18年にもなりますか

感じた事、出来事、いろんなこと書き綴ってます。

震災10年

2005-07-18 17:43:00 | 
 先日、車検の件で行きつけのディーラーへ出かけた。そこでの担当営業さんとの会話。

そのディーラーとは10年ぐらいの付合い。そういえばその時はまだ担当の営業さんはいなかったはず。というところと、そろそろ進路を考えないとね、なんていう話題から、その営業さんの進路の話になった。

 実はその営業さん、調理師の学校で調理師の免許も取得していて、神戸市内のレストランに就職も決まっていたとのこと。ところが1月17日の震災ですべてが変わってしまった。レストランはメリケン波止場にあったが全壊。別のレストランに勤務地が変わったがそこへの交通手段が無い。見習いだから朝6時には出勤しなければならないが、陸路を車で行くことはできないし、当然電車もアウト。もらえる給料は見習い程度で、レストランの近くにアパートを借りると、毎月マイナスに。就職してるのに仕送りしてもらうというわけにも行かず。結局そこを辞めて、今の職場に変わったとのこと。自動車の業界も厳しいけども、結局その選択は間違ってないのかも、と今のその営業さんの姿を見ていると思える。

 一番最初の付合いの時は、いろいろあったが、売ってそれで終わりの営業さんが多い中、適当に距離感があって、でも誠実な対応なので安心して車を買えるし、メンテナンスもいろいろ融通してもらっている。

 震災10年。その時に人生が変わった人がここにも居た。


 

石原慎太郎と田中康夫

2005-07-10 18:05:47 | 社会・経済
 今朝(7月10日)のフジテレビの報道2001は結構おもしろかった。東京都議会議員選挙が終わったばかりということもあってか、石原慎太郎東京都知事と、これまた話題の長野県の田中康夫知事。両名ともに、財政再建を旗印にマスコミも話題に事欠かない。この番組中での話題で気になったことを1つ2つ。

 1つめ。番組中のキャスターと両知事との会話で分かったことだが、実は国の借金は700兆円ではなく、もう1000兆円に達しているとのこと。1時間あたり、38億円ずつ増えているのだそうだ。それを背景に考えると、郵政民営化に関する一連の論議は、本当に議論のすりかえで、最終的には議席獲得の道具にまで成り下がっているとまで言っていた。

 2つめ、マスコミも郵政民営化法案の内容論議のなかで”過疎地の郵便集配”の問題などを取り上げるが、それも問題だと。国としてどう有るべきかについての評価ではなくて、重箱の隅をつつくような事で視聴者の関心を得る、つまり視聴率を上げようとしているのは、問題だとまで言っている。マスコミはもっと物事の本質を取り上げるべきだと。
ある時点からは、郵政民営化法案は郵政民営化のテーマから、議員同士の派閥、あるいは民主党と自民党の間の争いという図式で、この問題を取り上げて報道していたことを指摘していた。

 テレビ朝日の報道ステーションにしても、TBS系のサンデーモーニングやブロードキャスターにしても、”政治家や小泉首相”を悪者にしたてて伝えることしかしていない。だれかを悪者にするというのは、つまり報道する側が”評論家、批評家”でしかなく、本当の意味でのジャーナリズムの則っていないということを表わしている。誰かと誰かの一騎打ちを仕立てて、ショーにして、関心を集めて放送し、視聴率をえているだけである。

 田原総一郎、櫻井よしこに田中康夫、石原慎太郎をはじめとする地方でがんばっている知事をメインに、「1000兆円の借金返済待ったなし24時間スペシャル」をやればいい。もう、「道路も、空港も、ダムも、教育も大事、年金も、福祉も大事、経済も大事、だから税金を上げます、全部国が責任をもってやります」なんていうきれい事は要らない。国は何をやるのか、国にしか出来ないことは何なのか、地方は何をするのか、地方だから出来ることは何か、その為にどんな”過去のしがらみ”=”利権”が存在して、どんな”障害”になっているのか、その障害をどのように”消す”のか。をすべて、「1000兆円の借金返済と、豊かな老後の実現」という観点で議論してもらいたい。”朝まで生テレビ”のようなショーではダメ。きちんと結論を出す。リアルタイムで視聴者が政治家の意見に反対、賛成を投じる。政治家は本当の意味で、マスコミや国民の真の関心を知るし、国民も自らの投票に政治家がどんな反応を示すのかに関心を持つことになり、ショー的な要素を排しても、結構楽しめるだろう。

田中康夫が番組中にチームニッポンを紹介していたので、そこのURLを貼り付けておきます。ご参考まで。http://www.team-nippon.com/

郵政民営化関連法案可決

2005-07-05 22:47:17 | 社会・経済
 郵政民営化法案が衆院本会議で可決されたが、反対票と賛成票の差がたったの5票。日本の国会議員っていったいどこまで真剣に「国民のこと」を考えているのといいたい。

 現在の日本が抱えている借金が700兆円!というのは有名な話だが、これっていったいだれが作ったのだろうか?
 
