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日々の体験や思ったことを綴ります(by 涼風)。

『産業人の未来』 P.F.ドラッカー(著) 2

2006年04月25日 | Book
『産業人の未来』 P.F.ドラッカー(著) 1からの続き)

「自由」をもたらす真理の不可知性

興味深いのは(or当然なことに?)、ドラッカーにとって、この「自由」は真理の不可知性を前提する必要があるということ。ここから彼は、ルソーならびにフランス革命の理念への批判へと向います。

選択の自由とは、例えばAを選ぶ可能性と同時に選ばない可能性が存在するということ。この「選ばない=選ばなくてよい可能性」とは、つまり、人間には真理を理解できない権利が存在すること、人間には間違える権利が存在することを意味します。自分も含めてすべての人間が間違う可能性を前提することを、「自由」の概念は要請します。私たちは絶対の真理を知りえないからこそ、他人に従わず自分で選択する「自由」を確保できます。もし絶対の真理を知りえると想定すると、その時点で人間に自由は存在しなくなります。

論理的な推論で絶対の真理が存在するかどうかは、「自由」の存在にとって重要ではありません。どれほど論理的推論で真理に到達しようと、その真理は間違いであると「懐疑」すること、その態度によって初めてそこに「自由」は存在します。

「自由」とは知識・論理・言葉によって証明するものではありません。むしろ、どのような知識・論理・言葉が発せられようと、それをつねに疑うこと、そこに初めて「自由」が生まれます。そこで疑うことで、私たちは初めて「別の可能性」を探求する余地を確保でき、個人の意思を可能にすることができます。

ドラッカーはこの「自由」とキリスト教との結びつきを次のように述べます。

「自由の基盤となりうるものは、西洋ではキリスト教の人間観しかない。不完全で弱く、罪深いもの、塵より出でて塵に帰すべきものでありながら、神のかたちにつくられ、自らの行為に責任をもつものとしての人間である」(127頁)。

私たちは、自分が間違える可能性を前提にして初めて、自分の行為の根拠は「真理」ではなく自分にあることを示すことができ、それによって初めて自分の言動に責任をもつことができます。

この真理の不可知性は、真理は存在しないとする相対主義とは異なります。真理は存在しないとみなす相対主義では、個人は自分の行為に「責任」をもつことができません。「責任」とは、自らの行為の正しさ・適切さを検証する態度であって、そこではなんらかの基準が想定されています。それが「絶対的な基準」であるかどうかは個人には分かりません。しかし、同時にそれが「絶対的な基準」であると暫定的に思わなければ、それに照らして自分の行為の適切さ・正しさを検証することは行いえません。

「責任」は、自分は「真理」を知りえないこと、しかし「真理」はたしかに存在すること、したがって人間に出来ることはその「真理」に絶えず近づくために熟慮を重ねることで発生します。

「責任」とは客観的に存在するものではありません。私たちは他人に「責任」を押し付けることはできません。「責任」とは、その人がその時点で「真理」と思える基準で自分の行為を検証することで、その人が意識できるものです。

このように真理の追求と懐疑をつねに繰り返していくこと、それによって初めて「自由」「責任」は発生することが出来ます。

この精神に照らすと、社会の成員の間に「一般意思」が存在し、それは把握できるとみなすルソーとフランス革命の理念、ならびにそこから生じた民主主義・自由主義が、「自由」をもたらしえないことがドラッカーにとってはっきりします。

例えば投票による多数決における多数派に成員の意思が現れるという民主主義の思想は、「多数派」というものを動かしえない絶対的な立場におき、そこでは自由に備わるべき懐疑の精神が働きません。投票による数の調査によって成員の一般意思に到達できるとする考えは、必然的に、懐疑によって自らの責任を検証するという態度を生みません。多数派が一般意思であるという想定により、私たちは自らの選択が間違いであるという自覚を失います。ドラッカーは次のように述べます。

