(『産業人の未来』 P.F.ドラッカー(著) 1からの続き)
「自由」をもたらす真理の不可知性
興味深いのは(or当然なことに?)、ドラッカーにとって、この「自由」は真理の不可知性を前提する必要があるということ。ここから彼は、ルソーならびにフランス革命の理念への批判へと向います。
選択の自由とは、例えばAを選ぶ可能性と同時に選ばない可能性が存在するということ。この「選ばない=選ばなくてよい可能性」とは、つまり、人間には真理を理解できない権利が存在すること、人間には間違える権利が存在することを意味します。自分も含めてすべての人間が間違う可能性を前提することを、「自由」の概念は要請します。私たちは絶対の真理を知りえないからこそ、他人に従わず自分で選択する「自由」を確保できます。もし絶対の真理を知りえると想定すると、その時点で人間に自由は存在しなくなります。
論理的な推論で絶対の真理が存在するかどうかは、「自由」の存在にとって重要ではありません。どれほど論理的推論で真理に到達しようと、その真理は間違いであると「懐疑」すること、その態度によって初めてそこに「自由」は存在します。
「自由」とは知識・論理・言葉によって証明するものではありません。むしろ、どのような知識・論理・言葉が発せられようと、それをつねに疑うこと、そこに初めて「自由」が生まれます。そこで疑うことで、私たちは初めて「別の可能性」を探求する余地を確保でき、個人の意思を可能にすることができます。
ドラッカーはこの「自由」とキリスト教との結びつきを次のように述べます。
「自由の基盤となりうるものは、西洋ではキリスト教の人間観しかない。不完全で弱く、罪深いもの、塵より出でて塵に帰すべきものでありながら、神のかたちにつくられ、自らの行為に責任をもつものとしての人間である」(127頁)。
私たちは、自分が間違える可能性を前提にして初めて、自分の行為の根拠は「真理」ではなく自分にあることを示すことができ、それによって初めて自分の言動に責任をもつことができます。
この真理の不可知性は、真理は存在しないとする相対主義とは異なります。真理は存在しないとみなす相対主義では、個人は自分の行為に「責任」をもつことができません。「責任」とは、自らの行為の正しさ・適切さを検証する態度であって、そこではなんらかの基準が想定されています。それが「絶対的な基準」であるかどうかは個人には分かりません。しかし、同時にそれが「絶対的な基準」であると暫定的に思わなければ、それに照らして自分の行為の適切さ・正しさを検証することは行いえません。
「責任」は、自分は「真理」を知りえないこと、しかし「真理」はたしかに存在すること、したがって人間に出来ることはその「真理」に絶えず近づくために熟慮を重ねることで発生します。
「責任」とは客観的に存在するものではありません。私たちは他人に「責任」を押し付けることはできません。「責任」とは、その人がその時点で「真理」と思える基準で自分の行為を検証することで、その人が意識できるものです。
このように真理の追求と懐疑をつねに繰り返していくこと、それによって初めて「自由」「責任」は発生することが出来ます。
この精神に照らすと、社会の成員の間に「一般意思」が存在し、それは把握できるとみなすルソーとフランス革命の理念、ならびにそこから生じた民主主義・自由主義が、「自由」をもたらしえないことがドラッカーにとってはっきりします。
例えば投票による多数決における多数派に成員の意思が現れるという民主主義の思想は、「多数派」というものを動かしえない絶対的な立場におき、そこでは自由に備わるべき懐疑の精神が働きません。投票による数の調査によって成員の一般意思に到達できるとする考えは、必然的に、懐疑によって自らの責任を検証するという態度を生みません。多数派が一般意思であるという想定により、私たちは自らの選択が間違いであるという自覚を失います。ドラッカーは次のように述べます。
「近代の多数派支配の原理からは、一人ひとりの人間の権利や自由も、昔ながらの因襲に対する意味なき敬意の一つとして扱われるのが、関の山である。しかも、遅かれ早かれ、それらの権利や自由は、大衆の意思に対する反動的な障害とみなされるときがくる。少数派の利益のための、正当化されざる特権と見られるようになる。大衆と進歩の名のもとに攻撃の的とされるのは、つねに、それらの権利と自由である。なぜならば、それらの権利と自由こそ、多数派の意に反するからである」(151頁)。
ドラッカーによれば、多数派の意思を抑制するために、自発的に個々人の自由を尊重するという態度をとったとしても、それは少数派の自由というものを上から与えるものとしている限りで、市民個々人に自由と責任を与えることができないため不十分であるということです。
しかし、民主主義の欠陥が明らかになったからといって、君主政体や寡頭制の正しさが証明されるわけではありません。民主主義の欠陥は、多数派を一般意思とみなす精神にありますが、君主制や寡頭制はその代わりに「優秀な個人」「優秀な遺伝子」「高貴な貴族」こそ真理に到達できるとみなす点で同じ欠陥を共有しているからです。
この民主主義の欠陥を思い起こすと、西欧で発生した自由主義思想の限界が分かります。それは投票という理性的なコントロールによって真理に到達できるという思想であり、その点で「懐疑」という「自由」と「責任」に不可欠な契機を失ったものでした。知識人・良識派の多くがそのため、絶対真理を想定するという非合理な態度と理性的であろうとする意欲との間で引き裂かれ、実際的に有効な政治行動を起こせず、美辞麗句を述べるに止まるのはそのためです。
たとえば、それは戦後の日本を支配した朝日新聞的・左翼的な言辞などに端的に現れたものなのでしょう。実際に正統性ある権力を握ることに怯え、そのため言葉で「理性的」な絶対真理を述べて批判することしかできない状態に陥っていたのだと思います。
またこのような理性派が権力を握ると、フランス革命後で明らかになったように、多数派の絶対真理をもつという思い込みから、懐疑の精神を失い、自分の意見を反対する者を抹殺するという態度に陥ります。それはフランス革命のロべスピエールから、現代のアメリカ政府によるイラク・アフガニスタンへの攻撃、または昨年の自民党総裁による反対派の党追放にまで見られる現象なのだと思います。
ジャーナリストの田中字さんによれば、次期大統領候補の一人と目されるヒラリー・クリントンはアメリカのイラク侵攻を積極的に支持し、中東戦略を継続させる意思をもっているそうです(「ネオコンと多極化の本質」『田中宇の国際ニュース解説』)。もしそれが事実であるとすれば、彼女の著作“It Takes A Village”(『村中みんなで』)のあまりにも理路整然とした文章と自身の語り口、その良識的で弱者を助けることの大切さを訴えていく姿勢と、アメリカの民主主義に合わないものを攻撃する姿勢とは、矛盾なく一緒になっているのかもしれません(参考: “It Takes A Village” joy。
私はヒラリー・クリントンの“It Takes A Village”を素晴らしい著作だと今でも思うけど、その素晴らしさは同時に、著者である彼女が「私は素晴らしい真理を知っている」という思い込みに由来するのだとするなら、その彼女が中東への攻撃を支持するのも必然なのかもしれません。
変革の理念としての保守主義
ドラッカーは、このような理性万能主義に陥った“リベラル”・フランス革命・ルソーの理念に対し、バークなどに代表される保守主義の原理を、より「自由」と「責任」を生む思想として対置します。
ドラッカーによればこの保守主義は、アメリカの独立の成功をきっかけにしてアメリカとイギリスで発展したものでした。それは、理性によって“一般意思”を見出しうるという啓蒙専制的な精神が支配したヨーロッパとイギリス・アメリカを分かつものです。例えば彼はアメリカの政治を次のように説明します。
「アメリカの政党は、国家権力の増大やその地方自治への侵食に対し、つねに敏感であって、つねに対抗してきた。地方に基盤をおくアメリカの政党は、その綱領も地方間の妥協たらざるをえず、白黒のはっきりしたプログラムに参画することができない。反面、反イデオロギーであるがゆえに、過激なものも含め、ほとんどあらゆる政治信条を受け入れる余地をもつ。その結果、政党の枠外において、過激な政治運動を起こす必要をなくし、事実上それをほとんど不可能にしている。しかも、いかなるイデオロギーからも自由であるがゆえに、いかなる政策も、それが人気のあるものであれば、いつでも取り入れる用意があり、事実取り入れている。当然、政治の急激な変化は未然に防がれ、あるいは少なくとも緩和されている。人気のある政策は、およそ何でも取り入れている。
