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映画とライフデザイン

大好きな映画の感想、おいしい食べ物、本の話、素敵な街で感じたことなどつれづれなるままに歩きます。

映画「秋が来るとき」フランソワ・オゾン

2025-05-30 21:20:37 | 映画(フランス映画 )

映画「秋が来るとき」を映画館で観てきました。

映画「秋が来るとき」は、フランスの奇才フランソワオゾン監督の新作である。気がつくと、このブログでフランソワ・オゾン監督の作品を取り上げるのがちょうど10作目になる。新作を発表するときには必ず観ている。前々作「苦い涙」は自分には合わなかったが、前作「私がやりました」は面白かった。さて、今度はどうなるのであろう?

老人女性のストーリーだと言うのは映画のポスターで見てわかっていた。ここのところ老人映画が続いているけれども、他ならぬフランソワ・オゾン監督の作品だけに早めに映画館に向かう。

フランスのブルゴーニュに1人で住む祖母ミシェル(エレーヌ・バンサン)の元に娘ヴァレリー(リュディビーヌ・サニエ)と孫ルカが秋の休暇で遊びに来る。ミシェルは近所に住む親友マリー=クロードと一緒にキノコ狩りに行き、食事を用意する。娘は電話をしまくって落ち着かないので、孫と一緒に森の中に散策に向かう。

ところが、戻ってくると自宅に救急車が来ていた。ヴァレリーがキノコ料理で食中毒を起こしたようだ。大事に至らなかったが、怒って娘はパリに戻って行き孫には会わせないといい祖母は悲しむ。

親友のマリークロードには刑務所から出所したばかりの息子のヴァンサンがいた。ミシェルの庭の手入れや雑用をこなしていたが、ヴァレリーがミシェルにつれないのを気にしていた。ミシェルのもとにヴァレリーと離婚調停中の夫から電話があり、ヴァレリーがアパルトマンの部屋から転落して亡くなったという連絡が入るのだ。結局、孫は祖母のもとに行くことになるのだ。

老人映画というよりミステリー仕立てのフランソワ・オゾンらしい快作だ。

ワインで有名なブルゴーニュの樹木は黄色く色づく。いかにも秋らしい背景は印象派の絵画を見るように美しい。主人公ミシェルは80歳なのに自ら車のハンドルを握り、家庭菜園を楽しむ。秋の気配が感じられる森の中で老女たちがきのこ狩りをするのどかな映画のように最初は進んでいく。ところが、主人公の娘と孫が遊びにくると動きが変わってくる。娘を演じるのはリュディビーヌ・サニエだ。

「スイミングプール」ボリュームたっぷりのヌードを披露したリュディビーヌ・サニエの若き裸体は今でも脳裏に残る。ここではそのリュディビーヌ・サニエ演じる主人公の娘ヴァレリーはキツイ性格だ。夫とは離婚に向かって進んでいる。金銭的にも不自由して母親に金の無尽をしているのに偉そうだ。ただでさえ良くない母娘の関係は毒キノコを食べて最悪。そんな展開で進んだあとヴァレリーが死んでしまうのだ。なんと、主人公の親友の息子ヴァンサンがからんでいる。

作品情報だけでは映画の主旨がわからず、老人の痴呆とかに焦点が当てられるのかと思ったら、違う。いかにもフランソワオゾンらしい捻り技でミステリータッチと現実離れした世界を織り込ませてストーリーは進んでいく。祖母ミシェルと親友マリー=クロードの秘密がしつこく根底に流れていく。

⒈ブルゴーニュの美しい背景と簡潔な展開

印象派の絵画のように美しい背景はあくまで脇役で、複雑な人間関係とそれぞれの心理状態をクローズアップする。やさしいフランス語のセリフなので、自分の耳になじむ。長回しでダラダラする場面はなく、適度なカット割りで進んでいくのでスピード感すら感じられる。無四球試合が多いピッチャーが投げるコントロールの良い投球フランソワ・オゾン監督が巧みに組み立てている印象だ。

⒉ミステリー仕立てとファンタジー

リュディビーヌ・サニエ演じる娘のヴァレリーが亡くなってしまうのが転換点だ。主人公ミシェルの親友マリー=クロードの息子ヴァンサン刑務所から出たばかりで仕事もないだろうからとミシェルが面倒をみてあげている。そのヴァンサンが「母親と仲良くしろよ」とパリに住むヴァレリーのアパルトマンの部屋に行くシーンがある。そのあとブルゴーニュのミシェルに亡くなったことが伝わる。事件は争った気配もなく転落事故で警察はいったん処理する。

ヴァンサンがヴァレリーの家で言い争いをしたことまでは途中でわかる。でも、この事件の真相にはたして母親ミシェルが絡んでいるのか?しかも、ヴァンサンはミシェルの援助で街でバーをオープンさせている。クリントイーストウッド「陪審員2番」と同じできわどい存在のヴァンサンに追手が来るのか?がポイントになる。加えてヴァレリーが亡霊となって現れるファンタジーの色彩もある。どうやって映画の結末につなげるのか?見どころは多い。

老人映画のようになっているセールス手法はどうなのかな?フランスの巨匠による上質のサスペンスだと告知した方がいいと思うけど。余韻が残るし、何もかも明らかにしないで観客に想像させて解釈を楽しませる映画だと思う。これまでよりも奥が深い

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映画「IT’S NOT ME イッツ・ノット・ミー」 レオスカラックス

2025-04-30 09:39:13 | 映画(フランス映画 )

映画「IT’S NOT ME イッツ・ノット・ミー」を映画館で観てきました。

映画「IT’S NOT ME イッツ・ノット・ミー」は鬼才レオスカラックス監督「アネット」以来の新作である。前々作「ホリーモーターズ」で奇怪な映像を見せてくれた後に「アネット」ではミュージカル仕立ての部分もあった。さてどんな映像を見てくれるのかが楽しみだ。上映時間は42分と短い。

経緯と作品の紹介は作品情報を引用するしかない。

パリの現代美術館ポンピドゥーセンターはカラックスに白紙委任する形で展覧会を構想していたが、「予算が膨らみすぎ実現不能」になり、ついに開催されることはなかった。その展覧会の代わりとして作られたのが『IT‘S NOT ME イッツ・ノット・ミー』である。

『IT’S NOT ME イッツ・ノット・ミー』。それは「これは私ではない」と題されたセルフポートレート。カラックスが初めて自ら編集しためまいのようなコラージュ。「鏡を使わず、後ろ姿で描かれた」自画像。子供の始めての嘘(フィクション)のような「僕じゃない」という言い訳――。(作品情報 引用)

不思議な映像体験を楽しめた。42分間は短く感じなかった。

レオスカラックス監督作品の常連ドニ・ラヴァンが奇怪な服装で出てくる映像や初期作品のジュリエットビノシュの場面をいじくった映像もでてくる。自らの過去作や古今東西のニュースフィルムの引用などさまざまなホームビデオから映画、音楽が次々と連続してでてくる。映像の断片が盛りだくさんなので、短い感覚がなかった。

前作「アネット」を観た時、それまでの作品よりも予算があったように感じた。その勢いで新作を構想していたのに違いない。でも予算不足で断念。一部新しい表現があっても旧作の引用だけど編集にすぐれる短い時間を緊張感をもって過ごせる。それ以上は書きようがない。

そこにはストーリーも結論もないが、至る所に見る者の心を揺さぶる声や瞬間がある。難民の子供の遺体に重なるジョナス・メカスの声。留守電に残されたゴダールの伝言。娘のナスチャがピアノで奏でるミシェル・ルグランの「コンチェルト」のテーマ。

