もはやぼくには“内田樹”などというひとを相手にしている余裕はないが、このツイートには、びっくり仰天;
内田樹 @levinassien
吉本隆明ってちょっとビートルズみたいですね。リアルタイムではあまり読んでいる人がいなかったのに、時間が経つと「オレは吉本世代だぜ」っていう人が雲霞のごとく登場。60年代の終わりには読んでる人少なかったです。「おお、君も読んでいるのか」で友だちになれたくらいにインディーズ。
(引用)
内田さん“歴史”を改竄してはいけないよ。
ほんとうに内田樹というひとは、限りなく不正確なことを平気でいう人だ。
もちろん、ぼくと内田はほぼ同年代(4歳ちがう)だが、彼とぼくの体験はまったくちがうだろう。
だから内田が“ぼくは吉本隆明が好きだった”とか“吉本を尊敬する”というのなら、ぼくとちがっても、かまわない(それは思想の問題として継続する)
しかしここで内田樹が書いていることは以下の点で“歴史的事実”に反する;
① “ビートルズ”は《リアルタイム》で人気があった(日本でも、ぜんぜんセンスのよくない洟垂れ高校女子もさわいでいた)
② 吉本は、ぼくの周辺では“読まれていた”(大学に入るまで吉本をまったく知らなかったぼくも、吉本を読んでいる学友がいたから吉本の本を買ったのだから)、しかし“読まれていた”ということは“理解されていた”こととは別であり、これは吉本にかぎらずすべての思想家・小説家にいえる。
③ 時間が経ってから、“オレは吉本世代だぜ”などというひとに、ぼくは会ったことがない。
④ そういうことを“言いたい”のは内田樹や高橋源一郎のようなイケてない“有名人”たちではないだろうか。
⑤ もちろん、60年代終わり当時も、吉本隆明を読んでいる“学生”なんか少数にきまってる、そして、《その後、“オレは吉本世代だぜ”が、雲霞のごとく登場》というような内田樹レトリックが、なさけなく、大袈裟で貧しいのだ。
⑥ なによりもぼくを怒らせたのは、ビートルズと吉本隆明の“比較”である。
⑦ 内田樹は、吉本を読んでいないだけでなく、ビートルズを聴いたことがない。
吉本隆明は、ぜんぜん《ビートルズみたい》ではない。