映画とライフデザイン

大好きな映画の感想、おいしい食べ物、本の話、素敵な街で感じたことなどつれづれなるままに歩きます。

映画「BAD LANDS バッドランズ」安藤サクラ

2023-09-30 17:20:23 | 映画(日本 2019年以降主演女性)
映画「バッドランズ」を映画館で観てきました。


映画「BAD LANDS バッドランズ」は振込詐欺を描いた黒川博行の小説「勁草(けいそう)」の主人公を男性から女性に代えた安藤サクラ主演の新作映画だ。原田眞人監督の監督脚本である。予告編の時からアウトローで面白そうだなという雰囲気がにじみ出ていた。「ある男」「怪物」安藤サクラよりも予告編で見るようなクセのある女が見たかった。大阪が舞台である。裏社会が絡む世界はやっぱり大阪が似合う。安藤サクラは東京人だけど、周囲の俳優に関西出身者を集めているようだ。飽きずに140分盛りだくさんの内容である。

電話で振り込め詐欺の被害者を呼び出し、カネをおろさせて、金の授受の場所を指示して「受け子」が受けとる。振込め詐欺チーム戦だ。被害者の元を警察が尾行しているかどうかを見極めて判断するのがネリ(安藤サクラ)だ。一方で警察側も日野班長(江口のりこ)率いる特殊詐欺対策チームをつくって、佐竹刑事(吉原光夫)を中心に詐欺グループを摘発しようと躍起だ。

名簿屋高城(生瀬勝久)は表向きホームレスを救済するNPO法人を運営していながら、振込め詐欺の親玉である。裏社会にも政治家にもつながっている。西成の貧民宿舎には元ヤクザの曼荼羅(宇崎竜童)も住んでいる。生活保護や医療補助金でもらったお金を高木が吸い上げる。ネリは血のつながらない弟ジョー(山田涼介)とコンビを組んで貧困ビジネスにも手を染めている。


ジョーは裏の仕事を依頼する賭博場の胴元(サリngROCK)から仕事を依頼される。ネリが急用で不在になったときに手本引賭博で大きな穴をあけて借りをつくってしまい、危ない仕事に手を染めた後に予想もできない行動に出る。

これはおもしろい。安藤サクラが冴える。
いきなり特殊詐欺グループの親玉高城とネリが振込め詐欺でカネの受領に着手する場面からスタートする。銀行にいる被害者がTELの相手から大阪の銀行から難波、天王寺、中之島と大阪の主要エリアを転々と移される。ネリたちは身を隠しながら、チーム戦で被害者を罠に落とそうとする。あちらこちら行けば、被害者もおかしいと感じるのは普通と思いながら「受け手」を指示する安藤サクラが動く。これは成功しない。警察がキッチリ張っていたのだ。いきなり緊迫した場面が続き目が釘付けになる。同時に、特殊詐欺事件での詐欺側、警察側の動きを見せつける。


そもそも俳優二世で血筋もいい安藤サクラなのに、堅気の役柄より下層社会にルーツをもつ女の方が似合う。傑作「百円の恋」「0.5ミリ」もその類だ。ネリはもともと育ちがよくない。ギリギリのところで彷徨って生きてきた。機転が効いて悪知恵がはたらく。明らかに腕力が強い男が迫る危機一髪の場面になっても動じない。すごいヒロインだ。

普通だったら、安藤サクラのワンマンショーになってもおかしくない。でも、周囲もいい仕事をする。登場人物は多い。配役が適切で、それぞれの役割分担を短いシーンで示す。脚本が簡潔なのでわかりやすい。それらの人物を大阪の街に放つ。メインの繁華街だけでなく、猥雑な裏筋通りにもカメラを運ぶ。ギャンブル好きで有名な黒川博行の原作なだけに裏賭博の鉄火場や賭け麻雀の現場、競艇場なども映し出す。エリア描写がキッチリしていると映画のリアリティが高まる。


内田裕也亡き後、元ヤクザのならず者なんて役を演じられるのは宇崎竜童に限られていく。NPOの下層社会相手のアパートに住んで、しかも身体はボロボロだ。でも、肝心な時に安藤サクラをフォローする。信頼できる男だ。ダウンタウンの時代、阿木耀子と一緒に楽曲を提供した時代、映画をかじり始めた時代それぞれを思い出しながらいい役者になったと感動する。天童よしみ特殊詐欺組織の親玉に起用する。いかにも大阪のめんどくさいオバサンのキャラだけにピッタリくる。


弟役の山田涼介もチャランポランな最近のワル役がうまい。行動が極端で姉のネリが尻拭いをする。度胸よくのりこんでいくのに怖気づくシーンが笑える。最近流行の仮想通貨系青年実業家を演じる淵上泰史も最近のワルらしい風貌だ。裏社会としっかり繋がっている。高級個室で会食しながら妖しい女に性的遊戯を強制する。しかも、DVが半端じゃない。こんな感じのやつが世の中で悪いことをしているのかもしれない。

すごい存在感だったのがサリngROCKだ。初めて見るけど、裏社会の女そのもので見ようによってはカッコいい手本引の賭博が繰り広げられている鉄火場の胴元であるばかりでなく、チンピラをヒットマンに仕立て裏仕事を手配する。主要人物の動きなどの裏情報は誰よりも早く耳に入る。最後に向けても、金の精算で抜け目ないところを見せる。今後の活躍に期待だ。


江口のり子は自分が好きな女優だけど、ここではひょうひょうとした警察の係長を演じる。その下の吉原光夫演じる刑事がリーダー的存在だ。この映画は警察側の立場で特殊詐欺に対抗する動きを見せているのがいい。昨年「冬薔薇」が高評価だったが、警察側がまったく語られていないのが大きな欠点だった。「太陽がいっぱい」ヒッチコックの「見知らぬ乗客」を書いたパトリシアハイスミスは自らの著書で刑事ができる犯人への対処の暴力的限度は難しいと書いている。警察小説をいくつも書いている黒川博行なら信憑性ある警察の仕事を書けるかもしれない。

ラストシーンも良かった。いくつかのシーンでわれわれに迷彩を作ってわからないようにする。
これだけ悪いことをしても、主人公を応援したい気持ちにする。
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映画「草原に抱かれて」

2023-09-29 05:10:37 | 映画(アジア)
映画「草原に抱かれて」を映画館で観てきました。


映画「草原に抱かれて」は中国のモンゴル自治区に住む認知症の母親とミュージシャンの息子の親子の交情を描く作品である。中国語原題は臍の緒(へその緒)である。親子のつながりを意味するということだろう。モンゴル国に面して、モンゴル人が約500万人居住する中国のモンゴル自治区がある。いったん都市部を離れると大草原地帯にはいる。文化大革命の頃から大量の漢人が入ってきて、今では自治区の80%は漢人でモンゴルの方が少ない。しかも、モンゴル人がひどい迫害を受けた歴史があるという。まったく縁のない世界に関心があり、この映画を選択する。

電子楽器のミュージシャンアルス(イデル)が久しく会っていない母親(バドマ)を訪ねて兄の家へ行くと、母は認知症が悪化して息子が誰だかわからなくなっていた。近隣にも迷惑をかけて兄夫婦は嫌気がさしている。そこで母親を連れて大草原地帯にある昔住んだ家に向かう。当然電気も水道もないところだ。そんなところでも、目を離すと外へ出て行方不明になってしまう。自分と母親に腰にひもをつけて行動する。近くに住む女性にも助けてもらいながら、ミュージシャンとしての創作活動の拠点を移す。


大草原の映像を観ると心がなごむ。
自宅の近所でも年寄りが行方不明になっているとの尋ね人の放送がよく流れている。息子の存在すらわからない母親はわがままで周囲に迷惑をかけている。お漏らしもしてしまうこともある。放っておくと外に出て行ったきり行方知れずになってしまう。かなり面倒な話である。でも、まるで幼児に戻ったような動きを見せる時がある。母息子をむすぶひもは見ようによってはへその緒だ。認知症なだけで裏のあるような人間ではなく、嫌気がするような映画ではない。


映画が始まる前に中国の映倫が承認しているという画面がでる。反体制的な動きはないと予想される。その通りだった。政治に関わる話、黒社会的要素が一切ない。面倒な姑を抱えた時の女の愚痴くらいでこれは万国共通だ。せいぜい葛藤が誰が認知症の母親の面倒を見るかでの兄弟の争いもかわいいもんだ。

緯度的には北海道と同じくらいか?場所によってはもう少し北か?地名は出てこない。冬場の撮影でないので、寒そうだけどは降っていない。気がつくと最後まで雨も降らない。果てしなく草原が続いていて、たまに牛や羊がでてくる。遙か遠くに地平線がみえる。監督は若手の女性監督チャオスーシュエだ。主役がベテラン女優なのでやりやすかったのでは?こんなのどかなところに行ったらどうなるんだろう。飽きちゃうだろうなあ。


最後に向けての結末は、本当だったらどうなっちゃうんだろう?
怪獣映画のような終わり方だった。
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映画「仕立て屋の恋」パトリス・ルコント

2023-09-27 17:09:35 | 映画(フランス映画 )
映画「仕立て屋の恋」は1989年のフランス映画、92年キネマ旬報ベストテン第4位


映画「仕立て屋の恋」は今年映画「メグレと若い女の死」を簡潔な傑作につくりあげたパトリス・ルコント監督の作品だ。お見事な腕前だった。アルフレッドヒッチコック「裏窓」のように、真向かいのアパルトマンの部屋を覗き見する仕立て屋の男が主人公で、ミステリータッチのシリアスドラマに仕上げている。ふと、パトリスルコント監督の昔の作品をつい観てみたくなる。原作は一連のメグレ警部の物語を書いたフランスの作家ジョルジュ・シムノンによる味わいのある作品「Les fiançailles de M. Hire」だ。

仕立て屋のイール(ミシェルブラン)は自分の部屋から向かいのアパルトマンに住むエリーゼ(サンドリーヌボネール)の部屋を覗き見するのを日課としていた。イールは美しいエリーゼに密かに想いを寄せていたが、エリーゼの部屋に彼氏のエミールが出入りしていた。イールは近隣で起きた殺人事件の犯人ではないかと刑事(アンドレウィルム)に疑われていた。以前性犯罪で捕まった前歴があったからだ。

ある日突然、エリーゼは向かいのマンションから自分へ視線が浴びせられていることに気づく。驚いたが、しばらくしてエリーゼから会いたいという連絡をイールがもらう。イールはエリーゼにある意図があるのを感じる。殺人事件当日のエリーゼの自宅内でのエミールの動きを気付いていると思ったからだ。


せつない物語だけど傑作である。
イールがまさに裏窓から眺めている光景は異様だ。ネクラな感じがする。頭は若ハゲで見栄えは悪い。逆にエリーゼの部屋からイールを見上げる映像は気味がわるい。アルフレッドヒッチコックの「裏窓」のように眺めている時間が延々と続くと思ったけど、そうではなかった。見られているエリーゼがイールの動きに気づくのである。普通であれば、変態と思われるのがオチだけど、エリーゼには秘密があった。逆に、エリーゼからアプローチが来る。

イールが犯人として疑われている殺人事件エリーゼの恋人エミールがからんでいるようなのだ。何かを知っているのか感触を確かめようとしている。エリーゼがイールに近づいてから続く2人のやりとりが見どころの一つである。

これからの動きについては言わない。あまりにせつなくて悲しい。
自分だったらイールと違う行動をとるなと思っても、物語だから仕方ない。思い通りにならないどころか、濡れ衣を着せられるのだ。原作者ジョルジュ・シムノン「それはないよ」と言ってあげたくなる。


それにしてもサンドリーヌボネールは美しい。この後も長い間フランス映画界で活躍してきた。特に2004年の「灯台守の恋」海風の荒々しさが伝わる傑作だ。昨年自分一押しの「あのこと」で母親役を演じた。

最近異様に上映時間が長くなっている。あえて時間を長くするがごとくのムダなエピソードを交えすぎだ。映画90分論の蓮實重彦の気持ちはよくわかる。こんな感じで簡潔にまとめるパトリスルコント監督をもっと評価したい。
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映画「バーナデット ママは行方不明」 ケイトブランシェット&リチャードリンクレイター

2023-09-25 18:29:54 | 映画(洋画:2019年以降主演女性)
映画「バーナデット ママは行方不明」を映画館で観てきました。


映画「バーナデット ママは行方不明」はケイトブランシェット主演の最新公開作で2019年に米国で公開されている。最新作と勘違いしてしまった。人付き合いが嫌いな元建築家の主婦が近隣関係ですったもんだした後に南極に1人旅立つ物語だ。リチャード・リンクレイター監督とケイトブランシェットのコンビとなれば観てみたくなる。いずれも相性がいい「ブルージャスミン」でコンビを組んだサリーホーキンスの映画を観た後で思わず選択する。結果はうーん。

マイクロソフトのエリートを夫にもつバーナデット(ケイトブランシェット)は建築界の賞を受賞したこともある元設計士だった。今はシアトルに住んで中学を卒業して上級学校に進学する娘(エマネルソン)のいる専業主婦だ。ただ、人付き合いが嫌いで、近隣関係も最悪だ。しかも、精神状態は不安定である。ゴタゴタが次々と起こる中で思わず南極に1人旅だって行く。


居心地が悪い映画だった。
「TAR」は今年日本公開の作品の中でも、指折りの傑作だと思う。ケイトブランシェットは精神状態が不安定な指揮者を巧みに演じた。その次作だと思って勘違いした。

この映画では、元建築家というプロフィールではあれど、よくある普通の主婦のヒステリックな面を前面にだす映像が続く。近所付き合いや娘の友人の親との付き合いに疲弊するバーナデットの気持ちはよくわかる。力量が飛び抜けた建築設計士が異様な行動を起こすという設定もわかるけど、ずっと続くと女性のヒステリーは疲れる。居心地は最悪。男性陣は奥さんのヒステリーを連想してイヤかも?

こういう精神が破滅状態の女性はケイトブランシェットにはお似合いだ。キャリアから考えても「ブルージャスミン」にせよ「TAR」にせよ普通じゃない女だ。演技はもちろんレベルが高い南極って撮影できるのかしら?と思っていたら、どうやらグリーンランドでの撮影だそうだ。まさに氷の世界で美しい景色である。見渡す限り氷河が続く海でカヤックを操るケイトブランシェットは楽しそうだ。娘役のエマ・ネルソンがなかなか上手で、良い味を出している。


コロナ禍はあったとはいえ、4年も経って日本公開されるのは不自然だ。TARでケイトブランシェットの存在感が高まって集客が見込めるのと、俳優ストライキも絡んでかハリウッド作品の公開が不足していることの両方だろう。リチャードリンクレイター監督作品は、ほとんど観ていてどれも好きな作品だけど、次作に期待だな。


あえて主人公の夫がマイクロソフトに勤務と書いた。セリフで会社名をマイクロソフトと話していて支障のないものだけ字幕にでる。他はマイクロソフトと書かず、「会社」の文字がでる。マイクロソフトの株が上がって財産を築いて今は秘書のいる幹部社員という設定だ。日本だと、こういうのは全部匿名にしているけど、パソコンもGoogleで検索しているし、スポンサーでもないのに普通の会社名がでるのは問題にならないようだ。お国柄の違いか?

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映画「クリーデンスクリアウォーターリヴァイバル トラヴェリンバンド」

2023-09-24 18:10:25 | 映画(洋画 89年以前)
映画「クリーデンスクリアウォーターリヴァイバル トラヴェリンバンド」を映画館で観てきました。


映画「クリーデンスクリアウォーターリヴァイバル トラヴェリンバンド」は1970年前後にヒットチャートをにぎわせ世界的人気を誇っていたクリーデンスクリアウォーターリヴァイバル(以下CCRで表記)の1970年4月のロンドンのロイヤルアルバートホールでのコンサートを中心に描いたドキュメンタリー映画である。

これを楽しみにしていた。今でも個人的にCCRは大好きで、今でもクルマのCDでCCRを聴く。全米ヒットチャートでは万年2位としての異名もあるが、アルバムは米英いずれもトップになっている。1970年当時ビートルズに次ぐレコード売上をあげていたというコメントは確かに正しい。

ヒット曲としては「プラウドメアリー」エルビスプレスリーをはじめとして色んなアーチストに歌われて有名だけど、「雨をみたかい」など聴くと誰もが聴いたことあるメロディのヒット曲が多い。映画館には観客がそれなりに埋まっていたけど、白髪か髪の毛が薄い男性陣ばかりである。一部の老年カップルを除き女性はいない。ロック映画とはいえここまで女性がいないのも珍しい。

