで共同生活を送っていた。ある日、「僕」は同じ書店で働く佐知子(石橋静河)とふとしたきっかけで関係をもつ。彼女は店長の島田(萩原聖人)とも抜き差しならない関係にあるようだが、その日から、毎晩のようにアパートへ遊びに来るようになる。こうして、「僕」、佐知子、静雄の気ままな生活が始まった。


夏の間、3人は、毎晩のように酒を飲み、クラブへ出かけ、ビリヤードをする。佐知子と恋人同士のようにふるまいながら、お互いを束縛せず、静雄とふたりで出かけることを勧める「僕」。

そんなひと夏が終わろうとしている頃、みんなでキャンプに行くことを提案する静雄。しかし「僕」は、その誘いを断り、キャンプには静雄と佐知子のふたりで行くことになる。次第に気持ちが近づく静雄と佐知子。函館でじっと暑さに耐える「僕」。3人の幸福な日々も終わりの気配を見せていた……。 (作品情報引用)


アパートで同居する男2人に女の子が絡まる函館が舞台の青春映画、僕と佐知子が何気ないきっかけでぐっと近づいていく。2人が働く本屋の店長と付き合っていたのに、佐知子は気がつくと若い僕との付き合いが楽しくなる。僕の同居人の静雄も加えて夜通し遊んでいくうちに静雄にも情が移る。三角関係になるわけだ。でも、激しい葛藤があるわけではない。淡々とストーリーが流れる。起伏の少なさが若干物足りない。

石橋静河がいい。石橋凌と原田美枝子の娘と聞くと驚くが、何となく面影はある。かわいい。ここでは柄本佑と軽い絡みを見せるが、バストトップは見せない。若くして大胆に脱いだお母さんとは違うなあ。母娘バストの形は似るというが、24歳だからかまだ出し惜しみだ。


クラブのシーンでは、ソロで踊ったりする。うまいというわけではないが、まあ味のあるダンスを踊っていると思ってプロフィルを見たら、一応はダンサーという肩書きもあるんだね。萩原聖人演じる中年の店長と不倫関係にあるという設定だけど、不自然さがない。大人びている。親も親なんでませた人生送ってきたんだろう。この若い2人がともに好きになってしまうような女の子ってこんな感じなのかな。最後の余韻は悪くない。

映画「響 HIBIKI」 平手友梨奈&北川景子

2018-09-17 17:57:02 | 映画(日本 2000年以降主演女性)
映画「響 HIBIKI」を映画館で観てきました。

これは面白い。
コミックの原作の実写化である。文才のある高校1年生の響という名の少女が芥川賞と直木賞の候補になるなんて設定が面白そうと思い映画館に向かう。もちろん原作は未読。北川景子、小栗旬、柳楽優弥の主演級を脇役に退け檜坂46の平手友梨奈が主演を務めるが、これがいい。にやりともせずに、自分の世界で生きている。


ジャンル分けとしての大衆文学、純文学の境目というのはあいまいだけど、芥川賞と直木賞を同時受賞いうのも常識的に考えてありえないんじゃないかな?そのこと自体で少女の天才ぶりを示すということなんだろう。ここでは、鮎喰響の家庭を映しださない。父も母も姿を見せない。高校一年で親と同居しているのに出てこないというのは普通だとありえない。余計な設定は省略して、次から次へと主人公響の奇異な行動を列挙して映し出す。

そんな非現実であってもこの映画は痛快だ。原作者柳本光晴の着想に感心する。

響(平手友梨奈)は高校に進学し、クラブ活動必修ということで男友達と文芸部の部室に向かう。そこにはタバコを吸う不良たちがたむろい異様な雰囲気であった。入部したいという響に対して、親分格の不良が無理だと伝えると、響が逆らい不良が怒る。暴力を振るおうとするととっさに響は不良の指を折る。翌日、 部室に向かうと1年先輩の祖父江リカ(アヤカ・ウィルソン)がいた。その後紆余屈折を経て結局、響は文芸部員となる。


一方、編集者の花井ふみ(北川景子)は文芸誌の新人賞の準備にかかっていた。データで配信が必須という中で、封筒で送られてきた原稿を見つける。読んでみると、稀なる文才を感じさせる作品だ。しかし、封筒に鮎喰響という差出人名だけで発送元住所が書いていないので連絡のつけようがなく困っていた。その後、響から電話がかかってくるが、ふみの感想を伝えると一方的に切られたのだ。

ベストセラー作家祖父江秋人(吉田栄作)の新作が発売され、圧倒的な人気となっている。しかし、発行元はライバル出版社であった。編集長は祖父江の高校生の娘が小説を書きはじめたと聞きつけ、娘をきっかけに祖父江に近づこうとふみを祖父江の自宅に向かわせる。家に入ると、祖父江の書斎でたむろう少女を見つける。ここはあなたのいる場所でないとふみが叱責すると、何で出て行かねばならないのかと一悶着が起きた時に、偶然少女が鮎喰響だとわかり、ふみは驚く。祖父江秋人の娘が先輩のリカであったのだ。

