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靖国神社

2019-08-18 08:40:00 | 社会・経済
いろいろといわゆる著名人らが、靖国神社参拝や靖国神社に祀られている第二次世界大戦の日本のA級戦犯について議論を交わしているが。

そもそも、この問題は海外からとやかく言われる問題ではないと考えるか、海外へ「配慮」すべきものなのかというところから議論が真っ二つになっている。

個人的には、海外諸国からとやかく言われる問題ではないと考えている。



なぜか? そもそも靖国神社という一つの神社の話であり、またそこに「東京裁判」という異例な国際裁判でA級戦犯だと「戦勝国」が勝手に決めた結果に左右された御霊が祀られている事に、なぜ海外、特に中国や韓国から言われなきゃいけないのか理屈がとおってないから。



日本は、二度と戦争はしません、国際問題の解決手段として武力は用いませんと、憲法に定めている。


これだけでも、国際的には異例中の異例な話。本来ならこれで日本という国がどれだけ戦争について反省しているかわかりそうなものである。



であるのに、内閣があるいは国会議員が靖国神社に参拝することについても文句をいう。

さらにやれ南京、竹島、日本海、やれ慰安婦、やれ尖閣と経済力を得た隣国は次々に文句を言い出した。




長い目で見ていれば、隣国たちは、結局「経済力」を傘にきて国際発言力を得たとし、歴史の検証を経ずあるいは無視して日本を辱め憂さ晴らしをしている様にしか見えない。



つまり、相手にするようなものではないというのが本質なのだと思う。



戦争を、軍力を笠に着ていた時期があったのは事実。それによって多くの命が犠牲になったことも事実。そこで得たことは戦争はだれも幸せにしないということ。「多くの犠牲」の代表例として戦死者が祀られている靖国神社に参り二度と戦争はしませんというのはもちろんだが、そこに眠る軍の指揮官らに日本は二度と戦争はしないと誓うことも意味があるのではないだろうか。それが我が国のメンタリティであり文化である。そこに対して文句をいうのは、拡大解釈からもしれないが我が国の文化に対する間接的な誹謗中傷でもあるように思う。



靖国に立つと、いまの日本は多くの犠牲によって成り立ってきた事を胸に、戦争放棄の精神は守っていくべきだと思う。




一方で、万が一にも家族が身内が何らかの理不尽な暴力で命の危険にさらされるならやはり戦わなければならないという価値観も有している。




一見矛盾しているように聞こえるかもしれない。だがこれは本音と建て前というものでは決してない。

共になくしてはならない精神的価値観の話である。

愛する者を守る、守るべき人、家族がいるなら立ち上がらないのはおかしいと思う。

これが最も自然な姿である。だからこそ、戦争は起こしてはいけない、戦争放棄という精神が必要なのだ。



内面への深い考察があればわかる話だが、多くの政治家は相手批判の道具としてこの話を用いる。だから矛盾が露呈しやすんだが・・・。




戦争により命をなくした人からもしあなたが「いま日本は幸せですか?」と尋ねられたら、戦争のない時代に生きる我々は何を大切にしなければならないかを考える事になるかもしれない。











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