久しぶりに「意識高い系」という言葉を観た。
誰が言い出したのか、だれが使ってるのかよくわからないが、以下単なる雑感。
そもそも、意識高い人は自分が意識高いと思っていないはず。
「あのひとは意識高い系」と口にしている人の話を聞くと、その「意識高い人」の行動や思考が自分に近いからそう感じる。
意識高い人を見て、「意識高いなぁ、自分もそうなろう」としている人や、「自分はあんな風になれないや」と思う人が、意識高い人を意識高い系と呼んでいると思う。
自分自身は意識高いと全く思ったことがないし、「意識高い系」という言葉がはやりだしたとき、「いったいどんな風な人を指して言ってるんだろうか」と思ったほど。
だから、すごく耳に違和感が残る言葉。
普通に勉強して、知らないことを知ろうとして、自分のライフプランを考えて、キャリアパスを考えることが「意識高い系」と感じる人は、
そういうことを意識しない、あるいは重要だと感じない、避けているのだろうか?
こんなこと普通に考えるものだし、当たり前だと思っている。
だから冒頭に述べた通り、当人は「普通」、傍からは「意識高い系」になってしまう。
そして誰かを指して「意識高い系」という言葉を口にする人は、きっとそこに冷めた感覚や、距離感、劣等感なども感じて言ってるのではないかとも思う。
当たり前のことをする人を見て、劣等感を感じるって、単なるやっかみ、ひがみだから。みっともないだけだから。
人として生まれてきて備わった脳みそを、ひがみややっかみに使うなんてもったいない話なんだけど、残念ながらひがんでいる人はずっとひがんでる。
「意識高い系」
さすがにもう使ってる人はいないと思っていたのに、つい今日、目にしてしまって。改めて思った。
まだそんな言葉使っている人いるんだ。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます