joy - a day of my life -

日々の体験や思ったことを綴ります(by 涼風)。

お金

2006年04月18日 | reflexion

今の生活では、スムーズに行ったときで一日に7時間くらい勉強します。とくに何かに集中して勉強しているわけではないのですが。語学だったり、本を読んだり、両方を兼ねたり。

毎日そうしていると疲れてきて、たまに何もしたくなくなるときもあります。

今日は、別の要因で夕方頃から何も手がつかなくなりました。ある組織から手紙が送られてきて、2万円強を払うようにとのこと。

僕はてっきりそれは払わなくてよいと思っていたので、とても動揺しました。胸がどきどきします。

それを払わなければどうなるのか分かりません。社会的に排除の眼差しを向けられたりする怖れも感じます。

あるいは払わなくてもなんの影響もないのかもしれません。

また別の組織からももっと多額の請求が来るかもしれないという怖れも同時に湧き起りました。


以前ある人が、

「お金というのはスピリチュアルなもの」

と言っていました。それがどういう意味なのかじつはいまだに僕には分かりません。

お金とは、僕の場合はつねに欠乏感と結びついているかもしれません。

普通の、あるいは経済的に下層の家庭に育つと、お金とは「キツキツ」した感じで守るもの、という感じだと思います。それは、自分からお金を生み出す、あるいはお金の流れを作り出す知恵がないと思い込んでいるので、自分がお金をもつには入ってきた「なけなし」のお金を出て行かないように両手・両腕でぎゅっと握り締めているべきものなのです。

でも、水と同じで、どんなに両手・両腕を組み合わせても、スルスルと水(お金)は出て行ってしまいます。


涼風

痩せたい

2006年04月18日 | 日記


なかなか痩せない。

たしかに結果を早急に求めるのはよくないけど、べつに5キロや10キロ痩せたいのではなく、2キロ、2キロ痩せるだけで十分なのだ。それだけで僕の場合はズボンのボタンが大分ラクに感じます。

以前よりも歩くようにしたり(上の写真の場所とか)、紅茶を飲むときにクリームを(たまに)控えたり、パンに塗るマーガリンの量を減らしたりしているのだけど。

しかしよく歩いた日はお腹がすいてパンとかを間食でよく食べたりしているのも事実です。

もしジムとか行ったりしたら(そんな予定はないけど)もっとバクバク食べるかもしれない。


涼風

「宗教・宗教改革・社会変動」H.R.トレヴァー=ローパー(著)

2006年04月18日 | Book
英国の歴史学者H.R.トレヴァー=ローパーの『宗教改革と社会変動』(未来社)所収の論文「宗教・宗教改革・社会変動」を読みました。

これを読んだきっかけは、中井久夫さんの論文「分裂病と人類」「執着気質の歴史的背景」の中で、ピューリタニズムが当時の西欧世界に与えたインパクトを記した参考書としてこのトレヴァー=ローパーの本を挙げていたからです。

この本には他にも二つの論文が収められています。「宗教・宗教改革・社会変動」は50頁ほどの論文。二回ほど読み直して頭に入った感じですが、なかなか刺激的な論文でした。

この論文は、ヴェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』の、プロテスタンティズムの人間類型と資本主義の精神との親和性というテーゼを参考にしつつ、宗教改革と資本主義の勃興との関係は実際にはどうだったのか(というのもヴェーバーの試論は歴史的検証が著しく欠けている)を探ろうというものです。

トレヴァー=ローパーが宗教改革と資本主義との関連の探求に関して着目したのは、まず16・7世紀の企業家層の出身地方でした。

ヴェーバーのプロ倫テーゼが、プロテスタンティズムが直接資本主義を生み出したことを言おうとしていたわけではなくとも、プロテスタンティズムの人間類型が資本家的行動を推進することに与って力があったと指摘しているのは事実です。トレヴァー=ローパーも、当時の代表的な商人(その例としてスウェーエンやデンマークの政商などが挙げられている)がカルヴィニズム(プロテスタンティズムの一派)出身だったことを認めます。

また面白いのは、これらカルヴィニストの商人たちが活躍したに、彼らが仕えた国家宮廷にはカトリック国やルター派の国(スウェーデン、デンマーク、ハプスブルグ朝、フランス、スペインなど)があり、必ずしも急進的なプロテスタント派の国とは言えなかったことです。宗教改革が吹き荒れた16世紀にそれを潰そうとした国々が17世紀にはこれら改革派の商人たちの力を借りようとしたわけです。

ここでトレヴァー=ローパーは、カルヴィニズムと資本主義(的人間類型)との関連を説いたヴェーバー・テーゼを直接認めることを戒めます。ヴェーバーの論証では、恰も敬虔なカルヴィニストであるほど資本主義を推進することになったように読めますが(それは正確には間違いだけど)、上記のカルヴィニズムの商人たちはとても敬虔な信者とは言えないし、その行動パターンだけをとっても真正なカルヴィニストと言えるかどうかも怪しいものでした。すでに彼らは金銭的な利益の蓄積だけを使命と感じず、それを奢侈への没頭に用いるだけの欲深さもそなえた俗人たちでした(28頁)。彼らの行動パターンは必ずしもヴェーバーが想定したような「禁欲」とも言えませんでした。

では、ヴェーバーの分析が完全とは言えないとしたら、なぜカルヴィニズム出身の商人たちが、当時の宮廷に軒並み重宝されるほどの企業家精神を発揮しえたのかという問題が今度は出てきます。

そこでトレヴァー=ローパーは、これら商人たちの出身地域を調べてみることにします。すると一つの事実が浮き上がってきます。

これらの商人たちは、それぞれオランダ・スコットランド・ジュネーブ・プファルツなどですが、それらの地域自体は確かにカルヴィニズムが根づいた改革派の都市ですが、そこからヨーロッパ全体で活躍するようになった企業家達自身は、それらの土地の出身ではなく、また別の地域からそれら改革派の都市へと移住してきたのが実際でした。

では当時活躍していた企業家たちの元々の出身地はどこかと言えば、トレヴァー=ローパーが見出したのは、フランドル(アントワープ)(ベルギー・フランス)・リエージュ(ベルギー)・アウグスブルク(ドイツ)・コモ・ロカルノ・ミラノ・ルッカ(イタリア)などです。

著者はこれらの都市について次のように述べます。すなわち、これらの都市には、産業革命以前にすでに遠隔地間商業と二大産業(毛織物工業と鉱山業)を基盤にして「大規模資本主義」が成立しており、その点で「中世資本主義の遺産を承継ぎ、近代資本主義の皮切りとして明るい展望を持ってい」た、「ヨーロッパ経済史上重要な土地」でした(35頁)。

もう少し詳しく言うと、

アントワープ:毛織物工業
リエージュ:鉱山・精錬業
リスボン:遠隔地商業
アウグスブルク:繊維工業
ミラノ・フィレンツェ:工業
ヴェネチア・ジェノヴァ:商業・金融

となります。これが1500年代のこれら経済先進都市(それらは改革派の都市ではない)の様相です。

著者はこれらの都市の経済活動について、「その方式の〈合理的なること〉、その機構の〈官僚制的であること〉にかけては、近代資本主義のどこと較べても遜色がなかった」と言います(36頁)。つまり、宗教改革を俟たずとも、「近代資本主義的行動類型」は世界史上に存在したということです。「フランドル人がオランダ・スウェーデン・デンマークに、イタリア人がリヨンやスイスにもたらした手法は、中世資本主義の旧い手法だったのであり、それは宗教改革前夜に完成されており、新しい諸地域はそれを活用したに過ぎない。要はそれだけのことである」。著者はこれらの事実を見て、「カトリック支配下のヨーロッパは、少なくとも宗教改革までには、資本主義経済を創り上げる能力を完全に具えていた」と指摘します(37-8頁)。

ここで

・では宗教改革派が資本主義的企業家像と深い関係があったというヴェーバー・テーゼはまったくの事実誤認だったのか?

・カトリシズムと資本主義とは深い関連があるのか?それとも、もともと宗教と経済発展との間には関連がないのか?

・なぜ上記のカトリック地域の企業家たちはカルヴァン派の都市への移住したのか?

などの疑問が出てきます。

この論文の最初で著者は、まず1600年代にヨーロッパ諸国で宮廷と深く結びついた企業家達がカルヴァン派であること、また彼らカルヴァン派は敬虔な信者とは言えないし、彼らの行動類型にもヴェーバーが見出したような禁欲の精神や経済活動のみへの専心といった特徴も見出せず、むしろ強欲な金銭欲に彩られた行動をも見せたことを指摘します。

しかしトレヴァー=ローパーは、これら1600年代に活躍した企業家達の出自が改革派の都市から上記のカトリック諸国へと遡ることを確認したう上で、面白いことに(奇妙なことに?)再度宗教の精神と企業家活動との関連を指摘することで、上の疑問に答えようとします。

すなわち著者は、「ヴェーバーがこの<召命>という考えのうちに資本主義創出の不可欠の要因を認めたことは、疑いもなく正しい。だが、彼は、実はこのような考えが純粋にプロテスタント的な考えであると想定したのであり、この点で決定的に間違っている」と述べます(40頁)。

当時の腐敗・肥大化したカトリック教会組織に反旗を翻したルターには、同時代にその先人とも言うべき人、オランダの神学者エラスムスがいました。ルターよりも早く教会批判を行ったのが彼でした。トレヴァー=ローパーは、エラスムスの教えと企業家層・教養層との結びつきを重視します。

エラスムスの教えは「世俗の職業生活も、その日々の勤めに当って内面的信仰により清められるならば僧の勤行に劣らぬ神聖なるものであるとしてこれを称揚」するものであり、ルターは彼を尊敬していたそうです。著者によれば、「この思想が、とりわけブルジョアジーの態度であったことは、常識となってい」ました。

エラスムス自身はカトリック組織を転覆させるという意思をもたず、その点でルターには必ずしも賛同しませんでした。しかしエラスムスは純粋に聖書の教えに立ち返ることを説いたのであり、言わばキリスト教の教えを純粋に遂行しようとしただけだと言えます。

ヴェーバーが見出した「プロテスタンティズムの倫理」とは、そのままエラスムスの思想にまで遡ることが出来ると著者は言い、事実カルヴァンが強い影響を受けていたことを指摘します。つまり、ヴェーバーが見出した倫理とは改革派が発明したものではなく、宗教改革以前に、教会組織の目的化ではなく、聖書の教えに立ち返ることを実践しようとした敬虔な神学者の思想(それはエラスムスに限らず)にまで遡ることが可能かもしれません。

実際ヴェーバーも、「プロテスタンティズムの倫理」と同種のエートスを必ずしも改革派の歴史のみではなく、それ以前の過去の歴史にも見出しています。

このエラスムスの教えは教会組織の転覆を意図していませんでしたが、宗教改革が拡がる中でカトリック諸国にとっては危険な思想と捉えられます。

ここでトレヴァー=ローパーは、(ヴェーバーと同じく?)やはり篤い信仰心が社会変動を引き起こしたという仮説を提示します。

彼によれば、エラスムスが表現した思想は「ヨーロッパの旧来の経済的エリート達が、何代もの間貫き、何代にもわたって許容されて来たその精神的態度」(43頁)だったのですが(つまり、やはり純粋な信仰と経済的な実践は結びつくということか?)、カトリック諸国はこの思想を異端で反教会的と見なしたため、企業家たちは移住を余儀なくされたというわけです。

ただこの移住は、純粋に信仰(理念)のみにかかわる利害とは言えないところがあります。それは、企業家たちにはその信仰と経済活動が一体化しているために、むしろ自身の信仰が迫害を受けることと経済活動が阻害されることは一体化していたと言えます。

ここに著者は、15世紀以降に進展していたカトリック諸国の政治・経済体制の転換の影響を見ます。すなわち、本来中世の資本主義を生み出したそれら自治都市共和国(フランドルやハンザの諸都市、地中海地方ではイタリア諸都市、ライン地方や南ドイツの諸都市)では、王侯たちが都市を併呑するに際して新権力維持のために土地貴族や教会の支援を求めたため、見返りに彼らを「官職保有者」層としました。しかしこうした官職の増大は維持に費用がかかり、そのため間接税を通じて大衆や商工業への賦課が行われます。

ここで資本主義を生み出したこれら諸都市の中で、王の権力を後ろ盾とする大商人層と、そうした後ろ盾を得られない中・小企業家層の格差が生じます(ヴェーバーの『都市の類型学』はこの過程を社会学的に分析したものです)。

宮廷の御用商人となりえた大商人はその子弟をもはや商人とさせず、新宮廷あるいは教会に「官職保有者」として仕えさせます。しかし、このような行政の肥大と政商の権力の増大は「民間」の資本家の行動範囲を狭めます。これが結果的に、16世紀にわたって、多くの企業家たちを移住へと駆り立てました。

カトリック組織と国家、そして大商人との結びつきに対して批判的にならざるをえないこれら企業家たちは、(因果関係はどちらが先かわかりませんが)聖書への回帰を訴えるエラスムス思想の支持者です。エラスムス自身は宗教改革に反対していましたが、その思想はルターやカルヴァンに引き継がれていきました。そこから必然的に、カトリック諸国のカトリシズムでエラスムスの支持者は自然にカルヴァン派の諸都市に引き寄せられていきます。

またこれらカトリック諸国の国外では、当時まさに経済的機会の増大が見られていました。したがって著者は、カトリック諸国の改革派思想の異端視がなくとも、こうした移住は生じただろうと指摘します(51頁)。

この論文の冒頭で扱われている、17世紀にヨーロッパの宮廷が頼りにした大商人達は、これら移住者の商人たちの中で力をつけたものたちでした。

それは、反宗教改革が成功をおさめ、社会のカソリック教権組織化がヨーロッパで主流となる中で、もともとその教権組織を逃れるためにカルヴァン派の自由な雰囲気をもつ都市に移住した商人たちが再度カソリック組織に呑み込まれていった過程と言えるでしょうか。トレヴァー=ローパーは、この反宗教改革の成功とヨーロッパ諸国の教権組織化の進展とヨーロッパの経済的停滞との結びつきを指摘します。またその時期は、新しい機会を求めてヨーロッパの人々がアメリカへ移住を始めた時期とも重なります。それは、宗教組織に背を向け聖書に立ち返ろうとした人々が再度新しい場所を求めて移住を開始した事件だとも言えます。

この論文は、一見ヴェーバー・テーゼの無効化にも見えますが、むしろヴェーバーの着眼点の鋭さを追認することを意図しているとも読めます。なぜなら、著者は最終的には宗教改革派の精神と企業家活動との結びつきを認め、自分の立論においてその結びつきに依拠しているからです。