映画とライフデザイン

大好きな映画の感想、おいしい食べ物、本の話、素敵な街で感じたことなどつれづれなるままに歩きます。

映画「セールスガールの考現学」

2023-04-30 17:30:21 | 映画(アジア)
映画「セールスガールの考現学」を映画館で観てきました。


映画「セールスガールの考現学」モンゴルのアダルトグッズ屋で働く大学生バイトに焦点をあてた作品である。モンゴルについては、行ったこともないしほとんど知識がない。共産国だと昔学校で習ったのが、ソ連崩壊とともに自由主義経済となっている。当然モンゴル映画は初めてだ。評判がまあまあなので、映画館に向かうとこれが大当たりだ。

大学で原子力を学ぶサロール(バヤルツェツェグ・バヤルジャルガル)が友人が骨折をしたことで、代わりにアダルトグッズのショップでバイトすることになった。ショップののオーナーは怪しげなムードを持ったカティア(エンフトール・オィドブジャムツ)という謎めいた女性だけど、毎日売上を持っていくと色々と教えてくれる。イヤなことに遭って辞めようとしてもなだめられ続けていくという話である。それをコミカルタッチに描く。

これはむちゃくちゃおもしろかった。
主人公のサロールはごく普通の大学生で、大人のおもちゃを扱うといってもエロさはないかわいい女の子である。一昔前の薬師丸ひろ子にも似ている。世間一般でいうモンゴル人ぽい細目のルックスではなく、日本人の中に入ってもまったく違和感は感じないだろう。「パターソン」ジムジャームッシュ監督やフィンランドのアキカウリマスキ監督の作品がもつ朴訥なムードが流れる快作だ。

セールスガールというのは英語原題であるが、日本ではいわゆる外回りの営業に使う言葉である。ここでの彼女はいわゆるショップの「売り子」である。そう題名につけては元も子もないのかもしれない。

そんな女の子が一人で店番をするお店に、いろんな客が来店してきて数多くのエピソードが生まれる。巨根の「男根」を贈り物と言って求める女性や、顔を隠しながらあわててバイアグラを買いにくる男性など大勢くる。配達にも行く。ラブホテルにグッズを持っていき代金を授受する。ホテルで警察による売春の一斉摘発があり、配達で現場にいると他の売春婦とともに引っ張られる。すぐ釈放されて、もう辞めるというにも関わらずオーナーに慰留されて辞めない。


⒈考現学
原題にはない考現学なんてすごい言葉を題名に使う。今和次郎の「考現学入門」を読んだことあるけど、戦前の街の様子を調べた本だ。街を歩いている人の服装が和装か洋装か?とか歩いている人が職人か小僧か?とかを数字でカウントして統計的に今ある世相を調べていく。最近でいうフィールドワークの手法だ。

この女子学生がそのように学問的に調べているかというと違う。でも、アダルトグッズをどんな人が買いにくるのかなんてことは店員にならないと絶対にわからないだろう。別の意味で店に固定した定点観測になっている。


⒉モンゴルの街
現代モンゴルに関することはほとんど知らない。13世紀にモンゴル民族がアジアを制覇して、21世紀に大相撲を制覇したことくらいはわかる。大草原の中で固定的に居住せず遊牧民が生活するというイメージを持っていた。

ここで映る現代モンゴル(たぶんウランバートル)は都会だ。ビル群が建ち並び、道路では最新のクルマが走る。登場人物が住むアパートのキッチンや設備も新しいし広い部屋だ。(最近の日本映画に映るアパートの方が貧相だ。)オーナーの住居もリッチにできている。そんなに貧しそうな国には見えない。とは言え、大草原のシーンも一部用意されていた。小さい子供たちがサロールが乗る車に向かってキノコを売り込んでいた。まだまだ国としては発展途上かもしれない。


⒊ロシアの影響
映像に映る文字を観て、ロシア語みたいだと思った。調べてみると、どうやらアルファベット系は似たような文字を使っているようだ。ロシア革命以降、早い時期に共産化したモンゴルなので、文化的にもソ連の強い影響を受けていたのであろう。中国人とほぼ同じ顔立ちなのに漢字文化は映画を見る限りでは見当たらない

