映画とライフデザイン

大好きな映画の感想、おいしい食べ物、本の話、素敵な街で感じたことなどつれづれなるままに歩きます。

映画「首」 北野武&加瀬亮&西島秀俊

2023-11-27 17:41:25 | 映画(日本 2019年以降)
映画「首」を映画館で観てきました。


映画「首」は北野武監督の新作。戦国時代の織田信長明智光秀に本能寺の変で殺害される以前の武将同士の駆け引きの物語である。織田信長を加瀬亮,羽柴秀吉をビートたけし,明智光秀を西島秀俊が演じている。出演者は北野武監督「アウトレイジ」とかなり共通している。

映画評を見るとかなり割れている。高評価もあれば,北野武監督にしてはイマイチの評価もある。経験的に評価の分かれる映画は自分にとっては面白い場合が多い。そういう経験則に則り早速映画館に向かう。

織田信長(加瀬亮)は自分勝手でかなり強引に重臣たちを扱っていた。織田信長の重臣の1人荒木村重(遠藤憲一)が反乱を起こし、1年かかってようやく鎮圧するとともに村重は姿を消した。

信長は明智光秀(西島秀俊)や羽柴秀吉(ビートたけし)ら家臣たちを集め、自身の跡目相続を任せると村重の捜索命令を下す。秀吉は弟・秀長(大森南朋)や軍師・黒田官兵衛(浅野忠信)らとともに策を練り、元甲賀忍者の芸人・曽呂利新左衛門(木村祐一)に村重を探すよう指示する。

おもしろかった。
3作続いた「アウトレイジ」ムードが映画全般に漂う。時代をかえて、同じような手法でつくった感じだ。ビートたけしが原案を提供した「アナログ」はありふれていたけど、本人監督の作品は違う。映像の質、編集いずれも北野武監督の腕がさえる。悪いけど、評価低くした人たちの映画観る目??

日本史の中で戦国時代については妙に詳しい日本人が多い。別にインテリでなくても、信長、秀吉、家康と続く基本的な歴史の流れは日本人としての常識になっている。そういう前提でいくと、この映画は普通の日本人にとっては観やすい北野武監督がうまく自分なりの解釈をつくって面白おかしく映画を作ったと感じる。親分の織田信長が亡くなったと聞き、これまでは泣き悲しんで復讐に燃える秀吉を映し出すことが多かった。ここでは、裏で秀吉が高笑いだ。

逆にいうと、日本の戦国時代史に関する常識のない外国人には理解しづらい点が多いのではなかろうか?北野武流に茶化した部分が不自然に見えるような気がする。他国の映画祭ではウケないのではないか。


解像度の高い映像になっている。首切りを露骨に見せたり、血が吹き出すような場面も多く、普通だと映像の質を鮮明にしなかったりモノクロにしたりすることも考えられる。でもしない。通常よりも大画面の劇場で前の方で観たが、リアル感があり迫力を感じる。カメラワークもいい。接近戦の時にオッと唸る映像がいくつもあった。

⒈現代サラリーマン社会の縮図
横暴な経営者って最近減ったかもしれない。でもたまにニュース記事になっている。この映画は現代サラリーマン社会と通じるものがある。まさに怪演加瀬亮の織田信長は横暴なワンマン経営者に通じる。加瀬演じる「アウトレイジ」初期の暴れまわるヤクザは突っ張っているだけの弱々しいものを感じたが,ここでの名古屋弁交えた暴君パフォーマンスはすごい。蹴られたり暴力を振るわれた西島秀俊や遠藤憲一はたまったもんじゃないだろう。

ビートたけしのような上司もずいぶん出会った。「うまくやれよ。」と具体的な指示と言うよりも大雑把に結果を求める上司タイプだ。そういう自分もそんな指示した覚えがある。人のことはいえない。いずれも現代サラリーマン社会の縮図のようで何度も笑える。「翔んで埼玉」の10倍笑えた。


2.荒木村重
繰り返し放映される信長、秀吉、家康もので遠藤憲一演じる荒木村重話の肝になっているのはこれまでのドラマと異なる。信長に逆らって謀反を起こし、1年以上踏ん張ったという事実も知らなかった。それにしても、残された女子どもも含めた一族が皆殺しで首斬りされるシーンは残酷だ。

荒木村重千利休に近く、明智光秀に預けられるというのは北野武監督の創作だろう。でも、明智光秀と親しき仲で謀反に協力したなんて解釈はおもしろい。調べると、荒木村重は信長死後も生き延びたようだ。今回、斬られる訳でなく籠の中で山から放り出されるとしたのは、折衷案で余韻を残していいかも。


3.男色系の匂いと女性の扱い
「おんな太閤記」なんてTV番組もあったし、正妻、側室なんでもありとばかりに大勢女が登場することが多い。ここでは、メジャー女優の影がない。あくまで男性中心の映画だ。しかも、男色系の匂いをぷんぷんさせる。織田信長に対する森蘭丸の話はあまりにも有名だが、その信長が武将たちとの男色の関係を匂わせる。付き合わないなら干す。部下たちも色仕掛けで近づいていく。

本来、織田信長が行方不明になった荒木村重を何が何でも探せと言うのがこの映画の主題である。しかし千利休の斡旋で荒木村重が明智光秀のところに預けられる。しかも明智光秀とは男色の仲である。そこからこの映画が動くのだ。


今日のフェミニストからするとこの映画はあまりお好きでないかもしれない。女性の存在感が弱い。武士たちについている遊女たちが,毛利の水攻めから羽柴秀吉が撤退しようとしているときに,「メシの種逃げるぞ」という遊女のセリフがある。思わず笑える。まさに従軍慰安婦である。わけもわからない訴訟を出している連中を皮肉っている。

4.忍びの者とお笑い
忍者映画って、今の60代以上であれば子どもの頃からの記憶で何かときめく部分がある。そのあたりを北野武監督もわかっているのであろう。ここでは甲賀忍者を登場させる。手裏剣だけでなく、忍者技が次から次へとでてくる。接近戦ではカメラワークが冴える。

「座頭市」でタップダンスを踊ったのと似たような感じで、甲賀忍者にコンテンポラリーダンスを踊らせる。こんな感じが好きだ。徳川家康には伊賀忍者服部半蔵を警護に就かせる。次から次へと徳川家康の影武者を登場させるところも面白かった。このあたりの配慮がすごい。


加えて、お笑いの要素も加える。そんなことありえないと思いながら、思わずほくそ笑む。

エンディングロールにリストアップされる協力者はものすごい人数だった。
その中でVFXの外人たちがものすごく多いのにも気づく。これだけの映画ができるだけのことがある。
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映画「翔んで埼玉〜琵琶湖より愛をこめて〜」 GACKT&二階堂ふみ

2023-11-26 17:15:33 | 映画(日本 2019年以降)
映画「翔んで埼玉〜琵琶湖より愛をこめて〜」を映画館で観てきました。


映画「翔んで埼玉 琵琶湖より愛をこめて」は大ヒット作の続編である。「翔んで埼玉」の一作目を埼玉で見に行った時,周囲はすごい笑いの渦に巻き込まれていた。次から次に続く埼玉自虐ネタ。よくぞ核心をついているなと思うことが次から次にセリフになり,ハラを抱えて自分も笑った。娘も気に入り,今回も娘と2人で映画館に向かった。

GACKTと二階堂ふみのダブル主演は今回も継続。武内英樹監督と徳永友一脚本コンビも同じ。前作は埼玉の自虐ネタに加えて千葉対埼玉の対決がメインの話題となっていた。今回は海なし県埼玉に海を引っ張ると言うテーマのもとに, 砂を運ぶためにGACKTが海を渡って和歌山の白浜に向かう。ただ、肝心の白浜ビーチは関西のメインの大阪,京都,兵庫に牛耳られている。和歌山,奈良、滋賀、特に滋賀をクローズアップして同じような自虐ネタに踏み込む。大阪代表片岡愛之助,神戸代表藤原紀香に加えてが滋賀県のオスカルになりきる。

