映画とライフデザイン

大好きな映画の感想、おいしい食べ物、本の話、素敵な街で感じたことなどつれづれなるままに歩きます。

映画「ピアノレッスン」 ホリーハンター

2014-05-06 17:45:35 | 映画(洋画 99年以前)
映画「ピアノレッスン」は93年のカンヌ映画祭パルムドール作品だ。
主演ホリーハンターはアカデミー賞主演女優賞、娘役を演じた少女アンナ・パキンはなんと11歳にしてアカデミー賞助演女優賞を獲得している。

傑作とされる本作品もなかなかdvdレンタルにならなかった作品である。音楽がテーマになる映画であるから、著作権の理由かと思ったが、映画を見ればわかる。エロティックなシーンが次から次へと出てくるのである。ちょっとビックリだ。「チャタレー夫人の恋人」的な感覚もあるが、それだけに収まらない奥の深さもある。

1852年エイダ(ホリー・ハンター)はニュージーランド入植者のスチュワート(サム・ニール)に嫁ぐために、娘フローラ(アンナ・パキン)と一台のピアノとともにスコットランドから旅立つ。そして荒海の海岸にたどり着いた。

父親の死がショックで口がきけなくなった彼女にとって、ピアノは分身だ。原住民の男たちを引き連れて海岸に迎えにきたスチュワートは、ピアノは重すぎると浜辺に置き去りにする。エイダは憤慨する。スチュワートの友人で原住民のマオリ族に同化しているベインズ(ハーヴェイ・カイテル)は、彼に提案して自分の土地とピアノを交換してしまう。ベインズはエイダに、ピアノをレッスンしてくれれば返すと言う。

利害関係もあり、夫のスチュアートもエイダにレッスンするように勧め、いやいやベインズの元へ行く。初めは一見荒くれ者のベインズをエイダは嫌う。レッスンと言っても一方的にエイダが弾き、それをベインズが聴くというだけであった。レッスンを重ねるうちに、2人の距離は徐々に縮まる。そしてあるとき一線をこえるようになる。スチュワートは様子がおかしいことを察知し、内偵して2人がよからぬ関係にあることを知る。

そしてエイダにベインズと会うことを禁じる。それでも恋の気持ちが収まらないエイダはピアノのキイにベインズへのメッセージを書き、届けるようにフローラに託す。幼心にフローラはヤバイと感じてそれをスチュワートに渡す。逆上したスチュワートはエイダの人指し指を切り落とすのであるが。。。

女1人とそれを取り巻く男2人の三角関係という構図だけど、そこに11歳の女の子が絡んでいく。それぞれの嫉妬心が奇妙な化学反応を起こしてストーリーが展開していく。古今東西この手のテーマはよくあるパターン。伊藤整が裁判騒ぎを起こした「チャタレー夫人の恋人」だけでなく、日本映画でも三島由紀夫原作「愛の渇き」が浅丘ルリ子主演で似たような匂いを残す。

1.ホリーハンター
ホリーハンターといえばオードリーヘップバーンの遺作「オールウェイズ」も印象的だが、コーエン兄弟の監督作品「赤ちゃん泥棒」を真っ先に連想する。このコメディは最高に笑える作品だ。ニコラスケイジが牢屋に入った時の担当婦人警官で気がつくと結婚する。子供がいないので金持ちの家に忍び込んで子供をさらうという話だ。ここでは明るい奥さん役を演じていた。
「ピアノレッスン」に最初に映るホリーハンターの顔はまったくその顔と違う不安げな顔立ちで、同一人物に見えなかった。ところが、徐々に変貌する。気がつくと性の虜となってしまうその姿をセリフなしで見事に演じた。

2.美しい調べ
テーマ曲はどこかで今でも流れている美しい曲である。この曲をホリーハンター自らのピアノで弾いている。

3.サム・ニール
無邪気な少女を演じる。ホリーハンター演じる母親は言葉を話せないので、娘が代わりに話をして相手に意思を伝える。この役はなかなか大変な役だ。しかも、母親と原住民との密かな情事を目撃して、母親が男に狂うのを懸命に阻止しようとする。彼女がベインズの家の隙間から2人の情事を覗くシーンというのもドキドキする。
11歳にしてこの役は荷が重いが、よくこなした結果のアカデミー賞である。最年少受賞かと思ったが、「ペーパームーン」のテイタムオニールの方が10歳でわずかに若い。テイタムも好演だが、難易度はサムニ―ルの方が高い役柄だ。

4.きわどいシーン
最初見せたホリーハンターの表情が徐々に柔らかくなる。そして恋に狂う女の表情になっていく。そして、ホリーハンターが予想以上の美しいヌードを披露するわけだが、相手役のハーヴェイカイテルは獣のようにワイルドだ。それを子供が覗くという設定もヤバイ感じだ。じっと見ていると、アレいいのかな?というシーンが映る。ハーヴェイの○ソコが見えてしまうのだ。「ミュンヘン」「シンドラーのリスト」でも経験したことあるけど珍しいパターンだ。

5.ラストに向けての衝撃(ネタばれ要注意)
結局主人公はこの棲家を出ていくことになる。船に乗っていくわけだが、大事にしていたピアノを船から投げ出そうとするのである。そんな大事なものをと周辺からいわれてもエイダはいうことを聞かない。やむなくみんなでピアノを海に投げ出そうとしたら、ピアノを結んだロープとエイダの足がつながっていて、一気に海の中にエイダが投げ出される。エイダはピアノとともに沈む。
そうかそういう終わりなのか!!
そう思った後に。。。続いていく。この展開は予想外だった。それだけでぞくっとさせるものがあった。


ピアノ・レッスン
ピアニストの秘めた恋

映画「ロスト・ハイウェイ」 デイヴィッド・リンチ

2014-01-15 07:11:55 | 映画(洋画 99年以前)
映画「ロストハイウェイ」は鬼才デイヴィッドリンチ監督による97年の作品だ。

今回は2回目の鑑賞だ。あまりに不可解な展開なので、感想を書いていない。だからと言って不満足なわけではない。
デイヴィッドリンチ監督「マルホランド・ドライブ」はすばらしい作品だと思う。夢と現実の見極めができなくなる。この作品も見直してみるとリンチワールドの典型のような映画だ。ただこの映画の展開を一度見ただけで理解するのは無理だと思う。よくわからないなあと感じながら見終わった後、もう一度dvdを見直して、ディテイルを確認した。牢屋の中の人物が入れ替わっているという超能力じみた世界はあるが、あとは筋がつながっていくことに気づく。全部が虚構の世界ではない。


真っ暗なハイウェイのセンターライン上を走る光景がタイトルバックだ。
サックス奏者フレッド(ビル・プルマン)は妻レネエ(パトリシア・アークエット)と2人で暮らしていた。ある朝、疲れ切った様子のフレッドが自宅にいるとインターホンが鳴る。男の声だ。「ディック・ロラントは死んだ」

その翌日から自宅の玄関先にビデオテープが届く。それは封筒に入れてアプローチ階段に置かれていた。妻のレネエと2人で見てみることにした。それは、彼らの自宅が外部からほんの数秒映されているというものだった。不動産屋が置いていったのかと思った。翌日も同じようにビデオの入った封筒が置かれていた。家の中を廊下、リビングから寝室までカメラが入り、2人がぐっすり寝ているところが映されていた。2人はあわてて警察に連絡した。

