夢から慈しみの世界へ

神と自然と人間の共生
神一元・善一元・光明一元の生活
人間の生命の実相は『仏』であり、『如来』であり『神の子』である

変化の奥に存在する常住不変の智慧

2016年03月07日 21時05分42秒 | 真理の言葉
変化の奥に存在する常住不変の智慧

勤務地の病院の直ぐ隣に有った経済連の六十年程前の広大な倉庫群が解体され、
新幹線の新しい駅が出来る為に更地になりました。
直ぐ近くまで高架橋が出来ています。
町並みも六十年程時が経ちますと、環境が大きく変貌します。
今建っている建物の跡に道路が走り、また川であった所に道路が出来、目まぐるしく変化して往きます。
以前広島を訪ね、故人を捜している時に、街は原爆で、焼け野原になり、物質的な環境が一変し、
そこに昔から住んでいる人々までが入れ替わりましたと聞きました。
人間の表面の心はその変化して往く事実を直ぐ忘れ去りますが、
花の生命は、気候が柔らかにあふれた暖かさになりますと毎年初々しい芽を出して、
可憐ないのちを咲かせ、優しさと喜びを与え、生命(いのち)の瑞々しさを教えてくれます。
また生命の永遠性を心の奥底に植え付け、吾々に活力と信じる力を養い、元気を与えます。




記憶は潜在意識の中にたくわえられる。

潜在意識の力は、調度、バッテリー、乾電池、の電力のようなものです。
懐中電灯のスイッチを押すと中の電池の動力が動きだしますが、単に潜在意識は動力であるばかりでなく、
本能や記憶の貯蔵庫のようなものであります。
本能と云うものは生まれた赤児が教えられないでも、母親の乳を吸うことを知っており、疲れたら眠ることを知っているような生まれついた智慧であります。
これが潜在意識の貯蔵庫の中に蓄えられているのであります。
記憶と云うのは見たり、聞いたり、触ったりしたものを、忘れないで持っているはたらきであります。
人間は決して一遍でも見たり聞いたりしたものを忘れるものでなく、
その事を潜在意識の倉の中に音楽のCD のように蓄えているのです。
忘れたように見えても忘れたのでなく、思い出さないだけであります。
・・・続く