東京への「通行手形」問題は解決したにせよ,埼玉県民横のつながりが極めて弱い。東武、JR、西武各路線ごとのエリアで争いが激しい。埼玉にないのは海とばかりに,越谷のしらこばと公園に海を造ることで和歌山の白浜から砂を持ってくるためにGACKTが千葉の港から和歌山に向かう。
和歌山白浜のビーチは,大阪,京都,兵庫の住民以外は手形がなければ入れなかった。大阪府知事(片岡愛之助)が権力をふるい手がつけられないので、同じく滋賀県の杏とともに共闘を組む。


前回よりも埼玉の映画館内での笑いは少なかった。
一作目よりは続編の方が受けないことが多い。そこで、製作者もよくぞ考えたのか,今回は関西を巻き込んだ。埼玉イジメのネタは、浦和、大宮の争いに中立の与野が戸惑う話や西武と東武の争いなど序盤戦に少しある程度で少ない。前回でネタを出し尽くしちゃったのかもしれない。一作目ほど埼玉の観客に受けなくなったのではないか?自分も不覚にも途中ウトウト寝てしまった。

埼玉に対応するのが滋賀で、の登場場面が多い。GACKTは関西に遠征するし出ずっぱりだけど、二階堂ふみの出番が減った。滋賀の車のナンバープレートが虫みたいだという話や琵琶湖の水量が増すと街が浸水してしまうなどのネタが中心だ。片岡愛之助率いる大阪が威張っている。何かにつけて甲子園ネタも絡む。自分は関西勤務5年で妻が兵庫生まれの和歌山育ちなので、だいたいのことはわかるけど、埼玉の人はどうみたのかな?比叡山京都府内はわずかで、ほとんど滋賀県ということに娘が驚いていた。

あんなにおもしろかったのに、今回はもう一歩
色んな県を取り上げすぎで焦点が絞れていないのでは?


⒈藤原紀香の復活
藤原紀香を久々に見た。今回は片岡愛之助演じる大阪府知事がGACKTと対峙する。同時に藤原紀香が神戸市長,川崎麻世京都市長の役だ。これがなかなか面白い配役だ。大阪がメインとはいえ藤原紀香も威張っている訳だ,でも出身地は和歌山県紀の川市と映画の中で出てくる。え!そうなのか。と思った。実は,藤原紀香の両親が和歌山出身で,藤原紀香自体は西宮で育っている。紀香の「紀」「紀州」から出た名前であろう。紀子妃殿下の名前の由来も和歌山が絡む。藤原紀香は紀の川観光大使になっていて,どうやら和歌山を好きなようだ。初めて知った。


⒉和久井映見の変貌
熊谷で県内の運動会もどきをやっていて、応援に向かう和久井映見を久々観る。神奈川出身だけど、高校は川口だ。CMで大人気の朝日奈央が娘役だ。朝日奈央は入間出身だ。平成の初めは和久井映見は清純で可愛かった。随分とTVに登場していた。それなので、あまりに太っていてビックリだ。この間観た映画で、洞口依子がふっくらしてイメージが違ったのと同様だ。


⒊行田タワー?
序盤戦で前回の延長のような千葉、埼玉の軽いけなし合いがある。その時に千葉にはタワーがあるが、埼玉にはないというセリフがあった。その時は確かにそうだななんて思っていた。ところが、途中の片岡愛之助とGACKTとのディスり合いの中で、大阪が通天閣を引っ張り出す。そこで突如として現れるのが、「行田タワー」だ。今回この映画でもっとも驚いたのがこれだ。

自分は「行田タワー」の存在を初めて知った。「古代蓮の里展望タワー」というらしい。埼玉の人口は738万を超えるけど、「行田タワー」の存在を知っている人が行田市民8万とプラスアルファで20万いるのかなあ?場所を確認すると、駅からはかなり離れている。クルマでないといけないだろう。たぶん一緒に映画観た人で知っている人いるかなあ。でもこの映画では大活躍だ。それがいいところ。
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映画「PHANTOM ユリョンと呼ばれたスパイ」 ソルギョング& イ・ハニ

2023-11-23 18:50:18 | 映画(韓国映画)
映画「PHANTOM ユリョンと呼ばれたスパイ」を映画館で観てきました。


映画「PHANTOM ユリョンと呼ばれたスパイ」は日本統治時代の朝鮮京城で、朝鮮総督暗殺を目論む反日の隠密組織が暗躍する姿を描くアクション映画である。「毒戦」イ・ヘヨン監督がメガホンを持ち、ソル・ギョングと「イカゲーム」のパク・ヘスなど韓国のメジャー俳優が出演している。この2人は昨年「夜叉」で共演している。これは良くできていた。

日本統治時代の朝鮮を描いた韓国映画では、「お嬢さん」「密偵」などをこのブログでも取り上げている。それぞれに時期は異なる。当然、反日のムードが強いのは承知してそれぞれの映画を観ている。
英国人女性イザベラバード「朝鮮紀行」を読むと、1890年代の李氏朝鮮時代のソウルが不衛生でひどい状態だったことなど朝鮮の後進性を示す記述がある。日韓併合の後に、識字率が低かった朝鮮の教育水準が向上したのは間違いない。産業も発展した。日本が朝鮮の発展を推進した一方で、日本の統治には問題もある。それ故の反発も数多く起きている。ここでどういう描き方をするのか観てみる。

1933年の京城(現ソウル)反日組織「黒色団」が日本の幹部の暗殺を目論んでいた。朝鮮総督府に新しい朝鮮総督が着任する。歓迎の会で巫女の姿の女が暗殺を目論んだが未遂に終わる。朝鮮総督府内にまだ「ミリョン」という名のスパイが潜んでいるのではと警護隊長の高原(パク・ヘス)は、可能性のある4人、情報受信係 監督官の村山(ソルギョング)、暗号記録係のチャギョン(イ・ハニ)、政務総監秘書の佑璃子(パク・ソダム)、暗号解読係長ウノを人里離れた場所に呼び込む。


ちょっとわかりづらい映画だ。
スパイ映画らしい騙し合いの中で、爆弾が飛び交う激しいアクションシーンが続く。かなり激しい。バックでは音楽が高らかに鳴り響く。音楽のレベルは高い。通常の日本のアクション映画よりもお金がかかっている。

日本の幹部に日本人を起用していると、明らかに日本側の登場人物に属するとわかるが、朝鮮語も時おり話すとどっちの立場かわからなくなる。特にソルギョング演じる村山の立場が途中でわからなくなった。登場人物が不死身な設定もスパイ映画にはよくあるが、これだけ撃たれても、刺されても死なない場面が多すぎる印象を持った。


1933年の京城の街を映し出す。VFXとセットだと思うが、良くできている。マレーナディートリッヒ「上海特急」の映画看板がある街中で、2人の怪しい女性のやりとりを見せる。当時の京城はこんなにムードのある街だったのか?戦前に存在した朝鮮神宮のかなりの高低差がある階段と鳥居を映し出す。


加えて、旧朝鮮総督府の格調高い建物を映す。朝鮮神宮に新任の朝鮮総督が向かった後で、巫女が突如銃を撃つ。この巫女は前夜映画館のそばにいた女で見覚えのある顔だ。「愛のタリオ」で復讐をする女を演じるイ・ソムだ。HPの出演者リストにないし、エンディングロールはハングルで解読不能だけど間違いないだろう。元ミスコリアのイ・ハニと一緒に映る。


日本語のセリフが多い。韓国人俳優たちはセリフに難儀しただろうなあと感じる。若干不自然なイントネーションではあるが、以前観た「お嬢さん」よりはマシである。ソルギョングが映画「力道山」で力道山役を演じた時、不自然さがなく日本語はうまいと感じた。日韓併合から20年経っているので、当時の若い朝鮮人は日本語を流暢に話したであろう。日本の士官学校にいた朴正煕元大統領はもとより、金大中元大統領も日本語が上手だった。

この映画はあくまでフィクションだ。終戦まで12年もある時期に朝鮮総督が撃たれた事実はない。でも、日本人を悪く貶めようとするのも仕方ないことであろう。怖いもの見たさについこの映画を観てしまう。
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映画「モナ・リザ アンド ザ ブラッドムーン」