その夜、レネエの友人アンディのパーティに夫婦で出席する。白塗りの奇怪な顔の男(ロバート・ブレイク)がフレッドの前に現れる
。「前に会ったことありますね」
フレッドは「記憶にありませんよ」

「私はあなたの家にいるのですよ」
フレッドが彼の言うまま、自宅に電話してみると、目の前の男の声が自宅から響く。パーティ主に聞くと、彼はディック・ロラントの友人という。混乱したまま妻と帰宅する。誰かがいるかと懸命に探すがいない。そしてフレッドに、またビデオの封筒が。。。映っていたのは何とレネエのバラバラ死体の前にいる自分だ。
刑事に殴られ、妻殺しを罵倒される。フレッドは殺しの記憶がない。裁判の結果、妻殺しの容疑で彼は死刑を宣告される。ところが、独房にいたはずのフレッドは、いつしか別人の修理工の青年ピート(バルサザール・ゲティ)に変わっていた。

このあとピートを中心にストーリーが展開される。
フレッドはいったいどうなってしまったのであろう?と思いながらストーリーを追う。
ピートが働いている自動車工場の上客エディとその情婦と思しきアリスが登場する。

アリスの顔に見覚えがある。そうだフレッドの妻と同じではないか

(謎解き映画)
デイヴィッド・リンチの映画には謎が多い。この映画も同様だ。
黒澤明の映画「羅生門」芥川龍之介の小説「藪の中」を題材にしている。芥川龍之介は小説の中で、3人の登場人物にある事実を語らせている。その内容を三船敏郎、京マチ子、森雅之の3人が演じた。そして黒澤明なりの解釈を通りがかりの男こと志村喬に語らせる。それが一番正解に近い気もしてくる。黒澤は4人の中でどれが正しいか?選択させようとしているが、必ずしもどれが正解と言っているわけではない。「羅生門」の最後に無情とも言うべき言葉が流れる。。
この映画でも謎だらけの映像を客席に向かって放つ。謎解きを観衆に想像させるのだ。これは難問だ。ネットを追っていくと、すばらしい解釈をしていらっしゃる方がいる。大したものだ。でも全部には賛同できない。自分なりにこうかと思うこともあるが、言葉にならない。
この映画の解釈にも正解はないと思う。



(リンチの得意技)
謎の奇怪な顔をした男を登場させる。いつもリンチはそれらしき奇怪な人物を映画に放つ。「マルホランド・ドライブ」でいえばカウボーイだ。いつも後味が悪い連中たちだ。
この男はその中でも特別に気味が悪い。単なる故買屋という存在でもないだろう。殺された女の幻なのであろうか?これもいか様にも解釈できる。こう書いているうちにも訳がわからなくなる。


(豊満なバストをもった女性)
デイヴィッドリンチ映画に共通するのが、豊満なバディをもった女性の登場だ。マルホランドドライブでもスレンダーなナオミワッツに対比させるようにドキッとさせるようなバディの持ち主ローラ・エレナ・ハリングを登場させる。ここでも同様だ。

バーで知り合った男アンディに紹介されて、悪のアジトに連れて行かれる。そこにはマフィアの親分がいて、彼女は一枚一枚脱がされる。バックでは「アイ・プット・ア・スペル・オンユー」が流れる。CCRも歌っていたが、この曲いろんな映画で使われる。名画「ストレンジャー・ザン・パラダイス」でも使われる。スクリーミン・ジェイ・ホーキンスによる原曲だ。「ロストハイウェイ」のバージョンは2つとまた違う。いかにもリンチ映画らしい怪奇的ムードだ。「お前に呪いをかけてやる」と訳せばいいのであろうか?いかにも歌詞通りに自我を忘れたパトリシア・アークエットが脱いでいく。呪いにかかった表情がエロティックな場面だ。これもリンチの得意技だ。

自分なりの謎解きについても書きたかったが、ブログ書こうと風呂に入ったら頭脳の中が錯綜する。
訳がわからなくなる。

(参考作品)
マルホランド・ドライブ
リンチワールドの最高傑作

映画「フライド・グリーン・トマト」 キャシーベイツ&ジェシカタンディ

2013-02-13 14:38:40 | 映画(洋画 99年以前)
映画「フライド・グリーン・トマト」は1992年の作品

89年にジェシカ・タンディが「ドライビング・ミス・デイジー」で、90年にキャシー・ベイツ「ミザリー」でオスカー主演女優賞をそれぞれ受賞している。その直後の共演作品だ。いい映画だと聞いていたが、長い間見れていなかった。当時のキネマ旬報ベスト10にも入っている。大先輩の双葉十三郎氏がその年のベスト1に選出していた作品。DVD化されていなかったが、ツタヤの復刻版に入ってきた。

エヴリン(キャシー・ベイツ)は夫のエド(ゲイラード・サーティン)と2人暮らしだ。中年夫婦の仲は倦怠期にはいって、エヴリンは夫婦仲を取り戻そうと自己啓発セミナーに通ったりしていたが効果がない。チョコレートの食べすぎで太り気味だ。
ある日エヴリンは夫と叔母さんの様子を見に老人ホームをおとづれる。ボケ気味の叔母の面倒を夫が見る間に、ホームの住人ニニー・スレッドグッド(ジェシカ・タンディ)に話しかけられる。そこで彼女の昔話が始まるが非常に面白い。それをきっかけにエヴリンはニニーの話を聞きに頻繁にホームを訪れるようになる。

その物語は今から50年も前のアラバマ州。
第一次世界大戦が終わるくらいの頃だ。イジー・スレッドグッド(メアリー・スチュアート・マスターソン)は、やんちゃ大好きなボーイッシュな少女だ。兄が結婚するのにも、教会で神父に悪ふざけたりする。家族の言うことも聞かない。そんな彼女はすぐ上の兄バディを慕っていた。ハンサムなバディは妹のことをかわいがっていた。
兄には恋人がいた。ところが3人で遊んでいるときに、線路に飛んでいった帽子を兄がピックアップしようとしたとき前から蒸気機関車が走ってくる。兄はその時線路のレールに足を挟まれてしまった。機関車に惹かれてしまう。イジーは兄の事故死によって大きな衝撃を受けた。。そのイジーに近づき心を開いてくれたのはバディの恋人だったルース(メアリー・ルイーズ・パーカー)だった。2人は親友になった。
時がすぎルースは結婚する。いったん、2人の付き合いは中断した。

3年たった時イジーはルースの家を訪れた。顔にあざがあるではないか。事情を聞き、ようやく教えてくれたが夫の暴力のようだった。イジーは家人を連れてきて、身重のルースをむりやり連れ帰る。
2人は大衆食堂ホイッスル・ストップ・カフェを開店した。イジーとルースの人柄で、店は繁盛する。
そこへフランクが「子供に会わせろ」と押しかけてくる。だが村祭りの夜、フランクは車ごと姿を消し、イジーと黒人の使用人が殺人犯として裁判にかけられるが。。。

キャシーベイツ含めて4人がジャケットに映っている。全く違う時代の話が平行して語られるとは思っていなかった。アメリカの南部を映しだす映像は美しく、ユーモアを含んでいながら、適度な緊張感もあり緩急自在によくできている映画だと思う。90年代のアメリカ映画らしい独特の余韻を持つ映画だ。テイストは自分に合う。

アラバマというと、グレゴリーペックがオスカー主演男優賞を受賞した「アラバマ物語」だ。人種差別によるある黒人の冤罪が語られている。この映画も黒人の使用人が重要な役割を果たす。だからといって、人種差別に主眼が置かれているわけではない。
いくつかのシーンを通じて当時の南部の実情を少しづつ入り混ぜる。

