Don't Let Me Down

日々の雑感、引用。
言葉とイメージと音から喚起されるもの。

めちゃくちゃなことを言うな!

2012-03-17 12:11:27 | 日記


もはやぼくには“内田樹”などというひとを相手にしている余裕はないが、このツイートには、びっくり仰天;

内田樹 ‏ @levinassien
吉本隆明ってちょっとビートルズみたいですね。リアルタイムではあまり読んでいる人がいなかったのに、時間が経つと「オレは吉本世代だぜ」っていう人が雲霞のごとく登場。60年代の終わりには読んでる人少なかったです。「おお、君も読んでいるのか」で友だちになれたくらいにインディーズ。
(引用)


内田さん“歴史”を改竄してはいけないよ。

ほんとうに内田樹というひとは、限りなく不正確なことを平気でいう人だ。

もちろん、ぼくと内田はほぼ同年代(4歳ちがう)だが、彼とぼくの体験はまったくちがうだろう。
だから内田が“ぼくは吉本隆明が好きだった”とか“吉本を尊敬する”というのなら、ぼくとちがっても、かまわない(それは思想の問題として継続する)

しかしここで内田樹が書いていることは以下の点で“歴史的事実”に反する;

① “ビートルズ”は《リアルタイム》で人気があった(日本でも、ぜんぜんセンスのよくない洟垂れ高校女子もさわいでいた)

② 吉本は、ぼくの周辺では“読まれていた”(大学に入るまで吉本をまったく知らなかったぼくも、吉本を読んでいる学友がいたから吉本の本を買ったのだから)、しかし“読まれていた”ということは“理解されていた”こととは別であり、これは吉本にかぎらずすべての思想家・小説家にいえる。

③ 時間が経ってから、“オレは吉本世代だぜ”などというひとに、ぼくは会ったことがない。

④ そういうことを“言いたい”のは内田樹や高橋源一郎のようなイケてない“有名人”たちではないだろうか。

⑤ もちろん、60年代終わり当時も、吉本隆明を読んでいる“学生”なんか少数にきまってる、そして、《その後、“オレは吉本世代だぜ”が、雲霞のごとく登場》というような内田樹レトリックが、なさけなく、大袈裟で貧しいのだ。

⑥ なによりもぼくを怒らせたのは、ビートルズと吉本隆明の“比較”である。

⑦ 内田樹は、吉本を読んでいないだけでなく、ビートルズを聴いたことがない。


吉本隆明は、ぜんぜん《ビートルズみたい》ではない。






戦後最大の思想家?

2012-03-17 01:47:16 | 日記


ぼくは津田大介ファンではないが(つまり“津田大介”というひとに特に関心をもっていないが)、津田の渋谷陽一に対するツイートには共感できた;


渋谷陽一の文章以下の通り;

《多くのロック・ファンにとって、吉本隆明の名前は身近なものではないかもしれない。ただ吉本隆明がいなければロッキング・オンも、ロッキング・オン・ジャパンも、ロック・イン・ジャパンもなかったと考えると、この巨大な思想家の存在がどんなものか感じてもらえるのではないだろか。》


これに対する津田大介のツイート;

津田大介 ‏ @tsuda
「吉本隆明がいなければロッキング・オンも、ロッキング・オン・ジャパンも、ロック・イン・ジャパンもなかった」で文が終わってれば別にいいのにその後に「と考えると、この巨大な思想家の存在がどんなものか感じてもらえるのではないだろうか」って続けてるところに醜悪さを感じるのだなたぶん俺は。



たとえば“吉本隆明”という思想家が死んだことについて、なにか述べるべきなのだろうか。

それは、吉本隆明を“読んできた”人々が、その言葉について自分が受け取ったものと、その発言の<情況>とのかかわりについて、語る“べき”だろうか?

