Don't Let Me Down

日々の雑感、引用。
言葉とイメージと音から喚起されるもの。

どうなってんの

2009-06-14 20:04:26 | 日記
<郵便不正:厚労省局長を逮捕 虚偽公文書作成などの容疑で>毎日新聞 2009年6月14日 18時33分(最終更新 6月14日 19時23分)

 障害者団体向け割引制度が悪用された郵便不正事件で、大阪地検特捜部は14日、障害者団体「凜(りん)の会」(解散)に対し、障害者団体と認める、偽の証明書を作成した疑いで、厚生労働省雇用均等・児童家庭局長、村木厚子容疑者(53)を虚偽有印公文書作成・同行使容疑で逮捕した。また、厚労省障害保健福祉部企画課係長、上村勉容疑者(39)▽凜の会代表、倉沢邦夫容疑者(73)▽同会幹部、河野克史容疑者(68)の3人を同容疑で再逮捕した。証明書発行を巡る不正疑惑は、現職局長の逮捕という異例な展開をみせ、厚労省が組織的に関与した可能性が強まった。
 特捜部によると、村木容疑者は同部企画課課長だった04年6月、部下だった上村容疑者らと共謀。凜の会に福祉活動の実体がないと認識しながら偽の証明書を作成し、倉沢容疑者に渡したとされる。
 村木容疑者は逮捕前、毎日新聞の取材に「凜の会も倉沢容疑者も知らない。偽の証明書を絶対に作成していない」と不正への関与を完全否定していた。
 上村容疑者は04年4月、証明書発行が進んでいることを示す偽の稟議書を作成したとされるが、調べに「6月に偽の証明書を作成し、当時の課長(村木容疑者)に渡した」と供述しているという。
 一連の郵便不正事件では、凜の会から事業継承した障害者団体「白山会」(東京都文京区)が大量の違法ダイレクトメールを割引発送し、郵便料金を不正に免れたとされている。今回の偽の証明書発行が郵便不正事件の発端になったとみられる。【林田七恵、久保聡】


<世論調査 83%が『政治に不満』 税金無駄遣いを批判 官僚不信も浮き彫り>東京新聞朝刊2009年6月14日

 政治の現状に「全く満足していない」「あまり満足していない」と感じている人が計83%に上ることが、本社加盟の日本世論調査会が六、七両日に実施した「政治意識」に関する全国面接世論調査で分かった。
 不満の中身を聞いた「今の政治で何が問題か」(複数回答)では「税金の無駄遣いが多い」が63%で断然トップ。逆に「政治に取り組んでもらいたい分野」(同)では「年金、医療、介護など社会保障制度の充実」69%、「経済の安定・成長」44%の二つが飛び抜けて多かった。
 一方、政治、行政を担う政治家と官僚を「全く信頼していない」「あまり信頼していない」との回答がそれぞれ計76%、78%に達し、政治不信に加え、官僚に対する信頼も大きく揺らいでいる実態が浮き彫りになった。
(以下略)


脳天気なひとびと;“海にいったことあるか?”

2009-06-14 19:31:41 | 日記


“脳天気”という言葉がある。
この言葉について、あなたがどんなイメージを持ち、どんなひとを想像するか、しらない。

ぼくにとっては、“内田樹”というひとが、ただちに浮かぶのである(笑)
ぼくは時々、このひとのブログを読んで、首を傾げたり、怒ったりしてきた。

そんなに熱心に見ているわけではない(笑)、ときどき(思い出したときに)見るだけである。
今日も、たまたま見たら、やはり『1G84』のことが書いてある。
それも3回も(笑)

内田氏は、“何誌からか”この書評を依頼されたが、《最初に『週刊文春』の山ちゃんから本を送ってもらってしまったので、渡世の仁義上、あとはお断りする》のだそうである。
またタダでこの本“も”手に入れたのである(爆)
タダでもらった本を、けなせるはずはないのである。

《三砂先生はちょうど『1Q84』を読み終えたところだったので、二人で「すごいよね」と盛り上がる。
三砂先生は「ムラカミハルキ先生」とずっと敬称をつけて呼んでいた。
こういう人が同時代にいて、その人の一番新しい小説を、出たその日に買って読むことができるというのは、ほんとうに幸せなことだからだ。
その感謝の気持ちを「敬称」で表しているそうである》(引用)

