ネパール人が無期懲役で15年服役していた。東京電力の超助平女性社員殺人の刑だ。この女性は30代半ばで独身で、不特定男性との性行為関係がすこぶる激しかった。
だから犯人を絞り込むことは危険であった。当時の検察官は「第三者の存在はない」と今日テレビで断言した。理由の一つにネパール人が唾液の採取を強硬に断ったであった。なぜか女性の体内に残っていた男性の精液のDNA鑑定は行っていない。その理由は捜査にあたった検察官は黙して語らない。しかもネパール人にはアリバイがあった。このような状況でも終身刑に最高裁判所までが決めるのは、日本の裁判の恥だ。少なくともネパールでは「出鱈目裁判国日本」と認識されるだろう。
昔から裁判官の心証を害すると刑は重くなるといわれている。私は民事裁判だが、マンション問題で裁判を起こした。話が進まない、2年ごとに担当裁判官が変わる。2年間放っておけば、次の裁判官に移る。下手な判決を下して悪い評価逃げたい。だから7年以上もかかった。この間の弁護士費用、原告の時間、お金のロスは大変だ。
私には日本の検察、裁判官は自分の将来をバラ色にしたいために働いていると思える。しかもプライドが高い、幼少時から頭がいい、できるで過ごし、いつも周りから抜け出ていた。何時の間にか「自分が一番偉い」意識が染みついた。自分が決めることは「神のレベルだ。間違いはない」が植え込まれた。
もし今回のネパール人の裁判では当初、強制退去で外国に追い返される。その前に判決を下さなければの事情があった。15年の収監。その重みはどんなものか。こんなことは裁判官は全然考えない。もし自分が間違った判決で15年間無実の罪で監獄暮らしをしたらどんなものか。他人、特にネパール人など人とは思っていない。これが日本の裁判の恐ろしい点だ。
幼少時から人の上に立ち、周りを見下してきた人が、幸い裁判官になる。医者もそうだが日本のエリートは他人の痛みを感じない冷血人間の集まりだ。だから恐ろしいのだ。