joy - a day of my life -

日々の体験や思ったことを綴ります(by 涼風)。

豊かさを受けとる

2004年12月29日 | reflexion
よく言っているように、わたしは羨望の激しい性格で、「もっているひと」に対して複雑な感情を抱きがちです。きょうもその感情が出てきて、やっかいだなぁと思っていました。

いやな想いが頭をよぎるとき、わたしはそのことをできるだけダイレクトにノートに書いてみます。例えば、「Aさんは人間として最低だ」、「Dさんは他人の気持ちがわからない」。正直に想っていることをノートに書きます。

想っていることが正しいかどうかは重要じゃありません。それがどんなに醜い考えでも、わたしがそう想っているのは事実なのですから。

想っていることを書き出したあと、次の文を加えてみます、「わたしの頭の中に、こういう思考・思い込みが出てきています」と。そう書くことで、「Aさんは人間として最低だ」、「Dさんは他人の気持ちがわからない」といった考えがまさに一つの思考であり、「思い込み」であると意識してみます。

そのとき、上手く行くときは、じわぁっとした感情が身体から浮き上がるような感触になります。感情自体はそのときによって様々で、なにか肉体の中で埃が落ちて光が射すような感覚を覚えることもあります。



今日もそうして、ある経済的に裕福な人へのネガティヴな想いを書いてみました。「Hさんはもっと世の中の貧しい人たちのことを考えて反省すべきだ」「Iさんも貧しくなるべきだ」。

そう書いていて、でも感情があまり出てこないので、この「Hさん」「Iさん」という文字に線を引いて消して、上に「わたし」と書いてみました。

そのとき、おもわず「あっ」とこころのなかで声をあげました。わたしが心の奥で想っているのは「「わたしはもっと世の中の貧しい人たちのことを考えて反省すべきだ」「わたしも貧しくなるべきだ」といったことだったのです。

まさに他人に対して考えていることは、私自身に対する考えでした。わたしは貧しい人を差別する卑劣な人間だと、自分で自分をそう想っていました。

「貧しい人」はくだらない人たちだと想い、そう想っている自分は悪い人間だともう一人のわたしがわたしを罰し、自分も貧しくなるべきだと考えていました。

「投影」、他人に対して想っていることは、じつは自分が自分に対して想っていることであるという考えは、深層心理学の基本的な理論です。でも、頭でわかっても、それを実感すること、腑に落ちることは、わたしにとってはそれほど簡単ではありませんでした。今日は、その簡単ではないことを体験できた面白い日でした。


まさに、わたしたちは自分で自分をしばり、自分で自分に与えないようにしている。その縛りをひとつひとつほどいていき、与えられている豊かさに感謝していこうと思います。


涼風



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