要するにアメリカの政党は、反中央、反権威、地域志向、反教条主義という意味において保守的な機関であるだけではない。それは、政府の絶対主義化を阻む最も有効な機関となっている」(207-8頁)。
ドラッカーが、このような政治文化の性格をどこまでアメリカが引き続きこの本の執筆当時まで保持し続けているかとみなしているのかは、よくわかりません。アメリカとイギリスの政治文化をストレートに礼賛しているような箇所もあれば、現在ではアメリカ建国当初の良質な政治精神が失われているように記す箇所もあります。しかし、それでも彼がアメリカとイギリスの政治のあり方に対して基本的に肯定的な評価を与えているのは確かなようです。
とくにその実践的で現実的なアメリカ文化の特徴をドラッカーは肯定しているのでしょう。良識と理性によって真理に到達できるとする欧州大陸の理念は、ドラッカーから見れば、フランス革命の恐怖政治、マルクス主義運動、ソビエトの一党支配、そして啓蒙理性の末路であるナチスを生んだからです。それらの専制的な体制に特徴的なことは、人間が永遠不変の真理に到達できると見なす傲慢さとそれに由来する他者への残虐性でした。ドイツ生まれのドラッカーにとって、このような歴史を生んだ啓蒙の理念は否定されるべきであり、そのためにもフランス革命に対されるべき保守主義の理念が見直されなければならず、その事例としてのアメリカ独立がフランス革命とははっきり異なることも強調されなければならなかったのでしょう。
例えばドラッカーは、アメリカの政治文化の特色としてコミュニティのボランティア組織と二大政党制を挙げます。
コミュニティとは教会、商業会議所、ロータリークラブ、PTAなどであり、「彼らは事実上、それらアメリカに特有の機関を通じて、コミュニティの一員としての機能を果たし、コミュニティの世論をつくり、行動を起こしている」(211頁)。
またアメリカ、そしてイギリスの二大政党制は、一党独裁の危険を抑止する機能を備えているとドラッカーは見ています。二大政党制により、野党はつねに存在感を保ち、与党は自分達の意見をごり押しすることができません。「二大政党制」という体制が、たとえ条文で規定されなくとも、実質的にそういう体制が成立することで、野党であってもつねに「国民の委任を受けた議員集団である」という観念が生まれ、より多くの国民の意思が議会に反映されやすくなる(とドラッカーは見ている)からです。彼は次のように述べます。
「イギリスの政治においては、野党たる少数派の意思もまた、与党たる多数派の意思と同じように、国民の意思とされた。それゆえに多数派の意思は、最終的意思でも絶対的意思でもなかった」「この多数派による絶対支配の阻止こそ、イギリスの二大政党制の役割であり、かつ目的だった。それこそまさに、絶対支配の阻止によって、自由を守るものだった」(214-5頁)。
こうした「絶対意思」「国家的意思」という前提を拒否する精神、それこそドラッカーが重視した保守主義の理念であり、それによってこそ政治の専制は防がれ、政治以外の領域で社会にとって重要な領域・すなわち経済の自由が確保される、そう彼は考えます。こうした精神によって初めて、ロックが基礎づけた「財産権」にもとづく自由の権利が根づき、国家に支配されない市民的自由が確保されます。
ドラッカーの見る保守主義とは、決して復古主義ではなく、現実の変革はその時点での環境を受け入れ、その環境を前提条件とするときにのみ有効であるとする考えに基づきます。理念に奉仕することを目的とせず、今ある現実を前提として、そこから変革できるものを見出していく現実的・実践的な志向です。
保守主義とは、伝統や現状を肯定することを意味するのではなく、その時点で変革できるもの、変革できる程度を絶えず検証していく精神です。そこには、神の啓示により一般意思が与えられるという傲慢な発想はなく、つねに自らの判断を懐疑に照らしながら、道を進めていきます。彼は次のように述べます。
