今日は2012年3月11日である。
“あの日”のあと、自分がどのようなブログを発信していたか、まったく忘れていた。
それで、昨年3月の自分のブログを、いま見てみたのだ。
3月11日以降、はじめて発信したのは、3月14日である。
その後も、現在のように、ボチボチ書いている。
“不破利晴への手紙”(不破の実家は福島である)もある。
奇怪なのは、この“3月11日の前”、3月9日のブログ“本音と建前”に“きのこ雲”映像が掲載されていることだ(ぼくに“予知能力”があるなどと、いささかも思わない)
3月20日の(ぼくの)ブログを削除なく貼り付ける;
<なによりもだめなメディア> 2011-03-20 13:16:36 | 日記
まだ“渦中”にあるときに、“その後”についてなにか言うことは無意味に近い。
だから今日まで、ぼくは“メディア”に通常より張り付きつつ、なにも言わなかった。
もちろん“今”も、“その後”ではない。
しかし、もし“その後”があるのなら、この震災で、決定的に“終わる”ものがある。
たとえば、“原発がなければ日本経済は破綻する”という立場である。
もちろん、それを終わらせるためには、すべての日本列島に居住する人々の省電力生活が必要であり、そのためには“生活を変える”必要がある。
キラキラ、ちゃらちゃらした“街”を変える必要がある。
それは、“日常生活のスタイル”の問題であると同時に、“思想”の問題である。
もしこれまで“思想”に無縁できた人々も、ここから始めればいい。
もちろん“キラキラ、ちゃらちゃらした”ライフスタイルにしがみつく<保守主義者>は、あいもかわらず、自分の馬鹿を棚に上げて《今回のことで分かったことは「バカ」は罪だってことだな》などとつぶやきつづける。
しかし端的に言って、いつの時代も、多数というのはバカである。
それでも、希望に賭けなければならない。
ぼくは自分がバカでないなどと思わない。
だから“他人”からまなぶのだ。
現在進行中の事態に関する“言説”でも、多くのバカげた発言をメディアは流し続ける。
典型的なのは今日の“あらたにす読売編集局から”のような言説である;
《夫はホワイトデーのプレゼントをこっそりと用意していました。「たまには指輪とか欲しいけど」。妻は以前、プレゼントをあまりくれたことがない夫に意地悪を言ったことがありました。そんな夫の贈り物を偶然見つけたのは、津波で犠牲になった夫の遺体と対面した後でした。小さな娘2人と避難所暮らしが続く妻は「この子たちは責任を持って育てる」と指輪に誓います。涙なしでは読めない「夫の最後の贈り物」は社会面です。》(引用)
こんなメロドラマなら、史上空前の災害がなくても、“テレビドラマ”ですでに何万回も見た。
ぼくたちが、今見ているのは(想像力によっても)まったく別の光景である。
しかし今日の読売編集手帳は、天声人語より“マシ”である;
《◆もし我慢や献身が今も日本人の美徳だとすれば、それを最も失わずにきたのは、東北地方のお年寄りだろう。大津波はそんな人々の慎ましい生活を奪い去った◆「物言わぬ」と言われる人たちは、避難先でテレビのマイクを向けられても、救援物資の遅れに怒りやいらだちを顕にすることはまずない。「もう我慢しないでください!」。画面に向かって、思わずそう告げたくなる。》(引用)
《もう我慢しないでください》
さて天声人語である;
《▼がれきの街には、愛する人の記憶をまさぐり、泥まみれの面影を抱きしめる姿がある。「泣きたいけれど、泣けません」。被災者ながら、現地で体を張る看護師長の言葉である。戻らぬ時を一緒に恨み、足元の、そして来るべき苦難に立ち向かいたい▼地震の1週間後、東京スカイツリーが完成時の高さ634メートルに届いた。この塔が東京タワーを超えた昨春、小欄は「内向き思考を脱し、再び歩き出す日本を、その高みから見てみたい」と書いた▼再起のスタートラインは、はるか後方に引き直されるだろう。それでも、神がかりの力は追い込まれてこそ宿る。危機が深いほど反発力も大きいと信じ、被災者と肩を組もう。大戦の焼け野原から立ち上げたこの国をおいて、私たちに帰るべき場所はない。》(引用)
まさに“現場”では、《泣きたいけれど、泣けません》。
この時、
《それでも、神がかりの力は追い込まれてこそ宿る。危機が深いほど反発力も大きいと信じ・・・・・・》(引用)
という言葉の、うそ寒い、そらぞらしさはなにか?
