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憲法改正すべきだとおもう理由

2021-04-14 18:47:00 | 社会・経済
わざわざ、いまさら言うほどのことはないが、憲法九条を改正して、自国を自国で守れる国にすべきだと思う。


普通に考えてみれば、「紛争解決の手段として武力による威嚇も行使も永久に放棄する」なんて条文は、日本国民の生命財産をどうやって守る?ってことを実際論として考えてないから掲げられるんじゃないだろうか。



紛争相手が、武力を使わないとでもいうのだろうか?




もし、そう考えている人がいるなら、「アホですか?」と素直におたずねしたい。





現に、砲台を載せた、武力行使できる中国海警局の艦船が日本の領海侵入を繰り返している。




「海警局は、警察みたいなものだ、軍隊ではない!」とおめでたい事を言ってる人がいるならば、中国という国の「法」と日本の「法」の意味合いの違いをしっかり勉強した方がいい。






苦しい戦争体験をした人たちは、「戦争は嫌だ、駄目だ、同じ過ちを繰り返してはいけない」と叫ぶ。


それは否定しない。



戦争などない方がいいに決まっている。戦争はしちゃいけない。戦争は人の命を奪う。多くの不幸を生むのは間違いないのだ。



だから戦争はしちゃいけない。大賛成だ。



じゃあ、訊くけど、戦争をしかけられて、もっと現実的に言えば武力で日本の領土をぶんどられたとして、武力による紛争解決をしないとしたら、それで不幸を生んでないですか?


武力で、尖閣だけじゃなく、対馬や沖縄に上陸して、武力で住民らを威嚇し刃向かう者に対して武力で制圧する状況が起きたとして、まるごしで対応するしかない日本政府は、不幸を生んでませんか?


日本は日米安保条約によって米国に守られることになっている。でも米国が思いのほか中国に配慮して、武力制圧が遅々として進まないとしたら、日本国民はどう思うだろうか?


日米安保条約では、尖閣諸島も安保の対象としているが、具体的に米国はどんな風にして日本の領土を守るのかなど条約上で詳細が決まっているはずもない。


戦争は駄目だ!沖縄を犠牲にした日本政府を許さない!憲法九条をまもれ!とか言ってる人たちが、本当は一番、武力を必要としてたりしないだろうか?


日本共産党なんて、もし他国が日本国土に爆弾を落としたら、日米安保が脆弱だ!とかまた政府に文句をいうだろうが、議論はそこじゃない。





日本人って、結局どうしたいのか?






例えば、千と千尋の神隠しを上回る大ヒットになった鬼滅の刃。





思いっきり「武力」肯定してるよね。笑っちゃうぐらい相手を斬り殺してるよね。





千と千尋とはまったく違う、血みどろの戦いだ。なのに誰も文句を言わない。

朝日新聞とか日本共産党とかメディアとして、党として意見の一つでも言ったか?

エヴァンゲリオンでもそうだろう。明らかに未成年を戦闘マシンに搭乗させて戦わせる。

宇宙戦艦ヤマトなんて、そもそも「戦艦」だし。



もちろん、アニメだ。表現の自由だ。だから許されていい。



でもね、武力に対して武力で応じるって、人間としての本音なんじゃないだろうか。



むかしから、だれも別に武力否定してないよね。相手が武力で来てるんだから、自分たちを守る為の武力ってだれも否定してない。いや、むしろ礼賛してるふしすらある。









もっと、本音でいいじゃん。







「戦争は否定する、戦争はしかけない、戦争は反対だと叫び続ける事。平和主義だという事」と




武力で自国民を守る、自国民の生命財産、国土を守ることは、両立していいんだと。



どっかで、すっごく「きれい事」を全うしたい「純粋主義」的な発想があると、自らの行動に一点の「やましいこと」があってはならないと聖人君子を目指し、このような「矛盾」に見えることを受け入れられない人がおおいみたいだが、



現実論でいえば、




どれだけ崇高な理想を掲げていたとしても、自国民を守れない憲法を金科玉条のごとく守りこだわり、武力行使すらしないような政府って、単に『無能』なだけよ。





平和主義である事と、武力による防衛は両立する。






という事は、憲法学者のような憲法バカに訊くまでも無く分かるはず(いや、むしろ憲法学者は邪魔ですらある)。











中国はでかくなった。中国をもっと言い方変えれば経済発展した北朝鮮と言ってもいい。

北朝鮮も朝鮮民主主義人民共和国などといいながら一党独裁。

中国も、中華人民共和国といいながら、やはり一党独裁。





その中国が経済力を持ったのだ。






想像してみよう。あの北朝鮮が中国並みの経済力を持って、軍隊を持ったら?