「人間は自らの未来を知りえない。人間が知り、理解することができるのは、年月をかけた今日ここにある現実の社会だけである。したがって人間は、理想の社会ではなく、現実の社会と政治を、自らの社会的、政治的行動の基盤としなければならない。
人間は完全な制度を発明することはできない、理想的な仕事のための理想的な道具を発明しようとしても無駄である。なじみの道具を使ったほうがはるかに賢明である。なじみのある道具ならば、それがどのように使えるか、何ができるか、できないか、いかに使うべきか、どこまで頼りになるかがわかっている」(230頁)。
こうして人間は不完全であり真理は知り得ないとするキリスト教の理念と保守主義の理念がドラッカーの中で溶け合います。彼によれば、この理念をもっとも実践したのが、アメリカ建国の父であるジェファーソンたちでした。
問題は、このような保守主義の理念は前時代の「商業社会」に生まれたもので、産業化が進展する過程で、そのもたらした影響がまりにも巨大だったため、どのように応用すればよいのか分からなくなったことなのでしょう。
産業化がもたらしてきた社会の機械化と物質の増大という19・20世紀の現実の中では、経済環境の変化があまりにも速く大きかったため、その産業化された経済体制の中で、人間の自由を確保するためには、何を変えるべきかがわからなくなってしまいました。
冒頭に指摘したように、ナチスの出現は、ドラッカーから見れば、この問いの答えがわからなくなったヨーロッパの人が苦し紛れに選んだ答えでした。あるいはヴェーバーのように、この問いに正面から答えることを放棄するしか道はありませんでした。
ドラッカーも具体的な処方箋は何も書いていません。書けなかったのでしょう。組織化・産業化が問題であり、しかし理性による全面的な解決はナチズムが共産主義にしか至らないことを理解している彼にとっては、保守主義が答えを導く手掛かりでしたが、ではそれを産業社会にどう適用すればよいのか分からなかったのだと思います。
参考:『「経済人」の終わり―全体主義はなぜ生まれたか』 P.F. ドラッカー (著)“joy”
「自由」をもたらす真理の不可知性
興味深いのは(or当然なことに?)、ドラッカーにとって、この「自由」は真理の不可知性を前提する必要があるということ。ここから彼は、ルソーならびにフランス革命の理念への批判へと向います。
選択の自由とは、例えばAを選ぶ可能性と同時に選ばない可能性が存在するということ。この「選ばない=選ばなくてよい可能性」とは、つまり、人間には真理を理解できない権利が存在すること、人間には間違える権利が存在することを意味します。自分も含めてすべての人間が間違う可能性を前提することを、「自由」の概念は要請します。私たちは絶対の真理を知りえないからこそ、他人に従わず自分で選択する「自由」を確保できます。もし絶対の真理を知りえると想定すると、その時点で人間に自由は存在しなくなります。
論理的な推論で絶対の真理が存在するかどうかは、「自由」の存在にとって重要ではありません。どれほど論理的推論で真理に到達しようと、その真理は間違いであると「懐疑」すること、その態度によって初めてそこに「自由」は存在します。
「自由」とは知識・論理・言葉によって証明するものではありません。むしろ、どのような知識・論理・言葉が発せられようと、それをつねに疑うこと、そこに初めて「自由」が生まれます。そこで疑うことで、私たちは初めて「別の可能性」を探求する余地を確保でき、個人の意思を可能にすることができます。
ドラッカーはこの「自由」とキリスト教との結びつきを次のように述べます。
「自由の基盤となりうるものは、西洋ではキリスト教の人間観しかない。不完全で弱く、罪深いもの、塵より出でて塵に帰すべきものでありながら、神のかたちにつくられ、自らの行為に責任をもつものとしての人間である」(127頁)。
私たちは、自分が間違える可能性を前提にして初めて、自分の行為の根拠は「真理」ではなく自分にあることを示すことができ、それによって初めて自分の言動に責任をもつことができます。