映画の中盤で一つの謎が投げかけられる。軽いミステリーの色彩をつくる。
子供に会わせろとルースの元夫がくるのだが、彼が姿を消す。そこで主人公と黒人使用人が犯人扱いにされるのだ。ある意味「アラバマ物語」と似ている部分である。セリフを聞いていると、黒人に対する扱いのひどさに驚いてしまう。

3つほど印象に残るシーンがあった。
イジーがハチの巣から蜜の固まりを取り出すシーン。今だったら画像の加工でつくってしまうかもしれない。ハチがブンブンとイジーのまわりに飛んでくる。怖い!でも全然怖がらずに演じる。これは凄い。

イジーとルースが開店したばかりのお店でケンカをするシーン。最初水のかけあいだったのが、次から次へと食べ物をぶっつけあう。まわりもあきれ顔、何か楽しい。ケンカするほど仲がいいというわけか。
キャシーベイツがスーパーで駐車しようとする際に、車庫入れしようとしたら若い女性2人が運転する車がさっと入ってしまう。笑って立ち去る女2人。むかつくキャシー、なんと自分の車を彼女たちの車に次から次へとぶつける。あわてる2人、キャシーは「保険が支払うからいいでしょ」なんかおかしい。
こんなシーンがストーリーのところどころにちりばめられている。そういうユーモアとシリアスな部分の噛みあいが絶妙だ。

(参考作品)
フライド・グリーン・トマト
女の友情



ドライビングMissデイジー
ジェシカダンディのオスカー作品、運転手との友情


ミザリー
キャリーベイツのオスカー作品:恐怖のストーカー
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映画「フェノミナン」 ジョン・トラボルタ

2013-02-11 20:44:22 | 映画(洋画 99年以前)
映画「フェノミナン」はジョントラボルタ主演の1996年の作品だ。
一度見たことがあった。
頭が急によくなり超能力者のようになるトラボルタの話と覚えていた。ファンタジー映画のような要素をもつが基本はラブストーリー、近い路線でいえば「グリーンマイル」のような余韻を残す素敵な映画だ。カイラ・セジウィック崖っぷちの男で出ているのを見てふと思い出して見てみた。

カリフォルニア州の美しい田舎町
自動車整備の仕事をするジョージ(ジョン・トラボルタ)は、気さくな人気者だ。独身の彼の意中の女性は、家具アーティストのレイス(カイラ・セジウィック)だ。子持ちの彼女は相手にしてくれない。
行きつけのバーで37歳の誕生パーティが開かれた夜。不思議な光を見たジョージは、急に頭が冴え出す。突如天才に生まれ変わるのだ。毎日何冊もの本を読み、すべて理解する。
そして次々に画期的なアイディアを披露する。

ある日地震を見事予知したという情報が伝わり、翌日地震学の権威リンゴールド博士が彼を訪ねてきた。ちょうどその時医師ドク(ロバート・デュヴァル)から呼び出しがある。急病人がポルトガル語しか話せないので、通訳をしてほしいと。主人公はポルトガル語ができるわけでない。移動の車中、教則本を見てわずか20分でポルトガル語をマスターしたジョージは、食中毒で苦しむポルトガル人の老人と会話をして病状をきく。横にいた地震の博士は主人公の能力に唖然とする。老人から同じ症状で苦しむ行方不明の孫を捜してほしいと頼まれる。まわりが懸命に探すなかでジョージは念力で居所を突き止め、少年は無事に保護された。

少年の母ミカエラがメイドの仕事を探していると聞いたジョージは、独身の親友ネイト(フォレスト・ウィテカー)に彼女を紹介すると、2人はたちまち恋に落ちた。
ジョージの不思議な能力を知った町の人々は彼を恐れ始める。アマチュア無線好きの親友ネイトが聴いているのを見て軍の暗号を解読したのが元でFBIに拘束されてしまう。監視を付けられたジョージは、孤独と不安から家に閉じこもる。そんな時、レイスが彼を訪ね、伸び放題の髪を切り、髭を剃ってくれた。彼女の愛で勇気を取り戻した。そして間もなく、再びあの光を見て倒れたが。。。

ジョントラボルタは矢沢永吉と並んで、自分にとって永遠のヒーローだ。
78年のサタデイナイトフィーバーは何より衝撃だった。そこでの彼はニューヨークでもブルックリンに住むペンキ職人だ。週末になるとさっそうとディスコのフロアに登場するけれど、いつもは同じブルックリンの仲間と遊び呆けるだけ。その彼がマンハッタンで働く女性に憧れ、彼女にパートナーになるように申し出して、ダンス大会に出る話だった。

この映画「フェノミナン」でのプロフィルも基本は一緒である。アッパー層というより労働者や田舎の男を演じる方が、トラボルタの味が出てくると思う。ここでは最初にトラボルタの起用が決まって、逆にカリフォルニア州の美しい田舎町がロケ地に選ばれたのではないだろうか。良い街で、人もよさそうだ。
その街がトラボルタに人知を超えた能力が備わり一変してしまう。
このところ天才が出てくる映画をずいぶんと見ている。
「脳男」もある意味そうだ。
でもここでのトラボルタはやさしい。天才になっても鋭角的な態度を示さない。好感が持てる。
それなので、最終に向かってせつない思いを感じた。

そういう映画の雰囲気を支えていたのが、トーマス・ニューマンによるバックミュージックだ。代表作として「ショーシャンクの空」「グリーンマイル」というと想像がつくだろう。やさしいピアノが静かに弾かれる中で、ソフトで胸にジーンとする音楽が鳴り響く。その途中街の様子を描くとき、アメリカンポップスが流れる。初期のシュープリームスが数曲ながれ、「ベイビーラブ」と歌うダイアナロスの声が実に映像にピッタリする。そして最後にエリッククラプトンの「チェンジ・ザ・ワールド」が流れる。あまりに有名な曲だが、この映画のテーマソングと知っている人は少ない。もっと早く出てきても。。とも思うけど、あの情景で流れるのがより美しいのであろう。


あとはオスカー俳優の2人がいい。ロバート・デュヴァル「アウトロー」にも出ていて今だ現役だけど、80~90年代の活躍が一番いい感じに思える。「デイズオブサンダー」「ナチュラル」での彼が好きだ。町の人がトラボルタの変身に畏怖の念を抱くときに、ロバート・デュヴァルが強い口調でかばう。これは胸にしみるいいシーンだ。



一方フォレスト・ウィテカーはそののちオスカーを受賞した「ラストキングオブスコットランド」でウガンダの暴君を演じた時と違い、表情がやさしい。無邪気だ。アマチュア無線好きの独身男性が恵まれない子持ち女性をすきになる場面がハートにしっくりくる。このカップル誕生は応援してあげたくなる心境になった。


そういった名優の演技と流れるムードのやさしさに心がやすらぐ

フェノミナン [DVD]

映画「シャイン」 ジェフリー・ラッシュ

2013-01-03 08:15:33 | 映画(洋画 99年以前)

映画「シャイン」は1996年のオーストラリア映画だ。
ピアノ版「巨人の星」というべき父と子の物語が前半語られた後、練習しすぎで精神に異常をきたした主人公が再度輝く(shine)姿と、その復活に向けた周囲の援助が後半で語られる。ジェフリーラッシュはこの映画でアカデミー賞主演男優賞を受賞している。その受賞は当然というべき緻密な演技だ。

映像は雨の中街のカフェバーに入って行く一人の男(ジェフリー・ラッシュ)を写す。壊れたメガネをしている男は、言葉もたどたどしい。精神に障害があるように見受けられる。店の人が中にいれたくないタイプだが、大雨なのでやむなく入れる。その男はピアノに向かおうとしている。
時代は戻って、その男の幼少時を映す。

少年デイヴィッド(ノア・テイラー)は父ピーター(アーミン・ミューラー=スタール)からのピアノレッスンに毎日励む日々であった。父母と3人の姉妹と暮らしていた。父親はポーランド移民で、二次大戦中はナチスの収容所に入っていた。性格は頑固そのものだ。町で子供のピアノコンクールがあった。たどたどしくピアノの前に座るデイヴィッドがいきなりショパンのボロネーズを巧みに弾く。審査員はアッと驚いた。一人の審査員が家に訪ねてきた。彼には凄い才能がある。自分のもとで練習すれば、一流の演奏家になれる。父は断った。自分のもとでやった方がいい。父は厳格というばかりでなく、その父性は異常なところがあり、自分からデイヴィッドを離さなかった。
父はラフマニノフのピアノ協奏曲3番が好きで、レコードで聴いていた。その曲を息子に演奏したがっていた。難曲である。自分では指導は無理と初めて以前訪ねてきた審査員であるピアノ教師に無給で指導を依頼した。その才能を認めピアノ教師はデイヴィッドを指導し、彼はピアノの神童と言われるまでその腕を伸ばす。
14歳のとき、アメリカ合衆国の音楽家からデイヴィッドへ音楽留学の手紙が来る。しかしながら父親は、留学を許可せず手紙を焼く。19歳になった時再度彼の元に、イギリスの王立音楽院に留学する話が持ち上がる。父は彼が家族から離れることを暴力的に拒否する。デイヴィッドは著名な女流作家であるキャサリン・プリチャード(グーギー・ウィザーズ)と年齢を越えた友情を結んでいた。彼女から父親が反対しても今回は行きなさいと言われていた。家を飛び出す形でロンドンに向かう。奨学金を得て、王立音楽院で一流の音楽家に師事する。デイヴィッドは、コンクールで難曲ラフマニノフの「ピアノ協奏曲第3番」に挑戦し、見事に弾いたものの倒れる。その後精神に異常をきたし始める。。。

難曲ラフマニノフのピアノ協奏曲第3番との格闘が前半のキーポイントだ。

ピアノレッスンを正式にしたことがない自分がいうのも何だが、この早弾きは超絶技巧と言えるだろう。ラフマニノフと言えば、ピアノ協奏曲2番がメジャーかもしれない。ロシアの大平原をイメージしたような美しい主題ではじまる2番は映画でも「逢引き」や「7年目の浮気」で流れている。ラフマニノフの伝記映画でもこの曲がメインになっている。最初の主題と3楽章の大詰めに流れるメロディはいろんなバックミュージックに繰り返し奏でられている。淀川長治の「日曜映画劇場」の解説が終わるや否や第1主題が崇高に流れていたのが印象的だ。自分の好きな曲の一つである。
一方の3番がそのように町で流れるのは聴いたことがない。軽い主題があるが、その直後からテンポが速まり、強烈な早弾きのピアノが奏でられる。2番は美しいメロディが印象的だが、3番はピアノテクニックを聴かせる曲といったイメージだ。超絶技巧が必要なだけに3番を演奏するピアニストは限られる。

天才ホロビッツは若き日にラフマニノフの前でこの曲を披露し賞賛された。その後晩年にいたるまでこの曲を弾いていた。ホロビッツがこの難曲をいかにも優雅に弾く姿は美しい。あとは鍵盤の女王マルタ・アルゲリッチが情熱的に早弾きする姿もわくわくさせられる。いずれも映像がある。

そんな難曲への挑戦で精神に異常をきたした主人公は精神病院に入る。この映画では、年をとってもお漏らししてしまう彼の姿や突如裸になったりする主人公の異常な部分を映す。ここからはジェフリーラッシュの出番だ。指だけ弾いている部分でなく、ジェフリーが自ら弾いている部分を見せる場面もある。こういう場合、明らかにメロディと指が全く合っていない場合も多い。今回は違う。ジェフリーラッシュにピアノの素養があったのがわかる。主人公の特徴を示すために、その奇行をいろんな形で見せている。

でもこの映画で一番痛快なのは、主人公が「くまんばちのテーマ」を弾くシーンであろう。精神病院を退院した後冒頭のシーンに戻って行く。雨の中カフェバーに入ってピアノの前に座るのだ。どう見ても精神異常者だ。その彼を冷やかすまわりの人間にはお構いなしで、くわえタバコでこの曲を弾き始める。ものすごい早弾きだ。ギャラリーはびっくりする。そして彼の演奏に聴き入り、終わるや否や拍手喝采。冷やかした人間は何も言えない。実にスカッとするシーンだ。

主人公の父親が異常なまでの父性を見せるのが前半のテーマだ。演じる俳優がまさに嫌な奴を演じる。これもお見事だ。後半になると、ダメ男だけどピアノだけはできるという主人公に対して母性本能そのものにいろんな女性が寄ってくる。その母性も後半のテーマだ。こういうのを見ると、人間の善意って捨てたもんじゃないと感じてしまう。


ラヴィ・ド・ボエーム  アキ・カウリマスキ

2012-10-07 10:35:11 | 映画(洋画 99年以前)
映画「ラヴィ・ド・ボエーム」を劇場で見た。
フィンランドの巨匠アキ・カウリマスキ監督の1992年の作品だ。フィンランドでなくフランスが舞台でフランス語が主体である。新作「ルアーブルの靴磨き」と同じだ。

2000年以降の作品はレンタルで見られるが、この作品はレンタルではおいていない。渋谷ユーロスペースでときおりやっているアキ・カウリマスキの特集だ。
フィルムは古い。しかも、白い字幕の文字が「裏の映像が白っぽい時」は見づらくなっている。最悪の上映条件だ。デジタル化になっていないのであろう。こういうのが好きな人もいるだろうが、字幕が見れないと大意がつかみづらくなるので嫌だ。どちらかというとヨーロッパ系の映画で同じようなことがある。この間も「キリマンジャロの雪」が最悪の字幕だった。配給時にきっと手を抜いているのか?むかつく!
他のアキ・カウリマスキ見ようと思ったけどやめた。

芸術家の町、パリ。作家のマルセル(アンドレ・ヴィルムス)は家賃不払いのためアパルトマンを追い出され、途方に暮れて入ったレストランでロドルフォ(マッティ・ペロンパー)というアルバニアからやって来た画家に出会い、意気投合する。芸術談議に花が咲いた2人はそのままマルセルのアパルトマンへ戻るが、そこには既に次の住人、音楽家のショナール(カリ・ヴァーナネン)がいた。かくして3人の生活が始まった。やがてマルセルは新聞王ガソット(サミュエル・フラー)をだまして雑誌編集の仕事を手に入れ、ロドルフォにも肖像画を依頼してきた資産家のブランシュロン(ジャン・ピエール・レオー)というパトロンが見つかった。さらにロドルフォは隣室の友人を訪ねてきた女性ミミ(イヴリヌ・ディディ)と知り合い、2人の間に恋が芽生える。
上向きになると思ったところで画家の不法滞在がばれる。強制送還されてしまうのであるが。。。

いつもながら朴訥な登場人物、セリフを極度に少なくしてその無表情さの中のわずかな動きで観客に何かを感じさせる手法は見事だと思う。いつもながらアキ監督は登場人物を徹底的にいじめる。次から次へとトラブルが起きる。その構図の原型を感じる。
傑作と言われているが、最近の作品と比較するとそうかな?と思う。映像条件の悪さがその思いを強くさせる。でもこういう作品をつくり続けてきたから今のアキ・カウリマスキがあると思えばいいのであろう。新作「ルアーブルの靴磨き」の完成度が高いのでなおさらそう感じた。最初に新作を見た後で、この作品を見たら、正反対の方向性にベクトルが向いていたのでなるほどと思った。

最後に「雪の降る街を」の歌が日本語で出てきたのにはびっくりだ。

アリス ウディアレン

2012-09-12 22:39:09 | 映画(洋画 99年以前)
映画「アリス」はウディアレン監督ミア・ファロー主演の90年の作品だ

このころウディアレンの作品には必ずと言っていいくらい彼女が出演していた。
ファンタジータッチで話が展開するニューヨークマンハッタンの主婦の物語だ。

ニューヨークマンハッタンが舞台だ。
高級アパートメントに住む上流家庭の主婦アリス(ミア・ファロー)は、夫ダグ(ウィリアム・ハート)と可愛い娘に囲まれ、何不自由なく暮らしている。女友達と買い物をしたり、おしゃべりを楽しんだりで有閑マダムとして過ごしていた。
ある日、原因不明の背中の痛みをおぼえたアリスは、女友達に勧められて「名医」といわれるドクター・ヤン(ケイ・ルーク)をチャイナタウンに訪ねる。そこでアリスはヤンに不思議な薬をもらう。それは次々に奇妙な効き目をあらわす。昔のボーイフレンドのエド(アレック・ボールドウィン)の幽霊に会ったり、突然大胆な気持ちになって、前々から気になっていた中年男性ジョー(ジョー・マンティーニャ)をデートに誘ってしまったり。またあるときは薬を飲むとたちまち透明人間になってしまったりする。。。。

映画はマンハッタンで撮影され、ニューヨークの匂いがプンプンする。
クラリネット基調のディキシージャズや1930年代系の音楽に加えて、セロニアス・モンクのムーディなピアノとウディアレン好みの音楽がずっと流れ続ける。そんな中、主演のミア・ファローは軽快なマシンガントークを続ける。ウディアレンは今回出演していないが身代わりのようなウディらしいトークだ。
同じくウディの昔の恋人ダイアンキートンがときおり一緒に仕事をするのに対して、ミア・ファローはその養女がウディとできてしまったことでずっと関係がよくないようだ。ずっと後の作品だけど、「アメリ」のオドレィトトゥの匂いを感じた。お茶目な演技は見ていてほのぼのする。

太陽に灼かれて ニキータ・ミハルコフ

2012-05-06 07:26:56 | 映画(洋画 99年以前)
映画「太陽に灼かれて」は94年のロシア映画、1930年代のスターリンによる粛清時代を描く。

成宮寛貴君の映画のコメントしていたら、彼が昨年「太陽に灼かれて」を劇で上演していることがわかった。この映画は割と有名だけど、機会がなく見ることがなかった。ロシア料理は大好きなんだけれど、ロシア映画はスケールが大きい割に苦手だ。ずっと後回しになっていた。

別れた恋人が突如戻ってくることに戸惑う妻とその夫の振る舞いを描く。

ロシア革命の英雄コトフ大佐(ニキータ・ミハルコフ)は田園地帯の避暑地「芸術家村」で若妻マルーシャ(インゲボルガ・ダプコウナイテ)とその一族、娘のナージャ(ナージャ・ミハルコフ)とともに幸福な日々を送っていた。映画ではのどかな生活をしばらく描いていく。
ある日サングラスの髭面の老人が訪問してきた。かつて家族同然に親交があったドミトリ(オレグ・メシーコフ)の変装だった。貴族育ちの彼はピアノを弾きながらはしゃぎまわる。昔の恋人であったマルーシャと一家は再会を喜び、ナージャもすぐになついた。しかし、大佐は複雑な心境を顔に表していた。
一家は川に遊びにいく。大佐はナージャと遊んでいた。ドミトリがわざとおぼれたふりをしたりして、彼女を挑発した。二人きりになったマルーシャとドミトリのあいだには昔の情熱がよみがえる。その雰囲気を察した大佐が彼女を真意を確かめようと、強く愛情を求めようとする。ドミトリは何かの意図をもって訪れているようであったが。。。


前置きの長い映画である。ロシアの大草原の中、暮らす家族の偶像をじっくりと描くといえばいいかもしれないが、若干凡長である。退屈な映画だなあと思っているところに元の恋人が現れる。強い化学反応を示す。そこで映画の流れが大きく変わっていく。一人の男の媒介で映画が引き締まる。緊張感が出てきて映画がおもしろくなる。



スターリンの粛清というのは旧ソ連の歴史の中でも非常に暗い場面である。元々のライバルであるトロツキーもこのとき殺された。ヒトラーが悪くいわれるが、それ以上に悪く評価されてもおかしくないような男である。
計画経済に失敗して、国民が困窮した。その時点で反逆する気配の人物を次から次へと抹殺した。「エニグマ」などの映画でドイツよりももっとひどいことをポーランドでしてきたことが指摘されている。
その後、毛沢東主席が大躍進政策に失敗した後、劉少奇、小平が改革政策を打ち出すのに文化大革命で対抗したのと同じだ。社会主義というのはろくなもんじゃない。
主人公はそういうスターリンと仲良く写真に写っていて、自慢しているような男だ。それでもちょっとしたことで粛清を受ける。大変な話だ。


監督兼主演のニキータ・ミハルコフがうまいのは言うまでもない。正反対のキャラを演じるオレグ・メシーコフが貴族出身の秘密警察の男を演じていた。教養を見せつけ、ピアノにギターにサッカーと何でもやる。会話もセンスがある。こんな2つの強い個性には普通の女性であれば戸惑うであろう。
ここで特筆すべきは監督の娘でもある子役のナージャ・ミハルコフである。父と一緒に出演している気楽さもあるせいか、無邪気で屈託のない演技は演技の枠を超えている。まさに天才というべきであろう。自分の映画史の中でもこんなにうまい子役ってみたことがない。彼女を見るだけで価値がある映画ともいえよう。カンヌ映画祭パルミドールとオスカー外国語映画賞となったのもナージャ・ミハルコフが強く評価されてというのが大きく影響している印象を受けた。

ブルースブラザース2000  ダンエイクロイド

2012-03-20 12:18:39 | 映画(洋画 99年以前)
ブルースブラザース2000は名作「ブルースブラザース」の続編である。
本当に楽しい。
ロードショー時に劇場に見に行った。最終のバンドコンテストの場面になった時、豪華なミュージシャンが次から次へと出てくるのにアッと驚いた。

