夢から慈しみの世界へ

神と自然と人間の共生
神一元・善一元・光明一元の生活
人間の生命の実相は『仏』であり、『如来』であり『神の子』である

3月23日(水)のつぶやき

2016年03月24日 04時45分20秒 | 日記・エッセイ

睡眠の本当の姿を知りましょう。・・・・・? 霊的修行をする人は極めて睡眠時間が短くてすむ。 goo.gl/LZIzXW


睡眠の本当の姿を知りましょう。・・・・・⑥ 霊的修行をする人は極めて睡眠時間が短くてすむ。 fb.me/5lcyTZCfk


心静かに眼を閉じて、ある光明面を一心不乱に見詰めると心が拡大して、大いなる無限の世界と自分とが溶け合い同化してしまう。



睡眠の本当の姿を知りましょう。・・・・・⑥ 霊的修行をする人は極めて睡眠時間が短くてすむ。

2016年03月23日 23時33分55秒 | 健康・病気・精神分析・心理学・先祖供養・霊的実在・心霊の諸相
睡眠の本当の姿を知りましょう。・・・・・⑥ 霊的修行をする人は極めて睡眠時間が短くてすむ。

夕刻から長崎市で会議がありました。
会議の前段で一分間スピーチがあります。
始めに主題を話し、一分間以内に自分の主張を的確にまとめ、相手に伝わるように話しをしなければなりません。
しかし殆どの皆さんの話しが長くなります。
やはり言いたい事が溜まっているのでしょう。
自分を表現することはストレスの解消につながります。



精神統一の霊的修行をする人は極めて睡眠時間が短くてすむのは、実習中に、霊的呼吸を行なうので睡眠を通さなくても必要な霊的成分を失わない結果だとも考えられるのである。
低級霊は肉体死後の意識の昏睡状態から、なかなか醒めようとしないのである。
動物はおおむね熟睡しない、犬なども体を丸めて、少しだけうとうととするけれども、完全には眠ってはしまわないで、
物音に対して鋭敏に反応して覚醒している。
また高級の霊魂は霊界に於いて眠る必要がない、それは常に霊的呼吸をし続けているからである。
このように睡眠中肉体の脳髄の疲労の消耗の補充とばかりであると考える事のできない証拠が色々あるのです。
・・・・・続く















3月22日(火)のつぶやき

2016年03月23日 04時44分05秒 | 日記・エッセイ

睡眠の本当の姿を知りましょう。・・・?睡眠は霊魂が霊界に出遊(excursion)するのである。 goo.gl/8ooHdR


睡眠の本当の姿を知りましょう。・・・⑤睡眠は霊魂が霊界に出遊(excursion)するのである。 fb.me/13Q42ZW4B


日々の祈り、神の御懐へ届き給うなり。



睡眠の本当の姿を知りましょう。・・・⑤睡眠は霊魂が霊界に出遊(excursion)するのである。

2016年03月22日 22時27分16秒 | 健康・病気・精神分析・心理学・先祖供養・霊的実在・心霊の諸相
睡眠の本当の姿を知りましょう。・・・・・⑤、睡眠は霊魂が霊界に出遊(excursion)するのであると云っている。

年度末を向かえ慌しい毎日です。
空は青々と広がり、八重椿も散り始めました。
庭は赤い華で一面にひろがり、椿は一枝の眞を尽くして大地に潔よく身を託しています。
椿の華のように潔のよい生活をしたいと思います。




人間が眠らないと疲れるのは、一種の習慣であり、眠らないと疲れると信じている信念の具象化だと云うことも出来るのである。
楽しい明るい心が眠りをあまり必要としないのであると考えられる。
フランスの心霊現象によれば、睡眠は霊魂が一時霊界に出遊(excursion)するのであると云っている。
それは霊界で訓練を受けるためや、霊界に於ける生命に必要なある成分を吸収するために必要なものであり、
霊界で訓練が激しい場合は、肉体はこんこんと深く眠っていながらも、
目が覚めてあと、眠らない時よりも尚一層疲労している事があると書いている。
眠っている間に自己の運命や前途や、夢に見た通りに出てくる災害や、自分の紛失物が夢で発見されたりする現象は、
睡眠中の脳髄の働きであると云うよりも、潜在意識と心理学が云っているところの、
脳髄の機能を超えた意識体(霊体)が肉体の睡眠中に活動してそれを夢に見せる結果だと云うことが出来ると思うのであります。
眠ると云うことは覚めている時よりもかえって心霊にとっては肉体から開放されて、
霊界で自由に霊的呼吸をすることであると考えられるのである。
したがって眠ることが出来ないで疲れる一面は、霊魂が霊的呼吸をの機会を失う結果、
何か霊的成分が、その人の幽体に欠乏するためだとも、考えられるのである。
・・・・・続く

『注』
『出遊(excursion)』・・・周遊旅行。

『霊体』・・・・・人間の体(body)には本体、霊体、幽体、エーテル体、肉体の五種類があります。
実相である生命の本体に一番近い振動数が高く、感度が鋭敏であり、生命力が活発であり、神通自在でありところもの、
これが霊体(spiritual body)と云う部分である。

『幽体』・・・・・ 肉体から発せられる幾重にも重なったオーラ(aura)後光、背光。
肉体から60~90cmはなれた所まで霧のようにとりまいている。
幽霊もその人の幽体である。幽体と肉体の間にエーテル体(プラナ)がある。
病める婦人がキリストの衣にふれた時に『力我より流れ出て汝に入れり、汝は癒されり』とキリストが言っているのは、
キリストはその衣にふれるまでには知らなかったが、婦人が衣にふれた時に急に自分のプラナが婦人の病者に流れ入った
ことを自覚したのです。

『霊的呼吸』・・・・・瞑想中に極度に静かに呼吸をして臍下丹田(下腹部)に息を溜め丁度息を凝らして見詰める時のように
息を止めた状態をしばらく続けた状態に近い呼吸です。
この呼吸法は自律神経の中枢に圧を加え精神の散動を防ぐためであります。















3月21日(月)のつぶやき

2016年03月22日 04時46分40秒 | 日記・エッセイ

睡眠の本当の姿を知りましょう。・・・・・? 睡眠は単なる生理的作用だけではない。 goo.gl/pw8wTw


睡眠の本当の姿を知りましょう。・・・・・④ 睡眠は単なる生理的作用だけではない。 fb.me/u54Uzoeu



睡眠の本当の姿を知りましょう。・・・・・④ 睡眠は単なる生理的作用だけではない。

2016年03月21日 21時15分19秒 | 健康・病気・精神分析・心理学・先祖供養・霊的実在・心霊の諸相
睡眠の本当の姿を知りましょう。・・・・・④ 睡眠は単なる生理的作用だけではない。

振替休日は出勤日でした。
院内は閑散としており、仕事は休日を挟みますと大変忙しいのであります。
自家発電機を新しく更新の為に休日に発電の試験をした際、
一時電気を止めた為にコンピーター制御の機器に不調を来たしました。
現代の社会ではこのようなシステムに依存しており、緊急の際には適切な対応が出来るよう、
アナグロ的な思想も残しておく事が必要であると感じております。





躁鬱症のことを考えてみても『躁』の時期には眠ることなく愉快であり、
その時期が過ぎると、憂鬱で気が落ち込んで悲しくなったり、不安になったり、また眠たくなり、
殆ど眠ることが多いことが続き、そのような『躁』と『鬱』の時期が循環的に繰り返しあらわれます。
『躁』の時期は愉快で食欲は増進して、精神的な仕事にも肉体的な仕事にも従事しても全く疲れることがないのです。
『鬱』の時期に入ると何もしないでも始終疲れて、こんこんと眠りに引き込まれ、
目覚めようと努力しても眠ってしまうのです。
食欲もなく体にも精彩を欠き、寝ても寝ても疲労は回復しないのです。
睡眠が脳髄の疲労の回復のための休息だと云うようなことはこのような躁鬱症には当てはまらないことになります。
『躁』の時期に殆ど眠らないでも何ら脳髄の働きには異常がないのであり、
愉快であり、眠たくないほかは健康な普通の人と何ら変りがないのであります。
二十四時間の間で数時間は脳髄の休息をしなければならないと云う考えは根拠を失うことになります。
このようなことからも睡眠と云うものが単なる肉体の生理作用だけではないと云うことになります。
・・・・・続く










3月20日(日)のつぶやき

2016年03月21日 04時47分40秒 | 日記・エッセイ

睡眠の本当の姿を知りましょう。・・・・・?睡眠は脳髄疲労の生理的回復以上の『あるもの』を含んでいる。 goo.gl/SKZmT9


睡眠の本当の姿を知りましょう。・・・・・③睡眠は脳髄疲労の生理的回復以上の『あるもの』を含んでいる。 fb.me/Mryaqgd2



睡眠の本当の姿を知りましょう。・・・・・③睡眠は脳髄疲労の生理的回復以上の『あるもの』を含んでいる。

2016年03月20日 21時06分32秒 | 健康・病気・精神分析・心理学・先祖供養・霊的実在・心霊の諸相
お彼岸で春季慰霊祭に参加しました。
蓮如上人の御文章の白骨の章にあるように人間の一生は無常なるものであると一面の思いがありますけれども、
本来の人間の生命は既にそのままで永遠なる佛の生命そのものであります。
親鸞上人が説かれた如く『能く一念喜愛の心を発せば煩悩を断せずして涅槃を得』とあり、
南無阿弥陀仏と一念佛唱え阿弥陀仏の本願力と一体となる時、
永遠の生命の中に生かされた無限なる世界が開かれます。






睡眠は脳髄疲労の生理的回復以上の『あるもの』を含んでいる。

『脳髄を使う労働』と『筋肉を使う労働』との睡眠時間の違い。

前回の脳髄は生理的消耗を補う休息以上のある働きをしていることとは学者、哲学者などの脳髄を使う労働者は農民などの筋肉を使う労働者よりも例外を除いておおむね睡眠時間が少ないと云うことである。
学者等の睡眠時間は浅く短い、それに比べ農民などの筋肉労働に携わって労働者の睡眠は深く長いのである。
脳髄は働かせれば働かせるほど興奮して眠りを催さなくなるけれども、筋肉労働者はそれに比べるとかえって自由に長時間眠ることが出来るのである。
睡眠の目的が自然の生理的消耗を補う欲求として脳髄の休息にあるとするならば、
脳髄がたくさん働いた場合には、自然に休息を要求して生理的に睡眠を催してこなければならない筈ですが、
事実は前述の如くほぼ逆であることによって睡眠は脳髄疲労の生理的回復以上の『あるもの』を含んでいることが想像されるのである。
・・・・・続く







3月19日(土)のつぶやき

2016年03月20日 04時48分14秒 | 日記・エッセイ

睡眠の本当の姿を知りましょう。・・・? (睡眠本体への序章) goo.gl/rgzoQM


睡眠の本当の姿を知りましょう。・・・② (睡眠本体への序章) fb.me/6ViJGPlC6


ルルドの泉の奇蹟のように五官の感覚では感じることが出来ない不思議な神秘なる世界。
人間はこのように不思議で神秘な世界を直感的に暗黙のうちに理解している。



睡眠の本当の姿を知りましょう。・・・② (睡眠本体への序章)

2016年03月19日 19時15分16秒 | 健康・病気・精神分析・心理学・先祖供養・霊的実在・心霊の諸相
睡眠の本当の姿を知りましょう。・・・② (睡眠本体への序章)

五官の世界を閉じてからの睡眠時間の摩訶不思議。
眠りたい心、眠りたく無い心、眠ってからの夢の世界、心が覚めてからの朦朧とした不確かな世界、何故このような状態が存在するのであろうか。



睡眠は脳髄疲労の生理的回復以上の(あるもの)を含んでいることが創造される。

前回の心臓の如き、心の想念を転換する時の間隙における休息だけでも脳髄の休息は充分であると思われる。
脳髄は仕事等の転換によって休息することが出来ると云われている。
例えば数学の勉強をしていて疲れている時に国語の勉強をすると新たなる元気が出たりする。
吾々は上手に従事する仕事の種類を変化することにより、脳髄に休憩を与え、
昼休みの如き休憩をとらずして、同様の休憩の効果を脳髄に与え、
一日中の仕事の能率を上げる生き方もあるのである。
脳髄の生理的研究が進み、脳髄は部分に従ってその機能を異にし、
『理性』を司っている部分と『美性』がどの部分に作用しているなど役割が異なっている。
従って理性が働くときには、美性を司る脳髄部分は休息するから、
上手に仕事を変化させて精神的転換を行なう時には脳髄の休息する必要がなくなるはずである。
故に睡眠が単に脳髄の休息ならば睡眠の必要がなくならばならないのである。
しかし如何に仕事を変化して、精神の働く種類を上手に転換しても、
普通の人々においては必ず睡眠の必要を感ずるのは何故であろうか、
ここに生理的消耗を補う休息以上の『あるもの』が『睡眠』の本体の中に含まれている事を暗黙のうちに示しているのである。
・・・・・続く


3月18日(金)のつぶやき

2016年03月19日 04時47分10秒 | 日記・エッセイ

生涯の三分の一である睡眠の本当の姿を知りましょう。・・・? goo.gl/r7iVFz


生涯の三分の一である睡眠の本当の姿を知りましょう。・・・① fb.me/3NsOK7CFA


常にわが内なる御佛と供に生活し、すべてのものは佛の無限の生命に生かされている有り難さに合掌礼拝すると、万徳円満なる極楽浄土が開眼します。



生涯の三分の一である睡眠の本当の姿を知りましょう。・・・①

2016年03月18日 22時44分49秒 | 健康・病気・精神分析・心理学・先祖供養・霊的実在・心霊の諸相
睡眠の本当の姿を知りましょう。・・・①

春眠暁を覚えずとありますが、暖かく美しい花が咲き、鳥も囀りますと快い気持になりついウトウトと眠たくなります。
しかも人生の三分の一は睡眠時間と云われいます。
中には不眠症と云われ、薬を処方している人が多く存在します。
ここでは睡眠の事を考察して見たいと思います。



人間は何故睡眠が必要なのでありましょうか。


睡眠は唯単に脳髄機関を休息させ、その睡眠の間に老廃物を除去し、新しい細胞をもって消耗した細胞を補修することが睡眠の本体と思っていますが。
これは単に生理学的面から見た見解に過ぎないのです。
生理的臓器の休息と補修に睡眠時間と呼ばれるいるように長い時間が必要でありましょうか。
心臓は吾々の一生を通じて活動していますが、その緊張と弛緩との交代するわずかの瞬間休息するのみであり、
殆ど全く休息しないで、その老廃物の除去と、細胞を新しくする補修が行なわれているのです。
だから脳髄の消耗を補修し、休息させるためのみならばそんな長時間の休息は必要はない筈であります。
・・・・・続く 


3月17日(木)のつぶやき

2016年03月18日 04時44分55秒 | 日記・エッセイ

新たに霊的に生まれるための啓示 goo.gl/ZCBHUu


神は既に苦しみも、悲しみもぬぐい去り給い、新たなる生命の息吹を流れ入らせ給い、総てのものを新しく生みだし給う。



新たに霊的に生まれるための啓示

2016年03月17日 21時24分37秒 | 真理の言葉
彼岸も近まり桜餅の香りが口いっぱいに広がり、ひと雨、ひと雨、桜前線が近まって
初々しい花芽が脹らんでいます。


見よ吾れ総てのものを新たにするなり


黙示録第二十一―五



新しい天と新しい地

見よ、神の幕屋が人の間にあって、神が人と共に住み、人は神の民となる。
神は自ら人と共にいて、その神となり、彼らの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる。
もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない、最初のものは過ぎ去ったからである。
すると玉座に座っておられる方が『見よ、わたしは万物を新しくする』と云い、また『書き記せ。
これらの言葉は信頼でき、また真実である』と言われた。またわたしに言われた。
『事は成就した。わたしはアルファでありオメガである。初めであり、終わりである。
渇いている者には、命の泉から値なしに飲ませよう。
勝利を得る者は、これらのものを受け継ぐ。わたしはその者の神となり、その者はわたしの子となる。』

黙示録第二十一―三~七


新たに霊的に生まれるための啓示

吾々は真実の存在を外見によって判断しようとします。
五官で感じる感覚は信念の影に過ぎないのです。
西田哲学では『観られる世界は観る人の心の産物だ』とい云い、仏教では三界は唯心の所現であると云います。
神は善であり、真実に於いて『一切は善である』と云う信仰を、見える世界の外の形によって捨ててはならないのです。
五官で感じる世界は心で思った通りの姿の現われですからあたかも『悪』が存在するように見せている五官の感覚の証明によって、
神は善であり、愛であると云う信仰を捨ててはなりません。
五官に観えると云うことと、真実が実在すると云うこととは別なのです。
人生はしばしば悪しきものが充満し、災禍や病気が充ち満ちているように思われます。
しかし神は完全であり、全能であり、善でありたまうと云う信仰によって、
有情非情生きとしいけるもの、有りとしあらゆるものの実相(ほんとうの姿)を観れば、
真実の人生は決して悪ではないと云うことが判るのです。


3月16日(水)のつぶやき

2016年03月17日 04時45分14秒 | 日記・エッセイ

吾々人間は『久遠の昔』から、『永遠の今』を生きている無限なる神の子、佛の子である。 goo.gl/JYbywJ


吾々人間は『久遠の昔』から、『永遠の今』を生きている無限なる神の子、佛の子である。 fb.me/3AFiAtXui


苦難を踏み台にして、一歩一歩前進して輝く運命をこの手に。
神は与え給う安らぎを、すべての良きものを既に私達に与え導き給う。