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映画とライフデザイン

大好きな映画の感想、おいしい食べ物、本の話、素敵な街で感じたことなどつれづれなるままに歩きます。

映画「美しい夏」ディーヴァ・カッセル& イーレ・ヴィアネッロ

2025-08-03 08:05:47 | 映画(欧州映画含むアフリカ除くフランス )

映画「美しい夏」を映画館で観てきました。

映画「美しい夏(La Bella Estate)」イタリアトリノを舞台にしたチェーザレ・パヴェーゼの同名小説に基づく作品で監督はラウラ・ルケッティだ。夏の湖で知り合った少女から大人になろうとする時期の10代の女性2人にスポットをあてる。若い女性2人が親しくする姿をみるとレズビアン映画を想像するがそうでもなさそうだ。映像の美しさに惹かれて映画館に向かう。

1938年の夏、第二次世界大戦前夜のイタリア・トリノ。服飾工房で働く少女ジーニア(イーレ・ヴィアネッロ)は、湖畔で出会った年上の女性アメーリア(ディーヴァ・カッセル)に心を奪われる。アメーリアは画家のモデルとして生き、芸術家やフランス人仲間と自由に過ごしていた。

ジーニアもその仲間に入ると、服飾の仕事よりも画家たちとの交流にのめり込んでいく。やがて自分も裸のモデルになりたいと願って画家に近づく。ジーニアは上司に見込まれて抜擢された仕事をおろそかにするようになり、同時にアメーリアは体調を崩していることがわかる。

柔らかい色彩設計にすぐれたムードのある叙事詩のような作品だ。

原作では16歳と19歳の設定があるようだが、映画の中では言及されない。地味に服飾の工房で働いている少女ジーニアが自由奔放な画家のモデルのアメーリアにあこがれるのだ。気が合い惹かれあってもレズビアン的な2人の存在ではない。ジーニアは大人の世界に入ろうと画家に近づいていくのだ。

のめり込んで服飾の仕事面でバランスを崩すジーニアや当時不治の病だった病気にかかってしまうアメーリアを描くことで変化をもたせる。若き女性の危うさに触れていても青春の輝きは最後まで失わずに全体に流れる空気は心地よい

⒈戦前のトリノ

1938年はムッソリーニのファシズム下であり、第二次大戦が始まる直前だ。街に政治的空気が漂う一方で上流階級や芸術家たちはまだ自由を享受している。トリノはフランスに近く、フランス語の会話が自然になじむ。戦前の建築が多く残り、1930年代の街並みが再現しやすい魅力的な街だ。自分は行ったことがない。ロケ地には実在の旧市街のカフェ、湖や郊外の村などが使われた。荒川静香の金メダルの記憶が鮮明な2006年冬季五輪の開催都市で、枯葉舞い散る街路や雪景色のシーンもあり美しい四季を持つ一面も醸し出す。

⒉2人の主人公

実は2人の実年齢は逆転している。作品情報によるとジーニア役イーレ・ヴィアネッロが99年生まれでアメーリア役ディーヴァ・カッセルが2004年生まれで5つも年齢が逆転するのには驚く。ディーヴァの方が背が高く年上に見えてしまう。夏の湖畔の再会シーンは病気に関して多くを語らず曖昧さを残した素敵なエンディングだ。

ジーニア役イーレ・ヴィアネッロが実年齢を超えて演技やしぐさ、表情によって「まだ社会経験の浅い少女」という印象を強めている。巧みに少女の揺れを体現すると同時に画家に抱かれるシーンでは美しい裸体や乳首も見せる。画家のモデルになるシーンではヘアヌードにもなる思いっきりは称賛する。

アメーリア役ディーヴァ・カッセルは実年齢と役柄がほぼ一致する。最初の湖畔のシーンからスタイル抜群のナイスバディを披露する。映画を観終わって初めて知るが、何とモニカ・ベルッチとヴァンサン・カッセルの娘だそうだ。とんでもない血統書付の女の子で母モニカ・ベルッチ譲りの強烈な存在感だ。

画家のモデルになるシーンその他でバストトップを見せそうで見せないのはもったいないと思っていたけど、その血統と実年齢を知り思わず納得する。英語、仏語、イタリア語いずれもできるとなると将来大物になるのは間違いない。ボンドガール向きかもしれない。

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映画「KNEECAP/ニーキャップ」

2025-08-02 21:01:37 | 映画(欧州映画含むアフリカ除くフランス )

映画「ニーキャップ」を映画館で観てきました。

映画「KNEECAP/ニーキャップ」は実在するアイルランドのラップトリオが自らを演じた半自伝的映画である。でもドキュメンタリーではない。もちろんこのバンドの名前を聞くのは初めてだ。監督は元ジャーナリストのリッチ・ペピアットである。北アイルランド・ベルファストでは紛争が題材で映画化もされた。アイルランドは何かと英国とはもめ事が多い。宇宙人のような髪型をした若者2人とおじさん教師が歌う反英国的な歌詞のラップが基調である。思いのほか満席、今いい映画やっていないもんなあ。みんな消去法だろう。

北アイルランドのベルファストで生まれ育った若者ニーシャ(モウグリ・バップ/本人)とリーアム(モ・カラ/本人)は幼馴染み。ある日、ドラッグパーティーの会場から逃げ遅れ警察に捕まったリーアムは取り調べで英語を話すことを拒否する。怖い女刑事は通訳者として派遣されたアイルランド語教師のJJ(DJプロヴィ/本人)とともに話を聞く。

リーアムの手帳にある歌詞を見たJJはアイルランド語でラップをやることを2人に提案。ヒップホップ・トリオ「ニーキャップ」が誕生する。バンドは注目を集めるが、 過激な歌詞や政治色の強さが問題視されてしまう。しかも、教師のJJも活動が学校にバレるのだ。

リズミカルなラップのノリで映画を疾走させる。

北アイルランドは政治的にトラブルが多いエリアである。近年までアイルランド語が公用語でないと知り驚く。アイルランド語でラップを歌う3人組が政治や社会の圧力の狭間でバンド活動をする。映画を観ていてコミカルなタッチは好みであってもストーリーの流れはよくわからない。直線的ではなく、日常の断片が連なっていく構成の中にドラッグとSEXが混じっていく。18禁となるのはファックシーンの多さだろう。

筋を追う映画ではない。ストーリーの明確さよりも、キャラクターの個性と音楽のパワーで魅せる構成だ。登場人物(3人のメンバー、女性刑事、家族、恋人、マフィア集団)がいずれも個性的でストーリーが多少散漫でも飽きずに最後まで映像を追える。

⒈ユニークな登場人物

ともかく好き勝手に生きている若者2人の破天荒さに笑う。破茶滅茶としか言いようにない。家族とのふれあいに加えて失踪した父親の存在をうまくストーリーに織り込む。どうも創作のようだ。スポーツのようにファックしまくる彼女との漫才のようなかけ合いも楽しい。ステージ上での尻出しパフォーマンスや薬物使用描写により教師JJは学校をクビになる。妻との関係もユニークだ。この教師あがりのラッパーはてっきりプロの役者かと思ったらバンドの一員なのね。演技ナチュラルでうまい

