夢から慈しみの世界へ

神と自然と人間の共生
神一元・善一元・光明一元の生活
人間の生命の実相は『仏』であり、『如来』であり『神の子』である

人生は光と闇が交錯する舞台である。・・・不来の相にして来る(文殊菩薩)

2018年02月18日 15時01分49秒 | 日記・エッセイ
長崎へ、互いにお互いを祝福し合う『祈り合いの神想観』へ行ってきました。


どんぐりのいのち

公園に植えられた椎の木も大自然の装いをしている。

人の気のないブランコのある広場に、

太陽を燦燦とあびている椎の木の根もとに

静かにどんぐりの実が眠っている。

どこに転がって行くのでしょうか!

踏まれながら、蹴られながら、流されながら

転々として大地を彷徨ながら、

どんぐりさんの故郷に還り

再び真実の花が咲くのでしょうか。



『祈るときには』

祈るときにも、あなたがたは偽善者のようではならない。

偽善者たちは、人にみてもらおうと、会堂や大通りの街に立って祈りたがる。

はっきり言っておく。彼らは既に報いを受けている。

だから、あなたが祈りるときは、奥まった自分の部屋に入って戸を閉め、

隠れたところにおられるあなたの父に祈りなさい。

そうすれば隠れたことを見ておられるあなたの父が報いて下さる。

異邦人のように『くどくど』と述べてはならない。

異邦人は言葉が多ければ、聞き入れられると思い込んでいる。

彼らのまねをしてはならない。

あなたがたの父は願う前から、

あなたがたに必要なものをご存じなのだ。

だから、こう祈りなさい。

『天におられるわたしたちの父よ、

御名が崇められますように。

御国が来ますように。

御心が行われますように、

天におけるように地の上にも。

わたしたちに必要な糧を今日与えて下さい。

私たちの負い目を赦してください。

わたしたちも自分に負い目のある人を赦しましたように。

わたしたちを誘惑に遭わせず、悪い者から救ってください。』

もし人の過ちを赦すなら、

あなたがたの天の父もあなたがたの過ちをお赦しになる。

しかし、もし人を赦さないなら、

あなたがたの父もあなたがたの過ちをお赦しにならない。

           マタイによる福音書5. 47―6.5~14



私達が生きている世界は物質で形成されている現象世界である。

そして此の現実の世界は、『心』及び『五官』の力では感じることが出来ない

奥深い心の、内なる『創造する神秘力』である『霊』が外界に現した表現である。


『注』

不来の相にして来る・・・来たらない相(すがた)をして、今、此処に既に来ている。

             真実では娑婆世界(現実世界)に生まれてはいない

             しかし現実世界の父母を通して生まれている。

             この娑婆世界は映画の舞台のようなもので、
 
             幻の如く、響の如く消え去って行くものであり

             真実の世界ではないのです。