2023-11-20 19:17:32 | 映画(洋画:2019年以降主演女性)
映画「モナ・リザ アンド ザ ブラッドムーン」を映画館で観てきました。


映画「モナリザ アンド・ザ・ブラッド・ムーン」は精神病院を脱走した少女がニューオリンズの街を彷徨うブラックコメディだ。「次世代のタランティーノ」との呼び声も高いアナ・リリ・アミリプール監督がメガホンをもつ。クレジットトップはケイトハドソンで名前に聞き覚えあったけど、思い出せない。映画を観終わって「あの頃ペニーレインで」のヒロインとわかりビックリした。一見して誰も気づかないだろう。ボリューム感たっぷりのストリッパー役だ。脱走する女性は韓国人俳優と聞いていた。気づかなかったけど、村上春樹原作の韓国映画「バーニング」のヒロイン、チョン・ジョンソだ。この2人の怪演が見どころである。

アメリカニューオリンズの満月の夜、統合失調症で12年精神病院の個室に隔離されているモナリザ(チョン・ジョンソ)が見廻りに来た女性職員に罵倒されてキレる。突如として超能力を発揮して、女性職員を痛めつけ、鍵を奪って脱走する。

街を彷徨うモナリザは、ダイナーで女性同士のケンカを見つけて、暴れていた一方の女性を持ち前の超能力で自爆させる。精神病院からモナリザが脱走した通報で警察は捜査体制に入っていた。ある警官が見つけて追うが、モナリザの超能力で警官が重傷を負う。一部始終を見ていたストリッパーのボニー(ケイトハドソン)にその超能力を見込まれて家に匿われる


いかにもアメリカらしいBC級映画の肌合いをもつブラックコメディでおもしろい。
催眠術を操るがごとくの超能力を駆使する映画はゴマンとありそうだ。ちょっと古いが「奥様は魔女」サマンサのような仕草で、相手に魔法をかけてあやつる。ただ、精神病院の隔離された病棟にいる患者にこんな能力を与えたことはないだろう。しかも、組むのはシングルマザーのストリッパーだ。悪知恵が働くストリッパーが息子とモナリザの2人を巻き添えにする。


宮沢りえ主演の「月」では重度障がい者施設が舞台になった。障がい者たちが施設職員に虐待されるシーンがある。ここでも、モナリザは病院の女性職員にバカ扱いされている。アメリカの施設も日本と似たようなものだと思っていると、キレたモナリザが軽く超能力をみせる。職員に人智を超えた力が働き、自らの手で刃物を自分の足に突き刺して大騒ぎだ。観ている自分は爽快な気分になる。

ただ、ストリッパーの女とBKのATMに行き、アカの他人にモナリザが魔術をかけて500$おろさせる。加えて、ストリップ小屋にいる男たちに魔術をかけて、操る。チップを出すつもりのない男たちに(人智を超えた力で)財布から金を出させる。そんな悪さにも活用する。これは良くない。いじめっ子にいじめられるストリッパーの息子を助けるのは善行でこれは観てスッキリする。そんな小さいエピソードが続いていく。そうやって、この先モナリザはどうなるんだろうと思わせる。


この映画には、屁理屈を唱える理屈っぽい登場人物はいない。どちらかと言うと、社会の下層部にいるような連中だ。妙にあっけらかんとしたニューオリンズに住む面々の動きは単純だ。実にわかりやすい。辛気臭い映画を観るよりはマシかもしれない。深く考えず、アメリカらしいブラックコメディを楽しみたい。最後はこれからどうなるんだろうと、興味しんしんになる。

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映画「花腐し」 荒井晴彦&綾野剛&柄本祐&さとうほなみ

2023-11-17 05:30:03 | 映画(日本 2019年以降)
映画「花腐し」を映画館で観てきました。


映画「花腐し(クタシ)」は、脚本家荒井晴彦「火口のふたり」以来の監督作品だ。芥川賞を受賞した松浦寿輝の原作を脚色してピンク映画の監督を主人公にしている。主演のピンク監督は綾野剛で、元脚本家として「火口のふたり」の主役柄本佑を起用する。荒井晴彦の作品は毎回観ているし、自分のブログでも昭和の時代の「遠雷」「嗚呼!おんなたち 猥歌」「赫い髪の女」などアクセスの多い記事もある。「映画芸術」の主宰者で、左翼系の連中と付き合っているせいか映画にもその匂いを感じることもある。しかし、根本的思想は自分と真逆でも信頼する映画人だ。

ピンク映画の監督栩谷(綾野剛)は直前まで同棲していた女優祥子(さとうほなみ)が、映画監督桑山と心中したことに衝撃を受ける。栩谷はもう5年も映画を撮っていない。生活も困窮して、家賃も滞納している。

そんな栩谷が大家のところへ行った際、所有するアパートの住人が1人だけ立退に応じないので追い出してくれれば賃料を配慮すると大家に言われた。早速、部屋に行き交渉する。入居者の伊関(柄本佑)と押し問答した後で、伊関も映画に携わっていたと知る。気がつくと缶ビール片手に2人で語り合う。過去の女の話題になり、関わりをそれぞれ語り続けていく。


凡長になる部分も多いが、荒井晴彦作品らしい味わいが感じられた。
男女の性的絡みのシーンは多い。城定秀夫監督「愛なのに」でも大胆な濡れ場を演じるさとうほなみがここでも頑張る。
モノクロ映像でスタートする。心中して亡くなった祥子の葬儀でお焼香を拒否されたり、映画監督の通夜できびしいピンク映画の現状を映画仲間と語り合ったりするシーンが続く。ところが、回想シーンとなると、カラー映像にかわる。現在がモノクロで、過去がカラーだ。

妙な縁で出会った2人の女は同一人物の祥子だったのだ。延々と飲んで初めてわかる。この映画の時代設定は2012年で、伊関は2000年に祥子と知り合い、栩谷は2006年に撮影がきっかけで祥子と付き合う。それぞれが祥子と一緒に過ごす場面はカラー映像で語られる。よくある同棲物語だけど、それぞれのカップルの性の履歴をクローズアップする。

東京でもいくつものピンク映画館がなくなっているので、新作映画の需要がない。スタッフは仕事に困る。予算は50万円くらいしか出てこない。通夜のお清めで映画人が語り合う。最近出演頻度が高い川瀬陽太がケンカを別の映画人に仕掛ける。でも、横で見ている綾野剛演じる栩谷はボソボソと話しながら取り乱さない。同棲相手が別の男と心中したら何にも話す気はないか。

賃料滞納で大家に謝りに行った時、立ち退きをやってくれと言われる。入居者の伊関のところへ行っても綾野剛には凄みがない。ボソボソ話すだけだ。今まで来た人と違うねと妙なことに感心される。ずいぶんと綾瀬剛の映画観ているけど、タイプが違う。撮影中の荒井晴彦監督の仕草を意識したようだ。今回は濡れ場もこなす。


柄本佑は一時期ピンク映画を大量に観たことがあるとインタビュー記事で語る。なるほど。「火口のふたり」でも最近の「春画先生」でも濡れ場が多い。選んで出演しているのかな。さとうほなみとはじめての交わりでは童貞で、やっとのことでホールインだ。同居する中国人の若い子との絡みも含めて、繰り返し濡れ場をこなす。楽しそうだ。さとうほなみとの激しい性的絡みで前貼りはしているのであろうか?この映画では義父奥田瑛二も出演しているが、多忙な安藤サクラとはすれ違いになっていないだろうね。

さとうほなみは、「愛なのに」で初めて存在を知った。真面目そうな顔のわりにずいぶん大胆だなと印象づけられた。「愛なのに」映画芸術では昨年のベスト10に入っているので、当然荒井晴彦は知っているはず。オーディションで選ばれたと知り、意外に思った。柄本佑からアナルで交わろうと言われ、痛い痛いと応じるが、時が過ぎ綾野剛とはむしろ進んでアナルでいたす。性的成熟が徐々に進むところも示す。飲み屋のシーンで奥田瑛二に水をぶっかける。山口百恵「さよならの向こうに」をカラオケで歌う。特別上手いわけではないけど、2度観たので脳裏に焼きついて離れない。