しかし同時代の思想家のむずかしさは、かならずしもその“言葉”ではなく、実際に接することがあった人々の、“思い出”が絡むことである。

たしかにその思想家の“ひとがら”は無視しえない(とくに実際に接したひとには)

しかし、結局、<思想>は、<言葉>としてしか残らず、そのひとがどの時代のひとであっても、<いま>読むことができるか否かなのだ。

しかも“そのこと”には、どんなスタンダード(基準)もあり得ない。

私が、“いま”、それを読みえるのは、この時代の状況のなかでの、私の関心(こだわり)によるしかない。

現在のぼくにとって、吉本隆明は読み返したい思想ではあり得ない。
それは村上春樹が“もはや読めない”のと似ている。


ぼくがなぜこのようなことを書いたかには具体的な理由(体験)がある。

ぼくは現在、ちくま学芸文庫の『フーコー・コレクション』(6冊)を読んでいる。
フーコーは1984年に死んでいる。
しかし、30年の時を隔てて、(あるいは彼がフランス語で書いたことを直接読みえない壁を越えて)、その言葉は、ぼくにはリアルである。

いや“リアルである”というより、“気持ちが良い”と言ったほうが正確かもしれない。

このような言葉を読むとき、“現在日本の言説”とか“戦後日本の言説”などと呼ばれるものは、結局、自分にとって、ドーでもいいものに思える。






“いつまでも従っていると思うなよ”

2012-03-15 11:39:29 | 日記


國分功一郎というひとのブログに載っている“デモ”についての文章が、納得がいくものだったので引用したい(それなりに長い文章なので、頭の部分のみ省略した)

それにしても、ぼくの目配りが悪いのか、ネットで読める“有名人”(高橋源一郎、宮台真司、内田樹、東浩紀、田原総一郎、茂木健一郎、平野啓一郎、矢作俊彦、青山真治、島田俊彦などなど)の文章が、どんどんつまらなくなっている。

どんな文章でも、それに“全面的に共感する”ことなどないのである(いや、“ほとんどない”)

(ネットにかぎらず)、その文章に一箇所でも共感できれば、よい。

そういう文章さえ、見つけるのが困難な状況になった;



<デモについて  國分功一郎>

(前略)

 パリのデモがゴミをまき散らしながらズンズン歩くという事実は、デモの本質を考える上で大変重要であると思う。

 デモとはdemonstrationのことであり、これは何かを表明することを意味する。何を表明するのだろうか。もちろん、デモのテーマになっている何事か(戦争に反対している、原発に反対している…)を表明するのであるが、実はそれだけではない。

 デモにおいては、普段、市民とか国民とか呼ばれている人たちが、単なる群衆として現れる。統制しようとすればもはや暴力に訴えかけるしかないような大量の人間の集合である。そうやって人間が集まるだけで、そこで掲げられているテーマとは別のメッセージが発せられることになる。それは何かと言えば、「今は体制に従っているけど、いつどうなるか分からないからな。お前ら調子に乗るなよ」というメッセージである。

 パリのデモでそれぞれの人間がそんなことを思っているということではない。多くの人はなんとなく集まっているだけである。だが、彼らが集まってそこを行進しているという事実そのものが、そういうメッセージを発せずにはおかないのだ。

 デモは、体制が維持している秩序の外部にほんの少しだけ触れてしまっていると言ってもよいだろう。というか、そうした外部があるということをデモはどうしようもなく見せつける。だからこそ、むしろデモの権利が認められているのである。デモの権利とは、体制の側が何とかしてデモなるものを秩序の中に組み込んでおこうと思って神経質になりながら認めている権利である。「デモの権利を認めてやるよ」と言っている体制の顔は少々引きつっていて、実は、脇に汗をかいている。

 すこし小難しいことを書いているように思われるかもしれない。しかし、これは単なる私の実感として出てきたものだ。パリのあの群衆を見ていると、「こんなものがよくふだん統制されているな」とある種の感慨を覚えるのだ。「こんなもの」がふだんは学校に行ったり、会社に行ったりしている。それは一種の奇跡であって、奇跡が日常的に行われている。

 ここからデモの後のあのゴミについて考えることができる。なぜパリのデモはゴミをまき散らすのか。デモはほんのすこしだが秩序の外に触れている。だから、ゴミをまき散らしながら、日常の風景を書き換えていくのである。あのゴミの一つ一つが、秩序のもろさの証拠である。だからこそ、その証拠はすぐに跡形もなく片付けられるのだ。日常的に奇跡が起こっているという事実は知られてはならないのである。