「近代の多数派支配の原理からは、一人ひとりの人間の権利や自由も、昔ながらの因襲に対する意味なき敬意の一つとして扱われるのが、関の山である。しかも、遅かれ早かれ、それらの権利や自由は、大衆の意思に対する反動的な障害とみなされるときがくる。少数派の利益のための、正当化されざる特権と見られるようになる。大衆と進歩の名のもとに攻撃の的とされるのは、つねに、それらの権利と自由である。なぜならば、それらの権利と自由こそ、多数派の意に反するからである」(151頁)。

ドラッカーによれば、多数派の意思を抑制するために、自発的に個々人の自由を尊重するという態度をとったとしても、それは少数派の自由というものを上から与えるものとしている限りで、市民個々人に自由と責任を与えることができないため不十分であるということです。

しかし、民主主義の欠陥が明らかになったからといって、君主政体や寡頭制の正しさが証明されるわけではありません。民主主義の欠陥は、多数派を一般意思とみなす精神にありますが、君主制や寡頭制はその代わりに「優秀な個人」「優秀な遺伝子」「高貴な貴族」こそ真理に到達できるとみなす点で同じ欠陥を共有しているからです。

この民主主義の欠陥を思い起こすと、西欧で発生した自由主義思想の限界が分かります。それは投票という理性的なコントロールによって真理に到達できるという思想であり、その点で「懐疑」という「自由」と「責任」に不可欠な契機を失ったものでした。知識人・良識派の多くがそのため、絶対真理を想定するという非合理な態度と理性的であろうとする意欲との間で引き裂かれ、実際的に有効な政治行動を起こせず、美辞麗句を述べるに止まるのはそのためです。

たとえば、それは戦後の日本を支配した朝日新聞的・左翼的な言辞などに端的に現れたものなのでしょう。実際に正統性ある権力を握ることに怯え、そのため言葉で「理性的」な絶対真理を述べて批判することしかできない状態に陥っていたのだと思います。

またこのような理性派が権力を握ると、フランス革命後で明らかになったように、多数派の絶対真理をもつという思い込みから、懐疑の精神を失い、自分の意見を反対する者を抹殺するという態度に陥ります。それはフランス革命のロべスピエールから、現代のアメリカ政府によるイラク・アフガニスタンへの攻撃、または昨年の自民党総裁による反対派の党追放にまで見られる現象なのだと思います。

ジャーナリストの田中字さんによれば、次期大統領候補の一人と目されるヒラリー・クリントンはアメリカのイラク侵攻を積極的に支持し、中東戦略を継続させる意思をもっているそうです(「ネオコンと多極化の本質」『田中宇の国際ニュース解説』)。もしそれが事実であるとすれば、彼女の著作“It Takes A Village”(『村中みんなで』)のあまりにも理路整然とした文章と自身の語り口、その良識的で弱者を助けることの大切さを訴えていく姿勢と、アメリカの民主主義に合わないものを攻撃する姿勢とは、矛盾なく一緒になっているのかもしれません(参考: “It Takes A Village” joy

私はヒラリー・クリントンの“It Takes A Village”を素晴らしい著作だと今でも思うけど、その素晴らしさは同時に、著者である彼女が「私は素晴らしい真理を知っている」という思い込みに由来するのだとするなら、その彼女が中東への攻撃を支持するのも必然なのかもしれません。

変革の理念としての保守主義

ドラッカーは、このような理性万能主義に陥った“リベラル”・フランス革命・ルソーの理念に対し、バークなどに代表される保守主義の原理を、より「自由」と「責任」を生む思想として対置します。

ドラッカーによればこの保守主義は、アメリカの独立の成功をきっかけにしてアメリカとイギリスで発展したものでした。それは、理性によって“一般意思”を見出しうるという啓蒙専制的な精神が支配したヨーロッパとイギリス・アメリカを分かつものです。例えば彼はアメリカの政治を次のように説明します。