主観ショットで捉えられた『汚れた血』のジュリエット・ビノシュ。『ポーラX』のギョーム・ドパルデュー(1971-2008)とカテリナ・ゴルベワ(1966-2011)。盟友だった撮影監督ジャン=イヴ・エスコフィエ(1950-2003)への献辞。その後で、不意に訪れる驚嘆すべき素晴らしい終幕――。すべてが親密で私的で詩的なカラックスからのメッセージだ。(作品情報 引用)

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映画「モンテッソーリ 愛と創造のメソッド」 ジャスミン・トリンカ

2025-04-08 17:57:41 | 映画(フランス映画 )

映画「モンテッソーリ 愛と創造のメソッド」を映画館で観てきました。

映画「モンテッソーリ 愛と創造のメソッド」発達障害の教育メソッドとして有名なモッテッソーリ教育の創始者マリア・モンテッソーリ女史に焦点を当てたフランス、イタリア共作映画だ。La nouvelle femme(新しい女性)が原題で、まさにイタリアで先進的な活躍を遂げた女医だった。

予告編で観てから必ず行こうと思っていた。今は普通に暮らす娘が、幼児のころ発達が遅れて言葉もなかなか話せなかった。その時に県が管理する児童訓練所のような場所で娘の面倒を見てもらい幼稚園に行く前に一年通った。その女性指導者はまさにこのマリア・モンテッソーリのような素晴らしい方だった。もし出会わなかったら今どうなっていたんだろうと思う。

1900年、フランスパリの有名なクルチザンヌ(宮廷女官)であるリリ・ダレンジ(レイラ・ベクティ)は娘の発達障がいが明るみに出そうになったとき、自分の名声を守るためにパリからローマへ娘ティナを連れていく。そして女性医師マリア・モンテッソーリジャスミン・トリンカ)の元を訪ねる。マリアは障害を持つ子供たちを預かって、教育する公的な研究所を運営していた。新しい教育法の基礎を築いていた。

リリはそのまま娘ティナ(ラファエル・ソネヴィル=カビー)を預けてパリに戻るつもりだったが、マリアからは母親の愛情が重要なので通いで来てくれと言われてローマに残る。その後マリアの指導が徐々に効果を示してティナの状況は改善された。マリア中心に運営する研究所であったが、当時は男性中心の社会パートナーのジュゼッペが注目されていた。ジュゼッペとの間には婚外子のマリオがいた。しかし、親族の反対で一緒には暮らせずに乳母に預けられているのがマリアの悩みだった。

興味深い映画だった。よかった。

フェミニズム映画との紹介もあるが、男性主体だった医療の世界での女性の自立を主張する場面はあってもそれが前面にでている訳ではない。幼児の頃に発達障害を持っていても立ち直れる余地は十分あるというのが主題と考えたほうがいい。作品情報によると、監督のレア・トドロフの娘遺伝性の病気を持っていたことでこの映画を製作するきっかけが生まれたようだ。

実際に本物の知的障害児が出演している。演出はたいへんだったろう。監督の指導のもと愛情をもって出演者が接しているのはよくわかる。その子たちがモンテッソーリ教育によって、四則演算など認知能力を改善しているのが映像で示される。良い場面だ。身辺に自閉症などの発達障害や知的障害の子どもがいる方はすんなり内容に入っていけるかもしれない。

その昔、訓練する場所で先生の指導のもと玩具を手にして遊ぶ娘の姿が目に浮かぶ。行く前は絶望感があったが、時間を経るにつれて状況が劇的に改善される。多動だった娘が訓練中に椅子に落ち着いて座れるようになった。その指導をモンテッソーリ教育と知るのはずっと後だった。

マリア・モンテッソーリは1870年生まれで当時30歳だ。自分のやり方を信じて強い意志と向上心を持って障がいをもった子に向かい合う。しかも無給で働く。報酬や給与は一切ないのだ。実績はでている。周囲があきらめていた知能の向上が見られるのだ。その一方で、同僚のパートナーとの間に婚外子をつくったにも関わらず自分で育てていない心のジレンマがある。親は世間体もあってか同居に反対だ。人の面倒はうまくいっても身内でなるようにならないジレンマに陥るのも映画の見どころだ。

リリ・ダレンジはクルチザンということで、作品情報では高級娼婦となっている。ピンとこないけど、宮廷女官との訳もある。日本の天皇家も明治天皇までは側室がいて、大正天皇は女官柳原愛子が産んだ子だ。当時フランスに王や皇帝は存在しないが日本式に(貴族の)女官とすべきと感じた。リリはフランスの社交界に接していた訳だが、娘の障害は表だって周囲に話せない。ローマに行きマリアモンテッソーリの前に現れた時、娘のことをめいだと言っていた。もともと結婚していて娘が一歳の時に障害をもつとわかり離縁させられる。その後クルチザンになったのだ。徐々にマリアとの関係も良くなる。マリアの支えにもなっていきスポンサーも紹介するのだ。

個人的にはいい映画を観たという後味の良さがあった。

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映画「オークション ~盗まれたエゴン・シーレ」

2025-01-27 20:32:25 | 映画(フランス映画 )
映画「オークション ~盗まれたエゴン・シーレ」を映画館で観てきました。


映画「オークション ~盗まれたエゴン・シーレ」美術オークションの世界を取り上げたフランス映画。画家エゴン・シーレの作品が長い月日を経て発見された実話に基づいている。監督は「美しき諍い女」などの脚本でむしろ名高い「カイエ・デュ・シネマ」出身のパスカル・ボニゼールである。公開館が少なく時間調整ができず後回しになってしまった。会場でのオークションとは無縁だった自分は、リアルなディール場面が楽しめるかと期待する。

パリのオークションハウスで競売人として働くアンドレ(アレックス・リュッツ)のもとに、画家エゴン・シーレのものと思われるカンバス画の鑑定依頼の手紙が弁護士を通じて届く。ここ30年程市場に出ていないので贋作と疑い気乗りしなかった。ところが、元妻で相棒のベルティナ(レア・ドリュッケール)とフランス東部のミュルーズに絵を見にいったところ、ナチスに略奪されたエゴン・シーレの作品と判明。化学工場で夜勤労働者として働く青年マルタンが、母親とふたりで暮らす家の壁に飾られていた。
この絵をどのように扱うのか、現在の所有者、元の持ち主、オークションハウスなどの思惑で揺らいでいく。


フランス映画らしい簡潔な展開で美術オークションの世界を描き好感をもつ。
映画のストーリーは比較的単純明快である。競売人とその秘書と秘書の家族、元妻で競売人の相棒の女性、現所有者である夜勤労働者とその母、仲介に入る弁護士、元々の所有者の末裔など登場人物は多彩にわたる。それぞれのキャラクターに変化を持たせて、現所有者の青年以外はくせ者が多く性格が良くない。かみ合わない会話が目立つ。

もともと単純な話に変化をつけるのがポイントだ。あえて欲のない青年の性格の良さを際立たせるつもりなんだろう。青年は巨万のカネを得ても何もなかったように夜勤労働者に戻る。


オークションの緊迫感も見どころである。オークション的な商取引の経験は当然あるが、会場での経験がない。事前にいくらまでという準備はするにしても反射神経がついていけない気もする。オークションする前の事前段階で価格設定に駆け引きがあることも示す。値段を下げようと悪いウワサを流したり、偽情報で金儲けする人がわざとマイナス面を強調する動きもある。単なる絵画の周囲に色んな人がいておもしろい。

