Don't Let Me Down

日々の雑感、引用。
言葉とイメージと音から喚起されるもの。

幻想と“リアル”

2009-06-10 15:09:53 | 日記

ひとは幻想を“抱いて”生きている。
あるいは“幻想にたくして”生きる。

その幻想は、“多様”である。
あるいはその幻想は、“単一”である。

幻想が、高度で入り組んだ“観念”であることもあるし、
有名“タレント”の顔や、立ち振る舞いであることもあるし、
あるひとを、“恋する”ことでもある。

ぼくはここで、“そういう幻想”の無効性とか、バカバカしさを言おうとしていない。
なぜなら、ぼく自身もそういう幻想に“とらわれてきた”し、現在でも“とらわれている”からである。

幻想とリアルという“テーマ”は、本質的(根源的)であると同時に、ますます“アクチュアル”である。

現在という時代を、“総幻想時代”と認識することもできる。
幻想の“圧倒的支配”というように。

たとえば“資本主義”とか“自由主義”とか“民主主義”とか“テロとの戦い”という幻想について、語るの好きなひとが、多い。
マスメディアは、それについておどろくほど多量な“言説”を生産している。

“これは幻想ではない、事実によって実証してみせる”という幻想的な言説も多い(笑)
あるいは、“サイエンスは幻想ではない”という幻想も多い。

しかしぼくがこのブログで書きたく思ったのは、そういう一般論ではなく、具体的な“事件”というものについての言説=幻想である。

“具体的な事件”である。
たとえば近日、“秋葉原無差別殺傷事件1周年”で、メディアには、さまざまな“言説”が出たようである。
ぼくはアサヒコムなどで、事件現場に来た人々の“発言”(それは多くは、事件前の犯人にかかわりのあった人々である)を見た。
それを読んでも、なにひとつこの事件についての“認識をもたらす”ような発言はみあたらない。

これは、インタビューされた人々が、“なんら認識していない”ということではないだろう。
彼らは、自分の思いを言葉にすることができなかった(言葉では言い表せなかった)のであり、しかも、マスメディアは彼等の言葉を数行に要約しているからである。

いったいこの繰り返される“悲惨な事件”について、なんらかの認識を得ることは、どうして可能か?
その認識を放置して、ただ“犯人”への報復(復讐)感情のみを語っていてよいのであろうか。
ぼくは“死刑”の問題は、その刑に値するか否かの実証や、報復感情の倫理性であるより前に、その事件自体の“認識”にあると思う。

それは“犯人の心の闇”というような言葉に収斂される“内的動機”と、彼のこれまでの人生における“経験”としての社会関係と、彼に直接関係ない(かのような)その時代の社会関係(世界関係)の“総体”への認識である。

ここに“ある現実に起こった事件”についての言説がある。
この事件を青山真治は、映画として小説として、“二度”認識しようとした(“ユリイカ EUREKA”)

この事件が実際にどうであったかを調べようとWikipediaの“バス・ジャック”などを検索したが、みつからない。
考えてみれば、この事件は、普通の意味では“たいした事件”ではなかったのである。

ぼくはこの映画をテレビで数回見たが(つまり途中からみたり、またその前を見たり)、その時は青山真治氏をとくに意識していなかった。
“才能”は認めたが、ほんとうに好きな映画とは感じなかった。
しかしこのブログにも書いたが『ホテル・クロニクルズ』でぼくは彼を発見した。
彼の中上健次に対する“思い”というのにも、注目した。

そこで、最初を読みかけただけで放置してあった『ユリイカ EUREKA』の“小説”をまた最初から読みはじめた;
★ 男は、その日の最初のバスを待って、石垣の下に座り込んだ。
ふたたび時を数え始めた。足の間に挟んだ紙袋の中の古新聞がささくれだっていた。
盆休みだというのに、近所の団地から会社勤めの男たちが、寝起きのけだるさをひきずって集まってきた。一、ニ、三人。お前たちは今日もやって来た。お前たちの生産営為には終わりがない。しかしお前たちはその終わりのなさにうんざりしているのに、終わらせる勇気を持たない。俺は違う。俺は終わらせた。そしてお前たちにもこの自由を享受させてやろう。男たちは話をするわけでもなく無防備にバス停に立っていた。まるでその男が本当に透明で見えないとでも云うように、背を向けて久留米行き始発バスの来るのを待っていた。だが今この場では名もない者らとして、お前たちもここにある。俺と同様に。

上記はバス・ジャックを行う前の犯人の“心境”である。

しかしこの小説は、“犯人(犯罪者)”のみを描いてはいない。

ある“事件”によって、幻想とリアルが、はげしく錯綜する“リアル(現場)”にこそ迫っていると思う。



暗闇と“メタボ小説”と稲妻

2009-06-10 12:41:47 | 日記
今朝は起きてすぐ、長文の(長すぎる)ブログを書いた(不破利晴に感謝する)

そして、作夕、新宿伊勢丹地下で買った“デジュネ”とフレンチトーストを半分に切って妻と分けあって食べた、紅茶と共に(なんと仲がいい!)

そしてぼくが聴いたのは“ロック”ではなく、グールドのバッハだった。
“バッハ;ピアノ協奏曲”。
バッハに“ピアノ協奏曲”は存在しない、バッハの時代にピアノはなかったからである。
この鍵盤楽器による協奏曲の多くは、“ヴァイオリン協奏曲”でもあった。

さらに、この古いCDにカップリングされている“イタリア協奏曲”の第2楽章を聴いた。
バッハには申し訳ないが、このバッハ作品でもいちばん有名な曲の、第2楽章しかぼくは聴かない。

バッハで有名な曲といえば、最近テレビでまた見た「セブン」で、印象的に“バッハ”が流れるシーンがあった(モーガン・フリーマンが警察図書館にブラッド・ピット刑事に渡す本のコピーをとりに行く場面;“G線上のアリア”)
モーガン・フリーマンは宿直警官たちにほぼ以下のようなことを言ったはずである;“君たちは、この知識の宝庫で、なぜトランプ・ギャンブルをしていられるのか?”

また、“映画の”「イングリッシュ・ペイシェント」では、ジュリエット・ビノッシュの“看護婦”が、イタリアの廃墟の屋敷にのこされたピアノで“ゴールトベルク”の一節を弾いた。
そのピアノには爆弾が、引きあげドイツ軍によって仕掛けられていた。

グールドの“バッハ:ピアノ協奏曲”は何年かに渡って録音されているが、その日付は古い。
“イタリア協奏曲”も1959年の録音である。
しかし、バッハもグールドも、まったく“古びて”いない。

ぼくは村上春樹の新刊『1Q84を読了したときに、その“深い疲労”のなかで、この小説については書かないと宣言した。
しかし、その後のブログの端々で何度もこの小説に“イヤミ”を言っている。
こういう態度は、あまり高潔ではないと思う(笑)

それでこの小説を一言であらわす“キャッチ・フレーズ”を考案した;“メタボ小説”。

しかしわれながら、このフレーズはイケてない。
もうちょっと時間を置いてから、ぼくは、この小説を中心に、村上春樹と決着をつけたい。
もう“構想”はある。
この『1Q84』における“教祖(”リーダー“とよばれる)の言説に絞って、その虚偽”哲学“を粉砕したい。
春樹という作家は、けっして“華麗なレトリック(比喩)”や“現代的な感性”のみで、“読ませる”だけの作家ではなかった。
よせばいいのに、“哲学”を語ってしまうひとだった(笑)
だから、このひとの“ユートピアおよび逆ユートピア”(という哲学)や河合-ユングばりの“贋・精神分析学”を粉砕する必要があるのである。

“もはや春樹の言説は、そういう批判対象にも値しない”とぼくの内面の声は告げるのだけれど(“内面の声”は“苦労性”であるので)、ぼくは、もうひと頑張りしなければ、と思う。

以上、バッハ-グールド-映画-春樹-朝食のはなしは、ぼくのなかで、緊密にからまりあっている。

つまり、しつこく掲げている最近のモチーフ=“darkness & lightning暗闇と稲妻”、にである。



日本のロック;暗闇と稲妻

2009-06-10 09:59:41 | 日記
このブログは長くなるだろう(笑)

今朝起きて、ぼくは、小学館文庫“中上健次選集”のことを書こうと思っていた。
昨日新宿ジュンク堂書店で『日輪の翼』、『奇蹟』、『讃歌』を買い、そこになかった『異族』をAmazonに注文したからである。
これで集英社版“中上健次全集”をのぞく、ほぼすべての現在購入できる中上の“小説”を入手した。

この選集は1999年ごろに刊行されたため、現在書店から消えつつある。
昨日購入した文庫の最後にある“解説”で小森陽一氏と池澤夏樹氏の文章を読んだ。
その池澤氏の文章を、このブログのテーマとしようとした。

だが、今朝いちばんで、ネットを巡回し不破利晴君の最新ブログを見た、タイトルは<ロック的なるもの>である。

まず昨日6月9日が、渋谷陽一によって“ロックの日”と名づけられていること、また“それにちなんで”東京新聞が“パンク・バンドをカメラで撮り続ける73歳の主婦を紹介している。彼女はロック界の「ゴッドマザー」と呼ばれている”という記事を掲載したことを知った。

ぼくは自分の誕生日に“ちなみ”、6月9日を“ロックの日”となづけるようなセンスこそ、“ロック的でない”と考えるし、“ロック界のゴッドマザー”など知ったことではない。
また不破君は書いている;
《最近、日本の誰がロック的であるかといった投票がなされたようだ。
1位は最近亡くなった「忌野清志郎」、以下2位「矢沢永吉」、3位「内田裕也」であった。
このようなランキングに接すると大変幻滅を感じてしまう。果たして彼らが”ロック”なのか、ということについてである》

《果たして彼らが”ロック”なのか》
ということについても、ぼくの回答は単純である。
忌野清志郎、矢沢永吉、内田裕也などは、端的にロックではない。
ぼくは“日本のロック”というものを、すべて聴いたわけではないが、ぼくの知るかぎり日本にロックという音楽を表出するひとは存在しない。

ぼくは清志郎が死んだとき、いくつかのブログを書いたが、それは彼に関するぼくのささやかな記憶と彼の音楽のなかでぼくが共感できた“わずかの曲”について書いたのであって、彼を“ロックの神様”などと呼ぶのは、笑止千万である(清志郎自身にはそれがわかっていた)
矢沢永吉、内田裕也などは、率直に言って、ただのゴミである(笑)

しかしぼくは、ロックとは何か、とか日本のロックとは、などといった“問題”にまったく関心がない。
ぼくに関心があるのは、“音楽とはなにか”だけである。

あるいは、“この現在”にだけ関心がある。

この現在における言説、この現在についての言説に関心がある。

たとえば、読売新聞は今日も“巌流島の決闘”について語り、朝日新聞は“全盲のピアニストの国際的快挙”について語る。
そういう言説の“無効”について、ぼくがいくら書いても、“世間”はまったく変わらない―このことこそ問題(課題)である。

不破君も書いている;

《日本のロックはどこにあるのかを考えるに当たり、それはどうやら文学の世界にそれは見いだせるのかもしれない。
中上健次と丸山健二である。
鋭角的でかつ、猥雑で、他者を寄せつけず、それでも半ば暴力的に我々を鷲掴みにする。極めてソリッドな文体を持つそれら作品は”ロック”と呼ぶにふさわしいのではないか?》
この文章の最後の言葉は以下の通り;
《ロックとは、存在のあり様そのもののような気がしている》

《ロックとは、存在のあり様そのもののような気がしている》
という表現は、やや“弱い”と感じられるが、彼の言わんとすることは、わかる。

あなたは、わかるか?

まさに、このことは、中上健次と丸山健次を“読むことで”、わかる。
丸山健次については、ぼくは彼の“初期”の愛読者であったが、ある時期から読んでない。
このひとの言説についても再検討の必要を感じる。

もうひとつ、ぼくが読んだ重要なブログがあった、天木直人最新ブログ<読者の皆様へ 私に寄せられた読者からのメールを共有したい>である。

このブログについては、ふたつの異なった“批判”がぼくにはある。

ひとつはこの“読者の手紙”を読んだ天木氏の感想自体である;
《つきつめれば人間は皆神に向かって歩んでいくという事だ。もちろんそれに気づく時は人生の最後でいいと思う。無限の未来が広がっている若者たちは、そんな事に気づかなくてもいいと思う》

端的にぼくはこの文章を理解できない。
あるいは、ぼくが読み取りえた“意味”では、このような考えは、現在のぼくの“反対”である。

もうひとつは、ここで引用されている“読者の手紙”自体である、部分的にだが引用する;

★私たちは何か勘違いしていないでしょうか?私たちが敵だと思っている人たちは、実は人類全体の一部分で、私たちの仲間なのではないだろうか?人間の心の中には、人類すべてが持っている喜怒哀楽といった感情が備わっていて、その感情のうちのどういう感情を選んでいるか・・だけの違いではないだろうか?と思うのです。私たちが敵だと思っている人達は、実は、自分達の中にもある残虐な感情を選んで表現しているだけかもしれないな・・と思うのです。
私たちが何をするかではなく、私たちがどういう事実を知るかではなく、私たちが本当に平和を望んでいるかどうか、そして同時に本当に他の国々の人達の安全も尊重しているかどうか、そういうことが問われているのだと思います。
★本当は、私たちはどう思っているか?それが、すべての源になると思います。
(以上引用)

引用しなければ、“わからない”ので、“さわり”を引用したが、この文章もぼくには理解困難で、3回くらい読み直した。
みなさんも、天木ブログで全文を読んでください。

この文章の“理解”がぼくに困難なのは、そこで語られていることが、かなり“ぼくに近い”からなのだ。

しかし決定的な“違和感”がのこる。
それを、
ぼくの言葉で乱暴に言ってしまえば、この文章の書き手には“知性”がないのだ。
というより、これは“非知”の態度である。

それをたぶん天木氏は、《つきつめれば人間は皆神に向かって歩んでいくという事だ》というふうに受け取ったようだ。

まさに、ぼくは、そう考えない。

ぼくは“情報”は信じないが、“知性”は信じる。
もっと刺激的に言うなら、ぼくは、“平和ならなんでもよい”とは、考えない。
そんな“平和”こそ地獄である。
これこそが、“あらゆる暴力に反対する”ぼく自身の矛盾である。

しかしこの矛盾があるから、ぼくはまだ考えることができるし、生きながら死なずにすんでいる。


やっとぼくが書きたいことが書ける(笑)
中上健次選集『讃歌』に付された池澤夏樹氏の文章である;
★ 中上健次は、そしてぼくたちの世代は、トポスの喪失に立ち会って生きてきた。20世紀後半はそういう時代だった。人々は大挙して故郷を捨て、無名の一員となって都会に行き、そこで情熱なき日々を過ごすようになった。もう一歩進んで、その情熱なき都会の原理を故郷に持ち帰り、もともとはトポスであったところを白々としたメタリックな、あさましい色に染めるようになった。

上記を読んでのぼくの感想は、“こんなにあっさり言ってしまってよいのだろうか!”というものであった。
つまり、“こんなに正直であってよいのだろうか!”というものである。

まさにここで“ぼくたちの世代”と呼ばれているのは、池澤夏樹と中上健次の“世代”のことなのだ(この二人は、池澤氏が1歳年上だと思う)
つまり、このぼくは中上と同じ歳なので、“この世代”なのだが、このブログを読んでいる“あなた”は、たぶんそうではないということである(笑)

《あさましい色に染めるようになった》  のである。

さらに引用しよう;
★ 路地はないのである。もう龍造はいないし、秋幸もいない。『千年の愉楽』のあの若い美しい神々もいない。イーブの美貌はそのパロディでしかなく、彼はもう路地の女たちをたぶらかして孕ませることもできず、<白豚>や<黒豚>を相手に不毛な行為を繰り返す。繰り返しはあっても深化はない。
ここまで来て、『枯木灘』や『地の果て 至上の時』がなんと懐かしく思われることか。

しかし、
しかしである(笑)

中上がこれらの“小説”を書いてから20年近くが経過しようとしている。
池澤がこの“解説”を書いてから、10年近くが経過しようとしている。

この“喪失”は、もう歴史を持った。

その<現在>にぼくたちは、立っている。

“これらの”膨大な過去の“涙と怒り”を胸に。

遠くない自分の死(あるいは最愛の者の死)を、感じて。

まさに“ロック”とは、生きていることを感じる(感じられる)ことであった。


”ぼくら”は、《もう路地の女たちをたぶらかして孕ませることもできない》のであろうか?