映画とライフデザイン

大好きな映画の感想、おいしい食べ物、本の話、素敵な街で感じたことなどつれづれなるままに歩きます。

映画「マダムウェブ」 ダコタジョンソン

2024-02-27 18:19:36 | 映画(洋画:2019年以降主演女性)
映画「マダムウェブ」を映画館で観てきました。


映画「マダムウェブ」マーベルコミックの新作。ここ最近アメコミ系はご無沙汰だけど、主人公が近未来を予知する設定が気になる。過去にトムクルーズ「マイノリティレポート」クリストファーウォーケン「デッドゾーン」など自分には相性の良い映画がある。他のチョイスがしづらい中で、たまにはマールルで選択する。S・J・クラークソン監督ダコタジョンソンの主演である。

いきなり1973年のペルーの山奥でクモ探しをしている男女の映像が出てくる。見つけた時に仲間割れ、女性は懐妊しているがそこで出産する。

2003年のニューヨーク。救急救命士として働くキャシー・ウェブ(ダコタジョンソン)が、救命活動中にクルマごと川に転落して生死を彷徨う。 その時からキャシーは近未来の様子を予知する体験を重ねるようになる。30年前にペルーで生まれた赤ちゃんが大きくなってキャシーになったのだ。同僚の自動車事故を予知して、懸命に運転を止めるが、事故に遭って亡くなってしまう。それ以降も予知能力を自分で自覚するになる。

地下鉄に乗った時に、出会った3人の少女たちが、それぞれ謎の男に殺されるシーンを見てしまう。キャシーはあわてて、男が襲う前に少女たちを助けようと地下鉄内構内から引っ張り懸命に脱出する。路上のタクシーを盗んで飛ばす。追っ手は防犯カメラを駆使して3人を懸命に探す。


娯楽として楽しめた。
製作費8000万$の割にはメジャー俳優の出演は少ない。その分アクションとVFXにお金が費やされているのか。スパイダーマンのようなクモ男が出てくるが、正義の味方ではなかった。もともと、アカの他人だった3人の少女たちがお互いの境遇に共通点を感じて連んでいく。

謎の男はその3人に殺される悪夢を見ていて、成長する前に殺すというのがこの映画のストーリーの基調である。3人の少女とマダムウェブことキャシーが組んでいく。ピンチとは言え、NYのイエローキャブや救急車を盗んで逃走とはお行儀はよくはない。


見ている分には気楽に見れるが、途中からいかにもアメコミらしいドタバタアクションが続く。音楽は高らかに鳴り響いてちょっとうるさいくらいだ。ただ、途中で流れる挿入歌のセンスはいい。3人の若者も曲に合わせて踊る。たまにはこんなアメコミ映画もいいんじゃないといった感じだ。

エンディングロールで流れる曲に聴き覚えがある。アレ!これってウォンカーウァイ監督の香港返還前の映画「恋する惑星」のテーマ曲だと気付き驚く。オリジナルのクランベリーズ「ドリームス」が流れる。大好きな曲なのでうれしい。思わず香港のアパートメントに忍びこむフェイ・ウォンの顔を思い浮かべる。
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番外20(揚げ物三昧)

2024-02-24 08:06:08 | 散歩
日経平均市場最高値更新はうれしい。
歴史の教科書にものる1929年の大暴落の値に戻るのにアメリカ1954年まで25年かかったけど、日本は1989年末から2024年まで34年かかった。思えば、1989年の年末は静かなものだった。あの時は日経225銘柄には中小型株にクズ株がたくさんあって最終局面は日活まで上げた。なくなった銘柄も多い。実際バブルだったと思う。金融機関がおかしな会社にもたくさん貸していた。山一も北拓も長銀も潰れた。

今はかなりまともになった。バブルではない。よく景気の実感はないと言うが、産業構造が変わっているのにそれについていけなければ取り残されるだけだ。今はハイテク半導体商社などが大きく引っ張り日経225が生産性の高い企業の株価が高い値がさ指数のようになっている。しかし、建設やNTTや金融など当時の価格よりかなり下の銘柄も多い。海運がよくなったのは誰も想像しなかった。

それにしても、当時の株の手数料率は高かった。今はタダの証券会社すらある。証券マンと電話でやりとりするのも面倒でタイミング逃して失敗だらけだった。ネット社会になるのには平成ヒトケタの後半まで時間がかかった。

これもすべてアベノミクスのおかげ安倍首相だけでなく黒田さんも金融緩和に頑張った。
社会主義者が日本には多すぎた。ドラッカー「マネジメント」日本人従業員には利潤を目の敵にする人が多いとあきれていた。学生運動とかやっているバカが大勢いた。マスコミ特にA新聞を中心に日本をダメにした。日本の給料はもっと上げられたはずなのにそれをダメにしたのはマスコミだ。嫉妬は困る。
でも、ここのところの自民党の裏金問題にはムカつく。資本主義がベースの別の党出てこい。

もっと上がるために「あげもの」の写真で景気付けとする。

揚げ物が好きだ。
初老の域に入ったのにまだまだ揚げ物をたっぷり食べる。和田秀樹の本によれば、60過ぎても貧相な食事をせずに肉を食べろという。勇気づけられた。

新宿 豚珍館
もう40年行っている。いつも上ロース選択


御徒町のカツ とん八
東京ではいちばん好きだ。11時半開店だけど早めに行って1回転目に入る。
偉そうに塩で食べろというとんかつ屋も多いが、ここは好きな食べ方でと柔軟だ。




目黒のとん壱
安くてうまい。
とんかつの王道はロースだけど最近ヒレを選択することが多くなった。
キャベツの量がタワー


カキを加えると


四ツ谷 たけだ
前に東京カキフライで取り上げたけど、いつも大行列。バター焼きもいいがあげものなので。
最近は10時半に行っても並んでいるのであきらめたこともあった。