怖い女性刑事とドラッグ絡みのマフィアが3人の動きを執拗に追う。映画「ブルースブラザーズ」で警察やネオナチなど色んな連中が追いかけるのを連想する。女性刑事はドラッグ捜査だけでなく、政治的活動も締め付ける。物語の緊張感を高めるため権力側の象徴として彼女の使い方が絶妙である。

⒉ラップのノリ

字幕ではカッコ書きになるアイルランド語とヒップホップのリズムが融合して耳触りがいい。挑発的で時に過激な歌詞は政治的なメッセージも強いけど軽やかだ。政治の話であっても説教くさくない。ライブでは観客を完全に巻き込む。ノリの良さで純粋なエンタメとしても楽しませてくれる。

この作品は筋書きの明快さではなく、登場人物と音楽の魅力で観客を引っ張る映画だ。正直言って映画のストーリーがようやくつかめるのは後半戦になってからだった。それでも楽しい。

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映画「ゲッベルス ヒトラーをプロデュースした男」

2025-04-12 07:52:28 | 映画(欧州映画含むアフリカ除くフランス )

映画「ゲッベルス ヒトラーをプロデュースした男」を映画館で観てきました。

映画「ゲッベルス」はナチスドイツの宣伝大臣ゲッベルスをクローズアップしたヨアヒム・A・ラング監督の作品。ヒトラー以外のナチス幹部ではゲッベルスはゲーリングと並んで世間に名が知れている。ヒトラーが叩き上げで這い上がる途中で、弁舌に長けていることに加えて、大衆を扇動するために大量のプロパガンダを使ったことに以前から注目していた。その時の宣伝の責任者がどんな施策をとったのかを映像で観れるのかと気になる。これまで見たことがない記録映像も多く世界史好きにはたまらない場面を見せつけてくれる。

映画は1938年から1945年までのゲッベルスの動向を追う。

作品情報を引用する。

1933年のヒトラー首相就任から1945年にヒトラーが亡くなるまでの間、プロパガンダを主導する宣伝大臣として、国民を扇動してきたヨーゼフ・ゲッベルス。当初は平和を強調していたが、ユダヤ人の一掃と侵略戦争へと突き進むヒトラーから激しく批判され、ゲッベルスは信頼を失う。 

愛人との関係も断ち切られ、自身の地位を回復させるため、ヒトラーが望む反ユダヤ映画の製作、大衆を扇動する演説、綿密に計画された戦勝パレードを次々と企画し、国民の熱狂とヒトラーからの信頼を再び勝ち取るゲッベルス。独ソ戦でヒトラーの戦争は本格化し、ユダヤ人大量虐殺はピークに達する。スターリングラード敗戦後、ゲッベルスは国民の戦争参加をあおる“総力戦演説”を行う。しかし、状況がますます絶望的になっていく。(作品情報引用) 

ヒトラー及びゲッベルスが頂点から破滅に向かう姿を歴史上の記録映像を交えて編集に組み入れた興味深い映画である。必見だ。

巷の評論家の評価は賛否分かれている。個人的には賛否両論の時は観るべしという考えだ。うまくいくことが多い。劇中の記録映像でのユダヤ人虐殺場面にはドギツさもある。それでも、世界史的にも重要な場面でヒトラーやゲッベルスの記録映像と今回撮影した映像を交互させる手法は自分にはよく見える。編集の妙味を感じる。

ヒトラーが総統に成り上がる頃からゲッベルスを追うのかと思ったら違う。1938年のズデーテン併合が絡んだ英国首相ジョセフチェンバレンとヒトラーとのミュンヘン会談の時期からだった。ナチスドイツはチェコを手に入れようと第二次世界大戦への一歩を踏んでいる頃だ。この頃は厭戦ムードがドイツ国民にも強く、宣伝大臣のゲッベルスが戦争回避のムードに持ち込んだことで手に入れられるはずのチェコがモノにできなかったとの批判を浴びている。

その当時ゲッベルスはチェコ出身の美人歌手と不倫していた。子だくさんのゲッベルスの妻が出産したばかりなのに、浮気がバレる。離婚寸前までいったが、ヒトラーから宣伝大臣の離婚は大衆に示しがつかないと強制的にやめさせられる。その後夫婦仲は戻る。ゲッベルスはナチスドイツを扱った映画に登場することが多い。しかし、ゲッベルスの子だくさんの家庭や浮気に踏み込んだ映画は観たことがない。

ユダヤ人迫害を言及した映画は多い。ここではどういう流れでドイツがユダヤ人を敵にするようになったかを取り上げる。もともと厭戦の立場だったゲッベルスは、自身の立場を戦争強硬派のライバルと比較して弱めた。ここで逆転を狙う。ユダヤ人によるドイツ外交官殺害事件を大げさにクローズアップさせたり、ユダヤ人は残虐だと動物迫害の極端な映像を大衆に見せてユダヤ人は敵との印象を植え付けさせようと試みる。他国との戦いもむしろ戦争不可避の立場に持ち込む。

ナチス統治下のドイツで、いかにゲッベルスの宣伝による洗脳が行われていたかがよくわかる。国民を鼓舞するために新聞社やラジオ局を懐柔させ、映画や記録映像などの映像の手法を使う。徐々に劣勢になっていく戦況の中でも、メディアの力を最大限使っている。独ソ戦でスターリングラード戦に敗退した後の大演説会や大衆の行進の映画シーンは演出家としてのゲッベルスの恐るべき才能を感じる。自分の地位の保身のため、そしてヒトラーのために尽くしたけど終わりは良くなかった。

映画を見終わった後で解説を読むと、史実の歴史監修をしっかりと行なっているようで、セリフの多くもゲッベルスやヒトラーらが実際に口にした言葉のようだ。リアルさに迫る映画だと感じる。戦時中の天◯神格化の日本や現代北◯鮮のインチキ映像と照らし合わせると思わず吹き出す。

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映画「Playground 校庭」ローラ・ワンデル

2025-03-15 19:39:34 | 映画(欧州映画含むアフリカ除くフランス )

映画「Playground 校庭」を映画館で観てきました。

映画「Playground 校庭」は小学校におけるいじめを題材にしたベルギー映画である。原題は「Un monde」(世界)で英題がPlayground(校庭)だ。予告編で小学生がいじめられている兄貴を見て心を痛めるシーンに胸がキュンとなる。いじめられた経験は自分にもある。観るのが怖くなる。わかっていて選択を後回しにしたが、スキマ時間ができたので72分間鑑賞する。ベルギーの女性監督ローラ・ワンデルの作品で言語はフランス語。題材は日本にも共通する内容のいじめだ。

7歳のノラが小学校に入学した。しかし人見知りしがちで、友だちがひとりもいないノラには校内に居場所がない。やがてノラは同じクラスのふたりの女の子と仲良しになるが、3つ年上の兄アベルがイジメられている現場を目の当たりにし、ショックを受けてしまう。

優しい兄が大好きなノラは助けたいと願うが、なぜかアベルは「誰にも言うな」 「そばに来るな」と命じてくる。その後もイジメは繰り返され、一方的にやられっぱなしのアベルの気持ちが理解できないノラは、やり場のない寂しさと苦しみを募らせていく。(作品情報 引用)

緊迫感あふれる作品だ。重い内容には考えさせられる。

手持ちカメラで学校内にいる主人公の7歳の少女を舐めるように追う。学校外のシーンはない。視線はあくまで少女で、学校内での周囲の出来事は遠目に映し出す。ただ、予想したストーリーと途中から経路が変わる。兄貴へのいじめが徹底的になされて最後で解消される展開と思っていたら、違った。もっと事態は重くなっていくのだ。

公開館は少ないが、ぜひ日本のすべての小中学生や教員に観てもらいたい心に深く突き刺さる映画だ。と言っても道徳的勧告がある映画ではない。客観的にいじめの実態を追い、それによって心悩ませる子どもたちがいることを我々に伝える。映画を観るといじめは万国共通と認識できる。作品情報に「大人にはうかがい知れない子供の世界」と書いてあるが、違うと思う。われわれの誰もが子供のころに自分でなくても周囲で体験したことがあるような話ばかりなのだ。

 

⒈初登校の不安

主人公は途中で少女とわかるが最初は少年だと思っていた。ボーイッシュでもかわいい。校門で主人公が泣きながら校庭に入る場面でスタートする。初登校なのだろうか?転校かな?状況は説明がない。兄が妹を励ましても前方に歩こうとしない。ずいぶんと兄を頼りにする。甘えん坊だなあと感じる。自分の名前をなかなか言えないし、食堂でも視線は離れている席で食べている兄に向かう。でも兄はいやがる。父親は登場するけど、母親は映らない。父親は主夫だ。失業?離婚?幼稚園の類にも行っていなかったのか?いきなり小学校進学なのかもしれない。

自分で振り返ると、初めて小学校に行った日の入学式は脳裏に残っていないが、集合の記念写真を撮られた記憶と教室に入って別の幼稚園出身の見慣れぬ周囲の子どもたちがガヤガヤと走り回っている記憶が残る。この主人公ほど不安な気持ちはなかった気がする。むしろ幼稚園に入園した時に、幼稚園バスに乗るのに抵抗した記憶が心に残る。

⒉苦手な体育とひも結び

主人公ノラは不器用だ。自分も似た者なので親しみを持つ。体育の時間で平均台をうまくこなせないし、靴のひもを結べない。自分は跳び箱が不得手で、先生からいい印象を持たれなかった。跳べるようになった後も通信簿に跳べないと書き込まれていやだった。小学校低学年の自分は先生と合わなかった。

ノラは友達との接触を当初嫌がっていたけど、学校に慣れ2人の女の子と遊ぶようになる。靴のひも結びも教えてもらう。ところが、兄のいじめの噂で周囲の女の子からノラと遊ぶのをいやがられる。男子のいじめとは違う女性特有の陰湿な扱いで、ノラだけ誕生日会に呼ばれない。すると、ノラが爆発してしまうのだ。小学生の頃のお誕生日会は子どもにとっては重要なイベントだ。のけ者にされる辛さ、不安心理もクローズアップする。

辛い時もノラの良き理解者だった先生が途中で交代する。先生の交代がいい方向に進むこともある。自分は高学年に向けてそれで助かった。実際にはノラ自体がわがままだけど逆によくない方向に進む

⒊イジメを親や教員に言えない

兄はドラえもんのジャイアンのような体の大きな生徒たちにいじめられ続ける父親にはいじめられたとは言えない。いじめによる軽いキズもサッカーでケガしたと弁解する。トイレの便器でいじめられているのを妹が遠目に見て監視員を呼ぶ。兄は「誰にも言うな」と口止めする。

さすがにおかしいと思った父親にノラは兄がいじめられていると言うのだ。いじめっ子に父親が「今度やったら親に言うぞ」と諭して収まるかと思ってもやめないもっと酷い仕打ちを受けていよいよ教師にもわかり大騒ぎになるのだ。

いじめの構図はベルギーも日本も同じようなものだ。日本でもいじめられた本人は親に言わないケースがほとんどではないか。それが徐々にエスカレートして大問題になるのも同じ。こんな映画を子供と先生が一緒にみることがいじめ防止の特効薬になる気もする。

⒋いじめられた記憶は一生心に残っても、いじめた方は忘れる行為だ。

普段の生活では忘れていて意識していなくても、何かのきっかけでいじめを受けたことが数十年前のことでも映像のように頭に浮かぶことがある。イヤな奴っていたよね。逆に自分が弱い者いじめをしたのをずいぶんと時が経って相手から指摘されたことがあった。まったく記憶から抜けていて驚いた。いじめたつもりがなかったのが情けなかった。要はいじめる方はたいしたことと思っていないのが問題なのだ。

いじめの場合日本人特有の同調意識で集団でエスカレートすることもある。ただ、高校大学と上級になるといじめは少なくなっても無視の世界もある。自分が社会に入ってからは面倒くさい奴がいると徹底的に逆らって吠えた。その方が相手は静かになるものだ。それでも、自分の地位をキープするためにあえて逆らわず耐え忍ぶこともあった。

ここからネタバレになるが、主人公の兄は学校側にいじめっ子と仲裁された後、なんと一緒になって逆に弱い者いじめをするようになるのだ。このケースもありうる気もする。レベルの低い大学の旧然たる体育会では日常茶飯事かもしれない。いじめる側はいい気になる。悲しいことだ。ここでは兄貴からのいじめ行為を見た主人公ノラが兄貴に抱きついて懸命に止める。希望につながるかどうかわからないがいいシーンだった。

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アニメーション映画「Flow」ギンツ・ジルバロディス

2025-03-14 20:12:03 | 映画(欧州映画含むアフリカ除くフランス )

映画「Flow」を映画館で観てきました。

映画「Flow」は本年のゴールデングローブ賞とアカデミー賞の長編アニメーション映画賞の連覇を果たしたラトビアのギンツ・ジルバロディス監督作品だ。普段は観ないアニメ作品でもなぜか気になる。主役は1匹の猫でたまたま一緒になった動物たちと舟に乗って漂流する。セリフは一切ない。気持ちを言葉で表すことはない。字幕もない。動物たちの鳴き声だけだ。

自分の実家には猫がいて、母親が亡くなったあと妹が飼っていたが長命で死んだ。猫はガンで弱った死ぬ前の母を見ると心配そうにしていた。人間の気持ちはわかるのであろう。そんな猫のやさしい思いがよみがえる作品だ。

