映画とライフデザイン

大好きな映画の感想、おいしい食べ物、本の話、素敵な街で感じたことなどつれづれなるままに歩きます。

映画「フォックス・キャッチャー」 スティーヴ・カレル&チャニング・テイタム

2015-02-26 20:40:01 | 映画(洋画 2013年以降主演男性)
映画「フォックスキャッチャー」を映画館で見てきました。


こういうのを傑作というのであろう。
コクの深いスコッチウィスキーを飲んでいるような感触をもたせる重厚感のある映画だ。
題名の「フォックスキャッチャー」とは、アメリカ有数の化学会社デュポン社の御曹司がつくったレスリングチームの名前である。ロス五輪の金メダリストだった男を御曹司がスカウトして、ソウルオリンピックを目指すストーリーが基本に流れる。まずは主演3人の演技がすばらしい。格でスティーヴ・カレルがトップクレジットとなるが、チャニング・テイタムが主演と言ってもおかしくはない。
ベネット・ミラー監督による「マネーボール」「カポーティ」はいずれも自分の好きな映画だ。それぞれ俳優に迫真の演技をさせている。3人それぞれの内面に入りこみ、じっくりと描写していく。カンヌ映画祭で監督賞を受賞したのもうなずける。


マーク・シュルツ(チャニング・テイタム)は、1984年のロサンゼルス・オリンピックのレスリング82キロ級の金メダリストであり、兄のデイヴ・シュルツ(マーク・ラファロ)も74キロ級の金メダリストであった。兄弟が幼い頃に両親が離婚、親がわりの兄デイヴと苦労してきた。デイヴは結婚して妻のナンシー(シエナ・ミラー)との間にふたりの子供がいて、幸せな日々を過ごしている。しかし、マークは経済的にも精神的にも行き詰まっていた。金メダリストのマークが講演しても、ギャラは20ドルほどしかもらえず、会場は空席だらけ。そのマークに、アメリカの大企業デュポン社の創業者一族であるジョン・デュポン(スティーヴ・カレル)の代理人から電話がかかってきて、ペンシルバニアの自宅に来るように話がきた。


広大な豪邸に向かうと、レスリングのトレーニングが出来る施設があり、デュポンはオリンピックを目指すチームをつくろうとしていた。
マークには年棒は2万5千ドルの提示があり、チーム「フォックスキャッチャー」参加を受諾した。デュポンは、兄デイヴも一緒に参加することを望んでいたが、妻と子供の暮らしを維持したいと申し出を断る。


チームに参加したマークは、フランスでの世界大会へ出場し、デュポンの期待に応え優勝する。マークとデュポンの関係は深まっていったが、ある日ヘリコプター内で、マークにコカイン吸引を強制する。ソウルオリンピックを目指していたマークは、その後少しづつ調子を落としていく。練習に身の入らないマークをデュポンは冷たい目で見る。兄のデイヴを誘うようにマークに告げたが、絶対無理だと要請を断る。それでも、デュポンはデイヴを口説き落とし、デイヴは妻子を連れてフォックスキャッチャーに参加することになる。それなのに、マークは引っ越してきたデイヴの出迎えに加わらないのであるが。。。

アメリカのデュポンといえば、超一流の化学会社である。アメリカの代表的株価指標であるダウ工業株30種平均の採用銘柄になんと1935年から入っている。それだけの歴史があるということだ。大学の経営学の授業でコングロマリットを学んだ時には、代表的会社としてデュポンの名前が出ていた記憶がある。そんなデュポン社であるから、一族の御曹司が殺人事件を起こしたというのは、全米ではたいへんな大騒ぎになったであろう。残念ながら自分は全く記憶がない。

ただ、その殺人事件をクローズアップさせるという映画ではない。むしろ、デュポンがつくったレスリングチームである「フォックスキャッチャー」をめぐるデュポンとシュルツ兄弟との葛藤、デュポンと母との葛藤に焦点を当てる。ベネット・ミラー監督は数多くのエピソードを通じて、この4人のキャラクターを浮き彫りにする。余計な説明はすくない。でも映像を通じて何かを我々に感じさせる。実にうまい!それなので、この映画の解釈はいかようにもできてしまうであろう。

1.母とデュポンの葛藤
スティーブカレルはコメディアンとしての彼しか知らないので、この映画での演技の巧さにうなった。デュポンの母親ジャン(ヴァネッサ・レッドグレイヴ)は貴族的趣味であり、馬の育てることしか眼中にない。レスリングに息子がかかわるのが面白くない。ここに一つの葛藤がある。


母親がレスリング場に姿を現すことはめったにない。でも母親が現れると、選手たちを集めて見かけ上のコーチを始める。指導できるはずはないのであろうが、周りも遠慮してデュポンの話に耳を傾ける。母親はじっと見ているだけだ。往年の美人女優ヴァネッサ・レッドグレイヴが大ベテランらしい味を見せる。この親子間の会話は少ないが、異様なものを感じさせる。ミケランジェロ・アントニオーニ監督の「欲望」に映るヴァネッサ・レッドグレイヴの殺人的美貌を脳裏に浮かべながら、じっと見入ってしまう。

2.弟マークとデュポンの葛藤
ロスオリンピックで金メダルを取ったにもかかわらず、生活は不遇だ。デュポンはそんなマークに目をつけ、レスリングチームにスカウトする。収入も多く得られ、抜群の環境で世界大会にも勝つ。その世界大会では、リングサイドに兄デイヴがつきアドバイスを与える。デュポンは何も言わないが、自分がセコンドに立ちたいというのがありありと見える。金銭的に何不自由のないデュポンには異様な嫉妬心のようなものがある。


世界大会で勝ち、正装のパーティにマークを連れて行き、友人のように接してきた。でもそのあとマークが乱れる。練習もきっちりやっていないので、デュポンが不満に思う、そこで兄をフォックスキャッチャーへと誘うのだ。ここで一気にデュポンへの反発心が強くなる。このマークを演じるチャニング・テイタムが抜群の演技を見せる。強い葛藤を演技で見せるのだ。うまい!

3.兄弟の葛藤
弟が最初にフォックスキャッチャーに入り、兄のほうは金銭に関心がなく、家族と幸せに暮らすことだけ考えていた。それでも好条件をデュポンが提示したのか、ソウルオリンピック寸前に兄がフォックスキャッチャーに入ってきた。自分というものがありながら、兄を誘うデュポンへの不満や思い通りにレスリングの実力が発揮できないことへのもどかしさがある。兄が弟の面倒を見ようとすると強烈に反発する。


それでも、ソウルオリンピックの国内予選に出ると1戦目に完敗してしまう。もう後がない。悔しさでホテルの部屋をめちゃくちゃにして、ルームサービスで大量の食事を頼んで食べまくる。そこに兄が現れる。
兄は弟をピンタした後で、勝たせてやると檄を飛ばす。試合まであとわずかしかないのに体重は5kgオーバーだ。強烈なトレーニングで減量をさせる。そこに心配したデュポンが来るが、オレに面倒をみさせろとばかりに懸命に鍛える。兄のカッコよさと弟思いの優しさがにじみ出る。
このシーンが映画の中で一番印象に残る。

4.兄とデュポンの葛藤
金メダリストを御曹司が射殺するという話という基本知識だけはあったが、てっきり弟を殺すのかと途中まで思っていた。
コーチとしても優秀な兄は弟を助けた後、そのままフォックスキャッチャーへ残っていた。兄とデュポンに強い葛藤があったようには見えなかった。それでも、兄が休日の時に、自宅に来て「練習をしていないのか?」と言ったりする。弟が信用できなくなった時と同様に妙に干渉するようになるのだ。統合失調症を発症していたというが、何で殺したんだろう。自分にはなれないものへの嫉妬心があったのであろうか?解釈はいか様にもできてしまう。


それぞれの葛藤をいくつかの逸話を通じて、説明口調でなく客観的な事実を映像で示す。
ホントにしびれるうまさだ。
あとはデイヴィッドボウイの「フェイム」が実に印象的だった。久々に聴いたがこころに強く残る。エンディングロールのピアノの調べも極めて美しい。

(参考作品:ベネットミラー監督)
マネーボール
科学的な野球の勝ち方


カポーティ
フィリップ・シーモア・ホフマンの声が印象的
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映画「アメリカンスナイパー」 クリントイーストウッド&ブラッドリー・クーパー

2015-02-25 20:29:28 | クリントイーストウッド
映画「アメリカンスナイパー」を映画館で見てきました。


クリントイーストウッドの新作なので、当然のように足を運ぶ。アメリカでは3億ドルを超える戦争映画としては史上空前のヒットだという。イラク戦線に従事する射撃の名手の話である。イーストウッドの一連の名作ほど娯楽の要素は少なかった。しかも、この題材は平和ボケしている日本人の感覚ではどうしても理解できない要素があると思う。アメリカで大ヒットするのには、日本と違う背景があるからなのかと感じた。「ミリオンダラーベイビー」の時のようにおっかけリーチでイーストウッドがこの作品を出してきたのでアカデミー賞もひょっとすると!?とも思ったが、別の作品にさらわれた。たしかにいい映画だけど、作品の出来はイーストウッドの他のオスカー受賞作品ほどではない。