埼玉でいちばんおいしい与野本町のぼんち
ぼんちかつは衣が厚い。これがむちゃくちゃうまい。
普通の店でおばあさんが店員だけど、若い店員なんて入れずに余分なカネ使わないで今の味をキープお願い。



冬になるとカキを加えて


これがまた大きい


和田秀樹によれば(70歳の正解より)
コレステロールは体に悪いと言うのは,フェイクニュース,間違った思い込みです。老後,元気に暮らすためには,コレステロールは不可欠な物質なのです。p22コレステロールは,主要な男性ホルモン,テストステロンの材料にもなります。p23

日本経済の益々の発展を祈念して、「あげもの」
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映画「落下の解剖学」ザンドラ・ヒュラー&ジュスティーヌ・トリエ

2024-02-23 16:58:05 | 映画(フランス映画 )
映画「落下の解剖学」を映画館で観てきました。


映画「落下の解剖学」フランス映画、2023年カンヌ映画祭パルムドールを受賞した。今春のゴールデングローブ賞でも脚本賞を受賞した前評判の高いミステリーだ。アカデミー賞作品賞候補にも名を連ねる。フランス人女性監督ジュスティーヌ・トリエとパートナーであるアルチュール・アラリ(「ONODA 一万夜を越えて」)との共同脚本だ。 俳優陣は知らないメンバーがほとんど。ミステリーなので事前情報は最小限で映画館に早々に向かう。

フランス山岳地帯の雪が降り積もる山荘でドイツ人の人気作家サンドラ(ザンドラ・ヒュラー)は、作家志望の教師の夫、視覚障がいのある息子ダニエル、ボーダーコリー犬と暮らす。

山荘の中で妻サンドラが学生からインタビューを受けているが、夫が大音響で音楽をかけていてうるさくいったん延期する。ダニエルと犬が散歩に出て戻ってくると、夫が自宅前で血に染まって倒れているのを見つける。山荘には他に人はおらず検死や現場検証を経て、殺人の疑いを持たれたサンドラが拘束される。夫の頭に外傷があったのだ。サンドラは旧知の男性に弁護を依頼した。ダニエルの障がいもあって、殺人犯としては異例だがサンドラは一旦釈放される。


舞台は法廷に移り、検察側は被告人を容赦なく追及する。サンドラと夫にしばしば諍いがあったことや、サンドラがバイセクシャルだったことなど私生活の秘密が法廷で暴露される。それでも、弁護側は追及を交わして夫の自殺を主張する。優位と思われた時に、捜査員から音声の入ったUSBが証拠として出される。

よくできたミステリーである。評価が高いのは理解できる。
観客にインテリと思しき女性陣もいて、むずかしそうな先入観をもったが、扱われているのは万国共通の家庭内の事情である。誰もが実生活で遭遇するような夫婦ケンカの延長と言ってもいい。難解ではない。夫婦共に物書きなのに、妻の方が売れているとか、子どもの目の負傷以降夫婦生活がなくなった後で、妻の不貞が起きるとか同じ題材で日本でつくってもリメイクできそうだ。

フランス映画なのに主人公ザンドラデュラーが英語で話しているなと感じていたら、ドイツ人だという。フランス映画でしかもドイツ人に英語で会話させるのは意図的に監督が指示したらしい。

雪山の人里離れた山荘で妻の他に犯人になる人物がいない。結局、事故死の可能性はあっても、妻サンドラによる殺人か自殺かというどちらかになるのだ。現場検証もやった上でありとあらゆる犯行証拠を見つけようとする。夫婦間の諍いや妻の不貞にも随分と入り込む。依頼したサンドラの既知の弁護士とサンドラとの微妙な男女関係のきわどさもストーリーに味をつける。


法廷物としても観れる映画である。ただ、今回フランスの法廷の特異性を初めて知った。証人が証言する途中で、裁判長の指名がなくても、被告人、弁護人、検察官がフリートークのように割り込んで発言する。他国の法廷物とテンポが違う。検察官役の追及が憎たらしくてうまかった。

ストーリー展開は観ているものを飽きさせない。妻による殺人か自殺かでシーソーゲームのような攻防になり、いったん自殺説が強くなった時に、重要な証拠が飛び出す。USBの入った音声だ。妻は突然形勢不利になる。人格的に否定される証言も目立ってくる。


そして、最終的に本当のキーパーソンの証言となる。どうなるんだろう?どっちになってもおかしくない。妻サンドラもソワソワする。ビリーワイルダーの名作「情婦」マレーネディートリッヒがまさに「検察側の証言」で出廷した時と同じような胸騒ぎがした。証言する前にある事件が起きて驚かされる。ネタバレはしないが、決着はついたけど本当は違うんじゃないかと妙な余韻を残したのは悪くない。

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映画「濹東綺譚(1960年)」 山本富士子&芥川比呂志

2024-02-19 18:59:49 | 映画(日本 昭和35年~49年)
映画「濹東綺譚」を名画座で観てきました。


映画「濹東綺譚」1960年の東宝映画。永井荷風の原作を大幅に脚色して豊田四郎監督、山本富士子、芥川比呂志主演で描くモノクロ作品だ。永井荷風が亡くなってちょうど一年経った後だ。個人的に永井荷風の生き様に強い関心があるので名画座放映が気になる。

1992年に新藤兼人監督墨田ユキ、津川雅彦主演で映画化したときは、永井荷風の伝記的な要素もあると同時に墨田ユキの美しい肢体をクローズアップした。たぶんそのせいか、以前1960年版もDVDで見た気がしたけど、エロっぽさがないのでさらっとスルーしたかもしれない。ストーリーをたどって行くうちにちゃんと観ていないことに気づく。縦横無尽に振る舞う東宝に出張した山本富士子の魅力に引き寄せられる。