 最近、日本では脱原発をテーマに掲げたデモが社会的関心を集めるようになってきた。自身も積極的にデモに参加している哲学者の柄谷行人が、久野収の言葉を引きながらデモについてこう言っている——民主主義は代表制(議会)だけでは機能しないのであって、デモのような直接行動がなければ死んでしまう(「反原発デモが日本を変える」。〈柄谷行人公式ウェブサイト〉より)。

 私は柄谷の意見に賛成である。だが、少し違和感もある。なぜならデモは、民主主義のために行われるわけではないからだ。民主主義という制度も含めた秩序の外にデモは触れてしまう。そうした外を見せつけてしまう。だからこそ体制にとって怖いのだ。民衆が路上に出ることで民主主義が実現されるというのは、むしろ体制寄りのイメージではないだろうか。この点は実はデモをどう組織していくかという実践的な問題に関わっているので、次にその点を考えよう。





 日本の脱原発デモについて、何度かこんな話を聞いた。デモに来ている人たちは原発のことを理解していない。彼らは何も分かっていない。お祭り騒ぎがしたいだけだ、と。

 先に紹介したパリでの経験を踏まえて、私はそういうことを言う人たちに真っ向から反対したい。

 デモとは何か。それは、もはや暴力に訴えかけなければ統制できないほどの群衆が街中に出現することである。その出現そのものが「いつまでも従っていると思うなよ」というメッセージである。だから、デモに参加する人が高い意識を持っている必要などない。ホットドッグやサンドイッチを食べながら、お喋りしながら、単に歩けばいい。民主主義をきちんと機能させるとかそんなことも考えなくていい。お祭り騒ぎでいい。友達に誘われたからでいい。そうやってなんとなく集まって人が歩いているのがデモである。

 もちろんなんとなくと言っても、デモに集まる人間に何らの共通点もないわけではない。心から原発推進を信じている人間が脱原発デモに参加したりはしない。彼らは生理的な嫌悪感を持つはずである。逆に言えば、脱原発という主張に、なんとなくであれ「いいな」と思う人間が集まるのが脱原発デモだろう。

 デモのテーマになっている事柄に参加者は深い理解を持たねばならないなどと主張する人はデモの本質を見誤っている。もちろん、デモにはテーマがあるから当然メッセージをもっている(戦争反対、脱原発…)。しかし、デモの本質はむしろ、その存在がメッセージになるという事実、いわば、そのメタ・メッセージ(「いつまでも従っていると思うなよ」)にこそある。このメタ・メッセージを突きつけることこそが重要なのだ。

 フランス人はよく日本のストライキをみて驚く。「なんで日本人はストライキの時も働いているの?」と言われたことがある。何を言っているのかというと、(最近ではこれはあまり見かけないけれど…)ハチマキをしめて皆で集会をしながらシュプレヒコールを挙げている、あの姿のことを言っているのである。ストライキというのは働かないことなのだから、家でビールでも飲みながらダラダラしているのがストライキというのがフランス人の発想である。私はこの発想が好きだ。

 デモも同じである。デモにおいて「働く」必要はない。高い意識を持ってシュプレヒコールを挙げたり、横断幕を用意したりしなくていい。団子でも食いながら喋っていればいい。ただ歩いていればいい。なぜなら、単に群衆が現れることこそが重要だからだ。

 すると、ここでおなじみの問題に突き当たらざるを得ない。なぜ日本ではデモに人が集まらないのかという問題である。もちろん脱原発デモには多くの人が参加した。だが、日常的に大規模デモが行われているフランスと比べるとその違いは著しいように思われる。私はこの問いに最終的な答えを出すことはできない。だが、ヒントになる考えを一つ紹介したいと思う。