日本はいまのままのんきに構えていていいのか?

どんな守り方をしてくれるかを含めて、すべて米国に依存しまくってていいのか?






日本は、もっと真剣に憲法九条改正を考えるべきだ。





時代は変わったのだ。






議論を、こわがるな与党。


日本を守れる議論をしろ、野党。


























クルマの未来

2019-11-06 13:07:00 | 社会・経済
どうしても書きたくなったので書く。


自分が小学生、5年生ぐらいのころ。家にはラジカセがあった。
当時は、主に歌謡曲ばかりを聴いていた。
でっかいラジカセで満足は満足だったが、これが極小化してもちだせたらなぁと夢みたいなことを考えていた。

当然知識などないけど、機械や電気は好きだったし、絵を描いたり何かを作ったりは父の影響もあって好きだった。

だから、動力源は無視して、最小限の「ヘッド部」と「駆動部」だけのプレーヤーを紙に書いてたことがある。
外装ケースすらなく、カセットテープを挟み込むような形のものだ。


その後、ソニーがウォークマンを発売。その夢見てた頃の6年~7年後だ。



また、こんなことも考えていた。一枚の板に音楽がたくさん入れられて、差し込むプレーヤーの性能が音質を左右する。
メモリースティックとシリコンオーディオのようなものといえばわかるだろうか?

音楽の「楽譜情報」がデータ化されていて記録されている板の情報を読み取って再生機がきれいな音楽を再生してくれる。
まさにデジタルオーディオの世界。


そんな夢を見ていた時、どうやって?は全く考えていない。当然だ。小学生だもん、知るわけない。いや知っていたらそんな発想はできない。



簡単な疑問だ。「電源どうするの?」


自由な発想、ブレイクスルーはこのように子どものころのような何の制約もつけない、ただこんなのがあったらいいなぁから始まると思っている。

だから、話が行き詰まったとき、あるいは八方塞がりに思えたとき、何を捨てるべきかを考えれば、案外解決できたりする。





ここで自動車業界の話をする。

近年、自動車業界ではCASEという言葉が注目されている。


CはConnectのC

Aは、AutonomousのA

Sは、ShareのS

Eは、ElectricのE


次世代の自動車を考えるとき、このキーワードはどうやら欠かせないというわけだ。


日本では、モータリゼーションの時代があった。一家に一台。デートにはクルマでという時代。
好きなクルマをかって、ドライブにでかける。そんなシーンが一つの憧れだった。

しかし、いま、若者を中心にクルマ離れが激しい。
当然だ。お金がかかりすぎる。


都内の駐車場代、1ヶ月4万円なんてざら。年間50万円、ただクルマを止めるだけのために払えるのは、
そこそこいい給料をもらえるようになってから。いや、そこそこいい給料をもらっても、家族や子どものことを考えれば、控えたい出費だ。

さて、そんな、クルマが売れない中でも、やはり人は移動する。公共交通機関以外の移動手段が必要だ。これをモビリティと名付ける。

近所数百メートル先の店に買い物に行く、有名な観光地を訪れるなど、人はなんだかんだと移動する。

だから、クルマのようなもの、モビリティはかかせない。
しかし、日本では高齢化が進み、高齢者による事故が増えている。
世界的に、環境保護の立場からCO2削減が厳しく言われている。

よってこれまでのようなクルマは売れなく(売ることができなく)なる。


そこで自動車メーカーはHVやPHV、EVの開発へとシフトしてきている。
衝突軽減ブレーキなど、不安定な運転による事故を防ぐ「自動運転」や「運転支援」機能がつけられている。