いったい内田樹というひとは、なにを書いているのであろうか!!
だいいち“三砂先生”というのは“だれ”なのだろうか?ぼくはぜんぜん存じ上げておりません。

ぼくが内田樹の『1Q84』についてのブログを読んで、いちばん不快だったのは、彼が村上春樹およびこの新作を“褒めた”ことではない。
ぼくはこの新作をまったく評価しないが、これを褒める人がいることはかまわない。
その“理由”を書いているならば。

内田氏は、そういうことを書かずに、自分のことばかり書いているのである。
このひとは、なにを書いても自分の自慢話にしかならないのである。

ぼくはこういう“状態”を、<脳天気>と呼ぶ。

どうしてこういう脳天気なひとが、“実存”するのだろうか。
たぶんこのひとのこれまでの人生はラッキーだったのであり、この人は生きることに“器用”なひとなんだと思う。

最新ブログには、内田氏の“兄上”のことがこう書いてある;
《私の敬愛する兄上は先般会社をリタイアされて、晴れて“ゴールデンパラシューター”として悠々自適の日々を送っておられるが、兄の次の夢は伊豆の山中に別荘を建てることだそうである。
海を望むガラス張り広い部屋にピアノとオーディセットと書棚と寝心地のよいソファを置いて暮らすそうである。
「毎日何するの?」と私が訊いたら、兄は当たり前のことを訊くねえお前は、というように訝しげな表情をしてこう答えた。
「掃除だよ」》(引用)

ぼくには兄弟がいないので、“兄上”がいる状態はよくわからないが、普通、自分の“兄”のことを、こういう風に思うものなんだろうか?

なんか兄弟揃って“脳天気”である模様である。
そして“脳天気”な人々は、“悠々自適”な老後を送り、“掃除”して暮らすのが、優雅なジョークなのである。

少なくとも、“ある時期までの”村上春樹は、ここまで“脳天気”ではなかったと思う。
しかし、村上春樹は、“脳天気な人々”のアイドルとして終わるのだろうか。

ぼくは先日のブログで、ぼくの『1Q84』批判のモチーフを書いたが、この文章をまとめる気にまだなれない。

だからちゃんとした“批判”ではない感想を書いておく。

ぼくは『1Q84』を読了した直後に平出隆の『猫の客』を読み終わり、今日青山真治『ユリイカ』を読み終わると思う。

この2冊は、ぼくにとっては、『1Q84』より圧倒的にすぐれた本であった。
もしぼくが“評論家”であるなら、この理由を説明(論証)しなければならない。
しかし“さいわい”ぼくは、評論家ではない(何者でもない;笑)

それどころか、ぼくはその理由を説明などしたくない。
ただぼくを“信頼して”、まだ読んでないなら、この2冊を読むひとが、ひとりでも出てくることを願って、このブログを書くだけである。

ただ、ひとこといいたい。

“文学”は、小器用に生きる者には無縁である。
小器用な人々には、読むべき“実用書”があるではないか。

小器用なことも、一種の才能ではある。
事実、“彼らのために”この世界はある。

しかし文学は、この世界ではないものを、切実に求めている。

今も、昔も。



ユリイカ

2009-06-14 14:46:38 | 日記
★ ポケットに折り畳みナイフがあった。その刃を立てた。西に傾いた日が、世界を焼きつくすような色に染め上げていた。その光がナイフの刃にも映った。直樹の目に燃え上がる家を映した。目の前に立ちはだかるセイタカアワダチソウの叢に斬りつけた。使う度に砥石にかけ、研磨しておいた刃は、草の穂を次々に鋭く切り落としていった。その切り口から白い液が血のように流れ出た。消耗し切る最後まで、直樹は草のことごとくに斬りつけ、穂を落としていった。直樹の頭の中で、そこは血の海だった。その海面から、なおも飢えた鮫が飛び出してくる。その度に直樹はナイフを振るい、切りつける。

★ また咳が出ていた。それを苦にすることはなかった。苦になるのは夢だった。弓子と長々とキスする夢だった。圭子を殺す夢だった。沢井は自分になにができるか、考え続けた。自分が何者であるのか、考えた。自分はもう殺されかけたバスの運転手ではなく、誰かを殺すかもしれない者としてある、と考え始めていた。それが自分に可能な自覚だった。それを律することで初めて、別の何かが可能になる、と漠然と思った。自分が自分でいられた。

★ ある日の帰り道、凧糸に吊られた色とりどりの旗が賑やかに秋風にはためく国道沿いの中古車センターの、奥まった辺りに、古ぼけたマイクロバスが置いてあるのを見た。店員にいくらか、と訊いた。売り物ではない、とその若いやる気のなさそうな店員は答え、廃車にするために工場に運び込む間だけここに置かれているだけだ、と続けて云った。ふと考えて、これを買うためにはどこへ掛け合えばいいか、と訊いた。わからない、と面倒そうに店員は云った。では廃車にする工場はどこか、と訊いた。それも知らない、と答えた。調べてくれないか、と云うと、何も答えずに背を向けて事務所に戻った。しばらくそのマイクロバスを見ていた。ルーフにテレビアンテナが立ち、窓という窓が灰を被ったように煤けていた。

★ 「ようし、じゃあどっか行こう、な」
梢の腕に子供のできるかぎりの力がこもった。それがわかる沢井もまた、梢を抱き締める。
「そんでいっつもみんな一緒におろうで」
そうすれば、と沢井は心の中で続けた。そうすれば、自分らの本当の死を待つような子供らの檻を破ることができるかもしれないし、直樹の焦燥と梢の悲嘆とをともに自らの手で乗り越え、いやむしろ、沢井が常日頃浴び、生きる道を見い出し続ける日の光によって、その焦燥と悲嘆とが乾燥し訪れる本当の死すらもそこで乗り越えて、土塊(つちくれ)になったような自分と巡り会うかもしれない。自分たちはそのような本当の死を一旦受け入れて後の場所でしか生きることはできないのだし、そこで生きる術を身につけなければならないし、だからこそ初めにそれを乗り越えねばならなかった。そのためにはこの父の場所、母の場所から出て行くことをしなければならない。死に憑かれた幽霊屋敷と、理不尽な世間の好奇の目に晒されるこの場所から出て行くことだ。

★ その日ものんべんだらりと一日が過ぎて行くのを、秋彦はサイロのソファに横たわって見つめていた。自分に相応(ふさわ)しい、とどこへ行くにも持ち歩いた安物の小型ラジカセからフリージャズが流れていた。アルバート・アイラーと秋彦とは誕生日が同じだった。定まった形式から踏み外さぬジャズを秋彦は嫌ったが、アイラーだけは例外だった。幽霊たち、と題された曲だった。その幽霊は物悲しいが、勢いがあった。勢いのある幽霊という表現が、秋彦は気に入っていた。サイロに鳴り響くアイラーは、その場所を大学の別の学部のゼミに潜り込んで学んだアメリカ南部のようにしている、と秋彦は思った。ゼミの講師は、とある作家の書いた次のような文章を引用して、ゼミ生らにアメリカ南部のイメージを伝えた。
「南部とは人々が祈るところである。しかし、彼らは神を信じているのではない。彼らが信じているのは、神が去ったときに空に残していった黒い穴である」

★ 秋晴れの空に雲がゆっくりと流れ、薄いレースのカーテンが風を受けて、奇妙な動物の腹のように微かに膨らんでは萎む動きを繰り返していた。
その秋彦の耳に、アイラートリオの精神統一を飛び越えて近づいてくる奇妙な音が聞えた。風が逆巻いてねじを巻く巨大な大空に掛かった振り子時計の音のようであり、また不安定なこの足元から過去が甦ってくるその地鳴りのようでもあった。
(・・・・・・)
マイクロバスだった。

<青山真治『ユリイカEUREKA』>



たばこの害について

2009-06-14 12:36:01 | 日記
おそい朝昼兼用食を食べ(セブンイレブンのまずいサンドイッチではなく、ハムエッグと蜂蜜で)、煙草を買いに行った。
今朝は近所でなんか催しがあるようで、不快な“音楽”が聴こえてくる。
“日本人”は、ほんとうに“音”に鈍感になった。
蒸し暑いのである、すでに。

煙草を買って、すぐに1本に火をつけて、“歩行喫煙”した。
喫煙者はよくご存知のように、現在、歩行喫煙できる地域はどんどん減っている。
歩行喫煙こそ、喫煙者の醍醐味となった。

ぼくは前のブログ(Doblog)で数回、“喫煙問題”についての、自分の態度をかいた。
現在の喫煙状況に対する、喫煙者としての“反省”と、喫煙政策の“矛盾”と、ぼくとしての“提言”を書いた、ここでは繰り返さない。