「アメリカの政党は、国家権力の増大やその地方自治への侵食に対し、つねに敏感であって、つねに対抗してきた。地方に基盤をおくアメリカの政党は、その綱領も地方間の妥協たらざるをえず、白黒のはっきりしたプログラムに参画することができない。反面、反イデオロギーであるがゆえに、過激なものも含め、ほとんどあらゆる政治信条を受け入れる余地をもつ。その結果、政党の枠外において、過激な政治運動を起こす必要をなくし、事実上それをほとんど不可能にしている。しかも、いかなるイデオロギーからも自由であるがゆえに、いかなる政策も、それが人気のあるものであれば、いつでも取り入れる用意があり、事実取り入れている。当然、政治の急激な変化は未然に防がれ、あるいは少なくとも緩和されている。人気のある政策は、およそ何でも取り入れている。
要するにアメリカの政党は、反中央、反権威、地域志向、反教条主義という意味において保守的な機関であるだけではない。それは、政府の絶対主義化を阻む最も有効な機関となっている」(207-8頁)。

ドラッカーが、このような政治文化の性格をどこまでアメリカが引き続きこの本の執筆当時まで保持し続けているかとみなしているのかは、よくわかりません。アメリカとイギリスの政治文化をストレートに礼賛しているような箇所もあれば、現在ではアメリカ建国当初の良質な政治精神が失われているように記す箇所もあります。しかし、それでも彼がアメリカとイギリスの政治のあり方に対して基本的に肯定的な評価を与えているのは確かなようです。

とくにその実践的で現実的なアメリカ文化の特徴をドラッカーは肯定しているのでしょう。良識と理性によって真理に到達できるとする欧州大陸の理念は、ドラッカーから見れば、フランス革命の恐怖政治、マルクス主義運動、ソビエトの一党支配、そして啓蒙理性の末路であるナチスを生んだからです。それらの専制的な体制に特徴的なことは、人間が永遠不変の真理に到達できると見なす傲慢さとそれに由来する他者への残虐性でした。ドイツ生まれのドラッカーにとって、このような歴史を生んだ啓蒙の理念は否定されるべきであり、そのためにもフランス革命に対されるべき保守主義の理念が見直されなければならず、その事例としてのアメリカ独立がフランス革命とははっきり異なることも強調されなければならなかったのでしょう。

例えばドラッカーは、アメリカの政治文化の特色としてコミュニティのボランティア組織と二大政党制を挙げます。

コミュニティとは教会、商業会議所、ロータリークラブ、PTAなどであり、「彼らは事実上、それらアメリカに特有の機関を通じて、コミュニティの一員としての機能を果たし、コミュニティの世論をつくり、行動を起こしている」(211頁)。
またアメリカ、そしてイギリスの二大政党制は、一党独裁の危険を抑止する機能を備えているとドラッカーは見ています。二大政党制により、野党はつねに存在感を保ち、与党は自分達の意見をごり押しすることができません。「二大政党制」という体制が、たとえ条文で規定されなくとも、実質的にそういう体制が成立することで、野党であってもつねに「国民の委任を受けた議員集団である」という観念が生まれ、より多くの国民の意思が議会に反映されやすくなる(とドラッカーは見ている)からです。彼は次のように述べます。

「イギリスの政治においては、野党たる少数派の意思もまた、与党たる多数派の意思と同じように、国民の意思とされた。それゆえに多数派の意思は、最終的意思でも絶対的意思でもなかった」「この多数派による絶対支配の阻止こそ、イギリスの二大政党制の役割であり、かつ目的だった。それこそまさに、絶対支配の阻止によって、自由を守るものだった」(214-5頁)。

こうした「絶対意思」「国家的意思」という前提を拒否する精神、それこそドラッカーが重視した保守主義の理念であり、それによってこそ政治の専制は防がれ、政治以外の領域で社会にとって重要な領域・すなわち経済の自由が確保される、そう彼は考えます。こうした精神によって初めて、ロックが基礎づけた「財産権」にもとづく自由の権利が根づき、国家に支配されない市民的自由が確保されます。

ドラッカーの見る保守主義とは、決して復古主義ではなく、現実の変革はその時点での環境を受け入れ、その環境を前提条件とするときにのみ有効であるとする考えに基づきます。理念に奉仕することを目的とせず、今ある現実を前提として、そこから変革できるものを見出していく現実的・実践的な志向です。

保守主義とは、伝統や現状を肯定することを意味するのではなく、その時点で変革できるもの、変革できる程度を絶えず検証していく精神です。そこには、神の啓示により一般意思が与えられるという傲慢な発想はなく、つねに自らの判断を懐疑に照らしながら、道を進めていきます。彼は次のように述べます。

「人間は自らの未来を知りえない。人間が知り、理解することができるのは、年月をかけた今日ここにある現実の社会だけである。したがって人間は、理想の社会ではなく、現実の社会と政治を、自らの社会的、政治的行動の基盤としなければならない。
 人間は完全な制度を発明することはできない、理想的な仕事のための理想的な道具を発明しようとしても無駄である。なじみの道具を使ったほうがはるかに賢明である。なじみのある道具ならば、それがどのように使えるか、何ができるか、できないか、いかに使うべきか、どこまで頼りになるかがわかっている」(230頁)。

こうして人間は不完全であり真理は知り得ないとするキリスト教の理念と保守主義の理念がドラッカーの中で溶け合います。彼によれば、この理念をもっとも実践したのが、アメリカ建国の父であるジェファーソンたちでした。

問題は、このような保守主義の理念は前時代の「商業社会」に生まれたもので、産業化が進展する過程で、そのもたらした影響がまりにも巨大だったため、どのように応用すればよいのか分からなくなったことなのでしょう。

産業化がもたらしてきた社会の機械化と物質の増大という19・20世紀の現実の中では、経済環境の変化があまりにも速く大きかったため、その産業化された経済体制の中で、人間の自由を確保するためには、何を変えるべきかがわからなくなってしまいました。

冒頭に指摘したように、ナチスの出現は、ドラッカーから見れば、この問いの答えがわからなくなったヨーロッパの人が苦し紛れに選んだ答えでした。あるいはヴェーバーのように、この問いに正面から答えることを放棄するしか道はありませんでした。

ドラッカーも具体的な処方箋は何も書いていません。書けなかったのでしょう。組織化・産業化が問題であり、しかし理性による全面的な解決はナチズムが共産主義にしか至らないことを理解している彼にとっては、保守主義が答えを導く手掛かりでしたが、ではそれを産業社会にどう適用すればよいのか分からなかったのだと思います。




参考:『「経済人」の終わり―全体主義はなぜ生まれたか』 P.F. ドラッカー (著)“joy”

『産業人の未来』 P.F.ドラッカー(著) 1

2006年04月25日 | Book
以前、P.F.ドラッカーの処女作『経済人の終わり』(1939)についてエントリーしました。このドイツ生まれの世界的ベストセラー作家・経営学者について私はあまり知らないのですが、そのイメージに反して処女作はナチスと全体主義国家に関する簡潔で鋭い政治経済的分析で、彼が社会全体のあるべき状態について非常に強烈な問題関心を持つこと、それゆえ第二次大戦とナチスの侵攻は彼にとって急迫の問題だったことが分かります。

ありふれたコンサルタントとも現代のテクノクラート的な社会科学者とも違い、ドラッカーは社会・人類のあるべき方法を模索する偉大な思想家なのではないか、そういう予想を抱かせる処女作でした。

『産業人の未来―改革の原理としての保守主義』は、その彼が『経済人の終わり』の次に1942年に出版した著作で、内容的に『経済人の終わり』の続編と言えるものです。

『経済人の終わり』では、ナチスの社会体制はヨーロッパの産業・経済発展の挫折、恐慌の激化により無感覚に陥った大衆が、既存の体制に拒否反応を示すために採られた体制であることを告発した著作でした。ドラッカーにとってナチス体制は、決してヒトラーという気まぐれな悪魔が作ったものではなく、工業主体の経済体制が陥った停滞の必然物でした。

ドイツのナチス体制では、それまでの産業社会を否定するように、“経済発展”というビジョンをもたず、国民生活の豊かさというビジョンももたない社会が出来上がりました。そこではただ国民の倹約によってのみ成り立ち、対外侵攻以外に目標をもたない社会体制が生まれました。

したがって、このナチス体制を連合軍が打ち破ることができるかどうかは、これからの西欧の産業社会がその恐慌・停滞を乗り越えて発展していくことができるかを意味することをドラッカーは指摘します

『産業人の未来』は、そうした問題意識を引き続きもち続け考察をより深めた著作です。1942年に書かれたこの本は、今では時代遅れになっている部分があるように一見見えますが、この本の問い自体はそのまま現代に通用するものです。この本を読んで私は、ますます、このドラッカーという人の大きさを感じました。

この本でもドラッカーは、ナチスという問題は決して(戦後のドイツ人たちが考えたような)ドイツ固有の問題ではなく、ヨーロッパが作りアメリカが発展させている“産業社会”がここで終わるか変革できるかの瀬戸際に立っていることを意味することを指摘します。

社会における「位置」と「役割」の必要性

産業社会が作り出した経営組織の官僚制が支配する社会体制・国民生活を破壊する(当時の)恐慌という状況の中で、その産業社会への大衆的な拒否反応がナチズムとして現れたのですが、そこで人々に魅力的な生き方・働き方・生活を提示できるかいなか、そこに産業社会の未来がかかっているとドラッカーは述べます。ドラッカーはそれを、個人がその社会の中で“位置”と“役割”を持てる社会かどうか、と表現します。彼は次のように述べます。

「社会というものは、一人ひとりの人間に対して「位置」と「役割」を与え、重要な社会権力が「正統性」をもちえなければ機能しない。前者、すなわち個人に対する位置と役割の付与は、社会の基本的枠組みを規定し、社会の目的と意味を規定する。後者、すなわち権力の正統性は、その枠組みのなかの空間を規定し、社会を制度化し、諸々の機関を生み出す。
 一人ひとりの人間が社会的な位置と役割を与えられなければ、社会は成立せず、大量の分子が、目的も目標もなく、飛び回るばかりである。他方、権力に正統性がなければ、絆としての社会はありえない。すなわち、奴隷制あるいはたんに惰性の支配する真空が存在するだけである」(22-3頁)。

大衆一人一人に社会における位置と役割をもてなくさせたのが、産業社会のもたらす恐慌であり、官僚制的な社会だったと彼は言いたいのだと思います。

恐慌による失業が個人にとってもたらすのは、決して物理的な欠乏だけではなく、それ以上に個人の生きる意味の喪失です。その「個人の生きる意味の喪失」は、失業により社会へのアクセスする道が絶たれていることに由来します。ドラッカーは次のように述べます。

「失業した者は社会から疎外される。気力を失い、技能を失う。無関心となり、無感覚となる。
 初めは腹をたてる。しかし、たとえ反抗というかたちしかとりえないとしても、腹をたてることは社会参加の一形態である。ところが、まもなく彼らは、社会が、反抗すべき相手としてさえ、あまりに非合理かつ理解不能なものであることを知る。途方に暮れ、怯え、絶望する。そしてついには、屍同様の無感覚に陥る。・・・
事実、彼らは異人種である。彼らの周りには、彼らを見捨てた社会に属する人々と、彼らを分ける目に見えない壁が出来ている。しかも、彼らだけでなく、社会のほうもこの壁の存在を意識する。こうして、失業者と就業者の間の社会的な絆は徐々に消えていく。失業者と就業者は、別の酒場、別の玉突き場に出入りする。互いに結婚することはほとんどない」(91-2頁)。
 

大恐慌が西欧社会と世界に教えたのは、産業社会ではこの失業が常態化する可能性でした。ドラッカーによれば、それ以前の社会ではいかなる恐慌においても慢性的な失業は存在しませんでした。19世紀最大の不況である1873年の恐慌においてさえ、失業は発生しませんでした。「しかも失業はたとえ発生したとしても、恐慌の最後に現れ、最初に消える現象だった。失業は、株価や物価の上昇、企業収益の改善がもたらされるはるか前になくなっていた。 しかし前回の大恐慌では、雇用が増加したのは、他のあらゆるものが回復した後のことだった。それどころか、この20年間における失業問題の最も怖しい点は、景気が回復しても、さらには好況となっても、失業が執拗に続いたことだった」(90-91頁)。

またたとえ失業しなくとも、20世紀的な組織で働くことは、機械の歯車となることを意味するため、必然的に生きる意味を感じることができない労働に陥いってきました。

この傾向は現代でも引き継がれており、事務的部門が組織でいまだに不可欠なものとされ、派遣労働によって補われていることに現れています。“工場労働者”的な労働とは、必ずしも肉体労働を意味するのではなく、熟練した技能を発達させるチャンスを与えられず、時間と指令によって創造性より機械としての正確さのみが求められる労働です。そこでは労働が単に個人的な生計の資を得る手段に成り下がり、労働者はその労働を通して組織と社会に参画しているという意識をもちえません。

「組み立てラインの技術は、社会的な位置や役割、個性をもたない労働力、標準化された交換可能な分子としての労働力を必要とする」(94頁)。

現代の“知識労働化”、すなわち差異をもつサーヴィスの重要性の高まりという状況は、労働者が一部の“知識労働者”と上記のような歯車に別れる事態を指すのであって、工場労働的な労働がなくなることを意味しません。むしろ二つの格差を固定化する危険を孕んだ社会です。

ドラッカーはブレイヴァマン(『労働と独占資本』)より30年も前に、次のように述べます。「本物の労働者とは、技術者や職人としての誇り、仕事の中身、必要とされる技能、そして社会的なしかるべき位置と役割をもつ人びとだった。昔の印刷工、鉄道技師、機械工ほど、誇りや自尊心をもち、自らの仕事と社会とのかかわりを意識していた人々はいなかった」(95頁)。

経済組織の正統性の危機

個々人の産業社会における「位置」と「役割」の喪失は、権力の正当性の危機と結びつきます。なぜなら、その喪失は、主に産業社会全体の組織化・機械化・官僚制化によって、個々人の権利が実質を失いながら、権力はピラミッドの頂点に集中し、組織はたしかに権力を発揮できるのですが、もはやその権力に大衆の支持という意味での正統性は存在しないからです。

ドラッカーはそのことを示す主な例として株式会社の存在を挙げます。株式会社の巨大化により、株を個々人がもつことによって経営権に影響力を発揮するという本来の株主の権利は失われ、株は単なる売買のための紙となり、株主にとっては金銭との結びつきしかもちえません。そこでは株式会社が本来持っていた成員の自治という機能は失われ、実質的な権限は経営者にのみ集中します。

またアメリカの大企業に顕著なように、経営者自身が大株主であり、また日本企業では株式の相互持合いで実質的に経営者に企業の権限が集中するような体制が産業社会では採られていました。

これにより、個々人の労働が社会構成体への権利を作り出すというロックの市民社会の理念は通用しなくなり、企業の権力は株主の支持をもたない巨大権力へと変貌しました。これにより株主は企業との結びつきがなくなり、企業への参画意識は芽生えなくなりました。そこには「権力」は存在しますが、成員の支持という権力の正統性は存在しません。

「経営陣の権力は、いかなる観点から見ても、社会が権力の基盤として正統なものと認めてきた基本的な理念にもとづいていない。そのような理念によって制約されてもいなければ、制約を課されてもいない。そのうえ、なにものに対しても責任を負っていない」(83頁)。

(この問題は、80年代以降のアメリカや現代の日本では一見通用しないように見えます。株主主権という概念が持ち上がり、株の買占めにより経営への影響力を発揮させる株主の出現です。

しかし、それは決して株主個々人の権利の復権という意味はもたないでしょう。個人株主は相変わらず市場の取引に翻弄されるだけで、一部上場企業に影響力を発揮できる「個人」は存在しません。現在株主として経営者に影響力を行使しているのは「機関投資家」であって、それは市場・法律知識を駆使する一種の専門家集団です。

M&Aなどを用いるその手法は一つのビジネスの発明でしたが、それは大衆「株主」の権利を取り戻しているわけではありません)

社会保障の限界

こうした危機的状況に対して、(戦後の西欧とアメリカが追求した)「社会保障」というものの効果をドラッカーは疑問視します。それは、80年代以降になってあらためて西欧が直面した問題を指摘する視点です。

すなわち、「経済的満足は社会的にも政治的にも消極的な意味しかもちえない」という洞察です。すでに19世紀の終わりから実施されていた西欧諸国の社会保障政策がドラッカーに教えたことは、社会保障が実現する経済的な満足というものは、それがなければ深刻な社会的・政治的亀裂をもたらすが、しかしそれだけでは「機能する社会」をもたらすことができないという教訓でした。社会保障は「機能する社会のための前向きな基盤」とはなりえない。「いかなる社会保障といえども、社会の構成員に対して、社会的な位置と役割を与えることはできない」(98-9頁)。

「位置と役割」をもたらす「自由と責任」

では、この「社会的な位置と役割」を産業社会にもたらす手段とは何なのか?ドラッカーはこの書ではその問いに具体的な答えを与えません。むしろ「社会的な位置と役割」をすべての社会成員にもたらすための思想的基盤を理論的・歴史的に考察することで、この書を終えようとします。その点で、この本はドラッカーにとって、何がまだ分からないかを明らかにするための本だったのかもしれません。

ドラッカーにとって、個々人に社会における位置と役割を与える上で確認すべきことは、個人がその自律性に沿って行動する自由と責任を負うこと。自由な言動とそれがもたらす結果に対する責任を意識すること。それにより個人は自らの存在が社会の中で「位置」をもっているという自覚をもつことができます。

たとえば、ショーウィンドウを見てアイスクリームを食べるかパフェを食べるかという選択は、責任を伴う自由と結びつきません。消費の選択は、個人的な行動に過ぎず、社会への参画とは結びつかないからです。

しかし、同じ消費でも、環境・社会に悪影響を与える商品を買わないという選択は、それが他人の生活と社会のあり方に影響を生じさせるという点で、責任を伴う自由な行為と言えます。

自由/責任とは、社会における「重要な」領域での行動において必要となるものです。そのような領域(それは時代ごとで変わる)では、個人の行動が他者の生活に大きな影響を及ぼします。

ひょっとすると現代では、「投票」という行為が実は社会のあり方に与える影響は少なく、それゆえ責任を伴う自由な選択を必要としない場面になっているかもしれません。それに対して、コンビニで商品を購入する際に、店員に自然に微笑み「ありがとう」と言うことのほうが社会全体に与える影響のほうがじつは大きいのかもしれません。本田健さんが知っている調査によれば、都市で生活する個人は一万人の人の生活に影響を与えることができるそうです。お店で接する店員に「ありがとう」と言うことで店員は機嫌がよくなりその同僚や家族に優しく接することができその同僚もまた知り合いに機嫌よく振る舞い・・・という連鎖が都市では一万人に及ぶということです。ネットの広がりを考えるともっと大きいのかもしれません。

ともかく肝要なことは、その社会において「重要」な領域、「その領域における価値がその社会の社会的価値であり、褒賞が社会的褒賞であり、名声が社会的名声であり、理想が社会的理想であるような領域における自由」を確保することです。それはある地域では宗教であり、別のところでは政治であり、また別のところでは経済であります。

ドラッカーの生きた時代と場所では、その重要な領域とは経済と産業組織であり、その傾向は現代に至るまで続いています。つまり、個人が経済生活を営む領域での自由の確保が依然として私達の社会においては重要な課題であり、それを達成しない限りは、個々人に位置と役割を付与することは不可能であるということです。

もっとも、ここから経済中心主義の社会をそのまま受け入れるか、そこからの脱皮を図るかについては人によって意見が分かれるところかもしれません。経済領域における自由・位置・役割の付与が重要であるということで、「ひきこもり」「ニート」「フリーター」の人たちに職業訓練プログラムを与え半ば強制的に労働世界に引き込むことが本当に自由な社会の創造につながるのかどうかは分からないからです。

ソニーの取締役・天外司朗さんは、「ひきこもり」の人たちの出現は、経済と競争中心の価値観からの脱皮を図ろうとしており、その点で彼らは進んだ人類だと指摘しています。もしそうだとすれば、経済領域における位置・役割の付与に固執することが既存の経済競争の体制をそのまま肯定する危険についてもっと意識すべきなのかもしれません。

もちろん、だからといって急激な経済体制の転換というものは非現実的であり(それはドラッカーも天外さんも忌み嫌っていることです)、既存の経済組織自体は維持していたほうがいい。ただその組織の中で、そこにいる個々人が少しずつ競争とは別の価値観をもつことが重要なのだと思います。

ともかく、経済領域における個々人の自由・位置・役割の確保がドラッカーにとっては自由となります。そこでこそ個々人は、規則に従うだけの“工場労働”とは異なり、自らの選択能力・創造性を発揮させることができます。したがって大切なことは、経営者には従業員に彼らのクリエイティビティを発揮させるような経営環境を探求させることであり、政府・行政には国家の管理領域や大企業のみを優遇する措置を撤廃させることなどになります。

『産業人の未来』 P.F.ドラッカー(著) 2に続く)

京都ドイツ文化センターに行こう

2006年04月25日 | 日記


ドイツ語のオーディオブックというのはアマゾンで手に入りますが、おそらく少数しか入荷しないのか殆んどが品切れ状態です。

ドイツ語のリスニングは英語以上か同じくらい上手くないので、同じドイツ語のCDを一日30分ぐらい聴いているのですが、そろそろ他のCDも買おうかなと思い始めていました。

でも有名な文学の古典のCDだと1セット5000円以上もしてひじょうにお高い。

そこでふと今日思ったのが、ドイツ文化センター。一番大きなのは東京にありますが、大阪京都にもあります。

そのHPを見てみると京都のセンターには図書室があり、ちゃんとオーディオブックも置いてあるようです。

年会費3千円で借りられるとのこと。オーディオブックを買うことを考えれば、かなり安くなりそうです。

問題は自分の聞きたいものが置いてあるかですが、それもウェブで分かるみたい。

そのうち京都に行ってみようと思いました。

ついでに長い間会っていない知り合いがいないかと思ったけれど、京都に知り合いはいないなぁ。

わざわざ京都まで行ってドイツ文化センターに行って直行で帰ってくるというのもオマヌケな感じですが、ひとりでお寺参りするのも結構疲れるかも。

僕は半年だけ京都に住んでいたことがあるのですが、そのときも京都の名所周りなんかしなかったし、神戸で生まれ育っても京都にはほとんど行ったことがなかった。

大阪の人も言っていたけれど、海外からの観光客が見る京都の名所も大阪の人が京で見る場所も全く一緒なんですよね。近いようで、大阪・神戸ぐらいになると京都のことなんて何も知らないんです。


涼風