長すぎる上映時間の作品が目立つ中、こういうフランス映画は自分には心地よい
コントロールのいいピッチャーが少ない投球数で無四球試合をするような感覚だ。
競売人の秘書役だったルイーズ・シュビヨットが自分の好みのタイプで性格の悪い役なのに引き寄せられた。
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映画「エマニュエル」オードレイ・ディヴァン&ノエミ・メルラン

2025-01-10 20:50:31 | 映画(フランス映画 )
映画「エマニュエル」を映画館で観てきました。


映画「エマニュエル」はフランスの人気女優ノエミ・メルランがエマニュエルを演じる香港を舞台にしたフランス映画だ。自分が青年時代にシルビアクリステル演じる「エマニュエル夫人」の衝撃映像を観ているし続編も観た。女性の性の目覚めがテーマでタイのロケ映像が脳裏に残る。今回は「あのこと」でベネチア国際映画祭金獅子賞を受賞したフランスの女性監督オードレイ・ディヴァンというのも気になる。2022年公開の作品では文句なしの5つ星作品で望まぬ妊娠をした女の子を追うカメラワークが良かった。

主演のノエミ・メルラン「燃ゆる女の肖像」から脱ぎっぷりがよくずっと追っていて「パリ13区」では黒人男性とのきわどい絡みもあった。しかも、「マルホランドドライブ」でやさしいバストトップを見せてくれ主演作も多かったナオミワッツがでて自分が好きな香港ロケとなると初日から行くしかない。


ホテルの品質調査の仕事をするエマニュエル(ノエミ・メルラン)はオーナーから依頼を受け、香港の高級ホテルに滞在しながら査察をすることになった。ランキングが落ちたことが許せないオーナーは経営陣のマーゴ(ナオミ・ワッツ)を懲戒解雇できる理由を見つけるようアラ探しを命じる。しかし、サービスも設備もほぼ完璧である。ホテルの監視室の従業員(アンソニー・ウォン)から監視映像を見せてもらい裏側を調べはじめて怪しげな常連宿泊客と交流を重ねるようになる。

香港を舞台にして視覚的に大満足の映画だった。
香港のどこのホテルかわからないのが残念だが、アジアンテイストのインテリアが素敵なホテルでエマニュエルはビクトリアハーバーが見渡せるスウィートに滞在する。ゴージャスな部屋で、プールサイドのシーンもある。ガラス越しに香港のビルのネオンがきらびやかに映るバーのシーンもいい感じだ。まだまだ香港健在とわかりうれしい。

最後に向けて、エマニュエルが猥雑な香港の裏町に入っていくシーンもいい感じだ。広東語が飛び交う会員制秘密麻雀クラブや多国籍な面々が踊る怪しげなクラブに入ったり、裏町角の屋台のような場所で中華を食べながら強い酒(白酒かなあ?)をエマニュエルが飲み干したりメイクラブするシーンを見ていると香港に行きたくなって居ても立っても居られない気分になる。


1974年の「エマニュエル夫人」ではバンコクの外交官夫人が性に目覚める設定で、アヘンを吸う怪しげなエリアのシーンに展開して行った。性に目覚める意識という面では前作の方が強い。ヘア解禁のずいぶん前でぼかし映像だらけである。約50年前だけにタイも今と比べるとバリバリの発展途上国でまだ怪しさが残っていた。今回は香港の裏街角が映っても都会的なムードが前面に出る。

ノエミメルラン美しい乳首を見せるだけでなくキレイにカットしたアンダーヘアも全開だ。いきなり飛行機内のファーストクラスのトイレでいたしてしまうシーンでスタートしていき、怪しげなプールの常連客ゼルダ(チャチャ・ホアン)が男性客を誘惑して小屋でファックするのを見せつけられて刺激される。ゼルダとオナニーの見せ合いもするのだ。


それにしても、メジャー俳優の一歩手前くらいまでになったノエミメルランも毎回大胆な絡みシーンが多い。最後に向けての絡みは下手なAVよりも視覚的にも聴覚的にも刺激たっぷりだ。ナオミワッツも久々に脱いでくれたらと思ったけど、50代後半だからなあ。


オードレイ・ディヴァン監督は「あのこと」同様にノエミメルランを抜群のカメラワークで追っていた。映画情報の中でのオードレイ・ディヴァンの性に関するコメントはかなり刺激的なので一読をお勧めする。
『あのこと』を撮影した後、私は自分自身にこう言いました。「痛みを描けるなら、悦びも描けるかもしれない」と。女性のオーガズムを適切に表現する方法を見つけるのには時間がかかりましたとの発言はすごい。お見事である。

ただ、ストーリーだけをとると変化球が効かずにイマイチと思う人もいるだろう。自分のように香港を楽しめればいい人物からすれば別に構わない。世間の批評は手厳しいが、周囲の声に流されている印象を持つ。日本人特有の同調性か?
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映画「山逢いのホテル」 ジャンヌ・バリバール

2024-12-07 13:32:05 | 映画(フランス映画 )
映画「山逢いのホテル」を映画館で観てきました。


映画「山逢いのホテル」はフランス、スイス合作のスイスの山間部にあるホテルを舞台にした物語だ。原題はLessez moiだ。 主演はフランスのジャンヌ・バリバールでフランス語で会話が展開する。直近で「ボレロ」のダンサー役が趣きがあってよかった。監督・脚本は、ファッションデザイナーであったスイスのマキシム・ラッパズだ。場所はてっきりフランスの山間部かと思ったら、地図を見ると舞台となるグランド・ディクサンス・ダムスイスのかなり山奥だ。予告編を見るとホテルの部屋に男を誘う売春婦のようだ。


サングラスをした白い服を着た女性が山間部を走る高原列車に乗って大きなダムのある場所に向かう。湖と裏にある山々を望む素敵な景色の中颯爽と歩いてホテルに入る。座った後で、ボーイに宿泊している男性がどのくらいの滞在期間か聞いてチップを渡す。長期滞在の客は避けて、近日中に発つ予定の男性客を確認した後で声をかける。しばらく雑談した後で「あなたの部屋へ」と一緒に向かう。ジャンヌ・バリバール50代の裸体をあらわにして使い込んだ乳輪のバストを見せる。

1997年、スイスアルプスを望む小さな町で、仕立て屋のクローディーヌ(ジャンヌ・バリバール)は障害のある息子を1人で育てていた。毎週火曜日には、息子を隣人に預けてダムのそばにあるリゾートホテルへ向かう。そこで短期滞在で単身の男性客を誘って情事にふける。
ある時彼女は水力発電の技術者であるハンブルクから来たドイツ人、ミヒャエル(トマス・サーバッハー)と出会う。これまでと違い女に目覚めて情熱的になる。ミヒャエルは次の出張先のアルゼンチンに向かおうとする。クローディーヌはついて行くかどうか迷う。


東電女性社員殺人事件の主人公を思わせる自傷的な女性が女の本性に目覚める。
わかりやすいフランス語で映画にはスッと入っていける。センスのある映像とやさしいピアノの音色でいかにもフランス映画らしいが、熟女AVのような展開だ。熟し切った50代の裸体は若い男性が見ても楽しめないだろう。50代女性の肢体がどんなものかを理解する自分は同窓会で同世代の女としけこむ感覚でとりあえず受け入れる。かなりエロティックで大胆だ。解説には軽い情事のように書いているが、完全に売春婦といっていいだろう。でも、男からお金を受け取らないこともある。


