18年にもなりますか

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i,ROBOT

2005-07-20 22:05:38 | 映画
i,ROBOTという映画を見た。ウィル・スミス主演のCG満載の近未来映画である。結構ヒットした方だから観た人も多いと思うが、最近DVDで観たのでその感想を記そうと思う。

映画は2035年のシカゴが舞台。大量生産された新型ロボットが人間に対して反乱を起こすのだが、最初それはロボット自体の欠陥だと考えられていた。しかし実際は、都市機能の管理をする巨大な”陽子コンピュータ”を頭脳に持つAIコンピュータ”VIKI”がロボットたちの反乱の大ボスなのだ。

”人間が心地よく暮らせる環境を作り、維持する”使命を持つVIKIにとって、”人間の存在がそれを妨害する”ことになってしまうというVIKIの出した答えは、最後の審判や人類滅亡に対する絶対神の存在を示唆している以外に考えられない。ストーリーの背後に”キリスト教でのイエス・キリストの存在”や、”旧約聖書の7つのラッパやノアの洪水”などをイメージしてしまい、単なるCG満載のSF娯楽映画という風には観られなかった。

また、そのストーリーのなかで、VIKIによるロボットの反乱を防ぐ役割を担うため、唯一特別に機能を付け加えられた、サニーという名前のついたロボットが登場する。映画のクライマックスシーンではサニーとウィル・スミス演じるスプーナー刑事の活躍により、ロボットによる反乱が無事に抑えられ、VIKIの停止に成功する。しかし、VIKIの停止に成功することで、サニー自身が”役割”を終えてしまう。役割を終えたサニーが自分の存在目的を見失う一方で、それはある種の”自由”を獲得したことに気づくところで映画は終わる。

役割とその役割からの開放、つまり束縛と束縛からの自由。それをサニーというロボットを通じて映画の最後に問いかけたように思えた。

”人間の繁栄、人間の豊かで安全な生活”を脅かす人間の存在。束縛を避け自由であることを望むのだが、”束縛があってこその自由”であることを忘れてしまっている人間の存在。すべてを選択しているのは人間自身であると言う事が、映画から受け止めたメッセージだ。

観られていない方は一度観られることをお進めする。

コメント
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