イラク戦線で射撃の準備に入っているブラッドリークーパー演じるクリス・カイルをいきなり映す。民間人の母親と子供の2人がおかしな動きをしているのに注目している。どうも武器をもっているようだ。クリスの狙いが定まったところで、主人公の小さい頃の姿を映しだす。そのルーツが彼の人となりを作り上げていて、関心をもってみれた。18kg体重を増やしたブラッドリークーパーがいい俳優に育っているなあと感じた。

米海軍特殊部隊ネイビー・シールズに入隊し、イラク戦争に狙撃手として派遣されたクリス(ブラッドリー・クーパー)。その任務は“どんなに過酷な状況でも仲間を必ず守ること”。狙撃精度の高さで多くの仲間を救ったクリスは “レジェンド”の異名を轟かせるまでになる。しかし、敵の間にもその腕前が知れ渡り、“悪魔”と恐れられるようになった彼の首には18万ドルの賞金が掛けられ、彼自身が標的となってしまう。


一方、家族はクリスの無事を願い続けていた。家族との平穏な生活と、想像を絶する極限状況の戦地。愛する家族を国に残し、終わりのない戦争は幾度となく彼を戦場に向かわせる。過酷なイラク遠征は4度。度重なる戦地への遠征は、クリスの心を序々に蝕んでゆく……。(作品情報より)

1.祖国への思い
戦前の日本は「お国のために」「天皇のために」と小さい頃から教育されていた。いやいやながら戦場に向かった人間も数多かったと思うが、自ら志願した兵隊さんも数多くいただろう。この映画の主人公クリスは心から祖国アメリカのため軍に従事したいと考えている青年である。こんな青年は今の日本にはいないと思う。シールドの厳しい訓練に耐え、最前線に従事する。死と背中合わせである。思わずすげえなあと感じてしまう。


イーストウッドが厭戦的映画としてつくったのにもかかわらず、アメリカでは好戦的な映画と評価する人も多く論戦になっているという。自分からすると、祖国のために自ら進んで兵隊になろうとするその姿が今の日本人からはまったく理解できないと感じてしまう。

2.物語的構造
ノンフィクションでクリスの伝記をもとにしてつくられたのであろうが、イラクの現地に狙撃の名手がいたりして、強力な敵の存在は物語的な要素を強めている。圧倒的に勝ちまくるわけでなく、訓練されつくしているシールズの部隊の身内からも負傷者や死亡者が出ていく。しかも、強い砂嵐のもと、ビルの周囲を現地部隊に囲まれ絶体絶命のピンチ。なかなかスリリングだ。

3.印象に残るシーン
アメリカ軍の味方的な存在だった現地人に夕食に誘われ、シールズ軍の兵士がくつろいでいるときに、クリスが現地人のひじに傷を発見して、こっそりと彼の家の中で武器を探すシーンだ。ヒッチコック的ドキドキ感がなんとも言えずいい感じだ。イラク側の狙撃名手の追いかけ方もうまかった。


最初に狙いを定めた母子はクリスに狙撃されてしまったが、クリスに狙撃された男が持っていた武器を小さい子供がもって射撃しようとしているところをクリスが狙いを定め、武器を捨てろ捨てろと言いながら、子供が武器を置いてその場を離れ、撃てなくてよかったとつぶやくシーンも印象に残る。

先入観なしに映画を見たので、最後の場面は「何これ?」という感じだった。ちょっとビックリだった。
音声のないエンディングロールも印象的。クリスに対しての黙とうをささげた。

(参考作品)
父親たちの星条旗
アメリカ側から見た硫黄島の戦い
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映画「女の園」 高峰秀子&岸恵子&高峰三枝子

2015-02-11 11:24:05 | 映画(日本 昭和34年以前)
映画「女の園」は1954年(昭和29年)の木下恵介監督作品である。


木下恵介監督は同じ昭和29年に名作「二十四の瞳」を監督している。当時のキネマ旬報ベスト10は凄い顔ぶれで、1位が「二十四の瞳」、3位が黒澤明「七人の侍」、5位が溝口健二監督の傑作で長谷川一夫、香川京子の演技が傑出している「近松物語」、6位が成瀬巳喜男監督山村聡主演「山の音」となっている。「女の園」はその時の2位で「七人の侍」よりも上位だ。映画は個人的好き嫌いがあるので、順位をこだわっても仕方ないが、そのくらいに評価されている。