この真理の不可知性は、真理は存在しないとする相対主義とは異なります。真理は存在しないとみなす相対主義では、個人は自分の行為に「責任」をもつことができません。「責任」とは、自らの行為の正しさ・適切さを検証する態度であって、そこではなんらかの基準が想定されています。それが「絶対的な基準」であるかどうかは個人には分かりません。しかし、同時にそれが「絶対的な基準」であると暫定的に思わなければ、それに照らして自分の行為の適切さ・正しさを検証することは行いえません。
「責任」は、自分は「真理」を知りえないこと、しかし「真理」はたしかに存在すること、したがって人間に出来ることはその「真理」に絶えず近づくために熟慮を重ねることで発生します。
「責任」とは客観的に存在するものではありません。私たちは他人に「責任」を押し付けることはできません。「責任」とは、その人がその時点で「真理」と思える基準で自分の行為を検証することで、その人が意識できるものです。
このように真理の追求と懐疑をつねに繰り返していくこと、それによって初めて「自由」「責任」は発生することが出来ます。
この精神に照らすと、社会の成員の間に「一般意思」が存在し、それは把握できるとみなすルソーとフランス革命の理念、ならびにそこから生じた民主主義・自由主義が、「自由」をもたらしえないことがドラッカーにとってはっきりします。
例えば投票による多数決における多数派に成員の意思が現れるという民主主義の思想は、「多数派」というものを動かしえない絶対的な立場におき、そこでは自由に備わるべき懐疑の精神が働きません。投票による数の調査によって成員の一般意思に到達できるとする考えは、必然的に、懐疑によって自らの責任を検証するという態度を生みません。多数派が一般意思であるという想定により、私たちは自らの選択が間違いであるという自覚を失います。ドラッカーは次のように述べます。
「近代の多数派支配の原理からは、一人ひとりの人間の権利や自由も、昔ながらの因襲に対する意味なき敬意の一つとして扱われるのが、関の山である。しかも、遅かれ早かれ、それらの権利や自由は、大衆の意思に対する反動的な障害とみなされるときがくる。少数派の利益のための、正当化されざる特権と見られるようになる。大衆と進歩の名のもとに攻撃の的とされるのは、つねに、それらの権利と自由である。なぜならば、それらの権利と自由こそ、多数派の意に反するからである」(151頁)。
ドラッカーによれば、多数派の意思を抑制するために、自発的に個々人の自由を尊重するという態度をとったとしても、それは少数派の自由というものを上から与えるものとしている限りで、市民個々人に自由と責任を与えることができないため不十分であるということです。
しかし、民主主義の欠陥が明らかになったからといって、君主政体や寡頭制の正しさが証明されるわけではありません。民主主義の欠陥は、多数派を一般意思とみなす精神にありますが、君主制や寡頭制はその代わりに「優秀な個人」「優秀な遺伝子」「高貴な貴族」こそ真理に到達できるとみなす点で同じ欠陥を共有しているからです。
この民主主義の欠陥を思い起こすと、西欧で発生した自由主義思想の限界が分かります。それは投票という理性的なコントロールによって真理に到達できるという思想であり、その点で「懐疑」という「自由」と「責任」に不可欠な契機を失ったものでした。知識人・良識派の多くがそのため、絶対真理を想定するという非合理な態度と理性的であろうとする意欲との間で引き裂かれ、実際的に有効な政治行動を起こせず、美辞麗句を述べるに止まるのはそのためです。
たとえば、それは戦後の日本を支配した朝日新聞的・左翼的な言辞などに端的に現れたものなのでしょう。実際に正統性ある権力を握ることに怯え、そのため言葉で「理性的」な絶対真理を述べて批判することしかできない状態に陥っていたのだと思います。
またこのような理性派が権力を握ると、フランス革命後で明らかになったように、多数派の絶対真理をもつという思い込みから、懐疑の精神を失い、自分の意見を反対する者を抹殺するという態度に陥ります。それはフランス革命のロべスピエールから、現代のアメリカ政府によるイラク・アフガニスタンへの攻撃、または昨年の自民党総裁による反対派の党追放にまで見られる現象なのだと思います。
