夢から慈しみの世界へ

神と自然と人間の共生
神一元・善一元・光明一元の生活
人間の生命の実相は『仏』であり、『如来』であり『神の子』である

『神の子』であると云う事実。 (慈悲深い『佛』と無限の愛である『神』と一体となる瞑想。)

2016年03月09日 21時38分07秒 | 真理の言葉
神の御心と一体となる。

毎朝目が覚めますと、まだ現在意識がハッキリ覚めていない時に布団の上で四十分間ほど
普賢菩薩と一体となる観普賢菩薩行法の瞑想を始めます。
現在意識が覚醒している時の時間の長さの認識と、現在意識がハッキリ覚めていない時の時間の認識には違いがあります。
例えば瞑想している時間が四十分間と思って目を開けますと既に六十分を超えている時があります。
雑念が多いときと、そうではない時と様々ですが
雑念はそのままにして捉われない方が上々であります。
雑念に捉われますと雑念が雑念を呼び収集がつかなくなります。
初めて間もない時には、霊動の振幅が激しいとか、いわゆる魔がさすと申しますがそのような現象が多々ありました。
しかし集中が進みますと自分自身の肉体が自覚できないような状態となります。
無念無相になりますと危険であります。
調度、繁華街の住宅に誰もいないで、また施錠しないでドアを開放して置きますと自由に人、犬、猫等が出入りします。
無念無相はこれと同じ状態であります。
ですから先人の覚者は南無阿弥陀佛、南無法蓮華経、阿字観、天台止観、
イエスキリストにおいては『天におられるわたしたちの父よ』とまず真言を心に唱えそれに集中して
それと一体となるような祈りをしたのであります。
瞑想は慈悲深い『佛』と無限の愛である『神』と一体となる行事であります。




神の子であると云う事実。


誰にも教えられないでも知っている智慧、これは神様からくる智慧であります。
此の智慧は潜在意識のもっともっと奥にあって、常に吾々に何かを知らせて導こうとしている心であります。
此の心を超越意識(Super Consiouness)と云います。
わかりやすく云いますと、『神の心』と云ってもよいのであります。
人間の中には『神の心』がやどっていて、何でも導いているのですから、人間は『神の子』だと云うのであります。
一人の人間でなく善人、悪人、すべての人間には『神の心』がやどっているのですから、
人間は『神の子』であるのです。








 

3月8日(火)のつぶやき

2016年03月09日 04時47分19秒 | 日記・エッセイ

潜在意識の奥には神の智慧がある。 goo.gl/tVMe94


潜在意識の奥には神の智慧がある。 fb.me/4cwPlUw9O


笑いましょう。心に光が灯でしょう。