ここしばらく目が痛く、気分がすぐれずに映画を見ていなかった。再開には見慣れた作品がいいと思い、この作品を選んだ。良かったと思う。


イリノイ州の刑務所にたたずむ主人公が画面に出てくる。前作とスタートの雰囲気は一緒だ。
エルウッド(ダン・エイクロイド)は18年ぶりに出所したところだ。そこで相棒のジェイクが死んでいることを知りシカゴに向かい旧知の修道女に会いに行く。
昔の恩師である修道女の施設には一人の孤児がいた。その子が妙になついた。10歳のバスター(J・エヴァン・ボニファント)である。エルウッドの育ての親カーティスに私生児がいることを知った。イリノイ警察の本部長キャブ(ジョー・モートン)である。エルウッドは弟分に会うがごとく訪ねるが全く相手にされず門前払い。
そんな警察本部長の財布をとっさに相棒の少年がすり、エルウッドは中古車を購入してかつての仲間のところへバンドへの勧誘に行く。
ストリップ小屋にいる歌手志望のバーテン(ジョン・グッドマン)を新たなメンバーにしようとするが、ロシアマフィアにいちゃもんをつけ追いまくられる。そんな中、車のディーラーになったギターリストや縫製の会社にいったり次から次へとメンバーを集めてバンドコンテストを目指す。誘拐犯と間違えられ警察本部長に徹底的に追いまくられるが。。。。


ヤマはいくつもある。
最初のヤマはカーディーラーの店主になったギターリストのマットマーフィーにところにダンが行ったところだ。
前回は「ソウルフード」のお店を経営していたところをブルースブラザースが訪れ、妻役のアレサフランクリンから「think」(考えろ!)と言われる。その場面は痛快でおもしろい。アレサが相棒の3人の女性とともに歌いながら、不良亭主がバンド仲間に加わらないように何度も「think」と言う。ダンエイクロイドと故ジョンベルーシの動きが吹き出すようにおかしい。

今回もアレサフランクリンが歌う。バックのお姉さまも同じ。ド派手な衣装に身をつけ彼女の初期の傑作「respect」を歌う。後ろでは故ベルーシの代わりに少年とジョングッドマンがダンに合わせて踊る。これがなかなかいける。



他にもたくさん見所があるが、あと2つに絞ろう。
1つはジェームズ牧師(ジェームズ・ブラウン)の伝導集会での神の啓示の場面である。前回は教会でジョンベルーシが神の啓示を受けてバク転しまくりの超絶ダンスを見せた。ジェームスもバックものりが凄かった。

今回も強烈だ。場所は野外の白いテントの中である。ゴスペルを歌う黒人の女性が大勢いる中、サムムーアが歌いまくる。60年代にリズムアンドブルースの名曲「ホールドオン」で一世風靡したサム&デイブの片割れだ。このソウルフルなテナーボイスがいい。そこに新たに神の啓示を受けたジョーモートンが加わる。この歌声ものれる。そこにジェームスブラウンが加わるシーンは本当にすばらしい。後ろでは集会に集まった原色の派手なドレスに身を包んだ女性や男たちがピョンピョン踊りながら歌いまくる。ステップがエキサイティングだ。ジェームスが故人になった今はもうこのシーンは不可能だ。



もう1つはバンドコンテストだ。主催はルイジアナのブードゥーの妖女(エリカ・バドゥ)だ。ブルースブラザースは、コンテストに参加するためにオーディションを受ける。主催者の妖女からレゲェを歌えと言われて、ブルース専門のダンエイクロイドは無理だと言う。そこを魔術で歌えるようにしてしまう場面が笑える。気がつくと、バックバンドの連中はカリブを意識した白いスーツに変身する。気がつくとロボットのように歌うブルースブラザース。いやはや最高だな。
そのあとがメインイベントだ。
このシーンを劇場で見たときは本当にあっと驚いた。何せ凄いメンバーだ。BBキングの姿が見える。いつものいでたちでブルースを演奏する。その隣はエリッククラプトンではないか!!!
こんなに衝撃を受けたことはめったにない。思わず声が出た。このあとも次から次へとビッグネームが出てくる。このメンバーは歴史上「ウィ-アーザワールド」に次ぐぐらいのビッグメンバーとして後世語り継がれるのではないか?
この強敵ルイジアナ・ゲーター・ボーイズを含めた最後のジャムセッションもなんともいえない。熱い演奏を展開。

個人的にはブルースブラザースは自分のベスト3にはいる作品だ。その延長線として十分に練りつくされて造られた作品だけに
楽しい作品になっている。監督のお笑いムードには冴えまくっていた。
これで映画復活できるか?


ゆりかごを揺らす手  レベッカ・デモーネイ

2012-02-26 10:07:11 | 映画(洋画 99年以前)
「ゆりかごを揺らす手」はカーティスハンソン監督による92年のスリラー映画だ。
ここでもすごい悪女がどきどきさせるようなパフォーマンスをする。


研究者の優しい夫と幼い娘に囲まれ幸せな日々を過ごすクレア(アナベラ・シオラ)は2人目の子供を身ごもった。担当した産婦人科医師は状況を確認するふりをして彼女の陰部に対して手で猥雑な行為に及んだ。事情を知った夫の助言により、彼女は警察に訴えた。他に数人の女性が被害に遭ったことが判明し、社会的制裁を受けた産婦人科医はピストル自殺した。訴訟を受ける可能性があるということで夫の財産が没収となった。残された産婦人科医の妻ペイトン(レベッカ・デモーネイ)は衝撃を受け、妊娠中の彼女は流産し子宮を除去摘出されてしまった。

6ヵ月後クレアは無事に男児を出産していた。産婦人科医の妻は、過去を隠してクレアに近づいた。娘にも好かれるように振舞っていた。相手の信頼を得て住み込み家政婦として雇われることに成功した。


引っ越して来た夜から彼女は自分の乳房をジョーイに含ませるなど自らの子供のように扱い始めた。しかし、悪事を次々はじめだした。研究者である夫の重要な論文をこっそり破り捨てたりした。家族に親しんでいる精神障害を持つ黒人使用人もわなにはまった。また、夫婦の仲を裂くため、夫の旧友であり現在は友人の妻(ジュリアン・ムーア)と浮気しているように画策し、家庭崩壊へと追い込んでいった。それにショックを受け妻の持病である喘息が悪化していったのであるが。。。

悪女映画は数多い。どれもこれも背筋をひんやりとさせられる。「蜘蛛女」「深夜の告白」「悪魔のような女」「危険な情事」などが有名であろう。いずれも凄すぎる。

自分はこの映画を見て「エスター」を連想した。「エスター」は子供の設定であるが、家族内で同居する悪女の設定ということでは同じである。家庭内で積み重ねるいたずらの数々はどちらもすごい。悪女を演じるレベッカデモーネイは若き日のトムクルーズの彼女でもあるが、風貌がヒラリークリントンに似ている。冷たい美貌がそっくりだ。ここで見せた自分の母乳をあげて赤ちゃんを自分になつかせる意地悪は究極の意地悪だ。女は怖い!途中からのドタバタ劇は「危険な情事」のグレンクローズの振る舞いも連想させる。恐怖の波状攻撃には家の中でのけぞりそうになる。

カーティスハンソン監督は「LAコンフィデンシャル」という名作を残しているが、メリルストリープ主演の「激流」ではB級映画的サスペンスタッチのスリラーを仕上げている。
この映画が持つ独特のサスペンスタッチもなかなかだ。もう一度このタッチでつくってほしい。

一つだけ気になったところがある。ここの奥さんがぜんそく疾患だという設定である。ぜんそくは怖い。
自分の会社入社同期が30前半にぜんそくで死んでいる。北野高~京大出の秀才であった。彼はぜんそくを親に隠していた。東京にしばらくいた後関西に帰った。親と同居したが、何も言っていなかった。死んだあと手帳を見たら、自分の疾患を治すために懸命に病院周りをしていたことを知った。せつない気持ちになった。彼は風呂に入っている時に発作を起こす。風呂から飛び出した彼は親に何かを訴えたけれど、親は何も分からない。吸引機の場所も分からず、そのまま窒息した。
この映画で奥さんが発作を起こすシーンを見て、本当だったら死んでもおかしくない気がした。
どうでもいいことだけど、急に思い出した。

ゆりかごを揺らす手
史上最強の家政婦


エスター
家庭に侵入する少女


ルームメイト
同居は怖い

シビルアクション  ジョントラボルタ

2012-01-02 06:21:01 | 映画(洋画 99年以前)
「シビルアクション」は99年の法廷物映画だ。ジョントラボルタが主演
土壌汚染による公害裁判を通じて大企業相手に奮闘する弁護士を描く同名ベストセラーの映画化。
ドライで金もうけしか考えていない弁護士が泥沼におちていく構図を描く。このブロブでも再三演技を絶賛したロバートデュバルのいぶし銀の演技が光る。もちろんトラボルタもいい。
こうなってはいけないよという教訓が中にいっぱい語られる映画だ。

ボストンが舞台、主人公ことジョントラボルタは敏腕弁護士だ。傷害を扱うのが専門だ。
いきなり出てくる場面は裁判に入った瞬間に相手弁護士への和議の価格をつりあげる場面だ。トラボルタは金にならない訴訟はやらないし、和解で済ませるための駆け引きが得意だ。
トラボルタはラジオ出演の時にある自分への投書がそのまま放置されている話を聞く。それはある町の子供たちが水の汚染が原因か?次々と白血病にかかっていく話である。子供に関する訴訟は金にならないから受け付けない。トラボルタは先方に向かい断る。

ところがその帰り道に付近の工場で汚染水が捨てられている場面に遭遇する。直感的に企業に莫大な慰謝料が請求できると踏んで調査を始める。訴訟を起こし相手企業の従業員から事情徴収を始めようとする。しかし、親の代からその企業に勤めている社員は多く口を割らない。トラボルタは汚染処理を地質から解明しようとして調査をする。これはとてつもなく費用がかかることであった。トラボルタ及びそのパートナーは裁判前にその費用を負担しなければならない。次第に小さい法律事務所の会計は厳しくなる。相手の代理人ことロバートデュバルは老練で持久戦に持ち込もうとするが。。。。


弁護士トラボルタはおしゃれでポルシェを乗り回す粋な男。彼は勝てる訴訟と金勘定にしか関心がないと当初は描かれる。この裁判でも金が問題じゃないとのたまいながら庶民の味方を演じようとする。裏では「金になる!」と思っているのだ。大企業から莫大な賠償金をむしり取ることができる。裁判となっても病気で子供を亡くした父母たちの告白で陪審員全員を味方にすると考える。でもそうはうまくいかない。相手代理人はじらし戦法に入る。裁判準備の調査に大金を使い、事務所の経営が厳しくなる。主人公は必要以上に熱くなり、和解に向けての被告側からの申し立ても受けようとはしない。
トラボルタはギャンブルにのめり込むかのようにはまっていく。

事実に基づく映画だが、いろんなことを感じさせてくれる。
映画の途中で、地質調査をせざるをえないとなった時に一瞬「この金どこから出るのだろう?」と感じた。地質調査の費用は決して安くない。訴訟の性質上広い範囲をする必要がある。しかも原告には金がないはずだ。立て替えるのかな?なんて思っているうちに、事務所の経理が渋い顔をする場面が出てくる。
金にうるさい男がなんでこんなにのめり込んだのかな?と思った。勝てばその分が取り返せるといってもやりすぎだよなあと。まるでギャンブルで勝つまで投入し続ける某製紙会社の元役員のようだ。
普通訴訟にかかる費用は原告に請求できる。でもあとで清算となれば普通はやらないだろう。しかも立て替える金額が半端じゃないわけだから。自分にはありえないなあと思った。

ライバル弁護士を演じたロバートデュバルのじらし戦法もすごい。ハーバードと思しきロースクールで教鞭をとる彼が、相手をかく乱させるために「異議あり」を常に言い続けるという動きがすごい。しかも演じる彼もうまい。法廷では常にのらりくらりしている。であるからなおのことトラボルタが熱くなる。思うつぼである。

法廷サスペンス映画はどれもこれもおもしろい。古くは「情婦」のチャールズノートン弁護士をはじめ、「評決」のポールニューマン、「フィラデルフィア」のデンゼルワシントンなど好きな弁護士はたくさんいる。でもこの弁護士ほどそうなってみたいと思わない弁護士はいない。そういう特異性もこの映画にはある気がした。

最後は正義は勝つという構図とはほど遠い映画だ。この女依頼者見ていてむかついた。
でもおもしろかった。



フルモンティ

2011-09-17 05:43:47 | 映画(洋画 99年以前)
しばらくアップしていなかった。忙しかった。
映画どころではないという感じだ。
「フルモンティ」はイギリス映画、すたれた工業の街の失業者たちが男性ストリッパーになってしまう話だ。コミカルなタッチがいい。懐かしいドナサマーの「ホットスタッフ」が妙に心にしみる。


イギリス北部の街シェフィールド。鉄鋼業で栄えたこの街も、今は誰もが失業中。失業してから6ケ月、主人公ことロバート・カーライルは共同親権を得るための養育費がなくて、別れた女房に息子を奪われそうだ。そんな時、人気の男性ストリップ・グループの巡回ショーに潜り込んだガズは、女たちの熱気と歓声に驚く。
これは金儲けのチャンスだと踏んだ彼は、排気ガス自殺しようとした気弱な男も仲間に入れ、男性ストリップを始めようとする。コーチには社交ダンスが得意な元上司ことトム・ウィルキンソンを選んだ。まだ妻に失業したことを言い出せないトムは、未だに上司風を吹かすいやな奴だ。でも、彼が新しい就職口の面接を受けている時、ガズたちは窓の外からチョッカイを出して失敗させ、無理矢理仲間に引き入れる。残りはオーディションだ。合格したのは、ブレイクダンスの心得はあるが、ちょっと年がいきすぎて足元が怪しい黒人男、リズム音痴だがアソコは立派な男。6人揃ったところで猛練習が始まったが。。。。。


出演者たちのキャラは今の日本の失業者たちに通じる。元上司の男が妻に失業であることを言いきれない話なんて日本映画「トウキョウソナタ」と同じような話だ。まともな奴なんて一人もいない。そこがこの映画のいいところであろう。飾りっ気がとれた男たちの持つパワーは徐々に高まっていく。でも未知の世界だけにそうは簡単にはうまくいかない。その紆余屈折がなかなか面白い映画だ。

ブロードウェイと銃弾  ジョン・キューザック

2011-08-17 05:21:36 | 映画(洋画 99年以前)
「ブロードウェイと銃弾」はウディアレン監督の96年の作品だ。彼自身は出演していない。いつものウディアレンらしさもあるが、ミュージカルの裏話が主軸だけで若干色彩が異なるかもしれない。世間評価はまあまあのようだが、ウディ作品の中では個人的には苦手

時代は1920年代のニューヨーク、芸術肌の劇作家の主人公ことジョン・キューザックのシナリオにプロデューサーが出資者を見つけた。マフィアの親分ことジョー・ヴィテレリがスポンサーだ。でも裏があった。女優志願の愛人を出演させろというのだ。じゃじゃ馬女の出演はどうにも嫌だが、うけざるを得ない。マフィアは怖いし、キンキン声の彼女はどうにもならない。


