映画「秋が来るとき」を映画館で観てきました。
映画「秋が来るとき」は、フランスの奇才フランソワオゾン監督の新作である。気がつくと、このブログでフランソワ・オゾン監督の作品を取り上げるのがちょうど10作目になる。新作を発表するときには必ず観ている。前々作「苦い涙」は自分には合わなかったが、前作「私がやりました」は面白かった。さて、今度はどうなるのであろう?
老人女性のストーリーだと言うのは映画のポスターで見てわかっていた。ここのところ老人映画が続いているけれども、他ならぬフランソワ・オゾン監督の作品だけに早めに映画館に向かう。
フランスのブルゴーニュに1人で住む祖母ミシェル(エレーヌ・バンサン)の元に娘ヴァレリー(リュディビーヌ・サニエ)と孫ルカが秋の休暇で遊びに来る。ミシェルは近所に住む親友マリー=クロードと一緒にキノコ狩りに行き、食事を用意する。娘は電話をしまくって落ち着かないので、孫と一緒に森の中に散策に向かう。
ところが、戻ってくると自宅に救急車が来ていた。ヴァレリーがキノコ料理で食中毒を起こしたようだ。大事に至らなかったが、怒って娘はパリに戻って行き孫には会わせないといい祖母は悲しむ。
親友のマリークロードには刑務所から出所したばかりの息子のヴァンサンがいた。ミシェルの庭の手入れや雑用をこなしていたが、ヴァレリーがミシェルにつれないのを気にしていた。ミシェルのもとにヴァレリーと離婚調停中の夫から電話があり、ヴァレリーがアパルトマンの部屋から転落して亡くなったという連絡が入るのだ。結局、孫は祖母のもとに行くことになるのだ。
老人映画というよりミステリー仕立てのフランソワ・オゾンらしい快作だ。
ワインで有名なブルゴーニュの樹木は黄色く色づく。いかにも秋らしい背景は印象派の絵画を見るように美しい。主人公ミシェルは80歳なのに自ら車のハンドルを握り、家庭菜園を楽しむ。秋の気配が感じられる森の中で老女たちがきのこ狩りをするのどかな映画のように最初は進んでいく。ところが、主人公の娘と孫が遊びにくると動きが変わってくる。娘を演じるのはリュディビーヌ・サニエだ。
「スイミングプール」でボリュームたっぷりのヌードを披露したリュディビーヌ・サニエの若き裸体は今でも脳裏に残る。ここではそのリュディビーヌ・サニエ演じる主人公の娘ヴァレリーはキツイ性格だ。夫とは離婚に向かって進んでいる。金銭的にも不自由して母親に金の無尽をしているのに偉そうだ。ただでさえ良くない母娘の関係は毒キノコを食べて最悪。そんな展開で進んだあとヴァレリーが死んでしまうのだ。なんと、主人公の親友の息子ヴァンサンがからんでいる。
作品情報だけでは映画の主旨がわからず、老人の痴呆とかに焦点が当てられるのかと思ったら、違う。いかにもフランソワオゾンらしい捻り技でミステリータッチと現実離れした世界を織り込ませてストーリーは進んでいく。祖母ミシェルと親友マリー=クロードの秘密がしつこく根底に流れていく。
⒈ブルゴーニュの美しい背景と簡潔な展開
印象派の絵画のように美しい背景はあくまで脇役で、複雑な人間関係とそれぞれの心理状態をクローズアップする。やさしいフランス語のセリフなので、自分の耳になじむ。長回しでダラダラする場面はなく、適度なカット割りで進んでいくのでスピード感すら感じられる。無四球試合が多いピッチャーが投げるコントロールの良い投球をフランソワ・オゾン監督が巧みに組み立てている印象だ。
⒉ミステリー仕立てとファンタジー
リュディビーヌ・サニエ演じる娘のヴァレリーが亡くなってしまうのが転換点だ。主人公ミシェルの親友マリー=クロードの息子ヴァンサンは刑務所から出たばかりで仕事もないだろうからとミシェルが面倒をみてあげている。そのヴァンサンが「母親と仲良くしろよ」とパリに住むヴァレリーのアパルトマンの部屋に行くシーンがある。そのあとブルゴーニュのミシェルに亡くなったことが伝わる。事件は争った気配もなく転落事故で警察はいったん処理する。
ヴァンサンがヴァレリーの家で言い争いをしたことまでは途中でわかる。でも、この事件の真相にはたして母親ミシェルが絡んでいるのか?しかも、ヴァンサンはミシェルの援助で街でバーをオープンさせている。クリントイーストウッドの「陪審員2番」と同じできわどい存在のヴァンサンに追手が来るのか?がポイントになる。加えてヴァレリーが亡霊となって現れるファンタジーの色彩もある。どうやって映画の結末につなげるのか?見どころは多い。
老人映画のようになっているセールス手法はどうなのかな?フランスの巨匠による上質のサスペンスだと告知した方がいいと思うけど。余韻が残るし、何もかも明らかにしないで観客に想像させて解釈を楽しませる映画だと思う。これまでよりも奥が深い。