映画とライフデザイン

大好きな映画の感想、おいしい食べ物、本の話、素敵な街で感じたことなどつれづれなるままに歩きます。

映画「フィギュアなあなた」 佐々木心音

2013-06-28 05:57:31 | 映画(日本 2013年以降主演女性)
映画「フィギュアなあなた」を劇場で見た。

最近劇場に足を運ぶのは、単館ものばかりだ。
嘆きのピエタ」「さよなら渓谷」いずれも観客が多い。映画の質も上級だ。
この映画は「ヌードの夜」の石井隆の新作というだけで喰いついた。東京周辺は池袋だけ。やはり面白い。まったく受け付けない人もいるだろうけど、エロティックな世界を十分楽しめた。

何より佐々木心音のダイナマイトバディには圧倒された。

主人公健太郎(柄本佑)は、雑誌社に勤める孤独なオタク青年だ。しかし、企画したものはいつも不発。そこで上司(竹中直人)から強い叱責を受け、総務に異動させられてしまう。リストラを宣告されたヤケ酒の果てにガラスバーでダンサー(檀蜜)を見ていた。

泥酔のあげくそこで最初のケンカだ。無理やり退場させられたあと、すれ違いざまに奇妙なカップルに出くわす。男装と思しき女(風間ルミ)はチンピラのようだ。思わず手を出してしまい逃げる。

チンピラに追われ、迷い込んだ廃墟ビルは昔飲み屋だった店が並んでいる。
懸命に中を徘徊すると、マネキン人形が死体の山のように積み上げられている中でセーラー服を着た少女のフィギュアを発見する。健太郎は生きているようなフィギュアに触り始めるのだ。
そうしているうちにさっきのカップルがやってくる。隠れていたが、見つかり男から半殺しの目に会う。そうしているうちに現れたのが、この廃墟ビルを棲家にしているヤクザだ。この中で麻薬取引しているらしい。三者入り乱れているうちにその美少女フィギュアが目を開けて動き出すのだ。。。。

石井隆というと夜のイメージが強い。しかもドツボにはまったネオンの狭間という感じだ。
前作「ヌードの夜」では気持ちよく、佐藤寛子を脱がせた。これがまたよかった。

今回は佐々木心音だ。普通に健康な男性であれば、彼女に魅力を感じない男はいないだろう。
今は23歳で一番きれいな時だ。肌の張りがはちきれそうだ。
そんな彼女にアクションをやらせたり、空中に浮かしたりして石井隆がいじりまくる。

この衝撃は映像で感じるほかないだろう。

それを目の前にしてダメ男の主人公が狂い始める。このダメ男ぶりは笑える。
新宿と思しきネオンの谷間で、泥酔して現実かどうかわけのわからない世界に入っていく。
廃墟のビルの中でのハチャメチャな映像がいかにも石井隆ワールドだ。


現実か真実かを彷徨うその映像はずっと目を楽しませる。
レベルの高い日活ロマンポルノというところか。
最後はフェリーニの映画のようなドンチャン騒ぎまで映しだしていく。

一つだけ面白かったのが、風間ルミの存在だ。
クレジットを見て、この名前見たことあるな。と思いながら見ていたら、チンピラ女(いや男)として登場。そうか女子プロレスの風間ルミだ。
主人公や廃墟ビルに張り付くヤクザを蹴りまくるキックは往年のプロレス技同様、激しい。腹が出ているのによくもまあ軽快なキックが出ること!これはこれで見ていて楽しい。一緒にいる女に愛撫したりするシーンは見ていて笑う。

予告編を見ていたら、石井隆は今度は檀蜜とコンビを組んで新作「甘い鞭」を出すらしい。
楽しみだ。

フィギュアなあなた
佐々木心音のバディに圧倒される


フィギュアなあなた


マリアの乳房
佐々木心音のナイスバディ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

映画「さよなら渓谷」 真木よう子&大西信満

2013-06-27 05:00:06 | 映画(自分好みベスト100)
映画「さよなら渓谷」を劇場で見た。
モスクワ映画祭コンペにも出品されるという。

胸にしみるいい映画であった。
吉田修一の原作は未読、先入観のない状態で見た。ミステリーの要素もあるが、それ自体読みやすい。でも謎解き自体を楽しむのではなく、映画に漂う無情の響きを堪能する映画だと思う。 

尾崎俊介(大西信満)と妻のかなこ(真木よう子)が扇風機がまわりつづける部屋で抱き合うシーンからスタートする。2人は都会から離れた緑豊かな渓谷の古びた団地で暮らしていた。隣の部屋の女性が逮捕された。子供を殺した容疑者であった。団地のまわりには報道関係の人たちが取り巻いていた。
その直後、俊介が警察に事情徴収を求められる。隣の女性が俊介と関係があったと自白したのだ。俊介は何も関係がないと言い釈放された。

事件の取材を続けていた週刊誌記者の渡辺(大森南朋)は、隣家に住む俊介が事情徴収を受けたことを知り、俊介の身辺を調べ始める。

俊介は昔大学野球のスター選手であった。しかし、卒業半年前に大学を中退している。何かおかしい。以前勤務していた証券会社にいる彼の先輩に事情を聴く。なんと15年前に起きた集団レイプ事件の加害者の一人だったのだ。記者仲間(鈴木杏)は被害者の女性が事件後どうなったかの足跡を追っていた。結婚が破談になったあと、一人の男性と結婚するが、男はDVであり、家庭内暴力の被害を受ける。そして半年前から失踪しているらしい。いい人生を送っていないようだ。

幼児殺害事件は一つの通報により新たな展開を見せる。隣の女性と俊介が以前から不倫関係にあったという。この通報をしたのは、妻のかなこであった。事情徴収を受けた俊介はついに隣の女性と関係があったと自白するのであるが。。。

扇風機がまわりつづける団地の一室で2人は激しい愛欲に狂っている。こんなに抱き合う2人というのは、関係をもちはじめて間もないのかとふと考える。「ナインハーフ」ではないが、付き合い始めほど愛欲に狂う。ずっと付き合う2人がここまで狂うことはない。その後俊介が事情徴収を受けるが、どう考えても隣の家の女性とは関係ないだろうと思わせる。事情徴収から帰宅した後も激しい愛欲が続く。

それなのに妻がたれ込むというのだ。
「この逆転って何??」不思議な衝撃を受ける。

そののち、一つの予想が成り立つ。たぶんそうだろう。
その通りになる。謎解きはやさしい。
でもどうしてこんな風になるの?そういう予想を確かめるように映像が続く。

セリフは少ない。沈黙が続く長まわしが多い。
でも凡長ではない。
セリフがなくても、2人のしぐさで伝えてくれることがたくさんある。
これこそ映画の醍醐味ではないか。

真木よう子は好演ですばらしいが、自分は大西信満をほめたい。
無言のまま漂う雰囲気がいい感じだ。
赤目四十八滝心中未遂」で主人公を演じた時と似たような役柄である。ともに世捨て人である。あの時もセリフが少ない中で、ナイーブな主人公の気質をうまく演じた。あの作品も素晴らしいが、これも絶品だ。

最後、大西信満の表情を見ながら、終わり方は、こうなるんじゃないかと想像した。
その通りになった。
高峰秀子乱れる」を思い出した。

さよなら渓谷
無情の響きを堪能する


赤目四十八瀧心中未遂
尼崎の場末アパートにいる大西の世捨人ぶりがいい


乱れる
終わり方が同じように鮮烈
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

うなぎとスイカ(小休止)

2013-06-25 05:40:41 | 食べもの
最近ウナギを食べる機会が増えた。
金額が高くなって、接待でありがたられるのかもしれない。
この間は水戸に出張に行って昭和天皇も食べたという高級割烹で食べた。

まずは前菜から、これがおいしい。

お椀が来たら
芸者らしき艶っぽいお姉さんが隣に来てお酌する。

造りはピンボケなので割愛
まずは白焼
これもお酒にあう。

この卵豆腐みたいのもおいしかった。

ラスト前は蒲焼
うな重にする人もいたが、ご飯はもういらない。


ほろ酔い気分で水戸の夜は楽しかった。
そうしたら、知人が地元名産というスイカを送ってきた。
これがでかい。

うなぎとスイカは食い合わせが悪いというけど大丈夫

もう夏はすぐだ。
自宅の花も満開


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

映画「みなさん、さようなら」 濱田岳

2013-06-23 06:31:18 | 映画(自分好みベスト100)
映画「みなさん、さようなら」は2013年年1月に公開された作品だ。「アヒルと鴨のコインロッカー」の中村義洋監督濱田岳が5度目のタッグを組み、久保寺健彦の同名小説を映画化した。

公開された後、割と評判がいい。気になっていたが、上映されている場所が少ない。チャンスを逃していた。いよいよレンタル発見。すぐ借りた。
これは面白い!

濱田岳は生まれ育った団地から出ずに生きる男を演じる。なんと濱田は主人公・渡会悟の中学一年から30歳までを演じきるのだ。彼が出る映画にハズレはほとんどない。これまで以上に彼の個性が浮かび上がる。そして、強く青春というものを感じさせる。
映画を見終わってすがすがしい気分になった。

「僕は一生、団地の中だけで生きていく」12歳の春、渡会悟(濱田岳)の一大決心は母の日奈(大塚寧々)を始め、周囲を仰天させる。賑やかな団地には、肉屋から魚屋、理髪店、衣料品店など何でも揃っている。何だって団地の中だけで済ますことができる。
教師に説得されたが、結局中学校には通わなかった。「俺が団地を守るんだ!」とばかりに、団地内のパトロールを日課に日々を過ごす。中学は行かなかったが卒業証書はもらえた。そして希望がかない団地の中のケーキ屋に弟子入りする。

最初は団地の隣に住む松島(波瑠)と仲良くしていたが、年頃になった彼女は目の前から去っていく。昔の同級生同士が団地の公民館で成人になった集いをする。そこには同級生の緒方早紀(倉科カナ)がいた。彼女は悟のマドンナだった。手の届かない女の子と思っていた彼女と意気投合する。そして婚約してしまうのだ。

団地の中だけの生活を謳歌してゆく悟だったが、時代の変遷とともに多くの人が団地を去り、悟は1人取り残されていくのだが。。。。。

なんせ団地から出られない主人公だ。それは小学生時代、身近で起きた中学生による殺傷事件の影響だ。いったん団地の外へ出ようとする。一種の過呼吸状態になるのである。成人になって、恋人とトライしてもダメだった。そんな主人公のいくつもの逸話が語られる。見ようによっては異常の世界なのに妙に感情流入した。それぞれの逸話にリアル感が感じられた。

どれもこれも語りだすときりがない。
この映画を見て印象深かったこと4つあげる。

1つ目は大山倍達との出会いだ。
団地を守ると誓った主人公がテレビで牛殺しをするフィルムに出会った。それを見て感激した主人公は、「強くなりたい」の一心で大山倍達の著書をもとに、自分で修業を始めるのだ。まずは身体を鍛えるための腕立て伏せ、それも手のひらを使ったものでなく、少しづつ指の本数を少なくしてやるのだ。そしてダンボールで人形をつくって、それ向けて目潰しや金蹴りによる奇襲の訓練だ。中学時代不良同士のケンカに何かの間違いで駆り出されて、金蹴りをするシーンは笑える。しかも、この映画の最後には凄い実戦シーンが待っているのだ。

極真空手の総帥大山倍達と言えば、漫画「空手バカ一代」である。この映画の主人公悟が生まれた昭和48~49年ころが、むしろ大衆人気のピークだったのではないだろうか?ちょうどブルースリー主演映画「燃えよドラゴン」を全国の少年たちが羨望のまなざしで見ていた時期と一致する。当時通っていた中学校では本気で「ブルースリーと大山倍達のどっちが強いのか?」なんて議論が真剣に交わされていたのだ。

大山倍達がアメリカでの修業時代に地下プロレスでとてつもなく強い相手に出くわして、苦戦したあげく「目潰し」で相手を倒した場面が急激に脳裏に思いだされた。
その後情報時代となり、大山倍達の裏の一面もいろんな本で見られるようになった。それでも我々にとっては「極真会館」の文字は強さの象徴である。虚像の面があるといっても大山は我々の永遠のヒーローであることには変わりはない。この映画では良い形で取り上げてくれたと思う。

2つ目が2人の女子同級生との性的関わりだ。
脱ぐわけではないのにこれがかなり刺激的だ。
これ自体が初々しくてよい。
隣宅の女の子(波瑠)とは夜になると、ベランダ越しに語りあう。彼女は最初はメガネをして男付き合いにまったく関心がないように見えるが、高校になると色気も出てくる。主人公とキスをしてしまう。それだけでは飽き足らず、お互いの身体をまさぐるようになる。いわゆるペッティングだ。それも少しづつエスカレートするようになるのだ。でも最後の一線は譲らない。この映像は見ていて面白い。性的な衝撃が強い時期を経験した男たちはこれを見て割とドキドキしたんじゃないかしら?

マドンナだった彼女にはずっと憧れていて、「夜の妄想」対象で無理目な女の子と思っていた。ところが、成人記念の飲み会で意気投合して心身ともに「くっついてしまう」のだ。このシーンもなかなか刺激的だ。一つ言えることは「念ずればかなう」ということだ。この主人公もまさに念じたことがかなっている。

3つ目は団地の変貌と混血外国人の存在
途中から色彩が変わってくる。少しゆとりが出てマイホームをもって出ていく人が増えて、団地に活気がなくなってくる。そうした中、住んでいる人も変わってくる。
主人公は一人の混血少女に出会う。グランドで見事なサッカーのボールさばきを見せているのだ。最初は変な奴と見られていた主人公も仲良くなる。彼女はブラジルと日本の混血だ。母親は出稼ぎに来ていて父親と結ばれた。妹は父母の子供だが、自分は違う。顔に傷跡があり、何かがおかしい。
主人公は変だと思い、彼女の家庭に近づく。そして彼女の家の「父親」に会うのだ。高校中退で少年院の経験者だ。周りの取り巻きもまともではない。そんな「父親」は自分の「娘」までも雑に扱う。
これもリアル感がある。

4つ目は母親大塚寧々の存在だ。
これがよかった。
主人公は「母子家庭」だ。看護婦の母が生計を立てている。中学に行かないという息子にも文句は言わない。じっと背後から見守る。大山倍達に心酔した息子を見て、彼の著書を山積みになるくらい買ってあげたり、ケーキ屋に修業に入った息子がいったん首になった際も「なんとか雇ってください」とばかりに頭を下げてもう一度勤めるようになるシーンも胸が熱くなる。

大塚寧々は久々に見た。今から10年ちょっと前はよく見ていたのに、最近どうしていたんだろうとプロフィルを確認するともう45歳になっていた。離婚や再婚も経験して男の子の母親らしい。そういう部分が彼女の芸の奥行きを広げたんだろうと思う。
自分の会社でも、ショールームにバイトで中年女性を雇うことがある。そういうときに履歴書で気をつけるのは、男の子供がいるかどうかだ。女の子しかいない母親よりも男の子のいる母親の方が優しい。できの悪い営業がついつい愚痴を言ったりするのもそういうバイト女性だ。普通の女性はついつい何でもマザコンといってしまう傾向があるが、いかがなものか?自分で「マザコン」と若い男をバカにしている女は自分が母親になれば逆に「マザコン」の母になるものである。いつも笑うしかない。

この母親にトラブルが訪れる。そしてストーリーは終末を迎える。
晴れやかな気分になった。
久々に人に勧められる日本映画を見た感じがする。

(参考作品)
みなさん、さようなら
団地の中だけで生きていく男


大山倍達正伝
空手バカ一代大山の人生


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

映画「北のカナリアたち」 吉永小百合

2013-06-22 05:30:37 | 映画(日本 2013年以降主演女性)
映画「北のカナリアたち」は吉永小百合の主演作品。湊かなえの小説『往復書簡』の一編『二十年後の宿題』を原案に、「大鹿村騒動記」の阪本順治監督が映画化した。
北海道の北端、東京、札幌を舞台に、ある事件を機に離れ離れになった女教師と6人の生徒たちそれぞれが抱える後悔や心の傷を描く。

東京の図書館司書はる(吉永小百合)は今年定年を迎える。その彼女の元に突然刑事が訪問する。昔北海道北端の島にある分校で教師をしていたときの生徒の一人鈴木信人(森山未來)が殺人を起こしたという。信人の自宅にはるの連絡先が書いてあり、訪問してきたようだ。何で自分の連絡先を知っていたのであろうか?昔の生徒に信人のその後の行方を確認するためまず年賀状のやり取りをしている真奈美(満島ひかり)に会う。その後札幌の貿易会社に勤める直樹(勝地涼)、保母になったゆか(宮崎あおい)、稚内の造船所にいる七重(小池栄子)と会っていく。

ある事件を境に仲が良かった分校の仲間に亀裂が走ったのであった。久しぶりに再会した彼らの口からつらい思い出も語られる。札幌に2人ともいる直樹とゆかは出会っても言葉を交わさない。わだかまりがとれない。

20年前、はるは離島の小学校教師として、夫である川島行夫(柴田恭兵)と共に北海道北端の離島にやってきた。はるの父親(里見浩太朗)がその島の助役をやっていたのだ。はるは6人の生徒を受け持つことになっていた。合唱を通して交流が深まり、「先生が来るまで学校がつまらなかった」とこぼしていた子供たちの顔にも笑顔が溢れるようになった。道内のコンクールに出場するために練習を重ねていた。