ここで書きたいのは、喫煙という“嗜好”のことである。
なぜぼくは、煙草をやめないのか(やめられないのかではない)

一日何本も煙草を吸っているのだから、そのほとんどが“習慣”(中毒)にすぎないことは認める。
このブログを書いているときも、“無意識に”チェーン・スモークしていることも多い。
これは、端的に無駄である。
健康に悪いだけではなく、無用に税金を吸っているのだ。

(ここで一服;スッパ、煙がボヨヨーン)

けれども、あるとき、ある場所の1本が、“かけがえがなく”おいしいときがある。

いかにバカげていても、そうなのである。
それは、その他の人生のどんなよろこびにも、“変えがたい”。

つまり、だれがなんと言おうと(つまり“理性的・道徳的に”ぼくを説得しようと)、やめられない。

けれども病気であることが決定し、医者に煙草を止められたら、ぼくも止めるであろう。

でも、こっそり吸うであろう。

このブログも、最近展開している、“好き嫌い”テーマの一環である。



“ロマン主義”

2009-06-14 12:01:05 | 日記

ぼくは昨日(だっけ?)のブログに、“好き嫌いは重要だ”と書いた。

もちろん、そのブログをちゃんと読んでくれればあきらかなように、ぼくは、“好き嫌い”という嗜好あるいは趣味が、すべてだとは書いてない。

というより、ある個人の“好き嫌い”が、DNAで決定されているのではない。
まさに現在の、“ぼく”の“好き嫌いは”、これまでのぼくの人生の“すべて”によって形成され、現在も“変化”しつつあるのだ。

この現在における“好き嫌い”が、いかなるスパンを持ち、その“変化”が、いつの間に起こっているかは、ぼく自身にもわからない。
端的に、自分がまだ10代であるなら、“現在の”自分の嗜好は、それほど変化の歴史(個人史)を持たない。
だから、“彼ら”の好き嫌いは、絶対なのだ。
当然自分を相対化すべき年齢に達しているはずの人々が、“10代”にとどまっているような現状では(笑)、この“好き嫌い”(テイスト)も単調である。

ぼくは、天声人語が嫌いです(爆)

それが、なぜ嫌いであるかを、ぼくはすでに“何年にもわたって”書いてきた。
ぼくは、たんに、それが“感覚的に嫌い”なだけでない“理由”も書いてきたし、天声人語の“論理的矛盾”も指摘してきたと思う。

しかし、ぼくは“今日”において、天声人語が、嫌いである。
その文章と使用する語彙とその“言いまわし”が嫌いである。

文章を読んでいて、その“文体”(と呼ばれるもの)が嫌いなのは、決定的である。
それは、あるひとと話していて、そのひとの“話しかた”が嫌いなのと同様である。
その内容ではない。
しかし文章だろうと話し方だろうと、ぼくがいやだなと思ったものに、内容があったためしはない。

今日の天声人語後半を引用する;

▼ さて、日本郵政の社長人事をめぐる世論をみると、現代の「道理之介」は西川社長ではなく、大臣を辞めた鳩山さんのようだ。「世の中、正しいことが通らない時がある」「潔く去る」。鳩山氏の言葉は、義憤を込めて意気軒高だ▼英雄気取りと陰口もきかれるようだが、ロマン主義者なのだろう。自らの言動への美意識も強いとお見受けする。負けを承知で「正義」を曲げず、ついに詰め腹という「滅びの美学」は、判官びいきの国民性に訴えたかも知れない▼反対に麻生首相は、また指導力に落第点がつき、敵(かたき)役にもなった。鳩山流美学に対し、現実的に処するしかなかった。もとは盟友である。泣いて馬謖(ばしょく)を斬(き)ったのか、それとも怒り心頭か。ともあれ国民そっちのけの内紛劇である▼もう早く選挙をするにかぎる。民意の賞味期限をごまかす防腐剤は限度をこえた。政策をぶつけ合い、どの党や候補者が「尤道理之介」かを国民に決めさせてほしい。どこが勝つにしても、政治の梅雨明けは早いほうがいい。
(引用)