とりあえず作品情報を引用する。

世界が大洪水に包まれ、今にも街が消えようとする中、ある一匹の猫は居場所を後に旅立つ事を決意する。流れて来たボートに乗り合わせた動物たちと、想像を超えた出来事や予期せぬ危機に襲われることに。

しかし、彼らの中で少しずつ友情が芽生えはじめ、たくましくなっていく。彼らは運命を変える事が出来るのか?(作品情報 引用)

セリフがない猫の気持ちが伝わるハートフルなアニメ映画でよかった

莫大な予算のアメリカのメジャーアニメ作品を抑えて、アカデミー賞で最優秀作品賞を授与する審査員の気持ちがよく理解できる。制作費は5.5億円とメジャー作品と比べ物にならない。人間のようなセリフがなくても、動物たちの仕草で気持ちがわかる。ぜひ大画面の映画館の前方でこの感動を味わってほしい。おすすめ作品だ。

絵画マンガ系アニメでなくCG系アニメでバックの風景は実写のようだ。森の中を渓流が流れるところに1匹の猫がいる。川で泳ぐ魚を獲物にする猫だ。特に説明もなく、樹木の間を犬や大量の鹿が突如移動していく後で、ナイアガラ滝のような水量の多い洪水が押し寄せてくるのだ。陸地も樹木も水に埋まってしまう。

作品情報だとすぐさま動物たちが一緒のボートに乗るように感じられるがそうではない。犬もカピバラもキツネ猿も白鳥もみんなそれぞれの集団にいたのに、気がつくと一緒になる。漂流してきたボートにそれぞれの動物が恐る恐る乗り込んでいく。仲間からはぐれてきた動物たちもこのボートに乗るしかない。そんな動物たちの動きは実にリアルだ。

猫の動きはいかにも身近にいるホンモノのように敏捷で素早い。すいすいと高い場所に登っていく。猫が伸びをするポーズも母が飼っていた猫のようだ。この猫は水にももぐる。魚に飛びついてくわえてボートに持ってくる。アニメなのにこういう言い方も変だが、猫を捉えるカメラワークがいい。猫や動物を絶妙のショットで捉えている。白鳥につかまって空を飛ぶシーンもあり、空間もうまく使っている。

洪水に襲われた後も常に危機一髪な状況が続く。動物たちは同じボートにずっと一緒なのではなく、何度もはぐれる。仲間割れで取り残された意地悪な白鳥もいる。それでも、お互い助け合う気持ちがでてくる。心が洗われる気分になる。

ジルバロディス監督が「この作品は、とても個人的なストーリーでもあります。かつての作品では全て1人で手掛けていた私が、本作では主人公の猫のように、チームを組み協力すること、仲間を信頼すること、違いを乗り越えることを学びました」と語る。(作品情報 イントロダクション引用)

豪華さはないが、新鮮な感動をもらった。

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映画「愛を耕すひと」 マッツ・ミケルセン

2025-02-20 17:43:31 | 映画(欧州映画含むアフリカ除くフランス )
映画「愛を耕すひと」を映画館で観てきました。


映画「愛を耕すひと」はデンマークの名優マッツミケルセンの新作である。ニコライ・アーセル監督の作品だ。毎回主演作を楽しみにしている。今回は18世紀のデンマークまで時代がさかのぼる。未開拓の荒れ地から作物がとれるように奮闘する元軍人を演じる。もともと「007カジノロワイアル」で名をあげたマッツ・ミケルセンはデンマーク映画だけでなく活躍している。古い題材だけど今回も楽しみだ。

1755年のデンマーク。ドイツ帰りの退役軍人のルドヴィ・ケーレン大尉(マッツ・ミケルセン)は、名誉ある「貴族の称号」を得るため、広大な荒野の開拓に挑む。土地を耕し、ドイツ仕込みのジャガイモを植える。それを知った有力者のフレデリック・デ・シンケル(シモン・ベンネビヤーグ)は土地は自分のものだと主張して保身のためケーレンを追い払おうとする。
シンケルの虐待に耐えられず逃亡した使用人のアン・バーバラ(アマンダ・コリン)や両親に捨てられたタタール人の少女が、ケーレンのもとに身を寄せるようになる。ケーレンは悪天候にも耐えながら作物実る農地へ変えようと悪戦苦闘する。


過酷な話だ。これが実話に基づくというのもすごい。
映画が進行していくにつれて感動が生まれる。
薄汚れたような色合いの空で包む広大な平原が続いている。その中の一軒家に住処を構える。善悪がはっきりしているので、ストーリーはわかりやすい。デンマーク王の許可を得て主人公は耕しているのに、悪玉は自分の土地だといってきかない。少しづつ栽培もうまくいって入植者たちの仲間もこの土地に来るが悪玉は邪魔する。これでもかとやることなす事すべて妨害されてケーレンは困難と背中合わせだ。人種差別もあって入植者の仲間たちが「南方の人間は不吉だ」といってケーレンと一緒に暮らすタタール人の女の子を追い出そうとするのだ。身内からの難題も解決しなければならない。


耐えしのぶマッツ・ミケルセンをみていると幼児のウソに翻弄される映画「偽りなき者」を連想する。あの時もやられっぱなしだった。元軍人で本当は強いところを見せる場面もある。最終的にはうまくいくんだろうなあと予測してみているが、悪玉から強烈な拷問を受けてもうだめかとも思ってしまう。

そんな時に予想もしない展開に動いていく。同居人のアンバーバラとタタール人の少女との交情がこの映画の見どころである。孤独なケーレンの最後に向けてのシーンは感動的だ。
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映画「ブラックバード、ブラックベリー、私は私」エカ・チャヴレイシュヴィリ

2025-01-15 20:00:06 | 映画(欧州映画含むアフリカ除くフランス )
映画「ブラックバード、ブラックベリー、私は私」を映画館で観てきました。


映画「ブラックバード、ブラックベリー、私は私」ジョージア映画。ジョージアの女性作家タムタ・メラシュヴィリの原作小説を同国の女性監督エレネ・ナヴェリアニが映画化した。東京やパリオリンピックの柔道でジョージアという国の名前を聞いて最初は知らないなと思ったけど、旧ソ連のグルジアである。あえて地図を見るとトルコの北側で黒海に面する場所に位置する。多分一生行くことはないだろう。

スルーの予定が日経新聞の映画評で日経編集委員古賀茂樹5つ星をつけている。過去の古賀氏の5つ星映画はいずれも自分には相性が良かった。好感度を持った書き方をしても星3つが多い古賀氏にはめずらしいので気になる。フェミニスト映画に見えるけど違うという古賀氏の言葉を信じて映画館に向かう。

ジョージアの小さな村で日用雑貨店を営み、静かに暮らしている独身の中年女性48歳のエテロ(エカ・チャヴレイシュヴィリ)は、ある日ブラックベリー摘みの最中、ブラッグバードに見とれて崖から足を踏み外し転落してしまう。何とかひとりで崖から這い上がったエテロが見下ろすと、村人たちが自分の遺体を濁流の川から引き揚げていた。
自分の店に戻ると、配達員のムルマンが洗剤を持って来て商品を棚に並べていた。エテロはムルマンの首筋をじっと見つめて胸にすり寄り、脱いで男にまたがった。彼女はそのまま人生で初めて男性と肉体関係を持ったのだ。そして、その時を境に彼女の運命が変わる。