その後、ふみは鮎喰響が新人賞をとると確信し、接触するようになる。各審査員の評判もいい。しかし、自分がムカつくことに暴力を振るう響の行為に戸惑う。それでも、一緒に発表の日を待つわけであるが。。。


TVのワイドショーではパワハラ、セクハラ、暴力指導の問題が蔓延している。呆れるくらいだ。たしかに、暴力を振るうのは良くないが、ちょっとした指導でもマスコミ総動員で叩くのはどうかと思うと世の中も思っているのではかしら?この主人公は少しでもムカつくと相手に暴力で対抗する。かよわい少女なのに格闘的な才能を持つということになっている。妙に我慢を重ねるわけでなく、ムカつく奴は叩きのめす。映画を見ていて逆にスカッとしてしまう。

一連の脇役
北川景子はTVドラマ「家売るオンナ」で演じた表情を変えない敏腕不動産屋営業ウーマンと全く真逆の常識人である。文芸誌「木蓮」においては編集者として新人発掘するのが大事な仕事である。悪態つく鮎喰響のしでかした尻拭いにも徹する。こういう役もいいかも?

社長にごまする高嶋政伸の編集長役もいい感じだ。

小栗旬は肉体労働をしながら、一人で悶々と原稿を書きシコシコ芥川賞を狙う売れない作家という設定だ。「苦役列車」の西村賢太のようなものだ。編集者に励まされながら、日夜パソコンで原稿を打ち続ける髪の毛ボサボサの小説家を演じる。普段演じる役と若干違うのも悪くない。


柳楽優弥はピザ屋でフリーターをしながら、創作に励む小説家の設定だ。勤め先でも屁理屈をこねて逆らう嫌なやつ。新人賞を争った鮎喰響に強烈な皮肉を言い一悶着が起きる。「ディストラクション・ベイビーズ」で見せた圧倒的な暴力での強さぶりとは別の面を見せたのがご愛嬌


映画「寝ても覚めても」 東出昌大&唐田えりか

2018-09-02 17:54:35 | 映画(自分好みベスト50)
映画「寝ても覚めても」を映画館で観てきました。


予想外の展開に余韻が残ってしまいました。
柴崎友香の原作の映画化で、カンヌ映画祭に出品、東出昌大が一人二役という情報だけで映画館に向かいました。もちろん原作は未読で。先入観なしで、ストーリーを追った。途中まで、それなりの起伏はあったが、比較的平坦に進む。それが一転、あっと驚かされる。近来にないおすすめのラブ・ストーリーである。

泉谷朝子(唐田えりか)は大阪の川ぺりで鳥居麦(東出昌大)と運命的な出会いをする。2人は付き合うようになり、友人の岡崎(渡辺大知)や春代(伊藤沙莉)とともによく遊んでいた。買い物に行くといって夜帰ってこなかったり、麦は突発的な行動をとることがあった。そうして、急に行方をくらましてしまうのであった。


2年後、泉谷朝子は麦への思いを断ち切れないままに上京し喫茶店で働くようになる。朝子はある会社の会議室へコーヒーを届けにいくと、恋人鳥居麦に顔がそっくりな丸子亮平(東出昌大一人二役)と出会い驚く。いきなり、朝子は麦と語りかけるがちがう。それ以来、2人は街で何度も出くわすようになる。ぎこちない態度をとる朝子に惹かれていく亮平。真っ直ぐに想いを伝える亮平に、戸惑いながら朝子も惹かれていく。しかし、朝子は亮平に元恋人のことを告げられずにいた。

5年後、亮平と朝子は共に暮らすことになる。亮平の会社の同僚・串橋(瀬戸康史)や、朝子とルームシェアをしていたマヤ(山下リオ)と時々食事を4人でとるなど、平穏な日々を過ごしていた。ある日、亮平と朝子は出掛けた先で大阪時代の朝子の友人・春代と出会う。7年ぶりの再会に、亮平の顔を見て春代は驚く。麦とそっくりなので。大阪で親しかった春代も、麦の遠縁だった岡崎とも疎遠になっていた。その麦の現在の消息を朝子は春代から知ることになるのであるが。。。


1.唐田えりか
唐田えりかは久々に登場する逸材である。まだ20歳、今回は20代後半の設定と思しき世代まで演じる。ナチュラルメイクで、際立った清涼感を持つ。あえて言えば、若かりしときの深田恭子が近いであろうか?今回は比較的控えめな女の子を演じていくが、突如として大胆になる。このときの意外性あるパフォーマンスに将来性を感じる。今後、引っ張りだこになる可能性が高い。どちらかというと男性の保護本能をくすぐるタイプで、一般女性が陰で意地悪しそうなタイプかな?
映画では2人の友人役に対照的な女性を起用して補っている。



