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裁判員制度反対について

2008-12-22 01:41:08 | ニュース
 裁判員制度に反対を表明した60代の人達のことがニュースになっていたが、この事についてちょっと考えてみたい。

 そもそも60代にもなる人生経験が豊かなひとたちが、何もする前から反対するというのはあまりにも行動として無責任ではないかと思うのだ。

 ひととおり経験してみて、あ、これは問題があるなぁと認識してから異論を唱えるのなら分るし、分別ある判断だと言えるかもしれないが、何もせず、ある人は通知の封筒を開封すらせずに返送してしまったというからあきれて物が言えない。

 60代の大人の取るべき行動だったのか?


 ところで、裁判員制度に反対する人達は、裁判員制度の負の部分に注目するが、それも偏ったものの見方ではないかと思う。

 以前このブログで紹介した映画「それでもボクはやってない」では、痴漢加害者として起訴されたある人の裁判でのやりとりが物語として再現されている。その中でも言われているとおり日本では検察が起訴した犯罪の90%以上(一説によれば99%以上)が有罪となるのだそうだ。

 「裁判で事実を明らかにしよう」とか「法廷で戦おう」というのは裁判というものの実態を知らないから言える、あるいは受け入れてしまうことなのだ。

 裁判とは検察が裁判長に対して、起訴した被疑者について、こんな証拠と動機があり、巧妙かつ悪辣なので、これこれこういう罪状で、こういう刑にすべきだと訴える場なのだ。

 けっして、被疑者が無罪の可能性があり、それを明らかにするというものではない。

 建前上はそうなっていたとしても、「それでもボクは~」を見る限りにおいてはそういうやりとりではない。


 裁判というものに対するこういう認識の違いは本当に恐ろしい。


 検察は起訴した被疑者を有罪にするために情報を隠すしもちろん捜査権だって持っているが、弁護士には捜査権すらない。弁護士は限られた範囲のなかで法律をつかって被疑者を守るしかないのだ。


 
 これは事実。だからこそ、一般的感覚に立ってものを見て判断する裁判員制度が必要なのだ。


 
 起訴した被疑者を有罪にするために活動する検察。そして被疑者が嘘をいってる前提でものを見る裁判官判事。限られた範囲内でしか活動できない弁護士という圧倒的な被疑者不利の状態で裁判が行われていることを知るべきだし、裁判員制度というのはそういう状況に一石を投じるものだと信じている。


 
 裁判員制度に反対している人達はこれらのことを分った上で反対すべきだし、また自分が仮に事実に反して起訴され、司法の場で活動に限りがある弁護士に自分をまもってもらうしか無い状況を想像すべきだ。裁判員制度は被疑者に対して刑を宣告することもやるが、無罪宣告もするのである。

 片一方しか見ない議論を続けても不毛だ。まずはやってみるべし。60代の反対派の方々、また11万人もの裁判員拒否された方々、もう一度考えてみるべきではないか?

 
 そしてその第一歩として、まず自らの目で裁判の実際を確かめる事から始めてみるべきだろう。そして裁判員制度の主旨を再確認しもう一度考え直すべきではないか。それからどうするかを判断してもいいではないか。

 





 





 

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