アキカウリスマキ監督の映画が持つ素朴な肌合いなのに女性の大胆さに驚く
意外な結末には思わず声を上げてしまう。

室内のインテリアのブルー、イエロー、グリーンの使い方がフィンランドのアキ・カウリスマキ監督作品に類似している。一部のおしゃべり女は別として無表情で朴訥な人が多い。ジョージアの田舎の素朴なムードがいい。

最近の48歳の一般日本女性にはきれいな人が多い。見慣れているので、この主人公エテロを見ていると50代はおろか60代にも見えてしまう。しかも太めである。映画に登場するジョージアの若い女性は美形だらけで意図的に対照感をだすとまで思えてしまう。

クチの悪い村の女性たちから更年期だよとからかわれる。エテロは母親を若くして亡くして、父と兄と暮らしていた。今は小さな日用雑貨店を営んでいる。昭和ならともかく今や日本ではほとんどないお店だ。こんな品揃えで利益が出るんだろうかと余計な心配までしてしまう。


日本にも大勢いる人の噂やカゲ口を趣味にして生きているご婦人たちから一歩距離を置いてマイペースに暮らす。いい感じだ。そんなエテロが死に損なった臨死体験から突如性に目覚めて身近な配達員に色気を出す。妻がいて孫までいて幸せそうな男に家族がいることなんてどうでもいい。ただひたすら性的に積極的になるのだ。自慰のシーンもある。女性陣が感想を寄せる映画解説ではまったく想像もしなかった展開である。

日本では脱ぎっぷりの悪い女優陣が目立つ一方で、先日のスイスを舞台にした「山逢いのホテル」もそうだったが、欧州では熟女たちのヌードが目立つ。お世辞にもそそられることはない乳首やヘアも露わにしたヌードで、相手の男はポコチンの竿まで出してしまうとはビックリだ。性的に目覚めるのを映像で示したかったのであろう。配達員のムルマンとはひっそりと逢引きを重ねていくが、あることで転機を迎える。同時に女性特有の疾患にかかった症状が出て今後の人生について考えてしまうのだ。

いったいエテロがどうなってしまうのか心配した途端に「え!」となってしまう。観客の中には予測できる人がいたかもしれないが、ヘタなミステリー映画よりも自分は驚いた
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映画「チネチッタで会いましょう」 ナンニ・モレッティ

2024-11-27 16:01:47 | 映画(欧州映画含むアフリカ除くフランス )
映画「チネチッタで会いましょう」を映画館で観てきました。


映画「チネチッタで会いましょう」はイタリアのベテラン監督ナンニモレッティの新作である。「映画の中の映画」の手法で自ら映画監督役となって1956年のソ連ハンガリー侵攻に戸惑うイタリア共産党員たちを描く役柄だ。5年に1作程度と製作本数は決して多くない。前作「3つの鍵」は高級アパートメントに暮らす三家族を描く作品でストーリー、美術、音楽すべてにおいてよくできていた。

予告編の音楽でアレサフランクリン「シンク」が流れる。自分の人生ベスト3のひとつ「ブルースブラザーズ」の町のダイナーからブルースブラザーズのメンバーを引っ張る名場面で、妻役のアレサフランクリン自ら演じて歌っているシーンは何度観ても楽しい。そんな雰囲気を期待して映画化に向かう。

ベテラン映画監督のジョヴァンニ(ナンニモレッティ)は1956年のイタリア共産党の苦悩を描く映画を製作中だ。ハンガリーからサーカス団が来ているのにソ連がハンガリーに侵攻してイタリア共産党の支部がソ連を支持するかどうかで大慌て。


そんなストーリーなのに、若いスタッフはイタリア共産党が存在したことすら知らない。チネチッタ撮影所で新作の撮影が始まると、党員役の主演女優が勝手にアドリブで演技するし、ジョヴァンニはイタリア共産党とソ連の確執を描く政治映画のつもりでつくっているが女優はこれって恋愛映画じゃないのと反発。フランス人プロデューサーは詐欺師だったと判明、長年プロデューサーとして支えてくれた妻は若手監督と組んで別の映画に気を取られている。しかも妻に別れを告げられる。にっちもさっちもいかない大ベテラン監督の悩みは尽きない。

イタリア映画らしいお遊びムードに満ちたブラックコメディ
ナンニ・モレッティ演じるベテラン監督は名声があるせいか何をやるにも自分勝手で独りよがりだ。長年連れ添った妻が別れを告げるのもわかる。立ち寄った妻の撮影現場で若手監督の演出に口を出す。撮影を止めてしまい気がつくと朝だ。若手スタッフとはギャップができてピントが狂いっぱなし。そんな自分勝手な老人監督は時代遅れ。でも、イタリア映画らしく色彩設計、美術、音楽の設計は抜群にいい。


結局カネの都合がつかないのだ。フランス人プロデューサーがNetflixの担当者を連れてくるところがおかしい。ネットフリックスは作品が190カ国で見られると強調し、最初の掴みは2分ぐらいでとかターニングポイントにも時間を気にする。指図が多い。大幅な改変を要求するが、ジョヴァンニの流儀とまったくかみ合わない。受け入れ難くても所詮はカネ。現場はストップだ。でも、もうダメかと思った時に救世主が現れる。韓国映画資本だ。

日本映画界にもNetflixが入って「地面師」のようなカネのかかった良作が生まれている。いい傾向だと自分は思っている。でも、この監督のように受け入れられない人もいるだろう。もっと日本映画に資本が入ると、レベルが上がるんだろうといつも思っているけど、マイナー作品で閑古鳥の上映館を見るとむずかしそう。それに対して韓国映画には日本よりカネがかかっている作品が多い。雑誌「映画芸術」で荒井晴彦が久々におもしろかったという意味がわかった。
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映画「ソングオブアース」

2024-09-24 22:36:34 | 映画(欧州映画含むアフリカ除くフランス )
映画「ソングオブアース」を映画館で観てきました。


映画「ソングオブアース」ノルウェー西部のオルデダーレン渓谷に住む夫婦の一年を追うドキュメンタリー作品。監督のマルグレート・オリンが自らの両親と美しい自然の春夏秋冬を映し出す。役所広司「パーフェクトデイズ」ヴィムベンダースが製作総指揮に名を連ねる。ノルウェーには行ったこともなく地名も知らない。地図で見るとノルウェー西部の海に接するヴェストラン県にある渓谷のようだ。はるか遠い。一生行かないであろうこの土地の魅力に魅せられる。