貴重なフィルムを公開してくれて感謝したい。
ジョンフォガティのシャウトする歌声と味のあるリードギターを大画面で観れて本当にうれしい。

いきなり題名にある「トラヴェリンバンド」から始める。これも全米2位のヒット曲だ。リトルリチャードを意識したような典型的なロックンロールで、この短い曲を針が擦り切れるくらい聴いた。アルバム「コスモズファクトリー」にも収められている。全米1位のアルバムだ。「ケントス」のようなロックンロールダンスが踊れる店で流れたらいちばんのれるんじゃないだろうか?ただ、ジョンフォガティがかなりの早口でシャウトするので日本の歌手ではむずかしいのかもしれない。


ロンドンでのコンサートの前に欧州をコンサートツアーでまわった映像が続き、デビュー前からのバンドのルーツに迫る。スージーQで脚光を浴びてプラウドメアリーで全米ヒットチャート2位になるスターティングアップを簡潔にまとめる。ジョンとトムが兄弟なのは当然知っていたが、ベースとドラムがジョンフォガティの同級生だったのを初めて知った。恥ずかしながらファンなのにこの映画を観て初めて知ることが多い。歌詞にも南部の町の名前が出てくることが多いので、ウェストコースト出身と聞いて驚く。今だったらネットで情報得られるが、ライナーノーツと雑誌だけではキツイ。

1972年に来日した時はまだ少年になりきれない頃で、当然コンサートに行ける訳がない。ただ、その前年1971年から雑誌「ミュージックライフ」を購読するようになり、来日した時にCCRのメンバーを食事に招待して星加ルミ子編集長(たぶん?)がインタビューしている記事を見た。しばらく雑誌を持っていたが現在はないのは残念。ジョンフォガティのチェックのシャツに憧れて、親に買ってもらったなあ。

ロンドンでのコンサートもトラベリンバンドから始まる。大画面いっぱいに映るわけではない。それでも圧倒的な迫力だ。CCRの曲は2〜3分で終わる曲が多く、シングルカットも意識している。ロックンロール、ブルース、カントリーそれぞれにテイストをもつ曲を散りばめる。「グリーンリバー」「プラウドメアリー」「ダウンオンザコーナー」の一連の全米2位ソングはシンプルなロックンロールで普通のポップス調といってもいい。


字幕で日本語訳の歌詞がでる。中学校時代の英語力ではCCRの歌詞は訳せなかった。こうやって字幕を読むと、世間を皮肉ったセリフも目立つ。「フォーチュネイトサン」は映画の挿入歌でよく使われる。「フォレストガンプ」など戦争が絡む場合も多く、「君のいないサマーデイズ」ではバカンスに出かける時にも使われる。ジョンフォガティのヴォーカルに高揚感がある曲だ。でも、これって戦場の最前線では戦わないお偉いさんの「息子」を皮肉っている歌詞だよね。ジョンフォガティは徴兵制に従っているだけにムカつくんだろう。「コモーション」とメドレー的に演奏する流れがいい。


今回「グッド・ゴリー・ミス・モリー」はセットリストでいちばん楽しみにしていた。もともとリトルリチャードの曲だけど、ジョンフォガティがニューロック風にアレンジしたリードギターが冴えるロックンロールだ。この曲からジョンフォガティがハーモニカを鳴らす「キープオンチューグリン」につなぐ。ギタープレイはジャズのチャーリークリスチャンを意識しているという。同じ「バイユーカントリー」に入っている名曲だ。CCRのアルバムでは、ヒット曲に加えて古典的ロックンロールブルース調のロングバージョンが組み込まれている。そんな組合せでコンサートを終える。


コンサートは淡々と次から次へと演奏する。余計なMCはない。それはそれでいいかも。ジョンフォガティは期待通りだが、ベースとドラムが予想以上にエネルギッシュな演奏を見せてくれて十分に堪能できた。CCRの最後のシングルカットは「サムデイネバーカムズ」という曲だ。「またいつかはもう来ない」ということだったが、こんなコンサートが観れる日が来た。うれしい。
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映画「ロストキング 500年越しの運命」 サリー・ホーキンス

2023-09-23 18:09:22 | 映画(自分好みベスト100)
映画「ロストキング 500年越しの運命」を映画館で観てきました。


映画「ロストキング 500年越しの運命」は15世紀後半の英国王リチャード3世にまつわる伝承の真相を探った女性を追う英国映画である。手堅い演出のベテラン監督スティーブン・フリアーズがメガホンをとり、サリーホーキンスが主人公を演じる。サリー・ホーキンスは好きな女優である。美人ではないが、不思議な魅力がある。異類との恋を描いた「シェイプオブウォーター」の演技には感動した。サリーホーキンス、歴史ものという2つの観点でこの作品を選択する。これは成功だ。

世界史好きな自分でも、百年戦争からテューダー朝に至る15世紀の英国に関する知識は薄い。山川の教科書を見ても、王朝家系図にリチャード3世の名前はあるが、教科書の文章に彼に関する記述はない。もっとも、シェイクスピア劇の中では「リチャード3世」は4大悲劇の次によくとりあげられる。ただ、かなり悪人に扱われているので有名だそうだ。

フィリッパ・ラングレー(サリーホーキンス)は2人の子どもを抱えて働くシングルマザーである。職場での理不尽な待遇に不満をもっている。離婚した夫とはまだ良い関係だ。息子と一緒にシェイクスピアの「リチャード3世」を観劇した際にリチャードの扱いに違和感を感じて、リチャード3世に関する書物を読むようになる。すると、フィリッパの前にリチャード3世の幻影(ハリー・ロイド)が姿を現すようになる。


のめり込んだフィリッパは同じような同志が集うリチャード3世協会に入会した後、リチャード3世の遺骨が実際には川に散骨されたのではなく、昔あった屋敷の敷地内に眠っているのではと思い、大学教授リチャード・バックリー(マーク・アディ)の協力を仰ごうと行動を起こす。

感動した。すばらしい!
自分にフィットした作品で歴史好きには必見である。今年の自分ベストに入る快作だ。
目標に向かって突き進む女性を描いた映画はたくさんある。その中でも目標の難易度は高い。そもそも歴史や考古学にまったく無縁の女性が、500年以上前の王室の真実を追う訳だ。歴史学的にもリチャード3世に関する定説ができている。覆すなんてことは難しい。かかる費用を捻出するべく資金集めをするために大学や役所に乗り込んで行ったり、クラウドファンディングで世界中からお金を集める。

リチャード3世にのめり込む前に会社で冷遇されて、精神的に参っている上に持病もある。それでもくじけず前に進む。そんなフィリッパを演じるサリーホーキンスがすばらしい。適役だと思う。これだけ頑張っているのに、もともと資金を出すときに渋って、否定的だった連中が急に自分の手柄だと言い出す。われわれの周囲を見回してもよくあることだ。フィリッパ頑張ったねと言ってあげたい。女王陛下から勲章をもらったと聞くと救われる。


この映画も居心地のいい映画だった。話している英語が妙にしっくりアタマにはいる。英語能力がさほどでもない自分でもわかりやすい。これは英国のベテラン監督スティーブン・フリアーズがメガホンを持っているせいかもしれない。自分が中学や高校で英語の教師に習った英語と通じるものがあるかもしれない。アメリカ映画を見るときよりも英国映画を観るときに感じることが多い。英語の恩師を思い出す。

加えて、スコットランドのエディンバラの街並みやフォース鉄道橋などの背景も趣があり、流れる音楽から美術を含めて何もかもが良かった。


幻影としてリチャード3世を演じるハリー・ロイドがお茶目だった。幻影は肝心な時に主人公のそばに来てヒントをくれる。そんなファンタジー的要素でなごませる。それもこの映画を魅力的にしているポイントだ。女性の直感の凄さも実感する。
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映画「果てしなき情熱」 笠置シヅ子&市川崑

2023-09-21 23:01:45 | 映画(日本 昭和34年以前)
映画「果てしなき情熱」を名画座で観てきました。


映画「果てしなき情熱」は名画座の笠置シヅ子特集で観た1949年(昭和24年)の市川崑監督作品だ。この映画の存在は初めて知った。脚本は市川崑の連れ合い和田夏十で、落ちぶれた作曲家の物語である。いきなり画面に「これは作曲家服部良一の物語ではないよ」と文字でデカデカとでてくる。何じゃそれと思いながら古いフィルムの映像を追う。作曲家に堀雄二が扮して、その相手に月丘千秋をあてるが、笠置シヅ子に加えて、山口淑子、淡谷のり子の2大スターと当時の人気歌手を揃える。いずれも服部良一の曲だ。どちらかと言うと、怖いもの見たさに映画館に向かったという感じだ。

戦後のある繁華街、キャバレーに入り浸る作曲家の三木(堀雄二)は数々のヒット曲を生み出すが、酒に溺れる生活を送っていた。そんな三木は信州の田舎で出会った名前も知らない女に想いを寄せていた。キャバレーで下働きするしん(月丘千秋)が三木に想いを寄せて、シングルマザーの歌手福子(笠置シヅ子)が応援している。


ある日、三木は刃物を持った暴漢に襲われ、刺し返して刑務所で一年過ごすことになる。出所時にしんが待ってくれて、結婚を誓う。ところが、結婚を祝う日の夜に、駅のプラットフォームで想いを寄せる女性優子(折原啓子)にばったりあってしまい三木の心が揺れる。

作曲家の主人公の行動が意味不明でさっぱりわからない。
何でこんなに酔うのか?わずかな時間あっただけの女性にそんなに想いを寄せることってある?月丘千秋のような美女が目の前にいるのにだ。残念ながら、ありえないようなストーリーで脚本はハチャメチャだ。正直なところ高校の文化祭に毛の生えたような脚本だ。服部良一がこの映画は自分がモデルじゃないよとわざわざ言うのもよくわかる。だっていくら戦後のゴタゴタでもこんな女々しい男いるわけないよ。数々の名作品を生んだ脚本家の和田夏十も初期段階は世間に疎い。

逆に、市川崑がこだわったと思われるカメラワークがいい。カメラのズームを縦横無尽に使い移動撮影で巧みに歌手たちを映すのはいい。後年の作品を連想する。

口パクであっても、全盛時の山口淑子が歌っている姿を映し出す貴重な映像がでてくる。山口淑子は昭和24年近辺では、森雅之共演「我が生涯のかゞやける日」池部良共演「暁の脱走」三船敏郎共演の「醜聞」など後世に残る作品で主役を張る。特に「暁の脱走」での盛りのついた牝犬のような激しい接吻が印象的だ。大画面にアップで「蘇州夜曲」を歌う。服部良一の作曲だ。


今回メインなのは笠置シヅ子だろう。3曲歌っている。宝塚出身の月丘千秋や服部富子などの美人女優が共演なので、容貌的には引き立て役になってしまう。それでも存在感がある。関西弁でまくしたてているのも悪くない。他の人はわざとらしいせりふが多いので自然な演技に魅力を感じる。

この頃は「ブギウギ」調の数々のヒット曲を生んで、映画にもずいぶんとでている。笠置シヅ子をすごいなあと思ったのは黒澤明「酔いどれ天使」でのジャングルブギーの場面だ。カメラがグッと笠置シヅ子に近づく場面は大画面ではじめて観た時ドッキリした。あの迫力には劣るがここでもいい感じだ。


実は、この映画を観て気づいたことがある。映画「酔いどれ天使」で、笠置シヅ子がジャングルブギーを歌う前に、三船敏郎と山本礼三郎を目の前にして色っぽい木暮実千代がダンスを踊る場面がある。その時に流れるバックミュージックの響きと今回聞いた曲が一致したのだ。

「夜のプラットフォーム」である。この映画では服部良一の妹である元宝塚女優服部富子が歌う。歌もしっとりして良いが、彼女を捉えるカメラワークもいい。もともとは淡谷のり子のために服部良一が作った曲だけど、戦前封印されて戦後日の目をみた。ダンスに合う曲だ。

淡谷のり子「雨のブルース」で登場する。子供のころ、淡谷のり子を見るのが怖かった覚えがある。晩年はコメディタッチで親しみがあったが、小学校低学年までまともに彼女の顔を見れなかった。月丘千秋は姉の月丘夢路にも似ているのですぐわかった。当時24歳で美しい。自分は小学生の頃TV「光速エスパー」で主人公の母親役だったのを覚えている。

月丘千秋の母親役が清川虹子だ。娘に無心するダメな母親役だ。長い間名脇役だったなあ。サザエさんのお母さん役が十八番でも、今村昌平監督「復讐するは我にあり」やり手ババアが実にうまかった。殺しをやったことがある女役で底知れぬ怖さがあった。最後は芸能界のご意見番みたいだった。

ストーリー的には訳がわからないが、昭和24年のスターの姿が観れたので満足ではある。
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映画「水のないプール」 内田裕也&中村れい子

2023-09-20 17:56:47 | 映画(日本 昭和49~63年)
映画「水のないプール」は1982年の若松孝二監督作品だ。

内田裕也が俳優として活躍している時期に若松孝二監督がメガホンをとっている。クロロホルムによる性犯罪の事件に影響を受けてつくられた作品だ。沢田研二、赤塚不二夫、原田芳雄、タモリ、ピンクレディのMIEなど超豪華俳優陣が脇を固める。被害者としてメインの中村れい子「嗚呼! おんなたち 猥歌」でも一緒である。当時22歳で美貌の絶頂時期に撮った映像だけに貴重である。DVDがレアで、名画座で観るしかなかった。ところが、Amazon primeでは無料で見れるようになった。なぜか感想を書いていなかったのでいい機会だ。

地下鉄の改札係で切符を切る男(内田裕也)には妻(藤田弓子)と子ども2人がいる。ルーティンの仕事に飽きて転職を考えている。その矢先、家族旅行で行った避暑地の木影で交わるカップルを見てそそられ、女性の部屋に侵入してクロロホルムを使い眠らせ強姦することを思いつく。行きつけの喫茶店の店員ねりか(中村れい子)が1人暮らしというのを小耳にはさんだ男は、後をつけ自宅を確認した後に夜忍び込む。計画通りに実行できた後で、繰り返し忍び込むようになる。


昭和の匂いがプンプンする映画だ。
内田裕也は演技がうまいわけではない。でも、不思議な存在感がある。80年前後から86年の「コミック雑誌はいらない」までの内田裕也は、監督にオレにこういうのやらせろよといっているが如くに美人女性陣との絡みが多い映画にでている。前作「嗚呼! おんなたち 猥歌」神代辰巳監督と組んだが、今度はまさにピンクの巨匠若松孝二監督と一緒だ。浮気相手の島田陽子と出会う前だ。

40年前といっても、今も変わらない建物なんていくらもあるけど、現在、駅に切符切りはいない。そんな昭和の空気感が随所にある。切符切りは退屈な仕事だろう。上司や部下ともしょっちゅう諍いを起こす。決してケンカが強いわけでないのについケンカを売る内田裕也はそんな役柄が似合う。ヒット曲はないのに、マスコミの前に顔を出すといつもロックンロールと一言いう。バカの一つ覚えだけど、それがいい。

特筆すべきは中村れい子の美貌であろう。この当時ずいぶんとグラビアで見せてくれたなあ。その美しい身体も含めて、現代にそのまま引っ張っても上級レベルのルックスといえる。クロロホルムを使って眠っているので、無理やり脱がされるわけでない。夜に忍び込んだ内田裕也が静かに全裸にして、いたした後で、朝食まで作ってあげる。そんなバカなことあるかと誰しも思うだろうが、この世界は奇妙に思えない。


ピンクレディが解散した翌年だ。MIEは雨の日にレイプされそうになっているのを内田裕也に助けられる役で、特に脱ぐわけでない。まだMIEも若い。一緒に暮らす女が「水のないプール」で裸になったりする。


沢田研二と安岡力也はヤクザ役で、内田裕也が居酒屋でケンカに巻き込まれる。ここでの沢田研二は気味悪いくらい妖艶である。全盛期だ。原田芳雄は内田裕也が転職しようとして受けた会社の社長で、右翼がかっている。赤塚不二夫は警察官だ。殿山泰司は内田裕也がクロロホルムを購入しようとする町の薬局の店主タモリは全裸にした女性のからだを撮るポラロイドカメラを売っているカメラ屋の店主だ。町の薬局やカメラ屋を最近は見ない。藤田弓子がムチムチの身体をした内田裕也の妻役だ。よくぞ揃えたもんだ。

若松孝二監督が引っ張ってきたのか、中村れい子以外にも大勢の女の子が脱ぐ。内田裕也のクロロホルムの犠牲になるのだ。そういえば昔よくピンク映画で見たなあという女優さんも脇を固めている。最近日本映画では、瀬々敬久、廣木隆一、城定秀夫などメジャー作品でピンク映画出身の監督の活躍が目立つ。いずれも観客に対してサービス精神旺盛だ。ここでも若松孝二監督のご指導よろしく大勢の若い子が脱いでいるのはいい感じだ。

