Don't Let Me Down

日々の雑感、引用。
言葉とイメージと音から喚起されるもの。

資本主義宗教

2012-03-24 23:36:50 | 日記


毎日jpでジョルジョ・アガンベンのインタビューを見ることができた、先日亡くなったテオ・アンゲロプロス監督の発言も、引用します;

<壊れゆく「資本主義宗教」--イタリアの哲学者、ジョルジョ・アガンベンさん(69)>

--東日本大震災後、日本だけでなくイタリアでも、経済成長にこだわらない暮らしを求める声が高まってきました。ギリシャの映画監督、故テオ・アンゲロプロス氏は昨年夏、「人々は(未来への)扉が開くのを待っている。イタリアなど地中海圏が扉を開く最初の地になる」と変動を予言しました。社会の価値観は変わりますか。

◆ アンゲロプロスの言葉を読み、経済という独裁者が社会生活の細部にまで入り込んでいるという指摘に感銘を受けた。世界の内面を考える上で役に立つ処方箋だ。それを理解するには、資本主義に支配されている現実をよく知る必要がある。
 資本主義は経済思想というよりも、一つの宗教だ。しかも、ただの宗教ではなく、より強く、冷たく、非合理で、息の詰まる宗教だ。資本主義を生んだキリスト教のような救済、しょく罪、破門もない。私たちはよく言っても「在家」という立場でこの宗教にとらわれている。
 要は、経済成長か、それによって失われる可能性のある人間性か、どちらを選ぶかだ。資本主義が見ているのは世界の変容ではなく破壊だ。というのも、資本主義は「無限の成長」という考えで指揮を執るが、これは合理的に見てあり得ないし、愚かなことだからだ。


--ギリシャやイタリアなど南欧の債務危機が資本主義を変える原因になりますか。

◆ 一連の危機はいずれ、今の資本主義世界における普通の状態にすぎなかったと思い出されるだろう。今回の危機は(ギリシャ政府による)「クレジット」(信託)の操作から始まった。それまで、クレジットは元値の10倍、15倍もの値で売られていた。銀行はクレジット、つまり人間の信用、信仰を操り、ゲームを楽しんだ。宗教=資本主義=銀行=クレジット=信仰--というたとえは現実なのだ。銀行が世界を支配し、人々にクレジットを持たせ、それで払わせようとする。
 そして、格付け会社は国のクレジットまで作った。国家には本来、主権があるはずなのに、「財政」という言葉で第三者がそれを一方的に評価する。これもまた、資本主義の非合理を示す一つの特徴と言える。
 ちょっと下品な言い方をすれば「人間性のアメリカ化」が生まれつつあるように思う。アメリカは歴史が浅く、過去と対峙(たいじ)しない国だ。そして、資本主義という宗教の力がとても強い。問題は、過去を顧みない人間のあり方、つまり「アメリカ化」に意義があるのか、それこそが来るべき未来なのか、それとも別の道があるのかということだ。なぜなら、(未来への)扉を開くには、別の道がなくてはならないからだ。
 人間と過去との関係で、ひとつ逸話を話させてもらうと、私は日本の版画が大好きで、(葛飾)北斎の作品を一つ持っている。若く賢い日本の友人にこれを見せたことがある。だが、彼は版画に書かれた字を読めなかった。ラテン語や古代ギリシャ語を読める彼が古い漢字を読めない。これは、私には、過去との関係が危機にある一つの表れだと思えた。


--歴史を重んじる欧州人も過去を失いつつあるように思えます。危機などの非常事態が日常になってしまうのは、過去を見ていないからと言えますか。

◆ その通りだ。それを示すいい例が、大学の危機と、社会の「博物館化」だ。いま、過去がある所は博物館だけになってしまった。過去は忘れられ、単に展覧されるだけになった。過去を生きたまま伝える場であるはずの大学は危機にある。哲学や心理学など人間を学ぶ学科がイタリアで廃止されつつあり、これは欧州全体の問題と言える。


--フクシマをどう見ましたか。グローバル化の下、ある土地の災害が世界に大きな影響を与えます。あなたの何かを変えましたか。

◆ かなり大きな衝撃だった。ひどく心を乱した。日本についての私のイメージも変わった。ヒロシマ、ナガサキを経験した後で、日本が50基以上もの原子炉を設置していたとは思いもよらなかった。日本は寓意(ぐうい)的な事例だと思う。なぜ、ヒロシマの悲劇を生きてきた国が50基もの原子炉を建設できたのか? 私にとっては今も謎のままだ。おそらく、日本は過去を乗り越えたかったのだろう。
 そして、(明るみに出たのは)資本主義を率いてきた人々の思慮のなさだ。それが、国を破壊するということでさえ、日常のことのように思う感覚をもたらしたのだろう。


--「原子力の平和利用」という言葉で自分たちを欺いてきたとも言えます。

◆ そうだ。だが、過ちだったのだ。そこにも、まさに資本主義宗教の非合理性が見える。国土がさほど大きくない国に50基もの原子炉を築いてきたという行為は、国を壊す危険を冒しているのだから。



☆ 映画監督、アンゲロプロス(1935~2012年)の言葉
 未来が見えない今は最悪の時代だ。人々に方向を示す政治が世界のどこにもない。政治家も学者も大衆も待合室にこり固まり、扉が開くのを待っている。西欧社会は真の繁栄を手にしたと長く信じてきたが、それは違うと突如、気づいた。いずれ扉は開くだろうが、その前に私たちが、そして世界が変わらねばならない。
 地中海諸国が扉を押し開く最初の地になるだろう。問題は金融が政治にも倫理にも美学にも、全てに影響を与えていることだ。これを取り除かなくてはならない。扉を開こう。それが唯一の解決策だ。今の世代で始め、次の世代へと引き継ぐのだ。金融が全てではなく、人間同士の関係の方がより大きな問題だと私たちは想像できるだろうか。

(以上引用)






地の果て

2012-03-24 12:27:19 | 日記


★ 朝の光が濃い影をつくっていた。影の先がいましがた降り立ったばかりの駅を囲う鉄柵にかかっていた。体と共に影が微かに動くのを見て、胸をつかれたように顔を上げた。鉄柵の脇に緑の葉を繁らせ白いつぼみをつけた木があった。その木は、夏の初めから盛りにかけて白い花を咲かせあたり一帯を甘い香りに染める夏ふようだった。満で二十九歳になった六尺はゆうに越すこの男は、あわてて眼をそらした。観光バスや定期バスが列を連ねている広場を秋幸は渡り始めた。

★ 半分を温泉土産の売り場にし、残りを食堂にした店の中で、女が土産物にたまった埃をはたいていた。広場を歩き渡ってくる秋幸から視線をはずす。秋幸はそこで腹ごしらえをしようと歩いた。洗ってこざっぱりとした夏のシャツとズボンに遠めには流れ出た血の跡がくっきりと形を取って浮き上るのか、それとも秋幸の顔に何かが書いてでもあるというのか、女はかかわりたくないというようにかがんではたきをかけはじめた。


★ その六さんに会う為には男がジープを停めた道から歩いて小さな雑木林を一つ越えなければならなかった。秋幸はそのうち礼はすると男に言って別れ、酒を二升しっかり口をひもで結わえて運び易くして持ち、肴にするものを袋に入れて、山に微かについた道をたどって上にのぼりはじめた。雑木の青々とした葉が道の方々をさえぎっていた。両手が物を持ってふさがれていたので体を盾にして前に進んだが、枝は何度も秋幸の胸や腰にまといつき戯れるように当たった。山の頂に来てそこに物を置き、雑木の茂みが切れたところから周囲で動くものがないかと見わたした。急斜面の山のどこにも動くものはなく、ただ風が、空にかかっている日の方から、幾つも重なりあった杉の山を越えてまだ植林していない雑木山の方へ吹くたびに、茂みが動き、音が立つ。

★ 声を出してみようとは思わなかった。秋幸は山の中で一人仕事をする男を自分の眼で見つけ出したかった。

★ 尾根づたいに歩き、日が向こうの大きな杉山の陰にかくれ、さらに歩くと日が現われて急に広々とした雑木の斜面が見える。雑木の斜面の一角に虫が喰ったような形に木が伐り倒されているところがあり、そこの緑の木が揺れていた。木は倒れさらにその脇の木が揺れる。秋幸はその虫喰いの方向へ斜面を降りはじめた。


★ 男は秋幸が想像していたよりはるかに背丈が低く、華奢な子供のような体つきだった。男の作業の邪魔にならないように雑木を切り払ってひとまとめにした脇の石に秋幸は腰を下ろした。秋幸がそこにいる事を拒むでもなし歓迎するわけでもない男の仕事ぶりを見ながら、この男の元に居られるだけ居させてもらおうと決めた。

★ 大阪まで面会に来た肉親の者やその使いの者から、秋幸は三年間のうちに、秋幸の生まれた土地の近辺が大きく変わってしまっている事を耳にしていた。新地で「モン」という店を出していたモンは用意周到に地図と写真まで用意して、原子力発電所がその土地を間にはさんだ50キロ以内の地点に三ヶ所つくられる事が決定したし、それに紀伊半島を一周する高速道路の建設がはじまり、その土地の近辺は地理が一変したと説明した。路地も新地も消えた。

<中上健次:『地の果て 至上の時』(小学館文庫2000)>






モンドおよびその他の物語

2012-03-24 11:20:37 | 日記


★ モンドは急いでいなかった。彼の方でも、壁から壁へとジグザグに歩きながら進んだ。立ち止まって溝をのぞきこんだり、木の葉を引きちぎったりした。胡椒の葉をとり、指で揉みつぶし、鼻と眼を刺すその匂いをかいだ。すいかずらの花をつみ取っては、萼の付け根で玉になっている甘い小さな滴を吸った。あるいは唇に草の葉を押しあてて鳴らした。

★ モンドは丘を通って、ここを一人ぼっちで歩くのが好きだった。のぼるにつれて、陽の光は、まるで木の葉や古い壁石から出てきたように、だんだん黄色くやわらかくなってきた。日中、光は大地にしみこんでおり、それが今出てきてその熱気を振りまき、その雲を膨らませているのだった。

★ 丘の上には誰もいなかった。きっと午後も終わりのせいで、それにこの区域はいささか見捨てられているからでもあった。別荘はみな木立のなかに埋もれ、寂しいというのではなく、錆びた鉄柵やペンキが剥げてうまく閉まらない鎧戸のある姿は、まるでまどろんでいるようだった。

★ モンドは木立のなかを飛ぶ鳥たちの音や、吹く風に軽く軋む木枝の音に聞き入った。とりわけよく聞こえるのは、バッタの音で、絶えず移動してモンドと一緒に進む感じのする甲高い笛のような音だった。時おりそれは少し遠ざかり、それからまた戻ってくるとあんまり近く聞こえたのでモンドは振り向いて虫の姿を見ようとした。しかしその音はふたたび遠ざかり、彼の前とか、それとも上、壁の天辺のあたりでまた聞こえだすのだった。モンドの方でも、草の葉を鳴らして呼んでみた。しかしバッタは姿を見せなかった。隠れている方がいいらしかった。

★ 丘の頂のあたりに、暑さのために雲が出ていた。雲は静かに北の方へと流れており、それが太陽のそばを通るとき、モンドは顔にその影を感じた。ものの色は変化し、動いてやまず、黄ばんだ光が灯ったり、消えたりした。

★ モンドはずっと前から、その丘の頂まで行ってみたいと思っていた。彼はよく海辺の隠れ家から、その丘を眺めたものだった。丘の木々や、別荘の正面に輝き、後光のように空に放射しているその美しい光を。丘にのぼりたいと思ったのはそのせいだった。つまり、階段の道は空と光の方へ連れていってくれるように見えたからだ。それは本当に美しい丘、海のすぐ上にあって、雲にも届きそうな丘で、モンドは朝、まだ丘が灰色で遠くにあるときも、夕方、そして夜、丘が電灯の光をいっぱいに煌かせているときでさえも、長いあいだそれを眺めたものだった。今、その丘をよじのぼるのが彼には嬉しかった。

<ル・クレジオ“モンド”― 『海を見たことがなかった少年』(集英社文庫1995)>