映画が始まりヴァイオリンとピアノによる音楽のセンスがいい。まだ残っているんだなあという共同廊下のアパートが舞台。2人が語り合うアパートも昭和の部屋のつくりそのままだ。ロケ地は坂や階段が多い場所を巧みに選択。四谷荒木町のなくなった料亭の看板をそのまま映すので見覚えのある稲荷神社裏手の階段だとわかる。雨が降るシーンもそこで撮る。飲み屋自体は新宿ゴールデン街のどこかの店の中で、映している飲み屋街はゴールデン街じゃないのでは?新宿ゴールデン街、四谷荒木町いずれも自分のホームグラウンドなので親しみが深まる。


荒井晴彦が楽しみながらつくった映画という印象を受ける。ストーリーで観る映画ではない。欠点は多いが、映画のもつさびれた雰囲気は自分の好きな感じだ。さとうほなみはそれなりのボリューム感だけど、柄本佑演じる伊関と暮らす中国人の女の子とその友人はいかにもAVという感じのバストのボディだ。デイヴィッドリンチ監督作品で、乳輪の大きなボリュームたっぷりの女性の裸が登場するのを連想する。ピンク映画の色彩を根底に残す。荒井晴彦の苦笑いが目に浮かぶ。最後のさとうほなみの歌も好みの曲なのだろうか?しつこいけど、残る。

柄本佑のインタビュー記事を読むと、荒井晴彦「雨月物語」のような映画がとりたかったそうだ。ラストに向けて、もうすでに亡くなって存在しないさとうほなみ幻影を映して怪談的要素をもたせる。たしかに「雨月物語」での田中絹代の幻の姿を連想する。

後記 11/20
小説を読了した。主人公はデザイン事務所の経営者に変わっていたが、倒産寸前で街金のおやじに立ち退きを頼まれる。立ち退き交渉のセリフなどは映画とは同じだ。さすが、松浦寿輝の筆力はすごい。短編だけど、読み応えある。でも、今回の荒井晴彦の脚色は上手だったと思う。ピンク映画という言葉はどこにも出てこないけど、その設定で、しかも祥子の設定を含めてお見事だと言える。最後の場面は原作に忠実だった。ここを読んで、荒井晴彦は「雨月物語」を連想したのであろう。このように映像に具現化できてよかったと感じる。
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映画「法廷遊戯」 永瀬廉&杉咲花&北村匠海

2023-11-15 05:26:29 | 映画(日本 2019年以降)
映画「法廷遊戯」を映画館で観てきました。


映画「法廷遊戯」若手弁護士五十嵐律人が書いた法廷ミステリー小説深川栄洋監督が映画化したものである。永瀬廉、杉咲花と北村匠海の3人が司法修習生役で主役を務める。ジャニーズ系若手が主演の若者向き映画はあまり観ていない。スルーの予定だったが,時間調整での作品変更で観てみることにした。割と人気があるようだ。もちろん原作は未読。ベテラン俳優が脇を固めるとは言え,若手中心の配役でどういった法廷映画になるのか、若手の弁護士がどういった法廷の立ち回りを見せるのかまずはお手並み拝見という気分で観てみる。

いきなり,モノクロ画面で満員電車に乗り込もうとする乗客がいる中で,ぱったりとホームに倒れている男女を映し出す。何かあったようだ!ただ詳細はその場では伝えない。映画の最初に映し出される事件が、この3人の関係に大きく関わってくる。

その後,名門大学の法科大学院の学生たちが, 模擬法廷ゲームをしている場面に移る。バカでかい声を出している男子学生がいる。何かよくわからない。そのゲームを主導しているのは,在学中に司法試験に既に合格している結城馨(北村匠海)だ。ほぼ全員でゲームに参加する。


その後,殺人事件が起きる。弁護士になった久我清義(永瀬廉)が久しぶりに一緒に法科大学院で学んでいた馨に呼び出される。現地に行くと胸を刺され息絶えた馨と血だらけの織本美鈴(杉咲花)がいた。自分は殺していないという美鈴から弁護を引き受けるが、美鈴は黙秘権を主張して法廷出廷までなにも話さない。このままでは殺人罪になるのは間違いない。


最初の模擬法廷ゲームの場面は訳がわからないで進む。この辺りがノレない。
でも、訳もわからないゲームごっこかと思ったら、途中で殺人事件が起こる。しかも、女性が男性を刺している。その女性は返り血を浴びているのに、自分はやっていないと言い張る。周囲に人はいない。USBメモリーを清義に託すが、ロックがかかっている。見れない。証拠として出せるかどうかわからない。徐々に目が離せないストーリー展開になってくる。たぶん原作者五十嵐律人は数多くのミステリー小説を読んだと思われるネタをだしてくる。

訴訟王国アメリカの法廷ミステリー映画の傑作は多い。日本でも法廷ドラマはある。それらに比べると、法律の専門家が執筆しただけあるなと思わせる場面は多い。例えば、裁判長が仕切って、事前に検察側と弁護側が対峙する席の場面だ。この時点ではどう見ても被告に不利。どうして無罪を証明と聞かれても、被告には動機はないというだけだ。たしかに、動機を問われない窃盗犯とは違い、傷害では動悸は重要だ。でも弱い。

法廷開始前での事前の動きを映画で観ることはあまりない。あとは、洋画では見れない日本の法曹界独特の裁判官や検察官の立場に踏み込む場面だ。こうすると、検察側の立場が悪くなるなどの状況も作り出す。奥が深い印象を受けた。


ネットを見ると、若い人たちの評判がいいようだ。これはこれで良いことだと思う。いきなり初対面のごとく弁護側、検察側が対峙するのではないとか、再審請求が容易にできないとか、初めて知ることがたくさんあったんじゃないかな?ごく普通の法廷劇と違う見方ができる意義のある作品だと思う。見終わったあと、「90分台でここまで凝縮」的なコメントをいくつかネットで見たけど、このくらいに短くしなきゃいけないダラダラした映画が多すぎるのかも。

深川栄洋監督の作品って観たことがないけど、かなりの絶叫好きのようだ。杉咲花にしろ、大森南朋にしてもオーバーアクションだった。ただ、トリック的におもしろいけど、事前に起きた事件に絡むメンバーがこんな感じで同じ法科大学院で出会うかな?事前の事件後ももっと別の展開になったのでは?とも感じるところがあった。ビリーワイルダーの名作「情婦」までいかないけど、観客を驚かすためにちょっと出来過ぎの印象だけは持った。
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アクセス多い映画記事「ベスト10」

2023-11-14 08:02:54 | 映画 ベスト
このブログもできて15年
記事も2000を超える。映画中心のブログでアクセスが多い記事ってある。
自らの記事なのに僭越だけど、ここ3ヶ月のアクセス数でベスト10をピックアップする。

1.遠雷(記事)
1981年(昭和56年)   主演 永島敏行、石田えり


2.誘拐報道
1982年(昭和57年)伊藤俊也監督 主演 萩原健一


3.傷だらけの天使 ヌードダンサーに愛の炎

1974年(昭和49年)深作欣二監督 主演 萩原健一、中山麻理


4.セックスチェック第二の性
1968年(昭和43年)増村保造監督 主演 緒形拳、安田道代

5.にがい米
1949年(昭和24年)主演 シルバーノ・マンガーノ

6.バスケットボールダイアリーズ
1995年(平成7年)スコット・カルヴァート監督 主演レオナルド・ディカプリオ

7.彼女が水着に着替えたら
1989年(平成元年)ホイチョイプロダクション 主演 織田裕二、原田知世

8.火口のふたり
2019年(令和元年) 荒井晴彦監督 主演柄本佑、瀧内公美

9.新宿泥棒日記
1969年(昭和44年)大島渚監督 主演 横尾忠則、横山リエ

10.黒薔薇昇天
1975年(昭和50年) 神代辰巳監督 主演 谷ナオミ、岸田森


次点 恋文
神代辰巳監督 主演 萩原健一、倍賞美津子

こうやって,人気記事のベストテンを並べてみると,昭和の時代に上映された作品が多い。あれほど洋画を見て,新作が出るたびに記事を書いていても,ベストテンにはかすりもしない。10位台にも神代辰巳監督作品や内田裕也出演作品などが並んでいる。1位の「遠雷」は自分が大学生の頃の映画である。当時人気俳優だった永島敏行と新人の石田えりのコンビが首都圏近郊の農家で若き夫婦を演じる。石田えりは気前よく脱いで,ボリュームたっぷりのバストを見せてくれる。わりと衝撃だった。見れば見るほどに味のある作品である。