この引用個所の前の導入部には、“戦国時代の武士のユーモア感覚”ということが書かれている、そこから“道理之介”がでてきた。
しかしすこしでも“戦国時代の武士”を想像すれば、それは“ユーモア感覚”などでは語れるはずがない。
ぼくは“戦国時代”にタイムマシーンで行ったわけではないが、それがそうとう“残虐”な(あらゆるレベルで)時代であったことは“想像”できる。
それはまさに、武将同士の権力闘争(リアル・ポリティックス)の世界であり、戦場では“あの刀”で斬り合いしていたのだから、たくさんの血が流れ、肉は裂かれ、死ねばまだいいものの、たくさんの不具者がうまれたはずである。
“戦国”映画では(たとえば黒澤映画では)死体の山も“美的”に描けたのである。

上記天声人語引用からぼくの嫌いな単語と言い回しをピックアップする。
★ “鳩山さん”(この大臣に“さん”をつける習慣)
★ “義憤を込めて意気軒高だ”
★ “英雄気取り”
★ “陰口もきかれるようだが”
★ “ロマン主義者”(ここでの使い方の不適切)
★ “美意識も強い”(ここでの使い方の不適切)
★ “負けを承知で「正義」を曲げず”
★ “詰め腹”
★ “「滅びの美学」”
★ “判官びいきの国民性”
★ “落第点がつき”
★ “敵(かたき)役にもなった”
★ “鳩山流美学”(“美学”についての無知)
★ “もとは盟友”
★ “泣いて馬謖(ばしょく)を斬(き)った”
★ “怒り心頭”
★ “国民そっちのけの内紛劇”
★ “民意の賞味期限”(???????意味不明)
★ “防腐剤は限度をこえた”
★ “「尤道理之介」”
★ “どこが勝つにしても”
★ “政治の梅雨明けは早いほうがいい”

いやー、自分でもおどろきました。
わずかの文章に、これだけ嫌いな言葉があってはね。

この天声人語の“意味”が馬鹿げていることは、言うまでもありません。



Sunset,Sunrise

2009-06-14 06:17:11 | 日記
昨日はパーキンソン患者・家族の“地元集会”に昼から出て、写真とビデオを撮って、そのあと“有志”と飲んだ。
最初入ろうとした鰻屋が予約で一杯で、“有志”が見かけて気になっていた居酒屋にはじめて入ったら、安くてメニューが豊富で、しかも材料も新鮮だった。

そこに出かける前に、産経新聞コラム(産経抄)に出た太宰治についての文章に怒りくるって(笑)、ひとつブログを書いていた。
しかし、酔っ払って帰って読み直して、またもや、“俺はなんでこんなことを書いているのか”と思った。
ボツにしようと思った。

しかし今日、天木直人ブログを読んで、やっぱり“メディア”はどうしようもない、そのことを(どんなにバカらしくても)いい続けるほかない、と思う。

昨日書いたブログの“さわり”と天木ブログの“さわり”を引用する;

昨日書いたブログ“Sunset”;

【産経抄】6月13日
61年前の昭和23年6月13日、玉川上水に身を投げた太宰治はそれまで疎開を除く約7年間、東京の三鷹に居を構えていた。といっても借家暮らしだったが、その斜め向かいには、阿南惟幾(これちか)陸軍大将の屋敷があった。終戦時に自決した陸軍大臣である。
 ▼太宰の妻、津島美知子さんの『回想の太宰治』によれば、楚々(そそ)とした阿南夫人は「借家族の間では評判のよい方(かた)」だったという。陸相の自決のとき「下の令息はまだご幼少だった」とも書いている。両家の間に、多少とも交流があったことをうかがわせている。
 ▼偶然とはいえ、何とも意外な「隣組」という気がする。片や「一死 以て大罪を謝し奉る」という壮絶な遺書を書き、自らの死で戦争続行論を抑えた硬骨の帝国軍人である。これに対し一方は、無頼派などと呼ばれ、愛人と「情死」した「柔な文人」と見られてきたからだ。
 ▼ともに自死の道を選んだこと以外に共通点などなさそうにみえる。しかし先日、本紙オピニオン面に載った「話の肖像画」で、長部日出雄さんの太宰論を読んで、案外そうではないと思えてきた。あまり知られていない太宰の一面が語られていた。
 ▼太宰は戦後すぐ『十五年間』というエッセー風の一文を書いている。その中で「いまこそ何を措(お)いても叫ばなければならぬ事がある。天皇陛下万歳!」と述べた。長部氏はこれについて「太宰は戦後、日本人の軽薄さがもろに出たと感じた」ためと指摘していた。
 ▼長部氏によれば、もともと太宰には天皇崇拝の念が強かったという。それが戦後、インテリが急に「天皇制打倒」と合唱するのを見て、本心を述べ始めたというのだ。あの太宰もまた、隣家の軍人と同様に国家のあり方を真っ正面から考えていたのだ。
(以上引用)