 格差社会・非正規雇用増加・世代間格差……現代日本の若者を取り巻く状況は非常に厳しいと言われている。それにもかかわらず、彼らの生活満足度や幸福度を調査すると、この四十年間でほぼ最高の数値が現れる。つまり今の若者たちは自分たちのことを「幸せだ」と感じている——このような驚きの事実を、豊富な文献と実に鋭い分析、そして小気味よい文体をもって論じたのが、昨年話題になった古市憲寿の『絶望の国の幸福な若者たち』(講談社)である。

 古市はこうした若者の状態をコンサマトリーという言葉で形容した。コンサマトリーとは自己充足的という意味である。せっかくだからすこし学術的に説明しよう。コンサマトリーはタルコット・パーソンズという社会学者が用いた概念であり、インストゥルメンタルという言葉と対になっている。

 インストゥルメンタルはある物事をツールとして用いて、何らかの目的を目指す状態を指す。たとえばツイッターを情報交換や情報収集のツールとして用いるなら、その人はツイッターとインストゥルメンタルに関わっていることになる。

 それに対しコンサマトリーとは、ある物事それ自体を楽しむことを意味する。同じくツイッターの例でいけば、ツイッターで情報交換すること、投稿することそれ自体を楽しんでいるのなら、その人はコンサマトリーにツイッターと関わっていることになる。

 かつて若者は、輝かしい未来を目指して、今の苦しさに耐えることが求められた。これは「今」というものにインストゥルメンタルに関わることを意味するだろう。ならば古市が指摘するコンサマトリーな若者たちは、「今」を手段とみなさず、それを楽しんでいるのだと言うことができる。

 実は若者のコンサマトリー化はかなり以前から指摘されていたらしい(筑紫哲也は八〇年代初頭に当時の若者を指して「半径二メートルだけの視野」「身のまわり主義」などと言っていたそうである)。そして当然、それを指摘する人々はそのような若者のあり方を嘆いていた。

 それに対し古市は、こうしたコンサマトリーな生き方はそれはそれでいいではないかと言う。私もそう思う。人に、「今」を手段として生きることを強いるなどというのは恐ろしい傲慢である。実際、経済発展という目的に向かいながら、人が自分の生にインストルメンタルにしか関われないような社会を、日本はある時から反省してきたのではなかっただろうか。今の若者のコンサマトリーな生き方にはむしろ、見るべき点が多いとすら言うべきではないか。





 しかし、もちろんこれを言うだけでは不十分である。これでは単に現状肯定しているように受け止められてしまうだろう。古市は一部からそのような主張の持ち主と見なされているのだが、全くの誤解である。 実際に『絶望の国の幸福な若者たち』を読んでみると、もう一つ、別の大切なことが書いてあるのに人は気付くはずである。それがモラル・エコノミーという概念だ。

 これは民衆史の研究から出てきた概念である。それによれば民衆は「モラル・エコノミー」と呼ばれる独自のルールを持っている。民衆が立ち上がるのは、その独自のルールが侵された時が多いのだと言う。たとえば江戸時代の「打ち壊し」、大正期の「米騒動」がその典型例である。どちらも買い占めなどによる米価の値上げが彼らの独自のルールを侵したために起こった。

 世界のどこか遠くで起こった不幸な出来事について突然語られても、人は驚くか、その場で悲しんで終わりになってしまうかもしれない。しかし、自分たちの日常に関わるとなれば、コンサマトリーな若者でも動き出す可能性があると古市は言う。

 たとえば、多くのひとはいきなり「中国の工場における農民工搾取問題」と言われても何の関心ももたないだろう。けれど、iPhoneユーザーに対して「あなたが持っているiPhoneを製造した工場で労働者の連続自殺が問題になっている」という情報の提示の仕方だったらどうか。さらに、そのiPhoneユーザーの年齢にあわせて、「昨日死んだのは、あなたと同じ年齢の一九歳の若者でした」という情報が、写真付きで届けられたらどうか。「ちょっとくらいは別の国の、出会ったたこともない労働者のことを想像するかも知れない」。

 人々を立ち上がらせるのはモラル・エコノミーの侵害だけではないだろうが、しかし、これは大切な回路である。そしてもう一つ大切なのは、最後の最後にならなければ自分のモラル・エコノミーの侵害に気がつかないという事態も多く存在するということである。