美しい自然の光景を大画面で堪能したい。音楽も含めてよかった。

ドローン撮影で氷河の渓谷から湖を俯瞰する。一時代前だったらこんな映像をとるのは難しかっただろう。冬は凍りつき、春から夏にかけてエメラルド色になるオルデバトネット湖と長年の蓄積で溶けてできた氷河が中心に映る。



84歳の父親は氷河や山の中に入っていく。1人でたたずむ父親を見ていったいどうやってその場所まで辿り着いたのかと思ってしまう。そして若き日からの暮らしを老人が語っていく。


夢で空中を飛びあがって地上を見ることがある。ハッとすると目が覚めるんだけど、山の頂上あたりをドローンで下を見ながら映す映像を観ているとそんな感覚をもつ。まさに夢のような世界だ。



冬から春にかけて、氷河が崩れ落ちる。溶けた雪は水量の多い滝のように流れる。夜になるとオーロラが空をつつむ。


秋には樹木は黄色に色づき野生の動物や鳥たちがその壮大な風景の中静かに動きまわる。なんて素晴らしいのだろう。
自分の余計なコメントもなしにしたい。
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映画「美食家ダリのレストラン」

2024-08-22 19:58:10 | 映画(欧州映画含むアフリカ除くフランス )
映画「美食家ダリのレストラン」を映画館で観てきました。


映画「美食家ダリのレストラン」はスペイン映画。独裁政権に反発してバルセロナを追われたシェフが海辺の街カダケスのレストランで働く話だ。オーナーはカダケスに住む芸術家サルバトール・ダリの狂信的なファンだ。予告編で観るおいしそうな料理に魅かれる。監督はダリのドキュメンタリーを3作撮っているダビッド・プジョルである。セリフの中にダリの功績を織り交ぜる。

1974年、フランコ政権末期のスペイン。バルセロナを追われた料理人フェルナンド(イバン・マサゲ)とアルベルト(ポル・ロペス)の兄弟は、友人フランソワのツテでサルバドール・ダリの住んている海辺の街カダケスに辿り着く。彼らを迎えたのは魅力的な海洋生物学者のロラ(クララ・ポンソ)、そしてその父はダリを崇拝するレストラン「シュルレアル」のオーナーであるジュールズ(ジョゼ・ガルシア)だった。

オーナーは「いつかダリに当店でディナーを」をスローガンに、ダリの家族や運転手にアプローチを重ねるが、こちらに気持ちが傾むいてくれない。(作品情報引用)


海辺のレストランを舞台にしたなじみやすいスパニッシュコメディだ。
スペインの海辺の町カダケスが魅力的である。大画面に映る水のウェイトが多い海上や海辺のシーンが昼夜とも海にいる体感をもたせてくれる素敵な映像だ。料理人がつくる料理も視覚的に美しく、色あい鮮やかに食欲を誘う。ストーリーは別として映像を楽しむために観ておきたい。一生行くことないだろうカダケスの町は観ておく価値がある。


独裁者フランコが亡くなる1年前の設定だ。政府への反発を示すバルセロナのシーンはわずかで、ほとんどがカダケスでのロケシーンだ。警察との対立の場面はわずかだ。警察も賄賂で動くひと時代前の田舎警察だ。

無口な料理人フェルナンドが腕利きで主人公とも言えるが、実際にはレストランのオーナーのジュールズ個性的でセリフもいちばん多い。おっちょこちょいとも言える行動が常に笑いを誘う。コメディアン的存在がいい。
ダリへの思いが強く、レストランの客席にはダリ独特のデザインのオブジェなどが置いてある。料理を持ってダリにレストランに来て欲しいとアピールするが、大金を出せとダリの妻に断られていた。有力料理批評家がレストランで食べたフェルナンドの料理を絶賛する。ところが、ダリに関する悪口を批評家が言うと、ジュールズが怒って店から追い出してしまう。ロックも好きでエピソードが絶えない。


シェフフェルナンドはスペイン人にしては謙虚だ。余計なことは言わない。もともと一流店のシェフだったのに、海辺のレストランで働く時も皿洗いなどの下働きでいいからと受諾する。下働きの時からつくる料理はみんなが絶賛する。基本的にはフランス料理だ。意匠的にもすばらしい。方々からうわさを聞いて食べに来る。地元の海産物を豪快に調理する屋台の影響も受ける。


ただ、フェルナンドと弟はバルセロナでの騒乱で警察に追われている。ビクビクしているのだ。レストランのオーナーがトラブルを知り、クビにしようとしてもブイヤベースを味わいやめる。


男性陣は野暮ったい連中だらけだが、女性陣は美女だらけ。恋物語も用意されている。レストランオーナーの娘クララ・ポンソが魅力的だ。最近屁理屈ばかりで気前のよくない日本映画と違い、しっかりバストトップも見せてくれてうれしい。クリミア半島出身というロシア美人も弟の方と恋仲になる。黄色のワンピースが似合う。夏に観るのがもってこいの作品だ。

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映画「幸せのイタリアーノ」 ピエルフランチェスコ・ファヴィーノ&ミリアム・レオーネ

2024-08-14 18:29:40 | 映画(欧州映画含むアフリカ除くフランス )
映画「幸せのイタリアーノ」を映画館で観てきました。


映画「幸せのイタリアーノ」はイタリア版ラブコメディ映画。独身でリッチな49歳のプレイボーイが足に障がいをもつ美女に惚れてしまう話である。予告編でだいたいのストーリーの予測がたってしまう映画だけど、イタリア特有のゴージャスな雰囲気が味わえればと映画館に向かう。

スポーツシューズ会社の社長ジャンニ(ピエルフランチェスコ・ファヴィーノ)は女性には目のない49歳独身貴族。亡くなった母親のアパートに荷物整理に来て母の車いすに座っていると、隣に越してきた美女が挨拶にやってきた。ジャンニと親しくなった彼女は、実家で下半身不随となった姉キアラ(ミリアム・レオーネ)に引き合わせる。ジャンニはあえて歩けることは言わずに車いす生活を続けていく。徐々に関係が深まっていくが、真実を言い出せずにいた。


イタリア映画らしい明るく笑えるラブコメディだ。
こんな感じになるだろうなと想像でき、ストーリーに目新しさはない。美男美女が登場してイタリアの歴史を感じさせる背景を見るだけで単純に楽しめる。


予告編でお相手役の女性の美貌に目を奪われる。ミリアムレオーネは元ミスイタリアというだけあってものすごい美女だ。妹役のピラル・フォリアーティも負けずに美しい。ここまでは普通美女が揃わない。主人公のピエルフランチェスコ・ファヴィーノはイタリア映画ではおなじみだ。今回はいかにもイタリア風軟派系だけど、マフィア映画の強面の演技も得意だ。

イタリアらしいシャープな設計の建物やインテリアデザインが楽しめて目の保養になる。ゴージャスでゆったりした間取りの主人公の自宅はミケランジェロアントニオーニの「夜」の豪邸を思い出す。ヴィジュアル面では最高だ。ジャンニは赤いフェラーリを乗り回し、次から次へと美女をものにするプレイボーイだ。スポーツシューズメーカーのワンマン社長で、会社では周囲の発言が自分の流儀に合わないとクビにしてしまう独裁者だ。二卵性双生児の全く似ていない兄弟がいる。会社の外に出ると遊び放題で軟派系のキャラクターがお似合いだ。