普段は自宅を作業場にして洋服を仕立てている。家には生まれつき障がいのある息子、バティストがいる。ジョニーローガンのファンだ。男たちから得た海外の街の情報を、父親からの手紙として読み聞かせてきた。息子への献身的な愛情の傍で、出会って惹かれたドイツ人男性に心を寄せて息子を置いて飛び出そうかと決断する。


映画館には熟年の女性が数多くいた。ジャンヌ・バリバールを見てどんなことを思うのか興味を覚える。ジャンヌ・バリバールが話すフランス語の響きはファッショナブルな名作「去年マリエンバートで」デルフィーヌ・セイリグを連想させる。あの時のデルフィーヌはこの映画の題名「Laissez moi」(一人にして)を連発する。作者に何か意図があったのかもしれない。
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映画「ベルナデット 最強のファーストレディ」 カトリーヌ・ドヌーヴ

2024-11-10 18:04:04 | 映画(フランス映画 )
映画「「ベルナデット 最強のファーストレディ」を映画館で観てきました。


映画「ベルナデット 最強のファーストレディ」カトリーヌ・ドヌーヴが、シラク大統領夫人ベルナデットを演じる女性監督のレア・ドムナックの作品だ。大学の第二外国語がフランス語で、フランス語が堪能な友人もいるので他の欧州の国よりもフランスには親しみがある。パリの街を楽しむのにパリオリンピック中継で街が映ると身を乗り出してみたし、フランス映画も好きだ。

その割にはフランスの現代政治とカルチャーに関しては詳しくない。メジャー俳優を除いては俳優の名前も覚えていないし、大統領以外の政治家は知らない。それなのに、予告編で大統領夫人が「時代遅れ」「気難しい」と側近に酷評されるシーンに興味を持つ。早速観に行ってしまう。

ベルナデット・シラク(カトリーヌドヌーヴ)は、夫ジャック・シラク(ミシェル・ヴュイエルモーズ)を大統領にするため、常に影で働いてきた。ようやく大統領府のエリゼ宮に到着し、自分の働きに見合う場所を得られると思っていたが、夫やその側近、そして夫の広報アシスタントを務める娘(サラ・ジロドー)からも「時代遅れ」「メディアに向いていない」と突き放されてしまう。

だが、このままでは終われない。参謀の“ミッケー”ことベルナール・ニケ(ドゥニ・ポダリデス)と共に、「メディアの最重要人物になる」という、華麗にして唯一無二の“復讐計画”をスタートさせる!(作品情報 引用)


おもしろかった。現代フランス史の裏側も見れて楽しい。
エピソードが盛りだくさんなのもいい。スムーズにエピソードがつながり不自然さがない。しかもコミカルなタッチで軽快だ。女性監督による女性向きに作られている映画に見受けられるが、男性ファンもすんなり受け入れられる。シラク大統領はものすごい親日家であることも映像で示してくれる。日本の陶器を作る工程動画に夢中になっている姿が映り、愛犬も「スモウ」と名付けるのだ。

ジャック・シラク大統領ミッテラン大統領に選挙に敗れて苦杯を舐める時期を経てようやく1995年大統領になる。普通であれば、ベルナデット夫人はファーストレディでもてはやされるのに、周囲の人気がなく娘のクロードが秘書役で前面に出るのだ。

ベルナデットが何かおかしいと思っていた時、夫人の参謀となったベルナールに周囲の評価として「時代遅れ」「冷たい」「気難しくて話しづらい」と面と向かって指摘される。そこからベルナデットの変貌が始まる。参謀ベルナールの「ご自分を解放すれば、道は開けます」との言葉で行動がかわる。服装もシャネルスーツから現代風にイメージチェンジだ。

⒈シラク大統領の浮気
ダイアナ妃がパリで事故死したのはあまりにも有名だ。亡くなった時に方々から問い合わせがあったけれども、シラク大統領が行方不明で連絡がつかない。職員が懸命に探してようやく連絡がつくと、先方には女の声が聞こえる。どうやらイタリアの女優といるようなのだ。ベルナデット夫人は数日部屋に閉じこもってしまう。ひたすら謝るシラクなのだ。思わず吹き出してしまう。

ヒラリークリントンが大統領夫人だった頃に、フランスに来てベルナデット夫人と行動をともにする。それがTVに映し出されて何も知らないシラク大統領は画面を見て驚く。クチの悪い連中が、夫が浮気する同士仲がいいと陰口をきくシーンにも笑ってしまう。


⒉ベルナデット夫人の政治センス
ベルナデット夫人が周囲から酷評を浴びている頃から、政治的センスは抜群だった。大統領就任後に周囲の取り巻きが今のうちに議会を解散して選挙に臨んだほいがいいとシラクに進言すると、ベルナデット夫人大反対。でも取り巻きの言う通りにすると選挙で与党は惨敗。最近の日本と似た話だ。シラク大統領はアタマを抱える。

その後大統領再選の頃、フランス国内で極右政党が勢力を伸ばしていた。ベルナデットが気にしていたのにもかかわらず、取り巻きは楽観視して相手にしていなかった。結局、極右勢力が票を伸ばして決選投票となってしまう。その頃には、ベルナデット夫人への周囲の信頼は厚くなり人気が急上昇したので、シラクの切り札として選挙勝利へと導く。

⒊宿敵サルコジを大統領選で推すか?
後の大統領サルコジはもともとシラクの子分だったのに、大統領選挙で反対側勢力につく。シラク一家はカンカンだ。ベルナデット夫人著書のサイン会にサルコジが現れても、皮肉たっぷりのコメントを本に書いて追い出す

大統領在任末期となった頃シラクは脳卒中で倒れてしまう。もう限界だ。何とか踏ん張っているが、サルコジも勢力を伸ばしている。でも、シラクはサルコジだけは応援したくない。そこで登場するのが、ベルナデット夫人だ。サルコジが当選した後も対立していると、シラク家に意地悪をする可能性がある。シラクもスネに傷がたくさんあるので文句つけられる可能性がある。そこでベルナデット夫人は今後のことも考えてサルコジに急接近するのだ。県議会議員として人気のあるベルナデット夫人が自分の味方になるのはサルコジにとっても都合がいい。


このあたりのベルナデット夫人の気持ちはよくわかる。うまい!新任の責任者は前任者の否定から入ることが多い。あとのことを考えて動くベルナデットのセンスを感じる場面であった。サルコジを応援するメンバーの中に自分の妻がいるのをTVで見てシラクはビックリ。こんなシーンの数々がおもしろい。現代フランス史がわかってタメになる。フェミニスト映画という女性が多いけど、自分はそう思わない。
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映画「ボレロ」 ラヴェル&ラファエル・ペルソナ

2024-08-10 09:21:14 | 映画(フランス映画 )
映画「ボレロ 永遠の旋律」を映画館で観てきました。


映画「ボレロ 永遠の旋律」は作曲家モーリス・ラヴェルの名曲「ボレロ」の誕生秘話を中心にラヴェルの人生に迫るフランス映画。監督は「ココシャネル」アンヌフォンテーヌ、ラヴェルを演じるのはアランドロン2世と言われたラファエル・ペルソナである。「ボレロ」の名前を知らない人でも、誰もがどこかで聴いたことがあるだろう。古くはホンダプレリュードのCMが有名だ。ラヴェル自身の経歴を知るのははじめてである。