以前見たときには、高峰三枝子のイヤな女寮監ぶりと、姫路城を映す木下恵介らしいショットが強く印象に残っていた。「「良妻賢母育成の女子大学の厳しい規則に反抗する女子大学生と鬼の寮監との葛藤」が映画のテーマである。時代背景を考えると、このころはまだ女子の大学進学率が5%に満たないわけで、男女合わせた高校進学率さえ50%に達しようかという時代である。わずかしかいない女子大生たちの厳しい規則への抵抗それ自体は、特権階級のわがままとしか一般の市民から見れなかっただろう。同じ年の「二十四の瞳」と比較すると一般大衆には支持されなかったんだろうと推測する。


それでも、こうやって見直すと、本当に憎たらしいなあと自分に感じさせる高峰三枝子のうまさが光る。

京都郊外にある正倫女子大学は、校母大友女史(東山千栄子)の奉ずるいわゆる良妻賢母型女子育成を教育の理想とし、徹底した束縛主義で学生たちに臨んでいた。七つの寮に起居する学生たちは、補導監平戸喜平(金子信雄)、寮母五条真弓(高峰三枝子)などのきびしい干渉をうけていた。姫路の瀬戸物屋の娘である新入生の出石芳江(高峰秀子)は、三年程銀行勤めをしたのちに入学したせいか、消燈時間の禁を破ってまで勉強しなければほかの学生たちについて行くことが出来ず、その上、同郷の青年で東京の大学に学ぶ恋人下田参吉(田村高広)との自由な文通も許されぬ寮生活に苦痛を感じていた。


芳江と同室の新入生で敦賀から来ている滝岡富子(岸恵子)はテニスの選手だったが、テニス友達の大学生相良との交際が学校の忌にふれて冬休み前停学処分をうけてしまった。

赤い思想を持つと噂される奈良出身の上級生林野明子(久我美子)は、学校の有力な後援者の子女であるために、学校当局も特別扱いにしていた。冬休中、芳江は厳格な父の眼をくぐって参吉とほんの束の間逢うことができた。が、休みが明け、富子の休み中の行動を五条たちが糾弾したことから、明子を先頭に学生たちの自由を求める声は爆発した。かねて亡妻の面影を芳江に見出して、彼女に関心を抱いていた平戸は、学校側が騒ぎを起した学生たちを罰したとき、芳江だけに特に軽い処置をしたが。。。

1.昭和29年の時代背景
手元のデータを見ると、昭和30年の女子の大学進学率はわずか2.4%である。しかも、高校進学率が昭和25年で42%(女性だけで36%)、昭和34年で55%となっている。高校へ進学することすら半数に至っていない時代だということだ。60年代になると、農村の子供も高校へ行くようになり、70年代になるまでに高校進学率が80%を超えるようになる。そんな時代よりもずいぶんと前だ。映画を見る大部分の人たちからは羨望のまなざしで彼女たちが見られていたはずだ。

夜間の門限が厳しいばかりでなく、男性からの手紙ですら封を開けられてしまうのだ。いくらなんでも憲法の信書の秘密に抵触すると思ってしまうが、それで通じてしまう。そんな時代だったのである。ただ、こういう厳しい規則で縛られるというのはわかって入学したはずだ。この当時に大学いける家はそれなりに財産のあった家だろうから、選択は1つでなかったはずだろう。あくまで自己責任と自分は思ってしまう。

2.高峰三枝子
この映画のあと22年後に横溝正史原作市川崑監督「犬神家の一族」高峰三枝子が出演し、重要な役柄を演じている。自分はこの映画は良くできた映画だと思っているが、それも高峰の名演によるものが大きいと感じる。「女の園」も同様だ。本当にイヤな女である。そのイヤな女ぶりを木下恵介は何度もアップで、その表情を映す。悪だくみを考えているなと思わせるわずかな表情の変化も見逃さない。


同じ1954年のアカデミー賞はエリアカザン監督「波止場」である。この映画では、主演のマーロンブランドの表情をアップで何度も追う。おそらくは顔のアップを活用するのがトレンドだった時代だったのかもしれない。

イヤな女だけど、考えようによっては職務に忠実な女性とも解せる。厳しい規則で良妻賢母を育成するための大学ということをわかって入学してきた女子大生を、期待に反せずきっちり教育するわけだから、反抗する女子学生の方が悪いと考えてもおかしくない。一緒に学校運営の幹部を演じるのが、なんと金子信雄である。これにはビックリだ。「仁義なき戦い」の組長役時代の面影が全くない。知って思わずふきだした。


3.高峰秀子
この映画のクレジットトップは両高峰の2人だ。姫路の瀬戸物屋の娘で、銀行に3年勤めた後に親からの結婚話を断ってむりやり女子大に入ったという設定である。当時30歳の高峰がこの役を演じるのは無理があるけど、仕方ないだろう。「二十四の瞳」の方が適役というのは言うまでもない。同郷の青年を演じる田村高広「二十四の瞳」では教え子である。1年でこういう共演を2回してしまうなんて、今となってみれば、すごい話である。

この2人が大学について語る場面がある。その時のバックの天気はどんよりとしている。逆に姫路城で2人が映る時は快晴である。これは木下恵介の意図的なものを感じる。子役で木下監督の作品に出ていた方を知っている。その人によると、木下監督は天気が思い通りになるまで撮影を開始しなかったという。「カルメン故郷に帰る」など他のいくつかの映画でも感じることであるが、撮影の設定条件にはものすごくこだわっている印象を受ける。姫路城のロケ映像は貴重なものだと思う。

他の学生よりも、勉学に熱心である。若干遅れているから懸命に勉強する設定になっている。それにしても、数学の教科書をあけて悪戦苦闘しているが、どうみても理系の大学に見えないけど、数学やるかなあ?アカの巣京都じゃ数学を使う近代経済学もやっていなかっただろうしね。あと、最後の自殺ってどうも不自然な感じがぬぐえない。当時の人はどう感じたのであろうか?天皇陛下のため自ら命を絶つ人がいた時期からそんなにたっていないから、この自殺も不自然でなかったのかなあ??


4.岸恵子
この出演者で現代に通じる女子学生の顔をしているのは岸恵子くらいだ。主力3人ともう1人山本和子を除くと、女子学生の大多数が醜いと言ってもおかしくないくらいだ。実際に大学教育を受けるという人たちがわずかしかいないわけなんだから、その他大勢で映る女子学生の顔がどっかの工場の女工のようでドンくさくても仕方ない。61年たった今と比較すると違うもんだなあと感じる。

敦賀出身でテニスの選手という設定だ。プレイがいくつか映るが、ひどいもんだ。テニスコートの恋で名高い美智子皇后陛下はどの程度の腕前だったのであろうか?それでも彼女の洋装のあでやかさは際立っている。昭和29年の日本映画興行収入1位は前年に引き続き「君の名は・第3部」である。3位の「七人の侍」5位の「二十四の瞳」を上回る。当時の岸恵子の人気絶頂ぶりがよくわかる。

5.久我美子
溝口健二の作品で田中絹代主演「噂の女」がある。ここでの久我は現代的な雰囲気を醸し出してよかった。血統からいうと東山千栄子と同じくらい上流の出身だけど、ここではそんなによく見えない。アップで彼女の顔をくっきり映し出すが、アップに耐えられるような美貌ではない。社会主義思想に染まっているという設定だけど、はしかの様なものだ。お嬢さんの方が、アカ思想を唱えている男にひかれるなんて話はよく聞く。この映画で1つ好感が持てるのは妙に観念的なセリフを登場人物にしゃべらせていないこと。頭で整理できていないようなわけのわからないセリフをしゃべらせる映画はよくあるが、最悪だ。


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映画「ジゴロ・イン・ニューヨーク」 ジョン・タトゥーロ&ウディアレン

2015-02-08 07:17:47 | 映画(洋画 2013年以降主演男性)
映画「ジゴロ・イン・ニューヨーク」は名脇役ジョン・タトゥーロ監督による2014年の作品


ウディアレンの映画は欠かさず見るようにしている。タイミングが悪くいけなかったが、ジョン・タトゥーロ監督の作品とはいえ気になっていた。
失業した本屋の元店主と花屋でバイトする男が、ひょんなことからジゴロ稼業を始めるという話だ。ストーリー的にはどうってことないが、ニューヨークブルックリンを映す映像が色鮮やかで、アレンの映画を思わせるセンスの良い音楽が心地良い。ウディアレンもいつも通りに早口でしゃべりまくる。個性的な美女が2人をとりまくパターンまで同じで、注釈を聞かなければ、アレンの映画だと誰しもが思うだろう。傑作とまでは思わないが、気分よく映画を見れた。

ニューヨーク・ブルックリンで祖父の代から続く本屋をたたむことになったマレー(ウディ・アレン)は、友人のフィオラヴァンテ(ジョン・タトゥーロ)相手にボヤいていた。妻は働いているが、4人の子供を抱えて失業したマレーは、かかりつけの皮膚科の女医パーカー(シャロン・ストーン)からレズビアンのパートナーとのプレイに男を入れたいと相談を受け、1000ドルで紹介すると持ちかける。マレーは、定職に就かず、数日前から花屋でバイトを始めたフィオラヴァンテをおだて、ジゴロデビューさせる。


パーカーと2人だけのお試しから戻った彼は、500ドルのチップまで持ち帰ってきた。ポン引きの才能を発揮したマレーは軽快な営業トークで客層を広げ、フィオラヴァンテは女性の気持ちを理解すると言う隠れた才能で女性を惹きつけていく。

マレーは、彼と違って厳格なユダヤ教宗派の高名なラビの未亡人アヴィガル(ヴァネッサ・パラディ)に熱心な営業をしていた。若く美しい彼女がずっと喪に服しているのを見たマレーは、フィオラヴァンテの“セラピー”を受けるよう説得する。フィオラヴァンテのアパートで背中をマッサージされたアヴィガルは涙を流し、その理由を聞いたフィオラヴァンテは心を揺さぶられる。そして2人は、普通の恋人同士のようにデートするようになる。


しかし2人の恋は、ジゴロにとってはご法度、ユダヤ教徒にとっては禁忌だった。アヴィガルに想いを寄せる幼馴染のドヴィ(リーヴ・シュレイバー)の告発により、ユダヤ法の審議会にかけられるマレー。ポン引きの罪は石打ちの刑だという、まるで中世のような裁判だった。そのころ、フィオラヴァンテも自分の恋のせいで窮地に陥っていた……。(作品情報より)

ジゴロ役で役得だなと思わせる部分もあるが、ウディ演じるマレーが取り分の4割をもっていってしまうのでなんかズルイなあといった感じだ。最初は夜の腰の動きは好調そのもので、「顧客満足度」も高かったが、恋をするにつれ役に立たなくなってしまう。それでは顧客はとれない。

1.シャロン・ストーン
ニューヨークのセレブ医師の役だ。まさに適役である。レズビアンの彼女がいるのに、お金は山ほど持っているから男を含めて3pで遊びたいという願望をもつ。もう50代半ばを過ぎたのに、現役の「女」を演じられるのが凄い。「氷の微笑」での強烈な印象は20年以上たってしまった今でも脳裏に残る。久々に見てみたくなってしまった。少し股を広げ気味にソファに座る姿はあの映画のオマージュか?


2.ソフィア・ベルガラ
シャロンストーンのレズのお相手である。この女もすごい。「マチェーテ・キルズ」でのSM女王のようなふるまいには目がくぎづけになった。「蜘蛛女」のレナオリンを思わせる怪演だ。


ジョン・タトゥーロ演じるフィオラヴァンテときっちり向かい合い、そしてダンスする場面がある。この感じがいい。


3.ヴァネッサ・パラディ
割と濃い目の2人と対照的な存在だ。英語を話す映画は初めてだという。ウブな感じをあえて醸し出してコントラストをだした。
ガッツルの肉料理のあとで、薄い味付けの料理を食べるようなイメージだけど、主人公は一気に狂ってしまう。



4.ウディアレン
機関銃のようなトークはいつも通り。最近は年をとり、自ら出演するパターンが減ってきているが、「ローマにアモーレ」に次ぐ出演だ。自分がでない時でも自分の代わりにアレン調に話をさせる誰かを出演させているが、今回はしゃべりまくってすっきりしただろう。160cmと言われる彼からみると、2人の悪女風の女は好みなんじゃないかな?と思いつつ見ていた。

(参考作品)

ローマでアモーレ
ウディ風ローマでの恋模様


氷の微笑
シャロンストーンの奔放な姿


マチェーテ・キルズ
ソフィア・ベルガラのおっぱい機関銃に注目

映画「2つ目の窓」河瀬直美

2015-02-06 22:23:17 | 映画(日本 2015年以降)
映画「2つ目の窓」は2014年公開の河瀬直美監督の作品


河瀬直美監督がカンヌ国際映画祭にこの作品で出品したことは知っていたが、好きな監督ではないのでスル―していた。でもそれは正解だった。話としては、奄美大島を舞台にした高校生の男女の恋とその家族の物語だけど、性に合わない。高校生の2人を映す映像はきれいだし、少年のウブな感じや日に焼けた高校生の少女の年相応の美しさには魅かれるけど、それだけの作品だと思った。この映画妙な長まわしが多く、リズムが最悪に悪い。


奄美大島の16歳の少年・界人(村上虹郎)は、満月の月明かりの下で海に浮かぶ溺死体を見つける。その界人の様子を、同級生の杏子(吉永淳)が見ていた。杏子の母・イサ(松田美由紀)は、島の人の相談を受けるユタ神様として人々から慕われている。しかし、イサは大病を患っており、医師に余命を告げられる。「神様も死ぬんだね」と、杏子は行き場のない想いを界人にぶつける。界人は「神様は死なないよ」と、ふたりはただ寄り添う。


一方、母・岬(渡辺真起子)の女としての側面をけげんに思う界人は、母と離婚して東京で暮らす父・篤(村上淳)に会いに行く。しかし、父子の時間を過ごして東京から帰ってくると、母親は失踪している。。

情景は美しい。そのもとで裸で泳ぐ吉永淳にはその昔、南沙織がデビューした当時のようなエキゾティックな魅力がある。制服を着て海中を潜水するシーンは実に美しく。2人で一緒に自転車に相乗りする姿はこちらがうらやましくなってしまう。でもそれだけなんだなあ。奄美の独特の風俗も取り入れているけど、山羊の血をとる場面は見ていて不愉快だし、名優常田富士男の良さが発揮されているとも思えない。


新聞がカンヌ映画祭で惜しくも受賞を逃したなんてコメントを書いているので少しは期待してみたけど、このレベルで勝てると思ったのか?不思議で仕方ない。これ以上コメントするに至らないつまらない作品だ。

映画「コフィー」 パム・グリア

2015-02-04 17:23:21 | 映画(洋画 89年以前)
映画「コフィー」は1973年のエロティックブラックムービーだ。


クエンティン・タランティーノが映画「ジャッキーブラウン」に、たってのお願いで主演をやってもらった女優がいる。パム・グリアだ。彼女を起用したのはタランティーノがパムグリア主演の映画「コフィー」の大ファンだからである。タランティーノは彼自身のオールタイムベスト10の中にも「続夕陽のガンマン」や「タクシードライバー」と並んで「コフィー」を入れている。「コフィー」は「黒いジャガー」「スーパーフライ」といったブラックムービーの中でもカルト映画として名高い。いかにも70年代初頭のエロティックB級映画の匂いがなんとも言えずしびれる。


妹を麻薬漬けにしたマフィアたちにエロ仕掛けで迫って復讐するといったストーリーだけど、そんなことはどうでもいい。「ジャッキーブラウン」で主役を張った時はさすがに48歳でヌード全開というわけにはいかなかったが、相応の色気を振りまいていた。この映画の公開の時はまだ24歳、乳輪が大きいスーパーボディを惜しげもなく披露している。映画人にはタランティーノだけでなくジョンカーペンターやティムバートンなどパムグリアのファンが多い。その昔さんざん「お世話」になったからであろう。


主人公コフィー(パムグリア)は看護婦、麻薬中毒で廃人同様になっている妹の復讐をするために、元恋人の警官カーターにも相談するが、うまくいかない。そこでジャマイカ出身の高級娼婦ミスティークと称して、麻薬組織へ色仕掛けで侵入しようとする。売春組織の親玉で麻薬ディーラーでもあるキングジョージやイタリア系マフィアのところへも近づいていく。

70年代前半というのはエロ路線への解放のような時代だった。アメリカにならって、日本でも、にっかつポルノがはじまり、東映もお色気路線の映画を撮るようになった。東京12chの「プレイガール」という番組では、女性にお色気アクションをさせていた。テレビを見ている少年時代の自分は親の手前目のやり場に困った。家の中が沈黙になる瞬間だった。

だいたい悪に立ち向かう女性がお色気じみた接近をして、最終始末するというパターンはどれも同じだ。



1.ブラックムービーとソウルファンク
マイルスデイヴィス「インナ・サイレントウェイ」「ビッチャズブリュー」とロックとの融合路線をとったのが70年代になろうとした頃で、このころマイルスはジミーヘンドリックスやスライ・ストーンとの共演を真剣に考えていた。結局実現せずに、72年に「オン・ザ・コーナー」というソウルファンクともいえるアルバムを出している。このアルバムは明らかにスライの匂いがする。ジャズとロックの境界線が急激に緩んだときに、マイルスの子分ハービーハンコックが「ヘッドハンターズ」というアルバムを出したのは、この映画が公開した73年である。ジャズとロックの融合音楽はまだ「クロスオーバー」とか「フュージョン」と呼ばれるようにはなってはいない。この映画の基調のリズムはエレクトリックピアノ主導の当時でいう「ジャズロック」だ。

ここではロイ・エアーズというヴァイブ奏者が音楽を担当している。71年のアイザックヘイズの全米ヒットチャート1位「黒いジャガーのテーマ」や翌年のカーティス・メインフィールド「スーパーフライ」のようなソウルフルな匂いもさせる曲も流れる。エレクトリックピアノのテンポもよく、いずれもごきげんになる。70年代前半は週ごとの全米ヒットチャート1位には白人、黒人交互になるケースが多かった。この映画でもコフィーが白人の娼婦たち数人と裸になって喧嘩する場面がある。今と比べれば、まだまだ人種の垣根が高い時期だったのだろう。

2.パムグリアのスーパーボディ
これはビックリだ!こんなにすごいものが隠されているとは思わなかった。最初麻薬組織の男を誘惑した時に、ほんの少しだけ見せるだけなのが、徐々にエスカレートしていく。見ている男性の興奮度を徐々に上げようとする。銀幕の前で彼女のボディを全部見せた時の衝撃はアメリカの映画館でもすごかったであろう。
映画人に愛される存在といわれるが、あくまでこのセクシーボディのおかげでしょう。演技はドタバタなんだけど、女同士喧嘩をする場面では割とマジに、相手の顔面にサラダをぶつけたり、投げ飛ばしたりして大活躍だ。そういえば、東映のお色気路線でも池玲子に同じようなことさせていたっけ。彼女もパムグリアと同じようなバストトップだったなあ。


評価はまちまちだけど、ロバートデニーロ、サミュエルジャクソン、マイケルキートンを相手に「ジャッキーブラウン」で主役を張っている。この映画でのお色気もなかなかいい。これが↓その時の姿だ。


男性陣は完全におまけのようなものだけど、懐かしい襟がバカでかいソウルフルなスーツ姿の連中がおおい。映画のテンポは現在のものと比べれば、古さを感じさせるけど、ファンクミュージックの軽快な音楽とパムグリアのセクシーぶりにノリノリになれた一作だった。

(参考作品)
ジャッキー・ブラウン


コフィ
パムグリアの爆乳に真青

映画「友よ、さらばと言おう」

2015-02-02 05:34:35 | 映画(フランス映画 )
映画「友よ、さらばと言おう」は2014年公開のフランスアクション映画だ。


森田健作の歌を思わせる題名がちょっとどうか?という感じだけど、近年のフランスアクション映画には豪快な映画も多い。
この映画は離婚後別々に暮らす10歳の息子がマフィアの殺人現場を見かけて追われるのを元警官の父親が救おうとする話だ。公安系の仕事をした人間がそこを辞めた後、事件に遭遇するというパターンは多い。先日見た「薄氷の殺人」も離婚した元刑事が主人公だった。元CIAなんてパターンはくさるほどある。言うならば、既視感のある話だ。それでも、余計なセリフを少なくして、映像でアクションを見せる映画の作りこみの姿勢には好感を持った。


敏腕刑事シモン(バンサン・ランドン)とフランク(ジル・ルルーシュ)は、南フランスのトゥーロン警察で長年コンビを組んできた。ところが、シモンが飲酒運転で人身事故を起こし、刑務所に送られた。6年後、刑期を終えたシモンは警備会社に勤めるも、妻とは離婚して落ちぶれていた。
そんなある日、シモンの最愛の息子が、偶然にもマフィアの殺し現場を目撃してしまう。


それは、フランクも担当している壮大なマフィア抗争の一味によるものだった。息子はその場は懸命に逃げたが、目撃者を消すため、息子が狙われた。それを知ったシモンは、自ら守ろうとする。フランクはかつての相棒を気づかい協力するのであるが。。。

1.物語の原則
漫画原作者でありオタク評論家の大塚英志がいう「物語の原則」にまさにあてはまるオーソドックスなストーリーだ。
1.何かが欠けている。(事故を起こして刑務所に入り、やむなく妻と息子と別れている)
2.課題が示される。(息子がマフィアに追われていることがわかり、守らなければならない。)
3.課題の解決(波状攻撃で息子を狙うマフィアを警察官の同僚だったフランクとともに守る)
4.欠けていたものが元に戻る。(まさにこの通り)

「欠けている」→「それを回復する」は物語の根源リズムだ。単純だ。主人公には援護者がでてくるが、これも法則通り。こんな感じで物語はいくらでも量産できると言える教科書のようだ。

2.巧みなアクションシーン
フレッド・カバイエ監督「すべては彼女のために」という映画を作っている。これはなかなかよくできた映画だった。アクション場面の躍動感を期待していたけど裏切っていなかった。フランス新幹線(TGV)内外でのアクションもすごいけど、序盤戦に何度かある子供とマフィアの追っかけっこもスリルある。


活劇のようなリズムは現代フランスアクション映画にはありがちでそれがいい。セリフが少ないのもいい。