ショップのオーナーのカティアの家に行って食べる料理がピロシキとボルシチのロシア料理のようだと思ったら、主人公のサロールとカティアがロシア料理のレストランに行くシーンがある。そこで魚料理を食べて、カティアはロシア語でロシア人の客と会話する。すると、サロールが自分の父親がロシア語教師だったというセリフもある。ロシアとの関係は今でも強いようだ。

ロシア料理好きの自分からすると親近感を感じる。


⒋コミカルなエピソード(ネタバレなのでご注意)
エピソードが盛りだくさんだ。アダルトショップに大学の女性教員が現れて、サロールは一瞬驚くが後日「2人だけの秘密」プレゼントをあげるシーンがあったり、倦怠期のサロールの父親に更年期かと母親が心配しているので、父親のお茶にバイアグラを入れる。一転して元気になった父親と機嫌のいい母親が寝室に消えていくシーンなど満載だ。あらゆるエピソードにコミカルなムードを含ませる。

その中でも、観客の笑いを最も誘ったシーンがある。ラストに向けてサロールが男性の友人を自宅の自室に誘ってコトをいたそうとする時に男性が暴発するシーンだ。自分のような年寄りは約50年前だったら同じようなことがあったかもしれないとほくそ笑むのかもしれない。これには笑えた。
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映画「不思議の国の数学者」チェ・ミンシク

2023-04-29 21:56:44 | 映画(韓国映画)
映画「不思議の国の数学者」を映画館で観てきました。


映画「不思議の国の数学者」脱北した数学者と高校生とのふれあいを描いた韓国映画だ。数学者をメインにした映画にはおもしろい映画が多い。大好きだ。今回は韓国得意のクライムサスペンスで名を売ったチェミンシクが主演で、久々に見るような気がする。いつものようにワルを演じる訳ではない。

全国で上位1%に入る成績のいい生徒が集まる名門高校に通うジウ(キム・ドンフィ)は数学が苦手であった。ふとしたきっかけで夜間警備員ハクソン(チェ・ミンシク)に数学の能力があることがわかり、夜の誰もいない教室で教えを請うことになる話だ。


やさしい肌合いをもつ中年数学者と高校生の友情を描いた作品だ。
先日新作「Air 」を公開したばかりのマットデイモンとベン・アフレックのコンビの名作「グッドウィルハンティング」小川洋子「博士の愛した数式」のエッセンスが盛り込まれている。そこに韓国教育事情と格差問題、南での脱北者の扱いなどをからませている。全体に流れるムードからは、いつもの韓国映画のドギツさは感じられない。脚本も手がこんでいるわけでもない。観やすい映画だ。

⒈警備員に高校生ジウが近づく理由
ある時、ジウが寮の仲間とつるんで酒を飲もうと買い出しに出た時に夜間警備員のハクソンに捕まってしまう。ジウは寮を追い出される羽目になり、夜ふらついているとハクソンに出会って泊めてもらう。その時に数学の宿題を手元に置いてうっかり寝てしまう。授業にでると何故か書いてある宿題の答えを答えると正解だ。しかも、他の答えも含めて全問正解だ。これってあの人民軍と呼ばれている警備員が解いたのか?

父親を子供の頃に亡くして、シングルマザーに育てられたジウは生活困窮者の特別枠でレベルの最も高い高校に入った。数学の点数が上がらないので担任から転校を勧められている。ハクソンも立ち話を聞いてその事情がわかり、ジウを夜間の誰もいない部屋で指導することになったのだ。


⒉韓国高校生事情
ジウが通う高校は共学である。日本では、東大合格ランキング上位で共学というと渋谷幕張、日比谷くらいだと思ったら、関西の西大和学園も共学のようだ。だからあんなにレベル上がったのか。共学で女子生徒もいないとストーリー立てがやりづらいかもしれない。お金持ちの娘の同級生女子をキャスティングに加えることで味付けしているのは悪くない。

今は東大でも推薦で入学する時代だけど、この映画では内申にこだわっているようだ。韓国の受験戦争が厳しいというのは有名だけど、推薦枠で進学するのも重要視されるのであろうか?また、数学の成績にかなりこだわっている印象を受ける。