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映画「ダンサーインParis」 マリオン・バルボー

2023-09-18 18:36:51 | 映画(フランス映画 )
映画「ダンサーインParis」を映画館で観てきました。


映画「ダンサーインParis」はフランス映画、公演中に致命的なケガをしたバレリーナの復活物語だ。「スパニッシュアパートメント」セドリック・クラピッシュ監督がメガホンをとる。予告編で美貌のバレリーナが大けがをするシーンは何度か観ている。でも、絶望から復帰する場面に明るい希望とコメディの匂いを感じる。フランスでは140万人も観たという。何かあるのでは?と感じて映画館に向かう。

パリ・オペラ座の若きバレリーナエリーゼ(マリオン・バルボー)は本番前に楽屋裏で恋人が別の女と逢瀬をしているところを見てしまう。精神状態に乱れを生じて、公演中に転倒して骨折してしまう。医者からは下手をすると一生ダンスができなくなると言われてエリーゼは落胆する。


そのエリーゼを友人サブリナ(スエラ・ヤクーブ)が料理人である自分の彼氏の手伝いをしないかと誘う。ブルターニュにあるレジデンスに行き、足首のリハビリをしながら手伝う。そこに、ホフェッシュ・シェクター(本人)率いるコンテンポラリーダンスのダンスカンパニーが公演前の合宿に来ていた。足首の様子を見ながら恐る恐るダンスチームの練習に加わるようになる。

居心地のいいフランス映画だった。
オドレイ・トトゥ「アメリ」「タイピスト」のような現代フランス映画のロマンチックコメディが好きだ。この映画もその要素をもつ。基調はバレリーナの復活ストーリーでそこに恋物語が加わっていても、小さな笑い話を数多くストーリーの中に組み込む。脇役のコミカルな使い方がうまい。一緒にブルターニュに行った料理人のカップルやリハビリの療法士、エリーゼの父親、レジデンスの女性オーナーなど脇役の活躍が目立つ。主役マリオン・バルボーはあくまで現役バレリーナなので、しっかりプロ俳優がフォローしている。

バレエ映画の名作といえばナタリーポートマン「ブラックスワン」だ。ミラクルス演じるライバルとの葛藤を交えながら、徐々に精神が錯乱してくる。主人公エリーゼは足をケガしていったんはバレエ界から退いた状態に近い。ライバルとの葛藤はない。一芸を極めるストーリーではライバルとの葛藤が肝となることが多い。でも、ここではゆったりと周囲に支えられながらエリーゼは復活していく。周囲にイヤな奴はいない。やさしいフランス語が使われて、映画解釈で観客に妙な要求もしない。それ自体に心が温まり、居心地が良くなる。

いきなり真四角の大画面にバレエの公演場面がでてくる。なかなか迫力ある。そして、エリーゼことマリオンバルボーが華麗に踊る。最初のケガでバレエが見れないのは残念だけど、マリオンバルボーのしなやかな姿体がいろんなところで観られる。後半戦はコンテンポラリーダンスだ。なじみは薄いけど、「一芸は万芸に通ず」そのものでマリオンバルボーはしっかりこなす。ソロダンスではないので、メンバーどうしのコンビネーションが重要と映像から察する。お見事だ。


ダンス指導するホフェッシュ・シェクターは本物のプロだ。英語で指導する。対応するマリオンもきれいな英語で応答する。フランス人は英語を話さないという話を日本人がすることが多い。ずっと昔からよく言ったもんだ。この間も娘の友人が新婚旅行に行って、土産話でそう言っていたと聞き、お前それって都市伝説だよと娘に教えた。


ブルターニュでエリーゼが過ごすレジデンスは、日本でいえば合宿所ないしは研修所的な場所だ。そこでエリーゼは料理の下ごしらえをする。出てくる食事は美的感覚にも優れる。宿舎から散歩して海に向かうと、海岸に沿って断崖が広がる。そこから見るサンセットの映像が美しい。大画面なのでなおさらだ。
だんだん暗くなっていき恋人同士が戯れ合う。確かにこれはムードがある。


ブルターニュでのリハビリ期間が重要なので、原題と違う「ダンサーインParis」の題名にはすこし抵抗がある。それでも、エリーゼの住む階上のアパルトマンの周囲にはいかにもパリらしい建物が建ち並ぶ。エッフェル塔を遠くに見渡す夜景などベランダから映し出す美景を見ながらパリに行きたいと感じる。
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映画「グランツーリスモ」ヤン・マーデンボロー

2023-09-17 04:47:03 | 映画(洋画:2019年以降主演男性)
映画「グランツーリスモ」を映画館で観てきました。


映画「グランツーリスモ」ソニープレイステーションのレーシングゲームの名手が実際にカーレースに挑戦するというストーリーだ。監督はニール・ブロムカンプだ。予告編で内容を知り、観てみたいと公開を待ち望んでいた。ゲームにはまったく関心がないので、「グランツーリスモ」なんてシミュレーションゲームシリーズがあるなんてことは知らない。しかも、実際にゲームの名手が本物のカーレースに挑戦するなんて話も知らなかった。自分はゲームセンスがないので、こういうゲームに挑戦するとすぐにクラッシュする。リアルだったらあの世行きだ。どんな感じか観てみたい。

英国のプロサッカー選手の息子ヤン・マーデンボロー(アーチー・マデクウィ)は、SONYのレーシングシミュレーションゲームのグランツーリスモが好きで、ゲームの名手が競い合う大会に出場して優勝する。SONYと日産が組んでGTアカデミーというレーシングドライバー育成プログラムがあり、ゲームの名手が10名集められる。


日産のプロジェクトリーダーであるダニー・ムーア(オーランド・ブルーム)は元レーサーのジャック・ソルター(デヴィッド・ハーバー)の協力を取り付けて、本物のレーシングドライバーになるために育成する。そして10名から5名に絞って実際にレースを行い、ヤンが代表になった。
ヤンは日産のレーシングチームのレーサーとしてレースに出場する。最初は完走がやっとの状態だったが、徐々に順位を上げていくようになる。


普通の外国映画だと思って観に行ったが、予期もせず日本が取り上げられているのに驚いた。
結局日産とSONYが組んでレーシングドライバー育成プロジェクトを作った訳で、当然実名で出てくる。この両社にとってはこの映画は良い宣伝になっただろう。東京の繁華街でのロケや横浜の日産本社も何度も出てくる。日産の協力なくして、この映画は製作不可能であろう。でも、エンディングロールにそれらしき文字は見当たらなかった。


レーシング場面は迫力ある。
特にルマン24時間レースのシーンはなかなか良かった。名作「男と女」を思い出す。いったいどうやって撮ったんだろうと思わせるシーンが多い。ドローンを使っているのか?空中からサーキット会場やレースを俯瞰して映し出すカメラワークが目立つ。世界中のサーキットを転々とするわけで、エンディングロールをみると、それぞれの国でのクルーの名前が出ている。その場に行って撮ったのかと思うとカネが随分かかっているなと思う。あと、サーキット会場にいる満員の観客は本物なのか?VFXでの加工なのだろうか?


ただ、カーレース中心に描いたこれまでの傑作「フォードフェラーリ」「ラッシュ」ほどの感動はなかった。当然、出演俳優の格の違いはある。人間ドラマとして比較すると、主人公ヤン・マーデンボローや指導者ジャック・ソルターの魅力が薄い。加えてライバルとの葛藤が弱いヤン・マーデンボローのライバルはレーシングドライバーとして選ばれた時のライバルとレースに出るようになってからのライバルの両方いる。インパクトがあまりなかった。特にレース上のライバルのレベルが低すぎる。


とは言っても娯楽作品としてはそれなりには楽しめた。ヤン・マーデンボロー自らスタントドライバーとして参加しているのはすごい。
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番外17 魚介中心の絶品和食

2023-09-15 05:27:16 | 散歩
東京のど真ん中で魚介類中心の絶品和食を食べてきました。
あまりにすごいのでブログアップします。

伊勢海老と鮎生きたまま


芋の上にウニと毛蟹入った餡


お椀、伊勢海老に蓮根、岩茸、そして菊花


造り 白蝦と鰹


鰻 蒸している


渡り蟹


ハモに蛤をつけて
包丁捌きに感動


最初に見た子持ち鮎


あん肝、横は梨
これが今まで食べたことない柔らかさで絶品


箸休めのイチジク


すっぽんの西京焼き
手で食べる。これも食べたことがない味


食事
ご飯があまりにおいしいのでおかわりした。
茶粥もにゅーめんもある



デザート


これで終了約2時間半、ほんとうに満喫した。
ビールと日本酒1合飲んでから芋焼酎何杯飲んだか数えていない。
ものすごく酔ってしまう。
いつもだったら寄る近くでのクラブ活動するのは不可能と身体が察してタクシーで帰宅
9時台に帰ったので驚かれた。

慶応高校優勝記念で慶応の先輩に連れて行ってもらう。先輩も自分も大学からだけど、うれしいよね。大学在学中六大学野球で一度も優勝していない。今の60代は皆同じなのでフィーバーするのは仕方ない。甲子園なんてここ何年も観ていない自分もこの夏は本当に盛り上がった。(これについては後日雑感で書く)
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映画「ほつれる」 門脇麦

2023-09-13 17:08:20 | 映画(日本 2019年以降主演女性)
映画「ほつれる」を映画館で観てきました。


映画「ほつれる」は門脇麦が不倫していた主婦を演じる演劇畑の加藤拓也監督作品である。不倫していたと過去形にするのは、浮気相手が突然亡くなってしまうからである。

映画評は最悪、日経新聞は星2つだし、映画comも2.9と良くない。それでも観に行くのは門脇麦のファンだからである。前作「渇水」では売春まがいのことをしていて水道代を滞納するシングルマザーを演じた。主演ではないが、存在感があった。理由があるわけでない。ずっと追いかけてみたい女優である。映画館内はガラガラ、いつ公開打切りになってもおかしくない状況だった。

人妻の綿子(門脇麦)は夫に友人英梨(黒木華)と旅行に行くと夫(田村健太郎)にウソをいって木村(染谷将太)とキャンプに出かけていた。ところが、その帰路で木村は交通事故に遭う。綿子は救急車を呼ぼうとしたが、やめて自宅に戻る。夫との関係は冷めきっていたが、夫は修復しようとしていた。もともと木村は英梨を通じて知り合った。英梨より死亡の知らせを受けるが葬儀には参列しなかった。

それでも、綿子は木村のことが気になって仕方ない。英梨と一緒にまだお骨が納められていない山梨のお墓に向かう。夫との約束があったのに突然予定外の行動をとる綿子の動きに夫が疑いをもつようになる。


内容は普通、ストーリーには驚くような起伏はない。
低い点数をつける人の気持ちもわかる。
でも、門脇麦はよかった。現代版夫のいる不倫女になりきる。

夫がいながら不倫をしてしまっている若い女性を追いかける映画である。不倫にのめり込んでいるわけではない。熟女の不倫のような官能的な世界ではない。若い夫を騙して別の男に心を移す若い女性の揺れを門脇麦が巧みに演じる。ウソが重なり収拾がつかなくなる時もあると思うが、この手の女性は身近な男を騙すのが上手いので乗り切る。脚本の加藤拓也夫のある若い女性とつき合った経験があるのかもしれない。そういう女性を間近で見ないと書けない。


杉田水脈衆議院議員「女はいくらでもウソをつく」と言って、世間から強いパッシングを浴びた。(本人は否定しているが)でも、「それって当たっているんじゃない。」と思っている人は逆に多いと思う。大手をふっては誰も肯定しない。動物行動研究家で数多くのおもしろい本を書いている竹内久美子女史杉田の言葉は概ね本当だという。「うそをついている自覚がないのだから,挙動不審にもならず,見破られにくい。つまり,うそをつくのがうまいのだ。」(「ウェストがくびれた女は男心をお見通し」竹内久美子 pp.109-112)

「止められるか、俺たちを」若松孝二監督の助手を演じた門脇麦にグッと惹かれてから追いかけている。音楽をキーとしたロードムービー「さよならくちびる」や東京のハイソなご令嬢を演じた「あの子は貴族」は良かった。でも、自分には「止められるか」や本当は歌手になりたいストリップ嬢を演じた「浅草キッド」や売春行為で生きるシングルマザーを演じた「渇水」のような汚れて堕ちていく役柄に真骨頂を感じる。

ここでも、門脇麦「ウソをつく女」がもつ心の真実の揺れを表情で実にうまく見せてくれる。着実に成長しているのをみれるのはうれしい。本音を話した時の言葉の噴出が妙にリアルだ。演技の熟練度が増したのを見るだけでいいのでは。
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映画「こんにちは、母さん」 吉永小百合&山田洋次

2023-09-12 17:35:40 | 映画(日本 2019年以降主演女性)
映画「こんにちは、母さん」を映画館で観てきました。


映画「こんにちは、母さん」は9月13日で92歳になる山田洋次監督吉永小百合主演で東京向島を舞台に母と息子の交情を描いた作品である。自分にとって大先輩にあたる山田洋次監督は、沢田研二主演「キネマの神様」以来の監督作品である。吉永小百合ももう78歳、永野芽郁のおばあちゃん役だが信じられないくらいに若い。妖怪のようだ。今回は息子役に大泉洋を迎えて、いかにも山田洋次監督作品らしい人情劇としている。

大手会社の人事部長を務める神崎昭夫(大泉洋)は向島の足袋屋の息子だ。父は亡くなり家業は母福江(吉永小百合)が継いでいた。昭夫は妻と大学生の娘舞(永野芽郁)と暮らしていたが、現在別居中で舞は向島の家に入り浸っていた。
母は地元のご婦人たちとボランティアサークルでの活動に励んでいたが、牧師(寺尾聰)も一緒に活動している。実家に寄った昭夫が牧師に接する母親の様子がどこか違うと感じるのであった。

いかにも伝統的な松竹のホームドラマの肌合いだ。
東京スカイツリーを臨む隅田川の言問橋より北側の向島エリアが今回の舞台だ。地下鉄の本所吾妻橋駅から歩くのが普通の行き方か。向島芸者はいまだに数多くいる。両国の相撲取りを含めて着物を着る人たちの足袋の需要がないわけでない。映画では隅田川および周辺が繰り返し映し出される。東京らしい風景で趣きがある。

映画では、美しい未亡人の母の老いらくの恋、リストラで同期のクビを切らなければならない上に家庭不和の息子の苦悩が主な焦点だ。隅田川の岸辺にはホームレスで生活する人たちが大勢いて、そのうちの1人田中泯演じるホームレスをクローズアップする。


ただ、現状東京都の取り締まりで掘立て小屋で野宿するホームレスは大幅に減った。しかも、有効求人倍率がアップして、人手は足りないくらいだ。主人公昭夫のオフィスからは東京駅が見える。そんなロケーションのオフィスがある会社では、最近は以前のようなリストラはないはずだ。他にもリストラ者への通告や解雇の取り扱いなど映画を観ながら、ビジネスの世界にいる身で観ると、絶対おかしいと感じる場面はいくつもある。共同脚本の山田洋次も近年の世間の動きがわかっていないんじゃないかとも思っていた。

実は「こんにちは、母さん」は劇作家の永井愛2001年に作った戯曲である。2001年製作なら、その時点のリストラ状況やホームレスの実態をそのまま戯曲にしたのはよくわかる。でも、現代を基軸にすると、原作内容と変わっているので違和感を感じる。でも、吉永小百合と山田洋次が組むわけだから目をつむっても仕方ないでしょう。

⒈吉永小百合
日曜日の日経新聞を読むと、ギターリストの村治佳織吉永小百合と一緒に2人で海外旅行に行くエッセイが掲載されていた。優しい文章で吉永小百合の楽しむ様子が目に浮かぶ。読んでから颯爽と映画館に向かった。

映画ポスターに写る吉永小百合の表情がかわいい。でも、自分より一回り以上年上である。自分が物心ついた時すでに青春スターだった。地元五反田にも日活の映画館はあったが、両親は関心がなかった。「キューポラのある街」のジュン役から61年も経つ。あの時の少女が東京下町の片隅でこんな感じで育っていると考えても理に合う。川口から向島までは隅田川をたどれば決して遠くはない。

器用な俳優ではない。78歳になっても精一杯こなしている。素敵だ。サユリストと言われる世の男性の老人たちは、この映画で寺尾聰の手を握った時の吉永小百合をみてどう思ったか?気になる。それにしても、隅田川沿いで着こなした夏っぽい薄い水色の着物は良かったなあ。


