18年にもなりますか

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ラジオで聴いたいじめの話題

2007-07-10 23:15:33 | 
 東京では敢えてテレビを置かない生活をしているので、必然的にBGMには、音楽かラジオが登場する。

 そのラジオも普段の習慣になっていて、仕事から帰ってからは中学高校生向けの番組、School of Lock.をよく聴く。

 この番組は結構人気があるらしく、過去にYahoo!ニュースで「バトルモバイヤル」というゲームコーナーなども話題になっている。このバトルモバイヤルとは、番組内で出題される“問題”と“答え”を携帯メールで番組あてに送信するというもの。携帯でのメール打ち込みの速さと、正解を出す知識が求められるゲーム。このコーナーでは“予習範囲”と称して、翌日の出題のヒントを出すのだが、たとえば、予習範囲には、鎌倉幕府というものがあったり、昨日の場合だと、マンモスというものだった。

 中学高校生向けのラジオなので、もちろんいじめの話題も出てくる。


 今日は、リスナーからのこのいじめの問題についてのメールが読まれた。結構良い内容だったのでここで簡単に紹介したい。

 

 「いじめッコの取り巻きにいる奴らは、自分がいじめられるのが恐くて、いじめる側に回っている。そういう奴らは、自分はいじめの中心人物ではない、いじめの首謀者ではないと思っているが、そういうお前らこそがいじめの首謀者なんだ。いじめるといじめられる奴しか居ないなら、1対1の話で済むのに。」

 自分にいじめの矛先が向くのがこわいから、という話は良く聴く。あくまでもいじめの中心人物が首謀者だという認識だったが、いじめる奴の取り巻きになっている、そういう奴らこそが、今の“いじめ”問題を生み出しているという意味での首謀者なのだという指摘に、衝撃を受けた。

 

 確かにその通りなのだ。取り巻いている“弱いやつ”が結局いじめを拡げているのだ。いじめのきっかけなんていうのは、ほんの些細なことが多い。“会話があわないから話しない”というのがいつのまにか“いじめ”に繋がっている。“会話しない”人だけしか存在しないなら、“いじめ”には繋がらない。“会話しない”人の回りに、会話されなくなるのが恐いから、“会話しない”ことに同調することで、“こびへつらった”形で、取り巻く。“会話しない”と決めた奴以上にあけすけに“会話しない”を周囲にも煽る。




 弱い者が抵抗しない者をいじめる図式だ。


 
 もちろんこういう図式だけではない。“無視しよう!”とこの中心人物が周囲を誘って仲間を増やす場合もある。その場合この中心人物自身が“弱い者”だ。仲間がいないと不安。心細い。あるいは、“無視しよう!”と言ったは良いが、どこか罪の意識があってそれをごまかすために、“一緒に悪いことをしている人を増やす”のかも知れない。




 でも、いじめをなくすのは、1人1人が、いじめをやめることしかない。はじめるきっかけは簡単だけど、やめるのは大変。でも、やめなきゃ、いつまでも弱い者でしかない。

 朝、ひと言「おはよう」というだけがこんなに勇気がいるものなのか、と自覚した人は、その時に自分の弱さを認識して欲しい。このひと言さえ言えない弱い人間なのだと。そして、その弱い人間から、ほんのちょっと強くなる為のひと言が、この「おはよう」なのだと。