2.突然現れる同じ顔

映画を観ていて、一人二役の東出昌大が出てきたとき、いくつかの映画を思い浮かべた。ヒッチコック「めまい」キム・ノヴァック演じるいったん自殺したはずの女性にそっくりな女性がジェームズ・スチュワート演じる主人公の前に姿を現すシーン、「かくも長き不在」で戦争に行って行方不明になった夫が突然「第三の男」のヒロイン、アリダ・ヴァリ演じる妻の前に長い時間を経て現れるシーン。

要は同一人物じゃないかという連想をさせたのだ。実は映画の終盤に向かうまで、そういうことなのかと思っていた。その時、突如行方不明だった麦(バク)の存在がわかる。ここからがこの映画のヤマである。こういうもっていき方をするのか?と正直びっくりしてしまう。まさに肩透かし。これは観てのお楽しみであるが、その展開には驚いた。すごいと思わせる。

最後の余韻、これもよかった。もちろん、東出昌大は好演である。

映画「デトロイト」 キャスリン・ビグロー

2018-08-13 09:09:58 | 映画(洋画:2016年以降主演男性)
映画「デトロイト」は2018年日本公開のアメリカ映画

1972年7月デトロイトで起きた暴動騒ぎの時に、悪ふざけでニセ拳銃を撃った一部の黒人が暴動を鎮圧しようと警備に当たっていた警察により虫けらのように射殺される顛末とその後処理を描いている。


キャスリン-ビグロー監督ビン・ラディンの射殺の顛末を映像化したゼロ・ダーク・サーティ以来久々に長編映画のメガホンをとる。 個人的にゼロダークサーティのもつ緊迫感あるシーンが好きである。パキスタンのある家にビン・ラディンが住むと知り、綿密な計画を立て隠密に飛行機を飛ばし突撃するシーンは思わずドキドキしてしまう。ジェシカ・チャスティンが演じるCIA の分析官も名演である。

今回も実話に基づくドキュメンタリータッチで描く。淡々と悪夢の一夜を再現する。

1967年7月23日、アメリカ中西部の大都市デトロイトで、警察の横暴な捜査に地元住民が反発したことをきっかけに、大規模な暴動が発生した。市民による略奪や放火、銃撃を、警察だけでは鎮圧できず、ミシガン州が軍隊を投入したことで、デトロイトは戦場化する。


暴動発生から3日目の夜、比較的平穏な地域にあるモーテルで、宿泊客の1人が玩具の銃をふざけて鳴らしたところ、銃声として通報を受けた警察や州兵がモーテルに突入し、若い白人警官のクラウス(ウィル・ポールター)が無抵抗の黒人青年を射殺する。クラウスはそこには存在しない“狙撃犯”を見つけ出そうと、居合わせた8人の若者たちに非人道的な尋問を開始した。(作品情報引用)


映画の中で「ドラマティックス」という固有名詞が出てくる。知っているバンド名だ。自分が洋楽ポップスを聴き始めた1970年代前半、ヒットチャートマニアだった自分は「イン・ザ・レイン」というソウルのヒットナンバーに魅かれる。雨音の特殊音が印象的でそのあとソウルフルなスローバラードが流れる曲だった。もしかして、同じバンド?と調べたらその通りであった。残念ながら、この事件により軽快なフルセットボイスを披露したリードシンガーは辞めてしまう。なぜか?デトロイトのコーラスグループなのにドラマティックスがモータウンレーベルに属さない。それはこの事件が理由か?


焦点は警官の正当防衛である。今回、酷く黒人を射殺した警察官は結局無実となる。しかし、この映画の前半で、この事件の前にも正当防衛というよりも過剰防衛としてもおかしくない背後からの射殺の前科があることが示される。銃の所有が正当化されるアメリカではこの手の話はつきものだが、この警察官は異常なまでの人種差別主義者と目される。この映画を製作する背景として、同じような無実の黒人が白人警官により射殺される事例が増えているという。(映画com)引用


1967年のアカデミー賞作品賞は「夜の大捜査線」である。ミシシッピ州の田舎町は人種差別主義者の多い街である。その町にたまたま現れるシドニー・ポワチエ演じる黒人のエリート刑事が不条理な仕打ちを受けるが、結局地元の警察官ロッド・スタイガーと協力し合う。立場の違う2人の触れ合いを描く。ここでの映像を見て、60年代半ばの南部における人種差別の凄まじさを自分は知ることになる。

1968年のメキシコオリンピックでは人種差別に対抗して、陸上200mの表彰式で黒人メダリストが国旗掲揚時に抗議をしたことが今でも記憶に鮮明に残る。キング牧師が殺されたのも1968年だ。それから4年たっているが差別の流れは大して変わっていないだろう。