夏のある日、はるは旦那とともに生徒たちと海辺のバーベキューに行った。そこで悲しい事故が起きたのだ。ゆかが海に転落してしまう。それを助けようとした夫の行夫は子供を助けた後、自らがおぼれ死んでしまうのだ。死んでしまった夫を見てはるは呆然とする。しかし、その時妻のはるに不倫疑惑がたつ。夫が溺れるそのときにはるはその場にいなかった。そして、そのときに男と会っていたというのだ。男は警察官・阿部(仲村トオル)だった。狭い島ではうわさはあっという間に広がる。教師としてはるは立場がなくなった。心配する父を一人置いて、追われるように島を出ることになるのだ。

それから20年たち、はると信人を除く5人の生徒がそのときの状況を回想する。
楽しかった日々だけでなく、別れのきっかけになった事件をとりまく状況について久々に会った生徒たちが語っていく。

永遠のアイドル吉永小百合が主演というだけで人が集まる。若手俳優はいずれも現在の日本映画界を代表するメンバーだ。演技のレベルは高い。大女優吉永小百合とのやり取りを楽しんでいる印象だ。
吉永小百合は現在68歳、その美貌はある意味「平成の妖怪」だ。普通であれば40前後の女優が回想シーンを普通に演じて、老けメイクで20年後のシーンを撮るというパターンだろう。今回は20年前を演じていても、今のままで演じられる。現在の設定である60歳の姿というのを今の吉永そのままで映すが、20年前の姿から老けているようには見えない。不思議な世界だ。

そしてその吉永小百合を取り巻く映像は美しい。

何せ撮影は映画「剣岳」では監督を勤め、日本映画の各賞を独占した木村大作である。
北海の荒波を力強く、利尻富士を美しく映像に取り込む能力は風景を撮らせたら日本映画界トップの腕前だろう。しかも、川井郁子のバイオリンも風景に合った情感のこもった美しさだ。


それだけど、今ひとつのれない。
何でなのか?やはりこの不倫物語の設定に何か不自然さを感じるからだと思う。
自暴自爆となった警察官を主人公が助けるという設定がそもそも妙な感じがする。しかも、仮にそうだったとしてもその警察官と主人公が付き合ってしまうというところも変だ。
主人公の夫は癌だ。もう直しようのないところまできていて、それで離島に来ているのだ。
そういう夫がいるだけでストレスは高まるであろうが、いくらなんでも不倫はしないだろう。

その不自然さが前提にあり、感情同化できなかった。

森山未來が殺人を犯す経緯は今までいくつもの物語が作られてきたパターンだ。不自然ではないが小池栄子の不倫相手の話はあまりにも話が出来すぎている。
それでも、二十四の瞳を思わせる最終場面は胸にジーンと来るものはあったのは確かだ。

何かもったいない気もする。

ロケがあった稚内や礼文島は高校一年のときに行った。蛇足だがつい思い出す。
高校同級の仲間2人と二週間かけて、北海道を一周回った。ユースホステルを渡り歩く「かに族」だ。
仲間の1人が北大獣医学部を希望していた。北大前で撮ったそのときの写真が今でもある。
札幌ビール園では、高校一年の分際でビールジョッキーを1人6杯程度飲んだ。酔っ払って稚内行きの夜行急行に乗った。
座席はなく、トイレの隣あたりの通路に雑魚寝だ。猛烈な二日酔いで稚内で目覚めた。礼文島に向った。船では戻しそうで戻せないもどかしさが印象に残る。
いいときだったものだ。大学生だと偽っていた。旅なれている奴がそうじゃないと女の子に相手されないというのである。なぜかW大理工と言っていた。しかし、不思議なものだ。自分以外残り2人は本当にそこへいった。1人は医学部を受けなおして最終的に転学したけど、先日も一人の仲間と不思議なもんだねと語り合ったものだ。
いずれにせよ、二泊した礼文島からみる光景はいまだに忘れられない美しさだった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

映画「あ、春」 佐藤浩市

2013-06-21 19:25:54 | 映画(日本 1989年以降)
『あ、春』は1998年に相米慎二監督、佐藤浩市主演で制作されたホームドラマである。
その年のキネマ旬報ベストワンとなっている。

「ニ流小説家」「嘆きのピエタ」いづれも生死不明の親が突如出現する物語だった。
それを見ながら、「あ、春」を思い出す。
良家の娘と結婚して平凡な生活を送るエリートサラリーマンの主人公の前に、死に別れたはずの父親と名乗る男が現れ大騒ぎになる話だ。ほのぼのとしたムードが流れる中、父親山崎努の大暴れぶりが見ものだ。


主人公韮崎紘(佐藤浩市)は、一流大学を出て証券会社に入社、良家のお嬢様・瑞穂(斉藤由貴)と逆玉結婚して1人息子にも恵まれていた。実の母親(富司純子)からは幼い時に父親と死に別れたと聞いてきた。ところがある日、彼の前に父親だと名乗る男が現れたのである。酔った帰り道に絡んできた男・笹一(山崎努)を、いきなりは父親だと信じられない。それでも、笹一が話す内容は紘の記憶と符合するものもある。妻の母親(藤村志保)と一緒に住む自宅に笹一を連れて行った。
しかも、実家の母親に確認すると、まだ生きていたの?という反応だ。笹一は遊び人でどうしようもない男だと言う。

それでも、彼を追い出すわけにもいかず、笹一をしばらく家で預かることにした。笹一は庭の草木の手入れや男手の要る仕事をこなしたり、節分には鬼を演じて子供もなついて喜ばれたりもした。しかし、昼間から酒を飲んだり、幼い息子にちんちろりんを教えたりした後、義母の風呂を覗いたのがばれ笹一は追い出された。

笹一は近所の公園に棲家があるホームレスの男たちと一緒に生活するようになる。ところが、街角で酔ったサラリーマンに暴力を振るわれているのを見て、息子が助けたことから、再び同居するようになる。それからも悪びれる風もなく一緒に暮らす。証券不況が続き、会社も倒産がささやかれるのが紘は家も会社も問題を抱えている状態だ。

そんなある日、笹一の振る舞いを見かねた紘の母・公代が来て、紘は笹一との子ではなく、自分が浮気してできた子供だ、と告白する。その話に身に覚えのある笹一は、あっさりその事実を認め、荷物をまとめて出て行こうとするが、その途端に笹一が倒れてしまう。病院の診断では、末期の肝硬変だというが。。。。

この映画は98年に製作という世相をあらわしている。山一證券他いくつかの証券会社の倒産が97年の秋だった。北海道拓殖銀行の倒産も世間をあっといわせた。
そのころからリストラが盛んになり、職を失った人たちが増えていく。ホームレスもあちらこちらで見られる。ホームレスの男たちをいたぶる男たちがいることも話題になった。
主人公とそれを取り巻く環境はその縮図のようだ。

この映画はそういう世相の中、それぞれマイペースに生きる人を取り上げる。
キャラが浮世離れはしていない。それなので自然に入っていける。

佐藤浩市と同僚村田雄浩との会話はリアリティがある。2000年をピークとするIT相場があるので、98年くらいから相場はよくなるけど、信用不安があるので、証券も銀行も強者にお金が集まる傾向があった。証券は野村證券、銀行は東京三菱銀行のそれぞれ1人勝ちだった。それ以外であれば、かなり厳しい状況だったのではないか。主人公が客先に電話をして、以前は取引の多かった顧客が口座を引き上げる場面が出ている。その時、主人公が勤める証券会社はかなりやばい状況になっていて、村田演じる同僚は次の勤め先を探している。そして見つける。主人公を誘う。
それでも主人公は転職を決意しない。そのうちに状況は悪化する。
この頃のサラリーマン事情を良く捉えている印象だ。

その奥さん役の斉藤由貴がかわいい主婦を演じる。精神状態が不安定である。別に旦那が悪いわけでない。ちょっとしたことでもストレスに感じる弱い女性を演じているのだ。そんな彼女は最初は山崎努を嫌がるがホームレスになっているのを見て同情する。むしろ夫よりも感情流入している。
父親がいない娘をうまく演じている。

母親役は藤村志保でお嬢さんテイストが染み付いている女性という印象だ。フェリス女学院から大映女優になるという絵に描いたようなキャリアで着物が似合う。
成金じゃないお嬢様上がりのおばあさんを演じるのはお手の物だろう。

富司純子がいつもとちょっと違う役を演じる。主人公の母親だが、やり手オバサンのテイストだ。丹沢のドライブインを切り盛りしている。いい年をしているが、彼女目当てに来るトラック運転手も多い。
すべてのお客さんにいい顔をして愛想を振りまく。息子夫婦の三浦友和、余夫婦とは合わない。その彼女が昔の連れ合いの出現に戸惑うが、狼狽するわけではない。腰が据わって堂々としている。ヤクザ映画で備わった貫禄だろう。

それぞれの個性がまざり良い映画になった。
相米慎二監督が今でも生きていればとつくづく感じる。

あ、春
リストラが始まったころの日本
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

映画「嘆きのピエタ」 キムギドク

2013-06-19 14:33:18 | 映画(韓国映画)
映画「嘆きのピエタ」を渋谷文化村で見てきました。
今のところ首都圏ではここしかやっていない。
平日なのに久しぶりに最前列まで満席の満員御礼に出くわした。

久々のキムギドク作品だったが、予想を上回る傑作だ。映画ファン誰もが年間ベスト5に入れそうな傑作に出くわした印象だ。映画を見ている最中もこの先どういう展開になるのだろうと、ドキドキしていた。結末をみてドッキリしたが、この映画の真相は映画館を出てしばらくして気がついた。

そうか!そういうことなのか!
自分自身鈍いせいもあるが、完全にキムギドクの世界に覚睡させられていたのだ。「ある事実」に気づかなかった。あまりの奥の深さに帰る途中で背筋がぞくっとした。残念ながら今の日本でここまでの映画を撮れる監督はいない。さすがだ。

30歳まで親の顔も知らず、生きてきた男イ・ガンド(イ・ジョンジン)が主人公だ。裏の世界で生きる取り立て屋だ。不況に困窮する町工場の工場主に金を貸し、法外な利息を加えて請求する。金が回収できなければ、債務者に町工場の機械を使って重傷を負わせる。片手をもぎ取ったりするのは日常茶飯事だ。生き殺しの状態で障害者になってもらえる保険金を受け取らせ奪い取る。殺すと保険金受け取りがややこしいので殺さない。血も涙もない借金取立て屋である。

そんなガンドの前に、彼を捨てた母だと名乗る謎の女(チョ・ミンス)が現れる。ガンドは信じず、彼女を邪険に追い払う。女は執拗にガンドの後を追い、アパートのドア前に生きたウナギを置いていく。ウナギの首には、「チャン・ミソン」という名前と携帯電話番号が記された、1枚のカードが括り付けられていた。躊躇しつつも、ガンドが女に電話をすると、子守唄が聴こえてくる。ドアを開けると、そこに、涙を浮かべながら歌う女が佇んでいた。

「母親の証拠を出せ」と詰め寄るガンドの、残酷な仕打ちに耐え、彼から離れようとしないミソン。捨てたことをしきりに謝罪し、無償の愛を注いでくれるミソンを、ガンドは徐々に母親として受け入れていく。そしていつしかミソンは、ガンドにとってかけがえのない存在となっていた。

ガンドが取り立て屋から足を洗おうとした矢先、ミソンが突如姿を消す。母の身を案じるガンドに一本の電話がかかってくる。母の悲鳴と激しい物音だったが。。。

日本では利息制限法の改正と最高裁の判例があったあたりから、裏金融の流れが少し変わってきた。極悪な取り立てと規定以上の利息の設定をしていると、公安当局から厳しく取り締まれる。同じく韓国映画「息もできない」で主人公は過酷な取り立てをしていた。韓国ではそういう法律がないのか?あっても緩いのか?ただでさえも暴力的な韓国人たちが今でもこの映画のような取り立てをしているのは容易に想像できる。そういう社会問題があるのが、この題材の映画がつくられる前提であろう。
自由主義経済論者の自分としては、利息の上限を設定することで、むしろ借りたいのに借りれない人が増える気がしていた。そうする方が逆に闇金融がますます盛んになる気もする。この映画をみると少し考えてしまう。今の法改正で以前よりも日本で悪徳業者が減っているのは明らかである。今の日本が韓国に比較するとまともに見える。

いきなりむごい映像が映る。借金払えずに自殺する男の映像だ。その後も主人公は金を回収するためには手段を選ばない。町工場の一角で目を覆うようなシーンが続く。
キムギドクがテーマで選ぶのはいつも少し裏筋だ。「悪徳男にはめられたお嬢様」「援助交際」「整形美人の復讐」「ロリコン偏愛」そういう中今度のテーマは単に「悪徳金融業者のむごい取り立て」というだけにはとどまらない。

題名にある「ピエタ」とは、バチカンのサンピエトロ大聖堂にある十字架から降ろされたイエス・キリストを胸に抱く、聖母マリア像のこと。慈悲深き母の愛の象徴である。ここでも母親の愛がテーマとなのだ。

当然母親である女主人公の愛であるが、途中から大きくストーリーが動く。
いきなり母親を名乗られても信用できるわけがない。それでも、息子に対して母性を強くみせたり、骨折している債務者に対して息子と同じように痛みつけたりする。息子は徐々に母親に甘えるようになる。今までは非常に厳しく債務者に接していたのが、父子の交情を感じて無理やり障害者にさせない。
そのことですっかり騙されてしまった。「ある事実」に気づかなかった。

映画の中では「ある事実」をはっきりセリフに出すわけではない。自分は女主人公が息子を更生させるために、狂言を演じているのでだと思っていた。債務者の復讐を受けているがごとく、裏で何かが壊れるような物音を発して息子に電話して、復讐を受けているようなふりをするのである。そうやって普通の人間が持つような感情をもってもらおうとしているのだと思っていた。

「ある事実」に気づかなかった。
完全に幻惑させられていた。普通に鑑賞する人で途中で気がついた人もいるだろう。自分は気づかなかった。映画が終わって30分くらいして初めてこの映画が「究極の復讐」を示すことに改めて気付いた。
実に奥が深い。

今年に入って旧作を含めちょうど映画鑑賞100本になったが、この半年では「ゼロダークサーティ」かこの作品のどっちをトップにしようかと迷う凄い作品だ。キムギドク健在だ。

(参考作品)
嘆きのピエタ
キムギドク監督の傑作(参考記事)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

映画「ニ流小説家 シリアリスト」 上川隆也&武田真治

2013-06-19 05:22:08 | 映画(日本 2013年以降主演男性)
映画「ニ流小説家 シリアリスト」を劇場で見た。
デビッド・ゴードンによる「二流小説家」は「このミステリーがすごい! 2012年版 海外編1位」をはじめ、日本の主要ミステリーランキングで“史上初の3冠”を達成した。その映画化である。原作は未読、なんとなく面白そうな題名の響きにつられて見に行った。

赤羽一兵(上川隆也)は売れない小説家だ。フリーランスのゴーストライターとしてジャンルによってペンネームを使い分けている。男性なのに母親(賀来千賀子)の旧姓と若い時の写真を使って作品を発表することもあった。泣かず飛ばずで編集者からはエロ系の小説を書くように依頼されていた。

ある日、彼のもとに12年前に連続殺人事件をおこした死刑囚の呉井大悟(武田真治)から「告白本を書いて欲しい」という執筆依頼が舞い込む。自称写真家の呉井は、モデルとして集めた女性たちを殺し、首を切断して写真を撮った「シリアル・フォト・キラー」と呼ばれる男だ。

本当に呉井からの依頼なのか疑問に思い、彼の弁護士(高橋恵子)に確認した。間違いないようだ。弁護士は彼の無実を訴えており、死刑執行までは出版しない条件で面会を許される。この話を知った被害者遺族会は出版しないように赤羽に迫る。赤羽は告白本を書けば世間の話題になって周りを見返すことができる。そんな欲望に駆られていた。

実際に会ってみると、呉井の強烈な個性に驚く。

狂喜に迫る語り口に赤羽もやり込められた。彼にファンレターを送ってくる3人の女と彼とのポルノ小説を書いてくれたら、まだ誰にも話したことのない事件の真相を話してもいいと言う。指定された女性に順に会いインタビューした。最初は30歳の独身OL、次はひきこもりの10代の女の子だった。いずれも呉井に熱烈なラブレターを送っていた。そして赤羽はポルノ小説を書き上げていく。3人目のAV女優の家では相手にいきなり脱がれてあわてて飛び出したが、冷静になりもう一度話を聞こうと戻った赤羽の目に飛び込んできたのは、惨殺された無惨な遺体だった。

死体の状態は12年前に呉井が犯した事件と同じ首なし死体だった。続いて他の2人も同じように殺されるのだ。刑務所にいる呉井に今回の事件の犯行は不可能である。12年前の事件も呉井以外の何者かの犯行なのか。。。

映像のトーンをあえて薄暗くしている。白黒映画は撮影の仕方で濃淡が出てくる。ここではそうもなっていない。薄暗いせいか赤がくっきり浮かび上がる。死体が遺棄されている場所には赤い花びらが散らばっている。そういう薄暗い映像に、川井憲次の音楽がよくあう。不安を掻き立てるのだ。

ストーリーは飽きさせない。映画「リアル」のように途中眠くならない。しかも、武田真治のパフォーマンスが強烈である。うす暗いせいか、最初は武田真治の顔が嵐の松本君に似て見えた。強烈なパフォーマンスを見せつけた時、殺人事件が3つ連続で起きる。12年前事件を起こした同じ手口だし、その有力犯人は塀の中にいる。おっと別犯人がいるなと思わせる。誰かな?