 身近なところと遠いところ、少し難しく言えば、コンサマトリーな親密圏と問題が起きている公共圏とを繫ぐ何かが必要である。その何かは様々なものであり得る。原発事故であれだけの人が立ち上がったことを考えると、意外にちょっとした工夫で事態は大きく動くのではないかという気もしている。

(以上引用)





“みかじめ料”(税金のこと)と“公共心”

2012-03-13 16:37:20 | 日記


國分功一郎というひとのツイートから引用;

lethal_notion 國分功一郎
毎年思うのだが、中三に書かせる「税の作文」ってのは、税金という名のみかじめ料を払うことが公共心あることなのですよと吹き込むためのイデオロギー教育。
5時間前

lethal_notion 國分功一郎
税の作文で「税金は皆のために使われるお金です。きちんと払うことが大切だと思います」みたいなことを書く優等生の女の子ってなんなんだと思う。中三の時に腹立った。確か俺は消費税反対の作文を書いた。冒頭は「強行採決」だった気がする。傍点も振っていた気がする。友人に笑われた気がする笑。
5時間前

lethal_notion 國分功一郎
子どもに税の作文を書かせるのなら、国家は税金がいったいどういう風に使われているのかを子どもに分かりやすく、且つ、詳細に説明しろ!
5時間前

lethal_notion 國分功一郎
とにかく中学時代というのは、体制派につけば円満に生きていけるということに気付く人間が増えていく時期であり、特に、一般的に男子よりも知性が発達している女子がそのことに気付いていくことが多く、俺は猛烈にイライラしていた。税の作文でそのことを思い出した。
5時間前

lethal_notion 國分功一郎
俺は朝から超越論的経験論について考えたかったのに、国家に支払うみかじめ料のせいで、交通費とか所得とか54000円とか、そういうものについて考えるハメになった。腹が立つ。
5時間前

(以上引用)






再録:2011年3月20日

2012-03-11 15:13:46 | 日記



今日は2012年3月11日である。

“あの日”のあと、自分がどのようなブログを発信していたか、まったく忘れていた。

それで、昨年3月の自分のブログを、いま見てみたのだ。

3月11日以降、はじめて発信したのは、3月14日である。
その後も、現在のように、ボチボチ書いている。
“不破利晴への手紙”(不破の実家は福島である)もある。

奇怪なのは、この“3月11日の前”、3月9日のブログ“本音と建前”に“きのこ雲”映像が掲載されていることだ(ぼくに“予知能力”があるなどと、いささかも思わない)

3月20日の(ぼくの)ブログを削除なく貼り付ける;


<なによりもだめなメディア>  2011-03-20 13:16:36 | 日記

まだ“渦中”にあるときに、“その後”についてなにか言うことは無意味に近い。

だから今日まで、ぼくは“メディア”に通常より張り付きつつ、なにも言わなかった。
もちろん“今”も、“その後”ではない。


しかし、もし“その後”があるのなら、この震災で、決定的に“終わる”ものがある。

たとえば、“原発がなければ日本経済は破綻する”という立場である。

もちろん、それを終わらせるためには、すべての日本列島に居住する人々の省電力生活が必要であり、そのためには“生活を変える”必要がある。
キラキラ、ちゃらちゃらした“街”を変える必要がある。

それは、“日常生活のスタイル”の問題であると同時に、“思想”の問題である。
もしこれまで“思想”に無縁できた人々も、ここから始めればいい。

もちろん“キラキラ、ちゃらちゃらした”ライフスタイルにしがみつく<保守主義者>は、あいもかわらず、自分の馬鹿を棚に上げて《今回のことで分かったことは「バカ」は罪だってことだな》などとつぶやきつづける。

しかし端的に言って、いつの時代も、多数というのはバカである。
それでも、希望に賭けなければならない。

ぼくは自分がバカでないなどと思わない。
だから“他人”からまなぶのだ。

現在進行中の事態に関する“言説”でも、多くのバカげた発言をメディアは流し続ける。

典型的なのは今日の“あらたにす読売編集局から”のような言説である;

《夫はホワイトデーのプレゼントをこっそりと用意していました。「たまには指輪とか欲しいけど」。妻は以前、プレゼントをあまりくれたことがない夫に意地悪を言ったことがありました。そんな夫の贈り物を偶然見つけたのは、津波で犠牲になった夫の遺体と対面した後でした。小さな娘2人と避難所暮らしが続く妻は「この子たちは責任を持って育てる」と指輪に誓います。涙なしでは読めない「夫の最後の贈り物」は社会面です。》(引用)

こんなメロドラマなら、史上空前の災害がなくても、“テレビドラマ”ですでに何万回も見た。

ぼくたちが、今見ているのは(想像力によっても)まったく別の光景である。

しかし今日の読売編集手帳は、天声人語より“マシ”である;

《◆もし我慢や献身が今も日本人の美徳だとすれば、それを最も失わずにきたのは、東北地方のお年寄りだろう。大津波はそんな人々の慎ましい生活を奪い去った◆「物言わぬ」と言われる人たちは、避難先でテレビのマイクを向けられても、救援物資の遅れに怒りやいらだちを顕にすることはまずない。「もう我慢しないでください!」。画面に向かって、思わずそう告げたくなる。》(引用)

《もう我慢しないでください》


さて天声人語である;

《▼がれきの街には、愛する人の記憶をまさぐり、泥まみれの面影を抱きしめる姿がある。「泣きたいけれど、泣けません」。被災者ながら、現地で体を張る看護師長の言葉である。戻らぬ時を一緒に恨み、足元の、そして来るべき苦難に立ち向かいたい▼地震の1週間後、東京スカイツリーが完成時の高さ634メートルに届いた。この塔が東京タワーを超えた昨春、小欄は「内向き思考を脱し、再び歩き出す日本を、その高みから見てみたい」と書いた▼再起のスタートラインは、はるか後方に引き直されるだろう。それでも、神がかりの力は追い込まれてこそ宿る。危機が深いほど反発力も大きいと信じ、被災者と肩を組もう。大戦の焼け野原から立ち上げたこの国をおいて、私たちに帰るべき場所はない。》(引用)


まさに“現場”では、《泣きたいけれど、泣けません》。

この時、

《それでも、神がかりの力は追い込まれてこそ宿る。危機が深いほど反発力も大きいと信じ・・・・・・》(引用)

という言葉の、うそ寒い、そらぞらしさはなにか?

なぜ《神がかりの力》などというオカルト的・原始呪術的な言葉が発せられるのか。

この天声人語の書き手には、近代(モダン)もポストモダンもないのか。

一気に、“近代理性”以前に本家帰りし、近代と近代以後の人類の生活と思考の歴史を、まったく無化(無視)してしまうのか。

まさにこの書き手には、《帰るべき場所》があるのである。
それは“近代以前の”神がかりの非理性の(無思考の)闇である。

まさに“リベラル・ヒューマニズム”の正体である。

この災害後において、死ぬべきなのは、このような<メディア>である。

あるいは今日もツイッターでまったく無意味なことをつぶやきつづける、メディアと大学に寄生し続ける、“寄生虫ども”(”専門家”ども、人間の屑ども)である。



《内向き思考を脱し、再び歩き出す日本を、その高みから見てみたい》(天声人語引用)


まったくちがう。

思考に“内向きも外向き”もない。

自分の“内を”見ない思考などない。
また、自分の外を目指し、自分の外と関わり、自分の外へ溢れ出ない思考は、ない。

《その高み》から見るのではない。

地を這いつつ見る。

そのようにしか生きられない。

けれども、思考は(考えることは)、全世界を見つめるために、はばたく、飛翔する。







伝記;自伝;思想史

2012-03-11 14:06:31 | 日記


★ 《ロベスピエール派であろうと、反ロベスピエール派であろうと、われわれはあなたのお情けを懇願する。お願いだから、ただロベスピエールがどんな人だったかだけをいってほしい》―マルク・ブロック
<エリザベト・ルディネスコ『ジャック・ラカン伝』(河出書房新社2001)扉にある>


★ ジャン・ジュネは、自己を変身させる驚くべき力を持っていた。伝記を書くという作業はしばしば、ある一人の人間が一つの明確な方向へと踏み出す小さな歩みの跡を追うことだと思われている。だが、ジュネがその人生の最初から最後までを通して行った尋常でない跳躍を論理的に摑まえることなど、誰にも出来ない。
<エドマンド・ホワイト『ジュネ伝』(河出書房新社2003)>


★ 私が育った町のあちこちで戦争がいっせいに始まったとき、私の子供時代は狭い空間のなかで終わった。
<ギュンター・グラス『玉ねぎの皮をむきながら』(集英社2008)>
★ だまされやすい人たちは全員サンタクロースを信じていた。しかしサンタクロースはほんとうはガスの集金人なのであった。
<ギュンター・グラス『ブリキの太鼓 第1部』(集英社文庫1978)>


★ 生まれたばかりの赤ん坊を、目を覚まさせずそっと抱き寄せる母のように、人生は長いあいだ、幼年時代のいまでもまだほの柔らかなままの思い出を、その胸に抱いている。私の幼年時代の思い出を何にもまして心優しく育んでくれたのは、中庭への眺めだった。
<ヴァルター・ベンヤミン『1900年頃のベルリンの幼年時代』―『ベンヤミン・コレクション3 記憶への旅』(ちくま学芸文庫1997)>


★ 赤ん坊の揺り籃は深淵の上で揺れているのだ。だれもが知っているように、私たちの一生は二つの無限の闇の境を走っている一条の光線にすぎない。ただ、二つの闇はまったく同じものだが、私たちは(毎時およそ4500回の鼓動数で)いまめざしている闇よりも誕生前の闇の方が安心して眺められるらしいのである。
<ウラジミール・ナボコフ『ナボコフ自伝 記憶よ、語れ』(晶文社1979)>


★ この研究は、思想史[知性の歴史]についてのひとつの試論である。けれども、思想史を書くといったところで、この思想史という用語の意味を明確にしないかぎり、実際にはなにもいっていないにひとしい。思想史が人間の思想および感情――理性的な議論および激情(パッション)の爆発――をともに取扱うものであることは、あらためていうまでもない。書くこと、話すこと、現実の行為、伝統、などにあらわれる人間の表現の全範囲が、思想史の領域内にある。まったくのところ、野獣の叫びより判然たる人間の言表なら、ある意味では、そのすべてが思想史の主題になると考えられる。
<スチュアート・ヒューズ『意識と社会 ヨーロッパ社会思想1890-1930』(みすず書房1970)>


★ われわれは、実在的なものと想像的なものとのあいだに或る種の区別や相関を立てることに慣れており、ほとんどそれを既定事実と考えている。すべてのわれわれの思考は、この二つの観念のあいだの弁証法的活動をたずさえている。
★ ところで、構造主義の第一の基準は、第三の秩序、第三の領界、つまり象徴の領界の発見であり、承認である。それは、象徴的なものを想像的なものと、また実在的なもの――これは構造主義の第一の次元をなしている――とを混同するのを拒否することである。そこでもまた、すべては言語学にはじまった。
<ジル・ドゥルーズ“構造主義はなぜそう呼ばれるのか”―『20世紀の哲学Ⅷ』(白水社1998)>





★ 社会について何か考えて言ったからといって、それでどうなるものではないことは知っている。しかし今はまだ、方向は見えるのだがその実現が困難、といった状態の手前にいると思う。少なくとも私はそうだ。こんな時にはまず考えられることを考えて言うことだ。考えずにすませられるならそれにこしたことはないとも思うが、どうしたものかよくわからないこと、仕方なくでも考えなければならないことがたくさんある。すぐに思いつく素朴な疑問があまり考えられてきたと思えない。だから子供のように考えてみることが必要だと思う。
<立岩真也『自由の平等-簡単で別な姿の世界』(岩波書店2004>