なぜ《神がかりの力》などというオカルト的・原始呪術的な言葉が発せられるのか。
この天声人語の書き手には、近代(モダン)もポストモダンもないのか。
一気に、“近代理性”以前に本家帰りし、近代と近代以後の人類の生活と思考の歴史を、まったく無化(無視)してしまうのか。
まさにこの書き手には、《帰るべき場所》があるのである。
それは“近代以前の”神がかりの非理性の(無思考の)闇である。
まさに“リベラル・ヒューマニズム”の正体である。
この災害後において、死ぬべきなのは、このような<メディア>である。
あるいは今日もツイッターでまったく無意味なことをつぶやきつづける、メディアと大学に寄生し続ける、“寄生虫ども”(”専門家”ども、人間の屑ども)である。
《内向き思考を脱し、再び歩き出す日本を、その高みから見てみたい》(天声人語引用)
まったくちがう。
思考に“内向きも外向き”もない。
自分の“内を”見ない思考などない。
また、自分の外を目指し、自分の外と関わり、自分の外へ溢れ出ない思考は、ない。
《その高み》から見るのではない。
地を這いつつ見る。
そのようにしか生きられない。
けれども、思考は(考えることは)、全世界を見つめるために、はばたく、飛翔する。
当日のことははっきりと覚えています。
僕もあらためて1年前の3月11日の記事を読んでみました。
職場では深夜帰宅や、泊まってしまった者が続出していましたし、都心部では多くのいわゆる「帰宅難民」で埋まりました。
そんな中、僕は間隙をつくようにちゃっかりと、いつもより早く帰宅し、酒を飲んでブログを書いていました。
近い将来、僕が被災者になったとします。
僕の運命は家族が全員亡くなってしまい、一人寂しく取り残され、残りの人生をかなり寂しく生きる、生き残った重荷を背負いながら生きる。
そんな運命というか、宿命なのではないか。そんなことをふと思いました。
それはそれで厳しい人生です。
ここに君が書いている、未来の予感が、君らしいね。
ぼくの場合、ぜんぜん自分の未来(近い未来)を想像できない(予感できない)な。
このまま、なんとなく“現在”が続いていくとも、突然自分の生活が変わってしまう、とも想像できない。
ということは、けっきょくこれまでも、外から見れば(自分自身で自分の生涯を見ても)それは、一見、だらだらとある過程が続いてきたとも思える。
けれども、ほとんど意図したことがないのに、“変化”はあったし、自分の選択などなく、結局外部の力に翻弄されてきただけ、とも思えるんだ。
ただ、かならずこの過程が終わる、ということは、年々リアルになってくる。
ぼくにとっては、本を読むことが、“それ”に対する唯一の抵抗(あるいは認識)ということなのかな。
ところで、昨夜、“朝まで生テレビ”の再放送を見たんだが、ぼくには、田原総一郎をはじめとして、ああいう番組でしゃべっている人たちの言葉が、まったく理解できないのだ。
第一この震災・原発事故で、まちがいなく元気になった男は、田原総一郎である。
つまり、他人の不幸で、元気になる人間もいるわけだ。
あの番組で、CMブレイクになるとき、それまで“本気”で討論していた人々が、なんとなくおちゃらけて‘なごむ’。
要するに、真面目じゃないんだ。
“真面目じゃない”のは、そこで論じられている話題(問題)が、自分の問題ではないからだ。
田原(のような人々)にとって、悲劇(人間の悲しみ)は、自分の商売のネタにすぎない、いつも。
ぼくは、“外人”を崇拝するわけではないが、もしいま、“外国”でこのような討論番組をやったら、CMに入る一瞬でも、ニヤけたりしないと思う(それが“テレ笑”であっても)
たとえば、テレビで論じることが“パフォーマンス”(演じること)であっても、“外人”なら、“謹厳さ”を演じることができる、という意味。
あるいは、細野のような政治家が、“心から誠実”に対応していたとするなら、彼の人間的貧困が問われる(“ちゃち”だな)
東電責任について、“東電の経営者と従業員は分けて考えるべき”ということには、なぜか出席者全員が賛同していたが、このこと自体が、この会場に来ていた原発派遣労働者の自分を語ることが下手なひとの発言で、粉砕されていたことにさえ、“朝まで生テレビ”のメンバーは誰も気づかない(自分の子供が“原発労働者(社員)”であることを楯に取る‘おばさん’とか!)