ただ、暴動が起きているのにスターターピストルを何度も撃って、警備に当たった警察を威嚇しようとした のは被害者にも問題があると言わざるをえない。悪ふざけではすまない行為だ。関与した警察官に大きな問題はあれど、被害者が悪ふざけしなかったらこんな事は起きていない。無罪にはそれなりの理由があると思う。

映画「スターリンの葬送狂騒曲」

2018-08-12 06:42:42 | 映画(欧州映画仏以外 )
映画「スターリンの葬送狂騒曲」を映画館で観てきました。


1953年スターリンが亡くなったあと、スターリンショックという株の大暴落が日本で起こった。これにより朝鮮戦争が落ち着き、景気を牽引してきた戦争特需がなくなるのでは?という連想だそうだ。でも当のソ連のトップは後釜狙いの権力闘争で大騒ぎだ。この映画はだいたい史実に基づいている。この映画のいいところは、その史実をコメディタッチで描いているところだろう。内容はエグいが笑えるシーンも多い。

一応後継者になるがオタオタするマレンコフ、マレンコフをたてるフリをして虎視眈々とトップを狙うフルシチョフ、秘密警察の親分で粛清を指導してきたベリヤなど、突然意識を失ったスターリンの後釜問題で大あらわだ。


時は1953年、モスクワ。この国を20年にわたって支配していたスターリンは側近たちと夕食のテーブルを囲む。道化役の中央委員会第一書記のフルシチョフ(スティーヴ・ブシェミ)の小話に大笑いする秘密警察警備隊長のベリヤ(サイモン・ラッセル・ビール)。スターリンの腹心のマレンコフ(ジェフリー・タンバー)はすぐに場をシラケさせてしまう。


明け方近くまで続いた宴をお開きにし、自室でクラシックのレコードをかけるスターリン。無理を言って録音させたレコードに、ピアニストのマリヤ(オルガ・キュリレンコ)からの「その死を祈り、神の赦しを願う、暴君よ」と書かれた手紙が入っていた。スターリンは読んだ瞬間、顔をゆがめて倒れ込む。

朝になりお茶を運んできたメイドが、意識不明のスターリンを発見し、すぐに側近たちが呼ばれる。驚きながらも「代理は私が務める」と、すかさず宣言するマレンコフ。側近たちが医者を呼ぼうと協議するが、有能な者はすべてスターリンの毒殺を企てた罪で獄中か、死刑に処されていた。仕方なく集めたヤブ医者たちが、駆け付けたスターリンの娘スヴェトラーナ(アンドレア・ライズブロー)に、スターリンは脳出血で回復は難しいと診断を下す。その後、スターリンはほんの数分間だけ意識を取り戻すが、後継者を指名することなく、間もなく息を引き取る。


この混乱に乗じて、側近たちは最高権力の座を狙い、互いを出し抜く卑劣な駆け引きを始める。表向きは厳粛な国葬の準備を進めながら、マレンコフ、フルシチョフ、ベリヤに加え、各大臣、ソビエト軍の最高司令官ジューコフまでもが参戦するが。。。
(作品情報一部引用)


1924年レーニン亡き後、トロツキーと権力争いをした後にスターリン書記長が自らに権力をを集中させソ連のトップとなる。そしてトロツキーばかりでなくスターリンの反対思想を持つ者は全て粛清されてしまうのである。当時のソ連で失脚する人たちの姿がいくつかの映画で描かれる。ニキータ・ミハルコフ「太陽に灼かれて」はその中でもピカイチの出来だ。忠実な軍人までが連行されることもある。スターリンは権力をとって以来、粛清で対立する勢力を押さえつけてきた。今でこそヒトラーにひけをとらない独裁者というが、世間には公表されていないことも多い。しかも、戦後の日本の知識人にはアカが多く、フルシチョフによるスターリン批判があった後でも支持されていた時期すらある。実際にはヒトラーの人後に落ちないとんでもない野郎だ。

映画でもスターリンが列挙した粛清リストに載る面々を収容所で次から次へと銃殺するシーンが出てくる。スターリン死亡の後、目の前で次々射殺されていたのに突然中止になり助かる処刑者の姿を映し出すのには笑える。ニキータ・ミハルコフ「太陽に灼かれて」でもわかるように、ちゃんとした反発の証拠があるわけではない人でも引っ張られる。むちゃくちゃだ。


映画ではフルシチョフ、ブルガーニン、マレンコフといった世界史の教科書には欠かせないソ連の指導者が登場する。この後、11年たってブレジネフが書記長となり権力を持つと同時にフルシチョフは失脚。誰もが権力を失った途端に失脚の道を歩む。韓国の大統領の末路も酷いもんだが、ソ連も同じようなもんだ。ここでも、ベリヤに至っては濡れ衣といってもいいような状態で、失脚どころか殺されてしまう。北朝鮮だけでなく他の共産主義国にもそういう部分は残っているだろう。アカ連中の権力闘争は怖い。