⒊脱北の数学者
脱北者の映画って割と多い気がする。どちらかというと、ワル系か格闘能力とかが優れているという方向になる。理数系の才能を持った脱北者の設定は初めて観た。映画「グッドウィルハンティング」マットデイモンは大学構内の清掃員で、大学の教授がみんな解けないだろうという数学の問題を黒板に書いたままにして、それを誰もいない時に清掃員のマットデイモンが解いてしまうという設定があった。似たようなものである。これはこれで構わない。

この数学者ハクソンは未解決問題で有名なリーマン予想の証明を出しているということになっている。すごい数学者というのがジウにもわかるのだ。ただ、半島初のノーベル賞を受賞する可能性があると映画内のTVニュースで言っているが、ノーベル賞に数学がないのを知らないのかなあ?数学はフィールズ賞だし、しかも年齢制限もある。これは大きなミスだな。


⒋オイラーの等式
小川洋子原作「博士の愛した数式」ではオイラーの等式にずいぶんとこだわった。この数学者ハクソンも同様だ。確かに美しい式だ。黒板に書かれる数式その他は、オイラーの公式を求める時の証明をアレンジしたみたいな匂いがした。高校の数学IIIから大学に入ってすぐ学ぶ解析のレベルかもしれない。日本がゆとり教育に転向した頃に、もしかして高校数学のレベルも韓国は上がったのであろうか?数学は北では兵器の道具になり、南では大学進学の道具使われたというハクソンのセリフがあった。

映画の中での校内試験のテストで、女の子が書いている解答をみるとメラネウスの定理のような式を途中までかいて途中で終わってしまった。こういう初等幾何系の問題は日本でも中学から高校程度だろう。問題の設定も疑え、途中経過にこだわるという数学者の教えの趣旨はもちろん悪くない。でも、数学が苦手というのであれば、暗記数学にこだわっておった方がいい気がするけどね。久々、80過ぎて野口悠紀雄先生が勉強法の本を書いたけど、あえて「数学は暗記」と書いてあった。自分も学生時代に数学は得意な方だったけど、肝心なところで失敗した。暗記数学を知らなかったからだと思う。当然高等数学レベルは違うけど。Q.E.D.が連発されているのをみて、受験生時代に若き長岡亮介がよく使っていたのを思い出した。


あとは音楽と数学の関係に言及しているのはよかった。元東京外語大学長のの亀山郁夫が書いた「人生百年の教養」で音楽と数学は学問的に近いと論じていたのを思い出した。
無数のおたまじゃくしをちりばめた五線譜は天才が知力の限りを尽くして組み立てた数式そのものである。音楽とは,文理横断的思考の賜物とも言える「学」なのです。(人生百年の教養 p43 )
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映画「レッドロケット」ショーンベイカー&サイモン・レックス

2023-04-25 19:05:56 | 映画(洋画:2019年以降主演男性)
映画「レッドロケット」を映画館で観てきました。


映画「レッドロケット」元ポルノ男優のお調子者が別居した妻のいるテキサスに戻って繰り広げるチャラいストーリーだ。監督は「フロリダプロジェクト」ショーンベイカーだ。評判がいいので観てみたくなった作品だ。それにしてもいい加減そのものの主人公のパフォーマンスには呆れるしかない。真面目人間からしたら、途中で呆然としてしまうであろう世界だ。

ポルノ映画界のアカデミー賞を取りそこなったマイキー(サイモン・レックス)が突如テキサスにいる別居中の妻レクシー(ブリー・エルロッド)の家に無一文で戻ってくる。嫌がるレクシーと義母のリルのところへ無理やり住み着く


テキサスで職探ししてもまともな仕事に就けず、マリファナを売って小遣い稼ぎをする。竿師ぶりを発揮して久々にレクシーとメイクラブするとともに関係が少しづつ回復していた時に、ドーナツショップのアルバイトのストロベリー(スザンナ・サン)を見初めてしまう。


ウソで繕った人生をおくる竿師の物語である。
映画はテンポよく進んでいく。舞台は煙突から火を吹く製油工場があるだけのテキサスの田舎町だ。いかにもアメリカンタイプのサイディングの家に住人たちは住んでいる。眩ゆいほどの太陽が輝くその町では、誰もがのんびり暮らしている。そこに似つかないハチャメチャな男を映画に放つ。ハッタリだけで生きている人生だ。サイモンレックスはこの役にピッタリのポルノ絡みのエピソードがあったらしい。典型的な詐欺師タイプを巧みに演じる。ポルノ男優らしい腰の動きも見せる。


