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映画「私の少女」 ぺ・ドゥナ&キム・セロン

2015-11-23 21:15:44 | 映画(韓国映画)
映画「私の少女」は2015年日本公開の韓国映画


見てみると脚本、構成、映像いずれも非常によくできた映画である。キムセロン「冬の小鳥」「アジョシ」「バービー」と若干重い題材を少女ながらこなしてきた韓国の期待の星である。このブログでも出演するたび毎回取り上げている。今回はぺ・ドゥナが主演で助演の立場だが、重要な役を演じている。「空気人形」のぺ・ドゥナ主演のロードショーがあるのは気がついていたが、ひっそり上映されていたので、キムセロンの存在はうっかり見過ごしていた。

今回は訳ありで片田舎に移動してきた女性警察署長が、継父から虐待を受けている少女を保護しようとしたにもかかわらず、継父から恨みをかって逆にとんでもない訴えを受けるという話である。児童虐待、イジメ、田舎の過疎問題など韓国社会の中で蓄積してきたであろう恥部が浮き彫りにされている。

若き女性警官のヨンナム(ぺ・ドゥナ)は、ソウルから警察署長として田舎の海辺の村に赴任してきた。そこで14歳の少女ドヒ(キム・セロン)と出会う。ドヒは実の母親が蒸発し、血のつながりのない継父ヨンハ(ソン・セビョク)と、その母親である祖母と暮らしていた。酒クセの悪いヨンハから日常的に虐待されていた。若者はほとんど村を出てしまっており、老人しか住んでいなかった。それなので村に残った若いヨンハの横柄な態度を容認し、悪さも見てみぬふりをしている。ヨンナムは、ドヒへのあまりにひどい父親からの暴力虐待や学校のいじめから守っていった。


夜中、ヨンナムの家にドヒが訪ねてくると同時に「老人の遺体がみつかった」と署から電話が入る。海辺に駆けつけると、崖からドヒの祖母が落ちて死亡していた。「パパとおばあさんが追いかけてきて落ちた」とドヒは涙ながらに説明する。ヨンハが現場に到着し、「クソガキのせいだ」とドヒに殴りかかる。


エスカレートしてゆくヨンハの暴力から守るために、ヨンナムはドヒを一時的に自宅に引き取り面倒をみることにする。しかし、本当は親元に帰さないとならないのに、次第にドヒはヨンナムに執着しはじめる。そんなとき、一人の女性が警察署を訪ねてきた。そこで偶然にもヨンハは衝突を繰り返していたヨンナムの過去の秘密を知りしまうのであるが。。。

舞台になるこの海辺の町自体は、日本の海辺にある漁村と似たような風景だ。日本統治だった戦前にできた村も、それから大きく変わらないのであろう。若者がいなくなっていくのは日本の過疎地の漁村も同じだ。そんな過疎地では若者が大事にされるが、ここでも酒クセが悪い若者が登場し、しかも血の繋がっていない娘を暴力でいたぶる。誰もそれを否定しない。変な光景だ。そんな話が続き、児童虐待とイジメどう解決するのかと見ていると事件が次々起きていく。
単純な話でなかった。


この作品はあまりネタバレしない方がいいだろう。
なかなかストーリーがよく考えられていて、訪ねてきた1人の女性もいったいだれなのか?ドヒの実母なのかとふと思ってしまう。軽い迷彩にひっかかる。しかし、この女性との話がこれからの話にじわっと効いてくる。

よかれと思ったことなのに、それが裏目裏目に出る。とどのつまりは、正当な行為を行ったものが逆に疑いをもたれてしまう。自分の味方である警察にまで誤解を生んでしまう。このストーリー展開は実によく練られている。うまいなあ。

ぺ・ドゥナは久々だけど、さすが上級の演技だ。キムセロンは今までの作品とはちがった動きを見せる。毎回重い題材だけど、これがいちばんヘビー級かもしれない。年輪を重ねて、もっともっといい女優になるだろう。お見事だ。

(参考作品)

冬の小鳥
韓国孤児院からフランスに渡った著者の実体験。キムセロンの出世作(参考記事)


アジョシ
韓国版レオン、キムセロンがかわいい(参考記事)


バービー
韓国人身売買の実態

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