映画「大統領暗殺裁判 16日間の真実」を映画館で観てきました。
映画「大統領暗殺裁判 16日間の真実」は、1979年の朴正熙大統領暗殺事件の後、暗殺に関与した秘書官である軍人の裁判を描いたチュ・チャンミン監督の作品である。1988年のソウルオリンピック前の国内騒動を描いた映画「南山の部長たち」、「ソウルの春」の間にあたる数週間を描く。これらはいずれも傑作で今回も期待できる。日本と違って韓国では現代の暗闇のような権力闘争が映画化されている。裁かれる秘書官を演じるのは惜しくも2023年末に自死で亡くなったイ・ソンギュンである。本当に残念だった。
1979年10月26日、韓国の独裁者であった朴正熙大統領はキム・ジェギュ中央情報部長が首謀者となって暗殺された。国家が混乱に陥る中で、暗殺に関与したとされる情報部長の秘書官パク(イ・ソンギュン)は軍人の身分なので軍法裁判にかけられる。
パクの弁護を引き受けたチョン・インフ弁護士(チョ・ジョンソク)は「上官命令に従ったにすぎない」と無罪を主張するが、証拠は乏しい。軍部内部の権力闘争もあり合同捜査団長チョン・サンドゥ(ユ・ジェミョン)が裁判を覆い隠す。それでも弁護士は粘って無謀にも権力の中枢である参謀総長からの証言獲得を目指すが容易ではない。
現代韓国史に迫る緊迫感のあるすばらしい映画だった。
韓国現代史を描いた作品はやはり面白いという満足感がある。独裁者朴正熙大統領が亡くなった1979年の不安定な韓国の姿を、軍部の動きや社会の風景を通じて生々しく映し出す。緊迫感がずっと続き、まったく飽きずに観れる。
⒈軍人としての威厳と軍法裁判
大統領暗殺事件は首謀者であるキム中央情報部長のもと実行される。中央情報部長の秘書官パクは軍人の身分である。1人だけ軍法裁判を受けるのだ。普通の裁判は三審なのに軍法裁判は一審で判決が下される。弁護を請けたチョン弁護士はこれはおかしいと裁判官に訴える。しかし、パク秘書官は軍人としての威厳を保ち、軍法裁判でよいとあっさり受け入れる。
「軍人だから軍事裁判でよい」の言葉は軍人としての誇りを示していると感じる。演じるイソンギュンも表情をまったく崩さない。余計なことは言わない。朝鮮戦争はいまだ終結しない。徴兵制もある。根強い軍隊文化がにじむ韓国社会では身近なリアリティを持って一般に受け止められるのではないかと自分は推測する。
⒉上官の命令に従うか
「上官の命令に従うか」が裁判の論点である。実行される30分前にパク秘書官は中央情報部長にターゲットは大統領と命じられる。あくまで秘書官は命令に従ったに過ぎないとチョン弁護士は訴える。命令であれば関係のない同僚も殺せるのか?などと被告は検察官から追及されて弁護士は懸命に反論する。弁護士は有罪ありきの望み薄裁判で必死に意図的ではないという立証を試みる。
映画を観ていてドイツナチスで大量のユダヤ人惨殺を実行したナチス幹部アイヒマン裁判を連想した。自分は単に命令を受けて実行したというアイヒマンを見て、哲学者ハンナアーレントは「悪の凡庸」という感想をもって論争となる。その「アイヒマン裁判」の問題意識とも通じ合う印象をもった。ただ、アイヒマンの場合はかばうレベルは超えていると感じる。
⒊弁護士の粘り
チョン弁護士は「上官の命令に従っただけ」という一点を武器に、勝ち目の薄い軍法裁判に挑む。弁護士は軍法裁判で裁くことの否定から入り、上官の命令に過ぎないという論点を強く主張する。加えて意図的に殺害したかどうかの判断だ。
数少ない証拠や証言を必死にかき集める弁護士の奮闘努力が映画の見どころの一つだ。弁護士が参謀総長に証言を求めて通い続ける場面が印象に残る。街で出会ったトレーニング中の女性ボクサーに意識を鼓舞されて一緒にパンチを下したり、粘って参謀総長に会おうと検問を突破しようとする情熱むき出しのシーンもいい。でも結局崩れていく落差にも引き寄せられる。何者かによって拉致もされる。葛藤の連続で強い熱量を生み出しておもしろさを増す。
⒋軍内部の権力闘争
裁判自体が作品の中心でありながら、並行して描かれるのは大統領暗殺後の軍内部の権力闘争である。この部分は映画「ソウルの春」とかぶる。表では形式的な裁判が進み、裏では次の支配者をめぐる駆け引きが行われている。のちの全斗煥大統領をモデルにしたチョン・サンドゥと参謀総長の対立も緊張感を生む。
軍内部の権力争いが軽く絡むことで作品に奥行きが生まれている。人間ドラマを残しつつ、歴史の大きな流れを背景に置いたバランスが秀逸である。「ソウルの春」ではファン・ジョンミンが全斗煥を演じた。いかにもファンジョンミンらしくはしゃぎまわっていた。一方で今回演じるユ・ジェミョンは冷静沈着で陰険である。対照的だけどこれはこれでいい。
⒌時代感の演出の巧みさ
「統治者不在の不安定な時期」を描く映像は当時の時代感を丹念に再現する。最近の韓国はハングルオンリーであるが、ハングルに漢字が混じる事務所内の掲示や新聞記事、看板に加えて統治下時代からの日本語の名残が時代を感じさせる。
男たちだけが酒を飲み交わし取っ組み合いのケンカをするボロい居酒屋の風景も名作「殺人の記憶」のワンシーンも連想させる 「男だけの世界」だ。1979年といえば日本ではディスコブームが続き、普通の女の子も酒場にはいた。一方で戒厳令下の韓国では女性は家庭にとどまり、酩酊する女性が数多くでてくる現代の韓国映画との対比が鮮明である。