ネタばれ気味だが、この映画を見ている途中で、ある人間が絶対に何かからんでいるな?と思わせてくる。身寄りのない容疑者呉井の幼いころを映すシーンが出てくる。売春婦の母親について全国を回っているシーンだ。その時彼女の母親の顔を見せない。赤いスカーフを印象的にする。この母親は息子と別れ別れになった後死んだという。横溝正史映画が真犯人を最初正面から映さないのと一緒だ。

ある大女優が演じる役柄に説明が加わる。それ自体から臭いにおいがプンプンする。途中別の人間が怪しいと思わせる部分をあえていくつかつくるが、どう考えてもある大女優があやしい。まんざらそれは外れていなかった。展開が読みやすく脚本と映像ができている印象だ。

一つの結論を導き出した後、事件はそれだけでなくもう一度山をつくるというのは、よくできたミステリー小説の手口だ。この映画もその定石に基づく。でももう一つの山がさほど衝撃的な映像とできていなかったので満点をあげられない。いずれにせよ楽しめた。

ここでの武田真治の演技はよかった。似たような変質者を藤原君が「藁の楯」で演じたが、どう比較しても武田真治に軍配が上がる。上川隆也も武田につられたという印象だ。彼も悪くない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

映画「華麗なるギャツビー」 レオナルド・ディカプリオ

2013-06-16 15:59:38 | 映画(洋画 2013年以降主演男性)
映画「華麗なるギャツビー」ディカプリオ版を早速劇場で見てきました。
1974年にロバート・レッドフォード主演で映画化もされた、米作家F・スコット・フィッツジェラルドの小説「グレート・ギャツビー」を、「ロミオ+ジュリエット」のバズ・ラーマン監督&レオナルド・ディカプリオ主演コンビで再映画化したものだ。

予告編からギャツビー宅で派手に催されるパーティの画像がずっと気になっていた。
映画を見終わって、改めて原作を読み、照らし合わせると、ロバートレッドフォードでの映画化よりも原作に忠実であることがわかる。記憶を再現するために細かくストーリーを追う。

ニックキャラウェイ(トビー・マグワイア)の一人称であることは同じであるが、ここでは心を病んで療養している設定になっている。そして昔を回顧するかのように、今までで一番印象に残る男Jギャツビーの思い出をつづっていく。

1922年ニックキャラウェイは独身の証券マン、ニューヨークの高級住宅地ウェストエッグに住居を構える。ニックはもともとは作家志望だった。海を隔てて反対の同じく高級住宅地イーストエッグにはイェール大学の同級であるトム・ブキャナン(ジョエル・エドガートン)が住んでいる。妻デイジー(キャリーマリガン)はニックのいとこであった。夫妻に招待されて夕食を共にするところから話は始まる。そこにはデイジーの友人でプロゴルファーのベイカーも同席していた。
ベイカーとの話題の中で、海を隔てて反対に住んでいると言ったら、ギャツビーの家の方ねと言われる。ニックの隣の家ギャツビー宅では派手なパーティが開催されていたが、特に関わりはなかった。ギャツビーという名を聞いて一瞬デイジーが反応したが、別の話題に代わって話がそれた。

夫トムに、夕食時電話が何回もかかってくる。どうも女性からのようだ。トムの浮気症にはデイジーも参っていた。2人の関係は冷え切っていた。トムはニックを誘い、マンハッタンで酒を飲もうかと誘い、2人は出かける。トムは自動車修理工のウィルソンの妻マートル(アイラ・フィッシャー)と浮気をしていた。街でおちあい、その場は狂乱のパーティとなる。

ニックの元に隣のギャツビーからパーティへの招待状が届いた。ギャツビーのパーティにはニューヨークの名士をはじめ、大勢の人が来ていた。お城のような大邸宅はすごい熱気である。パーティに来ている人は正式に招待を受けているわけではない。ニックはその中の唯一の招待客だ。ウェイターにそのことを話しても、誰もギャツビーのことを知らないようだ。知り合いもなく、一人で酒を飲みながらたたずんでいると、ベイカー女史に会った。2人で話をしていて、ギャツビーってどんな奴なのかと会話していると、目の前にギャツビー(レオナルド・ディカプリオ)が登場する。さっそうとした姿を見せてくれ、その場で一緒に遊びに行こうと誘われる。その時ベイカー女史はギャツビーに個別に呼ばれていた。

ニックはその後ギャツビーから何度も誘いを受ける。謎だと言われるギャツビーのキャリアを自ら語ってくれた。「富豪に生まれ、大学はオックスフォード大を出た。第一次大戦では活躍して特別に功労賞を受けている。」しかし、ニックはその言葉にしっくりこなかった。マンハッタンの床屋の地下にある秘密クラブでランチに誘われた。そこで出会ったギャツビーの友人は有名な1919年のワールドシリーズの八百長事件に絡んでいるというではないか。ギャツビーへの謎は高まるばかりだった。

その後ベイカー女史とニックはあるティーパーティで会った。そこでベイカーから意外な話を聞かされる。第一次大戦に将校として参加したギャツビーは、有能な将校を集めたパーティでデイジーと出会っていたのだ。二人はたちまち恋に落ちる。その後戦争に出征して二人は別れ別れになったのだ。その話を聞いた後帰路についたニックは家の前でギャツビーと会った。ギャツビーの頼みを聞いて、デイジーを招きニック宅で会うことを約束する。

ギャツビーがいるとは教えず、ニックはデイジーを自宅に誘った。雨の降る午後だった。ギャツビーは落ち着かない。もう来ないんじゃないかとびくびくしている。そうしているうちに車が到着した。恐る恐る目を合わせるギャツビーだ。2人は再会を喜んだ。そしてギャツビーの豪邸にデイジーを誘うが。。。

ついついレッドフォード作品と比較してしまう。

ニックの一人称は前回と同じだが、彼を療養所に入れるという所が原作にもない設定だ。
結局ニックは世界恐慌の影響で証券不況により職を奪われるとする。心も病んでいるようだ。でもこの後1929年10月の株価大暴落までは7年もある。ダウ平均は1921年にいったん底をつけたあと、1922年の約$80ポイントが1929年に$380と5倍近くアップする。しかも、その7年間大きな暴落がなく上昇する。もともと育ちのいい証券マンのニックなら、その7年の内に普通に結婚すると考えておかしくないだろう。家庭があればもっと違う環境にあるはずだし、ニックが落ちぶれるという設定はどうかな??違うなと思う。ちなみにこの小説の発表は1925年だ。

ギャツビーが運転する黄色の車を思いっきり全速力で街中を走らせる。タイムズスクウェアのCG映像はすばらしいし、マンハッタン上空やウェストエッグからイーストエッグを俯瞰する映像も前作にはない。これ自体も効果的だと思う。トムとデイジーの自宅は前作よりも豪華に映す。前の作品よりもトムのリッチぶりを顕著に見せ、ギャツビーが言う「ポロ選手」のセリフを効果的にする。
パーティの描写は豪華絢爛としか言いようにない。ド派手に音楽が鳴り響く。ジョージガーシュインの「ラブソディーインブルー」が高らかに響き、人々は酒を味わい踊り狂い、酔った勢いでプールの中に次から次へと飛び込んでいく。外では花火が舞う。これは凄いパーティの描写だ。期待を裏切らない映像は楽しめる。

それに加えて、トムとニックがマンハッタンで夜通し遊ぶパーティの描写がド派手だ。赤に彩られたインテリアの部屋で狂い飲みまくる。このインテリアには目がくらくらした。このあたりではカメラワークも目がちらつくほど激しく変わっていく。でもこの場面はちょっとやりすぎじゃないかという印象をもった。

出演者はおおむねイメージぴったりの配役だと思う。
特にレオナルドディカプリオは育ちがもともと悪いのに、成金のように這い上がっていくというイメージにぴったり合っている。終盤の修羅場でのやり取りでキレる演技は「ジャンゴ」での彼を連想する。アレも凄い迫力だったがこれも狂気に迫る何かを感じさせる。最後のプール映像は映画「サンセット大通り」でのウィリアムホールデンを連想してしまった。
「スパイダーマン」トビー・マグワイアはニック役にピッタリだ。彼のもつナイーブな雰囲気が合う。アイラ・フィッシャーの浮気相手役も適役、前のレッドフォード版のマートル役には金持ちが好きになるような何かを感じさせるような女には見えなかった。ちょっと違うと思ったのがベイカー女史だ。これは前作の方が断然よい。バカでかいファッションモデルを連れてきたというだけという印象が強く、適役に見えなかった。

前作では女のずるさを顕著に感じたけど、今回はそうでもない。
何でだろう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

映画「イップマン 葉問」 ドニー・イェン

2013-06-15 05:40:01 | 映画(アジア)
映画「イップマン 葉問」は2010年製作の香港カンフー映画だ。
ここでの主人公イップマンは最近公開した「グランドマスター」の主人公と同一人物である。ブルースリーの師匠として名高い。
もともとこの映画の存在すら知らなかったが、「グランドマスター」を見た後気になってDVDを借りた。見てみると想像以上に面白い。大山倍達をモデルにした「空手バカ一代」を思わせるテイストもあり、ラストに向けては映画「ロッキー」と同じような高揚感がある。