1936年(昭和11年)玉の井遊郭のおでん屋にいた中学の教師の種田(芥川比呂志)が、突然降った雨の中を歩くと、に入れてくれとお雪(山本富士子)が近づいてくる。そのまま、歩いてお雪の店に行き雨宿りをする。話をしていくうちに、お雪に別部屋へ引き寄せられる。


種田は妻(新珠三千代)と息子と一緒に暮らす。息子は妻が奉公先だった素封家の主人との間にできた子だった。妻は給金を相変わらずもらっていた。夫婦仲は良くない上、妻は宗教にハマっていた。
種田はお雪が気に入り、玉の井に日参するようになる。お雪は以前宇都宮の芸者だった。行徳にいる母親の病状が思わしくなく、治療費としてカネを出してくれと言われ遊郭の仕事をせざるをえない状況だった。

種田は家庭内のイザコザに嫌気がさしてきた。なじみになったお雪から好意を受け、勤務先の学校を辞めようかと同僚の教員(東野英次郎)に告白する。


戦前の遊郭のムードが流れる山本富士子を観るための映画だ。
永井荷風の原作では、永井荷風自身の分身のような小説家が玉の井遊郭でお雪と出会う。なじみになって交わす会話が語られる。そして、小説家が現在書いている「失踪」という小説の登場人物として種田が登場する。いわゆる「小説の中の小説」だ。

映画では傘がご縁でお雪と出会ってなじみになるのは芥川比呂志が演じる種田である。妻のプロフィールは概ね一緒であるが、新珠三千代のような美貌を持つ女性でなく太めの女として描かれている。小説では種田は退職金をもって別の女性と失踪しようとしている設定だ。

映画では、永井荷風とそっくりなロイド眼鏡をかけた小説家が登場する。遊郭の中を闊歩するが、ストーリーには大きく絡まない。1992年版では津川雅彦演じる永井荷風を模した小説家がメインだ。麻布にあった偏奇館も登場して、芸者に貢いできた永井荷風の女性遍歴を語っていく。永井荷風の裏伝記のようなものだ。つまり、原作と1960年版、1992年版とは玉の井遊郭が舞台なのは一緒でも基調に流れるいくつかの点を除いては別物である。小説の中にある重要な会話は山本富士子がセリフとして数多く話す。

当時大女優の道を歩んでいた当時28歳の山本富士子と演劇界で地位を築きあげてきた芥川比呂志の共演は見どころが多い。しかも、東宝所属の新珠三千代や娼婦役も淡路恵子、原知佐子などでしっかりと脇を固める。永井荷風は芥川の高等師範付属中(現筑波大付属)の先輩にあたり、2人の美女が共演で映画出演は少ない芥川比呂志もまんざら悪い気はしないだろう。

日経新聞の山崎努「私の履歴書」で、豊田四郎監督演技指導が厳しかったと山崎努が独白する。情感こもった俳優の演技にはそれを感じさせる部分もある。



原作を脚色して、お雪が行徳の母の面倒をみるために遊郭で働いているとしているが、小説にはない。行徳の町の名前すら出てこない。色んな意味で都合よくつくった映画である。改めて観ると、玉の井の遊郭を再現したセットが趣きある。道の中心にドブのような水路も流れていて、旧式の右側から横に文字を書く「すまれらけぬ」の看板もある。(「ぬけられます」となったのは戦後か?)最後の娼婦たちの顔出しの場面は狂気に迫るものを感じる。

向島周辺と思しき隅田川もロケで映す。まだ昭和30年代だし戦前と大差はないのか?行徳を映した映像って浦安の昔と同じように、いかにもひと時代前の漁師町の場面だ。


先日浅草に行った時に、永井荷風がよく行っていた蕎麦の尾張屋で2本の大きなエビの天ぷら蕎麦を食べた。同じく荷風なじみの洋食のヨシカミは行列ができていたけど、急激に値上げして高くなっているね。ストリップのロック座は健在。ともかく、浅草は外人比率が異常に高いエリアに変貌した。晩年市川に住んだ永井荷風がよく食べた大黒屋のカツ丼も、千葉で仕事をしている10年ほど前は何かと食べに行ったものだ。なくなったのは残念だ
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映画「夜明けのすべて」 松村北斗&上白石萌音&三宅唱

2024-02-18 08:22:04 | 映画(日本 2019年以降)
映画「夜明けのすべて」を映画館で観てきました。


映画「夜明けのすべて」は、「ケイコ目を澄ませて」で映画界の各種賞を総なめした三宅唱監督瀬尾まいこの原作を映画化した作品である。病気系の話で暗いかなと思ったけど、妙に評判のいい映画で気になってしまう。軽い障がいを持った役柄を演じる主演の2人は松村北斗と上白石萌音である。上白石萌音の顔を見て、主演作を観るのは吹替えの「君の名は」はあっても「舞妓はレディ」以来10年ぶりだということに気づく。光石研、渋川清彦、最近注目の若手芋生悠といったメンバーが脇を固める。

月に一度、PMS(月経前症候群)イライラが抑えられなくなる藤沢(上白石萌音)は新卒で入社した会社を発作によるトラブルで辞めた。結局子ども向けの理科実験道具などの科学グッズをつくる栗田科学で商品管理をする。転職で入社してきた山添(松村北斗)が周囲に挨拶もせずに炭酸水をガブガブ飲むのを見て、いつものように必要以上に癇癪を起こしてしまう。

注意された山添もまたパニック障害を抱えていて、定期的に通院していた。恋人(芋生悠)がいるにもかかわらず、電車にも乗れない状況になっていた。最初はぎくしゃくしていた2人の関係も,病気持ちはお互い様と面倒見の良い藤沢から接近して,お互いのアパートへ訪れるようにもなる。栗田社長(光石研)をはじめとした職場の人たちも2人の病気を理解して、移動プラネタリウムのプロジェクトに取り組んでいる。