しかし、これはこれまでのクルマの延長線上でしかない。極端に言えば一時しのぎだ。







キーワードにCASEと歌いながら、次世代モビリティではない。

AとEには具体性があるが、CASEが一体になったものではない。



豊田章男社長もおそらくそう感じているのだろう。トヨタほどの研究開発費(年間一兆円)もあれば、いくらでも次世代のクルマはだせるはずなのに、「違う」と直感が言ってるんだろう。その焦燥感が、マスコミでの発言のたびに強まっているのがわかる。




直接会えるなら、冒頭の小学生時代話でもしたいものだ。

そう考えていて、ふと頭に浮かんだことをここに書く。これがこのブログエントリーに書いた、書きたいことだ。










自動車メーカーにとって、EVのバッテリーまで含めて開発するのは、ガソリンを入れたクルマを作ろうとしているのに等しい。

それ、多分違う。

おもちゃのクルマ。モーターで動くクルマは乾電池がなくなれば電池をいれかえて走る。くるまはそう作るべき。電池の規格をさっさと決めて、ガソリンスタンドに行けば、小型フォークリフトみたいなもので、バッテリーユニットだけ入れ替えるようにすればいいはず。



こんな感じで。


これ、小学生の発想だけど、考えるべきブレークスルーの一つ。 電池はなくなれば入れ替えればいい。






また、CASEといいながら、コネクトも、シェアもしてないのはどうか?


簡単ですよ。



まず、自動車メーカーは、コネクトする先となるネットワークサービスインフラを作る。このサービスインフラは当然自動運転を制御するもの。いわば、透明で見えない線路のようなもの。そして、自動車側には、これに呼応する共通ユニットがある。どんな形状のクルマでもこのユニットを乗っければ、自動運転に必要な情報と制御が行える。
また自動車メーカーはこれらのユニットと連動できる、いわゆるプラットフォームを用意する。ここでいうプラットフォームとは、シャシー、操舵、車輪、モーターをいう。


プラモデルでいえば、座席とかボディ(側)がない状態。モーターが乗っかってて、操舵部があって、タイヤがついてる。
こんな風に。


(C)田宮模型


自動車メーカーはそれをOEM供給する。

もちろん自社でつくってもいい。


ガソリンスタンドがなくなり、バッテリースタンドができあがり、電気が減ってきたクルマは、バッテリーを積み替える。
ネットワークインフラとユニットは一人乗りモビリティにも適用される。


たとえば、足腰が弱くなっている老人でも、フル自動運転で目的地まで安全にゆける。具合がわるくなったらかかりつけの病院に行き先変更してくれる。




幹線部の交通は、ネットワークインフラによってフル制御されて、事故も渋滞もなくなる。予定時刻通りに目的地にたどり着くことができる。

非幹線部の交通は、自動運転でカバーする。




小学生が考えそうなゆめのような世界だけど、案外そんな未来がまっているかもしれません。



人間が想像できるものは実現できるから。









































トヨタ自動車の豊田章男社長がしきりに社内外に危機感を発信しているのは、いずれいまの自動車メーカーのあり方によるビジネスモデルは通用しなくなると考えているから。








自衛隊

2019-08-18 23:49:00 | 社会・経済
前回のブログエントリーで、国際問題解決のために武力は用いませんと書いた。

一方で、ホルムズ海峡を通るタンカーを守るべきという動きの中で、自衛隊を派遣することに異論を唱える声が多い(とマスコミがいってる)ニュースがある。


まず、「国際問題を解決する為に武力は用いません」は、言うまでもなく趣旨を説明したもので、、憲法原文では以下の通りである。


第9条
日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。



まず、戦争、武力による威嚇、武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

ここまでなら、国際紛争を解決する為には、武力による行使も威嚇もしないし、戦争もしないとわかる。
憲法学者らは、これをどう解釈するか様々な議論を戦わせているのでお任せして、庶民の考え方といsては、「紛争」は国語辞典的には「もめ事」なので、戦になってなくてももめ事レベルも対象と理解していい。
だからもめ事を解決する為に、武力は使わないし、戦争もしないと言い換えられる。

続く条文には、陸海空軍その他の戦力は保持しないし、交戦権も認めないとまで書いている。




これまずい。このままだと自衛隊は憲法に違反している。




憲法に違反していても罰条がないから、そのままなのだろうけども、アウトなパターンですね。

話はそれるが、だから安倍政権では9条を改正して、自衛隊について条文を追加したいと言ってる。
そりゃ、政府ならそうしたいでしょう。


    こんなことを書いていて一つ気づいたことがある。
    よくニュースで弁護士団体らが一票の格差が憲法違反だと裁判をやっているが、
    自衛隊は憲法違反だと、弁護士らがなぜ運動を起こさないんだろう。
    どっかの政党に雇われた弁護士じゃダメ。政治的となるから。
    弁護士会も立ち上がるべきでしょ?
    なぜやらないのだろう・・・疑問。


話を戻すと、憲法9条では。

もめ事は武力、戦争を用いて解決するような行為は永久に放棄と言っている。

たとえ殴られても、たとえ火をつけられても、たとえ親戚や知り合い、家族が蹂躙されてもである。

加えて、自衛隊は違憲。交戦権も放棄なので、領海侵犯しても、不正上陸しても、不正に特定の島を「自国」と叫んで当該国の国旗をはったりしたとしても、政府間の話し合いでしか解決を求めないとも言っている。



めちゃくちゃでしょ?

こんなのでどうやって国民や国を守る事ができるのか? 
ずっと米国の核の傘の下で、何かあったら米国に守ってもらうしか方法はない。



それでいいんでしょうかね。



日本が、せめて日本国民の平和と安全を「守る」為だったら、武力による威嚇ぐらいはいいんじゃないのか?

陸海空自衛隊は認めるのはいいんじゃないか。

交戦権は認めてもいいんじゃないか。



そうしないと、国民の生命・財産は守れないでしょ。




もし9条改正に反対している人がいたら、否応なしにとあるX国が日本に何の予告もなく上陸し、「今日からここは我が国の領土だ」と言い出したらどうしますかねと問いたい。しかもその土地には、あなたの家族が済んでいるとしたら?




竹島もあんな状況で上陸をゆるしてしまわざるを得ない例をみれば、憲法9条のおかげで日本という国が何も出来ないってわかるでしょ。




本当にいいんでしょうかね。




ホルムズ海峡のタンカーを守るのは「揉め事解決」とは思わないが、これも問題視する人も居る。



じゃあ、何もしないのか? それでいいのか。反対する人たちは「9条があるから仕方がない」と言う。


それ、結構無責任だし、他責、じぶんのせいじゃないんだもん感がいっぱいなんですけどね。
そんな、いつまでも子どもじゃないんだから、さっさと大人な国になりましょうよ。





あ、あともう一つ。


9条は平和憲法と言うレッテルを貼るのは自由だけど、消極的平和の条文ですよね。

積極的に平和を作ろうなんていう憲法じゃないのだから、平和憲法というのはちょっとな、レッテルだな。


個人的には、憲法から9条がきえてほしいと思っている。
















靖国神社

2019-08-18 08:40:00 | 社会・経済
いろいろといわゆる著名人らが、靖国神社参拝や靖国神社に祀られている第二次世界大戦の日本のA級戦犯について議論を交わしているが。

そもそも、この問題は海外からとやかく言われる問題ではないと考えるか、海外へ「配慮」すべきものなのかというところから議論が真っ二つになっている。

個人的には、海外諸国からとやかく言われる問題ではないと考えている。



なぜか? そもそも靖国神社という一つの神社の話であり、またそこに「東京裁判」という異例な国際裁判でA級戦犯だと「戦勝国」が勝手に決めた結果に左右された御霊が祀られている事に、なぜ海外、特に中国や韓国から言われなきゃいけないのか理屈がとおってないから。



日本は、二度と戦争はしません、国際問題の解決手段として武力は用いませんと、憲法に定めている。


これだけでも、国際的には異例中の異例な話。本来ならこれで日本という国がどれだけ戦争について反省しているかわかりそうなものである。



であるのに、内閣があるいは国会議員が靖国神社に参拝することについても文句をいう。

さらにやれ南京、竹島、日本海、やれ慰安婦、やれ尖閣と経済力を得た隣国は次々に文句を言い出した。




長い目で見ていれば、隣国たちは、結局「経済力」を傘にきて国際発言力を得たとし、歴史の検証を経ずあるいは無視して日本を辱め憂さ晴らしをしている様にしか見えない。



つまり、相手にするようなものではないというのが本質なのだと思う。



戦争を、軍力を笠に着ていた時期があったのは事実。それによって多くの命が犠牲になったことも事実。そこで得たことは戦争はだれも幸せにしないということ。「多くの犠牲」の代表例として戦死者が祀られている靖国神社に参り二度と戦争はしませんというのはもちろんだが、そこに眠る軍の指揮官らに日本は二度と戦争はしないと誓うことも意味があるのではないだろうか。それが我が国のメンタリティであり文化である。そこに対して文句をいうのは、拡大解釈からもしれないが我が国の文化に対する間接的な誹謗中傷でもあるように思う。



靖国に立つと、いまの日本は多くの犠牲によって成り立ってきた事を胸に、戦争放棄の精神は守っていくべきだと思う。




一方で、万が一にも家族が身内が何らかの理不尽な暴力で命の危険にさらされるならやはり戦わなければならないという価値観も有している。




一見矛盾しているように聞こえるかもしれない。だがこれは本音と建て前というものでは決してない。

共になくしてはならない精神的価値観の話である。

愛する者を守る、守るべき人、家族がいるなら立ち上がらないのはおかしいと思う。

これが最も自然な姿である。だからこそ、戦争は起こしてはいけない、戦争放棄という精神が必要なのだ。



内面への深い考察があればわかる話だが、多くの政治家は相手批判の道具としてこの話を用いる。だから矛盾が露呈しやすんだが・・・。




戦争により命をなくした人からもしあなたが「いま日本は幸せですか?」と尋ねられたら、戦争のない時代に生きる我々は何を大切にしなければならないかを考える事になるかもしれない。











第三者委員会ってなんだ?

2019-03-28 07:22:00 | 社会・経済
山口真帆さんへの暴行事件から、いまだに収束しないNGT問題。

延々と続いている理由は、NGT運営会社のAKSの役員の説明に虚偽があったという山口さん本人によるリアルタイムツイートが大きいだろう。

ここでは、その問題を論じるつもりはないが、今回の騒動について「第三者委員会」が調査したというが、運営会社側がこの報告内容を捻じ曲げたか、あるいは第三者委員会が何らかのバイアスを元に調査したかは大きな問題だろう。


そもそもなぜ第三者委員会が自ら発表しなかったか? 秘匿性の問題もあろうが、代表してだれかが、あるいは代理人の弁護士などを立てて第三者委員会自体が発表しなかった事には大きな疑問が残る。

もし、第三者委員会が自ら発表報告したいというのを、運営会社が抑え込んだとしたらもはや運営会社には、責任を取る体質そのものがかけているとしたいいようがなく、NGTが解散になったとしても避けようがないだろう。

AKSに問題があろうことは会見を見ても、第三者委員会が会見しなかった事を見ても、また今回の事件そのものを見ても明らかで、しかもどうやら自浄能力もなさそうである。





さて、一方で日産自動車の問題。ここでも第三者委員会が調査報告するようだが、はたしてこれもうまくいくのか甚だ心配である。なぜなら、2019年3月現在の日産自動車のHPによると、日産自動車には社外取締役が3名いる。それぞれジャンバプティステ ドゥザン、井原慶子、豊田 正和。ドゥザン氏は、元々ルノー出身、果たして「社外」と言い切れるのか疑問。井原氏は、レースドライバー、Love Driveという会社のCOOだが、製造業、販売業での経営や実務経験は乏しいと考えてもいいだろう。豊田氏は、元経済産業省官僚で明らかに会社経営の実績はない。果たしてこれで「社外取締役」としての仕事ができるのか疑問である。


第三者委員会でもそうだが、社外である以上、まず完全独立性と第三者的立場が確認されていることが何よりも重要で、親日産でもなければ、反日産でもない事が要件。また役員として会社経営に関する「疑問」を投げかける為には、少なくとも会社経営の実務経験、ガバナンス経験がなければいけない。


役員会自体を監視するのなら監査役がしっかり見ていればいいが、多くの日本の企業では監査役はそこまで存在感はなさそうである。


こういう事を受けてか、社外取締役の義務化が始まりそうだが、どれだけ実質的な社外取締役が生まれるのだろうか?