「遠雷」の記事を書く気になったのは元キャロルのジョニー大倉がなくなったからである。見所たっぷりの「遠雷」の中でジョニー大倉の出てくる場面が映画の肝になっている。この映画の中でのジョニー大倉を見ると,矢沢永吉に比べて悲運だったジョニー大倉の人生にどうしてもかぶせてしまう。そんなジョニー大倉への追悼の思いで書いた。多くの人が読んでくれるのはうれしい。

そのジョニー大倉が映画の中で殺してしまうスナックのママがいる。演じるのは横山リエだ。彼女は9位となっている大島渚監督「新宿泥棒日記」でも主演を演じている。高橋洋子が主演の「旅の重さ」でも気前よく脱いでいるし、梶芽衣子のライバル役の「女囚701号さそリ」でも重要人物を演じている。その後新宿3丁目の末広亭近くでバーを開いていて,自分も行った。残念ながらお店はなくなった。60代になっていた彼女は,もう映画とは縁のない状態になっていた。同時期に活躍していた女優たちが,映画に出演するたびにまだ活躍の機会はあるのではと思っていた。
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映画「正欲」 稲垣吾郎&新垣結衣

2023-11-12 08:27:27 | 映画(日本 2019年以降)
映画「正欲」を映画館で観てきました。


映画「正欲」朝井リョウの小説を岸善幸監督が映画化して,稲垣吾郎,新垣結衣,磯村勇斗等の出演者で描いた新作である。東京国際映画祭監督賞を受賞している。何よりまず新垣結衣が出ているだけで飛びついてしまう。星野源に奪われたことで,若者たちはショックを相当受けた。その気持ちは我々も変わらない。

稲垣吾郎も前作の今泉力哉監督「窓辺にて」での超長回しの演技はなかなか格好がついていた。それにしても次から次に新作に出る磯村勇斗の人気ぶりには驚く。内容はよくわかっていない中,早速映画館に向かう。

いくつものストーリーが同時進行する。
寺井啓喜検事(稲垣吾郎)の息子は小学校がイヤになっていた。毎日YouTubeを見ながら同世代の女の子が不登校でも幸せになっているのを見て,自分もそれでも良いかと父親に言い出す。似たような学校嫌いの子供たちが集まるNPOに参加して,息子はそこで見つけた友人とYouTubeのチャンネルを登録して,動画を公開する。父親はよく思っていなかった。


福山に住む桐生夏月(新垣結衣)はショッピングモールの寝具売り場で働いている。両親と暮らしているが,彼氏もいない。モヤモヤしている毎日の生活だ。妙に水フェチ的なところがあったのは,中学時代同級生だった佐々木(磯村隼人)と一緒に校庭の水飲み場の水を散水させた経験があったからだ。両親がなくなり,故郷に戻った佐々木と昔の同級生の結婚式で再会する。


学園祭実行委員としてダイバーシティフェスを企画した神戸八重子(東野絢香)は、ダンスサークルに出演を依頼する。そのダンスサークルに所属する諸橋大也(佐藤寛太)に八重子は好意を寄せる。諸橋は黙々とダンスに精を出し心を誰にも開かずにいる。


同時並行のいくつものストーリーを収束させる。
現代日本のアップデートな話題を巧みに映画としてまとめ上げていると思う。想像していたよりも良かった。


朝井リョウの原作は未読。彼の小説の映画化では,「桐島部活やめるってよ」「何者」「少女は卒業しない」の3作を見た。いずれもまだ若い朝井リョウが自分の学校生活での経験をもとに創作した作品と思っていた。IT化してきた現代の暗部に接近して今までの作品よりも朝井リョウの世界が広がっている感じを受けた。今後も現代若者の実態に迫ることを期待したい。

小学生にして不登校の子供たち,YouTubeに傾倒する子供たち,児童への性的関心の強い異常者。いずれも近年話題になる出来事である。大きく分けて3つのストーリーを1つに収束させるこの物語の映画化は容易ではないと思う。岸善幸監督の手腕が光る。監督の「あゝ荒野」は前編後編に分かれる位の長さとなり,寺山修司の原作の影響もあるが,さっそうと駆け抜ける前半に比べて後半は若干ダレる。それを思うと、実際の映像に具現化してこの時間にまとめたのは上出来だと思う。岩代太郎の音楽の使い方もうまかった。

登場人物に水フェチの性癖がある面々を登場させる。新垣結衣も磯村勇斗も水が流れるのを見るのを好む。自閉症の幼児は,公園の立水栓から水をジャージャー流すのを異常に好むことが多い。身内にいたのでよくわかる。今回の登場人物も人付き合いを得意としない明らかに自閉症の症状である。

一般に自閉症を扱う映画では異常に目をそらしたりする人物を登場させている。重度な患者ではない健常者と変わらないごく普通に生きている人たちは大勢いる。ダスティン・ホフマン主演の「レインマン」等の重症の自閉症映画と一線を引くが,根本的にはこの映画も自閉症映画である。


子供のYouTubeへの傾倒をここまで取り上げた映画は見た事がない。自ら作った動画に対する反応が不登校児童のよりどころになっている話である。中学受験が一部の生徒だけのものではなく、下手をすると低学年から塾通いをせざるをえない状況になっている。特に都市部の子供たちにとっては厄介な時代になってきた。ついていけない子供たちも多いだろう。,そのはけ口を何かに求めなければならない。YouTubeもその一つだろう。


少子化時代なのに子どもたちは大変だ。もし今の時代に生まれていたら,どうなっていたのか?戦争の影響もなく育った自分たちは良い時代に育ったのかもしれない。

新垣結衣の復活はうれしい。結婚しても瑞々しいし、相変わらずかわいい。今回は今までの役柄よりも普通ではない水フェチの女の子だ。水の流れに体が疼く。ベッドの周りが水で満たされていく奇妙なシーンもある。疑似恋愛もどきなのは「逃げ恥」と似ている。


稲垣吾郎は今回のジャニーズ事務所問題が起きるずいぶん前に離脱した。問題があるから早々逃げたのであろう。この映画では検事役で, 一番まともに見える人間の役である。着々と俳優としてのキャリアを築き上げている。磯村隼人は映画「月」で重度障がい者を虐殺する施設の従業員を演じて、演技の幅が広がった。ここでは,水フェチではあるが,前作ほど異常人物ではない。まだまだ活躍が期待される。
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Netflix映画「ザ・キラー」デイヴィッド・フィンチャー&マイケル・ファスベンダー

2023-11-11 17:30:05 | 映画(洋画:2019年以降主演男性)
Netflix映画「ザ・キラー」はデイヴィッド・フィンチャー監督の新作


Netflix映画「ザキラー」デイヴィッドフィンチャー監督によるアクションサスペンス映画である。主演の殺し屋はマイケル・ファスべンダーが演じている。Netflixはちょこちょこ覗いてはいるが,新旧ともになかなかいいのにぶち当たらない。これぞという作品だけブログアップしている。今回は巨匠デイヴィッド・フィンチャー監督作品でもあり,映画館でも公開もされている。別にケチるわけではないが, Netflixで早い時期に見れるならと直行してしまう。

デイヴィッド・フィンチャー監督作品は「セブン」「Fight Club」「ソーシャルネットワーク」「ゴーン・ガール」などの映画史に残る粒ぞろいの傑作ばかりである。Netflixに供給している監督の中でも格上といえよう。ただ、前作のNetflix映画「マンク」はそんなに好きになれなかった。