1950年、英国統治下の香港が舞台だ
イップ・マン(ドニー・イェン)は家族を連れて広東省から移住してきた。知人の新聞編集者の紹介でビルの屋上に詠春拳の武館を開いた。しかし、誰も入門しない。
そんな時腕自慢の若者ウォン(ホァン・シャオミン)が来た。自分を倒せたら入門するというウォンを軽く退け、彼と仲間たちが入門してきた。それを知り他流の道場破りが早速やってきた。そして、香港の武館の元締め、洪拳の師範ホン(サモ・ハン・キンポー)がイップの前に立ち塞がる。円卓の上に立って、各門派の熟達者と戦って勝つこと。それがホンがイップに課した武館開設の条件だった。
それでもイップは次々と相手を倒していった。そしてホンと戦う。


2人の戦いは最後まで勝負がつかず、ホンは金を納めることを条件に武館開設を認めた。イップはそれを拒否する。やがてお互いの弟子が乱闘騒ぎを起こし、近所にも迷惑をかけてイップは武館閉鎖に追い込まれてしまう。

それでもイップを認めたホンは、警察署長主催のボクシング大会に彼を招く。だがそのボクシング大会の会場で中国武術の演武が行われていたときに、イギリス人ボクサーであるツイスター(ダーレン・シャラヴィ)が中国武術を侮辱してじゃまをする。弟子たちを次々に殴っていくのだ。それを見かねてホンがリングに上がりツイスターと戦うが。。。。
香港人のイギリス人への怒りは収まらない。イップ・マンは中国武術の誇りを守るため、静かにリングへ向かったが。。。

ドニー・イェンには武術の達人という風格がある。
名作「ラブソング」で名高いピーターチャン監督がカンフー映画に挑戦した「捜査官X」でもその腕前を披露している。ここでのイップマンは金欠だ。家賃も滞納気味だ。金がなくても、弟子たちから稽古代をもらえない。知人の編集者から金の無尽をしている。
対決しているとき以外は割りとだらしない姿を見せる。あえてそういう姿を見せるのであろう。

最近日本が戦前中国を侵略したと話が出ることが多い。
実際には1840年のアヘン戦争をきっかけに英国が中国を侵略したわけだ。
18世紀の康熙帝、雍正帝、乾隆帝と3代続いた清朝黄金時代は列強に恐れられていたのに、意外に楽に侵略できるとばかりにそしてアメリカ、ロシア、フランスといいようにやられる。それはひどいものだ。
それなのに何で日本ばかり言われるんだろうという思いを強く思っていたが、ここでは中国人がうっぷんを晴らすとばかりに英国への敵対意識がむき出しになる。戦前の日本軍が中国で悪者として描かれるのと同じように、香港での英国のあくどい人たちが悪者になる。


いわゆるスポーツ根性物のようなストーリー展開があり、ラストに向ってはイップマンを観衆のみならず、香港人が街中で応援する場面が出てくる。
そこで感じさせる熱気が凄い。なるほどこれだけ盛り上がれば、映画を見ようとする人も多いわけだ。

「空手バカ一代」のようにここで語られる話はかなり大げさだろう。 しかも、話の展開は読める。でもわかっていても盛り上がる何かがあるのだ。
面白かった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

映画「愛人 ラマン」

2013-06-14 05:27:20 | 映画(フランス映画 )
映画「愛人 ラマン」は1992年の英仏合作映画だ。
フランス植民地だったベトナムサイゴンの寄宿女学校に通う一人の女学生が、中国人の男との愛欲に狂う姿を描く映画だ。コロニアル文化の建物が美しいサイゴンの街をきれいに映し出す。
初々しい裸体を大胆にさらけ出すジェーン・マーチは敢闘賞ものだ。


1920年代の仏領インドシナ(べトナム)が舞台だ。
主人公(ジェーン・マーチ)はサイゴンにある全寮制の女学校に通っていた。帰省した田舎町サデックの実家をまず映しだす。母親(フレデリック・マイニンガー)はそこで小学校を経営している。長兄(アルノー・ジョヴァニネッテイ)は暴力的で下の兄(メルヴィル・プポー)をいじめ抜いているDV男だ。しかも、アヘンに溺れており、そのため金が必要でこっそり親の金を盗むのを常習とする。しかし、母親はそんな長兄を溺愛していた。少女の父親は植民地に移ったあと亡くなっており、彼女はこうした実家の状況に嫌気がさしていたところだった。

自宅から寄宿舎のあるサイゴンに帰る途中、サイゴン川を渡る船の上で一人の中国人の男性(レオン・カーウェイ)が少女に声をかけた。男は32歳でパリ留学帰りの中国人資本家の息子だという。少女は何となく興味をひかれ、男の黒塗り高級車に乗りこみ、寄宿舎まで送ってもらった。
その翌日から男は毎日お抱え自動車で少女の学校に現れた。ある日、少女は誘われるままに、中華街の猥雑な通りに面した薄暗い部屋に連れていかれる。その部屋で、むしろ少女が誘うように男を求め、処女である少女を抱いた。こうして2人の愛人関係が始まった。


貧しい暮らしに家族の心はすっかりすさんでいて金もなかった。父親が亡くなった後母親が買った土地は詐欺にあい水びだしの土地であった。母親は寄宿舎から無断外泊する娘の件で連絡を受けていた。帰省した娘を見て、中国人男との付き合いで変わっていく姿に気づいた。当初は毛嫌いしたが、娘を通して金品を援助してくれる男を黙認するようになったが。。。。

サイゴン川のほとりを映し出す映像がきれいだ。サイゴン川の汚染度は有名だが、船やそれを取り巻くアジアンテイストの雰囲気がいい。同様に二次大戦以前の仏領インドシナを映し出す映画にはカトリーヌドヌーブ主演「インドシナ」がある。「インドシナ」は北部エリアを中心に映し出している。いずれもコロニアル文化の良い所、悪い所両方を映し出すが、現在だったらここまでは撮れなかっただろう。というのもベトナムが激しい経済発展を遂げたせいで、戦前の面影をずいぶんと失っているからだ。

19世紀後半それまでは中国清王朝の配下にあった宗主国が、清仏戦争でフランスの植民地となった。そのあとはフランス人がその権力をほしいままにした。
今回の2人はあくまでフランス領支配下での中国人青年とフランス人少女なのだ。それを少女の家族4人と中国人男性が食事する場面で露骨にかもし出す。この青年が裕福であっても中国人というだけでバカにする。今は貧しいフランス人家族が招待を受けた高級レストランで、中国人男性の言葉に耳を傾けずに、ガツガツ食べている姿が印象に残る。それでも、この家族は男から相当な援助を受けるのである。フランス人家族の自分勝手な態度は理解不能だ。


見どころは何と言ってもジェーン・マーチだ。当時彼女は19歳である。初々しい全裸でレオンカーウェイと絡みぱなしである。よく撮れたなあと感心するショットも多い。激しい交わりが印象的な「ラストコーション」でのトニーレオンとタン・ウェイの絡みが大人の世界という印象をもたせる一方で、ここでは少女が大人になる姿を純粋に描きだして、耽美的美しさを醸し出す。
男が父親の命令通り中国の富豪の娘と結婚式をあげることになるシーンも美しい。

フランスに帰国することになった少女が自伝的にこの小説を書いたわけだが、どういう心境でこれを発表したのかが気になる。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

映画「ローマでアモーレ」 ウディアレン

2013-06-12 19:56:33 | 映画(洋画 2013年以降主演男性)
映画「ローマでアモーレ」はウディアレンの新作だ。早速劇場に見に行った。
といっても欧米での公開は2012年の夏、一年遅れとはずいぶんと遅い公開だ。

今回は最近のウディアレン監督作品よりもコメディ的な色彩が強い。
しかも、久々に出演者として御大登場だ。
年老いてしまったが、まだまだ創作意欲の強い御大には恐れ入る。
欧米の超豪華俳優を仕切りながら美しいローマを背景にがんばる。

ロンドン、バルセロナ、パリと年老いてからのウディは海外で自分の余生を楽しんでいるように思える。
名作「ローマの休日」もローマ観光案内の様相を呈していたが、ここではそれ以上に名所を紹介し、しかも色づいた映像が美しい。

ウディの毎度の早口言葉は、さすがに年老いて少し衰えを感じる。
その分登場人物に早口の男をそろえる。
ソーシャルネットワークでフェイスブックのザッカーバーグを演じたジェシー・アイゼンバーグ、「ライフイズビューティフル」のロベルト・ベニーニはいずれも早口だ。
早口言葉をしゃべる男の台詞にはウディアレンの思いが隠されているのはいつも通りだ。
それに加えて花を添えるペネロペ・クルスもボリューム感たっぷりのバディでゾクゾクさせてくれる。

4つのエピソードから出来ている。

1番目のエピソード。
ニューヨークからローマに観光でやってきた若い女性へイリー(アリソン・ピル)は、通りかかった若者ミケランジェロ(フラヴィオ・パレンティ)に、スペイン広場への道を尋ねる。そんなきっかけでふたりは恋に落ち、婚約する。

