映画とライフデザイン

大好きな映画の感想、おいしい食べ物、本の話、素敵な街で感じたことなどつれづれなるままに歩きます。

映画「デトロイト」 キャスリン・ビグロー

2018-08-13 09:09:58 | 映画(洋画:2016年以降主演男性)
映画「デトロイト」は2018年日本公開のアメリカ映画

1972年7月デトロイトで起きた暴動騒ぎの時に、悪ふざけでニセ拳銃を撃った一部の黒人が暴動を鎮圧しようと警備に当たっていた警察により虫けらのように射殺される顛末とその後処理を描いている。


キャスリン-ビグロー監督ビン・ラディンの射殺の顛末を映像化したゼロ・ダーク・サーティ以来久々に長編映画のメガホンをとる。 個人的にゼロダークサーティのもつ緊迫感あるシーンが好きである。パキスタンのある家にビン・ラディンが住むと知り、綿密な計画を立て隠密に飛行機を飛ばし突撃するシーンは思わずドキドキしてしまう。ジェシカ・チャスティンが演じるCIA の分析官も名演である。

今回も実話に基づくドキュメンタリータッチで描く。淡々と悪夢の一夜を再現する。

1967年7月23日、アメリカ中西部の大都市デトロイトで、警察の横暴な捜査に地元住民が反発したことをきっかけに、大規模な暴動が発生した。市民による略奪や放火、銃撃を、警察だけでは鎮圧できず、ミシガン州が軍隊を投入したことで、デトロイトは戦場化する。


暴動発生から3日目の夜、比較的平穏な地域にあるモーテルで、宿泊客の1人が玩具の銃をふざけて鳴らしたところ、銃声として通報を受けた警察や州兵がモーテルに突入し、若い白人警官のクラウス(ウィル・ポールター)が無抵抗の黒人青年を射殺する。クラウスはそこには存在しない“狙撃犯”を見つけ出そうと、居合わせた8人の若者たちに非人道的な尋問を開始した。(作品情報引用)


映画の中で「ドラマティックス」という固有名詞が出てくる。知っているバンド名だ。自分が洋楽ポップスを聴き始めた1970年代前半、ヒットチャートマニアだった自分は「イン・ザ・レイン」というソウルのヒットナンバーに魅かれる。雨音の特殊音が印象的でそのあとソウルフルなスローバラードが流れる曲だった。もしかして、同じバンド?と調べたらその通りであった。残念ながら、この事件により軽快なフルセットボイスを披露したリードシンガーは辞めてしまう。なぜか?デトロイトのコーラスグループなのにドラマティックスがモータウンレーベルに属さない。それはこの事件が理由か?


焦点は警官の正当防衛である。今回、酷く黒人を射殺した警察官は結局無実となる。しかし、この映画の前半で、この事件の前にも正当防衛というよりも過剰防衛としてもおかしくない背後からの射殺の前科があることが示される。銃の所有が正当化されるアメリカではこの手の話はつきものだが、この警察官は異常なまでの人種差別主義者と目される。この映画を製作する背景として、同じような無実の黒人が白人警官により射殺される事例が増えているという。(映画com)引用


1967年のアカデミー賞作品賞は「夜の大捜査線」である。ミシシッピ州の田舎町は人種差別主義者の多い街である。その町にたまたま現れるシドニー・ポワチエ演じる黒人のエリート刑事が不条理な仕打ちを受けるが、結局地元の警察官ロッド・スタイガーと協力し合う。立場の違う2人の触れ合いを描く。ここでの映像を見て、60年代半ばの南部における人種差別の凄まじさを自分は知ることになる。

1968年のメキシコオリンピックでは人種差別に対抗して、陸上200mの表彰式で黒人メダリストが国旗掲揚時に抗議をしたことが今でも記憶に鮮明に残る。キング牧師が殺されたのも1968年だ。それから4年たっているが差別の流れは大して変わっていないだろう。


ただ、暴動が起きているのにスターターピストルを何度も撃って、警備に当たった警察を威嚇しようとした のは被害者にも問題があると言わざるをえない。悪ふざけではすまない行為だ。関与した警察官に大きな問題はあれど、被害者が悪ふざけしなかったらこんな事は起きていない。無罪にはそれなりの理由があると思う。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