⒉山田洋次
いかにも松竹のホームドラマっぽい映画を今回も撮り切った。90過ぎてのお仕事お疲れ様でした。映画では前半から松竹っぽいわざとらしいセリフが続く。リズムはゆっくりだ。ただ、山田洋次の作品だと思って観に来た観客は安心してこの世界に入れる。「男はつらいよ」シリーズの特に前期では、渥美清のスピード感あふれる口上でテンポはもう少し早かった。もともと喜劇中心だった山田洋次ミステリーに取り組んだ「霧の旗」という傑作がある。盟友倍賞千恵子悪女を演じて編集もよく、スピード感もある。

でも、90を過ぎた監督に、そんなスピード感を期待する方がどうかしている。吉永小百合という人智を超越した存在と自分が撮りたい作品を撮るという感じだ。もし、両国の花火が今年なかったらまずかったという山田洋次のインタビュー記事を見た。ホッとされたでしょう。完全復活とまでいかないがコロナ制約からの復帰を喜びたい。


⒊寺尾聰
後藤久美子が久々に登場した「寅さん」復帰の映画「男はつらいよ お帰り寅さん」を観た時、アレと思ったことがあった。後藤久美子の劇中の父親役は寺尾聰のはずだ。母親の夏木マリがいるのにどうしたんだろう?その時点で山田洋次、寺尾聰いずれも気にしていたと推察する。それが故での今回の出演だろうか?まあ吉永小百合の相手役の方がいいに決まっている。仏文科の大学教授を辞めて牧師になった設定だ。

寺尾聰が主役を張った中では時代劇の「雨あがる」が大好きだ。ひょうひょうとした雰囲気がいいけど、以前より出番は減った。最近周囲でカラオケタイムに寺尾聰の歌を歌う人が目立つ。大ヒットした「ルビーの指輪」が入っているRefrections には味のあるいい歌が多い。初っ端の「Havana Express 」のノリに身を任せると、勘定が予定外にエスカレートしてしまう。


⒋大泉洋
大泉洋といえば北海道だけど、今回は向島育ちの設定だ。主役的存在の「浅草キッド」は浅草が舞台だった。隣り合わせの向島と続き東京の下町が似合うようになってきた。現在50歳で実年齢相応の役柄だ。年齢差を考慮しても、吉永小百合の実子となってもおかしくない。大学の同窓同期の宮藤官九郎演じる課長がリストラになり、何とかしてくれとからまれる面倒な立場だ。リストラはする方もされる方もしんどい


山田洋次監督の作品は人情ものなので、普通だと冷徹そのものな野郎を人事部長に配役するが、そうはならない。観ると欠点が目立つ映画だけど、終了間際に急に涙腺が刺激された。何かよくわからない。まだまだ山田洋次監督には頑張ってもらいたい気持ちがあったのかもしれない。
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映画「アステロイドシティ」ウェスアンダーソン

2023-09-08 20:07:19 | 映画(洋画:2019年以降主演男性)
映画「アステロイドシティ」を映画館で観てきました。


映画「アステロイドシティ」は奇才ウェスアンダーソン監督が1955年の砂漠に囲まれたある街での出来事を描いた新作である。独特の色彩感覚で目にはやさしいウェスアンダーソンの作品は正直なところ苦手である。想像力豊かなのはわかるけど、意味がわからずついていけないことが増えてきた。たぶん今回もそうかもしれない。

でも、俳優陣がいつもの常連に加えてトムハンクスにスカーレットヨハンソンまで加わり超豪華だ。10億単位のまともにギャラを払ったら破産しそうな俳優だ。ウェスには主演級をこれだけ集めるだけの人徳があるのだろう。怖いものみたさ的な感覚で映画館に向かう。


1955年、砂漠の真ん中にあるアステロイドシテイという人口100人もいない小さな町が舞台だ。色んなエリアから優秀な子どもと共にいくつかの家族が集まっている。

作品情報を引用しても良いが、どうも観た映画と結びつかない。
宇宙人が集会の中に訪れるのはわかるけど、その後もピンと来ない。

相変わらず色彩感覚にすぐれているが、さっぱりわからない映画だった。
それなりに観客はいたけど、この映画の意味が理解できる人っているのかしら?と感じてしまう。宇宙人がでてきてもSFといった展開ではない。ウェスアンダーソン監督が脳内で書き出したアイディアをそのまま映画のストーリーにしたのであろう。ウェスの想像力が豊かなのはわかっても自分の頭脳の理解度を超越する。ただ、ソフトな肌合いのビジュアル設計は抜群である。美術、衣装を含めて細やかな色彩設計で1950年代の雰囲気がこちらに伝わる。そういう雰囲気を観る映画なのかなあ。


時はマッカーシー旋風が吹き荒れた後で、アイゼンハワーが政権をとっている。1953年に朝鮮戦争休戦に入りつかの間の平和が訪れ、徴兵覚悟の男性諸氏もひと安心。スターリンは1953年に死亡したが、米ソ冷戦で水爆開発を競い合う時期である。アメリカで大ヒットなのに日本で公開されない映画「オッペンハイマー」の張本人は水爆反対派で陰謀に巻き込まれる。宇宙開発の争いはまだ先だ。1955年とは時代設定に比較的平穏な時期を選んだものだ。

ティルダ・スウィントン、エイドリアン・ブロディ、エドワード・ノートン、ウィレム・デフォーというあたりがウェス作品の常連だな。珍しく出てないのがビル・マーレイとオーウェン・ウィルソンで、今回はどうしたんだろう。


女優役のスカーレットヨハンソンが窓際で肘をつく顔がいい感じだ。ウェスアンダーソンの盟友というべきジェイソンシュワルツマンとお互いに窓を隔てて会話をしている。カメラ片手に何かを話すが、意味はわからない。ただ、気がつくとスカーレットヨハンソンが裸になって、鏡ごしにフルヌードが観れるのは得した感じだ。トムハンクスは、本当に脇役だ。いつもと違いまったく存在感がない。いつも通りの活躍をするティルダ・スウィントン以外の常連たちは普通にみえる。感想には困る映画だ。
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映画「福田村事件」 森達也&井浦新&東出昌大

2023-09-04 21:35:21 | 映画(日本 2019年以降)
映画「福田村事件」を映画館で観てきました。


映画「福田村事件」は1923年(大正12年)9月の関東大震災直後に千葉県福田村で起きた事件をもとに森達也監督がメガホンをとった作品である。関東大震災直後に、朝鮮人が暴動を起こすという噂が流れて、惨殺された話はよく聞く。ただ、どこまで真実かな?と思う。いつものように左翼系の連中が流している噂のように感じていた。

しかし、とんでもない事件が震災後に千葉で起きていた。福田村の住人からなる自警団が、旅まわりの薬売りを朝鮮人の集団と勘違いして殺してしまうという悲劇が起きていたのだ。日本人が香川県から行商にでていた日本人を言葉がおかしいから朝鮮人だと決めつけて殺してしまったのだ。ビックリした。この事実から色んなことが言える。朝鮮人を偽りの正義心で惨殺したのはあり得るなと。

福田村で生まれ育った後に、教員になって日本領だった朝鮮に渡っていた澤田智一(井浦新)が妻静子(田中麗奈)を連れて故郷に戻ってきた。同級生の村長(豊岡功補)や昔の仲間も迎えてくれた。教員になって欲しいという村長の希望を断り、農業に従事することになる。福田村では、閉鎖的な村の中で長谷川(水道橋博士)率いる軍人会が仕切っている。シベリア出兵で夫が戦死した未亡人咲江(コムアイ)は出征中船頭の倉蔵(東出昌大)と不倫関係にあったり、その倉蔵に帰国したばかりの妻静子が言い寄ったり男女関係は入り乱れていた。


一方、四国の讃岐から親方(永山瑛太)を中心とする薬売りの行商の一団が関東に向けて出発しており、利根川を越えていったん福田村で商いをした後で野田の町に入っていた。その時、関東大震災が起きる。大惨事が起きたあといったん野田の宿で待機するが、数日経ち一団は利根川を渡って移動しようと、船頭の倉蔵と交渉する。その運賃で揉め事が始まる。


後世に伝えるべき真実をあらわにした。意義があると思う。
福田村事件については、一部証言者はいても、本当の現場でのやりとりはわからない。藪の中だ。ただ、10人もの香川県から来た日本人の薬売りの一団が殺されたのは事実だ。ドキュメンタリーを得意とする森達也監督は殺害現場におけるやりとりを類推して描いた。迫力がある場面である。映画の後半はそれぞれに熱のある演技で特によくできている。

森達也監督は、事件に至るまでの福田村の住人の物語が基本的にフィクションだとインタビューで述べている。であるから、朝鮮から帰郷した主人公も人妻と不倫する船頭架空の人物だ。前半では大正時代の村落の人々たちの性的な欲望を描く。この映画には荒井晴彦が絡んでいるし、若松孝二監督作品にも見られる田舎社会での男女関係が入り乱れた映画の色彩をもつ。ただ、エロ表現の一線は越えない。男性だけど、たくましい肉体で東出昌大エロチズムの匂いをだす。適役だ。


閉鎖的な村で、村の中がドロドロしてという映画は別に日本だけでなく諸外国でも数多く作られている。パターンとして、村の総意に反する行動で村八分になるか、流れ者が虐げられる話だ。どんよりとしたイヤなムードが流れる映画が多い。

日本人の同調性が高いことが最近前に増して言及されるようになった。しかも、SNSでの発信がより影響力を持つようになり、コロナ期のマスク警察の話はもとより小◯方女史や小△田プロデューサーなど異常なほど糾弾される人たちが出ている。恐ろしいくらいだ。

この映画で語られるように朝鮮人が暴動を起こすから注意せよと政府が一時的にも発信したとすると呆れる。この4年前1919年に三一運動という朝鮮人の独立運動朝鮮総督府の鎮圧があったのは事実だけど、その後政治的に朝鮮統治を緩めたことは歴史の教科書でも習う。でも、何をするかわからないと官憲は暴動を起こす可能性があると思っている訳だ。

大正12年で明治維新から55年しか経っていない。文明社会がまだ成熟していなかったのかもしれない。人を斬るということが存在した江戸以前を引きずっている気がして仕方ない。学校教育のおかげで大正時代には文盲はいなくなったとは言え、江戸後期から明治にかけて生まれた年寄はかなりの比率で文盲であろう。村の有力者の言う通りにするしかないのだ。しかも村の有力者にも従わなければならない上がいる。

小学生低学年の時、明治生まれの祖母と一緒に選挙に行ったことがあった。祖母は母が書いた自民党の議員の名前をそのまま書いた。そういうものかと思った。平成の初めに関西で仕事した頃、取引先が奈良のある町の有力者で、一緒にいると自民、社会、当時野党だった公明などからバンバン電話がかかってきて対応していた。もちろん票の取りまとめだ。有力者をおさえると票が読める。町の老人たちは言われる通りに投票するからそうなるのだ。東京生まれの自分は周囲にこんな話がなく驚いた。村八分を恐れる。周囲に逆らわない。これも同調の一種で、日本の市町村ではまったく歴史的に続いてきたことなんだろう。だからこんなことも起こる。

どの俳優もやる気満々でこの映画製作に参加した気概が映像から伝わった。自分には、東出昌大がいちばんよく見えたが、薬売りの親分永山瑛太も迫力があり、逆の立場の水道橋博士や松浦祐也も自分の役割を心得ている名演である。


根本的疑問
事件という真実があって他はフィクションということなので、いかようにも脚本はつくれる。でも、根本的な疑問がある。

⒈お国のためってセリフありうる?
一度は議員にもなった水道橋博士が演じる軍人が、盛んに「お国のために」と言っている。太平洋戦争中であれば、この思想が強いのは理解できるけど、1923年(大正12年)というのは割と無風である。日露戦争終了から18年たっている。シベリア出兵で亡くなった村民の話も出ているけど、末端の民衆たちまで赤紙をだして数多く出兵することがあったのかな。

(後記)幼稚絵NJUさんのご指摘をうけて関原正裕さんの博士論文「関東大震災時の朝鮮人虐殺における国家と地域」を読んだ。地域において在郷軍人を組織した在郷軍人分会があったようだ。映画を観た時に村の人が何で軍服を着ているのか論文を読むまで知らなかった。在郷軍人分会 がこの虐殺に大きく関わっているようだ。1920 年代においては日本軍による三・一独立運動弾圧、間島虐殺、シベリア戦争の三つの植民地戦争の経験が民族問題だけではない社会主義思想への対抗も含めた新たな朝鮮人との敵対関係が作り出され、関東大震災時の朝鮮人虐殺になったとしている。(関原正裕「関東大震災時の朝鮮人虐殺における国家と地域」2021p31)
自分にはシベリア出兵というのはあまり大きな出来事と感じていない感触があったが、実は強く根底に流れていたものがあったのだ。


⒉朝鮮飴の売り子っていたのかなあ?
旧福田村を地図で見ると、野田市駅から約6kmも離れている。確かに江戸時代からの伝統ある醤油産業で古くから野田の町は栄えていた。もし飴売りがいても通行人が多いところで売るだろう。福田村の神社にまでいくとは思えない。あとは、この時代に朝鮮の帽子をかぶって売る売り子って本当にいるのかな?疑問に感じる。いくらフィクションにせよ、こんな飴売りまで本当に殺したとしたら当時の日本人はやっぱり異常なのかもしれない。

(後記)幼稚絵NJUさんのご指摘をうけて関原正裕さんの論文「関東大震災時の朝鮮人虐殺における国家と地域」を読んだ。周囲の状況に不安を感じた飴売りの朝鮮人〇が自ら△警察署に保護を求めて署内にいた。□署での朝鮮人虐殺の状況を聞いた隣村の◎村の自警団は 5日夜に△警察署に殺到し、留置場から〇を引きずり出して虐殺している。(関原2021p37)それをみてショックを受けた。


(後記2)朝鮮飴売る人っていたのかと思い「飴と飴売りの文化史 牛嶋英俊著」を読んだ。もともと唐人の飴売りが江戸時代にいた。唐人とは中国人であるが、朝鮮をはじめ西洋人も含めて唐人と称したらしい。朝鮮風帽子をかぶって飴を売る絵が本に載っている。房総地方にもいたようだ。(牛嶋2009 pp.55-58)朝鮮人飴売りについても記述がある。安価な労働者として渡来した人たちが飴売りに転化した例が多いようだ。(牛嶋2009pp.121-134)千葉の飴売りについても記述がある。ふだんは商人宿に泊まり、不定期に来ていたが、関東大震災のあとは来なくなったと言うから、震災での朝鮮人迫害と関係するかもしれない。(牛嶋2009p125)


⒊女性新聞記者
女性新聞記者はこの頃も確かにいたと思うが、地方紙にいたかどうかは正直疑問だ。女性記者がピエール瀧にいう主張はもっともな話だけど、そもそもこんなに上司にタテ突くことはあり得るのかなあ?

(後記)「女のくせに 草分けの女性新聞記者たち 江刺昭子著」という本をピックアップした。一時代前はまさに男の世界だった新聞界で明治30年代から新聞記者はいたようだ。ただ、ほとんど婦人面、家庭面の寄稿である。でも、この本を読むと、かの有名な足尾鉱毒事件毎日新聞で記者として記事を書いた松本英子という記者がいた。 (江刺 1997 pp.110-117)すごい女性記者っていたんだね。ただ、出てくる記者たちはいずれも東京の大新聞社で地方新聞の記者は少ない。晩年議員として有名だった市川房枝女史は「名古屋新聞」の記者だった。(江刺 1997 pp.274-278)

⒋亀戸事件
映画には社会主義者平澤計七が登場する。亀戸事件と言われる関東大震災後の社会主義者者惨殺事件が取り上げられる。アカ嫌いの自分から見てもまあひどい話である。というか、この時代の日本や政府上層部はまだ江戸時代を引きずっている感じがする。

ただ、平澤が言う「資本主義は社会主義にとって代わる」と死ぬ前に言うセリフには違和感がある。学生運動の時代に妙な理想を持ちながら、◯マル派や△核派などの一派同士の闘争で死んだ人たちとかわらない気もした。それに社会(共産)主義国はどれもこれも独裁者支配になって、スターリンをはじめとしてとんでもない粛清をしていた上で国家崩壊しているからだ。


⒌映画評論家への逆襲
「映画評論家への逆襲(記事)」と言う荒井晴彦が中心になって書かれた本がある。これはおもしろかったので、ブログ記事にもアップした。その時に、森達也監督も参加している。プロデューサー兼脚本の井上淳一も参加している。読んでいて、井上の発言に違和感を持った。この人はひと時代前の「二分法」に行動を強いられている人と感じた。そういう知的でない人が関わっているので心配した。

森達也はその本でも偏向性のない発言であった。この映画にあたってののインタビューの発言もまともだ。森達也が主軸になっているこの映画は時折違和感を感じる場面はあっても事実を伝えるという意味で存在感がある。

コメント (2)
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