1927年から28年にかけてのパリ、人気作曲家兼ピアニストとして名声を得ているモーリスラヴェル(ラファエルペルソナ)はスランプに陥っていた。評論家からの酷評に頭を悩ませていた。ラヴェルにバレエダンサーのイダ・ルビンシュタイン(ジャンヌ・バリバール)にバレエ音楽の依頼を受ける。別のピアノ曲「イベリア」を編曲して対応する予定がすでに別の編曲作品があり、自ら作曲することに方針変更する。


家政婦が好みの流行曲「バレンシア」をラヴェルがピアノで奏でた時に発想を得て「ボレロ」の主旋律を思いつく。1分間の主旋律を17分にわたり楽器を替えて繰り返して盛り上げる曲の構成を考えて完成させる。この曲の生むセクショナルな響きをバレエに表現したイダのバレエダンスを気に入っていなかったが、公演会場にいやいや向かう。

ボレロ以外にも奏でられるラヴェルの曲が心地よい。1920年代後半のパリの建物やインテリア、上流階級の衣装も美しい映像となって快適に映画を観ることができた。
居住していた実在の建物「モーリスラヴェル博物館」のロケもふんだんに多い。
海辺の別荘地で海岸を歩くシーンも優雅だ。
子供の頃から古典派のベートーヴェンやモーツァルトなどの人生は絵本で知っているし、20世紀のマーラーやラフマニノフも映画などで取り上げられて知っている。その一方でモーリスラヴェルの私生活については知らない。独身を通したラヴェルの人生を少しづつ追っていくのではない。ラヴェルが名曲「ボレロ」を作曲するきっかけから作品発表とそれ以降の経緯を1927年から1928年を中心にして、過去に時間を戻したり進めたりする。

傑作というような展開ではない。ちょっと間延びしすぎかな。フランス映画界で欠かせない存在になってきたラファエルペルソナは絶賛とまでいかないが好演だ。直近では「ジュリア」など自分のブログでも随分と取り上げている。3人の女性はいずれもオバサンでさほど魅力的でもない。でも、バレエダンサーのジャンヌ・バリバールに存在感を感じる。銀座高級クラブの年増マダムのような雰囲気だ。


⒈周囲の女性たちと娼館
映画が始まり、主な登場人物である3人の女性が出てくる。ラヴェルが独身であるということには触れずに映画が進み、この女性たちっていったいラヴェルにとってどういう存在なんだろうと考える。結局、3人がバレエダンサーとラヴェルに親しみを持つ人妻とピアニストだということがわかっていく。恋愛感情と友情の境目で長期間ラヴェルの近くにいる。

バイセクシャルの匂いは映画では出てこない。ラヴェルは男色家ではなさそうだ。エマストーン「哀れなるものたち」にも出てきたゴージャスなパリの娼館に行き、女性を指名するが何もしない。洋服も脱がさない。結局「不能」だったのか、大好きな母親のことが心に引っ掛かるマザコンだったのか真相はよめない。


⒉官能的なバレエシーン
いかにも1920年代のパリを思わせるファッションとメイクのバレエダンサーを映画に放つ。もともとはイダの依頼でつくった「ボレロ」だった。「ボレロ」を奏でるオーケストラを従えて、イダが踊るバレエはいかにも娼婦の振る舞いだ。ラヴェルはそれが気に入らず憤慨する。そんなエロティックイメージで作ったわけではないと。


結局、イダは「ボレロ」を使った創作バレエを発表する。バレエダンサーを演じるジャンヌ・バリバールがメインで男性バレエダンサーとともに官能的なバレエを披露する。圧巻だ。映画を観ていて得した気分になる。もちろん会場は大喝采で、いつもラヴェルをいじめる辛口評論家の評判もいい。バレエをよく思っていなかったラヴェルも機嫌が良くなる。映画の見どころだ。


⒊アメリカでのコンサート活動とジャズ
「ボレロ」が有名だけど、ラヴェルはピアノ曲として「亡き王女のためのパヴァーヌ」などのポピュラーな名曲も残している。バックグラウンドミュージックとしてどこかで聴いたことのある曲が多い。透明な肌あいの聴き心地の良いピアノ曲だ。

「ボレロ」を作る頃ピアニストとして渡米してコンサート活動を行っている。ジャズを聴いた方がいいといわれて、ニューヨークのジャズクラブに入るシーンがある。ニューヨークロケなのだろうか?暗い街路を歩くシーンがいい。そこでは黒人女性ボーカルがサックスをバックにジョージガーシュイン「私の彼氏(The man I love)」を歌う。ラヴェルも思わず気に入ってしまう。ジャズに関する評価も高いコメントをするようになる。1928年あたりでこんなモダンジャズ風に演奏していたのかと思うが、「私の彼氏」は1924年の作曲だった。

⒋認知症になってしまうラヴェル
1937年のシーンではラヴェルは記憶障害を起こしてしまっている。レコードで「ボレロ」を聴いても誰の歌だかわからない。ラヴェルは享年62歳だ。そんな若くして認知症になってしまうの?と思ってしまう。妄想で生きていく。
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映画「蛇の道」 柴咲コウ&黒沢清

2024-06-16 08:49:28 | 映画(フランス映画 )
映画「蛇の道」を映画館で観てきました。


映画「蛇の道」黒沢清監督が1998年の同名作品をフランスロケでセルフリメイクした新作だ。予告編で外国映画だと観ていたら、柴咲コウが出てきて驚いた。いつもと違う表情をする柴咲コウが妙によく見えて、公開したら行こうと思っていた。黒沢清監督作品にも好き嫌いがある。「トウキョウソナタ」「クリーピー」は好感もてるけど、前作「スパイの妻」は歴史考証に問題ありと感じてあまり好きになれなかった。今回は予告編での怪しげな雰囲気が気になり映画館に向かう。

いきなり柴咲コウと組んだダミアンボナールがスタンガンで男を気絶させて拉致してトランクに入れて車で運ぶシーンからスタートする。郊外の倉庫に連れ出して、鎖で手足をしばったまま尋問をはじめる。


アルベール(ダミアンボナール)は8歳の愛娘が財団に殺されたことを恨んでいた。医師の小夜子(柴咲コウ)は財団に所属するラヴァル(マチュー・アマルリック)拉致に協力する。ラヴェル拷問の末に財団のゲラン(グレゴワール・コラン)の名前がでて拉致する。その後も怪しげな奴はいないかと聞き、警備主任だったクリスチャンも拉致して同じように監禁して拷問する。やがて、財団が人身売買にかかわっていたこともわかり、真実究明が近づいてくる。


監禁モノはちょっと苦手な題材である。
予想ほど面白いとまではいかなかった。ストーリーには関心が持てない。


良かったのは柴咲コウ。これまでにない魅力を感じさせてくれた。40代になってきれいになったのかもしれない。共演するフランス人の俳優はいずれも背が高くて体型がガッチリだ。相対的に小柄なのに、映画のストーリーが進むうちに大きく見えるようになる。日本人俳優と話す以外はフランス語なので、大量のフランス語のセリフを覚えた。よく頑張ったと感じる。


映画ポスターでは、草原の緑が強調されている。しかし、監禁モノの映画なので倉庫のようなところでの立ち回りが中心で、街のシーン以外はフランスらしさは少ない。予告編では、怪しげな雰囲気に魅力を感じた。でも、ヴィジュアル的に引き寄せられる部分は少ない。西島秀俊がわざわざ出演しているが,セリフの内容も含めて存在感がない。黒沢清に付き合いがあった俳優とは言え,この起用はもったいない感じがした。

2021年の映画の中でもダミアンボナールが出演した「悪なき殺人」はピカイチのミステリーだったので、目が映像に慣れてきたらすぐわかった。あの時は変人の役柄だった。マチュー・アマルリックもフランス映画ではよく出会うおなじみの顔だ。拉致した男たちを監禁していくが、そもそも財団がどんなところかわからないので内容的に理解がしづらい。最後に向けては軽いどんでん返しもあるけど、のれたわけではなかった。


いくつかの解説を読むと、自分の理解を超越するすごい解釈が書いてあるけど、映画を観ている時にそのレベルまでは感じることは自分にはできない。
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映画「パリブレスト」

2024-04-15 19:51:50 | 映画(フランス映画 )
映画「パリブレスト 夢をかなえたスイーツ」を映画館で観てきました。


映画「パリブレスト夢をかなえたスイーツ」はフランスの実在のパティシエであるヤシッドイシェムラエンの幼少期からの人生を描いた作品である。監督は本作が長編デビューのセバスチャン・テュラール。素敵なデザートの映像を観て気になっていた。グルメ映画の色彩は当然もつが、貧困家庭から這い上がろうとする少年の生き様を描く。デザートは美しいけど、話は泥くさい。

ヤシッド(リアド・ベライシュ)は育児放棄の実母と別れ、里親に預けられた。里親の家ではお菓子づくりに精を出していて、ヤシッドも関心をもつ。やがて,少年養護施設に預けられ周囲の不良たちの中に入って生活する。ちょっとした策略でパリの高級レストランに潜り込み見習いとして、働き始める。パティシエシェフとしての修行をする。


2013年ヤシッドはコートジボワールのレストランで副シェフとして働いていた。ヤシッドが作ったパリブレストが美食家の絶賛を浴び,さらに上のランクを目指そうとしていたが,同僚の嫉妬でクビになってしまう。路頭に迷うヤシッドを美食家であるホテル経営者が助ける。

グルメ映画というよりも,最悪の生活環境から這い上がって、パティシエになる少年の成長物語である。映画としては普通。

いきなり、ヤシッドがスーパーで万引きをするシーンが出てくる。実母は乳児を抱えて貧困を彷徨っている。ヤシッドを連れて役所に行き、里親を悪者にして金をせしめるとんでもない女だ。里親はやさしくしてくれるが、実母に振り回される。少年養護施設にもまともな奴はいない。そんな中、子供の頃からあこがれているパティシエシェフの元へ飛び込む。それも騙し騙しもぐり込むのだ。育ちの悪さを示すような逸話が続いていく。


成長物語につきものの主人公を窮地に落とし込む場面はこれでもかと続く。少年養護施設の周りは低層社会を象徴する札付きの不良だらけである。しかもパリにバイトに行って終電に乗り遅れると,駅で寝ざるを得ないバイト代を寮長に没収されることもある。せっかくコートジボワールのレストランで認められたのに,ライバルの副シェフに嫌がらせをされる。果物担当だったヤシッドのフルーツにカビの生えたものを入れ込まれるのだ。ムカついても遅し、クビになってしまうなどなど最悪だ。

そんなムードが続くけど、映像に映るデザートは実にきれいだ。きっとおいしいだろうなあと舌なめずりする。最初に修行についたシェフも,ともかく食べる前の目の刺激が大事だと強調する。そして食感の良さを訴える。3つを超える食材の組み合わせはダメとシェフは言っていた。


いくつかの関門があるが、ヤシッドはうまく乗り越えていく。実話を元にしているようだが、名パティシエになる素質はあったのであろう。そんなにデザートにはこだわりのない自分でも引き寄せられる美的センスはあった。

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映画「12日の殺人」

2024-03-17 18:28:26 | 映画(フランス映画 )
映画「12日の殺人」を映画館で見てきました。


映画「12日の殺人」はフランスのサスペンス映画である。2021年に「悪なき殺人」というドミニク・モル監督によるサスペンス作品があり、これは面白かった。年間通じてもベストクラスのレベルだった。その同じ監督が作った新作でセザール賞も6部門で受賞している。楽しみにしていた作品である。

フランスのグルノーブル2016年10月12日の深夜、女子大学生クララがパーティーの帰りに何者かによって襲われ,ガソリンをかけられ火をつけられて焼死体となって発見された。昇進したばかりの刑事ヨアンとベテラン刑事マルソーが捜査を担当する。2人はクララの周囲の容疑者となり得る男たちに聞き込みをする。クララの男関係は派手で,事情徴収を受けた男たちは全員クララと関係を持っていた。しかし,警察は容疑者を特定することができない。


残念ながら、期待したほどは面白くなかった。
深夜まで一緒にパーティーをしていた女友達と襲われる直前までスマホで会話をしていた。その女友達から男関係を確認して,現在の彼氏,セックスフレンドと思しき男などに次々とヒアリングしていく。惚れっぽい女だったらしい。被害者の男関係は入り乱れている。どの男たちも怪しい。でもアリバイがあり決め手がない犯行現場の近くに住む男や以前妻に暴行を働いて逮捕された経歴のある男など捜査線に浮上する男は、大勢いるけれども決め手はない。


自分が大好きな韓国クライムサスペンスの名作に「殺人の記憶」がある。未解決事件をスリリングに追っていく作品だ。ソン・ガンホの名演技が光る。出足からドキドキハラハラする展開が続いていく。その作品と比べると,フランス映画らしく抑えた基調という事は理解できるが,もう一つ平坦すぎて面白さを感じなかった。それぞれにコイツが犯人と思わせる緊張感が弱かった。監督の前作はストーリーの起伏が面白かったけれども、今回はそういうテイストが全くなかった。


だからといって,それぞれの演技が悪かったわけではない。主役刑事はストイックな仕事ぶりを示すために自転車競技場でもくもくと走る。ベテラン刑事は家庭環境が複雑で、離婚の危機に陥っている。ある容疑者を犯人と決めつけボコボコにするやりすぎの場面もある。最後に向けては夜中にずっと張り込む女性刑事も登場させる。ただ,それによってこちらが感じるようなものはなかった。

ここに来て忙しくなったこともあるが、映画運がない。
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映画「落下の解剖学」ザンドラ・ヒュラー&ジュスティーヌ・トリエ

2024-02-23 16:58:05 | 映画(フランス映画 )
映画「落下の解剖学」を映画館で観てきました。


映画「落下の解剖学」フランス映画、2023年カンヌ映画祭パルムドールを受賞した。今春のゴールデングローブ賞でも脚本賞を受賞した前評判の高いミステリーだ。アカデミー賞作品賞候補にも名を連ねる。フランス人女性監督ジュスティーヌ・トリエとパートナーであるアルチュール・アラリ(「ONODA 一万夜を越えて」)との共同脚本だ。 俳優陣は知らないメンバーがほとんど。ミステリーなので事前情報は最小限で映画館に早々に向かう。

フランス山岳地帯の雪が降り積もる山荘でドイツ人の人気作家サンドラ(ザンドラ・ヒュラー)は、作家志望の教師の夫、視覚障がいのある息子ダニエル、ボーダーコリー犬と暮らす。

山荘の中で妻サンドラが学生からインタビューを受けているが、夫が大音響で音楽をかけていてうるさくいったん延期する。ダニエルと犬が散歩に出て戻ってくると、夫が自宅前で血に染まって倒れているのを見つける。山荘には他に人はおらず検死や現場検証を経て、殺人の疑いを持たれたサンドラが拘束される。夫の頭に外傷があったのだ。サンドラは旧知の男性に弁護を依頼した。ダニエルの障がいもあって、殺人犯としては異例だがサンドラは一旦釈放される。


舞台は法廷に移り、検察側は被告人を容赦なく追及する。サンドラと夫にしばしば諍いがあったことや、サンドラがバイセクシャルだったことなど私生活の秘密が法廷で暴露される。それでも、弁護側は追及を交わして夫の自殺を主張する。優位と思われた時に、捜査員から音声の入ったUSBが証拠として出される。

よくできたミステリーである。評価が高いのは理解できる。
観客にインテリと思しき女性陣もいて、むずかしそうな先入観をもったが、扱われているのは万国共通の家庭内の事情である。誰もが実生活で遭遇するような夫婦ケンカの延長と言ってもいい。難解ではない。夫婦共に物書きなのに、妻の方が売れているとか、子どもの目の負傷以降夫婦生活がなくなった後で、妻の不貞が起きるとか同じ題材で日本でつくってもリメイクできそうだ。

フランス映画なのに主人公ザンドラデュラーが英語で話しているなと感じていたら、ドイツ人だという。フランス映画でしかもドイツ人に英語で会話させるのは意図的に監督が指示したらしい。

雪山の人里離れた山荘で妻の他に犯人になる人物がいない。結局、事故死の可能性はあっても、妻サンドラによる殺人か自殺かというどちらかになるのだ。現場検証もやった上でありとあらゆる犯行証拠を見つけようとする。夫婦間の諍いや妻の不貞にも随分と入り込む。依頼したサンドラの既知の弁護士とサンドラとの微妙な男女関係のきわどさもストーリーに味をつける。


法廷物としても観れる映画である。ただ、今回フランスの法廷の特異性を初めて知った。証人が証言する途中で、裁判長の指名がなくても、被告人、弁護人、検察官がフリートークのように割り込んで発言する。他国の法廷物とテンポが違う。検察官役の追及が憎たらしくてうまかった。

ストーリー展開は観ているものを飽きさせない。妻による殺人か自殺かでシーソーゲームのような攻防になり、いったん自殺説が強くなった時に、重要な証拠が飛び出す。USBの入った音声だ。妻は突然形勢不利になる。人格的に否定される証言も目立ってくる。


そして、最終的に本当のキーパーソンの証言となる。どうなるんだろう?どっちになってもおかしくない。妻サンドラもソワソワする。ビリーワイルダーの名作「情婦」マレーネディートリッヒがまさに「検察側の証言」で出廷した時と同じような胸騒ぎがした。証言する前にある事件が起きて驚かされる。ネタバレはしないが、決着はついたけど本当は違うんじゃないかと妙な余韻を残したのは悪くない。

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映画「ラ・メゾン 小説家と娼婦」アナ・ジラルド

2024-01-07 06:35:54 | 映画(フランス映画 )
映画「ラ・メゾン 小説家と娼婦」を映画館で観てきました。


映画「ラ・メゾン」は自らの娼婦体験を小説にしたフランス人女性エマ・ベッケルの物語。もちろん18禁作品だ。女性監督アニッサ・ボンヌフォンがメガホンを持ち、作家エマ役でアナ・ジラルドが主演である。日本でもAV女優の経験がある作家鈴木涼美がいるけど、フランスの方がもっと大胆なことする。女性スタッフ中心にできた映画だけに、映画館の観客には女性も混じっている。

フランス人の27歳の作家エマは実際に娼館で体験したことを小説の題材にしようとベルリンの高級娼館「ラ・メゾン」で働く。そこで出会った顧客とのプレイを中心に、同僚の娼婦のパフォーマンスも映し出す話だ。


美形の作家が娼館で出会う男との体験を中心に映像が進む。
日活ポルノのように登場人物の人間関係で物語ができるわけでない。色んな顧客とのプレイを次から次に映していくが、それぞれの男女の絡みの時間は短い。一時代前の外国ポルノ映画のハードコア的な要素はない。ちょっと古いけど、溝口健二監督「赤線地帯」のように、それぞれの娼婦がその道に入らざるを得ない家庭事情はまったく語られない。最近の日本映画に多い貧困で風俗に流れるテーマの暗さがない。待合にいる娼婦たちはある意味おおらかだ。


高級娼館には5人前後の人種が入り混じった女性たちがいる。ペドロアルモドバル監督作品での常連ロッシ・デ・パルマもそのうちの1人を演じる。最初に面通しして、主人公アナ・ジラルドをはじめとした美女たちの挑発を受けて男が女性を選ぶ。費用は200ユーロで、キスや生など20ユーロのオプションもある。作家のエマは徐々にプレイに慣れてくる。短い体験のつもりがイヤなことがあっても、なかなか辞めない。エマは娼館での出来事を休憩時間にノートに書く。メモが増えていくが執筆まで至らずそのまま2年つとめる。

色んな顧客がくる。女性を見ながら自分でいたす男、彼女ができたけど自信がなく教えを乞いにくる男、SMプレイもあり、禁止なのに無理やりドラッグを使わせる客もいる。レズビアンではないけど、好奇心で女性の愛撫を求めるエレガントな女性もくる。手を変え品を変えた顧客のシーンがあるので、似たようなシーンが続いても観ていて退屈はしない


娼館の中は英語が共通語になっている。ドイツ語ではない。ところが、この英語は聞き取りづらい。字幕と英語のセリフに合致が見出せない。逆にフランス語はわかりやすい。こちらはアタマに入っていく。

あまりいい映画やっていないので、暇つぶしにはなるといった感じだな。
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映画「ポトフ 美食家と料理人」 ジュリエット・ビノシュ&トラン・アン・ユン

2023-12-19 21:50:06 | 映画(フランス映画 )
映画「ポトフ 美食家と料理人」を映画館で観てきました。


映画「ポトフ」は美食家の男性と女性シェフのカップルを描いたベテラン女優ジュリエットビノシュ主演のフランス映画だ。ベトナムのトランアンユンカンヌ映画祭で監督賞を受賞している。

料理としてポトフを知ったのは大学生の時、広尾の日赤病院前の東京女学館横の通りを隔てた場所にあるヴィクトリア洋菓子店という洋食屋も兼ねたお店で食べた。時おり自分もブログの番外編でおいしい食べ物を取り上げるが、ここの洋食は絶品だった。今だにここで食べたOXタンシチュー、ミンチソテー、ポトフを上回る洋食に出会わない伝説の店だ。フランス風野菜スープであるポトフという言葉には今でも心を動かさられる。


トランアンユン監督の初期の「青いパパイアの香り」「夏至」には登場人物が料理をつくる印象的な場面がある。しかも、ジュリエットビノシュ「イングリッシュペイシェント」以来、自分が時代を遡りながらブログでもほぼ取りあげてレオンカラックス作品や「存在の耐えられない軽さ」を追いかけている。絶対に見逃せない作品だ。

フランスの郊外、美食家のドダン(ブノワ・マジメル)と彼のレシピを最高の味で提供する料理人ウージェニー(ジュリエット・ビノシュ)は森の中にある同じ住まいの別部屋で暮らしていた。ドダンの求婚をようやく受け入れて皆の祝福を受け、ユーラシア皇太子のために出すポトフのレシピをともに考案していくが。。。直近でウージェニーは、体調の異変を感じていた。


断言できる!史上最強のグルメ映画だ。
作品情報にそのような外国マスコミのコメントが書いているが、これは大げさではない。それは映画が始まって約30分強で確信できる。

TV「料理の鉄人」キッチンスタジアムを思わせる厨房には、生魚、野菜、お肉と食材が満載である。それをジュリエットビノシュ演じるウージェニーと女性2人の助手が3人で下ごしらえをする。ウージェニーが手ぎわよく捌いていき、煮たり、焼いたりしていく。ものすごく手が込んだ作品だ。それ自体が美しい絵になっている。完成品になる前から色合いがきれいだ。調理場面を映すカメラアングルも抜群だし、料理をつくる時に発する音に食欲を感じる。明らかに今まで観たグルメ系の映画を凌駕する。

何も情報がないので、家庭料理でこんなの作っちゃうの?これだけ揃えたら食材の費用はすごいだろうなあ?こんな量を助手を含めた4人で食べるの?と思っていたら、ダイニングには連れ合いのドダンに加えて4人の男性がいた。解説に美食家となっているので、そうコメントしたけど、こいつら何者なんだろう?貴族なの?今でもそう思う。

ダイニングでとりわけしたものを食べていく。何ておいしそうなんだろう!
これには驚いた。


あえて料理映画の名作といわれる「バベットの晩餐会」と比較する。
パリから戦乱を避けてデンマークでメイドとして働く主人公が宝くじに当たったので、最高の食材で雇い主をもてなす話だ。自分は最高の料理映画と思っている。そこでは、そのメイドが手ぎわよく一人で料理をつくる。それ自体がすごいけど、今回の「ポトフ」の前半戦の方が動的だ。助手2人と一部連れ合いに手伝わせてつくっていく姿の方が、「料理の鉄人」で鉄人シェフたちが助手を従わせてつくるような躍動感を感じる。

同じく台湾出身のアカデミー賞監督アンリー監督が台湾時代につくった「恋人たちの食卓」の美的感覚もすごい。ただし、これも一人でつくっている。飼っている鳥をしめて捌く。包丁の手捌きなども映像にうつるがすごい。比較した両作品いずれも完成した料理が美しいし、名作であることには変わりがない。でも、カメラワークの躍動感と究極のフレンチのすばらしさで「ポトフ」を最高の料理映画と推挙する。トランアンユン監督の手腕といえよう。


そういえば、比較作品を振り返って気づいたことがある。「バベットの晩餐会」「ポトフ」はいずれも女性シェフで、時代設定は奇しくもほぼ同時期である。「ポトフ」の解説に1885年のフランスとなっているが、そのセリフはない。ただ、1830年代半ばのワインを50年海底で寝かせたワインを飲むシーンがありそれで想像するのだ。「バベットの晩餐会」もパリの混乱でメイドが脱出してからの年数で推測する。

帝国主義の英国、ドイツは良くてもフランスとしては決していい時代ではない。その中でもまだ落ち着いていたのであろうか?トランアンユンの母国ベトナムフランスが主権を持つのも同じ年で2年後に仏領インドシナ連邦フランスの植民地統治となる。動きがある時代だ。そんな時代に厨房にガス?オーブンがあったのはすごいと思った。日本はほとんどないだろうなあ。

トランアンユン「夏至」などはグリーンがきれいな映画である。この映画も同じような感覚を持つが、印象派の絵画を連想させるような色とりどりの色彩で映し出す場面が続く。うなるような美しい映像だ。


主人公2人が主体の映画であっても、助手になる若い2人の女の子の使い方がうまい気がした。この辺りはトランアンユンの初期の作品を感じさせるうまさだろう。ただ、終盤に向けては少しストーリーがだれたかな?料理映画としては5点でも映画としては4点だね。最後に向けてのキッチン内の風景をぐるりと見せるカメラアングルは悪くないけど。
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映画「理想郷」ドゥニ・メノーシェ

2023-11-10 05:18:07 | 映画(フランス映画 )
映画「理想郷」を映画館で観てきました。


映画「理想郷」はスペインの田舎町に終の住まいを求めて移住したフランス人夫婦が地元民に疎外されるシリアスドラマだ。「おもかげ」ロドリゴ・ソロゴイェンの監督・脚本作品である。昨年の東京国際映画祭でグランプリを受賞した。「苦い涙」など最近出番の多いフランス人俳優ドゥニ・メノーシェが移住した夫婦の夫を演じる。欧州の田舎での閉鎖性は先日公開の「ヨーロッパ新世紀」でも取り上げられていた。アジア人移民を拒絶する村が題材だった。この映画は外部から来た移住者への閉鎖性というよりも、言うことを聞かない移住者へのイジメ映画の色彩が強い。

スペインのガリシア地方の山村に、理想の住処を求めてフランス人夫婦アントワーヌ(ドゥニ・メノーシェ)とオルガ(マリナ・フォイス)が移住する。その村には風力発電建設のための土地買収の話が来ている。アントワーヌは反対の立場であった。アントワーヌは少数派で、隣地に住む兄弟は補償金が入るのに、このままでは他のエリアに候補地が行ってしまうと当惑する。そして、あの手この手でアントワーヌ家に嫌がらせを執拗にするのだ。その嫌がらせはどんどんエスカレートしていく。


ヘビー級の重くて暗い映画だ。
隣家からの徹底したイジメを見せつける。陰湿さはよくあるいじめっ子を題材とした映画と変わらない。でも、訳もわからず、いいかがりをつけて集団で個人をいじめる日本の学校でのイジメとは違う。理由がある。よそ者を拒絶する住民の振る舞いがテーマでも、「ヨーロッパ新世紀」が描く田舎社会の閉鎖性とは違う。地元民がすすめる土地の収用に同意すれば、ここまで嫌がらせはしないだろう。

たしかに隣家の兄弟の行為は異常でも、移住してきたこのフランス人夫婦に問題がないわけではない。この2人もかなり変人だ。ここまで意固地になって反対しなくてもいいのでは?別の村に移り住んでもいいのでは?と思ってしまう。既存の住民の利害を考えてあげるべきだと感じる。この補償金では再移住は無理と判断するとアントワーヌはいうが、詳細がわからないと判断しづらい。

それにしても、考え得る限りの嫌がらせが次々と映像に映る。気が滅入っていく。家の周りで立ちしょんするのは序の口で、井戸にバッテリーを入れたせいで、アントワーヌ夫妻が栽培するトマトがむちゃくちゃになる。


道路の真ん中にクルマを置いて待ち伏せして通さない意地悪もする。アントワーヌはハンディカメラでその愚行を撮影して対抗しようとする。地元警察に訴えるが、よくある近隣問題と相手にされない。そして、思い切って、アントワーヌは村の住民が集まるバーで隣の兄弟に直談判する。これが最初の長回しの映像になる。


観るのに目を背けたくなるシーンが多いけど、映画のレベルは高い。嫌がらせ兄弟と対峙する長回しは尋常ではない演技力が要求される。映画の中盤以降に、夫婦の娘が村を訪れて母親に「こんな村は出たほうがいい。何でこの地にずっといるの?フランスに帰った方がいいよ。」と延々とケンカしながら説得する長回しも用意されている。それぞれの立場を踏まえたセリフである。常識から逸脱したセリフではない。


長時間の長回し場面が2つあるので、最近よくある150分を超える上映時間になってもおかしくない。うまくまとめている。内容は盛りだくさんだ。いずれにしても息が詰まるシリアスドラマであった。サスペンススリラーの要素もあって観客を適度にじらす。行方不明の夫の姿を見せそうで見せない。気が滅入っている時は観ない方がいいかもしれない。
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