柔らかいムードが流れる障がいを持った人の成長物語だ。
2人の障がいの発作を示すシーンはあっても,血生臭い暴力シーンは一切ない。ベタベタした恋愛シーンや濡れ場もない。不快に思うシーンはない。2人が周囲の理解のもと徐々に自らの障がいを克服していく姿が映される。恋愛か友情かのようなコメントも目立つけど,そんな事は言ってられない事情が2人にはある。いかにも文化庁からの支援を受けている映画らしい健全さが売りだ。カーネギーの「人を動かす」の実例みたいな逸話も多い。

PMSという障がいがあることを人生で初めて知った。毎月1度の生理に付き合わざるを得ない女性は誰もが知っているのかもしれない。若い頃、私は生理がキツイと言ってピルを飲んでいる女の子と付き合ったことがある。こちらはラッキーと思っていたが、もしかしてPMSだったのか?確かに癇癪持ちだった。

主人公藤沢は普段はおせっかいで,周囲に気を使いすぎる位の女性である。ところが発作を起こすと,二重人格のように豹変する。周囲に起きるちょっとむかついたことにあからさまに憤慨するのだ。新卒で勤めた会社でも,先輩社員のコピー機の扱いに尋常じゃない怒りを表して周囲をびっくりさせる。自分でも気がついて薬を飲むと睡眠薬の効果が強く寝過ごしてしまう。ある意味不器用だ。

上白石萌音二重人格的な藤沢のパフォーマンスを巧みに演じた。藤沢の山添のアパートに乗り込んでいく積極性は単なるおせっかいだけではなく恋愛の要素が全然なかったとは言えないと感じる。積極的な女の子の一面を持つ。


パニック障害はよく聞くが,具体的な症状については知らない。電車に乗れない位の状況になっているとは思わない。2年前にラーメンを食べているときに突然発作を起こしてから、前の会社も辞めた。映画では, 会社内で薬をなくしてパニックを起こす山添のシーンがある。もともと転職した仕事に関心を持っているわけではなかった。やる気なく働いていた。ところが,病名は違っても障がいを持つ仲間として藤沢と接しているうちにお互いのことを思いやる気持ちが芽生えてきた。

PMS障害を起こしそうになった藤沢を会社の外に連れて行って,深呼吸をさせたり、体調の悪い藤沢の家まで届け物をしたり気配りもできるようになった。脳の中の配線がつながったような変貌を見せるようになる。会社のプロジェクトにも積極的に参画するようになる。パニック障害になった山添の症状が大幅に改善して成長している。普段はモテモテの松村北斗も好演である。髪を切られるシーンが笑える。


脇を固める光石研や渋川清彦の役も心に闇を抱えている。親族をなくして精神的に参っている人たちのサークルに2人とも入っている。そこで自分の悩みを語り合うのだ。この映画ではその部分についての深いツッコミはなかったが,そのシーンがあるだけに障がいを持つ2人を支えていく姿がよくわかる。それにしても、光石研は適役だ。最近はキャノンのCMで課長役を演じているけど、誰もが好感を持つと思われる笑顔が素晴らしい


原作と違う仕事の内容にして、移動プラネタリウムを題材にするのは三宅唱監督としては会心の出来だったに違いない。上白石萌音の朗読も良かった。藤沢が母親の介護のために転職しようとリクルーターと会っている場面など,現代若者事情もよくわかるように映画に盛り込まれている感じがした。
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映画「ミレニアムマンボ」 ホウ・シャオシェン

2024-02-17 08:57:08 | 映画(アジア)
映画「ミレニアムマンボ」を映画館で観てきました。


映画「ミレニアムマンボ」は台湾の巨匠ホウ・シャオシェン監督の2001年の作品。リストア版を映画館で観てきました。監督と他の作品でもコンビを組むスーチーの主演。しかも、カメラはリーピンピン「夏至」「ノルウェイの森」など2000年前後から数多くの作品で力量を発揮している。夜のムードが強い予告編を見て,猥雑なアジアの夜を描いた映画が好きな自分は思わず観てみたくなる。

新世紀を迎えたばかりの2001年の台北。
恋人のハオと一緒に暮らしているヴィッキー(スーチー)は、仕事もせずに毎夜、酒とゲーム、クラブ通いと荒れた生活を続けるハオにうんざりしていた。仕方なく始めたホステスのバイトで出会ったガオのもとへ逃げこんだヴィッキーだったが、ガオのもめ事に巻き込まれ、日本へ旅立ってしまう・・・。(作品情報 引用)

思ったよりも退屈な作品だった
一瞬ブログアップしようか迷った位だ。備忘録として残しておく。逆に,映像のいいとこ取りをした予告編の編集が抜群だったといえよう。いいとこ取りができる位だから,素材は良い。主人公がたむろうナイトクラブの猥雑な感じが自分の好みだ。若き日のスーチーは非常に魅力的である。16歳で家を出て腐れ縁の恋人と同棲している女を映す。付き合っている男がダメ男なんだけれども母親の元へは帰れない。そして嫌気がさしてヤクザのもとに甘えようとしている。


素敵なショットが多い宣伝のスチール写真と比較すると,照明の照度が強くない。薄明かりの中で人物をとっているので,あまり鮮明に顔が映っていない。それはそれで監督の狙いなのかもしれないが,意味もない会話だけが続くので退屈だ。単調すぎる。しかも,主人公の彼氏は嫉妬ぶかく,仕事もしない奴だ。そんな奴との戯れを見ているだけではだんだん嫌になってくる。