娘のヘイリーに会うために、元オペラの演出家で父親のジェリー(ウディ・アレン)と、母親フィリス(ジュディ・デイヴィス)がローマにやってくる。 ジェリーとフィリスは、ミケランジェロの家を訪ねる。ミケランジェロの父親ジャンカルロ(ファビオ・アルミリアート)は葬儀屋を営む一方、オペラを唄うのが好きだ。招待された自宅でジャンカルロがシャワーを浴びながら歌うのを聞くと、すばらしいテノールだ。これを聴いたジェリーは、人間は風呂を浴びているときが一番くつろいでいることに気づき名案を思いつく。

このバカげた発想がニクイ。男性テノールの独奏会をやるときに、シャワー浴びながら歌うのだ。しかも、オペラの一シーンを演じる時も同じようにシャワー浴びながら歌わせる。これは笑うしかない。

2番目のエピソード。
若いカップルアントニオ(アレッサンドロ・ティベリ)とミリー(アレッサンドロ・マストロナルディ)がローマ、テルミニ駅に到着する。ローマでの仕事を紹介してもらうべく、ふたりの泊まるホテルに、アントニオの親戚が訪ねてくることになっている。ミリーが美容院に出かける。アントニオの部屋に、大胆な服装を着飾るアンナ(ペネロペ・クルス)が入ってくる。どうやら、部屋を間違えたらしい。そこに親戚がやってくる。アントニオはあわてて、妻のミリーだと、親戚に紹介してしまう。

美容院が見つからないミリーは、映画の撮影現場に出くわす。ひいきの俳優サルタ(アントニオ・アルバネーゼ)がいる。速攻でミリーをランチに誘う。そのレストランで、夫のアントニオたちのグループとあってしまう。

ミリーを演じるアレッサンドロ・マストロナルディはなかなかの美形である。俳優サルタは単なるハゲオヤジだ。そんな男を一流のプレイボーイにして絡むやり取りも笑える。

加えて娼婦アンナのペネロペ・クルスの存在感が凄い。普段はここまでボリュームを感じないが、ここでは往年のソフィアローレンを思わせるダイナミックなバディで世の男性をわくわくさせる。上流のパーティに参加した時に、至る所で政財界の大物に次から次へと「アンナ」と声を掛けられる。「アンナ」でなく「ミリー」よとオジサン達に言う。次から次へと「明日は来れないか」と誘われるシーンも面白い。

3番目のエピソード。有名なアメリカの建築家ジョン(アレック・ボールドウィン)は、30年前に住んでいた界隈を散歩している。若いアメリカ人男性で、建築家志望のジャック(ジェシー・アイゼンバーグ)が、ジョンを見て話しかける。「ジョンさんでは」と。ジャックは、かつてこの近くに住んでいたというジョンを、家に招く。同居しているサリー(グレタ・ガーウィグ)とジャックを見て、ジョンは30年前の自分と重ね合わせる。

そこに、サリーの親友で、女優志願のモニカ(エレン・ペイジ)がやってくる。やがて、ジャックは、モニカに魅せられていく。ジョンは、過去の経験から、ジャックに「やめておけ、その女は嘘つきだ」と忠告するが。。。。

アレック・ボールドウィンのここでのセリフはいかにもウディのセリフである。イメージの違う2人だが、ウディが思っていることを代弁させる。教養人のふりをしている男女を痛烈に批判する最近のウディ映画でよくあるパターンだ。

4番目のエピソード。平凡な中年男レオポルド(ロベルト・ベニーニ)は、妻と子供がふたりで、つましく暮らしている。ある日、突然、たくさんの取材陣に取り囲まれて、テレビ局に連れて行かれる。ニュース番組のインタビューで朝食は何を食べたのか聞かれる。「トーストふた切れ、カフェラテも」と答えるレオポルド。なぜか、たちまち有名人になったレオポルドは、町を歩けばサインを頼まれし、まるでセレブのような生活を送ることになるが。。。

映画を見ていて、何でこの男マスコミの取材をされるんだろう。肝心な場面を見落としてしまったのかと一瞬錯覚してしまう。そうではない。訳もわからず、有名人になってしまうのである。ファッションモデルや女優までが次から次へと寄ってくる。それもボリュームたっぷりのイタリア美人だ。

戸惑っている彼もまんざらじゃなさそう。そういう日々が続いた後に、別の男にマスコミのターゲットが移る。そして誰にも注目されないようになる。そこからがおもしろい。ロベルト・ベニーニが有名人だった自分を売り込むかがごとく、街でパフォーマンスをする。この演技はさすがロベルト・ベニーニというべき凄いシーンだ。高いレベルの演技に驚く。勝間和代女史の「有名人になること」を連想した。

4つのエピソードを一つにまとめるわけではない。別々の4つのストーリーの中にウディアレンのコメディアイディアが充満されている。1つの映画としての完成度が高いというよりもウディアレンの才能を楽しむ映画だろう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

映画「アウトレイジ・ビヨンド」 ビートたけし

2013-06-10 05:11:13 | 映画(日本 2011年以降主演男性)
映画「アウトレイジ・ビヨンド」は好評だった北野武監督・主演で悪人同士の壮絶な権力争いを描いたバイオレンス映画「アウトレイジ」の続編だ。

熾烈な下克上抗争から5年。先代亡きあと加藤(三浦友和)が会長となり、関東の頂点を極めた暴力団「山王会」は、ついに政治の世界にまで手を伸ばし始めた。だが巨大ヤクザ組織の壊滅を企てる警察組織は、山王会の過剰な勢力拡大に業を煮やし、関西の雄である「花菱会」に目を付ける。
表向きは友好関係を保っている東西の巨大暴力団の対立を目論み、刑事の片岡(小日向文世)は裏で策略を仕掛けていく。そんな中、獄中で死んだと思われていた元山王会配下大友組の組長・大友(ビートたけし)が出所する。

明らかに何かを企み、彼を出迎える片岡。大友はヤクザに戻る気はなかったが、かつて大友の子分だった山王会若頭・石原(加瀬亮)は大友を消そうとする。さらに、警察が仕掛ける巨大な陰謀と抗争の足音が着々と大友に近づいてくるのだった。。。

計算しつくされた映画という印象だ。
前作の延長でまずは三浦友和と加瀬亮に散々吠えさせる。本来悪役と違うテイストの2人が思いっきり部下を罵倒する。別の映画で善人を演じている人間が、よくもまあここまでやると思わせる凄味だ。
この映画では、イヤというほど「バカ野郎!」の連発だ。出演者の中ではもっとも本物のヤクザらしいビートたけしが関西の組で吠えあうシーンはその迫力に驚く。

関西の雄「花菱組」の幹部を演じる神山繁もベテランの味を出す。少し前までは警察や検察の幹部をやらせると抜群のうまさを見せていて、さすがに80歳過ぎてはそれは無理だろう。「仁義なき戦い」の金子信雄を連想させる親分の風貌だが、さすがに広島の組幹部とはちがう大組織トップの貫禄を見せる。

印象に残るのは
マル暴刑事である片岡(小日向文世)の動きが前作よりも激しいということだ。

そもそも警察がヤクザの中で立ち回るなんてことがおかしい。警察の中では、それぞれの暴力団を争わせてかき回す様な話を上司にしている。出世にも欲がある。しかし、実際には裏で金をもらいながら、強いものに近づいていく。嫌な奴だ。

かつて大友の子分だった山王会若頭・石原(加瀬亮)が出世して、他の山王会の幹部たちを罵倒する。その言い方のいやらしいのなんのって。加瀬亮もうまい。

その昔会社にもいた嫌味な奴と一緒だ。いまや会社幹部は社員からのセクハラ、パワハラのタレこみにびくついてあんまりひどい仕打ちはしないようになったが、ヤクザの世界はちがう。それでもその石原も悪さのツケがまわってくる。ビートたけしが「野球やろうか?」で始めるシーンは驚く。

あと印象残るのは「花菱会」の裏のヒットマンたちの活躍だ。

高橋克典が中心になって、裏の仕事を仕掛けていく。セリフはない。ひたすら無言で「仕事」をこなしていく。本来仕事師たちは無言なんだろう。見ていて気持ちがいいくらいだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

映画「オブリビオン」 トムクルーズ

2013-06-06 20:09:46 | 映画(洋画 2013年以降主演男性)
映画「オブリビオン」を劇場で見た。
もともとSF系はあまり見ない方だが、トムクルーズ作品なのでともかく行っておこうかと。。

練られた映像は最新式の映像技術をふんだんに使い迫力がある。
スタートからリズム感がある展開だ。映像も鮮明で近未来世界を楽しんでいたが、途中からラブストーリーの色彩が強くなる。
人間の感情があらわにされる。
破壊された世界の中、ロッキー山脈のそばにあるような小さな湖の湖畔が出てくる。そこにコテージがある。トムクルーズがレコードの針を落として、曲が流れる。アコースティックギターの音色で一瞬CSN&Yを連想する。いやそうじゃない、JPジョーンズのベースだ。すぐにツェッぺリンⅡのB面3曲目「ランブル・オン」だとわかる。ロバートプラントの声が心に響く。アナログな世界を混ぜるところに奥深さを感じる。
そういえば映画「世界でひとつのプレイブック」でも同じアルバムから「What Is and What Should Never Be」やってたね。あれだけヒットしたアルバムだから親しみを持つ人多いのかも?