ジョンキューザックは主演に大女優ヘレンことダイアン・ウィーストを起用し、相手役に名優を持ってきた。大女優ダイアンウィーストは、自分の立場をもっとよくするために主人公を誘惑した。恋人がいる主人公であったが、その誘惑にこたえてしまう。また、愛人オリーヴの用心棒ことチャズ・パルミンテリがある日演出に口を挟む。おもしろくない主人公だが書き直しをする。それ自体は好評であった。
愛人オリーヴがマフィアの親分に隠れてプロデューサーと浮気する。舞台にかかわる面々の関係が徐々に複雑になっていくのであるが。。。。

1920年代、第一次世界大戦に対外不干渉の慣例を破って参戦して勝ってからのアメリカは全盛時代を迎えた。経済発展を遂げているわけであるから、ブロードウェイも活気があったであろう。同時にマフィアが夜の世界を牛耳っていたのも明らかだ。そういう世相を考えると、このストーリーもそんなに不自然ではない。

ウディアレン自身が出演していないときは、自分の分身の誰かに自分の思いを話させることが多い。ここではジョンキューザックだ。スタートしてしばらくはいかにもウディらしいセリフが目立つ。どちらかというと、ダイアンウィーストとの絡みが出てからはその色彩が薄くなる気がした。その分愛人の用心棒におもしろい動きをさせて、映画の展開をおもしろくする。

そのダイアンウィーストがこの映画でオスカー助演賞をもらった。見ようによっては助演を逸脱した活躍をしている。このブログでも「チャンス」や「モンタナの風に吹かれて」あたりでずいぶんと褒めた。彼女が出演している作品ははずれがない。ここでの彼女は名女優の役、上記2つはふっくらした姿でもう少し地味な役だけにいつもと違う雰囲気だ。でも若いジョンキューザックにからんでいく部分に女の匂いを出しておもしろい。ちょっと違うかもしれないが「サンセット大通り」の匂いも少しある。

カンザスシティ  ロバートアルトマン

2011-08-10 07:45:37 | 映画(洋画 99年以前)
映画「カンザスシティ」はロバートアルトマン監督の96年の作品。
ルーズベルト大統領就任後の大恐慌下のカンザス・シティを舞台に、腐敗選挙がらみの誘拐騒動を描く人間ドラマ。カンザス・シティはアルトマン監督自身の故郷である。いつも大人数の登場人物で見るものを混乱させるロバートアルトマンも今回はそうはさせていない。志向が違うようだ。ジャズのシーンもたっぷり見せる。

1934年カンザス・シティが舞台だ。時の大統領ルーズヴェルトの顧問の妻ことミランダ・リチャードソンが、一人の女ブロンディことジェニファー・ジェイソン・リーに誘拐された。ブロンディの夫ことダーモット・マルロニーは黒人に化けて、黒人ギャングの顔役ことハリーべラフォンテが営むクラブの金を奪い捕らえられているのだ。
ブロンディは誘拐して夫を救い出そうとしている。誘拐と解放の条件を伝える。誘拐した女とされた女の二人の間は次第に奇妙な友情が芽生えるが。。。。


アルトマン映画の割には単純なストーリーだ。登場人物も少ない。それはそれでわかりやすくていいんだけど。背景はよくわからないが、往年のジャズクラブを見せることで遊びの映画を作ろうとしていたのであろうか?
実際「ジャズバトル」と称して、かなり強烈なジャズセッションを聴かせる。これがなかなかいい。サックスバトルも冴えまくる。普通2人のサックスがいても共演という感じでバトルというイメージにはさせない。イヤーこれは凄い。でも映画それ自体は今一つな気がする。いつもさまざまな伏線をはるストーリーなのにアルトマンも中途半端なのかもしれない。
それでもジェニファー・ジェイソン・リーは好演だと思う。誘拐といっても何か間抜けで、笑えるキャラだ。ハリーべラフォンテは今回は歌わずマフィアの黒幕役だが、これがうまい。親分らしい貫禄がある。

恋におちたシェイクスピア

2011-07-25 18:27:56 | 映画(洋画 99年以前)
最近16世紀のヘンリ8世以降の英国が妙に気になるようになった。しかも、日経新聞「私の履歴書」にシェイクスピアの新訳で名だたる東大名誉教授小田島雄志氏の話が掲載されて、シェイクスピアが妙に気になる。とすればこの映画である。
「恋におちたシェイクスピア」はロミオとジュリエット誕生時のシェイクスピアのエピソードを描いた傑作である。若かりし日のウィリアム・シェイクスピアと彼を信奉する上流階級の娘ヴァイオラとの恋愛を描く悲喜劇のロマンスだ。映像、音楽、美術とも抜群で傑作とはこういう作品をさすものなのであろう。グウィネスパルトロウがキュートで男装の短髪姿が抜群にかわいい。ジョセフファインズの身のこなし方も演劇的でこの映画の趣旨にあっている。


16世紀末、アルマダの戦いでスペインの無敵艦隊を撃破したのちのロンドンは演劇熱が高まっていた。ところが、ペストで閉鎖となる劇場も出てくる。そんなピンチに劇作家シェイクスピアことジョセフファインズはスランプに陥っていた。劇場復活にむけて起死回生の新作オーディションにやって来た一人の青年トマス・ケントことグウィネスパルトロウは抜群のセンスを示す。彼が気になり、シェイクスピアはケントを追って船に乗る。シェイクスピアは芝居の最中に観衆として目を留めた美しい女性ヴァイオラが気になっていた。トマスにその想いを語っていた。船が屋敷に着くと船頭がトマスケントに「お嬢様」とのたまう。まさかと思いながら屋敷に向かうシェイクスピアだった。青年トマスは資産家御令嬢の「ヴァイオラ」だったのだ。
シェイクスピアと彼を信奉するヴァイオラはたちまち恋におちてしまう。屋敷の部屋で朝まで二人だけの時間を過ごす。燃え上がる恋心が創作意欲を書き立てたのか、シェイクスピアの台本は急ピッチで仕上がって行き、トマス・ケントを主役とした芝居の稽古も順調に進んでいた。ところが、エリザベス女王ことジュディデンチお墨付きの貧乏貴族コリンファースとの結婚がせまるヴァイオラの気持ちは複雑だった。。。。


悪い見方をすると不倫映画である。所帯持ちであることを隠して美しい女性に近づくシェイクスピアは見ようによっては悪い男だ。でもそういう色彩が薄らぐ。むしろグウィネスの婚約者コリンファースが悪者に見えてしまう。不思議なものだ。相撲の土俵に女性が上がれない文化も今の日本にあるが、16世紀のイギリスには女性が舞台で演じられない文化があった。そういう理不尽の中、ストーリーは主演2人の恋をかばいながらやさしく展開する。音楽もやさしい。衣装も手がかかるものだ。この辺りの時代背景を今一歩つかんでいないが、「夜這い」の文化ってあったのであろうか?夜ごと通うシェイクスピアの動きを見てふと思ってしまう。


ここでは名優たちの活躍が目立つ。劇場主のジェフリーラッシュ、婚約者役のコリンファースはもとより、エリザベス女王のジュディデンチが貫禄を見せる。久々見たが、映画を見る前に思い出されたのが2人が結ばれるシーンと最後のエリザベス1世の登場場面である。あのシーンの存在感は忘れようと思っても忘れられないほど強い。007の秘密組織の女親分役もあっているが、独身のエリザベス1世の威圧感はまさに適役といえよう。