そんなクズ男とわかっていても、長期に渡って別居していた妻レクシーもカラダを合わせられるとついつい甘くなる。竿師たるゆえんだ。ただ、出戻りのチャラい男を受け入れるだけだったらストーリーは物足りない。ドーナツショップで働く18才にあともう少しでなる女の子を登場させる。マイキーが夢中になってしまうのだ。

いくら口説いてもくっつくことはないだろうと、映画を観て思っていた。インチキな口説きでもマメほど強いものはない。じわりじわりとマイキーがストロベリーに近づいていく。2人の距離は近づいていく。ストロベリーが付き合っている若者にもお前は付き合うなとばかりに乗り込んでいく。オイオイどうなっちゃうんだろう。


不思議な肌合いを持つ映画だ。後半戦に入ってある事件が起きる。隣家の息子が絡んでいる。さすがのマイキーも頭を抱える。そんな紆余屈折も与えながら、コミカルにストーリーは進む。フランシスマクドーマンドの雰囲気を持つ妻役のブリー・エルロッドがうまかった。とても脱ぎそうには見えなかったスザンナ・サンも気前よくかわいい裸体を見せて良かった。マイキーとの遊園地に行ったり、ストリップ劇場に行ったりするデートシーンがたのしい。年齢より若く見える。
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映画「聖地には蜘蛛が巣を張る」 ザーラ・アミール・エブラヒミ

2023-04-23 15:06:16 | 映画(欧州映画含むアフリカ除くフランス )
映画「聖地には蜘蛛が巣を張る」を映画館で観てきました。


映画「聖地には蜘蛛が巣を張る」イランで起きた16人娼婦連続殺人事件を題材に北欧で活躍するアリアッバシ監督が制作した作品である。主演のザーラ・アミール・エブラヒミ殺人犯を追うジャーナリストを演じてカンヌ映画祭主演女優賞を受賞している。中東らしい目鼻立ちがくっきりしたエキゾチックな美人だ。イラン社会の闇に入り込む映画で、ロケはヨルダンで撮影されているデンマーク発の作品である。

イランのシーア派の聖地マシュハドで、娼婦に絞って連続で殺害される事件が起きている。ジャーナリストのラヒミ(ザーラ・アミール・エブラヒミ)がテヘランから来て、警察当局や被害者などから話を聞きだしている。その最中にも事件が起きる。犯人(メフディ・バジェスタニ) は毎回犯行声明を出す。捜査当局の緩慢さに我慢できないラヒミは自らおとりになって犯人を見つけようとする。


独特の薄気味悪さをもった作品である。
ゴルゴ31の中東を舞台にした劇画に出てくるあやしい雰囲気が漂う。街娼が道路脇に立ち、バイクや車を走らせる男をキャッチする。カネを持っているかどうかを確認した後で同乗してエッチする場所に向かう。イランではそういう買春システムなんだろう。


犯人が娼婦を殺すシーンをいくつか用意する。むごい場面である。まさに絞殺魔だ。警察当局は踏み込んだ捜査をしていない。どうやって捕まえるんだろう。最初はそう考えていた。そこではジャーナリストの大胆な行動が鍵となる。


でも結局、捕まってしまう。アレ?まだ映画終了まで時間がある。
捕まった後で日本では考えられないような言動が目立つ。街の浄化で殺人を犯したという犯人をかばうデモも繰り広げられる。日本でも安倍元総理の事件が起きて、一部にかばうムードも生まれたことも連想するが、比較にならない。これだけ殺人を犯しても家族は犯人の味方だ。イスラム社会の不可解さが根底に流れる。いかにもイスラム国家らしい女性蔑視の世界を象徴する場面も目立つ。

裁判が進んでも、何それ!と思う場面が続く。自分の知らない世界だけど見応えはある。イランを飛び出した人物によるイラン国家への批判とも読み取れる奇妙な映画だった。
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映画「ザ・ホエール」 ブレンダン・フレイザー&ダーレン・アロノフスキー