こういうのを見て町の駅で共産党のビラ配っているアカババアどもは共産主義がいかにひどいものかと理解できるのであろうか?対岸の火事と思ってわからないだろうなあ。

太陽に灼かれて
スターリンの粛清で壊れる家庭(ブログ記事)

映画「ミッションインポッシブル/フォールアウト」 トム・クルーズ

2018-08-11 20:23:12 | 映画(洋画:2016年以降主演男性)
映画「ミッションインポッシブル/フォールアウト」を映画館で観てきました。

千両役者トム・クルーズの登場だ。十八番ミッションインポッシブルとなれば見逃せない。離陸する飛行機にくっついて1500mまで上昇するというすごいシーンを見せた前回ローグ・ネイションは十分楽しませてもらった。今回は主にパリが舞台で、相変わらずの度肝を抜くアクションは変わらない。



IMFのエージェント“イーサン・ハント”(トム・クルーズ)と彼のチームは、盗まれた3つのプルトニウムの回収を目前にしていた。だが、突如現れた何者かの策略で仲間の命が危険にさらされ、その最中にプルトニウムを奪われてしまう。イーサンとIMFチームは、プルトニウムを再び奪い返し、複数の都市の“同時核爆発を未然に防ぐ新たなミッション”を受ける。この事件の裏側には、シンジケートの生き残り勢力が結成したアポストル(神の使徒)が関連しており、手がかりは“ジョン・ラーク”という正体不明の男の名前と彼が接触する“ホワイト・ウィドウ”(ヴァネッサ・カービー)と呼ばれる謎めいた女の存在のみ。だが今回のミッションに対しイーサンの動きを不服とするCIAは、敏腕エージェントのウォーカー(ヘンリー・カヴィル)を監視役に同行させることを条件とした。


イーサンはホワイト・ウィドウの信頼を得るため、やむなく収監中の敵“ソロモン・レーン”(ショーン・ハリス)の脱走に手を貸すが、その影響で味方の女スパイ“イルサ”と対立してしまう。一方、同行するウォーカーはイーサンへの疑惑を深め、二人はやがて対決の時を迎える。
やがてタイムリミットが刻一刻と迫る絶体絶命の中で、チームの仲間や愛する妻の命まで危険にさらされる等、いくつもの〈フォールアウト(余波)〉がイーサン・ハントに降りかかる・・・。 (作品情報引用)

破壊力のある核爆弾を奪いとり、爆発の危機から救うというのが今回のミッションだ。しかし、登場人物のキャラがセリフからは理解不能。しかも、スパイ映画特有の敵味方入り乱れる構図だけにストーリー内容もよくわからない。それでも、危機一髪の状態をギリギリのところで回避して、ミッションを遂行するという最終形だけは明らかだ。いつも通り、アクションを活劇として気楽に楽しむという気分でいればいいような気がする。


⒈ロケ地
成層圏外の輸送機からパラシュートで突入するのはパリだ。凱旋門、セーヌ川、エッフェル塔とパリの主要エリアで暴れまわるトムクルーズをくまなく映し、街の中で派手なカーチェイスを見せる。凱旋門のまわりを逆走してしまう。日本でもそうだが、歴史の古い街は道が狭い。その狭い道を全速力で駆け抜ける。ヒヤヒヤものである。以前マット・デイモンのボーンシリーズでも、同じようなセーヌ川の近辺エリアでカーチェイスを見せてくれぶったまげた。パリって随分と映画ロケに対して寛容なんだと思う。


爆弾奪還に向けてインドカシミールに向かう。日本人的にはカシミールというとカレーだ。東京湯島にあるデリーの激辛カレーはカシミールカレーという名だ。おいしい!その独特の辛味が脳裏に浮かぶ。映される映像はアルプスの山奥を思わせる雪景色、そこで飛び立つヘリコプターにギリギリへばりつくトムクルーズのアクションが光る。最後に映る北欧フィヨルドを思わせる断崖絶壁の風景が美しい。演じるトムクルーズは大変そうだけど。

⒉アクションの見せ場
全世界の映画ファンいやミッションポッシブルのファンはアクロバットなアクションを期待して映画館に向かう。今回もその期待は裏切らない。まずは成層圏の飛行機からの脱出。空気が薄いというよりもほとんどない。そこを酸素マスクをつけて飛び降りる。下手をすると失神してもおかしくない。しかも、パラシュートもなかなか開かない。地上までもうすぐだ。ドキドキする。