 もちろん直接的には国が作った借金。でも間接的には実は国民そのものが作っていることを忘れてはならない。「お上」文化がDNAレベルで刷り込まれている日本人は、困ったときは「お上」だのみの意識がどうしても抜けない。「国がちゃんとしてくれないと・・・」といい続けている限りは、この構造は変えらないし変わらない。結果として最も国にきちんとやってほしい、もっとも重要な「年金」問題が一番危うい状態になってしまっているのだ。

 確かに、道路の整備、鉄道の整備、空港など経済に必要な社会資本を整備するのは国の役目だが、それが一通り済んでしまったら自分たちの存在意義がなくなるかもしれないと感じた連中が次から次へといろんな理由をつけて整備の必要性を訴える。しかもそこに国民の「お上頼み」が加わると、鬼に金棒状態だ。

 立派な空港を税金で建設してその赤字で発生する金利負担まで税金で賄わなければいけなくなる事と、その税金を徴収する代わりに年金にまわして年金がもらえるように工夫することとどっちが関心がありますか?
 国策だからという理由で高速道路を充実させることで、あなたの老後の年金が半減するとしたら、それでも道路を充実させたいと思いますか?
 目的を失った干拓事業、意味の無いダム事業にお金が注ぎ込まれ、あなたの老後の資金がそこへ消えてゆくとしたらそれでも、干拓事業やダム建設に賛成しますか? 
 郵政業務が民営化されることによる諸問題を解決することと、年金問題を解決することではどっちを優先してほしいですか?

 税金を有効に使ってほしいとは全ての人が口にするが、安心できる国、住みやすい国にしてほしいというメッセージではなく。私たちももっと具体的なメッセージを政治家に送るべきだ。

 素直に考えれば、自分たちがしっかり働けなくなったりしたとき、あるいは働き口がなくなる年齢になったときにこそ、「お上」しか頼りようがないのではないか?そんなときに安心できる国に住みたいと思うのではないか?その為には国の運営そのものに関するあらゆるお金は少ない方がいいのだ。これが「民間にできることは民間に」の原点なのだ。郵便局員が1軒1軒の家を回って過疎の村の様子のコミュニケーションに役立っているのはありがたい話だが、それだけでは何の説得材料にはならないし議論をすりかえている。

 郵政民営化関連法案そのものには問題が無いとは言い切れないだろう。しかし、そういう局地的な戦いの前にそもそも、なんの為の民営化なのだということを再度確認すべきだ。いま何しろ考えなきゃならないのは、国民がずっと安心して暮らせる国になることだ。借金まみれで、年金ももらえるかどうか分からない国は、安心して暮らせる国か?700兆円の借金返済計画を全ての国会議員に出させて、もっとも実現可能性の高い案を出し、実行できる人、あるいは政党を支援するぐらいで臨むべきだ。

 政府機関や特殊法人、自治体のような税金などが入る団体などを徹底的に精査して、税金を使う機能をそぎ落として、政府機関、特殊法人、自治体を徹底的に筋肉質にするべきだ。

 高速道路公団関係者とファミリー企業が甘い汁を吸いまくっている現状。年金運用で好き放題お金をリゾートに注ぎ込んだ連中。天下りの勤務先の退職時に受け取る法外な退職金。他人のお金を好き放題つかって、民間企業では考えられない給与や退職金を手にしている連中を減らすもっとも確実な手段は、国や自治体、政府がやっている事業をとことん民間に移すかなくす事だ。

 総選挙の際には、「700兆円の借金をどんな風にして返すのか?」を選択基準にするのはどうだろうか?それをマスコミももっともっと取り上げて、経済評論家やエコノミスト、シンクタンクが比較批評して盛り上げると、あほな政治家やビジョンの無い政治家は瞬く間に「ボロ」が出るはず。そしてその基本線にのっとった国会議論ができることが期待できるはずである。

 重箱の隅をつつくような、国会答弁は要らない。


 

いじめの心理

2005-07-03 02:09:42 | 
 これまでにこのブログで「いじめ」について何度か書いたが、今回は、そのきっかけ、というか心理的背景を考えてみたい。

 いじめの社会問題化が顕著だったころに比べると、新聞の社会面をにぎわすことも少なくなってきたが、だからといっていじめが減ってきたのかとは簡単には喜べない。なぜならば、大概の「いじめのきっかけ」は実は、みんなの普段の感情が背景にあるからだ。

 人は何故他の人をいじめるのだろうか?アカデミックなアプローチは専門家にまかせるとして、素人なりに考えたのが次の三つだ。

1.自分の弱さや欠点、嫌な部分を相手に見付けた時。
2.自分が相手のレベルか地位に降りて来なければならなくなった時
   でその降りてきた理由は自分の能力とは別と信じている時。
3.自分よりも勝る点を相手に見付けたか、気がついたが、それを認めたく無いとき。
  認めると自分の地位が脅かされかねない時。


細かい説明は省くが、例えば、「あいつ、弱そうだからいじめよう」なんていう心理は、自分も自分よりも力のある存在に対しては、卑屈になるか、逆らえないでビクビクしてしまうことを、心の底で感じていて、それをたまたま別の人の態度を”目にした”ことをきっかけに、自分の持っている弱さを自分に見せつけられたようになり、”排除したい”心理が働く場合に起こるものだ。言っている本人は殆どそれに気づいていない筈だが、大概はそういう気持ちが働いているに違いない。

「あの子、ちょっと生意気じゃん」「なにさ、ちょっと成績がいいからってさ!」なんていうのは、そのまま自分よりも力のある存在があらわれて、自分の存在が危ういと感じた場合に起こるものだ。組織の中で起こる心理のねじれだ。この感情を上手くコントロールできれば、「ライバル」として自分に対してのバネにできるのだが。心の成熟が足りないと、心の中ではそういう風に処理できない。

 親の子に対する虐待の殆どは1つめだ。ただし、もう一つの背景は、親自身が未成熟で辛抱強さが不足しているか、なんでも自分の思うままになるものだという甘ったれた感情だ。子供同士のいじめや、会社や組織の中でのいじめは1~3のうちのどれかに該当するのではないかと思う。

 だから、学校や会社でいじめに遭っても卑屈にはならないことが第一だ。なにしろいじめられた側は、いじめた側にある意味で”おそれられている”か、あるいは自分の持っている弱さと同じ弱さを持っているのに間違いないのだから。

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