2023-04-16 10:22:36 | 映画(洋画:2019年以降主演男性)
映画「ザ・ホエール」を映画館で観てきました。


映画「ザ・ホエール」はブレンダン・フレイザーが本年のアカデミー賞主演男優賞を受賞した「ブラックスワン」ダーレン・アロノフスキー監督の作品だ。もともと演劇の題材だった作品を映画にまとめる。272kgの巨体の男が主人公だというと、外を容易に出歩くことはできないわけで当然室内劇になる。個人的には閉塞感のある室内劇は苦手だが、話題作なので映画館に向かう。


過食で270kgを超す肥満体になったチャーリー(ブレンダン・フレイザー)は、オンラインで大学の文章講座の講師をしている。ただ、オンラインの画面には自分の姿を見せない。男性の恋人が亡くなったことでより過食に拍車がかかり一層デブになってしまう。恋人の妹リズ(ホンチャウ)が看護師として面倒を見るが、血圧も異常値で死期が近づいているのも実感できる。8才の時に別の生活をすることになった16才の娘エリー(セイディー・シンク)に声をかけて関係を修復しようとする。

特に感動することもなく終わってしまった
やはり、室内劇はあまり得意でないのかもしれない。主人公チャーリーが住むアパートメントの一室に訪れる数名のパフォーマンスとそれに対峙する大デブの男のやりとりが映画の中心だ。主人公はもとより、偶然家に来た宣教師見習いのような青年、元恋人の妹である看護師、別々に暮らす実娘、別れた妻いずれも素晴らしい演技であることは間違いない。元ネタが演劇というのもよくわかる。舞台劇ぽい情感のこもった演技だ。この中でいちばん若い娘役のセイディーシンクにスマホを現代風に使わせて自由奔放に演技させる。


歩行器がなければ、歩くこともままならない。血圧は上が230、下が130。異常値である。自分も血圧が170くらいに上昇した時にめまいがしてまいった。よく生きていられるな。うっ血性心不全だという。血液の循環ができていない。そんなチャーリーも妻子がいる家庭を捨てて別の男と暮らすようになった。娘には申し訳ないとは思っている。でも、声をかけて久々に再会した娘は冷たい。学校の勉強が不出来な娘は父親に課題を依頼する。娘がいるので、父娘の交情の題材はお涙ものになることが多い。ここではそうはならなかった。


ダーレン・アロノフスキー監督の「π」「レスラー」「ブラックスワン」いずれも衝撃を受けた作品だった。特に「ブラックスワン」でのナタリーポートマン演じるバレリーナを精神的に追い詰めるサイコスリラー的な展開には圧倒された。ただ、この映画でも登場人物のキャラクターの深層に入り込もうとする動きは感じた。でも、大きな感動はなかった。
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映画「仕掛人 藤枝梅安2」 豊川悦司&片岡愛之助

2023-04-12 18:10:12 | 映画(日本 2019年以降)
映画「仕掛人 藤枝梅安2」を映画館で観てきました。


映画「藤枝梅安2」池波正太郎原作の映画化藤枝梅安シリーズ第2作目だ。前作に引き続き豊川悦司主演で片岡愛之助が脇を固める。前作「藤枝梅安」は予想以上によくできている時代劇だったし、まったく飽きずに引き込まれていった。天海祐希が実に良かった。期待して映画館に向かう。

前作の最後にオマケがあり、梅安(豊川悦司)と京に向かう旅の途中で相棒彦次郎(片岡愛之助)が昔妻をてごめにした侍(椎名桔平)を見つけるシーンで終わる。うーん、2作目は復讐がテーマかと。実際に予告と同じ流れで始まる。しかも、椎名桔平演じる長髪のならず者とその仲間5人が京の遊郭に乱入して荒らすシーンが映っていく。実際すごいワルなのか?このならず者が昔の姿で今は普通の侍になったのか?