脇役もうまく適切に配置する。ジャンニの女性秘書は昼間社長の面倒をみてテキパキと捌く一方で、夜になると、カラオケクイーンに変貌する。マドンナの「ライクアヴァージン」で脱ぎながら歌うのが笑いを誘う。キアラの実家にいる祖母が個性的で、毒のある言葉をジャンニに投げつける。妹に引き寄せられたジャンニが姉を紹介されたのを見てハメられたね。とジャンニにいう。

こういう2人が笑いを呼ぶだけでなく、ジョークが炸裂で十分に楽しめる。
お気楽でいい。
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映画「ストレンジ・ウエイ・オブ・ライフ」 ペドロ・アルモドバル&イーサン・ホンク

2024-07-27 06:51:07 | 映画(欧州映画含むアフリカ除くフランス )
映画「ストレンジウエイオブライフ」を映画館で観てきました。


映画「ストレンジウェイオブライフ」はスペインのペドロアルモドバル監督の新作映画。なんと31分の短編映画である。地元スペインが舞台ではなく西部劇を題材にした作品だ。ちょうどすき間時間ができたときに映画館に立ち寄る。ペドロアルモドバル監督の作品は毎回楽しみにしている。独特の色彩感覚で不安を呼び起こす音楽をバックにいつもワクワクさせられる。どういった背景で今回の作品を作ったのかはわからない。イーサンホンクとペドロパスカルのダブル主演でいわゆる西部劇をメキシコに近いエリアを舞台にする。

舞台は1910年。若き日に共に雇われガンマンとして働いていた旧友の保安官ジェイク(イーサンホンク)を訪ねるため、シルバ(ペドロパスカル)は馬に乗って砂漠を横断する。出会ってから25年が経つ2人は酒を酌み交わし、再会を祝う。若き日に2人は愛し合った仲で、久々にベッドを共にする。しかし、シルバがここへ来たのは息子のある罪の減免を図ろうとしていたのだ。ジェイクはそれを許さない。


まさに短編、男色系の匂いを残したペドロアルモドバル流の西部劇である。
英語のセリフで,アメリカの西部開拓時代が舞台となるといつもとは違う。音楽も西部劇ぽく始まり,不安を呼び起こすいつものアルベルトイグレシアスの音楽と違う音色なので,今回は音楽担当が変わったのではないかと当初から思ってしまったが、今まで通りで途中からいつも通りになる。


さすがにエンディングロールを含めて31分となると限界がある。若き日に愛し合っていた男性2人が,旧交を温めて、愛し合うシーンはある。バイセクシャルのペドロアルモドバル監督らしい場面だ。特に,この2人が若い頃に愛し合った回想シーンは、ワインと衣装の赤を強調したいつものペトロアルモドバル監督らしい色彩感覚のシーンである。

ただ,今回はシルバーの息子が罪を犯している。保安官のジェイクは見逃すことができない。懸命にかばうシルバーは息子を逃がそうとしているが,ジェイクは許さない。シルバーが息子に逃げろと言いに行くのを,密かに追っていたジェイクと3人が鉢合わせするところがこの映画の最大の見せ場だ。一体どうなってしまうんだろうと思うが,それが終了してしばらく経って気がつくと、映画は終わってしまう。まさに短編小説のような余韻を持つ。
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映画「フィリップ」

2024-06-27 18:16:27 | 映画(欧州映画含むアフリカ除くフランス )
映画「フィリップ」を映画館で観てきました。


映画「フィリップ」は、第二次大戦中のドイツでフランス人として身を隠す1人のユダヤ人に注目する作品。ポーランドの作家レオポルド・ティルマンドの自伝的小説をもとに監督のミハウ・クフィェチンスキが映画化した。ティルマンド自身が1942年にフランクフルトに滞在していた実体験に基づいている。予告編で何度も見ていると、ナチスの迫害をフィリップがスレスレでかわす場面が多い。

1941年のワルシャワ、ユダヤ系ポーランド人のフィリップ(エリック・クルム・ジュニア)は恋人と劇に出演している最中に、ナチスの銃撃を受けて恋人と家族を失う。悲しむ時間もないままに、その場を脱出する。

2年後フィリップはドイツのフランクフルトのホテルでウェイターとして働いていた。夫が戦場で任務につくドイツ人妻たちを中心に誘惑している。ドイツ人同士の結婚を奨励しているナチスでは外国人がドイツ人に手を出すと厳罰を受けていた。しかし、フィリップはホテルで知り合ったリザ(カロリーネ・ハルティヒ)に惹かれて、一緒にドイツからパリへ脱出しようと考えている。


ナチス統治下のドイツにおける異色のユダヤ人の物語である。
ナチスドイツの卑劣な行為を非難する映画は数多い。内容が予測されて見なくてもいいやと思う作品の中で、違うテイストの作品に見える。要するに、夫が戦場に出ているご婦人たちの性の処理をする男の話である。高尚な主張があるようなストーリーではまったくない。見応えがあるレベルでもない。


1939年からポーランドドイツのみならず、ソ連からも侵攻されてひどい目にあった。戦後日本ではアカ教師が多かったせいか、ナチスドイツの話ばかりになっていても「カティンの森」の話を含めてソ連も負けないくらい酷い。ともかくここではナチス統治下のドイツでの話だ。映画の中にも出てくるが、ある恩人によってドイツに生き延びていったのだ。両国に対するポーランドの恨みは根深い。

フランクフルトの高級ホテルでは,ウェイターは外国人ばかりである。ナチスの将校に向かって、自分の出身地を自己紹介をする場面がある。そこでは,フィリップはフランス人として自己紹介をする。ポーランド生まれとは言えない。

高級ホテルには有閑マダムたちが大勢来ている。フィリップはその女たちに声をかけまくる。そして、意気投合した女性とプールサイドの別室に入り込む。戦時中ドイツ将校の妻が乱れる設定は初めて観る。戦前の日本じゃこういう事はなかっただろうなぁ。

ただ,愛撫をしている最中でも,ポーランド人の悪口が出たら、そこで一気に態度を変える。気まずくなったとしても,ドイツ人女性は外国人との姦通がばれると罰則を受ける。頭は丸坊主だ。そこの辺りを突っ込んでフィリップは毎回逃げ切る。


この手の第二次大戦中を描いた映画は多い。セットなのか戦後残っている建物なのかはわからないが,時代を反映した建物の並びを見ることが多い。室内のインテリアは濃い茶を基調としたオーセンティックな雰囲気である。美術はいつもながらよくできているし、結婚式パーティーのシーンも豪華だ。同性愛禁止のナチスの方針からして,オカマが街で捕まっているシーンもある。逆に,将校が若い男性に手を出すゲイ系の場面もある。将校だったらいいのか。フィリップを知っているポーランド出身の女をドイツ人将校が囲っているシーンもある。


