映画とライフデザイン

大好きな映画の感想、おいしい食べ物、本の話、素敵な街で感じたことなどつれづれなるままに歩きます。

映画「哀れなるものたち」エマ・ストーン

2024-01-28 17:42:16 | 映画(洋画:2019年以降主演女性)
映画「哀れなるものたち」を映画館で観てきました。


映画「哀れなるものたち」はエマ・ストーン主演の新作で、すでにベネツィア映画祭で金獅子賞ゴールデングローブ賞主演女優賞を受賞している。前評判が高い。でも予告編で観るとSF映画的な雰囲気を感じる。エマ・ストーンの顔はいつものような端正な顔ではない。どうしたんだろう?監督は「女王陛下のお気に入り」エマ・ストーンと組んだヨルゴス・ランティモスだ。エマ・ストーンはプロデューサーも兼ねている。ネット予約しようとしたら18歳以上ですか?と確認してきて驚く。

ロンドンの天才科学者ゴドウィン(ウィレムデフォー)が、川に転落して自殺を図った女性を解剖してベラ(エマ・ストーン)として蘇生させる。懐妊していたベラのお腹の中にいた胎児の脳をベラの脳に移植するのだ。ゴドウィンは弟子マックス(ラミーユセフ)とともに、大人の身体をして知恵遅れの脳を持ったベラをゴドウィンの家から外へ出さずに育てていく。

やがて言葉を徐々に覚えて性的にも目覚めたベラを弁護士のダンカン(マークラファロ)が外の世界に誘い出す。豪華客船に乗りこみリスボンからヨーロッパ縦断の旅に出る。ベラは様々な人々と出会い,世間の矛盾に関心を持つようになる。


映画としての完成度の高い作品である。
エマストーンに圧倒され続けると同時にウィレムデフォーの科学者が老練でうまい。セット中心の美術,的確な編集,ゴージャスな衣装その他すべてでレベルの高さに感嘆する。予算の少ない貧弱な日本映画を見慣れているのでなおさらだ。過去がカラーで現在がモノクロかと思いきや、旅に出てもカラーで美術の素晴らしさを引き立てる。魚眼レンズを使ったかのようなカメラアングルも特筆すべきところだ。感動するというよりも、映画表現の上限に挑戦している作品と感じる。

18禁の作品なのでそれなりのエロチックなシーンは予測されたがここまでやるとは驚き。主演のエマ・ストーンの脱ぎっぷりは想像以上だ。性的な目覚めとしてのオナニーシーンから始まって,騎乗位の激しいファックシーンと続き、パリの娼館で娼婦になってしまうエマ・ストーンが大胆だ。賞狙いに徹しているふんばりとしか思えない。「女王陛下のお気に入り」エマ・ストーンは気前よくバストトップを披露してその時も驚いた。そこで組んでいるヨルゴス・ランティモス監督を全面的に信頼しているのがよくわかる。


20世紀前半の風景と近未来の風景が混在しているようなリスボンのシーンはどうやって撮ったんだろうと映画を見ながら思っていた。セットと確認してリアル度はすごいなと思う。豪華客船の船内風景やアレクサンドリアでの背景についても美術のレベルが高い。


また,パリの娼館もゴージャスだ。今年に入って「ラメゾン 小説家と娼婦」で 小説家がパリの娼館で実体験する内容の映画を見たばかりである。妙なアナロジーだ。映画1本で映しだす娼館に来る客とのやりとりを,ここではエマ・ストーンが客とこなす数多くのシーンを短時間で簡潔にまとめる。オスカー女優がやるようなシーンではない。そう思いながらエマストーンの頑張りには呆れる位だ。

エマ・ストーンの演技と美術に圧倒された欧州への旅の後にロンドンに戻った後のストーリー展開も軽いどんでん返しがある。なかなか味があって楽しい。


この作品でエマ・ストーンアカデミー賞主演女優賞にもノミネートされている。前回受賞した「ラ・ラ・ランド」と比較すると今回の方が難易度の高い役柄だ。昨年末見た同じくノミネートされているキャリー・マリガン「マエストロ」ブラッドリー・クーパーとのやりとりが超絶技巧の演技で素晴らしかった。ただここでのエマ・ストーンのがんばりにはかなわないかもしれない。
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映画「海街奇譚」

2024-01-26 18:43:58 | 映画(アジア)
映画「海街奇譚」を映画館で観てきました。


映画「海街奇譚」は2019年の中国映画で、その年のモスクワ映画祭に出品して審査員賞を受賞している。その時の審査員長は韓国の故キムギドク監督というのが気になる。予告編に流れるムードがなんか怪しい雰囲気だ。先日観た「緑の夜」で韓国のあやしい夜を味わったばかりで、今回も同じような期待をもつ。

妻を探しに離島へ行った俳優の男(チュー・ホンギャン)は、現地のホテルの女やダンスホールの女(シューアンリン)などと出会って奇妙な感触を覚える。加えて現地の町民たちは海難事故で次々と行方不明になるのに戸惑い落ち着かない生活をおくる。


映像表現は巧みだが、訳がわからない映画だ。
大画面に映る海辺のさみしい町のホテルやこの町で唯一ネオンが輝くダンスホールの映像は趣きあるし、撮影も巧みだ。原題にあるカブトガニやタコなどの「海洋動物」とそれぞれのパフォーマンスを繋げようとしている。

ダンスホールの美人マスターと似たような女が次々と出てくる。それぞれの顔が似ているので、アタマが混乱する。すると、主人公が元妻とやりとりする映像に似たような女が出てくる。美形のシューアンリンが一人で色んな役をやっていることに途中で気づく。


映画祭に出品している中国映画を見るとあえてセリフで語らず、映像で見せる映画が多い。映像理論の基本としてそれで良いかもしれない。ただ,あまりに説明がなさすぎて訳が分からなくなることも多い。この映画も同様だ。

幻想的と言えば「マルホランドドライブ」などのデイヴィッドリンチ作品もある。ただ、まぼろしと回想と真実の交差が中途半端で、リンチのレベルはほど遠い。よくわからないまま進む尻切れトンボの印象を受けた。「緑の夜」ほどにはあやしいアジアの夜の雰囲気は感じない。コロナを挟んだのはわかるけど、5年もたって劇場公開なのは新作不足ということ?