ただ、映画の街と言う触れ込みで雪の夕張が映される。昭和40年代前後の日本映画の映画看板が並ぶ。雪が降り続く中を車が移動するショットは雪国にいる雰囲気がある。スーチーが積もっている雪の中で戯れるシーンもいい。主人公がおでん屋でおでんを食べるシーンも味がある。中国人は雪の北海道が好きである。そのせいもあってか,夕張の場面はよく見える。


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映画「罪と悪」 高良健吾

2024-02-15 19:44:11 | 映画(日本 2019年以降)
映画「罪と悪」を映画館で観てきました。


映画「罪と悪」は数々の作品で助監督をつとめてきた齊藤勇起監督のオリジナルの脚本による初長編作品だ。クリントイーストウッド「ミスティックリバー」を思わせる3人の主人公を取り巻く物語というコメントが目につく。後味は最高にわるい作品だけど心に残る。それなので公開以来「罪と悪」が気になっていた。田舎町の3人の中学生が犯した罪と20年の月日を経た現代の3人の動静を描くクライムサスペンス映画である。

20年前、14歳の少年正樹の遺体が川ぺりの橋の下で発見された。中学のサッカー部員仲間の春・晃・朔は、正樹を殺した犯人と確信した男の家に押しかける。もみ合いの末、男は3人によって殺され家は燃やされる。1人が犯人だと名乗りでる。


刑事になった晃(大東駿介)は父の死をきっかけに地元に戻り、農業を営む朔(石田卓也)と再会する。朔は引きこもりになった双子の兄弟と暮らしていた。晃が捜査中に出くわしたある少年の死体が橋の下で見つかる。少年は半グレ集団の仲間の1人だった。晃は少年の殺害事件の捜査をするために、怪しい世界に生きる昔の仲間春(高良健吾)の事務所を訪れる。


クライムサスペンスとしてはまあまあの出来
20年前中学生の時に仲良し4人組の1人が殺されて、こいつが犯人だという不穏な老人を仲間3人で殺してしまう。でも、罪は高良健吾演じる春が1人でかぶって少年院に行く。20年の月日が流れて決着がついていると思わせるが、そうではなかった。現在春がからんでいる裏仕事にからめてストーリーが展開する。高良健吾がメインだ。

20年前の殺人と現在起きている事件の関わりだけに焦点を合わせるだけでない。現代風ヤクザ半グレ映画のようにもアレンジする。いったん罪をかぶった春が、若者を集めて、半グレ集団のように生きている。親分の貫禄もある。コンビニもやれば、土木工事の下請けもやるし、夜の酒場でクラブも経営する。こんな奴は身近にいそうだ。以前はヤクザがしのぎでやっていたことを引き受ける奴らだ。スーツを着て一見はパリッとしているように見える本物のヤクザ集団との争いもストーリーに組み込む。


登場人物を昔のヤクザ映画のような「いかにも」の風貌とせず、現代風ワルっぽくする。暴対法がうるさいので、社会の中に潜んでいるワルはこんな奴らか。いずれも実生活で絡みたくない奴らだ。刑事役も登場するが、裏社会の問題は警察に頼らず裏社会で解決する構図だ。佐藤浩市は普通の老人ぽいヤクザの真の親玉で、椎名桔平は悪と通じている菅原文太「県警対組織暴力」で演じたような警察官だ。村上淳は現代風スーツ姿のヤクザだ。


ただ、高良健吾以外は一時的に登場する佐藤浩市と椎名桔平を除いては見慣れた俳優がいない。そのためか、20年前と現代それぞれに登場人物が多く、この顔誰だっけかとアタマの整理がつきづらい面はあった。

最後に向けて、監督が予想外の結果を導き出そうとしたどんでん返しもある。自分の理解度の問題もあるだろうが、正直なところ真相もネタバレサイトを見て納得した次第。確かに色んなシーンで伏線を張っていてそれを回収している。決して悪くはないが、もう一歩複雑にさせすぎない工夫が必要な印象を受ける。
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映画「一月の声に歓びを刻め」 カルーセル麻紀&前田敦子&三島有紀子

2024-02-12 17:36:38 | 映画(日本 2019年以降主演女性)
映画「一月の声に歓びを刻め」を映画館で観てきました。


映画「一月の声に歓びを刻め」は女流監督の三島有紀子が、幼児時代の性暴力体験に関するトラウマに基づき企画した作品だ。一線級の俳優が集まり、北海道、八丈島、大阪で3本の短編映画を撮る。三島有紀子監督の「幼な子われらに生まれ」荒井晴彦の脚本ということもあってか実に良かった。ただ、その後の監督作品「ビブリア古書堂の事件手帖」「Red」はストーリー自体に気にくわない場面があった。何気なく見たこのポスターの名前にカルーセル麻紀とある。ずいぶん久しぶりだなあと感じつつ映画館に向かう。

雪降り積もる洞爺湖の湖畔の家で一人暮らすマキ(カルーセル麻紀)が長女(片岡礼子)夫婦と孫と4人でおせち料理を食べながら新年を祝う。しかし、会話にはわだかまりがある。それは6歳で性暴力を受けて亡くなった次女の存在があったからだ。父親はその後性転換して女性になっていた。 

八丈島で牛飼いをしている誠(哀川翔)のもとに娘の海(松本妃代)が5年ぶりに帰郷した。妻は交通事故で亡くなっている。海はお腹が大きくて妊娠しているようだが、何も言わない。ただ、海岸で一人泣いていて海の様子がおかしい。誠が海のいない部屋に⼊ると⼿紙に同封された離婚届を見つけてしまう。


大阪の堂島、れいこ(前田敦子)は元恋人の葬儀出席で大阪に戻る。葬式帰り、鉄橋の下で悶々としていると、レンタル彼氏をしている男(坂東龍汰)に誘われる。名刺の名前に吸い寄せられそのまま男とホテルに入っていく。そこで、幼少期性暴力にあったトラウマで元恋人と向き合いきれなかった自分を回顧する。


久々に観たカルーセル麻紀の怪演に圧倒される。必見だ。
洞爺湖周りの雪景色が美しく、湖畔の家での家族の団欒のシーンでは、きめ細かくおせち料理の数々が美しく映し出される。老いてグレーヘアの少し変貌したカルーセル麻紀宇野祥平、片岡礼子との食卓での立ち回りがどこかおかしい。亡くなった片岡礼子の妹の存在は徐々にわかっていく。女性として生きてきた父親を、娘は今も受け入れていない。ツライ親子関係だ。

家族が帰った後カルーセル麻紀が一人で次女を憂うシーンや一気にニューハーフ系の濃い化粧に化けるシーン、雪降り積もる湖畔を歩きながら嘆き悲しむシーンが圧巻だ。10年ぶりの映画出演だというカルーセル麻紀が各種主演女優賞を受賞してもいいと感じる。改めて1942年生まれと確認して驚く。なぜなら、彼女と同世代の自分の元上司が近年次々と亡くなっているからだ。今の若い人はカルーセル麻紀を知っているだろうか。


自分が小学生の頃、当時はオトコ女なんて言われていたカルーセル麻紀はレアな存在だった。親に隠れてこっそり見るエロ系番組では常連で、TVのショーでスカートをハサミで切られる場面が50年以上たつけど脳裏に浮かぶ。モロッコでアソコを切った後、何かというとTVで見かけた日本のニューハーフのはしりだ。今回はカルーセル麻紀に出演をオーダーした三島有紀子のキャスティングの勝利であろう。すごい!

八丈島の物語は、5年ぶりに実家に帰ってきた娘が懐妊していて、その娘が結婚したことも親に告げずに離婚届を持ってきて慌てるという話だ。ちょっとした短編小説を読んだような後味をもつ。ここでの八丈島とその周囲を映し出すカメラワークは抜群で、じっくり映像素材になるシーンをストックするために長く島に滞在した感じがする。三島有紀子監督の映像センスを感じる。


三島有紀子自らの体験にダブらせるのは三島の故郷大阪を舞台に前田敦子が演じる短編だ。作品情報を読むと、大阪を舞台にした同作のロケハンで三島有紀子が訪れた場所で、偶然事件の犯行現場に遭遇したらしい。これもすごい話だ。そこで自身の過去を映画にすることを決意したようだ。

この映画だけモノクロだ。何か意味があるんだろう。やたらとを映すが、女性器を連想させるため?前田敦子がこの映画ではメインなんだろうが、正直なところこの短編がすごく良いとまで思わなかった昔の哀しみを表現するための長回しは三島有紀子自らの考えだろうが、ちょっと間延びした印象を持った。


カルーセル麻紀が雪の中演技し終わった後で太地喜和子から声をかけられたそうだ。人智を超えた記事があった。大酒のみの仲間だったのだろう。こんな台詞がカルーセル麻紀は似合う。なぜか昭和の怪優が復活した。一世一代の芝居だ。
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映画「カラーパープル」 ファンテイジア・バリーノ

2024-02-11 17:44:02 | 映画(洋画:2019年以降主演女性)
映画「カラーパープル」を映画館で観てきました。

映画「カラーパープル」アリスウォーカーの原作を1985年にスティーヴンスピルバーグが映画化した。それが2005年ミュージカルになり大人気。今回はミュージカル映画としてリバイバル公開される。今回もスピルバーグや前回音楽担当のクインシージョーンズがプロデューサーとなる。なぜかスピルバーグの前作を見落としていて、初めて知るストーリーである。音楽家のブリッツ・バザウーレが監督を受けもつ。

1909年アメリカジョージア州、母が死んだ後父親の子を2人も産んでその子を里子に出されたセリー(ファンテイジア・バリーノ)は妹ネティと仲良く暮らす。子どもが3人いるミスター(コールマン・ドミンゴ)に父はセリーを押し付ける。ミスターのDVはひどく、セリーは耐えざるをえない。その後実家を出たネティがセリーと同居したがミスターに言い寄られ関係拒否した後に追い出される

ミスターの昔の愛人だった歌手のシュグ(タラジ・P・ヘンソン)が街に帰ってくる。ミスターは元の女を家に引き入れる。セリーは一緒にいる方がミスターのDVがおさまるので同居を受け入れる。息子は子持ちでしっかりしたソフィア(ダニエル・ブルックス)とくっつき、すぐ近くに小屋を建てる。落ち着いたように見えるが、何かと男女間のもつれがつきものであった。


黒人女性陣の歌声に高揚感を感じるミュージカルだ
いきなり教会で信者たちが踊りまくるシーンが出てくる。これって映画「ブルースブラザーズ」教会シーンを連想する。神父のジェームス・ブラウンがソウルフルに歌って、色鮮やかな服を着た黒人たちが踊りまくりジョンべルーシがバク転するシーンだ。同じようにウキウキした気分になる。初っ端から盛り上げる。


歌のシーンについては、ミュージカルでも主役を演じたというファンテイジア・バリーノにせよ、歌手シュグ役のタラジ・P・ヘンソンにせよ、義理の娘になるソフィア役のダニエル・ブルックスにせよパワフルですばらしい歌を聞かせてくれる。曲もオールドファッションというより現代的で、アップテンポもバラードもいい曲だ。

ただ、正直なところ、最初は黒人の登場人物に目が慣れず、出演者が同じように見えて人間関係がよくわからなかった。主人公セリーが出産して、父親が里子に出すというシーンだけど誰の子なのかわからない。父親役の男性も最初単なる雇い主かと思ったら、どうやら父親だ。しばらくして、近親相姦でできた子だとわかってエグいなあと思う。しかも、嫁いだ先の主人のDVがひどい。黒人メインの映画だと白人の暴力がクローズアップされることが多いけど、ここでは黒人社会での女性蔑視がテーマとなる。


黒人が数多く住むエリアでの飲食店などでの黒人だけのシーンがほとんどだ。途中まで、白人系の登場人物が出演せず、珍しく黒人だけの映画かと思っていた。途中で少しだけ白人が出て来る。そこで、人種差別的場面があっても他の映画と比較すると少ない。同じ黒人同士でも、女性が奴隷のように扱われる女性蔑視が酷い話が中心だ。最後に向けてようやく変わる。オリジナル版で白人がずいぶんと黒人を悪く描いたと批判されたそうだ。わかる気もする。


でも基本的にはのれるミュージカルだった。普通はこれだけ暗い話だと,一気に気持ちが沈んでしまう。ただ女性ボーカルのパワフルな歌声はひたすら明るい。希望に満ちてくるはずだ。
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映画「瞳をとじて」 ビクトルエリセ

2024-02-10 18:26:24 | 映画(自分好みベスト100)
映画「瞳をとじて」を映画館で観てきました。


映画「瞳をとじて」はスペインのビクトル・エリセ監督が31年ぶりに長編映画を撮った新作である。予告編で感じるスペイン映画独特の不穏な感じが気になる。名作「ミツバチのささやき」の子役で出演したアナトレントも登場する。今年83になるビクトル・エリセ監督が長い間あたためてきた構想なんだろうと想像しながら映像を追う。見ごたえがあった。


映像は1990年に撮られた映画のワンシーンでスタートする。
ある富豪が自分の命が短いことを知り、上海にいる生き別れた娘に会いたいとある男に依頼する。

2012年マドリード、この映画を撮った監督ミゲル(マノロ・ソロ)がTVの特集番組に呼ばれる。映画の中で捜索を依頼された男を演じた俳優フリオ(ホセ・コロナド)が、海岸で靴を置いて撮影途中で失踪していたのだ。行方不明になったフリオには娘アナ(アナトレント)がいた。アナはTV出演を拒否したが,ミゲルと会う。既に諦めている様子であった。


ミゲルは現在住む海辺の集落に戻り,TV番組を見ようとするが途中でやめた。しかし、TVを見て思わずフリオ本人ではないかと連絡をしてきた老人養護施設の職員がいた。もらった写真はたしかに似ている。思わず施設に向かうのである。


重厚感のある素晴らしい作品だった。すっかり堪能した。最後に向けては思わず涙腺を刺激されてしまう。映画館で周囲の観客がストーリーの決着を固唾をのんでみているのが実感としてよくわかった。

スペイン映画独特の不安をかき立てる音楽を絶妙なタイミングで組み込む。同じくスペインのペドロアルモドバル監督作品などと同じ不穏なムードが漂う。基調はミステリーだけど、ヒューマンドラマの要素が強い。失踪した男が見つかった時には記憶喪失になっていたなんてストーリーだけをとれば目新しさはない。そこに「映画の中の映画」の手法を用いて、真実と虚実を混在させる。

ビクトルエリセが満を持して作ったのがよくわかる映像美に優れる作品である。撮影する場所も室内セットだけでなく、マドリードの都会的なバックに加えて海上や海辺の街並みにもカメラを移す。開放感も感じられる。しかも、廃館した映画館を巧みに使う。上映時間はもう少し短くできるとも感じるが、31年温めたものをビクトルエリセが披露する機会はもうないかもしれない。仕方ないだろう。


濱口竜介監督が作品情報で『瞳をとじて』は徹頭徹尾「座っている人間にどうカメラを向けたらよいのか」を問う。絶賛している。観ている途中で自分も同じ感触を持った。小津安二郎監督得意の切り返しショットではあるが,単純に正面を映す訳ではない。切り返すたびごとに都度俳優の表情を遠近や方向を変えたショットで映し出していく。陰影にもこだわる照明設計も素晴らしい。ミゲルがフリオとともに愛した女にあった時のシーンに映画撮影の極限値を感じた。主演のマノロ・ソロの演技も安定している。あらゆる映画人の教科書になると感じた。


映画の結末に向けては、どうクローズさせるのかとドキドキしてしまった。終わり方もベストだと感じる。ピアノベースのエンディングミュージックに余韻が残ってよかった。

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映画「ダム・マネー ウォール街を狙え」 ポール・ダノ

2024-02-03 04:59:06 | 映画(洋画:2019年以降主演男性)
映画「ダム・マネー ウォール街を狙え!」を映画館で観てきました。


映画「ダム・マネー ウォール街を狙え!」は2020年末のゲームストップ株騒動を描いたポール・ダノ主演の新作である。女子フィギュアのお騒がせ女を描いた「アイ,トーニャ」クレイグ・ギレスピー監督がメガホンをもつ。期待できそうだ。株式投資に関わる話とあってか、アメリカンコメディでは珍しく男性陣の観客が目立つ。

大発会こそもたついたとは言え、年始から全般的に日本株も好調である。ただ、大型株が買われる正統派の相場なので、ちょっとこの映画の仕手株騒ぎとは違うかも。それでも、株好きはついつい劇場に向かうだろう。


2020年マサチューセッツ州の会社員キース・ギル(ポール・ダノ)は、全財産の5万ドルゲームストップ株につぎ込んでいた。実店舗でゲームソフトを販売するゲームストップ社は倒産間近のボロ株と見なされていたが、キースはネコのTシャツ姿で動画を配信し、ネット掲示板の住民に訴える。すると、個人投資家がゲームストップ株を買い始め、ジワリと上昇した後に大暴騰となる。