ジャーナリストの田中字さんによれば、次期大統領候補の一人と目されるヒラリー・クリントンはアメリカのイラク侵攻を積極的に支持し、中東戦略を継続させる意思をもっているそうです(「ネオコンと多極化の本質」『田中宇の国際ニュース解説』)。もしそれが事実であるとすれば、彼女の著作“It Takes A Village”(『村中みんなで』)のあまりにも理路整然とした文章と自身の語り口、その良識的で弱者を助けることの大切さを訴えていく姿勢と、アメリカの民主主義に合わないものを攻撃する姿勢とは、矛盾なく一緒になっているのかもしれません(参考: “It Takes A Village” joy。
私はヒラリー・クリントンの“It Takes A Village”を素晴らしい著作だと今でも思うけど、その素晴らしさは同時に、著者である彼女が「私は素晴らしい真理を知っている」という思い込みに由来するのだとするなら、その彼女が中東への攻撃を支持するのも必然なのかもしれません。
変革の理念としての保守主義
ドラッカーは、このような理性万能主義に陥った“リベラル”・フランス革命・ルソーの理念に対し、バークなどに代表される保守主義の原理を、より「自由」と「責任」を生む思想として対置します。
ドラッカーによればこの保守主義は、アメリカの独立の成功をきっかけにしてアメリカとイギリスで発展したものでした。それは、理性によって“一般意思”を見出しうるという啓蒙専制的な精神が支配したヨーロッパとイギリス・アメリカを分かつものです。例えば彼はアメリカの政治を次のように説明します。
「アメリカの政党は、国家権力の増大やその地方自治への侵食に対し、つねに敏感であって、つねに対抗してきた。地方に基盤をおくアメリカの政党は、その綱領も地方間の妥協たらざるをえず、白黒のはっきりしたプログラムに参画することができない。反面、反イデオロギーであるがゆえに、過激なものも含め、ほとんどあらゆる政治信条を受け入れる余地をもつ。その結果、政党の枠外において、過激な政治運動を起こす必要をなくし、事実上それをほとんど不可能にしている。しかも、いかなるイデオロギーからも自由であるがゆえに、いかなる政策も、それが人気のあるものであれば、いつでも取り入れる用意があり、事実取り入れている。当然、政治の急激な変化は未然に防がれ、あるいは少なくとも緩和されている。人気のある政策は、およそ何でも取り入れている。
要するにアメリカの政党は、反中央、反権威、地域志向、反教条主義という意味において保守的な機関であるだけではない。それは、政府の絶対主義化を阻む最も有効な機関となっている」(207-8頁)。
ドラッカーが、このような政治文化の性格をどこまでアメリカが引き続きこの本の執筆当時まで保持し続けているかとみなしているのかは、よくわかりません。アメリカとイギリスの政治文化をストレートに礼賛しているような箇所もあれば、現在ではアメリカ建国当初の良質な政治精神が失われているように記す箇所もあります。しかし、それでも彼がアメリカとイギリスの政治のあり方に対して基本的に肯定的な評価を与えているのは確かなようです。
とくにその実践的で現実的なアメリカ文化の特徴をドラッカーは肯定しているのでしょう。良識と理性によって真理に到達できるとする欧州大陸の理念は、ドラッカーから見れば、フランス革命の恐怖政治、マルクス主義運動、ソビエトの一党支配、そして啓蒙理性の末路であるナチスを生んだからです。それらの専制的な体制に特徴的なことは、人間が永遠不変の真理に到達できると見なす傲慢さとそれに由来する他者への残虐性でした。ドイツ生まれのドラッカーにとって、このような歴史を生んだ啓蒙の理念は否定されるべきであり、そのためにもフランス革命に対されるべき保守主義の理念が見直されなければならず、その事例としてのアメリカ独立がフランス革命とははっきり異なることも強調されなければならなかったのでしょう。
例えばドラッカーは、アメリカの政治文化の特色としてコミュニティのボランティア組織と二大政党制を挙げます。
コミュニティとは教会、商業会議所、ロータリークラブ、PTAなどであり、「彼らは事実上、それらアメリカに特有の機関を通じて、コミュニティの一員としての機能を果たし、コミュニティの世論をつくり、行動を起こしている」(211頁)。
