18年にもなりますか

感じた事、出来事、いろんなこと書き綴ってます。

スローな時間

2006-03-09 02:07:08 | 
 くりかえし起る事件。大人が子供力づくで傷つける。いったいどこで人は心の余裕を失ってしまったのだろうか?痛ましい事件が起る度に、怒りと哀しみの気持ちでやりきれなくなる。

 世の中のあまりのスピードにどこかでみんな”空虚”なものを感じているのではないか。ある人はそれを感じていて隠している。ある人はそれを感じていないけど、何かでそれを埋めようとして飲んで騒いだり、その場をやり過ごそうとしている。刹那的な横顔がむなしい。

 まさに空虚。うつろでむなしい。地に足がついていない。

現金を使わない。クレジットカードや電子マネー。
手で文字を書かない。すべてキーボードか携帯メール。
写真を撮ってから現像してどんな写真ができているのかという期待感でワクワクする時間もなく、すぐに手に入るデジカメ。
戦闘ゲームはテレビの画像の中。
何人の大人が泥まみれになって遊んだり、何人の大人が額に汗して何かに熱中したりしているのだろうか?

五感をつかって感じることができるものをどんどんとデジタル化してしまう無神経さ。 青空を見上げたり、風の冷たさを素肌で感じたり、痛いくらい冷たい水に手をつけてみたり、昇る太陽や沈む夕日、ぽっかり浮かんだ満月を見るような感覚はどこへ行ったのだろう?

他人の気持ちを思いやる余裕のなさ。他人の為にじっと待つ。他人のために我慢するといった最低限の忍耐力さえ消え失せている。なんでも、自分の思ったとおりになると思っている、あるいは自分の思った通りにならないと耐えられない幼稚さ。

遠回り、長時間、我慢してもいい!って心から言える気持ちのゆとりはどこへ行ったのだろう?
 
本当の意味で、心の底から”ゆっくり”過ごす時間を持つ心の豊かさはどこへ行ったのだろう?

ゆっくりと時間をかけて作る料理。
一目ずつ編むセーター。
一文字ずつ綴る手紙。
子供のスピードに合わせて歩く散歩。

もっともっとスローなテンポで、時間の経過を感じる時があってもいいのではないだろうか?

そしてもっと心に余裕を持って過ごせないものだろうか?
どこかで”何かに追いかけられて、走らされている”生き方を見直す必要はないだろうか?

痛ましい事件の度に感じる、壊れてゆく大人の心の豊かさ。
次代を担う子供達の為にも、スローな時間を過ごして大人は今こそもう一度心の豊かさを取り戻すべきではないだろうか?


 
コメント
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