パリの高級ホテルのスウィートルームにいる富裕層の男女がいる部屋を反対側建物の空き部屋から望んでいる殺し屋(マイケルファスベンダー)がいる。標的を狙ったが,ミスってそばにいた女に当たってしまう。その場を退散して,警察をまきながら飛行機に乗ってドミニカに戻る。すると家族がいる隠れ家が見つけられて襲撃されていた。そうして、今回の依頼者及び家族を始末しに来た殺し屋などの元へ向かう話である。

夜の背景の中で、スタイリッシュに殺し屋を描いている。
デイヴィッドフィンチャー監督のこれまでの作品と比較すると,今回は長編作家が気の利いた短編小説を書いたような肌合いだ。大リーグ出身者が多いことで名前は聞いた事はあるが,これから一生行く事はないだろうドミニカ共和国の映像が出てきたりしてワールドワイドで映画は展開する。


実際には無口な殺し屋だけど,映画ではひたすら続くマイケルファスベンダーの独白がメインである。
「計画通りにやれ」「予測をしろ。即興はダメだ。」「感情移入はしない」と殺しに入る前に自らの計画を崩さないような独り言のナレーションが続く。ビジネスの啓蒙セミナーで講師が語っているみたいな言葉だ。大リーグ最後の4割打者テッドウィリアムズの通算打率は3割4分4厘だったけど,自分は10割だと言いきっていた。これまでずっと成功し続けてきたのにちょいミスをしてしまう。殺しの依頼者にはニアミスでは済まされない。逆に追われる立場だ。


相手は手強い。そう簡単には思い通りにはならない。それでも,スタイリッシュに切り崩していく。ただ,最後の場面,こういう形で終えるのはどういうことなのか?余韻も残したまま映画は終わる。Netflixで二回振りかえるほうがいいかも。1回見ただけでは内容を誤解してしまっていた。。映画館原理主義者には異があるかもしれないがディテールをじっくり振り返りながら、用意周到なキラーのパフォーマンスを家のNetflixで追った方が良い。

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映画「理想郷」ドゥニ・メノーシェ

2023-11-10 05:18:07 | 映画(フランス映画 )
映画「理想郷」を映画館で観てきました。


映画「理想郷」はスペインの田舎町に終の住まいを求めて移住したフランス人夫婦が地元民に疎外されるシリアスドラマだ。「おもかげ」ロドリゴ・ソロゴイェンの監督・脚本作品である。昨年の東京国際映画祭でグランプリを受賞した。「苦い涙」など最近出番の多いフランス人俳優ドゥニ・メノーシェが移住した夫婦の夫を演じる。欧州の田舎での閉鎖性は先日公開の「ヨーロッパ新世紀」でも取り上げられていた。アジア人移民を拒絶する村が題材だった。この映画は外部から来た移住者への閉鎖性というよりも、言うことを聞かない移住者へのイジメ映画の色彩が強い。

スペインのガリシア地方の山村に、理想の住処を求めてフランス人夫婦アントワーヌ(ドゥニ・メノーシェ)とオルガ(マリナ・フォイス)が移住する。その村には風力発電建設のための土地買収の話が来ている。アントワーヌは反対の立場であった。アントワーヌは少数派で、隣地に住む兄弟は補償金が入るのに、このままでは他のエリアに候補地が行ってしまうと当惑する。そして、あの手この手でアントワーヌ家に嫌がらせを執拗にするのだ。その嫌がらせはどんどんエスカレートしていく。


ヘビー級の重くて暗い映画だ。
隣家からの徹底したイジメを見せつける。陰湿さはよくあるいじめっ子を題材とした映画と変わらない。でも、訳もわからず、いいかがりをつけて集団で個人をいじめる日本の学校でのイジメとは違う。理由がある。よそ者を拒絶する住民の振る舞いがテーマでも、「ヨーロッパ新世紀」が描く田舎社会の閉鎖性とは違う。地元民がすすめる土地の収用に同意すれば、ここまで嫌がらせはしないだろう。

たしかに隣家の兄弟の行為は異常でも、移住してきたこのフランス人夫婦に問題がないわけではない。この2人もかなり変人だ。ここまで意固地になって反対しなくてもいいのでは?別の村に移り住んでもいいのでは?と思ってしまう。既存の住民の利害を考えてあげるべきだと感じる。この補償金では再移住は無理と判断するとアントワーヌはいうが、詳細がわからないと判断しづらい。

それにしても、考え得る限りの嫌がらせが次々と映像に映る。気が滅入っていく。家の周りで立ちしょんするのは序の口で、井戸にバッテリーを入れたせいで、アントワーヌ夫妻が栽培するトマトがむちゃくちゃになる。


道路の真ん中にクルマを置いて待ち伏せして通さない意地悪もする。アントワーヌはハンディカメラでその愚行を撮影して対抗しようとする。地元警察に訴えるが、よくある近隣問題と相手にされない。そして、思い切って、アントワーヌは村の住民が集まるバーで隣の兄弟に直談判する。これが最初の長回しの映像になる。


観るのに目を背けたくなるシーンが多いけど、映画のレベルは高い。嫌がらせ兄弟と対峙する長回しは尋常ではない演技力が要求される。映画の中盤以降に、夫婦の娘が村を訪れて母親に「こんな村は出たほうがいい。何でこの地にずっといるの?フランスに帰った方がいいよ。」と延々とケンカしながら説得する長回しも用意されている。それぞれの立場を踏まえたセリフである。常識から逸脱したセリフではない。


長時間の長回し場面が2つあるので、最近よくある150分を超える上映時間になってもおかしくない。うまくまとめている。内容は盛りだくさんだ。いずれにしても息が詰まるシリアスドラマであった。サスペンススリラーの要素もあって観客を適度にじらす。行方不明の夫の姿を見せそうで見せない。気が滅入っている時は観ない方がいいかもしれない。
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映画「SISU/シス」ヨルマ・トンミラ

2023-11-09 06:34:14 | 映画(欧州映画含むアフリカ除くフランス )
映画「SISU/シス」を映画館で観てきました。


映画「SISU/シス 不死身の男」はフィンランド映画、第二次世界大戦中にフィンランドに侵攻していたナチスに1人闘いを挑んだ元兵士の話である。フィンランド映画といえば、アキカウマリスキ監督の人情味あふれるシリアスドラマを連想する。その他で自分が観たフィンランド映画も似たようなおだやかな作品だった。今度は鬼のような人相の男がメインの写真に映っている。ちょっと違うなあとスルーする予定だった。

最近、映画好きの取引先の男性と昼食を共にした。その時、最近観た映画の話題になり「SISU/シス」って観ましたか?と言われた。まだという自分の反応に「痛快ですよ」と勧められて思わず観てみたくなった。映画館に行くと、予想よりも観客が多いので驚く。評判が良いのかもしれない。

1944年、フィンランド国内にナチスドイツの軍勢が攻め込んでいたが、撤退の態勢に入っている。そんな戦車を率いる師団の横を1人のフィンランドの老兵が歩いて通り過ぎる。老兵は金鉱を見つけて、金塊を持っていた。ナチスの兵士たちにちょっかいをだされて、金塊を持っていることがバレてしまう。危うくやられそうだったのに、逆にコテンパンに兵士たちを退ける


慌てたナチスが調べると、この男はアアタミ・コルピ(ヨルマ・トンミラ)だと判明する。フィンランドの特殊部隊出身で「不死身の男」の異名をもつ男だ。フィンランドを侵略したソ連との戦いでは300人のロシア兵を退治したという。ナチス当局は面倒だから相手にするなと言うが、戦車連隊の隊長ブルーノ・ヘルドルフ中尉(アクセル・ヘニー)はアアタミを始末しようとする。


たしかに、おもしろい。
スキッとする痛快アクション映画である。

怖い顔をした傷だらけの男を見ると、一瞬中世から近世にかけての昔の話かと思ってしまう。実は第二次世界大戦中の時代設定で、相手はナチスの兵士だ。どんな立ち回りをするのかと思ったら、次から次にいろんな格闘のネタがでてくる。アイディア満載だ。

当然1人で大勢を相手にするわけである。しかも、銃は向けられるし、戦車はぶっ放すし、周囲には地雷だらけだ。かなうはずがないのに、こうやって倒すのかとあの手この手で飽きさせない。挙げ句の果てには、「ミッションインポッシブル」トムクルーズばりに飛んでいる飛行機につかまる。