あとはパリの古い建物の屋上をいつもながらのトムクルーズ走りで駆け抜けて、助走をつけて隣のビルに飛び移るシーンだ。このシーンでトムクルーズは骨折したらしい。これも本気でやっているとすると凄いな!我々はトムクルーズ独特の走りを見て、旧友に会うようになんかホッとしてしまう。それと、カシミールでのヘリコプターアクションと断崖絶壁での格闘だ。ヒッチコックの映画以来、こういう絶壁での格闘で危うく落ちそうになるというのが古典的な映画の文法、バットマンもスパイダーマンも映画のラストに向けて高所での戦いがつきものだ。今回も映画の文法に忠実だが、カシミールの絶壁を横からそして俯瞰して見る映像にドキドキする。


ボンドガールという呼び名があるが、ミッションインポッシブルの場合どうなんだろう。今回はレベッカファーガソン、ミッシェルモナハンと以前に同シリーズ出演の女性が再登場する。前作同様レベッカファーガソンの格闘技アクションが光る。味方だか敵だか判りずらい組織の女性トップを演じるヴァネッサ・カービーもいい感じで使われており相変わらずこれら美女が映画に色どりを与える。


それしてもトムクルーズはいくらギャラもらっているんだろう。これだけ危機一髪の状態をスタントなしで演じるのはちょっと飛び抜けた額じゃないと割が合わないなあ。プロヂュースのところに名前があったが、興行収入も大事だよね。祈り!大ヒット。

映画「かくも長き不在」 アリダ・ヴァリ

2018-08-05 15:04:30 | 映画(フランス映画 )
映画「かくも長き不在」は1961年のフランス映画


かくも長き不在という映画の名前はキネマ旬報ナンバー1になったということで聞いたことがある。dvdがなくご縁がなかった。tsutaya復刻というのはいつもながらありがたい。デジタル化されたせいか、実に映像が鮮明だ。名画座で擦り切れたようなフィルムを見るよりはマシだ。

戦争で離れ離れになった夫が16年の年月を経て、妻の目の前に現れるが夫は記憶喪失になっているという話である。

アルジェリア戦線の話がちまたの話題になる1960年代前半のパリ、カフェを営む女主人エリーズ(アリダ・ヴァリ)は切り盛りよく客をさばいている。まわりには彼女をお目当てにしている男も多い。そんな彼女の店の前を1人の浮浪者(ジョルジュ・ウィルソン)が通りすぎる。たまたま見つけて驚くエリーズ、16年前戦争をきっかけに別れた元夫にそっくりである。 店の女店員に声をかけさせ、冷たいものを飲みませんか?と店の中に連れ込む。エリーズはこっそり隠れて男を見る。どうやら間違いないようだ。と思った隙にいつの間にか飛び出している。


エリーズは男の後をずっと追う。すると、 雑誌や本を街でひろいながら 河のそばの掘立小屋で生活していることがわかる。おそるおそる様子をうかがう。男は毎日のようにエリーズの店の前を通っていた。勇気を振り絞って男に声をかけてもエリーズが誰だかわからない。記憶をなくしているようだ。

エリーズは昔の知人によく似ていると言って男に近づく。 周り人たちはエリーズの動きを奇妙と感じるが、エリーズは賭けに出る。店のジュークボックスにあるレコードをオペラに替える。思い出の曲だ。大音量で鳴らして、男がどう反応するのか?その場には男の母親も同席させるのであるが。。。


アリダ・ヴァリ「第三の男」での美貌が印象的、テーマソングが高らかに流れるなか並木を1人つんと澄まして歩くシーンは映画史上有数の名シーンだ。もちろん面影はあるが、ふっくらしておなかに肉がついた姿は別人のようである。ただ、 熟女ものAV 好きなら見ようによってはエロいように感じるかも?


映画の見初めではおばさんモードが強かったが、元夫に近づくようになるにつれて、若干色づいてくる。この映画は映像が鮮明なので色気じみてくる。変化がくっきりしてくる。元夫を自分のカフェに招待して食事をふるまったり、ダンスをするシーンはなかなか趣きがある。


別れた夫との再会というと、「ひまわり」ソフィア・ローレンの姿を思いうかベる。戦争で別れ別れになった夫とソ連で感動的な再会をするシーンは涙ものだ。同じイタリアのアリダ・ヴァリソフィア・ローレンは雰囲気が似ている。

ネタバレになるので言えないが、最後に向けての展開はなかなかだ。このわずかな時間ですべてを集約してしまうところがすごい。

映画「悪女」

2018-07-18 17:43:20 | 映画(韓国映画)
映画「悪女」は2017年日本公開の韓国映画


韓国得意のクライムアクションだ。小さい頃から格闘の訓練を受けてきた女が、犯罪組織から国家の秘密警察へ立ち位置を変えながら、敵味方入り乱れる争いに巻き込まれる話である。スタントもいるであろうが、主人公はスタミナのいる格闘シーンをこなす。悪女というと、一連の「ゆりかご」や「蜘蛛女」のレナオリンのような女を思い浮かべる。この映画は違う。強い女だけど、悪い女ではない。