2人は見つけた侍を追っていく。でも、前半戦で何か復讐の動きがあるのか?しかし、この映画のストーリーはそれほど単純ではなかった。その侍の行き先は藤枝梅安が目指した墓所と同じだ。梅安とご縁があったのだ。2人に共通した恩人がいる。そんな悪いことをするような奴なのか?ある事実がわかると同時に、複雑な展開になっていくのだ。


イヤー!これもおもしろかった。
前作は豊川悦司も良かったけど、天海祐希のワル女将でもっている部分もあった。2作目は経済学の限界効用逓減の法則のようにすこし落ちるかと思ったら、そうではなかった。ストーリー展開がどうなるかわからず、どうなっていくんだろう?と興味しんしんに見入った。この映画の作品紹介は最小限に留めておいた方が良さそうだ。

相棒彦次郎の復讐がポイントになるかと思ったが、もう一つ別の復讐を用意していた。しかも、殺しの仲介者として、前回は柳葉敏郎を用意したが、今回は石橋蓮司を登場させる。これがまたうまい!その情婦は高橋ひとみだ。天海祐希のような貫禄を感じさせる。(ちなみに高橋ひとみは自分の実妹と塾の同級生、小学生から背が高かった)


佐藤浩市演じる浪人にお供する一ノ瀬颯演じる美少年剣士も味がある。この映画はキャスティングに成功している。それぞれに活躍の場を与える脚本も見事だ。監督の河毛俊作が巧みにまとめる。じっくりとストーリーの流れに身を任せて堪能してほしい作品である。


映画が終わっても帰らないでほしい。エンディングロールが終了して、席を立ったら、またオマケがあった。クレジットに名前があり、アレ?と思った人物が出てきた。名乗るとまた、大物である。楽しみだ。
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映画「AIR」ベンアフレック&マットデイモン

2023-04-09 16:58:14 | 映画(洋画:2019年以降主演男性)
映画「AIR/エア」を映画館で観てきました。


映画「AIR」は「グッドウィルハンティング」の名コンビであるベンアフレックとマットデイモンが組んだ新作である。ベンアフレックがメガホンを持ち、ナイキがバスケットボールのマイケルジョーダンと組むようになる過程を描く。他のシューズメーカーよりバスケットでは劣勢だったNIKEが這いあがるサクセスストーリーだ。

1984年、バスケットボールシューズのシェアではナイキはコンバース、アディダスに続く17%のシェアだった。CEOフィルナイト(ベン・アフレック)は社員のソニーヴァッカロ(マットデイモン)にバスケット部門の立て直しを命じる。ソニーが目をつけた選手はNBAデビュー前のマイケルジョーダンだった。しかし、ジョーダンにはライバルのコンバースやアディダスも目をつけていた。


おもしろかった。
まさにビジネスのサクセスストーリーだ。こういうのは大好きだ。ナイキ社のジョーダン家へのアプローチを中心に描いていく。1980年代中盤の実際の映像を織り交ぜながら、当時流行った音楽をバックにマットデイモン演じるソニーが切込隊長としてジョーダン家にアプローチする。決定権者は両親で、母親(ヴィオラデイヴィス)の意見が強い。しかも、マイケル本人はアディダス好きでナイキには関心を持っていなかった。ソニーは遠路はるばる西海岸から東海岸へノーアポでジョーダン家を訪問する。

自分も長きに渡り営業をしていたので、こんなシーンを見ると熱き血が流れる。やるね!ソニー。しかも、シューズ製作部門にとっておきのバスケットシューズの試作を用意させる。これこそ、エアジョーダンだ。でも、他社も黙ってはいない。会社をあげてプレゼンをする。簡単には勝てるものではない。ここでのマットデイモンは熱い!でも、ジョーダンの母親から予想外の条件も出される。さあどうなる。


マイケルジョーダン役は面と向かって映像に映らない。背中が見えるだけである。これはこれでよかった。あくまでマットデイモン対ヴィオラ・デイヴィスの構図である。メガホンを持ったベン・アフレックのCEO役もアメリカ人経営者っぽくて良かった。


ナイキ本社近くのオレゴン州ポートランド市には96年に行ったことがある。エアマックスが大流行している頃だ。当時この街で買い物すると消費税がなかった。この映画で富士山のようなフッド山を遠くに見る映像を観て、ポートランドに着く前に飛行機から間近で見たフッド山の美しさを懐かしく感じた。

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映画「生きる LIVING」 カズオイシグロ&ビル・ナイ

2023-04-01 19:28:43 | 映画(洋画:2019年以降主演男性)
映画「生きる LIVING」を映画館で観てきました。


映画「生きる LIVING」黒澤明の名作をノーベル賞作家カズオイシグロ脚本を書いてリメイクした。オリヴァー・ハーマナス監督のもとビル・ナイが主人公を演じる。感動の名作「生きる」は何度も観てストーリーのディテイルまで頭に入っている。どんな感じでリメイクしたのか楽しみだ。

いきなり二階建てバスが走る古きロンドンの街が映し出される。映画はオールドファッションスタイルのオープニングクレジットで俳優やスタッフが紹介される。時代背景は1953年の英国だ。

ロンドン郊外から蒸気機関車でロンドンの市役所に通うウィリアムズ(ビルナイ)は日常お決まりの仕事をしている市民課の課長だ。そのウィリアムズが身体の変調を感じて病院へ行くと、がんで余命が短いことがわかる。同居する息子夫婦に告げようとするが、タイミングを逸する。失意のウィリアムズは仕事を無断欠勤して、郊外の街で徘徊するが気は晴れない。偶然街で出会った元同僚のマーガレット(エイミー・ルー・ウッド)とのひと時を楽しむようになる。ようやく職場復帰したウィリアムズは以前役所に来ていた婦人たちの公園開設の陳情に関心を持つようになる。


胸にしみるすばらしい映画であった。
黒澤明の名作と基本構造は同じである。頭にこびりついているシーンがいくつかある。住民をたらい回しにする役所の仕事のシーン、息子夫婦に虐げられているシーン、伊藤雄之助扮する不良作家と夜の町を徘徊するシーン、小田切みき演じる若い娘と遊ぶシーン、そして通夜の場で同僚が故人を偲ぶシーン。いずれもカズオイシグロ1953年の英国にあてはめて再現している。お見事としか言いようがない脚色である。

⒈お役所仕事
黒澤明の「生きる」を観てはじめて、若き日の自分はいわゆるお役所仕事というのはこういうことというのを知った。名シーンである。ここでも市民課に陳情に行ったご婦人方がたらい回しになる。ただ、この映画では新人として市役所の市民課に配属になったピーターがクローズアップされるのが原作と違うところだ。

1953年のロンドンの市役所では、紳士風にドレスアップした市役所員が映し出される。きっと時代考証的にそうだったんだろうけど、この辺りは日本とは違うなあ。英国では役所に育ちのいいエリートが勤務しているという印象を持つ。上司もsirの呼び名で呼ばれている。ただ、お役所仕事の基本は古今東西変わらない。


⒉夜の徘徊
がん宣告されて失意のどん底に落ちた主人公渡辺(志村喬)が夜の繁華街に行き、ストリップ劇場や女給のいる飲み屋を不良男伊藤雄之助と徘徊するシーンが印象に残る。そこではじめてテーマソング「ゴンドラの唄」が流れるのだ。これはどう表現するんだろうと思っていた。歌はスコットランド民謡に変わる。印象的だ。ウィリアムズは仕事をサボって郊外の海辺の街に行く。そこで出会ったサザーランド(トム・バーク)と遊び歩く。海辺のテント小屋でストリップも見るのだ。


黒澤明の「生きる」では怪しげな伊藤雄之助がすばらしい存在感を持っていた。夜の徘徊で圧倒される堅物の主人公志村喬の唖然とした表情が実にうまかった。トムバークに伊藤雄之助がもつ怪しげなムードがない。このシーンは圧倒的に黒澤明版に軍配があがる。

⒊元同僚との逢引き
我々が子どもの頃みんな見ていたチャコちゃんこと四方晴美のお母さん小田切みきが演じていたあっけらかんな若い娘の役は、美女度をグレードアップしてエイミー・ルー・ウッドが演じる。ここでの脚色がうまい。市民課の課長と課員の関係だった2人のつながりを強めにアレンジしたのはカズオイシグロの巧さだ。若い娘に対して妙にしつこいところも違う。しかも、重要な告白場面も用意して、最後に向けてこの映画を際立たせるシーンをつくる。ノーベル賞作家たるうまさである。


初老の域を超えた自分だけに、あとわずかの命とわかった時、自分はどうするんだろう。
そんなことも考えてしまう。
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