現代中国映画を観ると、日本の1980年代前後のディスコを彷彿させるダンスフロアの映像が出てくることが多い。曲のタッチも昭和のディスコを思わせる曲だ。離島のディスコといえば、ひと昔前の夏の伊豆七島には即席ディスコがたくさんあった。その頃を思い出す。
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映画「小説家との旅路」 マイケルケイン

2024-01-24 17:43:14 | 映画(洋画:2019年以降主演男性)
映画「小説家との旅路」(原題Best Sellers)は2021年製作の日本未公開のカナダ映画である。


以前はTSUTAYAのDVDコーナーに日本未公開の掘り出し物がいくつかあった。近所のTSUTAYAが潰れ、めっきりそういう作品を見なくなった。今回Netflixの一覧画面を見ているときにマイケル・ケインの主演作品「小説家との旅路」を見つけた。こんなの見たことないやと思い,やはり日本未公開だった。本がテーマなのでなんとなく話に乗れそうな感じを覚えたので見てみる。いい感じだった。カナダ人女性リナロースラーが監督で、復活したベストセラー作家マイケル・ケインが演じ,出版社の女性社長をオーブリー・プラザが演じる。

親が経営していた出版社を引き継いだルーシー社長(オーブリープラザ)は,経営難を打開しようと父と組んでいたベストセラー作家ハリスショー(マイケルケイン)の小説を出版する。そして,本を売り込むためにトークショーなどで地方をまわるブックツアーに出る。ところが、人嫌いのハリスは方々で突飛な行動を起こしルーシーを戸惑わせる。

ハートウォーミングなロードムービーだ。
掘り出し物のヒューマンドラマである。
恥ずかしながら「ブックツアー」と言う言葉を初めて知った。日本でも出版記念でサイン会を書店で著者が行うことがある。「ブックツアー」は地方のどさ回りをして著者自らプレゼンテーションするプロモーションを行う意味だ。海の向こうではごく普通に行われている作家の仕事のようだ。


まさに偏屈な老人の典型のようなハリスは、奇怪な行動をとる。酒のボトルが離せない。ルーシー社長も酒でハリスを釣ってブックツアーにでる。ハリスは出版レセプションでNYタイムズの書評家を脅したり、自分の本に放尿したりメチャクチャだ。抑えるルーシー社長が大慌てだ。でも突拍子もない振る舞いがSNSで評判になり本は売れる。公開当時は88歳だったマイケルケインが,オーブリープラザと絶妙なコンビを組んでいる。

残念ながらマイケルケインは直近に俳優業からの引退を発表した。助演男優賞で2度アカデミー賞をとっている名優だ。「アルフィー」「ミニミニ大作戦」の主演作は1960年代だ。戯曲の映画化「リタと大学教授」も印象に残る。直近では「サイダーハウスルール」バットマンの執事のイメージが強い。年齢からしたら引退は仕方ないと思うがクリントイーストウッドやウディ・アレンなど映画界には長寿な人たちがずいぶん目立つものだ。

マイケルケインと一緒にブックツアーに出るオーブリープラザもベテラン相手に一歩も引かず良かった。ラブコメの人気女優もドタバタに付き合わされたいへんだったが、終わり方は悪くない。一方で年老いたマイケルケインも自分の年齢の半分以下の若い女優や女性監督を相手にボケたふりをしながら楽しんでいるように見える。
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映画「緑の夜」 ファン・ビンビン&イ・ジュヨン

2024-01-22 19:38:02 | 映画(アジア)
映画「緑の夜」を映画館で観てきました。


映画「緑の夜」は韓国を舞台にした香港映画。脱税で摘発された中国の美人女優ファンビンビンの復帰作だ。「ベイビーブローカー」では刑事役で、「野球少女」では主役を張った韓国女優イ・ジュヨンの共演だ。予告編を観て、緑の髪のイジュヨンの雰囲気があやしいのが気になる。中国の女性監督ハン・シュアイの脚本監督作品だ。

中国から韓国に渡り仁川空港の保安検査員をやっているジン(ファン・ビンビン)が緑色の髪の女(イ・ジュヨン)を検査している。靴に探知器反応があり、摘発しようとするが、女は渡航をやめる。ところが、空港の外で緑の髪の女が再度接近してくる。ジンは配偶者ビザで韓国にきたが、今のままだと居られない。緑の髪の女は運び屋だ。気がつくと、2人は夜を一緒に彷徨うことになる。


怪しいムードがずっとただよう。
アジアの妖しい夜を体感した経験のある人にとっては、このムードに浸ると一種の快感を覚えるのではないか。

ストーリーはあるにはあるが、尋常じゃない2人と裏稼業の連中とが関わる妙な話が続く。ファンビンビン演じる中国人女性も、訳ありで韓国に来ている。韓国人の夫は強烈なDVだ。その男に暴力を振るわれながら仕方なく暮らす。永住権ビザを得るには3500万ウォン必要だ。イジュヨン演じる韓国人運び屋もまともじゃない。彼氏が元締めのようだ。そんな2人が彷徨う夜の韓国はあやしいムード満載だ。ボーリング場まであやしく見える。絶対こんなところ行きたくないと思うようなエリアを映し出す。

保安検査員の上司が、運び屋と通じていたり、警察沙汰の事件が何もなかったように処理されるシーンがある。この辺りは韓国の裏社会の世界に通じるのであろう。


映画を観ているときに,連想した作品は「薄氷の殺人」「鵞鳥湖の夜」やジャジャンクー監督の「罪の手ざわり」などの中国の怪しい夜の雰囲気である。映画が終わって解説を見て中国人女性監督の監督脚本と知り、しかも香港製作だという。なるほどと思った。中国に行くと、街を軽く外れると真っ暗な夜に遭遇する時がある。そんな雰囲気をこの映画で体感した。この感覚は映画館でないと得られない。手持ちカメラと普通のカメラを巧みに使い分けたカメラワークも良かった。

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映画「僕らの世界が交わるまで」 ジェシーアイゼンバーグ&ジュリアンムーア

2024-01-21 19:55:22 | 映画(洋画:2019年以降主演女性)
映画「僕らの世界が交わるまで」を映画館で観てきました。


映画「僕らの世界が交わるまで」は俳優ジェシー・アイゼンバーグの初監督作品である。ジェシー・アイゼンバーグというと、出世作「ソーシャルネットワーク」の早口言葉が記憶に残る。今回はちょっとおせっかいな母と息子にスポットをあてる。世間でリベラルと言われるような人物を登場させる。

DV被害に遭った人々のためのシェルターを運営する母・エヴリン(ジュリアン・ムーア)と、ネットのライブ配信で人気の高校生ジギー(フィン・ウォルフハード)。社会奉仕に身を捧げる母親と、能天気に自分のフォロワーのことしか頭にない息子は、お互いわかりあえない状態だ。

DV被害を受けシェルターにかくまった母親と17歳の高校生がいる。エヴリンは気の優しい少年が気に入り、奨学金を得て大学で福祉を学ぶことを熱心に勧める。でも、少年は父親と同じ自動車修理工を目指しているのでいい迷惑だった。


エヴリンの息子ジギーは音楽活動でSNSのフォロワーを増して投げ銭をもらうことしか考えていない。好きな同級生の女子生徒は政治問題や環境問題に関心を持っていた。でも、ジギーに知識がなく話題にはついていけない。彼女の気を引こうと集会を訪れたり、政治ネタを仕込もうとする。加えて、彼女の作った詩に曲をつけて自分のSNSで歌って,課金をもらう。これでカネを稼ぐという感覚がリベラルなませた女子高生にはガマンならない。余計なことするなというわけだ。


良かれと思って相手にしてあげることが,受ける当人にとってはおせっかいだと言う話

感動するとか心に残るといった話ではない。宣伝文句にあるような共感するといった気持ちには全くなれない。アイゼンバーグがこういった2人を取り上げるのは,現代アメリカ社会にこういったすれ違いがあるからなのであろうか?

エヴリンに熱心に福祉系の大学進学を勧められた少年が,「もし大学に行かなかったら自分はこのシェルターを出て行かなければならないのでしょうか」と言うセリフが印象に残る。そんな悩みをしなければいけない少年がかわいそう


自分も初老の域に入ったので,周囲からおせっかいな勧めごとをされる事はなくなったが,若い頃は目上の人から無理矢理こうした方がいいよとおせっかいをされた経験はある。死んだ自分の母親もジュリアンムーアのようにでしゃばりでおせっかいな女だった。さぞかしイヤな思いをした人もいるのではとこの映画を観て感じる。

先日大学のOB会があり,現役の大学生たちとも懇談した。若い人から元気をいただいた。ついつい余計なお世話にもつながるアドバイスをしてしまうことがある。相手にとってはいい迷惑なんだろうなと考えずに,何か言ってしまうのはやっぱりだめだな。自分自身への戒めのような映画だ。
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映画「サンセバスチャンへ、ようこそ」 ウディアレン

2024-01-21 11:14:26 | 映画(洋画:2019年以降主演男性)
映画「サンセバスチャンへようこそ」を映画館で観てきました。


映画「サン・セバスチャンへ、ようこそ」は久々日本公開のウディ・アレン監督脚本のコメディ作品である。いろんな問題で干されているウディ・アレンだけれども,自分は大好きだ。新作をずっと心待ちにしていた。今回の舞台はスペイン,アメリカから映画祭に来ている映画の元大学教授が主人公だ。主演のウォーレスショーンは初期のウディ・アレン作品から出演している名脇役だ。自分にはルイマル監督「my dinner with Andre」の主演としての印象が強い。ここではウディアレン監督の分身のような存在だ。フランス,スペイン,ドイツの名俳優たちが脇を固める。

かつて大学で映画を教えていたモート・リフキン(ウォーレス・ショーン)は、今は人生初の小説の執筆に取り組んでいる。映画の広報の妻スー(ジーナ・ガーション)に同行し、サン・セバスチャン映画祭に参加。スーとフランス人監督フィリップ(ルイ・ガレル)の浮気を疑うモートはストレスに苛まれ診療所に赴くはめに。そこで人柄も容姿も魅力的な医師ジョー(エレナ・アナヤ)とめぐり合い、浮気癖のある芸術家の夫(セルジ・ロペス)との結婚生活に悩む彼女への恋心を抱き始めるが…。(作品情報引用)


久々ウディ・アレン作品に出会えてうれしい。
例によってウディ・アレン監督自らの分身とも言える男に独白させるシーンが多く,独りよがりなテイストが強い。その分身は映画祭に来ても現代の映画にはなじめない。妻の浮気を疑って悶々とする一方で診察を受けた女医に心をときめかして近づく。分身の主人公と一般人のセリフがかみ合わないのもいつも通りだ。ただ、ウディ・アレン作品らしくて良い。

それにしても,バックに映るサンセバスチャンの街の美しさに驚く。尋常じゃない。海辺の街並みが色鮮やかだ。デイヴィッドリーン監督の「旅情」のように観光案内的にバックの風景にこだわって映像コンテを作る。つい先日ブログアップした「ミツバチと私」も同じスペインのバスク地方が舞台だった。この映画は海辺が中心で、「ミツバチ」がの方だ。映画はいいね。簡単にはいけない所に連れて行ってくれる。

主人公の妻役のジーナ・ガーションはかつてポールヴァーホーヴェン「ショーガール」やウォシャウスキー姉妹「バウンド」のようなエロチックなテイストを持つ作品で存在感を示した。今でもフェロモンムンムンでボリュームたっぷりだ。浮気性の奥さんはフランスの人気俳優ルイガレルが演じる若き映画監督と逢引きをする。夫に関係を問われて、最初は「何もない」と言ったのに、「実は1回、いや2回」と思わず言ってしまうのが笑える。



診療所の魅力的な女医を演じるエレナ・アナヤはペドロアルモドバルの「私が生きる肌」「トークトゥハー」で主演を張った。解説を見るまでまったく気づかなかった。主人公はぞっこんになり、病気でもないのに仮病を使って強引に近づく。夫の浮気にわめき散らすシーンでは荒っぽいスペイン語だ。ペドロアルモドバルの映画を観てからずいぶん経つが、エレナ・アナヤは相変わらず魅力的だ。


ウォーレスショーンはハーバードとオックスフォードで学んだインテリだ。俳優でもあり、脚本家でもある。若い時からはげている。「死刑台のエレベーター」のルイマル監督「my dinner with Andre」は日本未公開だけど、アメリカの知識人に人気が高い1981年の隠れた名作だ。マンハッタンのレストランで繰り広げられるダイアログ観念的なセリフが続く。自分の高校の恩師から自ら翻訳した字幕付きのvideoを頂いて観た。むしろブ男の部類に入るウォーレスショーンもスペインで美人女優に囲まれさぞかしご満悦だったろう。

どんな映画がオススメと言われたウォーレスショーン演じる主人公は稲垣浩監督「忠臣蔵」と黒澤明「影武者」を薦める。これには驚く。薦められた方は唖然としていた。


最後に向けては、イングマールベルイマン監督の「第七の封印」の名シーンである死神とのチェスを再現する。ドイツのアカデミー賞俳優クリストフ・ヴァルツ死神を演じて主人公と一局指す。出てきた時には思わずゾクッとする。死神にチェスで負けたらあの世行きだ。他にも「男と女」「勝手にしやがれ」など古い映画などからの引用が多い。ベテラン映画ファンはその流れにすんなり入っていけるけど、若い人はわけがわからず戸惑うのでは?
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映画「カラオケ行こ!」綾野剛&山下敦弘

2024-01-19 17:17:36 | 映画(日本 2019年以降)
映画「カラオケ行こ!」を映画館で観てきました。


映画「カラオケ行こ!」は山下敦弘監督綾野剛とコンビを組んだコメディ映画である。和山やまの漫画が原作でカラオケが上手くなるために、ヤクザが合唱部部長の中学生に指導を受ける話である。昨年末の荒井晴彦監督「花腐し」のラストで主演の綾野剛がさとうほなみとあまり上手くないカラオケを披露した。今だに歌声が耳に焼きついている。昨年、山下敦弘監督は台湾映画のリメイク「1秒先の彼女」のメガホンを持った。自分的には相性が良い映画だった。このコンビが組めばなんとかなるだろうと映画館に向かう。

大阪の中学で合唱部部長の岡聡実(齋藤潤)は合唱コンクールの会場でヤクザの成田狂児(綾野剛)に突然カラオケに誘われ、歌のレッスンを頼まれる。組のカラオケ大会で最下位になった者への罰ゲームを回避するためだ。変声期に入ってスランプ気味の聡実が狂児やヤクザ仲間のレッスンに付き合ううちに奇妙な友情が生まれてくる。狂児の勝負曲はX JAPANの「紅」だ。

ヤクザの存在が関わっても、実はシンプルな青春コメディだ。
軽めの役を受けもった綾野剛がノッてる。中学生との絡みがおもしろい。


序盤に軽い沈滞部分があっても、途中からエンジンがかかる。裏社会がからむと映画の舞台設定が大阪になってしまうことが多い。でも、その大阪のヤクザがいかにも裏社会的な犯罪行為に走る映画ではない。ヤクザたちが一瞬恫喝的に突っ張っても、音痴を克服するテーマなのでストーリーが笑いの世界に入っていく。中学生がカラオケ屋でヤクザの歌を一言で評価をする場面が実に楽しい。一方で、純朴な中学生たちの合唱部青春物語を並行する。スレていない。それだけにまとまりがつく。エロ系の描写や激しい流血シーンなどはなく,中学生でも安心して見れる映画になっている。


エンディングの曲に背筋がゾクッとした。女性ボーカルグループLittle Glee Monsterの「虹」だ。これが抜群に良かった。みずみずしい歌声が心に響く。観客の誰もが席をたたなかった。自分と同じような気分になったのであろう。そして、エンディングロールの最後に改めて綾野剛が登場する。

⒈綾野剛
ずいぶんと綾野剛の映画を観ているけど、悪徳警官やヤクザ、半グレの役が多い。どれもこれも激しい格闘シーンがあるから肉体的にはたいへんだ。今回ヤクザ役と言ってもこの映画には立ち回りはほとんどない。いつもより楽だったんじゃないかな?中学生との掛け合いトークが楽しそうだ。大阪弁のセリフにキレがある。ぼそぼそ話をしていた「花腐し」とは大違いだ。この役柄にノッてる感じがした。

「花腐し」の最後で山口百恵「さよならの向こう側」を歌う時にはびっくりした。率直にあまりうまくないと思ったが今回はその流れを引きずっている。ひたすらX JAPANの曲にこだわっていても,中学生からこの曲を歌ったほうがいいんじゃないかとリストを用意される。そこで実際に「ルビーの指環」などのリストの曲を歌ってしまうシーンも目線を下げていい感じだ。


⒉山下敦弘
数多い山下敦弘監督の作品でも函館が舞台の「オーバーフェンス」と大阪ミナミで撮った「味園ユニバース」の2つが1番好きだ。「味園ユニバース」はまさに大阪千日前を舞台にした作品で,歌と大阪弁が前面に出てくる。大阪芸大出身の山下敦弘だけに大阪弁を駆使した映画はのれるのかもしれない。毎回コミカルなテイストを組み込むのが得意だ。

改めて素性を確認したら,山下敦弘は愛知県出身,綾野剛は岐阜県出身でいずれも中部エリア出身で関西人ではない。しかも,エンディングロールで今回のロケ地を確認したら,どうも千葉中心の関東のようだ。合唱団も府中となっていた。よくもまぁこんな大阪テイストの映画が撮れたものだ。妙に感心した。

中学生の主人公は映画クラブの同級生と一緒に「カサブランカ」を観ている。
まさにハンフリーボガード「君の瞳に乾杯」の場面だ。山下敦弘の趣味だろうか?


⒊そして自分
先日協力会社の人たちと浅草寺に参拝に行った。隅田川のほとりで会食した後,映画「PERFECT DAYS」でも出てくる東武浅草駅そばで一杯休憩をしつつ,「花腐し」にも出てくる四谷荒木町で飲もうかと迷い,結局銀座に突入した。ホステスとデュエットしたりジルバ踊ったりやり放題だったが、「花腐し」を観た昨年末から「さよならの向こう側」の曲フレーズが耳について離れない。練習中だけどなかなか思い通りにいかない。綾野剛がうまく歌えないとは偉そうに言える立場ではない。
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映画「ある閉ざされた雪の山荘で」重岡大毅&間宮翔太郎

2024-01-17 19:53:58 | 映画(日本 2019年以降)
映画「ある閉ざされた雪の山荘で」を映画館で観てきました。


映画「ある閉ざされた雪の山荘で」は東野圭吾のミステリー小説の映画化である。当然原作は未読。重岡大毅がクレジットトップで近年人気の若手俳優たちが集まっている。そういえば、新年恒例の人気番組「芸能人格付け」にこの映画を代表して中条あやみと間宮祥太朗が参加していた。間宮翔太郎の味覚がすごかった。


山荘に有名舞台演出家が手掛ける次回作の最終オーディションに7人の役者が集められる。命じられたのは雪に閉ざされ、外部との通信が閉ざされた密室での演技。四日間の集団生活で行われる。指導者は目の前にはいない。隠しカメラその他で遠隔で監視している。台本通り携帯電話を通じての外部との連絡は禁止されている。そんな中、次から次にオーディション参加者がいなくなっていく話だ。


作品情報を引用する。

劇団に所属する役者7人に届いた、4日間の合宿で行われる最終オーディションへの招待状。新作舞台の主演を争う最終選考で彼らが“演じる”シナリオは、【大雪で閉ざされた山荘】という架空のシチュエーションで起こる連続殺人事件。出口のない密室で一人、また一人と消えていくメンバーたち。(作品情報引用)

自分にはあまり合わない映画だった。
ミステリー的要素を期待して,この映画を選択した。ストーリーのオチは,なるほどと思わせる部分もある。でもなんかすっきりしない。俳優志望の若手が山荘で合宿生活をしているわけだ。自分の理解度が弱いのかもしれないけど,交わしている会話が自分の頭にしっくり入ってこない。言葉遣いも悪い。一見お互いに仲良さそうに見えるけど裏がある。見ていてあんまり気分がよくない。結局腑におちるという感覚が得られなかった。20代とかの若い人たちが見たら違う感覚を思うのかなあ?

ここで繰り広げられているのは俳優同士の嫉妬だ。配役を得ようと前のめりになる中で,山荘にいるライバルが何か悪いことをしているのではないかと言う疑心暗鬼のもとで嫉妬が生まれる。役をもらうために寝たとかそんなセリフが多い。結果的には嫉妬が事件を起こしている。女性同士の取っ組み合いの喧嘩もある。


ミステリーだから解決するのは誰かと思ったらいつのまにか重岡大毅が探偵みたいになっていた。間宮祥太朗はキーパーソンだ。中条あやみや堀田真由嫉妬深い女を演じている。これまでの作品のイメージと全く違ってどうも調子が狂う。岡山天音は先日の「笑いのカイブツ」で演じていたときのわめき方と全く同じような演技をしたので思わずほくそえんだ。
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映画「ビヨンド ユートピア 脱北」

2024-01-15 19:33:42 | 映画(韓国映画)
ドキュメンタリー映画「ビヨンド ユートピア 脱北」を映画館で観てきました。


映画「ビヨンド ユートピア」北朝鮮からの脱北者が実際に国境を越えるのを追うドキュメンタリー映像である。予告編から大体の内容の想像がついたが,好奇心でみたくなった。監督は数々の映画の編集に関わっているマドレーヌ・ギャヴィンである。

息を呑むようなシーンが続く。目が離せない。
脱北に成功する事例と失敗した事例の両方が語られる。いずれも多数のブローカーが絡んでいる。実にうさん臭い
必見のドキュメンタリーだ。

ソウルに住む牧師が脱北に関与している。脱北と言うと北朝鮮から国境を越えて中国に行くことだけを想像する。ただ、この牧師は中国からは出禁になっている。脱北に失敗して中国で拘束されると北朝鮮に強制送還される。失敗して拘束された人たちへの当局からの仕打ちは半端じゃない拷問だ。結局,中国に渡った後、車で長距離の移動をして,ベトナムに渡りその後ラオスに移動する。最終的にメコン川の国境を渡りタイに渡る。タイに行かないとラオスも北朝鮮の友好国だけにとらわれると強制送還される。


命がけの脱出である。まずは北朝鮮から中国に移動すること自体が大変だ。容易に川を渡って中国に渡る人たちが多かった時期もあったようだ。現場の監視が厳しくなり脱北の難易度が極めて高い。国境を渡ってもその先には高い山がある。この映画の映像はコロナ前の脱北だ。コロナになった後は中国からベトナムに行くこともできず,牧師のところに脱北の希望がずいぶんと来ていても、なかなか着手できないようだ。

映画の中では,北朝鮮のリアルな街頭映像が何度か出てくる。
本当に貧しそうだ。よく韓国映画で北朝鮮の街路を映し出している映像と大きく変わらない。

もともと朝鮮戦争の休戦後はむしろ南より北の方が豊かだった時代もあった。日本統治時代に,北朝鮮エリアで開発した日本の産業プロジェクトが多く、北朝鮮がそれを無償で継承できたことも影響している。日本統治が朝鮮発展に寄与したことも多い。1970年代後半から,韓国が驚異的な経済成長を遂げる。逆に北朝鮮はソ連の崩壊に伴ってそれまで潤沢だった援助が受けられなくなった。そこで大きな差がついた。北朝鮮の指導者は,ひたすら核開発に向かう一方で,国民の生活は無視されている。


この映画を観て初めて知ったこともいくつかある。中国から大陸を縦断してベトナム、ラオス経由でタイに行って7ヶ月過ごしてから韓国に行くという脱北ルートは初めて知った。あと、金日成主席は当然日本統治下の朝鮮で育ったと思っていた。ところが、幼い頃から中国で育ったので、北朝鮮建国でスピーチする時には朝鮮語が不得手で特訓したなんて話も初めて知った。

ひたすらおかしいのは,脱北している家族の80過ぎの老婆がこの場に及んでもまだキムジョンウンのことを若くして英雄とするスピーチをすることだ。「キムジョンウンの周りが悪い。みんなで国を豊かにしなければならない。」とまで言う。狂っているとしか思えない。一種の宗教みたいなものだろう。北朝鮮では聖書は禁止されているらしい。聖書に載ってるような神話のような話が,北朝鮮でも同じように作られてそれが国民に信じられている。ただ,天皇を神様とした戦前の日本も大して変わらないんじゃないかと自分は感じる。ハイエク「隷属への道」で語る全体主義の残酷な世界北朝鮮にはエスカレートして存在する。


この老婆が脱北に成功して韓国で生活しているときの顔立ちは,脱北途中の顔と全く違っていた。いい顔つきに変わった。ただ1つだけ疑問だったのは,数多いブローカーへの報酬が一体どこから出ているのかがよくわからなかった。失敗した事例の時に,脱北させようとした母親とブローカーとの電話のやりとりを聞くと,特殊詐欺に騙されている老人たちを思わせるようなやり取りにしか見えなかった。それでもすがるのであろう。
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映画「燈火(ネオン)は消えず」 シルビアチャン&サイモンヤム

2024-01-14 18:24:30 | 映画(アジア)
映画「燈火(ネオン)は消えず」を映画館で観てきました。


映画「燈火は消えず」は香港映画。シルヴィアチャンとサイモンヤムという香港のメジャー級の共演である。

民主化デモがあってから香港にはなかなか行けていない。残念だ。香港大好きの自分にとっては信じられないことだけど、香港のギラギラしたネオン付き大看板が消えつつあるという。建築の規制が強化されたという。予告編でなんとなく消えゆく香港のネオンについて触れた作品だとわかったけど、まだピンと来ない。たしかに、2011年ごろ香港に行った時も、ネイザンロードの看板群が変わっていたことに気づいていた。ともかく駆けつけてみる。

香港で娘と住むメイヒョン(シルヴィア・チャン)には今は亡き夫のビル(サイモン・ヤム)がいた。ビルはネオン職人で、2003年のSARS流行でも街のネオンを消さないように儲けのない商売をしていた。

ある時ビルのズボンを整理するとネオン製作の工房の鍵が出てきた。工房に行くと、死んだはずのビルが仕事をしている形跡がある。ある夜胸騒ぎがして工房に行ってみると、青年レオ(へニック・チャウ)に出くわす。ビルの弟子だという。そこで、師匠にはやりのこしたネオンがある、と聞かされ作業を始める。でも、夫には返済していない借金があり、レオも家賃滞納で追われる身であった。


映画としては普通、香港好きでなければ感慨もないだろう。
ただ、自分は90年代の香港の良き日を思い哀愁漂う気分となる。


黒社会を描いた映画に数多く出演するサイモンヤムもここでは普通の職人さんだ。奥さんのシルヴィアチャンにもやさしい。以前はカナダ移住が多かったけど、娘がオーストラリアに移住するなんて設定になっているのも、香港脱出を図ろうとする人が多い現状を示しているのかもしれない。


最後のエンディングロールで熟練ネオン職人がつくった看板が数多く映像で出てくる。そこには日本のブランドのネオン看板も多い。90年代には九龍側から香港島をヴィクトリア湾を隔てて見ると、日本企業の看板ばかりだった。昔を偲ぶように、メイン通りであるネイザンロードの往年のきらびやかな映像も出てくる。そこにも日本企業の名前がある。

初めて香港に行ったのは90年代になってすぐであった。親友が香港駐在員となったのがきっかけだ。啓徳空港に着陸する際は、欧米人の乗客から思わず拍手が出たものだ。タクシーで繁華街のチムサーチョイに行くと、派手なネオンサインの大看板がある猥雑な街の雰囲気に圧倒された。しかも、食べ物のおいしさに驚く。まだこの当時は買い物をしても、何を食べても安かった。まだ、中国返還前で、大陸から来ている人はいかにも貧しそうであった。今考えると信じられないことだ。そのあと何度も繰り返し香港を訪れる香港ファンとなる。


先週あたりは、観たい公開作もなく、おとなしくしていた。実は初めて香港に行った時訪ねて行った親友の命日だった。日本にある彼の墓に先日行った。香港で名を売り、現地でヘッドハンティングとなり上海に移った。でも、9年前上海から北に500キロ離れた日本人が一桁しかいない街で亡くなった。彼を偲ぶ気持ちもあったせいか、吸い寄せられるように映画館に向かった。そのあと、香港料理の店で食べた。なんかさみしい。
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映画「ミツバチと私」ソフィア・オテロ

2024-01-08 20:26:09 | 映画(欧州映画含むアフリカ除くフランス )
映画「ミツバチと私」を映画館で観てきました。


映画「ミツバチと私」性同一性障害に悩む8歳の男の子を取り巻く家族の戸惑いを描いたスペイン映画だ。スペインの女性監督エスティバリス・ウレソラ・ソラグレの初監督作品だ。主役を演じたソフィア・オテロベルリン映画祭で最優秀主演俳優賞(男女に区別はなくなった)を受賞している。LGBT系の映画は合うのと全くダメなのとに分かれる。写真を見ると、女の子っぽい主人公がかわいい。まだまだ幼いし、同性愛的映画のいやらしさもないだろう。ふと、小学校3年前後の自分のことが脳裏に浮かびこの映画を観てみたくなる。

スペインのバスク地方、母アネ(パトリシア・ロペス・アルナイス)と姉、兄と8歳の男の子アイトール(ソフィア・オテロ)が夫を家に残して夏のバカンスに母親の実家に帰る。アイトールは自らを男の子扱いされるのを嫌がり、女の子のような髪型で自らをココと呼んでいた。母親の親族からはもっと男の子っぽく髪を切れと言われても本人は従わない。母親はそんなアイトール(ココ)をかばっていた。

実家はミツバチを育てて蜜をとる養蜂業に代々携わり、父親ゆずりでアネも実家の工房で彫刻に専心している。アイトールは、母親がかまってあげられないので、自分の性に対する疑問により敏感になってきている。その悩みをオバに打ち明ける。


目線をグッと下げて観ると、8歳の子どもの悩みが伝わる。
女性監督が絶好のキャストを得て女性目線の強いドラマづくりをする。

ソフィア・オテロありきの映画である。古今東西の映画で、こんなに女性的にかわいい男の子っていただろうか?自分には思いつかない。女性監督エスティバリス・ウレソラ・ソラグレオーディションで主演ソフィア・オテロを選んだ。このキャスティングだけで成功は約束されたようなものだ。奇跡的な出会いと言える。もう少し年を重ねたら、この映画は撮れないのだ。ソフィアありきで物語をつくっていく。

回想シーンで幼いときのトランスジェンダーの姿を映す映画はあっても、子供自体の性同一障害がメインになる映画は記憶にない。

映画では、アイトールことソフィア・オテロ手持ちカメラで丹念に追っていく。髪の毛は肩まで掛かり女の子並みの長さだ。母親の実家に行って、親族や周囲から男の子っぽくした方がいいのではと言われ続ける。立ちションもするけど、まだお寝ショもしてしまう。プールに行ってもバスローブをしたままで水着にあえてならない。女子更衣室に入ると、同世代の女の子から男の子なのに何でいるのと言われてしまう。そういったエピソードが続く。そして、その悩みが次第に強くなってくる。


母親アネの目線も追っていく。ミツバチの養蜂業の家業を持つと同時に、彫刻にも造詣が深い家計だ。アネは彫刻に強い思いが残っていて、実家の工房に入ると諸事が目に入らない。連れてきた子どもたちのことも眼中に入らなくなる。


アイトールはやさしいおばさんと親しく時間を過ごす。「死んで生まれ変わったら女の子に生まれ変われるかなあ。」とビックリするようなことをおばさんに言うと、「既に女の子だよ」とおばさんは言ってくれる。そして、おばさんは母親アネにもっとアイトールの話を聞いてやってくれと忠告する。素直でない母親は反発する。このあたりの女性同士の関係や夫との関わりなど、女性監督ならではの視点を感じる。女性の方が感じることが多いのではないか。


実はソフィア・オテロ男の子なのか女の子なのか書いている途中でもわからなかった。ベルリン映画祭の授賞式の写真で初めてわかった次第だ。映画の中での振る舞いは極めて自然だ。演技を超越して、わざとらしさがない。すばらしい。大女優ナタリーポートマンやスカーレットヨハンソンが子役で登場したときを連想させる天才の登場だ。


自分が8歳の頃は家庭学習は全くやらず、成績も良くなかった。授業で手を挙げることはなかった。でも、出来がわるい自分を見かねて女の子たちが遊んでくれた。女の子が遊ぶタミーちゃんとかの人形を買って一緒に遊ぶ女性的な毎日だった。自分で呼べないのに誕生日になると、次々と女の子が来てくれた。母があわてて不二家にケーキを買いに行った光景を思い出した。映画のようなことはなかったが、普通に男の子っぽくなる転機が来たのはその直後だったかもしれない。
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映画「ラ・メゾン 小説家と娼婦」アナ・ジラルド

2024-01-07 06:35:54 | 映画(フランス映画 )
映画「ラ・メゾン 小説家と娼婦」を映画館で観てきました。


映画「ラ・メゾン」は自らの娼婦体験を小説にしたフランス人女性エマ・ベッケルの物語。もちろん18禁作品だ。女性監督アニッサ・ボンヌフォンがメガホンを持ち、作家エマ役でアナ・ジラルドが主演である。日本でもAV女優の経験がある作家鈴木涼美がいるけど、フランスの方がもっと大胆なことする。女性スタッフ中心にできた映画だけに、映画館の観客には女性も混じっている。

フランス人の27歳の作家エマは実際に娼館で体験したことを小説の題材にしようとベルリンの高級娼館「ラ・メゾン」で働く。そこで出会った顧客とのプレイを中心に、同僚の娼婦のパフォーマンスも映し出す話だ。


美形の作家が娼館で出会う男との体験を中心に映像が進む。
日活ポルノのように登場人物の人間関係で物語ができるわけでない。色んな顧客とのプレイを次から次に映していくが、それぞれの男女の絡みの時間は短い。一時代前の外国ポルノ映画のハードコア的な要素はない。ちょっと古いけど、溝口健二監督「赤線地帯」のように、それぞれの娼婦がその道に入らざるを得ない家庭事情はまったく語られない。最近の日本映画に多い貧困で風俗に流れるテーマの暗さがない。待合にいる娼婦たちはある意味おおらかだ。


高級娼館には5人前後の人種が入り混じった女性たちがいる。ペドロアルモドバル監督作品での常連ロッシ・デ・パルマもそのうちの1人を演じる。最初に面通しして、主人公アナ・ジラルドをはじめとした美女たちの挑発を受けて男が女性を選ぶ。費用は200ユーロで、キスや生など20ユーロのオプションもある。作家のエマは徐々にプレイに慣れてくる。短い体験のつもりがイヤなことがあっても、なかなか辞めない。エマは娼館での出来事を休憩時間にノートに書く。メモが増えていくが執筆まで至らずそのまま2年つとめる。

色んな顧客がくる。女性を見ながら自分でいたす男、彼女ができたけど自信がなく教えを乞いにくる男、SMプレイもあり、禁止なのに無理やりドラッグを使わせる客もいる。レズビアンではないけど、好奇心で女性の愛撫を求めるエレガントな女性もくる。手を変え品を変えた顧客のシーンがあるので、似たようなシーンが続いても観ていて退屈はしない


娼館の中は英語が共通語になっている。ドイツ語ではない。ところが、この英語は聞き取りづらい。字幕と英語のセリフに合致が見出せない。逆にフランス語はわかりやすい。こちらはアタマに入っていく。

あまりいい映画やっていないので、暇つぶしにはなるといった感じだな。
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映画「笑いのカイブツ」 岡山天音

2024-01-05 22:29:00 | 映画(日本 2019年以降)
映画「笑いのカイブツ」を映画館で観てきました。


映画「笑いのカイブツ」はお笑い番組に投稿し続け、お笑いにとりつかれた実在の若者の生き様を描く。岡山天音主演で、菅田将暉、仲野太賀、松本穂香の主演級が脇を固める。監督は数々の名作で助監督をつとめてきた滝本憲吾である。正直なところ、映画ポスターの岡山天音の雰囲気にはいい印象を持たず、どうしようかと思ったが、選択してよかった

観てみると、なかなか強烈な映画だ。岡山天音怪演が際立つ。あえて作品情報を引用する。

大阪。何をするにも不器用で人間関係も不得意な16歳のツチヤタカユキ(岡山天音)の生きがいは、「レジェンド」になるためにテレビの大喜利番組にネタを投稿すること。狂ったように毎日ネタを考え続けて6年。自作のネタ100本を携えて訪れたお笑い劇場で、その才能が認められ、念願叶って作家見習いになる。しかし、笑いだけを追求し、他者と交わらずに常識から逸脱した行動をとり続けるツチヤは周囲から理解されず、志半ばで劇場を去ることに。

自暴自棄になりながらも笑いを諦め切れずに、ラジオ番組にネタを投稿する“ハガキ職人”として再起をかけると、次第に注目を集め、尊敬する芸人・西寺(仲野太賀)から声が掛かる。ツチヤは構成作家を目指し、上京を決意する。(作品情報 引用)


お笑いに取り憑かれた尋常でないキャラクターの男を描く今まで観たことがないタイプの映画である。観る価値はある。

スポーツでも、クリエイターでも特異な人物の成長にスポットをあてるストーリーは割と好きなジャンルだ。男性の場合、映画と相性の良いボクシングなどのスポーツ系が多く、女性だとクリエイターの方が多い。一昨年の吉岡里帆「ハケンアニメ」とか昨年の松岡茉優「愛にイナズマ」なんてその類で、頑張る女性を応援したくなる成長物語だった。脇役にまわる菅田将暉はスポーツ、クリエイター両方とも主役を演じている。ただ、この主人公はちょっとこれまでの成長物語の人物像にはいないタイプだ。


映画を見始めると、乱雑な主人公の部屋がすごいのに気づくだろう。家の中にある紙という紙に書ききったペン書きのお笑いのネタが所狭しと置いてある。アイディアが浮かんだらすぐ机に向かって何かに取り憑かれたようにペンを走らせる。投稿した自らのネタがTVやラジオで取り上げられると喜ぶ。お笑いが好きなのだ。

好きなことに一心不乱に取り組む映画は随分とあるけど、もう少し常識人であることが多い。他と比べても主人公のツチヤは生きることに不器用と解説されるけど、「人間関係不得意」だけでは片付けられないかなりの性格異常である。別に自閉症的症状ではない。生計を立てようと、飲み屋やスーパーなど色んなところでバイトしてもクビになる。アル中に近いくらい酒も飲む。酒グセも悪い。スカウトされて放送作家になろうとしても周囲と問題を起こす。取り巻く連中にも問題はあれど、本人に帰することも多い。ともかく普通じゃない。

そんな主人公ツチヤタカユキを演じた岡山天音の怪演が光る。「伝説のはがき職人」と呼ばれたツチヤタカユキの私小説をもとに映画化している。実際にこんな奴がいたのだ。成長物語によくあるキレイなストーリーではない。認められたい本能が満たされない。笑いのネタを提供しているのが自分なのに手柄は別の人だ。そのジレンマで心身のバランスを崩すことの繰り返しだ。


ショッピングモールのファーストフードの座席でお笑いネタを書き続けるツチヤに好意を寄せる中卒の店員役の松本穂香やさしさに満ちあふれていていい感じだ。お笑い漫才の片割れで番組のDJをやっている芸人役の仲野太賀が、変人だけどお笑いに関しての才能をもつツチヤを何とかしてかばおうとする姿がいい。「オカン」を演じた片岡礼子の肝っ玉かあちゃんも良かった。


それに増してうまいし、まさに適役と思ったのが菅田将暉だ。ツチヤがバイトするスナックの店主で、居酒屋の店員もこなす。別名ピンク。髪の毛をピンクに染めて、半グレ系若者によくいる町のならず者だ。ケンカがバレると刑務所に逆戻りといった危ない筋でもある。

今や、日本のメジャー作品で主演級と出世した菅田将暉も、初期は「ディストラクションベイビー」「そこのみにて光輝く」などの名作でこの映画と似たようなハチャメチャな若者を演じていた。今回は菅田将暉のルーツの大阪が舞台だし、原点回帰といった感じだ。主演級になると自惚れる俳優が多い中で、脇役にまわる菅田将暉の意気込みを賞賛する。

でもこうやって自分のことが主題になる映画ができると、主人公のツチヤタカユキも少しは気が晴れただろう。
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映画「ブルーバック あの海を見ていた 」ミア・ワシコウスカ

2024-01-03 19:47:10 | 映画(洋画:2019年以降主演女性)
明けましておめでとうございます。
新年早々ビックリすることが続き呆然としていました。
日本海側エリアで被災された皆さんにはお見舞い申し上げます。

映画「ブルーバック あの海を見ていた」を映画館で観てきました。


「ブルーバック あの海を見ていた」はオーストラリアの美しいシーサイドを舞台にしたミア・ワシコウスカ主演作品である。監督は「渇きと偽り」ロバート・コノリーだ。今回は自分と相性の良いエリックバナも出演している。ミア・ワシコウスカのポスターが清々しい。玄人筋の評判はもう一歩だけど、このスタッフなら観てみたい。正月なのにこれといって必見の劇場公開映画が見当たらないので、この映画を選択する。

海洋学者のアビー(ミア・ワシコウスカ)のもとに、母ドラ(リズ・アレクサンダー)が脳卒中で倒れたという連絡が入る。西オーストラリアの海辺にある実家にもどる。命には別条なかったが、言葉を発することが困難になっていた。アビーは8歳の少女の頃や高校進学する前15歳の時に起きた出来事を追想する。

海のブルーに触発される居心地の良い映画。
比較的前方の席で毎回観るが、この映画こそ大画面の前方で観て、七変化する海のブルーを体感して欲しい。

すばらしいロケ地である。青々とした空のもと海の上で繰り広げられる場面だけでなく、夕暮れの地平線を見せるシーンは美しい。それに加えて、海底でブルーバックと名付けたウエスタン・ブルーグローパーという大きな魚と戯れるシーンがでてくる。「ブルーバック」と名づけた魚は、個人的には日本で言う大きなクエや香港の海鮮料理屋で見たナポレオンフィッシュのようだった。どのショットも大画面で前方のゆったりとした座席で観ると快感である。


映画のストーリーはどうってことない。美しいシーサイドをリゾート開発業者が生態系の環境破壊したり、業者の一味が獲ってはいけない網で密猟したり、水中銃を使用するのに母ドラ(ラダ・ミッチェル)が抵抗する主人公が15歳の時の想い出を回想する。どちらかというと、道徳的な話だ。美しい海のロケ地を映し出すために強引につくった話で構成されている感じがした。

ロバート・コノリー監督「渇きと偽り」はかなり手の込んだミステリー映画で息をのむシーンも多々あったが、そういう緊張感はなかった。でも、こういう映画もあってもいい。最後まで気分良く観れた。


ミア・ワシコウスカ「ベルイマン島にて」で久々観たが、「イノセントガーデン」「永遠のぼくたち」など一時期はずいぶんと取り上げた好きな女優である。自ら潜水にチャレンジしている。幼なじみの原住民の男性との恋愛も映画のテーマの一つだけど、今回15歳の時の主人公を演じたイルサ・フォグが良かった。オーディションで選ばれたそうだけど、「キッズオールライト」の頃のミア・ワシコウスカを彷彿させる雰囲気で巧みにこなした。格上のエリックバナはまさに友情出演といった感じだった。

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