映画「スターリンの葬送狂騒曲」

2018-08-12 06:42:42 | 映画(欧州映画含むアフリカ除くフランス )
映画「スターリンの葬送狂騒曲」を映画館で観てきました。


1953年スターリンが亡くなったあと、スターリンショックという株の大暴落が日本で起こった。これにより朝鮮戦争が落ち着き、景気を牽引してきた戦争特需がなくなるのでは?という連想だそうだ。でも当のソ連のトップは後釜狙いの権力闘争で大騒ぎだ。この映画はだいたい史実に基づいている。この映画のいいところは、その史実をコメディタッチで描いているところだろう。内容はエグいが笑えるシーンも多い。

一応後継者になるがオタオタするマレンコフ、マレンコフをたてるフリをして虎視眈々とトップを狙うフルシチョフ、秘密警察の親分で粛清を指導してきたベリヤなど、突然意識を失ったスターリンの後釜問題で大あらわだ。


時は1953年、モスクワ。この国を20年にわたって支配していたスターリンは側近たちと夕食のテーブルを囲む。道化役の中央委員会第一書記のフルシチョフ(スティーヴ・ブシェミ)の小話に大笑いする秘密警察警備隊長のベリヤ(サイモン・ラッセル・ビール)。スターリンの腹心のマレンコフ(ジェフリー・タンバー)はすぐに場をシラケさせてしまう。


明け方近くまで続いた宴をお開きにし、自室でクラシックのレコードをかけるスターリン。無理を言って録音させたレコードに、ピアニストのマリヤ(オルガ・キュリレンコ)からの「その死を祈り、神の赦しを願う、暴君よ」と書かれた手紙が入っていた。スターリンは読んだ瞬間、顔をゆがめて倒れ込む。

朝になりお茶を運んできたメイドが、意識不明のスターリンを発見し、すぐに側近たちが呼ばれる。驚きながらも「代理は私が務める」と、すかさず宣言するマレンコフ。側近たちが医者を呼ぼうと協議するが、有能な者はすべてスターリンの毒殺を企てた罪で獄中か、死刑に処されていた。仕方なく集めたヤブ医者たちが、駆け付けたスターリンの娘スヴェトラーナ(アンドレア・ライズブロー)に、スターリンは脳出血で回復は難しいと診断を下す。その後、スターリンはほんの数分間だけ意識を取り戻すが、後継者を指名することなく、間もなく息を引き取る。


この混乱に乗じて、側近たちは最高権力の座を狙い、互いを出し抜く卑劣な駆け引きを始める。表向きは厳粛な国葬の準備を進めながら、マレンコフ、フルシチョフ、ベリヤに加え、各大臣、ソビエト軍の最高司令官ジューコフまでもが参戦するが。。。
(作品情報一部引用)


1924年レーニン亡き後、トロツキーと権力争いをした後にスターリン書記長が自らに権力をを集中させソ連のトップとなる。そしてトロツキーばかりでなくスターリンの反対思想を持つ者は全て粛清されてしまうのである。当時のソ連で失脚する人たちの姿がいくつかの映画で描かれる。ニキータ・ミハルコフ「太陽に灼かれて」はその中でもピカイチの出来だ。忠実な軍人までが連行されることもある。スターリンは権力をとって以来、粛清で対立する勢力を押さえつけてきた。今でこそヒトラーにひけをとらない独裁者というが、世間には公表されていないことも多い。しかも、戦後の日本の知識人にはアカが多く、フルシチョフによるスターリン批判があった後でも支持されていた時期すらある。実際にはヒトラーの人後に落ちないとんでもない野郎だ。

映画でもスターリンが列挙した粛清リストに載る面々を収容所で次から次へと銃殺するシーンが出てくる。スターリン死亡の後、目の前で次々射殺されていたのに突然中止になり助かる処刑者の姿を映し出すのには笑える。ニキータ・ミハルコフ「太陽に灼かれて」でもわかるように、ちゃんとした反発の証拠があるわけではない人でも引っ張られる。むちゃくちゃだ。


映画ではフルシチョフ、ブルガーニン、マレンコフといった世界史の教科書には欠かせないソ連の指導者が登場する。この後、11年たってブレジネフが書記長となり権力を持つと同時にフルシチョフは失脚。誰もが権力を失った途端に失脚の道を歩む。韓国の大統領の末路も酷いもんだが、ソ連も同じようなもんだ。ここでも、ベリヤに至っては濡れ衣といってもいいような状態で、失脚どころか殺されてしまう。北朝鮮だけでなく他の共産主義国にもそういう部分は残っているだろう。アカ連中の権力闘争は怖い。

こういうのを見て町の駅で共産党のビラ配っているアカババアどもは共産主義がいかにひどいものかと理解できるのであろうか?対岸の火事と思ってわからないだろうなあ。

太陽に灼かれて
スターリンの粛清で壊れる家庭(ブログ記事)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

映画「ミッションインポッシブル/フォールアウト」 トム・クルーズ

2018-08-11 20:23:12 | 映画(洋画:2016年以降主演男性)
映画「ミッションインポッシブル/フォールアウト」を映画館で観てきました。

千両役者トム・クルーズの登場だ。十八番ミッションインポッシブルとなれば見逃せない。離陸する飛行機にくっついて1500mまで上昇するというすごいシーンを見せた前回ローグ・ネイションは十分楽しませてもらった。今回は主にパリが舞台で、相変わらずの度肝を抜くアクションは変わらない。



IMFのエージェント“イーサン・ハント”(トム・クルーズ)と彼のチームは、盗まれた3つのプルトニウムの回収を目前にしていた。だが、突如現れた何者かの策略で仲間の命が危険にさらされ、その最中にプルトニウムを奪われてしまう。イーサンとIMFチームは、プルトニウムを再び奪い返し、複数の都市の“同時核爆発を未然に防ぐ新たなミッション”を受ける。この事件の裏側には、シンジケートの生き残り勢力が結成したアポストル(神の使徒)が関連しており、手がかりは“ジョン・ラーク”という正体不明の男の名前と彼が接触する“ホワイト・ウィドウ”(ヴァネッサ・カービー)と呼ばれる謎めいた女の存在のみ。だが今回のミッションに対しイーサンの動きを不服とするCIAは、敏腕エージェントのウォーカー(ヘンリー・カヴィル)を監視役に同行させることを条件とした。


イーサンはホワイト・ウィドウの信頼を得るため、やむなく収監中の敵“ソロモン・レーン”(ショーン・ハリス)の脱走に手を貸すが、その影響で味方の女スパイ“イルサ”と対立してしまう。一方、同行するウォーカーはイーサンへの疑惑を深め、二人はやがて対決の時を迎える。
やがてタイムリミットが刻一刻と迫る絶体絶命の中で、チームの仲間や愛する妻の命まで危険にさらされる等、いくつもの〈フォールアウト(余波)〉がイーサン・ハントに降りかかる・・・。 (作品情報引用)

破壊力のある核爆弾を奪いとり、爆発の危機から救うというのが今回のミッションだ。しかし、登場人物のキャラがセリフからは理解不能。しかも、スパイ映画特有の敵味方入り乱れる構図だけにストーリー内容もよくわからない。それでも、危機一髪の状態をギリギリのところで回避して、ミッションを遂行するという最終形だけは明らかだ。いつも通り、アクションを活劇として気楽に楽しむという気分でいればいいような気がする。


⒈ロケ地
成層圏外の輸送機からパラシュートで突入するのはパリだ。凱旋門、セーヌ川、エッフェル塔とパリの主要エリアで暴れまわるトムクルーズをくまなく映し、街の中で派手なカーチェイスを見せる。凱旋門のまわりを逆走してしまう。日本でもそうだが、歴史の古い街は道が狭い。その狭い道を全速力で駆け抜ける。ヒヤヒヤものである。以前マット・デイモンのボーンシリーズでも、同じようなセーヌ川の近辺エリアでカーチェイスを見せてくれぶったまげた。パリって随分と映画ロケに対して寛容なんだと思う。


爆弾奪還に向けてインドカシミールに向かう。日本人的にはカシミールというとカレーだ。東京湯島にあるデリーの激辛カレーはカシミールカレーという名だ。おいしい!その独特の辛味が脳裏に浮かぶ。映される映像はアルプスの山奥を思わせる雪景色、そこで飛び立つヘリコプターにギリギリへばりつくトムクルーズのアクションが光る。最後に映る北欧フィヨルドを思わせる断崖絶壁の風景が美しい。演じるトムクルーズは大変そうだけど。

⒉アクションの見せ場
全世界の映画ファンいやミッションポッシブルのファンはアクロバットなアクションを期待して映画館に向かう。今回もその期待は裏切らない。まずは成層圏の飛行機からの脱出。空気が薄いというよりもほとんどない。そこを酸素マスクをつけて飛び降りる。下手をすると失神してもおかしくない。しかも、パラシュートもなかなか開かない。地上までもうすぐだ。ドキドキする。


あとはパリの古い建物の屋上をいつもながらのトムクルーズ走りで駆け抜けて、助走をつけて隣のビルに飛び移るシーンだ。このシーンでトムクルーズは骨折したらしい。これも本気でやっているとすると凄いな!我々はトムクルーズ独特の走りを見て、旧友に会うようになんかホッとしてしまう。それと、カシミールでのヘリコプターアクションと断崖絶壁での格闘だ。ヒッチコックの映画以来、こういう絶壁での格闘で危うく落ちそうになるというのが古典的な映画の文法、バットマンもスパイダーマンも映画のラストに向けて高所での戦いがつきものだ。今回も映画の文法に忠実だが、カシミールの絶壁を横からそして俯瞰して見る映像にドキドキする。


ボンドガールという呼び名があるが、ミッションインポッシブルの場合どうなんだろう。今回はレベッカファーガソン、ミッシェルモナハンと以前に同シリーズ出演の女性が再登場する。前作同様レベッカファーガソンの格闘技アクションが光る。味方だか敵だか判りずらい組織の女性トップを演じるヴァネッサ・カービーもいい感じで使われており相変わらずこれら美女が映画に色どりを与える。


それしてもトムクルーズはいくらギャラもらっているんだろう。これだけ危機一髪の状態をスタントなしで演じるのはちょっと飛び抜けた額じゃないと割が合わないなあ。プロヂュースのところに名前があったが、興行収入も大事だよね。祈り!大ヒット。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

映画「かくも長き不在」 アリダ・ヴァリ

2018-08-05 15:04:30 | 映画(フランス映画 )
映画「かくも長き不在」は1961年のフランス映画


かくも長き不在という映画の名前はキネマ旬報ナンバー1になったということで聞いたことがある。dvdがなくご縁がなかった。tsutaya復刻というのはいつもながらありがたい。デジタル化されたせいか、実に映像が鮮明だ。名画座で擦り切れたようなフィルムを見るよりはマシだ。

戦争で離れ離れになった夫が16年の年月を経て、妻の目の前に現れるが夫は記憶喪失になっているという話である。

アルジェリア戦線の話がちまたの話題になる1960年代前半のパリ、カフェを営む女主人エリーズ(アリダ・ヴァリ)は切り盛りよく客をさばいている。まわりには彼女をお目当てにしている男も多い。そんな彼女の店の前を1人の浮浪者(ジョルジュ・ウィルソン)が通りすぎる。たまたま見つけて驚くエリーズ、16年前戦争をきっかけに別れた元夫にそっくりである。 店の女店員に声をかけさせ、冷たいものを飲みませんか?と店の中に連れ込む。エリーズはこっそり隠れて男を見る。どうやら間違いないようだ。と思った隙にいつの間にか飛び出している。


エリーズは男の後をずっと追う。すると、 雑誌や本を街でひろいながら 河のそばの掘立小屋で生活していることがわかる。おそるおそる様子をうかがう。男は毎日のようにエリーズの店の前を通っていた。勇気を振り絞って男に声をかけてもエリーズが誰だかわからない。記憶をなくしているようだ。

エリーズは昔の知人によく似ていると言って男に近づく。 周り人たちはエリーズの動きを奇妙と感じるが、エリーズは賭けに出る。店のジュークボックスにあるレコードをオペラに替える。思い出の曲だ。大音量で鳴らして、男がどう反応するのか?その場には男の母親も同席させるのであるが。。。


アリダ・ヴァリ「第三の男」での美貌が印象的、テーマソングが高らかに流れるなか並木を1人つんと澄まして歩くシーンは映画史上有数の名シーンだ。もちろん面影はあるが、ふっくらしておなかに肉がついた姿は別人のようである。ただ、 熟女ものAV 好きなら見ようによってはエロいように感じるかも?


映画の見初めではおばさんモードが強かったが、元夫に近づくようになるにつれて、若干色づいてくる。この映画は映像が鮮明なので色気じみてくる。変化がくっきりしてくる。元夫を自分のカフェに招待して食事をふるまったり、ダンスをするシーンはなかなか趣きがある。


別れた夫との再会というと、「ひまわり」ソフィア・ローレンの姿を思いうかベる。戦争で別れ別れになった夫とソ連で感動的な再会をするシーンは涙ものだ。同じイタリアのアリダ・ヴァリソフィア・ローレンは雰囲気が似ている。

ネタバレになるので言えないが、最後に向けての展開はなかなかだ。このわずかな時間ですべてを集約してしまうところがすごい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする