夢から慈しみの世界へ

神と自然と人間の共生
神一元・善一元・光明一元の生活
人間の生命の実相は『仏』であり、『如来』であり『神の子』である

瑞々しい鎮守の森のクスノ木・・・『恵みの水』の有り難さ。

2018年02月07日 22時35分30秒 | 自然の育み・環境
年休をとり午後から神社参拝に来ました。

青空が澄み切り風もなく、

豆まきも終わり静かな境内でした。

明治以前は神社と大きな真言宗のお寺が

同居している典型的な神仏混合の神社です。

神社の境内に寺の蓮池があり其の当時の名残が残っています。


人類が文字を使い始めた起源前に『水』は自然や社会の基礎として、

また深い哲学的、宗教的にも認識されていました。

仏教では『地・水・火・風』四大種、中国の陰陽五行説の『木・火・土・金・水』、

エンペドクレスは四元『太陽・天空・大海・大地』と

これらの元素の循環により『ものごと』が成り立つとの宇宙観が認識されていました。

古代の人々は、水は万物、大自然を支え社会全体を結ぶものとして、

社会的役割を果たし、乾燥地帯の人などは洪水さえも害としてとらえるのではなく、

地力を高める偉大な恵みとして認識していました。



日本のすべての土地には祖先の労働の歴史が刻みこまれている。

現代の『水力社会』、『水田農業』は灌漑水による養分の供給、

土壌の還元化による地力の維持、肥料効果の調整、雑草の抑制さらに水稲の連作の実現など、

世界的にもきわめて優れた性質ももっている。

米の栄養価は他のいかなる穀物よりも高い。

これ等の優れた条件により、『水田農業』は国民生活の中心的な役割を果たしてきました。


『農業用水』は工業用水や都市用水とは異なり、

上流の水田から下流の水田へと繰り返し『循環利用』される。

モンゴルなどの牧畜民族は自然生態系と一体となって生活をすることにくらべ

農耕民族は気象、天文、土木など水の利用の為の知識が求められ、

科学技術に基づく文化が創造されました。

また反面社会生活も水に制約されることになりました。



私共の地域にも直ぐ側に灌漑用の『小倉ダム』と云う小さなダムがあります。

此処の水は5K先の長崎県で一番広い平野である『諫早平野』の灌漑水として利用されています。

この平野の先に有明海があり、今問題になっている『諫早湾干拓堤防』があります。

また故山下弘文さんが干拓地の干潟の保全を訴えておられました。

この堤防が出来る前は市の中心部の近い処まで、雨期や大雨のなどの時には毎年『床下浸水』がありました。



水のダイナミックな流れは地球のすべてに恵みを与え、

すべての塵を流し去り、大いなる大海へと還流します。

そして『森』は水を必要としていて、また『水の循環』の要として存在しています。

この水はある時は穏やかなセセラギ、オアシスとして、ある時は雷雨ともなり、

すべてをおし流す濁流ともなり、七変万化して私たちに恵みを与えてくれます。

『水』のキーマンとなる『森の保全』は地球規模においても

必要かつ成し遂げなければならない課題であります。

わが国は代々の天皇陛下みずから植樹祭で植林をなされています。

『自然を愛する心』、『植林の思想』が古代より定着しているわが国はありがたいことです。

先人の知恵と努力で現在の『森』が存在します。




山々のたたずまい、雲の行きかい、風のひびき、水の流れ ― 

ことごとく観世音菩薩の慈悲の説法である。

神の愛は静かに振りそそぐ夜露が、すべての植物をうるおして生気を与えるように、

静かに音もなく、目立つこともなく万物を生かす、万物を生かしながら、

自分が生かしてやったという顔すらしないで、朝がくれば消えて行くのである。