犯罪組織の殺し屋として育てられたスクヒ(キム・オクビン)は、育ての親ジュンサン(シン・ハギュン)にいつしか恋心を抱き、結婚する。甘い新婚生活に胸躍らせていた矢先、ジュンサンは敵対組織に無残に殺害されてしまい、逆上したスクヒは復讐を実行。しかしその後、国家組織に拘束されてしまい、政府直属の暗殺者として第2の人生を歩み始める。やがて新たに運命の男性に出会い幸せを誓うが、結婚式の日に新たなミッションが降りかかり――(作品情報引用)


いきなり格闘シーンから始まる。カメラは大勢いる相手のみを映す。ゾンビのように次から次へと敵が現れるが、バッタバッタと倒していく。これは強いな!と思わせるシーンで観客の目を引かせる。ようやく女が映像の中に姿を現すのはしばらく経ってからだ。ゴツイ難敵と戦う場面となる。猛獣のような相手だ。それでも徹底的にやり尽くした後で階下に降りる。そこには警察官が大勢で待っていた。さすがに身柄を拘束される。


時間軸を前後に軽く振る。いくつかの回想シーンを交える。最初の格闘が何であったか?ということを説明するかのように。元々ある犯罪組織で格闘訓練された女だ。小さい頃に親が刺客の襲撃を受け、一人ぼっちになり、怪しい組織の中で育つ。そして育ての親が敵対組織にやられた後で、復讐のためヤクザ組織に乗り込むのだ。スタートはそのシーンだ。


結局警察に捕まる。懸命に留置所からの脱出を試みるが追手に捕まる。できる女と見込まれ、国家の秘密組織で訓練を受ける。女だけの組織だと意地悪な奴もいる。それもかわしながら、プロとしての力を蓄える。そして、これを終えたらシャバに戻してやると言われ、射的を定めると、そこには見慣れた男の顔があった。


アクションシーンが凄い。全速力で映画の間中駆け抜けるキム・オクビンは魅力的な女だけど、それを演出する監督の腕も大したものだ。

映画「レッド・スパロー」 ジェニファー・ローレンス

2018-07-16 07:17:41 | 映画(洋画:2013年以降主演女性)
映画「レッド・スパロー」は2018年公開のアメリカ映画


ジェニファー・ローレンスがロシアのスパイを演じるという。おもしろそうだ。アカデミー賞主演女優賞を受賞して着々と大女優の道を歩むが、まだまだ若い。とっさにシャーリーズ・セロンが最近演じた「アトミックブロンド」を連想する。ここでのセロンはムキムキの筋肉派できっちり鍛えて迫力ありなかなか見ごたえがある。それと比べると、若干落ちるかな。ただ、脇役陣がなかなか個性的でいい味を出しているのに助けられている。

スパローとはロシア語でスズメだ。これをもって女スパイに読み替える。元ロシアの外交官だった佐藤優の著作にもロシア秘密警察によるハニートラップの話はよく出てくる。ここでは予備学校で育成されるスパローを映し出す。


ボリショイ・バレエ団のドミニカ(ジェニファー・ローレンス)は、本番中に負った大怪我により再起不能になってしまう。ロシア情報庁幹部の叔父・ワーニャ(マティアス・スーナールツ)にある弱みを握られた彼女は、スパイの養成学校に送られ、自らの肉体で相手を誘惑し、心理操作する技術を学ぶ。スパロー(女スパイ)となった彼女に与えられた任務は、ロシア情報庁の上層部に潜む、アメリカとの内通者を見つけ出すことだった。その人物と通じているCIA捜査官のナッシュ(ジョエル・エドガートン)にブダペストで接触すると、2人は強く惹かれ合うようになる。そしてアメリカのみならず、母国からも命を狙われる立場になってしまう。(作品情報引用)


話のテンポは序盤からわるくない。最初バレリーナだった主人公の可憐な姿を映し、舞台上での接触事故で足を大けがする様子やその後後任のプリマドンナが男性ダンサーと親しくするのを見て、大暴れした後に別の道に入っていく姿を簡潔に映し出す。

その後の養成所での鍛錬が面白い。素人がスパイに育て上げられる過程の話はたまにある。でもハニートラップを含めた教育というのは意外に少ない。男を骨抜きにして秘密を得るためのスパイ指導をするのがシャーロット・ランプリングだ。これがなかなかいい味をだしている。


シャーロットランプリングといえば、最近では老人同士のふれあい映画で見かけることが多い。フランソーズオゾン監督映画でいい味を出す。自分でベストと思うのは、ポールニューマン主演「評決」である。当時まだ30代、これがまたいい女だ。できの悪いポールニューマン演じる弁護士が不利な訴訟に立ち向かう中、謎の女が現れ、適切な助言を与えてストーリーメイキングをする。今とは想像できないくらい色っぽい。