西暦2077年が舞台だ。
60年前に起きた異星人スカヴとの戦争により地球は荒廃していた。月は破壊されている。核戦争の影響もあり、立ち入り禁止の場所も多い。人類の大半は、土星の衛星であるタイタンへの移住を余儀なくされていた。
そんな中、地球に残ったジャック・ハーパー(トム・クルーズ)とヴィクトリア・オルセン(アンドレア・ライズボロー)は、上空から水を核融合する施設を監視する日々を送っていた。ジャックは任務の都合上記憶を失わされていた。それでもときおりみる夢で見る幻影に1人の女性が映っているのが気になっていたのだ。

ある日パトロールの途中で彼は、墜落した宇宙船の残骸から謎の女性ジュリア・ルサコヴァ(オルガ・キュリレンコ)を助け出す。なんと彼女はジャックがときおり夢で見るマンハッタンであう女性にうりふたつだった。彼女はなぜかジャックの名前を口にする。その記憶は確かなものではない。
そんな時、2人は突然何者かに捕えられしまう。異星人なのであろうか?ジャックは連れて来られた先でマルコム・ビーチ(モーガン・フリーマン)と名乗る男と出会う。驚くジャックに、マルコムは「ある真実」を告げるのであるが。。。

SF系の興味がないので、その方面の批評はできない。
「2001年宇宙の旅」との比較をする人もいるがどうでもいいことだ。
ジャックがパトロールに使うヘリコプターみたいな偵察機も、目玉ロボットのようなパトロール機をみて映像を楽しんでも何ともいえない。
地球全部が廃墟になっているときに、どうやって航空機を作ったり、最新の機械を作ったり出来るのかな?食料はどうするのかな?
むしろ現実的なことを考えてしまって不思議に思っていた。
そういう機械系装置だけでなく、この映画ではクローン人間がテーマになってくる。
ジャックがその分身と争う光景は異様だ。
でもこれはありえないことはないかもしれない。近未来に問題になってくるような気がする。

そういう虚実の世界をはぎ取ると、ベースはあくまでラブストーリーだ。
映画が始まってしばらくは男女2人と2人が通信で更新するオバさんだけだ。
2人は常に一緒だ。記憶も消されている。
男と女ずっといれば情も移るだろう。プールで見せる2人の戯れは優雅なものだ。この映像も幻想的で美しい。

ところが、一人の女性が現れる。美しい女性だ。
相棒に近い存在かもしれないと、警戒心を抱くヴィクトリア。これは嫉妬と言ってもいいようだ。平安時代の古典を読んでいても、人を好きになる気持ちは変わらないことが読み取れる。60年後もいろんなイノヴェーションが生まれても恋愛の心は変わらないはずだ。同様に「女の持っている最大の悪徳は愚痴と嫉妬の心」というのも60年たっても変わらないだろう。

ラブストーリーに変化がもたらされる。
そこに敵だか味方だかがよくわからない存在が映画の中に放り込まれる。
そして平穏無事にはストーリーが進まない。我々を幻惑の世界に導く。

謎の女性ジュリアとの記憶を取り戻すために、エンパイアステートビルに向かう。すでに廃墟になっていた。
その昔、例のオープンエアの展望台から2人はバッテリーパーク側の景色を楽しんだことがあったのだ。
映像では911で崩壊したビルの跡に、新しいビルが建っているような光景になっている。

そこで気づいた。
そうか!
ついこの間映画の宣伝にトムクルーズが来日して、タモリの「笑っていいとも」に出たことがあった。
2人でトークをした後で、会場百人に対して恒例の質問をする。
そこでのトムからの質問は
「この中でエンパイアステートビルの展望台に上ったことある人は?」
トムクルーズは「10人」としたら、電光掲示板が示す数字はなんと「10人」
おっとこれはビックリだ。通訳として隣にいた戸田奈津子さんと一緒にストラップもらっていた。
うれしそうだったなあ。そのあと会場の女性に握手しまくっていた。さすが千両役者だ。

そういうことだったのね。エンパイアステートビルの質問がでるのは。
自分自身も子供の頃からの憧れで、初めて行った時の感激は忘れない。
今はなき貿易センタービルをバックにした写真は自分のお宝だ。

先ほどのコテージではもう一曲流れる。プロコルハイムの「青い影」だ。
またまたアナログな曲だ。
これには思い出がある。最初小学生の低学年に、お兄さんがいる同級生に教わった。
ビートルズを教えてくれた友人でもある。でも小学生の自分には全然良く思えなかった。
そして月日がたち高校生になった。当時ディスコではダンスの途中でチークタイムがあった。
70年代半ば過ぎにはつのだひろ「メリージェーン」、スタイリスティックス「誓い」と並んで
「青い影」がチーク時によく流れていた。
最初よく思えなかったこの曲も何度も聴くうちに気に入ってきた。
そして今回だ。
あえて緑あふれるコテージと昔の曲をミックスさせるところが気に入った。


すっかり脱線したが、ミッションインポッシブルばりのアクションもありそれなりに楽しめた映画だった。

最後は「何でいるの??どういうことなのかな?」という感じだったけど
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

映画「リアル  完全なる首長竜の日」 佐藤健&綾瀬はるか

2013-06-05 17:50:46 | 映画(日本 2013年以降主演男性)
映画「リアル 完全なる首長竜の日」を劇場で見た。

当代きっての人気俳優佐藤健と綾瀬はるかの主演作。なぜか2人の作品は相性悪くない。
予備知識なしにみた黒沢清監督の映画だ。途中まで凡長と思える部分も多く
一瞬眠くなる場面もあったが、ラスト20分一気に目が覚めた。この展開はなかなかだ。

まず恋人同士の浩市(佐藤健)と淳美(綾瀬はるか)2人を映す。2人は小学校の同級生で離島で小さい頃一緒だった。
漫画家の淳美は1年前に自殺未遂で昏睡状態に陥り、いまも眠り続けていた。浩市は淳美を目覚めさせるため、「センシング」という最新医療技術を使って淳美の意識の中へ入り込む。彼女がなぜ自殺を図ったのかは不明であり、その原因を探らなくては、仮に意識を取り戻したとしても再び自殺を繰り返す恐れがあると、担当する精神科医・相原(中谷美紀)から言われていた。

センシングは何度も続く。中で出会った淳美は、浩市に「小学校の時見た首長竜の絵を探してきてほしい」と頼む。浩市はその絵を探すために一緒に暮らしていない母親(小泉今日子)の元をおとづれた。見つからない。しかし、センシングを繰り返すうちに、浩市は少年の幻覚を見るようになったが。。。

映画を見て途中までは、自主映画を見ているような錯覚にとらわれた。
ゾンビが出てきたとき、いかにも学生の素人がつくる映画のような変装だし、佐藤健が自動車に乗っている姿を映す時も、車窓の外が50年代の映画を見るような稚拙さで素人作りのような印象を得た。
アメリカ映画などに比べて稚拙な装置には呆れるしかない。
それくらい予算がない映画なのであろうか?

ほとんどが医療先進技術の機械「センシング」により、佐藤健が綾瀬はるかの意識の中に入る映像である。2人の会話が中心だが、漫画雑誌の編集部のオダギリジョーや染谷君がからんでくる。綾瀬が自殺未遂をして一年たって、連載をどうするなんて話を何度も相談している。
そんな話も見ているうちに疲れてきて、少し眠くなってきた。


そんな時それまでの前提が大きく変わる。数学でいう180度の一次変換だ。
突如目が覚める。
何これ?!

そこから急に緊張感が高まる。
しかも、1年間昏睡が続いたあとで危篤状態になるのである。心臓も停止する。もうだめなのかと思った後で、脳波だけは動いているだろうということで再度「センシング」にトライするのだ。そしてこだわりの原因がわかってくるのである。そして、意外な展開に進む。
ネタばれで言えないのが残念だが、思わず座席でのけぞるような感じになってしまった。どうラストを持っていくのか?ドキドキしてしまった。
この映画は先入観なしで見た方が楽しめるかもしれない。


お互いの意識の中に入れるというのが実現するようになるのであろうか?
これはいずれできそうな気もする。

母親が死ぬ前、モルヒネの注入もあり意識がなくなった。
目を開けようとしているのであるが、白目にしかならない。何かを訴えているような気もするがわからない。そんな状態になったときに何を考えているのか聞きたい気もした。
こういうとき意識の中に入っても不満ばかりが出てくるような気もするが、思っていることを探ってみたい気もした。言い残したこと、いってくれるかもしれない。

終わりよければそれでよし。そんな言葉が似合う映画だ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする