映画「アイムスティルヒア」を映画館で観てきました。
映画「アイムスティルヒア」はブラジル映画。1970年の軍政下におけるリオで拘束された夫を追う妻と家族を描く実話に基づく作品。名作「セントラル・ステーション」や「モーターサイクル・ダイアリーズ」を生んだウォルター・サレス監督がメガホンをとり、アカデミー賞ではブラジル映画史上初の国際長編映画賞も獲得した。リオの海岸風景はTVなどで知っていてもブラジルは行ったこともないし、政治についてはまったくわからない。とりあえず先入観抜きで映画館に向かう。
1970年のブラジル・リオデジャネイロ。元国会議員で土木技術者のルーベンス・パイヴァ(セルトン・メロ)と妻のエウニセ(フェルナンダ・トーレス)は、5人の子どもたちとともに海に近い家で幸せに暮らす裕福な上流階級の一員だ。一方で軍事独裁政権に批判的な民主派でもあった。
スイス大使の誘拐事件が発生して世相に緊張が高まるある日、見知らぬ男たちが家に現れ、事情も言わずにルーベンスを連れ去る。その後、妻エウニセと娘の1人も連行されて取り調べを受け、家族は監視下に置かれる。軍に追われていた関係者を一晩匿ったことがきっかけだったようだ。夫の行方はわからないままだ。
リオの海岸のラテン的明るさの映像が一転して暗転する落差のある映像だ。
ブラジルというと貧困が強調される映画が多い。これはまったく逆な豪邸に住む5人の子どもがいるブルジョワ家族だ。
実在のモデルがいて夫ルーベンスは土木技師兼実業家で、妻エウニセは大学法学部卒の弁護士で、結婚後は家庭に入り夫を支えていた。両者とも資産家出身で当時としては数少ない高学歴夫婦だそうだ。リオの海岸の自宅はコパカバーナではなく、より高級なイパネマ地区の海沿いにある富裕層専用エリアだ。冒頭30分は大家族が和気あいあいで子どもたちがはしゃぐ姿を映す。この海辺の豪邸生活はこれまで知るブラジルの底辺を映す映画とは違う完全に別世界だ。しかも家族で新築を計画している。リッチだ。
⒈一転するブルジョワ生活
そんなブルジョワ生活が一転する。夫が連行されて穏やかな日常が突然崩れ去る。妻も取調べを受ける時は観ている自分も恐怖感を覚え、どうなってしまうんだろうと思わせる。結局主人公は戻らずに残された妻は5人の子どもを抱えて生活の再建のためにひたすらもがくのだ。行方不明で夫の口座の金が下ろせない。次第に使えるお金も底をつく。メイドの給料も払えない。リオデジャネイロの家を手放し、一家は妻の故郷のサンパウロに引っ越さざるをえない。ブルジョワ生活に慣れた家族は落胆する。
冒頭のリオの海辺の家での優雅な日常描写から、突如謎の男たちが踏み込む30分過ぎの展開は落差が激しい。静かで唐突に恐怖感を倍増させる。何を考えているのかわからない無口な男たちが醸しだす緊張感と日常が崩壊する瞬間のリアリティが秀逸である。
主演フェルナンダ・トーレスはいかにもインテリ女性の風貌で抑制された演技がうまい。子役たちの自然な振る舞いもいい感じで海辺の邸宅でののどかな空気感を伝える。演出・演技・時代描写は極めて高い水準だ。
⒉バラモン左翼の主人公
軍事政権下における理不尽な拘束とそれによる一家の転落がテーマだ。でも、反体制派が弾圧される軍政下のブラジルにおける夫の振る舞いは目をつけられるスキがあったのかもしれない。富裕層でも反体制派は例外なく危険視され、見せしめの対象となったようだ。こんなにブルジョワなのに反体制というのは、いわゆる知識人、ピケティ式に言うなら「バラモン左翼」だ。自分には好きになりづらい人種だ。ええかっこしいだ。
主人公夫婦の当時としては超エリートだった背景を知ると庶民目線の悲劇とは思えない。ブラジルの庶民層にとっては「そもそも別世界の人」という印象が残る気もするが現地ではヒットしたらしい。時を経てエウニセが教育現場で働く姿が示され、人生を人権と教育に捧げたその後を暗示する。トランプ大統領が嫌って関税をつり上げたブラジル左翼政権ではそんな姿が評価されたのであろうか?