太宰がダメだったのは、彼が“天皇主義者でしかなかった”からである。
太宰が戦後、“アメリカ主義者”に転向した人々(ころっと転向した人々)を嫌悪したことには、ふかく共感するが。


天木直人ブログ<避けて通れなくなった小泉・竹中郵政改革の責任追及>

★メディアは意図的に一般論にすりかえようと報道しているが、今回の問題の本質は、「西川を更迭したら麻生降ろしの政局にするぞ」と小泉一派に脅かされて、本来は郵政民営化に反対だったにもかかわらず、そして西川社長の更迭を考えていたにもかかわらず、麻生首相が腰砕けになったところにある。
★なぜ小泉一派はそこまで強気になれるか。後ろに米国の庇護があるからだ。そう言われて久しい。しかし誰もその真偽を突き止めるに至っていない。米国の日本支配の証拠がでてこない。
小泉・竹中の構造改革は米国の手先になって国を売った仕業だ、その典型が郵政民営化だ、こういう俗論は世に溢れかえっている。
しかし、それが俗論に終わっているからこそ国民の関心の広がりは無く、小泉元首相は平然として来れた。竹中元担当大臣は今でも大きな顔をしてメディアに登場し続けてきた。
★だけど、今度の日本郵政問題はこじれてしまった。その混乱を報じれば報じるほど、日本郵政の正体について書かざるをえない。言及せざるをえない。
あの読売新聞でさえ、6月13日の社説で、日本郵政の説明責任を問う鳩山大臣の主張には頷ける部分が少なくないと書き始めた。関連記事の中で、小泉元首相に連なる財界人脈が西川続投を強引に後押ししたと書き始めた。
★極めつけは6月13日の東京新聞「こちら特報部」だ。メッキがはげた「改革」 300兆円外資が狙う、という見出しの下に、識者の言葉を借りる形で、小泉元首相は「構造改革」と称して米国の要望を次ぎ次に実現していった、郵政民営化の進路は危うい、とまで書いた。
★さらにまた6月13日の日刊ゲンダイは平沼赳夫元通産大臣にインタビューして、西川社長が辞めないのは、そもそも就任の時から大きなシナリオがあったからだ、そのシナリオとは、日本の郵貯、簡保の資金の米国金融資本への開放だ、私が大臣をやっていたころから、何度も政府間協議が行われていたが、その会合に米国の民間保険会社の社長が来ていて驚いたものだ、などと話している。
★研究よりも米国との人脈づくりに励んでいたと思われる竹中平蔵氏が郵政民営化を推し進め、米国のゴールドマンサックスと強い絆がある西川氏が生田正治氏に変わって日本郵政の社長に就任した、などと語っている。
これらは日米関係に関心のある一部の識者にはおなじみの事柄だ。しかし一般国民の多くはまる気づいていないに違いない。
(以上引用)

天木直人氏は、あいかわらず上記ブログの最後で、“おもしろくなってきた”と書いているが、ぼくはぜんぜんおもしろくない。

だから、上記ふたつを並べた。

天木氏は、
《小泉・竹中の構造改革は米国の手先になって国を売った仕業だ、その典型が郵政民営化だ、こういう俗論は世に溢れかえっている。
しかし、それが俗論に終わっているからこそ国民の関心の広がりは無く、小泉元首相は平然として来れた。竹中元担当大臣は今でも大きな顔をしてメディアに登場し続けてきた》
と書いている。

しかし、この“俗論”を、垂れ流し続けてきたのは、誰か。

もちろんそれは、“メディア”自体であるだけでなく、それを“批判”できないものたちであった。
もっと言えば、そのメディアを批判するものたち自身であった。

“国民”こそ、“俗論”を歓迎したではないか。

アメリカを歓迎したものも、嫌悪したものも“おなじ穴のムジナ”ではないか。

ぼくたちは、いま、その“戦後60年”を“対象化”できる=すべき地点にいる。
“メディアとその受け手”の関係の総体の腐食が問われているのだ。
“国家と国民”の関係の総体の腐敗が問われている。

“対象化”は、その総ぐるみの状況から離脱しなければ、けっしてなしえない。

ぼくは、“謙虚”である(笑)
もっと勉強します。