自分の脳裏で連想したのは、「バッドアス」ダニートレホである。しがない老人がならず者を倒してヒーローになる話だ。老人をクローズアップさせるのが似ているかもしれない。ヨルマ・トンミラは還暦越えと知り思わず応援する。でも、この映画の方が相手を倒す格闘シーンの捌き方のアイディアに富んでいる。ヤルマリ・ヘランダー監督の発想はおもしろいし水中の格闘をはじめ実現してしまうのがすごい。

実はナチスはフィンランドの女性を捕虜にとっていた。その女性たちが、アアタミの大暴れに乗じてナチスの軍勢に反撃するのも見どころだ。そんな活劇ばりの映画をキッチリ90分にまとめるのも好感が持てる。知人に勧められた「シス」は誰かにおもしろい映画はと聞かれたら思わず推薦してしまう気がする娯楽映画の見本だ。
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映画「おはん」 吉永小百合&大原麗子

2023-11-08 08:55:58 | 映画(日本 昭和49~63年)
映画「おはん」を名画座で観てきました。


映画「おはん」は1984年(昭和59年)の東宝映画、宇野千代の原作を市川崑監督で映画化する。吉永小百合が主演のおはんを演じる。この年の日本アカデミー賞で数々の賞を受賞し、キネマ旬報ベスト10で6位で吉永小百合が最優秀女優賞を受賞している。吉永小百合はこの頃から文芸作品での主演が増えてきた。でも、この当時吉永小百合の映画にはまったく関心がなかった。昭和の頃は,よく宇野千代が雑誌に載っていたなと思い出す。あまり関心がなかった。

古物商を営む幸吉(石坂浩二)は色街の芸者おかよ(大原麗子)のもとで一緒に住むことになり、妻のおはん(吉永小百合)と別れる。それから7年経った時、幸吉は町でおはんとバッタリ会う。おはんに息子がいることを知り、一度店に寄るように言いその場は離れる。来るとは思っていなかった幸吉は店頭でおはんを見つけて、隣のおばはん(ミヤコ蝶々)の部屋に行って情交を交わす。それ以降、おかよの目を盗んでこっそりと逢引きをするようになる。


2人の人気女優の演技合戦が見ものの映画だ。
浮気相手のもとに行ってしまった元夫と逢引きを繰り返して、再度自分の息子と一緒に3人で住もうと望む女が吉永小百合だ。まさか元妻と浮気をしているようには思えず、家を改築して2人で夫婦生活をもっと楽しもうとする活発な女性が芸者の大原麗子だ。その間に入った石坂浩二はモテると言えばモテる男だけど、どちらにもいい顔をしている情けないダメ男だ。森繁久彌はこんな男を演じるのが得意だった。

現代でも、妻とは別れると言いつつ、一切別の女の存在を自分の妻には言わずに浮気している男は確かにいる。ただ、このおはんのように別の女に行ってしまった裏切り者の元夫との復縁を待つ女は明治の女なんだろう。当時は、甲斐性のある男には妾は1人ならず大勢いた。天皇家だって、女官という名の皇族の側近の女性がいた。大正天皇までは正妻の子ではない。医療事情が悪いので子供が育たない。仕方ない。

様々な映画賞を受賞した主演の吉永小百合は奥ゆかしい明治の女を情感こめて演じて確かに良い。今から39年前なので彼女がまだ30代,年齢を感じさせない妖怪のような美しさを備えた現在の吉永小百合もいいが,当然若い時はもっと美しい。当時,いろんな女優が潔くヌードになる映画が多く吉永小百合にも同じような期待がかかっただろう。石坂浩二との絡みできわどいシーンはある。ただ、ここで寸止めで終えたは良かったかもしれない。

大原麗子が非常によく見える。住み込みの芸妓を抱えている置屋のやり手女将である。最後に向けて,大原麗子と吉永小百合が対峙する場面がある。吉永小百合との浮気がばれた後だ。そこでの大原麗子は泣いたりわめいたりせずに落ち着いた面持ちだ。この貫禄はなかなかだせない。今思うといい女優だったんだなと思う。自分から見ると,賞は大原麗子にあげてもいい気もする。


近江八幡や岩国で撮ったとされるロケ地は、ひと時代前の建物が建ち並んで趣がある。セットでなく実際の建物を利用しているので,リアル感が高まる。39年経ってもすべて残っているのであろうか?

市川崑らしいアップを多用する映像はいつも通り。スローモーションで石坂浩二と吉永小百合の絡みを撮るカメラワークも良い。ただ,バックのミュージックにマーラーの交響曲5番の有名なフレーズを使っている。ちょっと違う印象を受けた。最後はストリングスだったからいいけど,途中は陳腐なオルガンもどきを使ってしけた感じがする。五木ひろしの主題歌もどうなのかなあ?映画音楽がもう少しまともだったらもっと良くなっていたのにと感じる。この当時いい作曲家がいなかったのかなあ。
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映画「パトリシア・ハイスミスに恋して」

2023-11-06 17:58:28 | 映画(洋画:2019年以降主演女性)
映画「パトリシアハイスミスに恋して」を映画館で観てきました。


映画「パトリシアハイスミスに恋して」アランドロン主演「太陽がいっぱい」ヒッチコックの「見知らぬ乗客」などの名作映画の原作者として名高いパトリシアハイスミスの人生に接近するドキュメンタリーである。レズビアンで惹かれ合う2人を描いた近年のヒット映画「キャロル」の原作は別名義で出版している。

パトリシアハイスミス原作の映画はほぼ観ていて、「見知らぬ乗客」アルフレッドヒッチコックの小技炸裂の映画で最初観たとき終盤の遊園地の場面におったまげた。他にもヴィゴモーテンセン主演「ギリシャに消えた嘘」が好きだ。パトリシアハイスミスが書いた「サスペンス小説の書き方」は謙虚に彼女自身の小説の書き方にふれている。書棚にあってたまに覗き込む。そんなパトリシアハイスミスの人生をもっと知りたいと思っていた。


「キャロル」の映画を地でいくパトリシアハイスミスは男性よりも女性に惹かれる人生を歩んだ。このドキュメンタリーでは、ウマの合わない母親との関わりやルーツをたどる。そして、まだ存命の付き合った女性たちへのインタビューでパトリシアハイスミスの人間像に迫っていく。

パトリシアハイスミスに関心のない人には退屈なドキュメンタリーかもしれない。でも興味深い
映画では「キャロル」「見知らぬ乗客」、マット・デイモン主演の「リプリー」のいくつかのシーンが引用される。われわれの同世代より上の世代にアランドロンの強い印象を残した「太陽がいっぱい」「リプリー」が取り上げられているので省略ということだろう。

映画「キャロル」で、デパートのおもちゃ売り場の売り子だったルーニーマーラが遠目に見た美貌の婦人ケイトブランシェットに一瞬にして目を奪われる。視線に気づいたケイトがルーニーの売場に来て語り合うシーンがある。恋のはじまりである。この印象的なシーンをクローズアップして、パトリシアハイスミスレズビアンの恋に結びつける。


映画によれば、当時のニューヨークにはかなりの数のゲイバーがあったようだ。(レズビアン向けもゲイバーとするのは初めて知った。)そこで数々の女性と知り合う。ただ、当時はまだオフィシャルにできるような話ではなかった。「キャロル」もあえて正体を見せず別名義で書き上げているし、パトリシアハイスミスの小説の大半は男性が主人公である。

パトリシアハイスミスはアメリカにずっといたわけではない。ニューヨークを後にしてロンドンに移り住む。それからフランスの郊外の田舎町に居を構え、最終的にはスイスに家を建てて生涯を終える。それぞれに恋人がいた。


この映画ではパトリシアハイスミスの執筆手法についてはあまり触れていない。若干期待していたので残念である。逆に映画を観たあとで「サスペンス小説の書き方」のこの部分が気になったので引用する。
主人公に視点をおきつつ, 3人称単数で語ることを好んでいるのは、おそらくあらゆる点でその方が簡単であるからだ。かつ男性の視点にしている。。女性の方が人や状況を動かすより動かされやすく、「こうしよう」や「こうする予定だ」と言うよりも「こうできない」と言いがちだと考える癖がある。p125
女性をよく知っているパトリシアハイスミスならではの著述だ。
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映画「サタデーフィクション」コンリー&オダギリジョー

2023-11-05 15:36:47 | 映画(アジア)
映画「サタデーフィクション」を映画館で観てきました。


映画「サタデーフィクション」は中国映画, ロウ・イエ監督が1941年太平洋戦争開戦前の各国のスパイが入り乱れる国際都市上海を描いた映画である。中国の大女優コン・リーと日本のオダギリジョーが共演している。1941年の日本軍上海英仏租界侵攻を描いた映画は多い。クリスチャンベールがまだ子役だったスピルバーグの「太陽の帝国」も開戦時のドタバタとその後を描いていた。西洋文化が交わり魅力的な国際都市だった戦前の上海を描いた映画が好きだ。。

ロウイエ監督の作品には、現代中国の暗部に注目した題材が多い。2017年の「シャドウプレイ」は広州の開発エリアでのトラブルを描いていて中国では上映まで2年かかったらしい。日本公開は2023年だ。でも、強烈に電圧の高い激しい作品だった。実は「サタデーフィクション」はコロナ禍前の2019年につくられている。今回は戦前までタイムスリップするが、おもしろそうだ。


1941年、人気女優ユージン(コンリー)が「蘭心大劇場」で舞台「サタデーフィクション」を演じるために上海を訪れる。国際都市上海には日本海軍の古谷少佐(オダギリジョー)や特務機関の梶原(中島歩)だけでなく、フランスの諜報部員ヒューバート(パスカル・グレゴリー)をはじめとした各国の諜報部員が集まっていて、各国の動きを探りあっていた。


映像のセンスは認めるが、訳がわからない展開だ。

この映画のストーリーを書くのはむずかしい。解説はほぼない。この当時、中華民国自体も日本の傀儡政権的な汪兆銘(精衛)の南京政府が分裂して蒋介石の重慶政府と分かれている。それぞれの諜報部員が登場する。ユージンが以前労働組合に関わっていたなんてセリフがあると、共産党側の人物だと連想してしまう。それに加えてフランス人スパイや日本の特務機関が加わり何がなんだかよくわからないままストーリーが進む。途中から急展開して、誰もがスパイになっている。現代中国史がわかっていても混乱する。

どっちが味方か敵だかわからなくなるのは、東映の実録物ヤクザ映画を観ている時の感覚だ。深作欣二監督手持ちカメラを多用するのと似たように、ブレまくりのカメラで登場人物を背後から追う。ロウイエ監督の前作「シャドウプレイ」はカット割りも多く、すごいスピード感だったけど、この作品では後半戦になって展開が早くなる。最後に向けて入り乱れている中で、ようやくスパイの目的が日本が開戦する場所を掴むことだとわかる。ただ、オダギリジョークラスの将校へ開戦に関する極秘内容が伝わるのはあり得ないのではと思う。

日本映画で、1940年代を撮るとなるとほとんどセットになる。どこか不自然で稚拙にみえることが多い。ところが、上海黄浦江に面した外灘エリアに今もレトロな建物が並んで建っている。ここを舞台にすることでリアル感が増長する。モノクロの手持ちカメラで撮ったレトロな建物で繰り広げられる映像に魅せられる。ただ、自分が知っている上海のフランス租界ってもう少し住宅街ぽいエリアだったけど違うかな。あと、パリ陥落以降なのでフランス人スパイという存在自体が微妙。ドゴール将軍側ということだと解するけど。

国際派女優コン・リーは健在だった。いかにも中国人女性らしいキツさを備えた表情は変わらない。50代後半になってもアクション場面に通用するのはさすがだ。モノクロ映像ではそんなに老けて見えない。雨の中の対決がスタイリッシュに見える。


オダギリジョー怪しい雰囲気を持った日本人将校役が上手い。中島歩は日本ではもう少しヘラヘラした役も演じるけど、特務機関の男という雰囲気を残す。加えて日本語を話す日本軍の下っ端が酔っ払いなども含めてずいぶんと登場する。


ロウイエ監督のこれまでの作品と比較すると、この映画は中国当局に承認された映画を撮っている雰囲気が強い。最終に向けての展開はそうなるだろうなあと予測した通りだった。
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映画「私がやりました」 フランソワオゾン

2023-11-04 20:46:42 | 映画(フランス映画 )
映画「私がやりました」を映画館で観てきました。


映画「私がやりました」はフランスの奇才フランソワ・オゾン監督のコメディタッチのサスペンス映画である。新作となると観に行く監督だ。本年公開でも「苦い涙」という作品があった。男色系で室内劇ということで、自分には合わないだろうと思ったけど、予想通りだった。でも、今回はフランソワオゾン監督が元来得意とするミステリータッチのようだ。期待して映画館に向かう。

1935年のパリ、大物映画プロデューサーが自宅で殺された。その日に家にいき出演交渉を受けていた若手女優マドレーヌ(ナディア・テレスキウィッツ)に警察は疑いを持つが本人は否定する。ところが、一転マドレーヌは自分がやったと自白する。裁判ではルームメイトの弁護士(ポーリーヌレベッカ・マルデール)に言われた通りに、プロデューサーに強引に迫られての正当防衛だと主張する。結局、陪審員の受けも良く無罪となり、悲劇のヒロインとして仕事が殺到する。

ところが、豪華な新居に移った2人のもとを一世を風靡したかつての大女優オデット(イザベル・ユペール)がプロデューサー殺しの真犯人は自分だと名乗りでる。


あきずに100分を駆け抜けるテンポのいいフレンチコメディである。
歴代のフランソワオゾン監督の作品と比較してもおもしろい。前作の「苦い涙」ではサスペンスの味わいがなく、しかも室内劇で強い閉塞感があった。男色系の異常人物を登場させ気持ちが悪かった。

元来フランソワオゾンはコメディーの匂いがするサスペンスタッチのストーリーが得意である。最近干されて新作が出ていないウディ・アレン監督の作風を連想する。若手2人の主演女優の会話のテンポが良く,ベテランのイザベルユベールは貫禄でグロリアスワンソンのような無声映画時代の大女優を演じる。早口言葉でうさん臭い姿が映画の雰囲気を盛り上げる。脇役のベテランコメディ男優もコミカルに演じる。


主人公のマドレーヌは4ヶ月も賃料滞納して,大家から強く支払いを求められている。せっかくの有名映画プロデューサーからのお金になる出演依頼も,愛人になるおまけ付きのオーダーなので断っていた。当然ぶ然としてプロデューサーの家を出たわけであった。それなのに,突然刑事がマドレーヌの部屋を訪問して,殺害されたその日にプロデューサの家にいただろうと問い詰めてくる。

当然やってないわけだから否定する。しかし、ここで同居人の新米弁護士と悪だくみを考えるのだ。それがまんまと成功する。やっていないのにやったと言ってしかも無実を勝ち取るのだ。


フランソワ・オゾン監督の作品では,ある一定のところまで話が主人公の思い通りになって,その後逆転降下するストーリーが多い。今回もその類である。突然現れた真犯人に一瞬おどおどする。でもしぶとい女性2人の悪だくみはそれでは終わらない。粘り強く往年の名女優と対峙していく。

この2人がいかに悪知恵を発揮させるのかという展開を楽しむわけである。元来,モリエールの時代からジャン・アヌイに至るまでフランスの戯曲にはこういう喜劇基調でストーリーの逆転を楽しむものが多い。元ネタもあるようだが,フランソワオゾン監督は良い素材を選んだ。

それに加えて今までの作品よりもお金がかかっている1935年のパリを再現させてビリーワイルダー監督の「ろくでなし」を公開している映画館を映し出す。また,大勢の傍聴人がいる法廷の場面, スイミングプールがある豪邸など様々な場面を用意して、視覚的にも我々の目を楽しまさせてくれる。終わり方も悪くない。簡潔に映画の素材をまとめた自分の好きなタイプの作品である。
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