ゲームストップを空売りしていたヘッジファンドの主は大慌て。ゲームストップ株の大暴騰のニュースは、連日TVメディアで報道され、全米を揺るがす社会現象に発展する。キースは利食いせず、数百万人のちょうちん筋も持ちづけた時に事件が起きる。


傑作と言うわけではないが,ひたすら面白い。
言葉遣いも汚くて,現代アメリカ映画らしい荒っぽい作品だ。ネットでゲームストップ株の推奨をし続けるキースだけに焦点を合わせるわけではない。ゲームストップ株をスマホで買って一喜一憂するネット投資家も、ゲームストップの店員や女子学生、看護婦など数多く登場する。最初は静かに買い始めた後で,強い上昇基調に利食いをためらっていく構図が面白い。同時に, 100億ドル以上の運用資産を持っているヘッジファンドの投資家が完全にナメきっていたゲームストップ株の暴騰に唖然とする姿も見ていて面白い。


自分自身が大ファンであるボールダノのDJパフォーマンスが実に楽しい。またより面白くさせるためにセス・ローゲンなどのコメディーの人気俳優を登場させる。新NISAが始まって,シコシコ積み立て投資をし始めている人には,この映画の真意がわかるかなぁと言う素朴な疑問はある。信用取引をやったことない人には空売りの踏み上げをくらう精神的苦痛はわからないだろう。

⒈空売りの踏み上げ
信用取引での空売りは,証拠金を預けて株を売って,安いところで買い戻して利益を得る。それ自体はなんとなくわかるであろう。しかし、証拠金の担保割れ,すなわち追証発生の原理を理解していないと本質なところはわからないのではないか。

結局株で資産を失うのはレバレッジが絡むものである。100万円で2割下がっても20万円の損失で済むが, 100万円の証拠金で300万の株を買い2割下がったら証拠金は60万減り40万になるわけである。しかも売りの場合損は無限大である。担保割れになって,追証が発生して追加金を入れなければいけない苦しさは味わったものでないとわからない。

それにしても,日本と違いストップ安あるいはストップ高のないアメリカでは,青天井に急上昇あるいは下落していく。ゲームストップの売り方は肝を冷やしているだろう。黒木亮の小説にも「空売りファンド」の話が出てくる。ヘッジファンドは別にインチキをやっているわけではない。潰れそうな株を売り浴びせて倒産寸前に買い戻す正当な商行為なわけだ。ここでも大富豪たちがヒヤヒヤしている場面が数多く映って,観客の笑いを誘っていた。


⒉SNSで動く買い方
ポールダノが演じているのは実際のキースのパフォーマンスを真似していたのであろう。YouTubeの画面の前でパフォーマンスをしてゲームストップ株がいかに素晴らしいかを語っていく。それに対しての支持者が数多く出てくる。当初は数倍上がっただけだった。ただ、それだけでも凄い話だ。

狂信的支持者が一気に増えていく。買い方が何百万人と言うわけだ。ボリンジャーバンドと言う株価分析がある。その分析の中でバンドウォークという急上昇場面がある。2標準偏差以上の移動平均との乖離が続く。いわゆる偏差値で言えば70から80以上の乖離場面がずっと続く世界だ。

チャートを確認していないが,ゲームストップ株にとっては超バンドウォークの極致の域に入っていたのであろう。今年入ってすぐの日経平均もこのバンドウォークの域に数日入っていた。上昇し始めると止まらず、逆張りが一気に持っていかれる世界だ。


素人とプロ投資家の対決と映画宣伝でしたのは正直大げさな気もする。上昇しているときに売らない投資家だけ映画で取り上げたけれども,おそらくはかなりの投資家が利食いを繰り返して儲けたのではないか。一般投資家を先導しているキースは自ら公表している手前利食いができなかった。やはりええカッコしいで目立ちすぎはいけないと感じる。
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映画「白日青春」 アンソニーウォン

2024-02-02 18:21:01 | 映画(アジア)
映画「白日青春」を映画館で観てきました。


映画「白日青春」は香港に数多く滞在している難民の問題に焦点をあてる物語である。黒社会を舞台にした「インファナル・アフェア」などでおなじみのアンソニー・ウォンが主演だ。

タクシー運転手の陳白日(アンソニーウォン)は70年代に中国から泳いで香港に密境してきた。結婚する息子は警察官となったが、親子関係は疎遠だった。事故がらみでパキスタンからの不法移民の男アフメドと繋がるが、結局アフメドは交通事故で亡くなってしまい妻子が残される。その子どもハッサンとひょんな縁で付き合った主人公は、母親が結局香港から強制退去となるのを知り、ハッサンをカナダに移住させてあげようと動く。


香港舞台だとくいつくが、予想ほどはおもしろくなかった。
以前からインド系の顔をした連中が香港の街中をたむろっていた。フリーポートの香港には貧しいパキスタンなどの国から入って来やすかったのであろう。集団スリのようなひったくりを見たこともある。

不法移民の息子でも小学校には通えている。それ自体は香港政府もゆるやかな方と感じるけど、子どもが仲間たちと泥棒を繰り返している。観ていて気分の良いモノではない。子どもの親はパキスタンでは弁護士だったらしく、人のものを盗むのをとがめる。中近東映画で恵まれない子がウソつきで流浪の生活を送るような映画も観たけど、似たようなものだ。貧しい国だと弁護士レベルでも出国しなければならないのであろうか?


成瀬巳喜男の最後の作品乱れ雲では、夫を交通事故で亡くした未亡人(司葉子)と、事故の加害者の男(加山雄三)が惹かれ合うという構図があった。この映画のStoryも似ている。主人公のタクシー運転手は自らの営業権を売って、子どもの密航の費用を捻出しようとする。映画「カサブランカ」を彷彿するようなラストに持っていこうとする制作者の意図は感じても、最後まで美化できるとは思えなかった。
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