ジェニファーローレンスもかなりいいギャラをもらっているであろう。昔の東映で池玲子や杉本美樹が演じたような軽く汚れたお色気シーンもこなす。シャーリーズ・セロンのようなシャープさはない。脂もタップリのっているような全裸もご披露する。ワニ分署の若き日の横山エミーを連想させる。この辺りは目の保養だが、シャーロットランプリングがご指導する男扱いの心理戦を身につけ、徐々にプロになる。研修後の実技も含めて見ていて面白い。


そこに絡むのはロシアの情報局の幹部である主人公のおじさん役マティアス・スーナールツだ。これがプーチン大統領に似たいかにもロシア人ぽい顔である。でも、喋るのは英語、仕方ないけどなんか不自然。それでもこの男もいい味を出す。

最後に向けては途中で結末が見える。昔フランス映画で「密告」というアンリ−ジョルジュ−クルーゾー監督の傑作があったが、街中を騒がせる告発文書を書いているのは誰か?と真犯人を追う映画だ。途中まで読めなかったが、ある時点で「密告」と同じだなと思う。ストーリーの定跡にかなった展開だった。

映画「否定と肯定」レイチェル・ワイズ

2018-07-15 17:50:39 | 映画(洋画:2013年以降主演女性)
映画「否定と肯定」は2017年の英国映画


二次世界大戦中のホロコーストといえば、ナチスドイツによるユダヤ人虐殺として繰り返し取り上げられる。当時のナチスドイツ幹部は戦後生き延びても捕まって裁判を受け裁かれる。ハンナアーレントの映画では逃げ切れず逃亡先で捕まった元ナチス幹部アイヒマンの裁判がテーマになった。

ところが、アウシュビッツ刑務所でのユダヤ人惨殺が本当にあったのかと異議を唱える学者もいるという。英国の歴史学者デイヴィッド・アーヴィングだ。その学者がホロコーストの悲惨さを訴える学者デボラ・リップシュタットに対して、自分への批判を名誉毀損として訴える裁判を起こすというのがこの映画の主題だ。南京大虐殺があったか?なかったか?という話のドイツ版というべきか。

1994年、アメリカのジョージア州アトランタにあるエモリー大学でユダヤ人女性の歴史学者デボラ・E・リップシュタット(レイチェル・ワイズ)の講演が行われていた。彼女は自著「ホロコーストの真実」でイギリスの歴史家デイヴィッド・アーヴィング(ティモシー・スポール)が訴える大量虐殺はなかったとする“ホロコースト否定論”の主張を看過できず、真っ向から否定していた。アーヴィングはその講演に突如乗り込み彼女を攻め立て、その後名誉毀損で提訴という行動に出る。


異例の法廷対決を行うことになり、訴えられた側に立証責任がある英国の司法制度の中でリップシュタットは〝ホロコースト否定論“を崩す必要があった。彼女のために、英国人による大弁護団が組織され、アウシュビッツの現地調査に繰り出すなど、歴史の真実の追求が始まった。

そして2000年1月、多くのマスコミが注目する中、王立裁判所で裁判が始まる。このかつてない歴史的裁判の行方は…(作品情報引用)


最初はこんなの相手にするな!と主人公のユダヤ人教授リップシュタットは無視していたら、虐殺はなかったとするアーヴィング教授自身が大学の講義に乱入して反論を述べたり、巧みなマスコミ誘導で主人公に不利な場面をつくる。しかも、訴訟を提起した場所は英国である。英国では被告人が自分の無罪を証明する反証を出す必要がある。相手は手強い。これまでもこういう裁判を乗り越えてきた。一流の弁護団と乗りきる必要がある。手弁当という訳にはいかない。金も必要だ。それでも、全世界に散らばるユダヤ人から援助の申し出がある。入念に準備して裁判に立ち向かう。


悪戦苦闘を描いた映画だ。
映画でも取り上げられるが、アウシュビッツ刑務所内でのホロコーストの指摘に対して、細かい矛盾点をピックアップしながら原告アーヴィング教授は対抗者を論破して乗り切ってきた。被告人であるリップシュタットのもとには自分が証人台に立つという被害に遭われた人たちが訪れる。彼女は証人として被害者を登壇させようとする。しかし、それは原告の思うツボだと言って、弁護団は断固拒否する。当惑する主人公だ。何で被害者を証人申請できないのと訴えてもダメだ。どうやってしのぐのであろう。


法廷劇としては見ごたえがある映画だ。映画「情婦」のチャールズ・ロートンの緩急自在な演技を思わせる法廷弁護士のトム・ウィルキンソンの名演が光る。ただ、どうしても主人公に共感できない。嫌いなタイプの女だ。常に女のいやらしいところばかりさらけ出す。そんなところは苦手だ。