★ なぜいつまでも、感情のうちに、個々別々の力、ときには矛盾し合いさえする力があるという見方にこだわるのか?いくつかの感情があるのではない。ただ一つの、生命の形があるだけ、それが多種多様な力にしたがってわれわれに顕示されるのだ。この形をこそ、われわれは再発見せねばならない。この形、無の反対物、眼の輝きの湾、光と火との河、それは絶え間なく、弱さなしに、こうして、人を導き、引っ張ってゆくのだ、死にいたるまで。
<ル・クレジオ“無限に中ぐらいのもの”―『物質的恍惚』(岩波文庫2010)>






ソクラテス

2012-03-10 23:18:40 | 日記


★ 人は、発話行為において、常になにごとかを表現し、何者かとして自分を定義している。だが、最も重要なことは、自分自身を十全に定義するようなことを表現しようとしても、それは必ず失敗する、ということである。失敗において表現されることにこそ、むしろ、主体の真実がある。たとえば、人は愛の告白において、常に口ごもる。告白において、人は言葉が足りなかったり、逆に饒舌すぎたり、あるいは不適切な語彙を用いたりしてしまうものだ。本気のラブレターの文体は、常にどこか乱れている。相手に対して、愛をうまく伝えられないということ、そのことこそが、愛の真実の証拠である。実際、簡潔にして要を得ていて、いかなる乱れもない「愛の告白」を受けたと想像してみればよい。

★ 言語行為において自分自身を十全に表現し尽くすことは、第三者の審級によって承認された客観的・社会的な場所に自分を位置づけること、そのような場所を引き受け、そこに安住することを含意する。言い換えれば、表現の失敗は、そのような客観的な場所への違和、あるいはより積極的にそうした場所への拒否を示している。

★ このことを考慮すると、前項で述べた、古典的なテクストを「真理を知っている(はずの)第三者の審級」として動員する方法にも、問題があることがわかる。第三者の審級に帰属する真理に到達したと思ったところで、探究は終わってしまう。そのように納得したところで、彼は、自分を表現し尽くした、自分が求めていた真理に到達したという幻想を獲得することになる。しかし、そうして確立された「真理」、巧みに整序されている「真理」は、失敗においてしか示されない主体の真実を、常に裏切っている。

★ 権威あるテクストを通じて「真理に到達した」と思いなすことは、主体が、社会システムのしかるべき場所に――たとえば正規労働者としての地位に、あるいは誇るべき民族の一員という身分に――安住の地を見出し、そこにおいて自分のアイデンティティの本質が十全に表現され、承認され尽くしている、と感じている状況と類比的である。

★ ソクラテス(という第三者の審級)の視点を媒介にして、人はまず、自分もまた真理を知らなかったといういうことを、したがって自分が今まで正しい自己表現であると見なしていたものが誤りであることを見出す。ソクラテスの問答法は、それゆえ、人に、安定的なアイデンティティを与えるものではなく、逆にそれを壊すものである。ソクラテスから、挑発的に問われた者は、対話を通じてやがて、自分がそれまでに引き受けていた社会的な地位や役割や身分に疑問を付すようになる。

★ 真理を知らない指導者と対話したり、問答したりすることに、何の価値があるのか、と訝る者もいるだろう。しかし、ソクラテスは、それでも十分な効果があることの、歴史的な実例である。重要なのは「真理」の方ではなく、人に問い、考えることを誘発する他者の現前の方だからである。

<大澤真幸『夢よりも深い覚醒へ』(岩波新書2012)>





このひとはなつかしい

2012-03-10 13:06:02 | 日記


このひとのことは、まったく忘れていた。

このひとが活躍していた当時も、ぼくはこのひとについてくわしかったわけじゃない。

でも、ひさしぶりにこのひとを見て、忘れられた時代が、かすかによみがえった。

あるいは、自分にとって、忘れられた時があったことが、にぶい痛みのように感じられる。

それにしても、いま、“そういう顔”、つまりテレビの中の顔として“なつかしい”のが、このひとや、飯島愛であったりするとき、ぼくの“趣味”はいかなるものであろうか!

たぶん現在のテレビの顔を、このように回想することは、もう、できない。

ご冥福を祈る。