またアメリカ、そしてイギリスの二大政党制は、一党独裁の危険を抑止する機能を備えているとドラッカーは見ています。二大政党制により、野党はつねに存在感を保ち、与党は自分達の意見をごり押しすることができません。「二大政党制」という体制が、たとえ条文で規定されなくとも、実質的にそういう体制が成立することで、野党であってもつねに「国民の委任を受けた議員集団である」という観念が生まれ、より多くの国民の意思が議会に反映されやすくなる(とドラッカーは見ている)からです。彼は次のように述べます。
「イギリスの政治においては、野党たる少数派の意思もまた、与党たる多数派の意思と同じように、国民の意思とされた。それゆえに多数派の意思は、最終的意思でも絶対的意思でもなかった」「この多数派による絶対支配の阻止こそ、イギリスの二大政党制の役割であり、かつ目的だった。それこそまさに、絶対支配の阻止によって、自由を守るものだった」(214-5頁)。
こうした「絶対意思」「国家的意思」という前提を拒否する精神、それこそドラッカーが重視した保守主義の理念であり、それによってこそ政治の専制は防がれ、政治以外の領域で社会にとって重要な領域・すなわち経済の自由が確保される、そう彼は考えます。こうした精神によって初めて、ロックが基礎づけた「財産権」にもとづく自由の権利が根づき、国家に支配されない市民的自由が確保されます。
ドラッカーの見る保守主義とは、決して復古主義ではなく、現実の変革はその時点での環境を受け入れ、その環境を前提条件とするときにのみ有効であるとする考えに基づきます。理念に奉仕することを目的とせず、今ある現実を前提として、そこから変革できるものを見出していく現実的・実践的な志向です。
保守主義とは、伝統や現状を肯定することを意味するのではなく、その時点で変革できるもの、変革できる程度を絶えず検証していく精神です。そこには、神の啓示により一般意思が与えられるという傲慢な発想はなく、つねに自らの判断を懐疑に照らしながら、道を進めていきます。彼は次のように述べます。
「人間は自らの未来を知りえない。人間が知り、理解することができるのは、年月をかけた今日ここにある現実の社会だけである。したがって人間は、理想の社会ではなく、現実の社会と政治を、自らの社会的、政治的行動の基盤としなければならない。
人間は完全な制度を発明することはできない、理想的な仕事のための理想的な道具を発明しようとしても無駄である。なじみの道具を使ったほうがはるかに賢明である。なじみのある道具ならば、それがどのように使えるか、何ができるか、できないか、いかに使うべきか、どこまで頼りになるかがわかっている」(230頁)。
こうして人間は不完全であり真理は知り得ないとするキリスト教の理念と保守主義の理念がドラッカーの中で溶け合います。彼によれば、この理念をもっとも実践したのが、アメリカ建国の父であるジェファーソンたちでした。
問題は、このような保守主義の理念は前時代の「商業社会」に生まれたもので、産業化が進展する過程で、そのもたらした影響がまりにも巨大だったため、どのように応用すればよいのか分からなくなったことなのでしょう。
産業化がもたらしてきた社会の機械化と物質の増大という19・20世紀の現実の中では、経済環境の変化があまりにも速く大きかったため、その産業化された経済体制の中で、人間の自由を確保するためには、何を変えるべきかがわからなくなってしまいました。
冒頭に指摘したように、ナチスの出現は、ドラッカーから見れば、この問いの答えがわからなくなったヨーロッパの人が苦し紛れに選んだ答えでした。あるいはヴェーバーのように、この問いに正面から答えることを放棄するしか道はありませんでした。
ドラッカーも具体的な処方箋は何も書いていません。書けなかったのでしょう。組織化・産業化が問題であり、しかし理性による全面的な解決はナチズムが共産主義にしか至らないことを理解している彼にとっては、保守主義が答えを導く手掛かりでしたが、ではそれを産業社会にどう適用すればよいのか分からなかったのだと思います。
参考:『「経済人」の終わり―全体主義はなぜ生まれたか』 P.F. ドラッカー (著)“joy”