“YAHOO! ニュース JAPAN”で昨日報じられた以下のニュースについて、読者から《意味不明》というコメントが付き、このコメントに対して“私もそう思う”=12,689、“私はそう思わない”=189であった(昨夜時点);
<首相「TPPはビートルズ」=参加の意義、独自解釈で説明>時事通信 3月24日(土)18時4分配信
「環太平洋連携協定(TPP)はビートルズだ」。野田佳彦首相は24日の都内での講演で、TPP交渉参加を検討している日本の立場を、英人気ロックバンドのメンバーに例えて説明、政府の方針に理解を求めた。
首相は「日本はポール・マッカートニーだ。ポールのいないビートルズはあり得ない」と強調。その上で「米国はジョン・レノンだ。この2人がきちっとハーモニーしなければいけない」と述べ、日本の交渉参加への決意を重ねて示した。
(引用)
つまり、多くの人々が、野田佳彦首相の発言を、《意味不明》と判断した。
すなわち、現在日本国の首相は、意味不明なことを言うひとなのである。
昨日見た“パックインジャーナル”(テレビだよ)の出演者によると、現在、《どうして日本は、こんな国になっちゃったんだろう》という嘆きが、‘巷(ちまた)’に満ち満ちているという。
どうして日本は、こんな国になっちゃったんだろう?
もちろん意味不明なことを言う人が“首相”だからである。
しかし“問題”は、意味不明なことを言う人が、首相のみでないことである。
ハシモトとか、オザワとかいう人たちも、なにか“意味不明でないこと”を言っているのであろうか?
“天声人語”は、“意味不明でないこと”を言っているであろうか。
今日の天声人語;
昔話になるが、自民党内の権力闘争が政治を活気づけた時代がある。語り草は40年前の総裁選、佐藤栄作政権の後継を巡る田中角栄と福田赳夫の角福戦争だろう。制したのは54歳の田中だった▼勝者がテレビに映るたび、娘に「お父さんが出てるわよ」と知らせる女性がいた。金庫番の田中秘書、佐藤昭子さんだ。呼ばれたのは、田中との間に生まれた中学生である▼その佐藤あつ子さん(54)が、講談社から『昭(あき) 田中角栄と生きた女』を出した。「決断と実行」の政治家と、資金を任された「越山会の女王」。新潟から出て、固い信頼で結ばれた男女の絶頂と転落を、子どもの目で描いた▼私たちが知る、汗だくで演説する角さんではない。愛する人の家に通い、娘を抱きしめる男がそこにいる。その人生のせわしさを思う。官僚や秘書団を操り、無数の陳情と就職をさばき、政争を生き抜き、私生活にも時間を割く。異常なほどの「処理能力」である▼だが、大車輪のしわ寄せは公私に及んだ。金権批判、ロッキード事件、脳梗塞(こうそく)。多感な年頃に自分の境遇を知った著者も、やがて薬と酒と自傷に走る。「大好きなオヤジの娘であることが、法を侵さずに生きる最後の砦(とりで)でした」▼蔵相時代、親子3人が家ですき焼きを食べる描写がある。せっかちな田中は大量の砂糖としょうゆを鉄鍋に投入し、娘をげんなりさせた。著者に同情しつつ、何とも言えぬ懐かしさが込み上げる。決断も実行もしない「薄味」の政治に飽きたせいだろう。
(引用)
どうやら“田中角栄(角さん!)”という昔の政治家のことが語られている。
この天声人語の書き手は、田中角栄に対して《何とも言えぬ懐かしさが込み上げる》ということである。
たぶんこの書き手は、ぼくより若い。
すなわち、“田中角栄の思い出”なら、このぼくにも(時代的には)“ある”はずである。
しかも田中角栄の“地盤”である土地で、ぼくは生まれた。
けれども、ぼくには、《何とも言えぬ懐かしさが込み上げる》などということは、まったくない。
たしかにぼくも、「薄味」より、けっこう“濃い味”が好きではあるが(もちろん食べ物の話である)
なぜこうも、“ちがった感覚”のひとが、とくに大新聞社には、いらっしゃるのだろうか!
だいいち、いまどき、なぜ、《『昭(あき) 田中角栄と生きた女』》などという本を読む気になるのかが、ぼくにはわからない。
もっとほかに読む本はないのだろうか???(笑)
田中角栄だろうが野田佳彦だろうが、どうでもいいではないか。
なぜ意味不明なことを言うどうでもいい人々にばかり関心をもつのか。
それが“戦後史(激動の昭和史!)=ニッポンの歴史”だとでも、思っているのか。
そんなところに<歴史>なんかないことに、どうして気づかないのか。
2011年3月10日以後、問われているのは、意味不明でない言説の歴史、ではないのだろうか。
もちろん、その歴史に直面し、おびただしい意味不明の言葉のなかから、意味ある言葉を発掘することのみが、ぼくたちの未来への使命である(そういうものがあるならば)