ドイツ人女性がみんな美しい。でも15禁の成人向となっているのに,残念ながら男女の絡みは大した事はなかった。ドイツ人美女たちのエロチックな場面を期待して、映画館に向かうとがっかりさせられることになるであろう。
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映画「関心領域」 

2024-05-26 15:01:22 | 映画(欧州映画含むアフリカ除くフランス )
映画「関心領域」を映画館で観てきました。


映画「関心領域」は悪名高きアウシュビッツ収容所の内部でなく、すぐそばに住む収容所長の自宅に焦点をあてる英国のジョナサン・グレイザー監督の作品である。カンヌ映画祭グランプリやアカデミー賞の国際長編映画賞と音響賞も受賞している。言葉はドイツ語でドイツ人俳優が演じる。妻役のザンドラヒュラー「落下の解剖学」でも主演だった。ナチスドイツを扱う映画は多い。ほとんどスルーだが、昨年の「アウシュヴィッツの生還者」は年間通じても指折りの傑作だった。怖いもの見たさで映画館に向かう。

1945年、アウシュビッツ収容所の隣で幸せに暮らす家族がいた。庭にはプールもあるその家の主は収容所長のルドルフ・ヘス(クリスティアン・フリーデル)で、夫婦と2人の息子と2人の娘と赤ちゃんがいる。のどかに生活している。
窓から見える壁の向こうでは大きな建物から赤い炎と黒い煙があがっている。そして、たえず音が聞こえる。収容所内部の光景は一切描かれず、ヘスの一家がそれを見ることもない。


どう解釈するのかむずかしい映画だ。
欧米では日本よりもアウシュビッツ収容所の存在は重く捉えれている感じがする。これまでの収容所を題材にした映画では残酷なシーンが続いていた。ここでは何もない。映画「オッペンハイマー」で最初から最後まで不穏な音が鳴り続いていた。この映画も同様である。

この音をどう表現するのかむずかしいが、コンサート会場やディスコの外で聞こえるドスのきいた音というイメージを持つ。そして、その中に銃声と思しき音や叫び声に近い音が混じる。そんな音を聞きながら、家族は生活している。壁の向こうの煙突からは勢いよく煙が上がっている。そんな場所でも、理想的な家庭というイメージしかない。妻(ザンドラ・ヒュラー)はこの地からの異動を恐れて、ずっといたいと思っている。


ハンナアーレントが戦犯アイヒマンの裁判で感じた「悪の凡庸」の言葉が脳裏に浮かぶ。映画の中で流れる音を聞くと、自分は極めて不穏な印象を持つが、家族がそれを不快に感じていないのが奇妙である。それでも、川遊びをした子供たちを風呂で丹念に洗うシーンが印象的だった。


映画のラストに向けて、ハンガリーのユダヤ人を大量に収容所に移送する話があった。独ソ戦に加えて、米国の欧州上陸で挟み討ちにあいナチスの戦況はこの時期最悪だったはずだが、この場に及んでまだまだ収容所で処理しようとする話に驚く。評価は高いけど、自分は苦手
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映画「ありふれた教室」 レオニー・ベネシュ

2024-05-23 19:54:02 | 映画(欧州映画含むアフリカ除くフランス )
映画「ありふれた教室」を映画館で観てきました。


映画「ありふれた教室」はドイツのある初等教育7年生(12歳)の教室の話である。ここのところ邦画ばかり見ていたが,まともだと思われるドイツ映画を選択する。トルコ系ドイツ人イルケル・チャタク監督の作品。ドイツ映画界では各種賞を受賞している作品だ。大学でフランス語選択だったので,ドイツ語には馴染みが薄い。解説には中学校1年となっているが、ドイツと日本では教育体系も異なり映画内どおり7年生と呼ぶ。

予告編では暗そうな雰囲気であったが,観てみると最初から最後まで目が離せない展開であった。

熱心で、正義感の強い若手女性教師のカーラ(レオニー・ベネシュ)は,新たに赴任した学校で7年生のクラスを受け持つ。構内では盗難事件が頻繁に起きていた。その犯人として教え子が疑われる。校長らの強引なクラス内調査に反発したカーラが職員室に隠し撮りを仕掛けると、動画にはある人物が着ている洋服が映っていた。

服を着た当人を問い詰めると否定する。解決に校長を巻き込むと校内の関係がおかしくなる。校長を含めた対応は生徒にまで噂となって広まり,学校中を巻き込む騒動となる。


まぎれもない傑作である。
話の内容から,好きかどうかと聞かれると微妙だが、映画としてはすばらしいリズミカルなテンポと主演女優及びクラス内の生徒の掛け合いがリアルで実際の学校にいるような感覚を持つ。良い映画に出会ったと思う。

⒈リズミカルな展開
取り上げる逸話が多い。簡潔に一つ一つのシーンを要点がわかるように映し出してテンポよく次のシーンに移っていく。小さな山をリズミカルにつなぐ。緊張感が最後まで途切れない。長い上映時間になりつつある最近の日本映画では時間を費やすだけの無駄な長回しが多い。そんな日本映画を見慣れてきたので,逆にすばらしいと感じる。

⒉強い女
主人公は日本の小学校のように7年生に対して何でも教える数学も体育も教える情熱的な担任の教師だ。テキパキしているし正義感も強い。苗字がノヴァクと言うので,「めまい」の名女優キムノヴァクを思い出す。ポーランド出身の設定だ。でも、自分が生徒だったら最も怖い教師と思うタイプだ。授業中怠けづらいタイプだ。カンニングも見破る。体育の授業中外に退避した連中を強引に連れ戻す。ライターを持っている女生徒も見つける。

女教師が主人公になる映画やTV番組はあれど,この女性主人公カーラほどみんな強くはないすぐ泣いてしまう。絶対こんな形になったら,日本映画だったら泣くなと思っても、絶対に泣かない。女々しくない。本当に強い女だ。ただ、今回は泥沼に落ち込む。保護者会で問い詰められ、過呼吸症になってトイレのゴミ箱にあるビニール袋で息を吸う場面が見どころの一つだ。


⒊担当クラスの生徒をかばう主人公
実は、隠し撮りで引っかかる女性は学校の同僚教師で、担任クラスの生徒の母親でもあった。あり得なさそうなすごい状況だ。動画にはっきり映っていても否定されて、成績優秀な息子との関係も悪くなる。こんな事件があって母親は学校に来れなくなるが、息子は懸命に母親をかばう。主人公の立場は微妙だ。そんな時、教え子である息子が突然暴走するのだ。


暴走は危険領域を越える。でもそんな生徒を主人公カーラはかばう。微妙な瞬間が続く。そしてエンディングに向けて、伏線の回収でもあるルービックキューブがポイントになる。精一杯のラストへの持っていき方は悪くない。
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