夢から慈しみの世界へ

神と自然と人間の共生
神一元・善一元・光明一元の生活
人間の生命の実相は『仏』であり、『如来』であり『神の子』である

衆生、機熟して眞理を得て、救われん

2016年03月05日 20時48分34秒 | 真理の言葉

暖かい陽ざしの魅惑に誘われ、花びらに包まれた蜂の悦びの羽音が聞こえるようです。
機熟して、出会いの喜びが輝いています。
時間空間を乗り越えての、この本能的な出会い、花が開いても、暖かさと蜂の気持が合わないと出会わない不思議さ。
当たり前の中に神秘が潜んでいる宇宙の無限性。




碧巌録(へきがんろく)第八十三則

擧(こ)す。雲門衆に示して云(いは)く。古佛と露柱と相交わる、是れ第幾機ず。
自ら代わって云く、南山に雲を起し、北山に雨を下す。
古佛と露柱と相交わる機縁は第幾段目の機(こころの動き)であるかと衆に問題を提起されたが、
誰も答えないので、皆の代わりに雲門が答えて置こうといって、
南山に奇瑞の雲を起し、北山に真理の甘露の雨を降らすのである。

雲門和尚は千古傑出の宗師である。雲門宗の一家風をなした名僧である。
遷化の後も崇拝されて尋常のことではなかった。
埋葬の後十七年を経てから阮紹荘と言う人が霊夢を観たというので、天子に奏し、
天子から許可を承けて雲門山の墓を開いて見たところ、容貌がすこしも生前と変わらず、
粛然として入定して居られたので、その遺骸を都まで持って往き、一ヶ月以上宮中に留めて禮敬供養をして、
更に山に還して葬らせ、大慈雲匡眞弘明禅師と云う諡號(しごう)を賜わった。

埋めてから十七年をたった肉体のままの遺骸が参内して天子の供養を受けたというのは、世界万国にも例のないことである。
このような奇瑞があらわれるのは、まことに雲門和尚の念力の強さと機根の粘り強さというものを表しているのである。
それが必ずしもその人の悟りの深さとは言えないのである。

これは雲門和尚の霊魂という『念』の本体は肉体から脱出しているから、肉体全体は生きていることはできなかったが、
雲門和尚の『念』の一部である霊糸が、前述した霊感により予見していた
天子から大慈雲匡眞弘明禅師と云う諡號(しごう)を賜わる目的をもって、
遺骸から去らず遺骸に残留していたので生前の容貌と全く同じ状態を維持していたのである。


『注』
碧巌録・・・詳しい名題は『佛果圜梧禅師碧巌録』参学の参考書であり、
      雪竇(せつとう)和尚と圜梧(えんご)禅師の合著である。
露柱・・・仏殿の円柱。露柱は単なる物質ではなく宮殿、神殿に住み給う
      霊的本尊の生命の付随的あらわれとして嚴存するのである。
古佛・・・既に悟りを開いて仏陀の境地のあるものは皆、古佛として尊敬される。

諡號(しごう)・・・人の死後その徳を追尊して贈る称号。大師号、菩薩号、
          国師号、禅師号、和尚号、法師号、上人号などがある。
禮敬(らいきょう)・・・うやまって拝むこと。














3月4日(金)のつぶやき

2016年03月05日 04時47分04秒 | 日記・エッセイ

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産声に平安と喜びが木霊する。大いなる宇宙の生命と共に生きる神秘さよ!